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【昭 和 期】
西部支部の会合
・西部支部総会を始め各会合は、元浜町公民館で行われ、畳の部屋にテー
ブルも、資料もほとんどなく、大勢参加し活発な議論の場であった。
◎昭和34年度〜昭和35年度 遠藤芳雄支部長 安藤光芳県技会長 代行
大石順一氏
・沼津歯科技工士学校設立についての論議があり、会長及び当該支部長の
辞任があった。
・東海北信越ブロック協議会が、安藤会長下熱海で開催された。
◎昭和36年度〜昭和37年度 石田茂支部長 横田定雄県技会長
・沼津歯科技工学校問題が解決し、昭和38年4月より開校されました。
◎昭和38年度〜昭和39年度 石田茂支部長 大石順一県技会長
・政府の臨時行政調査会で、歯科技工法の改廃問題が提起され、反対運動
が展開された。
・日技では、教育制度改正期成運盟(歯科技工士の入学資格が中学卒から
高校卒)が発足した。
・歯科技工学校の教育制度改正のための、カンパを西部支部でも行われた
・東部、中部支部の軟式野球部の結成に刺激され、西部支部でも話題に
なった。
◎昭和40年度〜昭和41年度 石田茂支部長 大塚幸男県技会長
・日技入会金及び会費の値上げが、会員不在の形で、日技代議員会で決定
し、西部支部を中心に、日技脱会の声が挙った。
・西部支部では、日技脱会と軟式野球チームの結成で盛り上がり、石田
支部長以下団結の和が拡大した。
西部野球チーム結成される
・昭和40年、軟式野球チームが緒成され、初代監督に小椋栄次郎さん、
主将に松本武敏さんが選ばれました。練習は、ほとんど磐田市内の中学
校と竜洋中学校のグランドで行われ、“三浦さん、大塚さん達は、ステ
テコに捩鉢巻姿で、バットを振っていたのを思いだす"と加藤豊さんの
印象にあるそうです。部員は16名で、そのメンバーは、石田茂さん、
大塚旭生さん、三浦義一さん、小椋栄次郎さん、鈴木昌平さん、
市川和男さん、安藤嘉春さん、松本武敏さん、藤井要三さん、
山口敏夫さん、兼子章司さん、松永要三さん、松永俊郎さん、
菅沼平六さん、平野憲二さん、川原崎幸夫さん。
・軟式野球では試合の相手を探すのが、大変で、磐周、浜松歯科医師会や
技工士会県内支部との親善野球が中心で、東海大会の県予選も行われる
ようになり、好景気にもささえられ、活発な活動があった。
◎昭和42年度〜昭和43年度 大塚旭生支部長 佐野恵明県技会長
歯科技工料金、県歯と協定される
・歯科技工料金が県歯と協定され、平成3年まで、安定した技工所経営が
できた。
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