観 光 編

<3日目(2002.9.22)>


※ $1 = \120 = 3.5ソル(2002.9当時) ※
※ 太枠の画像をクリックすると大きめ写真が別窓に表示されます ※

アウトバゴン  この日は朝6時クスコ発の列車(アウトバゴン)に乗るため、やはり早起き。 しかし宿泊客の多くがこのスケジュールで動くため、既にホテルは完全に稼働している。
 今日マチュピチュに1泊して明日はまたこのホテルに戻ってくるのでスーツケースは置いたまま。1泊用の荷物だけ持ってクルマで駅へ向かった。

 列車は全席指定で、我々の席は1番前の車両の後部。ビスタドメと呼ばれる展望車(左写真)で、窓が大きい。 車両の入口でチケットをチェックされて乗り込むと、JTBの日帰り観光団体と一緒だった。 さすがJTBツアーはお高いだけあって参加者の年齢層も高い。 JTBのツアーガイド氏は我々のガイド・タナカ氏と知り合いで、明け方まで衛星放送で見ていたという大相撲秋場所について熱く語っていた。
 定刻にクスコの駅を出発。最初のうちはスイッチバックを4回繰り返して市街に面した斜面を上って行くが、それを過ぎるとマチュピチュまでは1,500mくらい徐々に下って行く。 マチュピチュの写真を見たり「空中都市」というキャッチコピーを聞いたりすると、ものすごく標高の高いところにありそうな錯覚を起こすが、実はマチュピチュの方がずっと標高が低いのだ。
ハイラム・ビンガム・ロード  高度が下がるに従って、車窓の風景も荒涼とした平原から切り立った崖を経て見慣れた森林に。 そして、オリャンタイタンボの駅あたりから、列車はウルバンバ川(アマゾン川の支流)に沿って進む。 この辺からトレッキングツアーでマチュピチュに向かう元気者もいて、列車に手を振ったりしている。 ここまで来るとかなり気温が上がってくるので、早朝のクスコ仕様で着込んでいたフリースを脱いだりしているうちに、アグアス・カリエンテスの駅に到着。 クスコからは3時間40分くらい。

 駅からは右手の下り坂をたどってバス乗り場へ。特に発車時刻は決まっておらず、乗客が満員になると次々出発する。 バスがみやげもの屋街を通過する途中で、10才くらいの少年が運転手と顔見知りという感じでタダで乗り込んできたのだが、もしかしてこれはグッバイボーイの出勤?
 バスは、マチュピチュを発見したイギリス人の名にちなんだハイラム・ビンガム・ロード(右写真はインティプンクへ向かう途中から撮影)というつづら折りの細道を上るのだが、何ヶ月か前にあったという巨大な落石の脇を通ったり、狭い道でバス同士がすれ違ったり、なかなかスリルに満ちている。 斜面をよく見ると、ところどころに細い石段がついていた。多分これがグッバイボーイの下りる階段だなと思ったが、確認できるのは明日の午後である。
 13回のジグザグを繰り返したところで、今日宿泊するマチュピチュ・サンクチュアリロッジ前=マチュピチュ遺跡入口に到着。 麓からは約15分で500m近く上っている。まずホテルにチェックインして荷物を置いてから、ついにお待ちかねのマチュピチュ見学を開始!

ライン

マチュピチュ全景・大きめ写真へ  入口で1日チケットにスタンプを押してもらい、最初にある農地管理人住居跡という石造りの小屋の遺跡を過ぎると、いきなり段々畑(右写真)の中腹に出る。 そして段々畑の向こうには見渡すかぎりの遺跡とワイナピチュ山が(左写真)!!!
 まさに遺跡ハイ状態となって写真を撮りまくりそうになるが、マチュピチュではその調子で写真を撮っていたら何本フィルムがあっても足りない (^^;。 逸るココロを抑えて先へ進む。
段々畑・大きめ写真へ  通常はまず段々畑のさらに上から遺跡の全景を見渡して時計回りに回るそうだが、この日は第4日曜日で現地の人は入場無料ということで小学生の社会科見学で混んでいたため、逆回りのルートで見学することとなった。 階段を下りて低い方にある遺跡を見学しながら奥のワイナピチュ山入口まで進み、今度は階段を上って高い方にある遺跡を見つつ戻ってくる、というコースである。
 中央部分を横長に貫く大広場は芝生を張り替えたばかりだそうで、芝生が根付くまで立入禁止となっていて通れなかった。 遺跡内で放し飼いにされているリャマたちは自由に出入りしていたけど。

 タナカ氏に解説してもらいながら見て回った中で、主な遺跡を挙げると…(あまりにも色々あるのでとても全部は覚えていない (^^;)

太陽の神殿・上部外観 太陽の神殿・上部の中 太陽の神殿・下部
1-1.太陽の神殿・上部外観 1-2.太陽の神殿・上部の中 1-3.太陽の神殿・下部

・太陽の神殿…写真1-1、2、3
巨石の上に建てられている神殿で、壁がカーブを描いているのが珍しい。ちょっと沖縄のグスクを思い出した。
内側にはクスコのコリカンチャで見たのと同じ、縦長台形の窪みが多数。
下の巨石は「陵墓」と呼ばれていて、隙間にミイラを安置していたと言われている。

・コンドルの神殿(石)…写真2
地面の石がコンドルの胴体で手前が頭。後方にそびえている大きな2つの岩が左右の翼。
ここで刑罰が行われていたらしい?

・聖なる岩…写真3
ワイナピチュへの入口手前にある。この岩の上部の形は背後の山々の稜線を模している…らしいが、雲がかかっていてわからず。
この岩から聖なる力が得られる!ということで、岩に背中をつけて座り、瞑想する人たちが結構いる。

・インティワタナ(日時計)…写真4
本当に日時計だったかどうかは不明だが、柱の各角は東西南北を指しているとのこと。
ちなみに、南半球にあるペルーでは太陽が東→北→西と進むので、日時計の影は北半球と逆(=反時計回り)に動く

・主神殿&3つの窓の神殿…写真5
主神殿も3つの窓の神殿も三方を壁で囲まれている。主神殿は地震でかなり大きく歪んでいてピンチ。
写真は3つの窓の神殿を下の方から写したもの。
コンドルの神殿 聖なる岩 インティワタナ 3つの窓の神殿
2.コンドルの神殿 3.聖なる岩 4.インティワタナ 5.3つの窓の神殿

 マチュピチュの石組みは精巧さではクスコのコリカンチャに負けるが、なんたって都市1つがまるまる残っているのは圧巻だ。 神殿だけでなく、聖職者・貴族・技術者それぞれの居住区跡などが残っていて、いかにも「ここに人が住んでいた」という感じがするのが良いところ。 遺跡好きには急な階段の上り下りも苦にならないだろう(ウソ、やはり疲れます (^^;)。
 やや急ぎ足ながら、マチュピチュ全体を見て回って午前の部は終了。ガイドのタナカ氏とはこれでひとまずお別れとなる。
 昼食は旅行代金に含まれているサンクチュアリロッジのランチビュッフェなのだが、これがまたボリボリの極致$20くらいもするのだが、内容はごくごくフツーのビュッフェ。利用者の半分は金持ち日本人ツアー客だった。 明日のお昼は絶対に売店の軽食で済ませようと固く決意する。
ライン

インカ道  さて、昼食後。インティプンク(太陽の門)に行こうかインカ橋に行こうか2つの遺跡の間で悩んだ挙げ句、インカ橋は近いから明日ワイナピチュに登った後で行けるだろう、とインティプンクを目指すことにした。
 遺跡の上の方にある市街地への入口となっている門から外に出、ワイナピチュに背を向けて段々畑の上部を歩いていく。 このインカ道(右写真)はインカ時代から既に石で舗装されていたらしい。
 しかし…タナカ氏の「インティプンクへの道はキツくないですよ」という言葉にも後押しされてこちらを選んだのだが、ダラダラ坂というのが実は曲者だった。 確かに傾斜はゆるやかだが、どこまでもどこまでもどこまーでも延々と上り坂は続く。そのため、イイ感じで休憩を取るタイミングがつかめない。
インティプンク  しかも、目的のインティプンクは稜線の向こう側にあって、今歩いているところからはまったく見えないので、どれくらい近づいたとか、あとどれくらいで着きそうだというココロの支えがまったくナイ。 当時の文明の高さを示すインカ道の石畳も、多分土のままの方が足に優しいハズ…と恨めしいだけである。
 結局「このままでは明日ワイナピチュに登る体力までなくなってしまう!」という危機感から、中間地点くらいにある石の門(見張り所の遺跡らしい)のところで女王様1号はリタイア。 しもべ1号が1人でインティプンクへ向かうこととなった。
 腰を下ろして休んでいる女王様1号の前を外国人の親子連れがキャッキャッと楽しそうに過ぎていくのを見ると、己の体力の無さに複雑な心境になるが、「大事の前の小事、撤退する勇気も必要さ」とぐっとこらえてしもべ1号の帰りを待つのであった。 ちなみにこの石の門周辺は、どこからともなく白い毛虫が降ってくるのであまりじっとしていない方が良い。 (^^; 左写真はしもべ1号が撮影してきたインティプンク。片道1時間くらい。多分。

 インティプンクから帰還したしもべ1号と合流した後は、ひたすらダラダラ坂を下って引き返したが、これだけでも下が石畳なので結構足にクる。 ホテル前の売店でビールを飲んでから部屋に戻ってベッドにひっくり返り、ひたすら体力回復に務めた。
 マチュピチュの夕景&夜空を楽しみにしていたのだが、まもなくどんよりと曇ってきて夕日も星も拝めず。


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