2008年11月23日
第21回 大田原マラソン(栃木県)
フルマラソン完走記

第一章
(5月まで)
 

完走記
トップ
完走記
第一章
(5月まで)
完走記
第二章
(8月まで)
完走記
第三章
(マラソン練習開始)
完走記
第四章
(大会前日・当日朝)
完走記
第五章
(レース本番)
完走記
最終章
(レースを終えて)

TOPへ戻る

1.病気との闘い(2008年1月まで)
2004年に謎の病気で苦しみ、いろんな医療機関に行ってみたが、どこへ行っても異常なし。

呼吸困難、激しい頭痛、脱力、意識消失、吐き気、体の硬直、様々な症状で苦しいのに・・・

やっとのことで病気の正体がわかった。

謎の病気の正体は「化学物質過敏症」だった。

職場の受動喫煙と、何らかの薬品を長年微量ながら吸ってしまったのが原因だろうと言われた。

しかし、原因や病気の正体がわかるまでに1年7ヶ月の歳月が流れていた。

治療、対策が遅れた分、病状は悪化の一途を辿っていた。

起きている時間より寝ている時間の方が多くなってきた。

歩くことも出来ない。走るなんてとても考えれないところまで落ちた。

何度も何度も這い上がろうとした。

でも駄目だった。

冬場は暖房器具や、室内の洗濯物干し、春からは近くの田んぼの除草剤、夏は農薬散布、秋は田んぼの草焼き、その他にも子供の保育園で使う消毒液等の匂いが衣類や髪などに染み付いて、それに反応してしまう。

化学物質の暴露から避けれるものは避け、運動療法で発汗や体力をつけるのが治療になるという。

ランニング等の発汗作用は、化学物質過敏症(CS)の体の治療には最適だと言われても、体を動かそうと思う前に、化学物質の暴露による体調不良で動かせる状態でなくなってしまう。

辛い・・・

ところが転機が訪れた。
 
年明けに、止まらない咳に苦しめられた。

全く眠ることが出来ない。

病院は苦手だ。

消毒液等の影響でCSの状態が悪化し、苦しむからだ。

でも、ただ家に居ても悪化するばかりなので仕方なく受診した。

診断は

???

百日咳?喘息?

医師は悩みながら、いろいろ治療をしてくれた。

百日咳の値に少し異常は出たが、百日咳とは断言できず、いろいろ試行錯誤をしながら治療をしてくれた。

その際ステロイド等の点滴を行い、気管支拡張剤の薬を使った。

しばらくすると効果が出て咳が止まり、それとともに、CSの症状が和らいできたのだ。

まさに怪我の功名。

私の通院先の化学物質過敏症外来の主治医によると、喘息に用いる気管支拡張剤を使って、CSの症状が和らいだ例はあったが、たまたま私にも良い方向に作用したのでは?とのことだった。
2.マラソン復帰したい・・・(1月)
私には目標にしている憧れのランナーがいる。

静岡県に住むりかちゃんという私より少しお姉さんのママさんランナーだ。

何度かお会いしたことはあったのだが、病気の私を気遣って、いろいろ励ましてくれたり、時には大会で好走して私に元気を与えてくれる、ランナーとしても人間として素晴らしい人だ。

そのりかちゃんが最近は故障で苦しんでいる。

いつも励まされてばかりの私はなんとか恩返ししたい、そう思ったがどうしたらいいものやら・・・

そうだ。私が復活したら元気を与えれるかも(^o^)
 
実は私はりかちゃんの指導コーチと同じ方に指導していただいている。

絶対復活するぞ。その為にはCSに勝って走れるようにならなければ。
3.ウォーキング開始(1月)
だいぶ和らいだとはいえ、暴露すればすぐに寝込んでしまう。慎重にいかなければ。

常に活性炭入りマスクを着用し、気管支拡張剤やタチオン錠(解毒剤)を服用しながら体を動かしだした。

医師が発汗させる運動療法を薦めてくれたのも心強かった。大好きなランニングもやった方が良いと言ってくれたことも嬉しかった。

しかし、身長170なのに体重は67キロまで増加し、走るには重い体に。まずはウォーキングからやることにした。
4.助っ人(4月)
1月からウォーキングを開始し、2月からはジョギングも出来るようになってきた。

しかし、やはり何らかの暴露があれば倒れる日もある。とても大会どころではない・・・

ところが助っ人登場

主治医から在宅酸素をやってみるかと言われた。体調悪化時には酸素吸入をすぐ出来るし、空になったら業者が自宅まで持ってきてくれるという。

私は飛びついた。

それからは、暴露で体調を崩しても、酸素吸入をすれば回復が早くなった。

それと同時にジョギングからランニングも出来るようになってきた。
5.応援者が増加(4月)
ランニングが出来るようになり、CSの状態が上向きになってくると、ブログへのコメントやメールが増えてきた。

CS患者さんや、ご無沙汰していた友人、ランニング仲間からの応援だ。

CS患者さんの中には、私みたいなものを希望の星とまで言ってくれる人までいた。

このころから、りかちゃんに元気を与えたいという気持ちプラス、私を応援してくれる人のためにフルマラソンを走れるまで回復して、応援してくれる人に元気を与えれるようになりたいと思うようになる。
6.化学物質過敏症患者に対する屈辱的対応(5月)
1月のウォーキング開始から徐々に体調も良くなり、ランニング練習もだいぶ出来るようになってきた。

5月に入り体調悪化の日も少なくなり、家事や子供の保育園の送迎も出来るようになり、順調に回復に向かい出した。

そんなときに子供の通う保育園でひどい対応を受けた。

化学物質過敏症だから親子遠足は来ないでほしいというようなことを言われた。

ショックと怒り、精神状態が壊れた。

もうどうなってもいいと思った。死んだほうがいいやと思った。

化学物質過敏症になりたくてなったわけではない。

なった私が悪いのか?なんでこんなことを言われなければいけないのか?

山をさまよった。

もう人と会いたくなかった。

どれぐらい歩いただろうか?携帯はずーっと圏外だったが、圏内に入ったようだ。

その途端電話のお知らせ機能が鳴り出し、すごい数のメールと着信履歴。

こんなに大勢の人が心配してくれてる。

ありがたくて涙が止まらなくなった。
第二章に続く