2008年11月23日
第21回 大田原マラソン(栃木県)
フルマラソン完走記
第三章
(マラソン練習開始)
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完走記 第一章 (5月まで) |
完走記 第二章 (8月まで) |
完走記 第三章 (マラソン練習開始) |
完走記 第四章 (大会前日・当日朝) |
完走記 第五章 (レース本番) |
完走記 最終章 (レースを終えて) |
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1.コツコツ練習、大会で思わぬ成果が(9月) |
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徐々に時間や距離を増やしていった。 30キロ走を1回、35キロ走を2回やった。 9月の走行距離は431.9キロになった。 その成果がすぐに現れた。 駅伝の3.07Kを10分48秒で走った。 短いとはいえ、キロ3分40秒を切れるとは驚いた。 続いて一関国際ハーフマラソンを1時間23分41秒。 これまた驚いてしまった。 これはフル大丈夫かも?と欲が出てきた。 |
2.40キロ走(10月) |
10月もコツコツ練習量が増えてきた。 40キロ走も2回やった。 3時間18分02秒と3時間22分07秒だった。 10月は456.7キロ走った。 お陰で67キロあった体重が57キロ〜59キロを行ったり来たりするようなところまで落ちた。 だいぶランナーの体つきになった。 |
3.暴露との戦い(10月11月) |
稲刈りのシーズンは草焼きで体調不良で苦しむ。 恐らく農薬が微量ながら残っているものが煙で流れてきて、体が反応するのだろう。 でも、酸素吸入や練習量増による発汗作用で練習はこなしながら対応出来ていた。 しかし、厄介なことが・・・・・ 母が手術して入院したのだ。 付き添いなど病院にいる時間が増えた。 病院ということは消毒等に反応してしまう。 体がつらくなってきた。 幸いな事に、当初は悪性腫瘍の可能性が大と言われていたが、思っていたより母の病状が軽く(良性だった)、当初の予定より早く退院できたので、体のつらさも短い期間ですんだ。 しかも、練習量をだんだん落としていく時期の暴露だったので、かえっていい休養になったのかも。 物事プラス思考で考えなければ・・・ |
4.やるだけのことはやった(11月) |
暴露による体調不良で走れない日もあったが、練習は出来たほうだ。 過去4年の経験から、避けれる暴露は避けれたのと、事前に塗装作業等連絡してくれるなど理解者が増えたこと、そして家族が助けてくれたことが良かったのだろう。 体の状態を考えれば、良くここまでやれたというところまで頑張れたと思う。 良い状態で大田原に行けそうだ。 |
第四章に続く |