先日(2007年8月)の北海道旅行で、久しぶりに遺構を訪ねてみました。 尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2016年2月28日 <士幌線 帯広〜十勝三股> <INDEX> 1979年10月訪問 2007年8月再訪 2014年8月再訪 2016年2月28日一部日追加 1979年10月訪問 十勝三股駅 1979年秋。 士幌線の終点、十勝三股駅ホームです。 乗車したのは1979年10月8日でした。 乗車、と書きましたが、この1年前の1978年、末端区間の糠平〜十勝三股間は、列車の運転が中止となり、代行バスに置き換えられました。 当時すでに国鉄ローカル線の廃止が具体的に検討されていた時期でしたが、それに先駆けて、といった感じのバス置き換えでした。 十勝三股駅構内。 十勝三股駅構内です。 すでに列車が来なくなって一年ほど。 線路は錆び、腕木式信号機は「停止」を示したままです。 もう列車がやって来ないことは明白なのですが、手入れがされていないとは言え、さすがに鉄道施設はまだ殆ど以前のままでした。 十勝三股駅本屋。 屋根の傾斜がきつい、いかにも北海道のローカル駅といった感じの十勝三股駅本屋です。 建物はそのままとは言え、さすがに窓口やガラス部分はベニヤ板で覆われており、もう二度と使われることはないということを物語っています。 覆いのベニヤがまだ新しく見えるのが、1979年という時期を示しています。 機関庫跡。 十勝三股駅構内のターンテーブルと機関庫跡です。 施設からわかるように、かつてはこの駅まで蒸気機関車牽引の列車が乗り入れていました。 十勝三股駅より。 十勝三股駅から、糠平方面を望んだところです。 いかにも北海道らしい、真っ直ぐ伸びた線路、という感じではありますが、写真で判るように、両側は雑木林ばかりで「他に何もない」のです。 地方交通線の廃止議論を待たず、この時点ですでにバス代行に置き換えられたのはいかにももっとも、という感じでした。 十勝三股駅構内。 糠平側から眺めた、十勝三股駅構内です。 列車が来なくなったとは言え、殆どの施設はそのままで、まだまだいつ列車がやってきても不思議ではない風景です。 当時すでに、駅周辺を歩いても「ホントに何もないところ」といった感じでしたが、まだまだ広い感じの構内でした。 「列車は通りません」。 士幌線の糠平〜十勝三股間、列車の運転を中止しバス代行になったとは言え、決して「廃止」となったわけではありません。 ちゃんと時刻表の国鉄線として載っている(バス代行という注釈はありましたが)正式な路線です。 何とも複雑ですが、当時「国鉄(鉄道)線完乗」を目指していたからは、無視するわけには行きませんでした。 代行バスは「国鉄バス」ではなく、地元の民間会社に委託されていました。 しかしれっきとした「国鉄線」ですから、もちろん周遊券で乗車できます。 代行だけあって、途中国道を外れ、ちゃんと幌加駅まで入ります。 乗客の利便性からすれば、別に駅まで入らなくても、国道際にバス停があったほうが便利がよかったのでは、と思われる幌加駅周辺でしたが。 踏切(跡?)で代行バスの車窓から見えたのは、「当分の間・・・・・」という標識でした。 「当分」が「永遠」であるのはすでに明白ではありましたが。 幌加駅。 代行バスの車窓から。国道付近から見た、幌加駅跡です。 いえ、列車は来ないとは言え、バスが乗り入れていますから、建前は現役の「駅」でした。 この区間がバス代行になってから、士幌線(全線)が廃止されるまで10年近く。 国鉄ローカル線でも特異な例とは言え、この間ずっと「代行バス」の運転が続いたのは今から考えると驚きで、いかにもお役所的ではあります。 ちなみに、この日は、十勝三股までの「行き」のバスの乗客は私1人だけ。 しかし帰りの糠平行きは、まだ10人ほどの乗客がありました。 糠平駅。 1979年当時の列車の「終点」、糠平駅です。 単行の気動車でしたが、この駅までは、結構乗客はいたと記憶しています。 列車は、すでに少なくなったキハ12。 記録によると、夜行普通列車「からまつ」で深夜(未明?)の帯広駅下車。 早朝6時09分発の糠平行きはキハ12 15、帰りは写真のキハ12 17でした。 2007年8月再訪 幌加駅付近・2007年。 士幌線跡・幌加駅付近です。 先日、2007年8月に訪問したときの様子です。 上に書いたように、この区間は国鉄時代も「代行バス」の乗車で、線路の上は走っていません。 といっても殆ど国道に平行した路線だったのですが。 今回は上川方面層雲峡から三国峠を越えて十勝三股に入ったのですが、さすがに30年近く前とはイメージが全く違います。 予定ではまず「十勝三股駅跡」を訪れてから糠平に向かうはずだったのですが、通り過ぎて次の「幌加駅跡」まで来てしまいました。 記憶では、十勝三股駅付近はもう少し広く開けていて、民家もあったはずだったのですが、今回車で通ってみると何もありません。 この30年間の過疎化を感じると同時に、廃止より一足先に「バス代行」に替わった理由を改めて実感した次第です。 幌加駅跡。 集落があるわけではありませんが、車窓から橋梁跡が見えたおかげで、ようやく廃線跡に気づくことができました。 幌加駅の跡には、写真のようなえらく立派なプレートが掲げられていました。 まだ比較的新しいようです。 幌加駅跡。 やや広い、木立の途切れた跡地が駅の跡を偲ばせる、幌加駅跡です。 それにしても、今回車で運転してみると、幌加駅と十勝三股駅の間は、何もないばかりでなく、結構な急勾配です。 こんなところまでよく鉄道を引いた(もっとも当時は道路が整備されてなく、三股にとっては鉄道が重要な輸送機関だったのですが)、さらによく蒸気機関車牽引の列車を走らせた、と驚きます。 第五音更川橋梁跡。 現在は国の有形文化財に指定されている、第五音更川橋梁です。 幌加駅跡のすぐ三股側にあり、国道から眺められるだけでなく、幌加駅跡から廃線跡を歩いて訪れることもできます。 士幌線ではタウシュベツ川橋梁のアーチ橋が有名ですが、それに次ぐ規模を誇り、現在も当時の姿をとどめていました。 十勝三股駅跡。 現在の十勝三股駅跡です。 国道から駅跡地まで入れば、いかにも、といった雰囲気ではあるのですが、最初に車で通過したときには「あれ?」という感じではありましたが、余りに周囲に木が茂っており、よく判りませんでした。 広い敷地跡、といった感じはありますが、見たところさすがに構造物の遺構は残っておらず、どこが何だったのかよくわかりません。 十勝三股駅跡。 十勝三股駅跡から、三国峠方面(幌加と反対方向)を望んだところです。 訪問当時、どこまでレールが敷かれてあったのかははっきり覚えていません。 地形からすると、写真の一番奥あたりまで線路があったのではないかと思いますが。 当初の計画では、ここから峠を越えて、石北本線上川駅まで延びるはずだった士幌線ですが、極端な過疎地帯であることとメインルートではないため、この先工事が開始されることはありませんでした。 十勝三股駅付近?。 敷地跡があるだけで、さすがに30年も経つと木も生い茂り、どこが何だったのかわかりません。 当時の遺構ではありませんが、休憩所があり、旅のノートが置かれていました。 このあたりが駅(ホーム)の場所だったのでしょうか。 バス待合所。 国道の、駅と反対側。 十勝三股のバス待合所です。 最初にこれに気付けば行き過ぎることはなかったのでしょうが、駅があった反対側ばかり注視していたため、後戻りしてきて初めて気がつきました。 士幌線の正式廃止とともに「代行バス」でなく「代替バス」となった、しかし運行形態は「代行」時代と変わらなかった糠平〜十勝三股区間ですが、さすがにその代行バスも数年前に廃止されてしましました。 今回車で走ってみるに、およそ公共交通機関が成り立つとは思えない過疎状態です。 ただ帯広〜上川〜旭川を結ぶ国道が整備されているため、長距離バスの停留所があり、ちゃんとフォローはされていました。 しかし、一体このバス停を利用する乗客がどれだけいるのでしょうか。 糠平駅跡付近。 糠平駅跡付近です。 この付近には、細いレールがちゃんと残されており、駅跡という感じがうかがえます。 訪問したのがちょうど月曜だったため、構内の「鉄道記念館」(写真右手の白い小さな建物)が休日だったのは残念でした。 2014年8月再訪 バス待合所。 旧国鉄十勝三股駅跡の向かいに、小さなバス停の建物があります。 国鉄駅跡の建物が全てなくなり、ほぼ雑木林に戻った現在、「駅前」だったことを偲ばせる数少ない施設です。 5年前にあった「十勝三股待合所」の看板がなくなっていました。 概念図? バス停の建物の中にあった、「十勝三股概念図」です。 といっても市街地案内ではなく(そもそも「市街地」というものがすでに存在しませんが)、山歩きの案内図のようでした。 お知らせ。 同じく、バス停の中にあった「お知らせ」です。 印刷面はそれほど色褪せてもいませんが、「2010年」ではなく「平成10年」のものですから、相当昔のものです。 「減便」とありますが、すでに十勝三股と糠平の間の路線便は運行されていません。 宿泊厳禁? いろいろ掲示物があるバス停建物内です。 宿泊厳禁とあるのは、登山客でしょうか。 それともバイクのツーリング客でしょうか。 そういえば昔は、夏の北海道の無人駅は、夜中になるとバイクの旅行者の宿泊所になっていました。 その右側、平成14年にはわずか1便だけですが、まだバス(実際にはタクシーかライトバン)があったようです。 一番下の落書きに見える「今は来ません」の文字が現実です。 そして一番気になるのは、これらが貼り付けられている台座。 懐かしい「DISCOVER JAPAN」の文字が。 これは元々「向かいの駅舎内」にあったものでしょうね。 終着駅の跡。 バス停から道路向かいの「十勝三股駅跡」。 何に利用される訳でもなく荒れたままですが、雑草はおろか雑僕も生い茂り、およそ「駅跡」という雰囲気はありません。 元駅前。 鉄道の「終点駅」があったからには相当賑わっていたはずですが(実際昔の記録を読むとそのようですが)、現在ではこの元十勝三股駅前には、集落は全くありません。 わずかに駅横の敷地にこの建物があるだけです。 7年前に車で通った時は、一旦は気付かず通り過ぎたほどでした。 バス停。 反対側、というか元駅側のバス停。 こちらは標識が1本立っているだけです。 現在は、この十勝三股に停車するバスは、帯広〜旭川間の都市間バス「ノースライナー号」1往復だけです。 「ノースライナー号」自体は3往復設定されていますが、うち2往復は狩勝峠から富良野を回り、三国峠経由は1往復だけですから仕方ありません。 「路線バスが無くなるから救済のために停まる」的要素が強いですが、帯広へ日帰りで出かけるには使えません。 駅の跡。 かつて「駅」のあったあたりです。 と書かなければ、それらしい後は何も残っていない「十勝三股」駅跡です。 草が刈りこまれているので、林道としては利用されているようですが。 立入禁止。 かつての駅跡にあった「休憩所」的建物。 一時は遊歩道や山歩きの人の休憩所に利用されたようです。 しかし全く手入れがされていないと見え、鉄道廃止後に建てられたこの建物さえも、かなり荒れ果てています。 7年前に訪れた時はまだましでしたが、今では「危険につき立入禁止」の札が掲げられていました。 遊歩道。 同じく、駅敷地内の遊歩道です。 上の休憩所から、三国峠方面つまり線路終端側を望んだところです。 まだ歩けない状態ではありませんが、こちらも相当くたびれています。 あと数年後にはどうなるでしょうか。 駅構内跡。 一方、休憩所から糠平方面を眺めるとこんな感じです。 昔ここに駅や線路があって、ちょうど正面が糠平側の出口だった」と言えば、そんな気がしないわけでもありません。 駅構内跡。 駅の裏手(=道路と反対側)に回って、構内跡を眺めたところです。 写真から外れた右側がホームと駅舎跡。 左手奥が糠平方面出発側。 ターンテーブルがあったのは、たしかこのあたり、という気がするのですが。 立入禁止。 上と同じ写真撮影位置、少し右側に視線を振ると、こんな注意看板が目に入りました。 「立ち入るな」とありますが、「旧建物の基礎がある」などと書かれると、わざわざ立ち入って観察とか探索とかしたくなるのが人情、というものです。 残念ながら今回はそこまでの時間はありませんが。 第五音更川橋梁。 終点の十勝三股から帯広側へ少し下り、次の幌加駅のすぐ手前。 古いアーチ橋は、第五音更橋梁跡です。 十勝三股から糠平までは、国道と士幌線の廃線跡が寄り添っていますので、眺めながら走ると「発見」できます。 運転中はよそ見厳禁!ではありますが。 橋梁。 橋の少し先(糠平側)の駐車場に車を停め、案内に従って遊歩道を行くと、こんな角度から橋に近づくことができます。 残念ながら木が生い茂っており、遊歩道から橋を邪魔物なくスカッと見渡すことはできません。 遊歩道から。 橋の手前までやって来ました。 古い橋梁は、レールが撤去されたそのままの姿です。 列車がやって来なくなってすでに35年以上になります。 橋梁上。 そこそこの長さの橋梁で、上には草が少々あるだけ。 渡って見たいのはやまやまですが、残念なことにここも「立入禁止」です。 途中まででも入ることができれば面白いと思いますが、手すりを付けたりしたら景観が変わってしまうでしょうか。 立入禁止。 橋梁上の雰囲気の写真。 もう少し近づいて撮影したい気持ちはありましたが、これが精一杯でした。 正面から見ると、普通の鉄橋に比べて随分多い感じがする退避所です。 遊歩道。 鉄橋は渡れませんでしたが、そこから反対側を向くと。 ここから先は廃線線路跡が遊歩道として整備されています。 このまま鉄橋から真直ぐ歩くと、300メートルほどで幌加駅に到着します。 幌加駅付近。 幌加駅の少し手前。 右手の建物と駐車場が国道の除雪ステーションになっており、都合のよいことに第5音更橋梁と幌加駅の見学駐車場に便利です。 (休憩所や売店がある訳じゃないですが。) 一見するとここが幌加駅の跡地かと勘違いしそうな立地条件とスペースですが、実際の幌加駅はこの少し先でした。 幌加駅跡。 上の写真の少し先、幌加駅跡です。 十勝三股側から近づいたところに、こんな写真入りの「変遷」の看板が立っています。 レール。 幌加駅の構内です。 ここはレールや枕木、ポイントが残されています。 わざわざ残した、というよりは「草が茂って撤去出来なくなり、放っておいた」と言う方が正しいかもしれません。 ポイント。 通常は鉄道が廃線になると、真っ先にレールは撤去される場合が多いのですが。 この区間は列車から代行バスに変更された後も、士幌線全線が廃止になる1987年までの10年近くの間は、戸籍としての「鉄道」は生き残っていましたし、さらにそこから先に伸延する計画も生き残っていましたから、レールは撤去されずそのままになっていたのでしょう。 2本の線路。 幌加駅構内、ホーム付近です。 交換設備のある幌加駅。 ここでは両方の線路のレールがそのまま残っていました。 交換列車がなくなると、交換設備や片側のレールを撤去する例も多いのですが。 幌加駅ホーム跡。 幌加駅ホーム跡です。 前回7年前にやって来た時はこの場所まで「深入り」しなかたっため、こんなに完全な形でホームが残っているとは気が付きませんでした。 駅名標。 ホーム上に立っている駅名標です。 きれいな状態です。 この線路のある場所までが遊歩道、かどうなのか判りませんが、駅名標はきれいに手入れがされていました。 幌加駅跡、糠平側。 糠平側の出口です。 こちらにも、「ポイント」が残されていました。 これだけ見ると、今でもこの設備で観光用に何かでいるんじゃないか、と言う気もしますが、他に何の設備もありませんし、それに隣のむ川平駅跡では「鉄道資料館」のほか「トロッコ運転」もおこなわれていますし・・・。 行き止まり? さて、幌加駅の糠平側。 ポイントを過ぎて線路が合流したところで、レールはおしまいになります。 遊歩道もこの先続いていないのか、草が生い茂っています。 ということで、ここらで引き返すことにします。 ポイント(糠平側)。 糠平側に残っているポイントです。 今でも横のてこを動かせば、ポイントも切り替わりそうです。 殆ど「そのまま捨てられたという感じの廃線跡です。 色々な残骸。 ポイントだけでなく、駅から延々続いている「バー」や「てこ」も残されていました。 もしかすると、手入れをしたら今でも動かせる、かな? 駅跡。 糠平側からホームを眺めたところです。 このホームやレールは端から端まできちんと残っています。 が、建物の遺構は全く見られません。 そればかりか、色々な設備があったあたりは雑木が生い茂るばかりです。 駅舎の跡(のはず)。 残されているホームの糠平側端の更に「後ろ側」あたり。 草が生い茂り判りにくいですが、なにやら短いホームらしき跡が見られます。 配置からして、駅本屋横の貨物(入替)ホームかと思われます。 「石造り」のものはかなり残っていますが、「木でできていた」建物は跡形もありません。 終点十勝三股に向けて。 線路が一つになり、終点の十勝三股に向かって出発していく。 そんな風景です。 残念ながらここを初めて訪れた1979年秋にはすでに、糠平〜十勝三股間は代行バスでしたから、このレールの上を列車で走ったことはありません。 左奥、木立の向こうにちらりと、除雪ステーションが見えます。 車でくるならここ。 今回の訪問は車ですから、この除雪ステーションが「散歩または見学」の基地となります。 観光客向けに何もありませんが、唯一トイレが開放されているのは嬉しいかも。 この写真では判別できませんが、建物左の看板は幌加駅の案内ではなく、「ヒグマ出没注意」と書かれているのです。 案内板。 除雪ステーションの駐車場端にある、第五音更川橋梁と遊歩道の案内板です。 詳細は省略しますので、写真をご参照「ください。 案内板。 写真にあるように、幌加駅の「手前」までが順路であり、整備された遊歩道のようでした。 折角ホームに「駅名標」まであるのですが。 案内板。 同じく、詳細省略、です。 タウシュベツ川橋梁。 第五音更川橋梁から更に糠平側に下ると、この「タウシュベツ川橋梁跡」があります。 士幌線廃線跡の遺構としては、最も有名な建造物かもしれません。 しかしここへ行くには自動車乗り入れ禁止の林道があるのみ。 車で訪れた観光客は、湖のほぼ対岸の「展望台」から遠く眺めるだけです。 橋梁案内。 展望台にある説明の看板。 これによるとダムの水位変化に伴い「6月ごろから沈み始め10月頃には完全に水没」とあります。 しかし8月半ばのお盆の時期にもかかわらず、完全に姿を現していました。 今年は水不足? この数日前、北海道地方は全域激しい雨に見舞われてあちこちで被害も出たほどですが。 廃線跡。 タウシュベツ橋梁展望台のすぐ近くを走る、士幌線廃線跡です。 このあたりはまた遊歩道として整備されていると見え、足元は刈りこまれた状態でした。 向かって奥が幌加、そして十勝三股方面になります。 そして背中側の区間も、遊歩道としてこの先続いています。 道案内。 上の写真のすぐ近くにある、案内標識です。 少しロケーションを説明しますと。 線路と直角に左に進むと、60メートルで駐車場。 (これが駐車場という立派なものではなく、1列縦隊に駐車できるだけの、ほとんど「路肩駐車」状態のスペース。 つまりここでは、この線路跡の遊歩道と60メートル離れて平行に、国道が通っている訳です。 逆に右に120メートル進むと、真正面に糠平湖。 さらにその湖のはるか向こうに、タウシュベツ川橋梁が見えるわけです。 糠平ダムの建設で水没するタウシュベツ川橋梁はじめとする士幌線。 付け変えらえれた場所は、タウシュベツ川橋梁から遥かに離れた場所を迂回していました。 廃線跡築堤。 国道駐車場からタウシュベツ川橋梁へ向かう間の遊歩道。 途中で直角に「新士幌線跡」と交わる部分です。 変な表現ですが、「路線付け替え後の新線の廃線跡」ということです。 それにしても、タウシュベツ川橋梁前後の「旧線」区間は、士幌線開業からダム完成までの10数年しか使われなかったわけで、もったいない話ではあります。 線路跡のみ盛り土で一段高くなっています。 三の沢橋梁。 タウシュベツ川橋梁の展望台付近から更に少し糠平側に下ったところ。 三の沢橋梁です。 名前の通り、「川」ではなく「沢」の橋梁。 と言うことで、長さは少々短めです。 しかしここは「遊歩道」の一部として、歩いて渡る事が出来るアーチ橋跡でした。 橋梁案内。 三の沢橋梁の十勝三股側付け根にある、遊歩道案内です。 小さいながら写真も入った立派なものです。 詳細は次の写真でご確認ください。 橋梁案内。 案内標識のアップです。 今回は訪問寄り道しませんが、「第3音更川橋梁」「第4音更川橋梁」「第6音更川橋梁」なんていうのも出てきます。 まだまだ見どころはあるようです。 全部寄って行ったら、どれくらい時間がかかることやら。 橋梁案内。 現在は「北海道遺産」に指定されている、士幌線のアーチ橋跡、ということでした。 橋梁遊歩道。 この三の沢橋梁、遊歩道で歩いて渡ることができるため、両側には安全の「手摺り」が設置されています。 本来のアーチ橋のイメージからは少し変わってしまったかもしれませんが、歩いて渡ることが出来るのは、それはそれて楽しいものです。 橋梁上。 アーチ橋の上です。 遊歩道ではありますが、安全の観点からか、さすがにここだけは路面は舗装されていました。 元が鉄橋でなくアーチ橋だったこともあり、鉄道橋と言うイメージは少し薄れていますが、それでも1ヶ所ある退避所はなかなか良い雰囲気です。 糠平湖。 三の沢橋梁から見下ろす糠平湖です。 「沢」の橋梁ですから、あまり左右に展望は開けません。 この左の方にあるはずのタウシュベツ川橋梁も、ここからは確認できません。 糠平湖。 最低水位はどのくらいになるのか判りませんが、タウシュベツ川橋梁の姿と言い、この写真と言い、8月中旬現在の水位はかなり低いようでした。 自然歩道。 もうひとつ、「東大雪の道」という標識がありました。 散策コースが地図入りで示されています。 これによると、どちらも「1日コース」です。 やはり車の寄り道じゃなく、気合を入れてやって来なくちゃいけません。 自然歩道案内。 二つのコースはどちらも糠平の上士幌鉄道資料館を起点に、十勝三股までのコースと、タウシュベツ川橋梁までのコース。 ともに1日コースですが、途中半分の経路は重複しているため、頑張れば距離的には1日で回れないこともなさそうです。 但し、アーチ橋ごとに寄り道して時間を潰してしまったら、ちょっと無理かも。 糠平湖周辺案内。 この地図を見ると、タウシュベツ川橋梁の位置や、士幌線の旧線と新線の位置関係が一目で判ります。 ところで、タウシュベツ川橋梁のすぐ近くに「駐車場マーク」が見えます。 手元の情報では「自動車乗り入れ禁止」なのですが、地元のタクシーとか、車で入る方法もあるのでしょうか。 写真、手ブレでちょっとだけ見にくくなってしまいました。 ご勘弁を。 三の沢橋梁。 三の沢橋梁、並走する国道から眺めたところです。 遊歩道に改造のため少し元の姿とは異なり、木に隠れているため雰囲気が判りにくいかもしれませんが、きれいなアーチ橋です。 2016年2月28日追加 上士幌資料館。 上士幌鉄道資料館の内部です。 士幌線にあった数々のアーチ橋はじめ、沢山の写真や資料が展示されています。 こじんまりした資料館ではありますが、見どころは豊富です。 時刻表。 糠平駅と上士幌駅の発車時刻表が展示されていました。 廃止直前のものでしょうか。 糠平駅のものには、小さく「バス」と表示されています。 糠平駅跡。 旧「(新)糠平駅」跡です。 変な表現ですが、糠平ダム新線切替後の駅跡、ということです。 敷地跡、貨車、そして右手に上士幌町鉄道資料館があります。 十勝三股方面。 糠平駅、十勝三股方面への出口です。 ダム建設により新しく出来る糠平湖を迂回するため、この糠平駅を出た線路は大きく右側に180度、急なカーブを描いていました。 そしてまた、非常に急勾配でもありました。 帯広方面。 何やら列車が走っている?跡がありますが、ここでは「ミニトロッコ列車」が運転されていました。 廃線跡もそれなりに楽しいですが、仮にも列車らしいものが走っている線路は尚楽しいものです。
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