観 光 編

<6日目(2002.9.25)>


※ $1 = \120 = 3.5ソル(2002.9当時) ※

 久々にゆっくりめ(7時)に起床。もうすっかり日は昇ってしまっていたが、非常に天気がよく、窓の外のチチカカ湖が光ってまぶしい。
 8時半にロビーに降りると、昨日チェックインを手伝ってくれたのとは別の現地ガイド・アルフレード氏が待機していた。 彼はプーノのLEON TOURSという会社のペルー人ガイドさんだが、残念ながら英語ガイド(もちろんスペイン語や、プーノ周辺で話されるアイマラ語も話せるが)。 プーノには現在のところ日本語ガイドはいないらしい。 でも実際には単語レベルの日本語もできる人だったので、昨日のバスガイドより説明はわかりやすかった。 チチカカ湖とウロス島

 ホテルの専用船着き場からモーターボートに乗って出発。チチカカ湖は琵琶湖の12倍の広さでバカでかい。 ボートで爆走していると、この湖が富士山より高い標高約3,900mの地点にあるとはとても信じられない。
 ボートのデッキに出て、アルフレード氏に地図を見せてもらいながら地理的な話などを聞く。水面の照り返しもあって非常に暑い。 直射日光も強烈。日焼け止めはガッツリ塗ってあるが、防ぎきれるか不安なほどだ。
トトラ(葦)を踏む女王様  20分ほどでウロス島(右上写真)に到着した。ウロス島は、トトラと呼ばれる葦を積み重ねて作った浮き島。 「ウロス島」という名前の島が1つあるわけではなく、40くらいの浮き島が一帯に点在している。どの島もそれほど大きくない。 女王様一行のボートは、その中のある浮き島に横付けされた。島を踏みしめてみると、周辺部はかなり足元が揺れる!(左上写真)
 島には同じくトトラで作られた小屋がいくつかと物見櫓があった。家の前ではおばちゃんたちがそれぞれみやげものを売っている。 まずはトトラの上に腰を下ろして、アルフレード氏に島の生活などの話を聞く。男性は日中はプーノへ出稼ぎに行っているそうだ。 一方、女性は家の中で編み物ばかりしているので太ってしまう(アルフレード氏談)そうである(笑)。 確かにみやげ売りのおばちゃんたちは全体的に太めだった。
 そして食べ物の話になったところで、試食用に用意されていたトトラを渡される。 地面や家に使うだけでなく、皮をむいてサラダにして食べるのだそうだ。島では貴重な生野菜なのか? 食べてみるとかすか~に甘味があるような気もするが、ほとんど味はなくサッパリしていた。
TVもある  次に、アルフレード氏が住人の許可を取って、1軒の小屋を覗かせてもらう。 中は狭くてごちゃごちゃしているが、驚いたことにテレビがあった(左下写真)。 ソーラーシステムで自家発電しているのだ。昔ながらのトトラの小屋とソーラー発電のミスマッチが面白かった。
 島にいる鳥の剥製が展示されている観光客向けの小屋を見学し、物見櫓に登り、おばちゃんたちからみやげものを買って、この島の滞在は終了。

バルサ  アルフレード氏が「バルサに乗りたいですか?」と聞くので「乗りたい!」と即答。 バルサとは、トトラを束ねて作った葦舟(右下写真)。船首部分のオマヌケっぽい顔はピューマだそうだ。 全然見えないけど(爆)。浮き島がユラユラしていたのに対し、バルサはかなりきっちりとトトラを束ねているため感触は固い。
 女王様1号&しもべ1号が乗り込むと、船頭さんが櫂を握ってバルサを漕ぎ出した。空は青いし湖は青いし実に気分爽快。 バルサの船首部分にもたれ、足を伸ばしてぼーっとしているとそのまま寝てしまいそう。
 すると、島からだいぶ離れたところで船頭さんが舟を止めた。周囲に自生している葦をその場で1本取って皮を剥いてくれる。 一瞬「腸弱なのに今の今までチチカカ湖の水に浸かっていたモノを食べて大丈夫か?!」という懸念が脳裏をかすめたが、毒を喰わば皿まで!と結局食べる(さっきも食べたしね)。 島で食べたものはややパサパサしていたが、取れたてはみずみずしかった。
 15分くらいかかって別の浮き島に到着。1人$2。 アルフレード氏がボートで先回りしていて、この島にある小学校の建物を覗かせてくれる…が、誰もいない。 どうやらこの日は先生がストライキをやっていて、休校になっているらしいのだ。 ヒマをもてあましている?子供たちが我々に絵ハガキを売りつけようとまつわりついてきたが、その絵ハガキは彼らの手描きイラストなのだった。 良く言えば「素朴」「味がある」だが、金を払ってまでは要りません
 「他の島も見ますか?」と聞かれたが、あまり違いはなさそうだったので、ボートに乗ってホテルへ引きあげた。

ライン

カテドラル前のストライキ  ホテルで荷物をピックアップしてシユスタニ遺跡へと向かったが、途中プーノの街にもちょっとだけ立ち寄ってみることになった。 アルマス広場前のカテドラル(左写真)を見学しようと降りてみると、カテドラルの石段には横断幕を広げた白衣の女性たちが。 ここでは看護婦さんのストライキ中だった。この日はストライキ日和(?)だったらしい。
 カテドラルの中は、昨日アンダワイリヤースで見たカテドラルをもっと大きくキレイにした感じだった。 一角でミサが行われていたので静かにしていたら、アルフレード氏が「写真を撮れ」と我々に勧めて、神父さんに注意されていた。 (^^; 「私はクリスチャンじゃないのでよく知らなくて」と謝っていたが、すると彼はやはりインカ古来の神々を信仰しているんだろーか。

シユスタニ遺跡  シユスタニ遺跡はプーノからクルマで1時間弱。途中の道路は舗装されていたが、遺跡に近づくにつれてなぜか路面のあちこちが陥没していた。
 遺跡は小高い丘の上にあるのだが、道なりに行くと40分かかるというので、丘の斜面を登ることになった。 しかし、ここはプーノより標高が高くて4,000m。急ぐと息が上がるので、牛の歩みで進んで行くのだった。
 シユスタニ遺跡はプレ・インカ時代のチュウラホン文化~インカ時代に造られた巨石製の円筒形墳墓群(右写真)。 石にトカゲなどの浮き彫りがある墓もある。地震の影響で崩れてしまっているものも多い。
 登ってきたのと反対側にはウマヨ湖という湖があった。湖面がとても美しい濃い水色をしている。 また、丘を降りていく途中で、つながれているビクーニャも見かけた。リャマやアルパカの仲間だが、またちょっと違う(詳しくは番外編にて)。

 見学を終えると、今度は空港のあるフリアカへ。 空港内でペルー風中華料理の昼食を摂り、チェックイン完了したところでアルフレード氏とは別れた。 ここで2時頃。あと2時間すればリマへひとっ飛び!と、この時は思っていたのだが…。

ライン

フォルクローレ隊  空港の外に立っている伝説のインカ創始者マンコ・カパックの像の写真を撮ったり、空港内のみやげコーナーを覗いたりした後、3時30頃には搭乗ゲート前の待合室に入って待機。 そのうちに待合室の中に中年フォルクローレ隊が入ってきて、演奏を始めた(左写真)。 他の乗客はほとんど興味を示していなかったが、クスコでフォルクローレ・ディナーショーを見損ねた女王様1号は、このフォルクローレ隊でディナーショーを見たことにしておいた(かなり無理がある)。 彼らがその場で販売していたCDも購入。

 しかし、フォルクローレ隊が去っていっても、なかなか搭乗案内が始まらない。 ふとモニターを見ると、4時発のアビアンディーナ航空(アエロコンチネンテの子会社)SJ-4174便はいつのまにか出発が1時間遅れに。 フリアカで折り返す飛行機がまだ到着していないのだ。
 やがて5時10分前くらいにようやく飛行機が到着。中に乗っていた客を前方から降ろしつつ、リマに向かう客を後ろの口(尾翼の下)から乗せるという、まるでバスのような方法で搭乗時間を短縮。 どうにか5時過ぎにフリアカ空港を飛び立った。
 この飛行機はリマまで直行ではなく、1時間ほどのところにあるアレキパを経由する。 6時頃にアレキパに着陸し、ここで降りる乗客がみな出ていってさあ出発…と滑走路を動き出したところでなぜかストップしてしまった。 そして15分以上も止まりっぱなしの挙げ句、何やらスペイン語オンリーの機内放送が。するとゾロゾロ降り始める乗客たち。 ものすご~くイヤな予感。 (^^;;
 アレキパ空港の建物内に入ったところで1人旅の日本人男性M氏(社会人だが女王様たちより若い)と一緒になり、係員に聞いてみると「飛行機は明日にならないと飛ばない」と言う。 OH MY GOD! 明日は朝9時半リマ空港発のナスカ地上絵ツアーに申し込んであるのだ! どーするどーなるピンチピンチ!
 そのあたりでまた放送が入り、人々はカウンターに行列。リマに行く人とフリアカに戻る人に分かれて、今日泊まるホテルの手続きをしてもらう。 この間、空港内の放送はスペイン語オンリー。確かにフリアカ→リマは国内線だが、仮にもここは国際空港なのに~。 おかげで何が起こったのかさっぱりわからない。
 やがて順番が来てカウンターのねーさんが言うことには、明日の朝5時にホテルのロビー集合で空港へ来いとのこと。 はたして明日の朝になれば飛行機は飛ぶのか? それはねーさんにもわからないに違いない。

カテドラル  手続きが済むと、M氏と3人でタクシーに乗せられ、アレキパ市内のHotel Crismarへ。 急なことで部屋が足りなかったのか、日本人同士だからいいやと思われたのか、3名1室(コネクティングルーム)にされてしまう。
 とりあえず、ツーリスモ ラティーノから渡されていた緊急連絡先を頼りに、リマ担当の現地旅行社Mickey Tourのカワサキさんという女性にTELして事情を説明。 ナスカの地上絵ツアーの会社に連絡を取ってもらったり、リマのホテルのキャンセルなどをやってもらう(この日泊まる分は当日キャンセルということでダメだったが、翌日分もついでにキャンセルしたので、こちらの料金は無事返金された)。 カワサキさんがアエロコンチネンテから聞いた話では、原因は機体故障だと言うのだが真相は不明。 フリアカ→アレキパの間でやたら機体が揺れていたのは気流のせいだと思うが、もしあれが故障のせいだったら怖い。 (^^;
 旅は道連れ、ということでM氏と一緒に夕飯を食べに出ることになったので、慌ててガイドブックで「アレキパ」の箇所をチェック。 プーノより先のところにはほとんど目を通していなかったのだ。 ここまで南米とは思えないくらい交通機関が順調だったのに、飛行機が飛ばない(しかも途中で降ろされる)とはなー。とほほ。
 ホテルから徒歩5分くらいで街の中心であるアルマス広場へ。ペルー第2の都市の中心とは思えないくらい食事処は少ない。 広場を囲む回廊の一角にあるレストランに入ったが、テラス席に案内されたため、寒さが身に沁みて、今の悲しい状況に拍車がかかった。 食事をしながらM氏の話を聞くと、彼がクスコからプーノまで乗った列車は途中で脱線して到着が5時間くらい遅れたらしい。 …もしかしてこの人非常に乗り物運が悪いのでは???
 白い火山石で造られているカテドラル(右写真)がライトアップされて闇に映えていたが、明日のナスカツアーに間に合うかどうかが気にかかり、美しさを心から愛でることもできない。 と言いつつも、ホテルに戻る途中でしっかりインターネットカフェを見つけ、このスリリングな状況を掲示板でお知らせすることは忘れませんでした。


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