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佐竹

ちゃ

切り文字
『日本全国・国分寺跡を巡る旅』
聖武天皇が全国(律令制度下における68ヶ国)に

建立した国分寺は現在ただの一つも残って

いません。しかしながら、こういうことを言うと、

おかしいのではないか?と思われる方も少なく

ないのではないでしょうか?なぜならば、現在

でも国分寺という名前のお寺は全国各地に

「事実」存在しているからです。


では改めて冒頭に述べた『聖武天皇が

全国に建てさせた国分寺』のことを

もう一度よく考えてみましょう。


聖武天皇が建てさせた国分寺というお寺は、

いうまでもなく、時の天皇が『詔』を出して、

国家事業として推進したものであり、例えて

いうなれば国立大学、国鉄のようなものです。

しかしながら、律令制が衰退すると共に

国分寺もまた衰退し、平安時代末頃

までには、全国のすべての国分寺が消滅

してしまったと考えられています。


つまりこの時点で国家(国立)寺院だった

国分寺というお寺はすべてなくなって

しまったということができます。


確かに現在でも国分寺という名前のお寺は

全国各地に存在していますが、これらは国の

補助や援助がなくなった後で再興されたもの

であり、例えていうなれば私立大学であり、

私鉄であるということができます。つまり、

そういった意味(国家(国立)寺院といった公的

なもの)での国分寺はすべて消滅してしまい、

現在存在している国分寺はすべて性格も

性質も当時のものとは違う私的な寺院である

といえます。


このことは「国分寺建立の詔」の中で『国の華』

とされ、全国に60基あまりあったはずの七重塔

がたったの1基も現存していないという事実が

端的に物語っているといえます。また、現在、

全国に存在している国分寺は宗派もまちまちです。


尚、余談になりますが、国が国家事業として

推進した国分寺がただの一つも残っていない

のに比べ、その成立過程は曖昧模糊として

はっきりとしたことはよくわかっていませんが、

国分寺と同じように全国(律令制度下に

おける68ヶ国)各地にある一之宮が現在に

至るまで、一社も欠けることなく、すべて現存

しているということは国分寺のケースとは

好対象であり、やはり我が国は仏教の国

ではなく、八百万の神がいる「神の国」で

あると強く確信的に感じるものがあります。