@安徳天皇とは? |
安徳天皇は源平合戦の最後に壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門と共に海中に没して 亡くなった天皇である。それは『吾妻鏡』元暦二年(文治元)三月二十四日条に、 「午の刻に及んで平氏終に負傾、二品禅尼宝剣を持ち、按察局先帝(春秋八才)を 抱き奉り共に以て海底に没す、(略)但し先帝は終に浮かばしめたまわず」とあるのが 根拠である。『吾妻鏡』が鎌倉幕府による記録であれば、その記述の信憑性は高いと 言える。つまり海中に没したというなら、少なくとも遺骸の眠るところを陵とするという 意味からは、安徳天皇陵などは本来あり得るわけがない。しかしながら、九条兼実の 日記である『玉葉』の元暦二年四月四日条に、三月二十四日の壇ノ浦の合戦について 述べる中では「但し旧主の御事分明ならずと云々」とあり、また、醍醐寺に関する雑録集 である『醍醐雑事記』の元暦二年条でも、やはり同日の合戦にふれられていて「行方 知れざる人、先帝…」とあり、行方不明とはなったが、亡くなったかどうかはわからない としているのである。行方不明というのは存命なのか亡くなったのかはわからないという ことであり、死亡が確認されたというわけではない。このことから、いわゆる潜幸(生存) 説が生まれた。つまり安徳天皇が壇ノ浦からどこぞに落ち延びて生き長らえたという ものであるのだが、さらにその先には生き長らえた安徳天皇がお亡くなりになり、そして どこそこに葬られたという伝説・伝承もいつの頃からか併せて語られるようになったと 考えられ、そういったものが全国各地には十数ヵ所あるのである。 |
A安徳天皇陵の治定作業 |
実は安徳天皇陵とされるものは、公式的には元々存在していなかった。安徳天皇は 海中に没したと考えられているのだから、当たり前といえば、当たり前の話だったわけ なのだが、明治20(1889)年7月25日に山口県下関市の阿弥陀寺陵が安徳天皇の 陵墓として決定された。阿弥陀寺陵は安徳天皇が亡くなったとされる壇ノ浦に接して いる赤間神宮の境内にある。この阿弥陀寺陵が安徳天皇陵として決定されたことに ついて『明治天皇紀』の明治二十二年六月三日条には「是れより先、条約改正の議 起るに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代 山陵の未だ明らかならざるものあるが如きは、外交上信を列国に失ふの甚しきもの なれば、速かに之れを検覈し、以て国体の精華を中外に発揚せざるべからずと、 廟議亦之れを可とす」と述べられていて、安徳天皇陵の治定がきわめて政治的な 理由で行われたことを伺わせる内容となっている。 |
B安徳天皇陵の治定地 |
阿弥陀寺陵→山口県下関市阿弥陀寺町 |
C安徳天皇の陵墓参考地 |
前述の通り、安徳天皇陵は明治二十二(1889)年に阿弥陀寺陵 と決定されたが、 その前後に宮内省は合計5ヶ所を安徳天皇の陵墓見込地(伝説地)として指定を している。 具体的には明治十六(1883)年3月23日に、以下の三ヶ所を『安徳天皇御陵墓 見込地』として指定をした。 ・山口県豊浦郡地吉村 ・高知県高岡郡越知村 ・長崎県下県郡久根田舎村 尚、この三ヶ所はその後「御陵墓伝説地」と名称を改めた。そして明治二十一 (1888)年十二月二十六日には、やはり安徳天皇陵を見込んだ「御陵墓伝説 参考地」が、この三ヶ所に加えて次の通り指定された。 ・熊本県宇土郡花園村大字立岡字晩免 しかしながら、明治20(1889)年7月25日に山口県下関市の阿弥陀寺陵が安徳 天皇の陵墓として決定された。 見込(伝説)地にも伝説参考地にも指定されてなかった阿弥陀寺陵が安徳天皇陵 として治定されたことは唐突な感じが否めない。 しかしながら、正式の安徳天皇陵が決まった以上「御陵墓伝説地」「御陵墓伝説 参考地」はもはや必要がなくなったはずであり、当然、その指定が解除されて然る べきではないかと思われるが、実際にはそうならず、計四ヶ所の「御陵墓伝説地」 「御陵墓伝説参考地」はそのまま継続された。また、それどころか六年後の明治28 (1895)年には鳥取県国分町の岡益古墳(石堂)が「御陵墓参考地」に指定された。 正式の安徳天皇陵が決まった後に安徳天皇陵を見込んだ「御陵墓参考地」が指定 されるというのはいかにも整合性に欠ける経過である。 いずれにしても、今日に至るまで上記五ヶ所は「御陵墓伝説(参考)地」の解除を されることなく『陵墓参考地』として、そのまま残されて現在に至っているのである。 改めて安徳天皇の陵墓参考地をまとめると以下の通りである。 安徳天皇陵(宇倍野陵墓参考地)→鳥取県鳥取市国府町岡益 安徳天皇陵(西市陵墓参考地)→山口県下関市豊田町地吉 安徳天皇陵(越知陵墓参考地)→高知県越知町横倉山 安徳天皇陵(佐須陵墓参考地)→長崎県対馬市鴫原町久根田舎 安徳天皇陵(花園陵墓参考地)→熊本県宇土市立岡町晩免 |
E私が訪ねた安徳天皇陵の伝説・伝承地 |
上記、陵墓参考地以外で、私が訪ねた安徳天皇陵とされる伝説・伝承地を 以下に紹介する。 安徳天皇陵→大阪府能勢町 安徳天皇陵→兵庫県香美町 安徳天皇陵→鳥取県八頭町 安徳天皇陵→鳥取県三朝町 安徳天皇陵→徳島県三好市 安徳天皇陵→愛媛県八幡浜市 安徳天皇陵→愛媛県伊方町 安徳天皇陵→福岡県北九州市 安徳天皇陵→熊本県山都町 安徳天皇陵→鹿児島県垂水市 安徳天皇陵→鹿児島県三島村硫黄島 |
仏
即
即
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な
つ
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は
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