【廃墟マニヤ File012】

O仁金山(静岡県)

(その1)

木造浮遊選鉱場

O仁金山は、慶長年間(1596〜1615年)に大久保石見守長安によって発見された金および銀の鉱山で、当時は瓜生野金山と呼ばれ、土肥、縄地、湯ケ島などに並ぶ伊豆の金山でした。採掘された金は慶長小判の地金に使われたという話です。

しかし、当時の技術で掘れるところまで掘り尽くしてしまったのか、瓜生野金山は一度閉山。1933年(昭和8年)になって再び、石川博資が近代的な「大H金山」として開発を始めます。1937年には浮遊選鉱場が完成。1938年からは帝産(帝国産金興業株式会社)として採掘が行われたようです(ちょっとこのあたりのデータ、確認が取れなかったので怪しいのですが……)。

その後、O仁金山は順調に発展していきますが、戦争が始まると金鉱整理で操業中止となり、設備機械も全て撤収され、建物のみがダイキャスト工場に転用されます。

戦争が終わると、鉱山として操業を再開すべく施設等を建造し、1949年(昭和24年)に完成。採掘を開始しますが、産出量の低下とともにコストが合わなくなってきたため1973年(昭和48年)に閉山となりました。

それから20年以上にわたって、近くの国道を通る者にその異様な姿をさらし続けていたO仁金山も、1999年9月解体工事が始まり、2000年1月に私が訪れたときには既にほとんどの施設が解体され、土台だけとなった選鉱場の上でユンボがまさに最後の作業を行っている最中でした。

今回はこのO仁金山を、解体前の1999年3月と解体後の2002年3月、そして2008年11月に訪れたときの写真で紹介してみたいと思います。

 

満足度:★★★★

 


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