観 光 編

<2日目(2002.9.21)>


※ $1 = \120 = 3.5ソル(2002.9当時) ※
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 熟睡できないまま3時半起床、4時朝食、4時半ホテル発。昨日と同じドライバー氏と共に空港へ戻った。
 国内線にチェックイン後、空港使用料$4を払ったところでドライバー氏と別れると出発まで何もすることがないので、とにかく出発ゲートへ行き売店をのぞいたりして時間をつぶす。 6時半発のアエロコンチネンテN6-1141便でクスコへ。

クスコ市内  クスコへは有視界飛行のため午前中しか飛行機が飛ばないのだが、予定どおり約1時間のフライトで眼下にクスコの街が見えてきた。 ケチュア語で「へそ」という意味を持つクスコは、その名の通り、周囲を丘陵に囲まれた盆地である(左写真はサクサイワマンから撮ったもの)。 街の建物の屋根やレンガが地面と同じ色なので(レンガは土から作った日干しレンガらしい)、街全体が赤茶色をしている。
 そして忘れてはならないのは、標高3,400mの高地にあるということ。酸素が薄いため、意識的に深呼吸しないとなんとなく息苦しい。 激しい動きは高山病の元なので、飛行機を降りた瞬間から移動は摺り足だ。 荷物の出てくるターンテーブルの周囲ではフォルクローレ隊が音楽を奏でていて、インカ気分も徐々に高まってくる…のだが、酸素が足りなくていささかぼーっとしがち。
 空港の外で待っていた現地ガイド(AMERICA TOURS)はタナカ氏という日本人中年男性だった。 放浪旅の途中でペルー人の奥さんと結婚し、日本に戻っていた期間もあるが、通算で15年くらいペルーに住んでいるとのこと。 しかし、高地に順応するには3世代かかるそうで、今でもちょっと走っただけで息切れすると言っていた。

 午前中は高地順応休憩ということになっており、クスコ有数の高級ホテルであるHotel Monasterioにチェックイン。 ロビーで出されたお約束のマテ茶(高山病予防)を飲んだ後は、部屋で昼までゴロゴロ。 外に出るのも面倒だったので、昼食は日本から持参したインスタントおにぎりで済ます。 高山病予防のためには腹五分目くらいに抑えておくのが良いそうである(タナカ氏談)。

ライン

 午後になると再度タナカ氏と合流し、クルマで市内&郊外観光に出かけた。

コリカンチャ  まずはコリカンチャ(=太陽の神殿)へ。 スペイン人たちがクスコを征服した時に内部の黄金を全部略奪&建物上部を破壊して土台の上にサント・ドミンゴ教会を建てたが、後に大地震が起きた際に教会は崩壊しても土台は無傷だったという、「ザマミロ」と言わずにいられないエピソードを持つ神殿である。
 中庭(広場?)を囲むようにいくつもの部屋があり、各部屋はビシッとした石組みで囲まれている。 石組みは垂直ではなく、日本の城の石垣のように、上に行くほど内側に傾斜している。 一部は地震などの影響で歪んで隙間が空いてしまっているが、ほとんどはまさにカミソリの刃も入らないという感じ。
 また、壁にある窓や扉(左写真)や龕(窪み)が縦長の台形をしているのがインカの建造物の特徴。
 タナカ氏によると、コリカンチャとこれから行くサクサイワマンは地下道で結ばれているという話があり、50年くらい前にクスコの大学生が実際に地下に潜ったらしい。 酸欠か、はたまた有毒ガスでも吸ったのか、大学生は地上に戻ってきてすぐ死んでしまったのだが、地下道のどこかで見つけた黄金製のトウモロコシをその手に握っていたそうである…。 ぜひ完全装備での地下道探検を誰か実現してほしいものだ。女王様1号は、興味あるけど体力ないからパス (^^;。

サクサイワマン  続いては、一路、街を囲む丘陵の上へ。丘陵には背のひょろ~んと高い、同じ種類の木ばかりが生えているが、これが何とユーカリ。 街の建設にこの辺りの木を伐採してしまった後、寒さに強い&標高が高くても平気&生長が早い、ということでユーカリが植樹されているのだそうだ。 もちろんコアラはいない(爆)
サクサイワマンの巨石  市内から20分程で、要塞の遺跡であるサクサイワマンに到着。ジグザグの石組み(右写真)が3層に積まれている。 石組みの中には、左写真のように巨大で複雑な形をした石もある。
 毎年夏至の日には、ここでインティライミという太陽の祭りが行われて多くの人が集まる(TVで見た)のだが、普段は観光客の写真チップ目当てにリャマとアルパカが放牧されていたりするような、のどかなところである。
 高山病を恐れつつ、牛歩でこの石組みの1番上まで登ると、クスコ市街が一望できる。天体観測を行った建物の跡などもあった。

タンボ・マチャイ  さらに坂道を上って、タンボ・マチャイと呼ばれる遺跡へ(途中にもう1つプカ・プカラという要塞跡があるが、これは車窓見学のみ)。 タンボ・マチャイは「聖なる泉」とも言われるインカ時代の沐浴場で、今も変わらず水が湧き出している(右写真)のだが、依然として水源は不明だそうだ。
 本日見学する遺跡の中ではここが最高所で、標高3,700mくらいとのこと。3,700mにもなると、酸素の量は平地のほぼ半分になるらしい。 クルマから降りて歩いているときは案外平気だが、見学を終えてクルマに戻ると時間差で後頭部がじんわり痛い…ような気がする…かも?という症状が出てきた。 しかし、ガンガン痛いとかズキズキ痛いとか身動きできないといったことはないので、相変わらず牛歩で見学を続ける。
 クルマに戻ろうとした時、遠くに虹がかかっているのを発見。虹の7色はインカ帝国の旗であり、現在のクスコ県の旗にもなっているので、何となく前途は明るいような(?)気になる。

ケンコーの玉座  最後に立ち寄ったのが、インカ時代の祭礼場と考えられているケンコー遺跡。 この遺跡は石組みではなく、岩(岩山?)を彫って造られている。 生け贄のリャマを捧げる台というものがあるのだが、それも別の石を持ってきたのではなく、巨石の内側を台にする部分を残してくり抜く、という形になっていた(くり抜かれた空間は人が通る通路になっている)。
 岩の上の方には枝分かれしたジグザグの溝が彫られていて、ここに生け贄のリャマの血を流してあれこれ占いをしたらしい。
 また、ここで儀式が行われる時に皇帝が座っていた玉座と言われる岩があったので、当然腰掛けて女王様らしく辺りを睥睨しておいた(左写真はしもべ1号だけど)。

十二角の石・大きめ写真へ  これにて本日の観光は終了。いささか物足りない気もするが、クスコでの滞在時間が短いのでやむを得ない。 市内に戻ってタナカ氏の奥さんが開いているアルパカ製品の店で買い物を済ませ、ホテルに送ってもらったところで解散となった。
 だが、肝心の十二角の石を見ていないではないか! ということで、暗くなる前にと急ぎ足で(ただし高山病が悪化しない程度に (^^;)アトゥン・ルミヨク通りに向かった。 ホテルからは徒歩5分くらいで近い。
 早速通りの入口から石壁を見始めたが、どこに十二角の石があるのかすぐにはわからない。 「これか?」とそれっぽい石の角の数を数えていると、路上の少年に「あっちだ」と指さされた。 十二角の石は結構通りの奥に入ったところにあり、写真から受けるイメージよりも大きい(右写真)。 こんな複雑な形の石をあえて組み込むところに、インカの石組み職人のプロ魂を見た(?)。

 日が暮れてすっかり冷え込んできたので、「プカラ」というペルー料理店にて暖かい夕飯を摂る。 本当はフォルクローレ・ディナーショーのある店に行くことも考えていたのだが、タナカ氏にも「アルコールは高山病を悪化させるので、ディナーショーはマチュピチュから戻ってきてからの方がいいですよ」とアドバイスされたため延期。 実はこれで後悔することになるのだが…。
 夕飯を終えて店の外に出るとますます寒くなっていた。 日本出発前に目をつけていた、日本語カキコOKなインターネットカフェ「EXPLORA(ニシカワトラベルのHP内)」も発見したのだが、店内が混んでいたのでここでのカキコも延期。 これまた後々の後悔のタネに。
 もちろん、このときはそんなことになるとはつゆ知らず、部屋に戻ってマチュピチュに持っていく1泊用荷物の整理にいそしんだのだった。


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