観光編タイトル
<5日目>

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 チチェンイッツァ遺跡

ククルカンの階段 エルカスティージョ  5日目は実質的な観光最終日。朝8時前にホテルを発って、2時間弱でチチェンイッツァに到着。その間、冷房効き過ぎ&送風口が壊れているボロバスのせいで凍え死にしそうになる (-_-#。
 入口付近のショップで現地ガイドさん強力プッシュによるマヤ文字ペンダントトップマヤカレンダーのセールスを経て入場。

 最初は新チチェンと呼ばれる方の時代が新しいエリアから。 一大観光遺跡のチチェンイッツァだが、まだ10時前だったのでさすがに観光客は少なく、余計な人が写り込むことなくエルカスティージョ(=城の意味、右上写真)を撮影することもできた。
 以前はこのピラミッドに登ることもできたのだが、先年転落した人がいて、それ以降登頂禁止のまま。 麓から見上げつつ、このピラミッドの階段の段数がマヤの暦を反映したものになっているという解説を聞く。
 広場に面した階段の下にはククルカン(羽毛の蛇)の頭飾りがあり(左上写真)、春分&秋分の日だけ、階段に落ちたエルカスティージョの影がこの頭と一体化して蛇の胴体に見えるという仕掛け。
 また、この階段に正対して手を叩くと、一拍遅れてやや甲高い反射音がするというのを現地ガイドさんに教えてもらったので、ツアーメンバーが次々にピラミッド前で手を叩きまくり。 ツォンパントリ

 続いて、ジャガーと鷹の台座、ツォンパントリ(頭蓋骨の台座)(右中写真)、ジャガーの神殿といった建築物を見る。 ツォンパントリは生け贄のガイコツを晒しものにする場所だったそうで、台座一面が頭蓋骨のレリーフで埋められているという徹底っぷり。

球戯場のレリーフ  これらの建物の裏手にあるのがウシュマル遺跡でも見た球戯場。 メソアメリカ最大規模で全長150mあって、四方を壁で囲まれている。
 長辺の壁にはレリーフがあり、「勝者が首を切られて血しぶきが蛇になってサバーッと飛び散るの図」が有名(左中写真、右上の放射線状のものが血しぶき。左下の円の中にナマクビ?頭蓋骨?)。
 球戯場の中央で手を叩くと長辺の壁に沿って音が7回反射するようになっているらしいのだが、これは素人?がやってもなかなかうまく響かない。現地ガイドさんが叩くとなんとか7回聞こえるのだが。
 一方の短辺の壁の前に立って大声を出すと、向かいの短辺の壁に反射して声が返ってくるというのは、ツアーメンバーの中で大声に自信のある人が代表してチャレンジしていた。

 さらに、チチェンイッツァ遺跡の1番北にあるセノーテ(聖なる泉)(右中写真)のほとりまで行って一休み。 「聖なる泉」なんて響きはいいが、これまたマヤ文明とは切っても切れない(?)生け贄を投げ込んだところなのだった (^^;。
 ガイドさんの話によれば、投げ込まれても一定の時間溺れずに生き延びれば、それはカミサマのご意志ということで助けられ、その後の生活も保障されたらしい。 ただ、そもそも生け贄は飢饉や干ばつのときに捧げられるものなので、あまりしょっちゅう助かってしまっては御利益が得られない…ということで、酒を飲ませて手足を縛って投入したりもしたらしい。ひ~。

セノーテ
戦士の神殿  休憩後、再び新チチェンエリアに戻り、球戯場とは反対方向にある戦士の神殿(左下写真)を見る。神殿の下にある石柱群は千本柱の回廊
 戦士の神殿の頂上真ん中に小さく見えているのが、メキシコシティの国立人類学博物館にレプリカがあったチャック・モール像。 時間の都合なのかわからないが、戦士の神殿は遠くから見るだけになってしまったのが残念(どうせ登頂することはできないけど)。

 その後、旧チチェンという南のエリアに移動。こちらは新チチェンに比べて古く、遺跡の規模も小さい。
 高僧の墳墓、尼僧院などという遺跡を通りすがりに眺めた後、天文台だったカラコル(=かたつむりの意味、右下写真)を見て見学終了。

 入口に戻って最初に注文したマヤ文字ペンダントトップを受け取り、またもや凍えそうになりながら一路最終目的地のカンクンへ。
 ビーチリゾートで陽光を浴びつつまったりのんびりリフレッシュさ!と目論んでいた女王様1号、しかしその結末は…ホテル編をご参照ください。

 テオティワカン遺跡で最初に月のピラミッドに登った時点で肉離れ状態に陥ったときにはこの先どうなることかと思ったが、とにもかくにも登頂可能な遺跡を全部登り倒すことができて、その点では達成感アリ。 メキシコで遺跡に自分の足で登ろうと思っている方には事前の体力作りを強くオススメします(笑)。

カラコル


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