2008年11月23日
第21回 大田原マラソン(栃木県)
フルマラソン完走記
第五章
(レース本番)
完走記 トップ |
完走記 第一章 (5月まで) |
完走記 第二章 (8月まで) |
完走記 第三章 (マラソン練習開始) |
完走記 第四章 (大会前日・当日朝) |
完走記 第五章 (レース本番) |
完走記 最終章 (レースを終えて) |
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1.スタート直前 |
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今回は、憧れのランナーりかちゃんが招待選手として出場。 同じユニフォームだし、同じスタートラインに立てたのですごく嬉しかった。 そして、ここ(フル)に戻ってこれたんだと、スタート前からうるうる涙目になってきた。 サングラスをしてて良かった。 |
2.スタート |
10時40分。いよいよレース開始。 競技場を一周走ってから場外に出る。すごい歓声だ。ここは俺の居場所だと思った。興奮しながら走った。 しばらく走ると「けいさんですか?」と声を掛けられた。 声の主は生うにさんだった。 生うにさんは同じeA岩手所属だが、初めてお会いした。とても爽やかな印象の方だ。 にこやかに挨拶をし、二人ともレースに戻る。 レース中に初めてお会いできるって言うのも面白いものだ。 |
3.レース経過 |
33キロ付近までは体感を頼りに走った。 (1)5キロ 20分12秒 かなり余裕がある。周りと合わせながら走る。自分の中では20分30秒を考えていたので少し速いかも? (2)10キロ 40分12秒 (5キロLAP 20分00秒) 徐々に前を走っている人達を抜いていく。余裕がある。さっきよりペースが上がっている。キロ4分15秒でサブスリーだ。ちょっと落とすとしよう。 (3)15キロ 1時間00分56秒 (5キロLAP 20分44秒) 予定通りの落とし方だったが、急におしっこがしたくなってきた。スタート前に緊張でのどが渇きすぎ、水分摂取が多すぎたか・・・集中力がなくなってきた。 (4)20キロ 1時間21分51秒 (5キロLAP 20分55秒) 15K過ぎにトイレに。出すものを出したらすっきりして快適に。トイレロスの割には落ちていないし余裕度がある。 (5)25キロ 1時間41分42秒 (5キロLAP 19分51秒) 中間点を1時間26分08秒で通過。かなり余裕がある。ついつい調子に乗ってしまった。ペースが上がりすぎている。25キロで時計を見て、やばいと思いペースを落とす。 (6)30キロ 2時間02分20秒 (5キロLAP 20分38秒) この5キロはようやく落ち着いた。かなり余裕だ。後半落ちてもサブスリーでは走れそうだ。 (7)35キロ 2時間26分22秒 (5キロLAP 24分02秒) 33キロ付近で急に右の腰に違和感が・・・ なんで?初めての箇所。ここは練習でも痛めたことがない。少しペースを落とす。 しかーし・・・ ズキンズキン・・・ 足を地面に着けるだけで激痛が走り出した。 この痛みは歩くともう駄目だろう棄権するしかなくなってしまう。そう感じた。 もう歩くようなペースになった。35キロ手前でサブスリーのペースメーカーがいる集団に抜かれた。サブスリーは赤信号。このままでは完走も危うい。 (8)40キロ 3時間02分18秒 (5キロLAP 35分56秒) 一歩進むごとに激しい痛み。あまりの痛さと予想外のアクシデントに涙が出てくる。悔しい。 でも化学物質過敏症で苦しんだ日を思えば耐えれるだろうと言い聞かせて根性だけで足を進める。 棄権したらやっぱり無理だったと、私を希望に思っている患者仲間が元気をなくす。 それに、いろいろ応援してくれた人に申し訳ない。 根性根性ど根性。 とにかく走り続けた。歩くようなスピードだが、足だけは前に出した。 (8)ゴール 3時間19分52秒 泣きながら走った。痛くて泣いて走ったなんて初めての経験だ。激痛で意識が遠退きそうになるときも。 「頑張れ、あと何キロ」 の沿道の声援がありがたい。距離がどんどん短くなってくる。競技場が見えてきた。 競技場に入ったときに3時間19分台の掲示が見えた。 3時間20分と19分ではまた違うと思った。 最後必死に痛みに耐えながら出来る限りのラストスパート。 20分は切れた。 でも腰がすごく痛かった。 |
最終章に続く |