でもまあ、冷夏になっても困るからねえ
と、冷静になる私。
確かに熱くなるといいことはあまりない。ただ、年寄りの冷や水、ともいうし、とかくこの世は住みにくい、というらしいが、住みやすければそれでいいわけでもない。厄介だ。
電車の時刻、特に待っている身にとって、その列車の到着時刻。
ただ反面、数分でも遅れるとなると、けっこうイライラして来るのが困る。
人間なんて好き勝手だし、わがままだしねえ。
あのドイツでさえ列車は遅れるモノ、らしいが。パリのメトロは次々に来るからそう不便はしない。構内放送で遅延のアナウンスもないんだが。一部の駅で「スリに注意」という日本語放送があるのには笑える。気合を入れて、強い雰囲気を身にまとい、片手だけ手先だけでもいいから、空手有段者ぶるのもよい。hi


わざわざ報道してくれなくてもわかっていることですが、そういう方度をしてもらえると、なおのことありがたいです。
欲張りは、本人はいざ知らず、周りから見ると、見にくいですよ。やめたらいかがでしょうか。


醜い、でした。おわびしませんが、訂正させていただきます。


なんかせわしないようなところ。そういうイメージ。入ったことはないから、そこまで言えないが、まあ、知識としては一応のことは知ってはいる。
近くのビジネスホテルに泊まったことはあるけれど、近くのショップで秋葉原では手に入らなかった工具を買ったことがある。そのショップは今は無いようだけれど、通り魔事件でその店の前で人も死んでいる。
池袋はこの東側はちょっと暗い感じがしないこともない。一年以上池袋の駅は通学の通過点だったが、東池袋には出たことがない。西部池袋線で途中椎名町の駅があるが、トキワ荘というところに行ってみたかったが、そこまでひまでもなかった私の学生時代。


もう田植えの時期は過ぎたんですよ?
増産なんて今からできるわけ、あるわけはないじゃあないですか??
米を作るには88回の手間がかかるのですよ。
米という漢字を分解すると八十八ですから。
田は荒らしてしまうと、なかなか元に戻すのが手がかかるのですよ。
案外「米の作り方」なんていうマニュアルはないですし、またあったところで経験がものを言います。
専門家=稲作従事者のこと、彼らでも田植え機なんて1年に1回だけしか使わないものですから、案外難しいんですよ。hihi


なふるまい、などと使う。いまいち意味が分からないので、国語辞典。
勇気がなく臆病なさま、ちょっと私の思っていた意味とのずれ。次にはこう書いてあった。ふるまいが正々堂々としていなくて、いやしいこと。これかと思う。
まあ、人間、多少は卑怯なふるまいをこっそりすることはあるだろう。そういう気はする。だが、〜。


そして、この状態が長く続くということだ。
さて、台風だが、発生数は状況によって変わって来るらしいが、問題は海水面の温度が高いから、台風の勢力が大きく発展する可能性が高くなるようだ。
まあ、心配は、***、いやアンテナなのだが、今はもっぱらFT8ばかりなので、アンテナは低くても大丈夫という安心感が、昔に比べるとありがたい。
特に、7MHzや10MHzは屋根よりも低くても大丈夫だ。ハイバンド、これはあまり低いとNGだが、多エレメントでなくても案外レアな局がさらっとできてしまうこともある。
今はもっぱら、というか、いままで熱心だったことなど一度もない7MHzの国内にどっぷり浸かっている状態。


昔はかなり奥の方まで、自家用車で行けてしまうこともありました。上高地までも行ってしまった記憶があるのですが、さて?
上高地の手前には「難関」釜トンネルがあるのですが、個々が上高地方向はトンネルの中で上り坂なんですね。おまけに右カーブ付きの、とんでもないトンネルでした。
大井川の奥まで、そう椹島までも行けましたね。プロの運転手が後ろから煽ってきますが、そうそうよける場所がないものだから、がまんしてもらってずーっと前をとったままになりました。
上高地に向かう場合も関東のナンバープレートに煽られましたが、まだまだ若かったものですから、ワインデイングロードをひらりひらりと運転していきました。
本当は自家用車で登山には行きたくはないのだけれど、そうそう休みは取れないし、自家用車で行ってしまう方が楽なんです。


転落防止の金属ネットのある河川の両岸。何人かのチームが草刈り。
なかなかすごいです。私も草刈り機は使いますが、こんな場所でこんな風には、とてもとても使えません。
外側は一応いいですが、それでも金網に回転する刃先が触れるのは、ばちんと跳ね返されそうで怖いです。
内側、つまり川の流れの側ですが、3面コンクリートで堕ちたら怖いです。ちらりと見たら、ロープか何かで下に、つまり川の中に、用水路という方がいいですが、ここへ落ちないようにして巧みに草を刈るわけです。一種の曲芸です。


基本平地でしか草測りません。平地とはいっても凸凹はありますので、油断はできません。
私はフェイスガードで顔面を守ります。守るって何を守るんだ?
開店する刃に飛ばされた植物の茎が飛んできます。最悪小石が飛んでくることもあるんです。
フェイスガードとは言っても口のあたりまではカバーしてくれません。ここに飛んでくるとモノによっては痛いです。


欧米などでは、何千年いやことによると何万年も前からの名前(人名)を、今も同じに今の人の人名に使っているぞ。
人間の名前は特殊な言葉かもしれないが、ちょっと日本の人名はひどすぎると思う。
さて、そういう日本なので、案外「新語」の方が早く死ぬ。大昔の言葉も案外しぶとく、今も使われている。
落ち着いて少し昔を振り返って見てみれば、そこには「新語」だった言葉の、その死骸が累々と横たわっている。


最初から「なかったことにしてしまう」のが一番です。私もさほど忙しいわけではないが、そこまで暇ではないから。
ただの噓つきの話にいつまでも付き合う必要があるのですか。


という言葉は確かにある。
正しいことなのだから、言ってもいいだろう、いや正しいから言うべきなのだ、というのは正しくはない場合がある。
いや、ほとんどは正しくはないので言わない方がいいのだ。


わからないですね、正直なところ。
私のわかることだけ、わかる部分だけをここに書きます。
農業資材、肥料や農薬、あるいは農業機械をどこから購入するか、という部分くらいはある程度はわかります。
農協からは肥料や農薬は買ってはいない、そういう農家がほとんどです。だろうな、くらいにしておきましょうか。
なぜか、割合単純な理由です。ここで買うと値段が固いのです。値段には勝てません。私などはようやく3年前からなのですが、もっと前からこれは進んでおりました。
種籾も農協以外からも買えるらしいのですが、これだけは農協から購入しています。これ以外のものは買っていません。


苗を育てるのですが、最近は苗として苗箱の中で育てられたものを使う農家も多いようです。もちろん買うわけですが、かなり高いように感じますが、この方が楽ではあります。
しかし、これくらいは手作業でやってもそうたいした負担でもありませんので、少しでも支出を減らすため、箱買いはしません。あまり流され過ぎるのもどうかと思うわけですが、だんだんキツクなってきてはいます。
赤米や黒米、あるいはもち米を作ってみるかとも思うのですが、そこまでの意欲は出ませんね。


ということを勧める、コマーシャルが出ていたので見てみた。
見てみると、かなり大きな単純なものらしい黒のバッグだった。
漠然と大きい小さいを言われても、自分の思い込みとはずいぶん違うこともあるものだ。
ただ、あまりにも小さなものでは、やはり用が足せないのだろうな、とも思いなおしてみたのだった。


学校で教わるのだと思う。
地図の読めない人がどっさり、などと書いてあったが、書かれていたが、あんなもの自分で見て行けば、ある程度のことは自分で学べるではないか。と、私は思ったが、それで地図のほとんどは、学べたし学んだ。
地図を「見るだけ」しかできないからいつまでたっても「読める」ようになれないのだ。
何でも学校におんぶにだっこでは駄目だ。小学校に入学して早々、いや少したってからかな、私は何となくそういうことを悟った。
学ぶ気が薄弱な者には学校は何も教えてくれないと思う。そういうジャングルだったんじゃあないだろうか。


登山をやめて、もう30年かな、フェードアウトするように登らなくなった。それでも4人用の登山用テントはまだ手元にあるはずだ。
煙草をやめて、もう20年にはなるだろう。ある日突然やめた。しばらくして、煙草の紫煙というものが耐えられなくなった。向こうの方に煙草を吸っている人がいたら、当然その喫煙者を避けて迂回するようになった。
飲酒をきっぱりやめて(酒瓶の焼酎を飲んでしまってないので)、それから1年と5か月経過した。やめている自分が信じられない。そう呑みたくもならない自分が信じられない。そう呑みたくもない、ではない。まったく呑みたくない、である。
他にもやめたものはあるが、ここには書かないでおく。


もう5年と何か月というところだったかな。
自動車がないと何もできない、という方がいますが、そういう方もいるでしょうが、単純に条件だけ考えれば、運転はやめてしまえる人は多いと思えます。
遠距離運転はかなり前から嫌になっていたし、よ〜く考えてみると自動車というものが自由自在に乗り回せるところに住んでいるわけでもない、何よりも維持費が納得できないくらいに高いのも苦痛である。
機会というものの魅力は否定できないが、きっぱり縁を切りさえすれば、狐狸に騙されていたのに近いことに目が覚める。
幸いフツーの自転車が乗り手から見放されてさみしそうだから、私が載って上げましょう、となった。


「人に嫌われやすい人」というタイトルでこんな話を聞きました。印象に残ったのでメモしときます。
「人に嫌われやすい人」
1.不機嫌で相手をにらみつける人
2.怒りっぽい人
3.物事にだらしない、ルーズな人
4.些細なことを責める人
5.自分の正しさを押し付ける人
6.ネガティブな事を言う人
こんな人、近くにいたらイヤですね。自分自身がこういう人にならないように年齢に関係なく自省したいですね。
どれくらい熱くなるのか
今年の夏。
それはそうと、まだ6月なのだ。
本日は、シャックで無線機、いや、むしろPCのモニターと向かい合ってFT8。
7.0410で30局。
10MHzのIVV=インヴァーテッドVがイヌモチtとイチョウの葉っぱの中に埋もれそうです。
やはり愛着がある。それにそれがかなりの「実力のある」アンテナであったなら、なおのこと愛着がある。
ある時期、このアンテナだけで、ということは10MHzだけで他には目もくれず、というときもあったくらいだった。
ずるずるとエレメントが伸びて同調点が動いてきたら、元に戻してやり、ふたたび気分良く使えるようにもしてやる、ということも何回か行った。
今は、張ってはあるが、同調点がかなりずれてそのまま使うにはややためらうという状態にまでズレてきた。


南側のエレメントのステー線が切れてしまっていたので、昨日はステー線を切断か所で繋ぎなおし、ふたたび張りなおしておいた。
すぐ前の記事は、その後の今日測定した結果だ。エレメントを少しだけ短縮すればいいのだが、今は10MHzは別のアンテナがあるので、すぐにやる必要もない。
ステー線はクレモナロープの3ミリのもので、軽いし丈夫だし満足できる性能だが摩擦には弱い。中間に樹木の枝や葉があって、それとの摩擦だろう。
こすれてしまうとそこのところで切断してしまう。しかし、それ以外には欠点が少なそうなロープである。
ただ、もしかしたら水に濡れてしまうとエレメントが伸びたのと同じような現象が起こるのかもしれない。
波形碍子を2連にすると改善される。碍子はプラの碍子である。陶磁器製のものはもう入手が困難らしい。
陶磁器製の波形碍子は重くて硬いので、こういうものが強風で飛んできたりするのは怖いので、2個持っているがとてもじゃあないが使えない。欲しい方、お譲りしますよ。今はもう市販品はないようですぞ。


例というか記事を見ないのであるが、生木の、生えている生きた樹木は、それを利用してアンテナを張る場合はどういう工夫をするのがよいか、なかなかわからない。
最近どころか、昔の雑誌の記事などにも見たことはほとんどなかったように思う。
つまり、エレメントが樹木の枝や葉に触れてしまうと、何か影響を受けるのではないか、ということである。
実験、として、冬場になったらイチョウは葉がすべて落ちるので、その機会にしっかり調べてみよう、枝もある程度は切り落としてみることは言うまでもない。イヌモチについても同じく。


10MHzです。
昔はコンテストに関りがないから私には縁のないバンドだったのに、今はまったく逆みたいな感じです。
バンド幅も狭いのでFT8には向いています。
それから給電点が低くて貧弱なアンテナでもよく跳ぶバンドです(まあ貧弱ではないアンテナならもっとよく跳んじゃうが。)


18,24MHz。
2エレのHB9CVでもよく跳びます。和歌山のM社がこのタイプのアンテナをよく作っていたのですが、今は無いようなので残念です。
2エレの2バンドのアンテナは軽快な割にはよく跳びます。とりわけFT8にはもってこいです。
私はSSBから始めたものですから、2エレなんてそんなもの使えるのか?、と思っていましたが、とんでもない、大満足です。
3エレにはやっぱり負けているようだけれど、そこはあまり気にしないで。


アンテナも「低性能」のものでいいし、目立たないものでもいいらしいし、PWRも私は100Wでやっていたけれど、最近になって70Wくらいにまで落としてやっています。
10MHzでガンガンやり過ぎて、それを反省していますので、7では長持ちするようにおとなしくやっています。
国内は興味はなかったのですが、いつも聞こえていて(じゃあなくて、見えていて)親しみやすくて、敷居が低くてうれしいです。


始めるに際して、妙に構えてしまわないのが、心理的にもいいですね。
若い頃はピリッとした緊迫感は嫌いではなかったけれど、今はもう若くはないです。
100mの競走で、さあ号砲が今にも鳴る(この字かなあ)というときは震えました。
小学校高学年の時です。そのごどんどんなまっていったのだなあ。


何んとか時間をやりくりして(暇そうな私でも、案外時間はないものです)FT8を楽しみ、愉しむ。
毎日、あわや、というところで時間ができますので、毎日ほんとに「危うい」のですが、30局くらいを目標というよりも、目安にしてやっています。昨日だけは、呼ばれて31局になりましたが。hi


今は、運用時間を限っていますし、7MHzの国内だけですので、基本、見えた局と交信しようとしています。
とは言っても、交信の少ないエリアの局とそうでない局とでは、どうしてもレアそうな方を呼んでしまいます。
ですが、こちらの思うようにはならないところが、FT8の面白い所で(そうじゃあない、という方もいるのかな)、それよりはじっくり待っていてもあまり意味のないFT8と心得て、もうある種テキトーにどんどん呼んでいくのも、アリです。
ひたすらめぐり逢いの世界です。
昨日もお約束の30局、あんがいたいへんでしたが、ここ=JAの7MHzですので、ゆったりまったり、ある意味でのんびりやっています。


話題になったり、流行していたりする語、まあ正直、いちいち憶えてなどいられないし、はっきり言ってその必要もないのだと思う。なぜならば、その多くは次の年にはもう忘れられているから。
それでいて、しっかり使われている言葉はしっかりと使われて残っていく。
話は替わるのだが、ヨーロッパ圏などで使われている人名、日本語を使う者の立場から言わせてもらうと、ヨーロッパの人たちの人名というものは大昔からそのまんま同じなんだ、日本語の人名でも江戸時代と同じ人名だ、という人もいないではないが、ほとんどの方は江戸時代の名前ではない。
人の名前すら変わっていってしまう我がに日本と彼のヨーロとは違うのだ。というよりもみんな同じ名前の人たちばかり、であるともいえる。日本では、そう、周りの人たちを見渡しても自分と同じ名前に穂ほぼ巡り合わない。
文法などはわからないが、単語レベルで見てみれば、日本語というのはかなり特異な言語に違いない。


結局米というものも漸減していく、そういう運命というか宿命にあるのかな。
そう感じます。何よりも私自身がじわじわと米を食べなくなっていってるから、ね。


ひとりでやれる、というか、一人で完結するものへと進めるのがいい、と聞いた。
まったくその通りだけれど、そうはいっても人に教わらなければ一歩も動けなかったりする。
ひとりで動かして行けたにしても、相手はやはり同類の人ということになる。


でいると、そのご本人にも知らないうちに悪い影響が出てくるのだろうな。身を亡ぼす、というヤツでしょうか。
がしかし、案外昔も今も、横柄さに嫌気のさしている、そういう周囲の人々から静かな怨嗟の声が漏れているのだと思えます。
長く長く続くこともある怨嗟はじわりじわりと横柄なその人物を蝕むのです。そして自滅に至ります。
他者に対する心掛けはかなり重いもので、下手に扱うと自分の足の甲に突然落下します。甲はけがをするとダメージが大きいです。死に至る場合もあると言われます。


江戸時代の江戸の人が大挙して参拝した、人気の高かったお山。
雨を降らせてくれる山として、信仰のあつかった山でしかでしょうか。年間20万人が登ったという。
学生時代、大山には背を向けて丹沢連峰の中心部を歩きました。一番高いのが塔ケ岳でしたか。その前の方に二の塔、三の塔とかあるのですが、私がよく登っている山とはずいぶんスケールが小さな山でしたが、山高きが故に尊からず、でもあります。
東京方面との行き返りにも、見ようと思えばよく見える山ですが、まあ、正直、山としての魅力はいまいちでしたか。
しかし、その後似たような静岡市の山に何度も何度も登らなくてはならないなった私でした。この山も雨乞いの山として知られていますが、「弾除けの神をまつる」神社があり戦前は草薙駅から参拝客の行列もあったとか。


という会社名にしたんだって。
旧字体にしたって駄目だった?
気持ちはわからないわけじゃあないけれど。
どこかの国みたいに簡略化し過ぎると元の字が読めなくなったりしないのか。
ほどほどがいいとは思うのだけれど。


しかし、梅雨も早くに終わったらしい地域もあるし、もうけっこう暑いし、6月だという実感はなくなっていたようにも思える。
7月と言えば昔は、さあ山に登れる、といううきういきしやすい月だった。Ý間の上まで登ってしまえば、まさに別天地、といいことばかりが思い出されてしまいます。
だけれども、そうばっかでもなかったのです、本当のところは。それが当たり前なのに、そうは思いたがらない自分もいます。


どこの世界のことかと思ったら、わが日本国。国家試験も見くびられたモンだ。ある種の国家の危機か。


2種類受けた。かなり勉強hがしたが、1回では合格できなかった。2回で何んとか合格できたが、どうしても正解できない問題もある。
ほぼ間を置かずにその上の試験も受けて、これまた2回かけてようやくぎりぎりで合格できた。
私が受験している中でも試験方法が改正されて行って、受信だけでよくなったり、和文がなくなったりもした。さらにさらに楽にはなったらしいけれど、楽になったからと言って、その試験を受けるわけにもいかなかった。hihi


ではないけれど、
今朝狐がいたそうです
我が家の近くに。私は見ませんでしたけれど、今までは遭遇するようなことのなかった野生の獣と、ひょこひょこ出くわすかもしれませんね。一次見かけなくなった鼬(いたち)もいるようですよ。
水田の放棄によって生息環境ができたのかもしれません。
米の増産何て、実際に作りもしない人が、何を勝手なホラ話を無責任に垂れ流すのか。
X様が保護猫仲介業をやっていますので、保護猫の幼猫の世話の仕事が回ってきます。
久々に「小さいの」が我が家に来るようです。X様の専門はうろうろと動き回らないほんとの乳飲み子です。他にも何人か保護猫の世話係はいるのですが、鳥海語で授乳の難しいケースはX様が盗寄りにされているようです。
もっと大きくなると身体面では心配はなくなるのですが、動く回るようになるので、それぞれはそれぞれで厄介なようで、乳飲み子の方が楽だと豪語しています。
授乳をしてしまえば寝てしまうので、そこでやれやれということができるようです。でもまあ幼猫はやはりまだ弱いものですから親猫に代わって養育するのはそれなりのたいへんさがあるようです。
哺乳瓶で飲ませるのですが、なかなか飲まない仔猫もいるものですから、シリンジ(注射器)で飲ませるのが多いのかな。飲ませるではなく呑ませるなのかな。


であることは言うまでもありません。このチームは長年、よくやっています。運悪く不幸な星の下に生まれてしまった子猫を、何んとか生かし、育て、飼ってくれる方を探し、飼い主になってもらいます。


育てるのに難しい幼猫の場合、うちのX様の出番になることが多い、という部分が、何か漢字の変換が変になっています。


FT8の運用ができなかった。TS590SGのUSBコネクターとその基盤を壊してしまったようだ。
予想外のダメージ、思った以上の出費だった。
帰ってきても、これまた自力では動かせない。設定が動かしてあったようだ。OMの力を借りてようやく動かせるようになった。
すぐにも交信を楽しみたいところだが、なかなか手を付けることができず、2日遅れの本日、ようやく7MHzの国内を見る。やや出ている局が少な目か。
まあ20局ほどで、やめておく。


今年は何の援助も受けてはいないと思いました。おととしまではジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)防除のスクミノンを買えばいくらか援助があったと思います。去年今年はスクミノンは効かないから買っていません。ということは援助はないです。
休耕田の景観維持のための花などの種を買えば、いくらか安くなります。今年は買ってないから、補助はなしです。
というわけで補助金はゼロです。


は犯罪のようで(ま、当然でしょうが)警察の案件(警察用語は知らないが操作の対象?)にはなっているようですね。動物の虐待ですから当たり前です。
どうすりゃあいいの?という疑問に対して、猫の避妊手術をしてもらうこと、これが答です。生まれた猫の子を全部面倒見るなら、手術はしなくてもいいでしょうが。


ようで、生まれてから少しは経過している猫のようで、合計6匹、そのうちの♂♀2匹を預っています。ここまで育つと大丈夫なようです。
6匹とも薄茶色のよく見る猫ですが、預っている2匹の片方はアメリカンショートヘア(アメショー)みたいな渦巻き模様があります。その血が入っていることは確かなんでしょうが、mixで当然ノンペディグリーすね。
ですが実際に飼ってみると、同居してみると、雑種猫というのは個性的ですが可愛らしい。飼い主からの影響もあるのかな。
まあ、ともかく飼い主が、それもいい飼い主が早く見つかってくれるといいですね。


というものがあって、身体にピッタリ付くように荷物を運べるようだ。昔もベルトで腰のあたりに物入を付ける、何と言ったかなあバッグがあったよね。結構流行ったけれど、私はあまりその気にはなれなかったよ。
背中にぴったりと貼り付くように背負う、薄い、何か走るような場合にはよさそうな背負い具があるけれど、あれもよさそうだ。
ただ、実際はあまり使う機会が無くて、持てあますような予感もしてしまうのが難だ。


もちろんすでに何十年がずーっとといるのですが、今お話ししたいのは、我が家を仮の住まいにしている「保護猫」です。このまま我が家に居座られても困る猫です。
ネコ科の大型獣はみんな毛の色というか模様が、まあ同じです。少し例外もありますが、だいたいトラと言えば同じようなトラもう用です。ホワイトタイガー何でいう白っぽいのもいるようですが、まあ同じです。
さて、ところが猫はみんな違う(例外はありますが)、といっていいくらい違うのが猫でしょうね。
今来ている6匹のうちの2匹は、いやいや6匹全部(別の家に4匹います)ですが、薄茶色がベースのいわゆるチャトランです。全部が同じというのは珍しいと言えば珍しいようです。
ですが2匹はまったく同じではなく、濃い系と薄い系の違いがあり、片方(どにはアメショーのような渦巻き文があるように目えます。成猫になれば消えてしまう場合もあるようです。
猫は猫それぞれによって結構個性的で、興味深い生き物です。かわいいかわいい、と言われることが多いのですが、かわいくないなあ、というのもいます。


場所にもよるだろうが、人工的にビシッと管理された場所ではないんだがな。
屋外にある何があるのかわからない場所だぞ、水田は。傷でも負ったなら怖いなあ。
正気の沙汰じゃアない、驚くべき所業だ。
家庭排水、どこまで問題のないものなのかなあ。
処理はされてはいると思いますが、農業用水は下水と同居している場合も多いですよ。
鼻があまり効かない私ですが、そういう私でもかぎたくない臭いを感じますぞ。


洗濯ものを物干に干していると、蜘蛛の糸が踊り、たゆたい、いつしか私の頭に絡みます。
こうなると頭が痒くなります。ふわりと来た小さな蜘蛛が私の頭を齧っているのか(不味いぞ、この頭)あるいはこの蜘蛛の糸そのものが痒み成分でも持っているのか、頭という部分はまあ敏感なので我慢ができなくなってきます。
幸い今の私はすぐに頭を洗えます。まあ、これでおさまって?いるのかな?


上がってきていた。去年はそれがさらに上がったので、なお一層このことが明瞭になったものだった。
私の生産したコメ(玄米)の価格でこのことを言っていますので、上がったとはいっても生産者=私にとっては去年も一昨年も、あいかわらず赤字であったことは言うまでもありません。
そう、その前の何年かはかなり赤字の幅がひどかったのです。まあ、そうたいした量を売ってしまうわけではなく、資材や肥料を買うためにそれなりに現金が必要です。
案外額が大きくなる支出は農機具、ではなく農業機械というべきですね、これが大きなトラブルに遭うとかなりの出費になってしまいますが、トラブルのない年というのは滅多にありません。
コメ生産者のほとんどは米生産についてはほぼ確定的に赤字経営です。米以外の農産物(野菜果樹)でかろうじて農業収入といえるものがあるという状態が多いのでしょう。もちろん農業収入以外でやっと生計が成り立っているという方々は多々。


石油とお米は無関係と豪語、絶句です。
たいして稲作もしない私ですが、石油(内訳、軽油、ガソリン、潤滑油)はかなり使いますよ。はい、ガソリン価格はお存じでしょうが、石油全般年々高くなっています。
石油を使わない水稲栽培は不可能です。水稲栽培と関わった事のない方々、悪気ではないとは思うけれど、あまりにも江戸時代。


もう田舎に、しかも生まれ故郷に、住みついてしまったから、過去に住んだりした場所との縁は切れたとは思っているけれど、どこか他の地、他所の場所に行ってみたいという、芭蕉のような心境になったかな、と思うこともないこともない。
この、ないこともない、という二重否定は肯定であるから、ある、ということなのだが、あるということを素直ではない言い方であらわしているから、やはりどこか否定的な部分もちょいとあるようにも思う。
おそらく、現実には無理だとわかっていても、いやそうじゃあないだろう、少なくとも考えてみる、想像してみる、それくらいはいいじゃあないか、という思いが入っている、内包されている、そう言うことなのだ。
若い時には何の苦もなく成し遂げたことが、年取った今はなかなかできない、いや、できないだろうなあ、だからやめよう、そうなってしまっている、というような今の思いがかなり濃くなっているということでもある。
芭蕉も当時としてはかなりの年長者だったはずだが、奥の細道のたびに踏み出したのだった。独り身でもあったし、できるのだろうな。
今、蕪村の書いた手紙を読んでいるが、俳人蕪村は実は画家であって画家としての収入に関わる手紙をせっせと書く、ということは画家の姿を彼の手紙の中にくっきりと示される。家庭をもっている蕪村は画家として金を稼がなくてはならぬ。この点芭蕉とは違うか。
だが、手紙の末尾に二句ばかり蕪村の作品を付け加えたりする。


自分が正しい、ということだけを主張すればいいのだ。他者を悪しざまに非難したところで、自分が正しいということを主張できるわけがない。


買えると思いますよ。だけれど大き過ぎて使えないと思いますよ。したがって、買いませんよ。自動車とはずいぶん違って、使い道も極めて限定されているものですし。
それに致命的なことには毎日使うことができないものです。ただ走らすだけでは燃費も馬鹿にならないし、高速では走らないし。乗車定員は一人だし。
要するにコスパがとんでもなく悪いです。ふざけて書きました。ふざけた口を利かないでもらいたい。


無線機なんて、あまり壊れてしまうことはなさそうですね。
私の7800も数年前修理ではなくて、点検に出したのですけれど、どこも悪い所はなく、メインダイヤルのゴムカバー(リング)だけが交換されて帰ってきました。
しかし、無線機の方は大丈夫でも、それを扱うオペレータの方は年齢とともに劣化もする場合があり、それが原因で無線機の方が壊れる場合はあります。
というわけで、予備機、サブ機とも言いますか、これが必要ですね。これを用意したいと思っていますが、そうそうすぐにはできません。ですが、趣味としても欲しいのでこつこつ頑張ります。hi


というような「見出し」が少し前から目立っていた。
その話が自動車を運転できる者と、それよりは運転する場合にハンディーのある者、という話で具体例が説明されていた。
前者はレベルの高い車を運転できることの多い、つまり男。後者は男に比べると性能や価格の点で劣った車種をあてがわれることの多い、つまり女。つまり女は軽自動車、ということで、事故発生となれば、より多くのダメージを負うのは、こういう理由で女。
もう少し複雑で、入り組んだ事情があるのだとは思うのだが、個々の部分ではこう単純化されていた。


という投稿(地域広報誌)
しかも農業機械を買って稲作を、というんですが、100万で農業機械購入は中古でも無理です。桁が1桁足りないです。
令和のご時世に100万は、こういう場合にはゴミに近い価格です。昭和30年くらいの生まれの方の投稿でした。大丈夫かな?


好きなことばかりではない。その通りですが、結局、私は好きになれないまま終わってしまったことが多い。古文書も読めない。私のまわりには読める奴はいくらでもいたが、私はとうとうそういうレベルにまで達しなかった。
読めなくても活字の書物になっている文書史料も多いので、それで足りることが多いので駄目なわけでもないのだが、正直肩身は狭かった。しかし、古文書が読めるようになってやろうと努力ははしなかった。
試験対策的な勉強は一応のレベルまではやらないとまずいと思っていたので、やるにはやったのだけれど、その上の方までは上がっていけなかった。そういう中途半端なレベルであったことが悔やまれるのではあるが、向き不向きもあるのでまあ仕方がない。


手紙は1対1の場合がほとんどだから、それ以外の人が読んでも意味が通じないこともある。ましてや、時代の違う後世の人間が読んだら、何が書いてあるのかさっぱりわからないことも当然あるだろう。
だがしかし、数多くの蕪村の手紙を読んでいくうちに、全体像も把握できるようになっていけば、だんだんに読めるようにもなるのではないか。
さて、蕪村や芭蕉のような文人は号というものを使う。この号というものは今の時代だとペンネームの湯なものだ。また、このペンネームを師匠とその弟子の間で受け継いだりもするのだ。手紙に書かれているわけではないが、こういう際にも金銭のやり取りがあるのだろう。
俳人ではないが画家の***は自分の号を他人に売って、それによってお金を得ていたようで、生涯にたくさんの号を名乗り、またそれを他者に売りつけたのだった。
この号の譲り渡しというのはかなり頻繁に行われていることが、手紙にも出てくるが、読み取るまでにはかなりの量の手紙を読まないといけない。


気もしていますが、さて、6月はどうでしょうか?
昭和33年だと思うのですが(違うか、いや、たぶんこれでいい)少年サンデーと少年マガジンがほぼ同じに創刊号が発売されて、両方は買えないのでサンデーの方を買ったのだったか。
どっちがどっちだったか今となっては弁別できないのだが、それらの片方の表紙を飾っていたのが長嶋茂雄であり、もう片方が朝潮(この名前の力士は何名か複数いるのかな)だったと思う。
思えば遠くに来たものだ。いや、さほどでもないのかもしれないが。


見てみましたが、興味本位です。
東京浜松町で開催されたようです。武器とか武双に関するもの。軍装品。軍服や制服、ワッペン類、古式銃などなど。
欲しいなあ、と思うようなものはなさそうです。
ハムフェアなどだって最近はちょっと手が出るようなものないです。まあ、無いこともないのではありますが。使いもしないようなものはほとんどパスです。


新米ではないものを古米というが、厳密には収穫したその年いっぱいの期間の米が新米らしい。
ここでは、次の年の新米が取れるまでの米を古米ということにしてみよう。新米が出てきてそこで初めて古米というものも出てくる。
後者の意味で新米であるが、今は農家も冷蔵庫を持っていると思うから、新米が出てきてからも米は十分おいしいよ。
それが次の年まで行ってしまうと、どうなのだろうか。ここ何年も食べていないのでわからないのだが。
玄米のまま、もちろん冷蔵してあるから、昔とは違ってさほど味や香り(まあ、臭い)はだいじょうぶなんじゃあないのか。
ちなみに江戸時代の幕府将軍は、必ず古米を食べていたらしい。しっかり糠を取り去った、真っ白けの白米を。脚気という恐ろしい病になってしまうことが、江戸大坂では多かったので。江戸の煩い大坂の病などとも言われたそうだ。14代将軍の家茂(いえもち)はこれにやられちゃった。


なのだと。
1メートルは高所作業とまでは言えない高さかもしれないが、落ちたら死ぬ場合もある。死なないまでも結構痛いだろう位置のエネルギーである。か。
鉄塔やパイプ状の者には登れない私だが、木登りだと案外高さが稼げてしまう。山岳であれば3000m程度はまかせてくれと、楽しんでしまう。いや、いずれも過去形だな。


そういうややっこしい存在。でも、複雑であってこその人生とも思える。その複雑さは、要するに複雑すぎる「偶然」なんだな。しかしまあ、そこが面白い所だ。


私へのQSLカード、遅れるのか?
まあ、そう急ぐモンじゃあなし、いいよ、遅れても。
ただし必ず、送ってくださいね。


途中で転んでしまいました、自転車で、ノーヘルですが。
診察整理券が「449」、あまりいい数字ではないね。気にしない、とは言いつつも、気を付けなくてはいけないね、とは思う。


なんて語が目に入りました。だけれどもタウンユース。
私も皮のザック(と、あえてドイツ語)を長年愛用しました。フランス製のミレー(Millet)の中型。長持ちしました。まあ皮ですのでナイロンなどに比べると重いです。
しかし、さすがミレー背負うとバランスはたいへんよかった。その後ミレーはアジア製の低価格のものが主流となり、「Millet」のロゴが目立つような大きさになって、やや下品、魅力は落ちました。
あ、私の皮のミレーは山用品としては高価でしたが、長持ちもしたしう、柔なようでもしっかりしていて満足度はありました。ロゴも目立たないような「粋」なところがありました。


咲いてきています。
この花は家庭では育てない方がいい花だとか。縁起が悪い花、ともいえるようですが、大きく分けて普通のアジサイとガクアジサイがあります。山に登っても小顔のヤマアジサイが咲いています。
葉っぱには毒があって、結構危険な植物です。美しい花にはトゲがある、ですが、キレイキレイだけが花ではないですから、皆様、花にはご用心。
梅雨の悪天候の時期に咲くから、何かと悪く言われる場合もあるのかもしれません。アジサイはその葉からも水分が吸収できるようで、こういう時期だから咲ける花、とも言えますね。


食べない方がいい。そんなことはまったく知らなかったなあ。カビ毒だと?発がん性?そんなことは知らずに食べていたよ。
山では食パンは確かにすぐ「カビた」。アオカビだった。ペニシリンペニシリン、と言いながら食べました。そのうちフランスパンにもカビが生えてきて、もうやけくそ、食べないと死ぬぞ、とまでは言わないが歯を食いしばって(固いパンだから)食べました。
正月の餅も大量に搗いたので、そればかりかお節句の餅も、これまた大量に搗いたので、多くの餅がやたらカビました。冷蔵庫が普及するようになって多少は冷蔵しましたが、冷蔵されない餅も大量にあります。
いまさら毒だとか発がん性と言われても困るのだけれど。
もっとも餅の大好きな父は97歳(数え年で満年齢ではないが)まで長生きしました。
餅は好きではなかったが(その理由は御想像いただけると思うが)今は不思議なもので、案外好きです。カビが付いたのは食べませんが。


のはよくないが、傾向という程度なら、どうしても地域差はあるのではないか。
ただ、いずれにしても同一国民なのだし、大して差はない、ということぐらいすぐにわかる。だが、そこであえて極端に言ってしまうことは、ままあるようだ。先入観も持たない方がいいだろう。
県民性などと言うと同じ日本の人々、ということでそもそもたいした差はないわけで、気楽に口に出してしまいやすいのだろう。
同一性よりも差異性の方が気にはなるだろうが。


危機として列に並ぶ、の間違いじゃあないか。仮に嬉々として並ぶことに高揚感があるとすれば、かなりマズイ状況ではなかろうか。
いずれにしても私は、嬉々としてでも、危機としてでも、列に並ぶのはいやです、嫌いです、世界の終りでなくて他の何であろうか。


確かにそういう面はあると思います。
授業だけで大学の勉強が完結はしない、という意味でこう考えるべきかと思います。文科系は特にそうでしょうね。
理科系の方はどうか知らないけれど。
それに「授業」とは呼ばないで「講義」「演習」「実習」などと呼んで、「授業」という語は使わなかったな。最近は「授業」と呼ぶのかな。


OMのお世話でようやく、復活したと思います。
修理代金も結構高かったのですが、扱い方にも気をつけて、稼ぎましょう。
AMからSSBへ、という流れや、RTTYという文字通信、あまりすんなりと進めてきたわけではないけれども、ひとりじゃあなくて、OMさん方に導かれて、何んとか進めています。牛歩ですが。
OTとされる方々とふつうに交信できたのも、FT8が初めてかもしれませんね。まだまだ進歩という名の変化があるのかもしれませんが、何でもやれるようになりたいですね。


蛇の嫌う薬剤、ですかね、こういうものを最近は売っています。
私はヘビは嫌いですが、蛇除けを買ってまでして蛇を避けたいわけではありません。
我が家には蛇の大嫌いな人がいまして、最近は蛇の季節には蛇除けを撒きます。まき散らすとも言えますが、今年はまだ、おかげさまで蛇の姿を見ていません。
昔からヤマカガシが多いです。噛まれることはほとんどないようですが、毒蛇ですので、できれば遭いたくはないものです。
かなり前のことになってしまいますが、庭にいた三毛猫がヤマカガシとかなり激しく争い、そのことと関わりがあるのかどうか知りませんが、三毛猫がまもなく死にました。


いけない、とまではいわないけれど、危ないからゴム製の田植え足袋を履きたいね。
昔は裸足でも水はまあまあきれいだったけれど、今は農業用水には家庭排水や工業排水も流入しているから、裸足で入る人はいないよ。
それに田植えは乗用の田植え機で行うから、水田に足を入れずに田植えをするんだよ。


ここにも書いてしまったが、正直あまり好きにはなれない花なのだ。それでもまあ、一鉢だけであまり大きく空間を占拠しない。そうはいってもやっぱり邪魔なんだなあ。
まあ、好きなものだけが来るわけでもないのが人生だ。これはやや言い過ぎ大袈裟過ぎるのか。
ただ、生産者も努力しているのかもしれない。昔の**はもっと場所をとった。


先日、「人間関係をこじらせる人」というタイトルでこんな話を聞きました。印象に残ったのでメモしときます。
「人間関係をこじらせる人」
1.相手を認めない・否定する人
2.相手の成功を嫉妬する人
3.自分と違う価値観を否定する人
4.一度のミスでも全否定する人
5.ネガティブな未来ばかり話す人
6.「正しさ」で相手をねじ伏せようとする人
こんな人、近くにいたらイヤですね。自分自身がこういう人にならないように年齢に関係なく自省したいですね。
らしい。
あまり見かけなかった鳥が(あまり大きくはない)水田の水面すれすれに普通ではない飛翔を繰り返している。
飛翔、ではなく、舞踊のようにも見える。何か空中で餌を探し、もしかしたら、虫を食べているのかもしれない、と思った。
大坂のある場所である種の虫が大発生したようだが、これも個々の場所での鳥類の減少との因果関係があるという。
まあ、鳥が虫を食べることには驚かないが、ふだん「付き合っている」鶏は穀物系の者しか食べていないようなので、虫?となかなかムシびつかない。じゃあない、結びつかない。
上の方では2000円台で、などと言っているらしいが、いつの間にか2000円で、となっているらしい。
が、この値段は消費者の購入価格だ。生産者が売る際の生産者価格、生産者米価ではない。
生産者の売る米価は「玄米」の価格だ。玄米とは「黒っぽい米」なので玄米という。これを米屋さんなどで精米をして「白米」にして、この白米を消費者は買う。白米は糠の分を取り去って白米のご飯として炊けるようにしたお米だ。
備蓄米は玄米の状態で備蓄された米である。これを精米して白米にして消費者は買う。
生産者米価=農家から業者などの購入者が購入する価格である。この生産者価格・生産者米価は2023年か少し上がった。24年にもサエラに少し上がった。25年には、さて、どうなるのだろうか。繰り返すが、お米屋さんで買う「白米」ではなく農家が業者に売る「玄米」での価格ですよ。


今年の米でした、失礼しました。2023年の新米(ということは古米)、2024年産の新米が「今現在の新米」です。さて25年の米はまだです。ようやく水田に田植えをしたくらいです。まだこの世には存在しない米です。
さて、まだ見ぬ今年の新米の価格、生産者=農家としては生産者米価、この米は玄米の状態の米で、玄米としての価格です。さて、値上がりはするでしょう。なぜか、まず農家の事情ですが、資材や肥料、農業機械の燃料の価格、農業者の賃金もしっかり入れて欲しいですが、まともに入れますと米価はとんでもない高価格商品になってしまいます。長年零細な経営の農家=フツーの農家は「この点についてはただ働き」です。大規模なケ家の農業法人などでもそんなにウハウハ儲かるようなものではないようです。
というわけで、多くの農家の「ただ働き」の結果、今の生産者米価が決まるらしいです。


肥料や資材は値段が上がっていまして、こういう点からも農家経営は苦しみます。
ついうっかりしてしまうのですが、労働に対する対価であるところの、人件費はありません。言い換えると「タダ働き」なのです。嘘を言っているわけではなく、「残念ながら事実」です。
フツーの農家はその農家の家族の中に会社員などの農業以外の職業を持っている人がいますから、何んとかぎりぎりセーフな状態のです。
しかし、その現金収入がある人に対して農業を行い人たちは、米を作るためにお金(高額な肥料高額なしょっちゅう故障する農業機械、農業用水割当、200V動力、玄米冷蔵設備、田畑にかかる税は少ないが)は使うけれど、入って来るもうけは0に近いか、あるいは赤字経営です。


4時間も並んで待っている、って?
たとえそこがどんなに魅力的な場所であっても、とうていそういう気にはなれsないなあ、この私。
そういう気になれる方に対して、何か言いたいわけじゃあないけれど、悪意などあるはずもないけれど。
私の修業が足らないのだろうか、と思うことにする。


女性に言ったことは、今に至るまで、完璧に、八百万の神に誓って、無いなあ。
男にも、もちろん、言ったことは、ない、ないと思うけれども。


再び日本の旧石器時代研究が動き始めた。よかった。
それにしても、西暦2000年の正月早々、自分で仕組んでおいた遺構を自分自身が掘り出す、というイカサマ師が次から次へと、日本の旧石器時代の年代を古く、より古くへと、捏造していった、そういう過去があった。
なさけないことに専門の研究者たちもコロリと騙され、高校の日本史教科書にまで日本の最古の旧石器時代の遺跡は50万年前、とまで暴走をしていった。
ようやく、今、日本最古の旧石器時代の遺跡でいt理版古いものは4万年ちょっと前のものですよ、と訂正されたのだった。


令和2,3年のモノの値段、だっけ?
これくらいのものは古古米か古古古米くらいですね。でも、冷蔵庫の中に貯蔵されていたものなので、そんなのには不味くはないのじゃあないのかな。私は食べたことはないけれど。


なんと古米を食べていた。何かの理由があるのだろうが、そこの部分は知らない。あるいは忘れてしまった。
将軍様だから「へたなモノは食べさせられない」から古米、なんだとは思うのだけれど。
一般的言って、武家の食事は昔の公家に比べると、質素な尿に思える。
ただ江戸時代には徹底的に精米をして、真っ白な白米を食べたらしいから、脚気衝心、で命を短くしたという。足から症状が出始めて最後は心臓がやられちゃう、ようです。


教材とは教科書や問題集、参考書、などなどのことです。
間違いは結構ありますよ。
児童・生徒・学生・職業についてからも、いっぱいありました。
間違えた人を弁護するわけではありませんが、「できる」学習者は「あれっ、おかしいな」と思って発見して、ちゃんと自分で訂正して、「しっかり正しい知識」を学び取っていますよ。
そういうもんです。間違っているぞ〜、って指摘するのは結構なことですが、何事野茂誤っている部分は避けられないものなのだと思います。
この程度間違いを治す力さえも獲得して、力強く学んで聞かないでどうしますか。
反対側から、個々には書いてみましたが、もちろん責任者が許されるわけではありません。ネ。


自家用の玄米の残りの分を、売っています。まあ、その分で肥料や資材の一部も賄っていますが、儲けなどは出る訳がありません。まあ、生産者の立場は強くはないので、現行のかたちでは言い値で売るしかありません。
その米が消費者の手にわたる時には「かなりいいお値段」になっているのを売り場で見ます。
南魚沼産の銘柄米がこんなにたくさん出回るというのも、「???」といつも思います。どこにもある黒い部分mなのかもしれませんが、これはこれで」「かなり絶望に近い黒」ですね。


たいして食通でもない、いやそれどころか、どうも味盲らしい(高校の授業で検査用紙を嘗めて)私の書くことなので、信頼度は低いだろうが、山形のお米は確かにおいしかったです。最上川の流域庄内平野の庄内米ですね。
ただお米って、あるいはお米のご飯て、それだけでうまくなくてもいい場合がほとんどではないでしょうか。要するにお米のフツーの味であればさほどこだわる必要があるのなか?と思ってしまえるものだと思うのです。
炊き方や水加減、用いる炊飯の道具、かまど、これらの総合作用ではないですか?
志太平野のお米もおいしい、ってよく言われますよ。私は「ま、フツーじゃね〜」とうそぶいていますが。
銘柄米がどうだっていうのだ、とまで挑戦知己敵対的になりはしませんが、ここらあたりになるとその使い道にもよるのではないでしょうか。
貯蔵されていた玄米は古米や古古米であっても、白米にしてしまえばさほど味が悪くはなっていないのでは。臭いは若干気になる場合もあるようですが、今の食事は香辛料とか調味料の使用も当たり前ですから、昔の古米とは違うんではないかと思います。


バケット、つまりいわゆる「長いフランスパン」であるが、ひさびさに食べた。フランスではよく食べたが(というか、朝食にはもっぱらこれだ)これの日本のパン屋さんが作ったのが、うまい。たまに食べたからうまいと感じたのかもしれないが、工場で作るパンとは違って、手作りらしい。そういう売り方なので、たぶんそうなのだろう。
味が塩で決まるパンなのだが、これがパンとしてはうまく焼ければとんでもないおいしさである。
やや硬めのパンなので、どうしてもよく噛んで食べなければならない。だから、なおさらおいしいと感じるのか。
日本に暮らしているので、普段はご飯なのだが、ご飯はどうしても飽きるのだ。しかし、ご飯の方が安いのでバケットを毎日食べるわけにはいかない。


という記事を見た。いや、読んだ。私は登山を熱心に楽しんだ者だが、実は谷筋を登るのは大嫌いである。尾根筋を登るのが好きなわがままな登山者であった。
だが、理由もある。谷筋は尾根筋に比較して危険なのだ。私の場合はさらに、滑りやすい沢筋が好きではない、というのが加わる。
沢筋を登っていても一刻も早く尾根筋に出たがるのだ。極端な語句で表現すれば、、沢筋は山に登るための「必要悪」なのだった。
滝が好き、という人も多いし、名所や観光地になっている場合もあるが、まああまりのこのこと行く気はない。
尾根筋を縦走して山の空気を吸いたい。谷底では気が滅入る。場所に寄っては血を吸うヤマビルもいる。やだやだ。


HAMのお話しを、たまには書きましょう。
29日にQSLカードがどっさり郵送されてきました。レターパックに4束入っていました。私の最高記録です。
30日、何んとか、その半分をログと照合し終わりました。FT8のはほとんどですが、他のも混じっています。


汚いんです、と仏蘭西人じゃあない人が言っていたが、私はそれほど汚いと思ったことはないです。
乗客も案外静かだったように思います。年齢の多そうなマダムに席を譲ったら、いいえ結構よ、と断られました。ふにゃふにゃしていないのがフランスのご婦人たち。
ミュージシャンが車内に入ってきてがんがん演奏をします。これは日本にはなかったものですね。だれも投げ銭はしてないね。
日本の女子高生がみんな同じブーツだったものだから、仏蘭西人の同年齢らしき少年たちが「みんなサンタクロース?」などと言っています。パリの人々もみんな同じような黒っぽい服装ばかりなんだけれどね。
ぼけ〜としているとスリにやられてしまいますが、そうそう遭遇するものではないな、さすがに。


そうそう面食らうような経験をするものでもないと思うが、土産話はどうも大袈裟になってしまうという傾向はある。
話をしてくれるのはいいのだが、その内容には「凸凹」があるように思うなあ。


ちょっとキツイけれど、フランスパンとも言われるバケットはおいしいなあ。
ちょっとキツイ部分とは、硬いことだ。固いではなく、堅いでもない。噛みしめて食べないと食べられない。
いくら好きでも、なかなか日本では売っていない、作っていないもので、なかなか、いや、ほとんど食べられない。
ところが日本のバケットはおいしいんだよね。本家よりもおいしいように思う。


せっせせっせと整理しています。
ログにデータ、特にQTHはFT8だとふつーわかりませんから、QSLカードで初めて知ることになります。
ログと照合して合わない場合もたまにあります。出しなおさないといけないな、と思えるものも少し出てきます。
も少しで負われそうですが、2か月後にはまたもやドサッと来ますね。楽しい面も多いですが。
あ、もう少しで今回の分は終了します。


おおむね問題なしで、やれやれでした。ほぼJAのカードばかりでしたが、10MHzのカードが大部分でしたので、10MHzの分だけが増えました。WARCなのにJCC?でしたか?あるのでしょうか?あったところで、ほとんど何も関心はないのですが、あまりにも無目的にやるのもいかがなことかとも思いその気になる、そういうふりをしているだけです。


登山にもパン類を食糧として持って行った。食パンも何回か山行(登山中というような意味)で、おもに昼食で食べる。バケットは食パンがなくなってから食べる。食パンはアオカビのものを食べなくてはいけなかったが、バケットも食パンよりはましだがカビが出てくる。
それにこの時代のバケットはただの長いパンであって、その頑丈さ、というか固すぎることも少なく、本家のバケットとは違っていたようにも思った。
年をとると好みに変化が出る。そういう部分もあるということだが、若い心には食べたくはなかったものが、食べられるようになる、そればかりか好きにもなったりすることもある。


だが、なかなか高額だった。4個で5000円近くらしい。買って来てくれたのだから文句はないが、今の物価は、高いものは高く、安いものも高いようだ。
私は安いものだけ食べていても、たぶん不満はないのだが、たま〜には高いものを高い値段を出してでも買って食べるのも、実際食べてみると、そう、なかなか悪くはないものだ。
パンが無ければケーキを食べればいいじゃあない、というのとはちょっと違う。
を飲んでも、いまいちなことが多い。香りを愉しむ部分が多い嗜好品だからか。
パッケージに密封された袋に入っている、いちおう瓶に入っているのとは違うのだが、瓶に入っている方がうまいんじゃあないな、とも思うこともある。
おそらくお湯をたくさん注ぎ込んで薄くして飲んでいるので、私の荷見方が悪いのだろう。
酒も薄めすぎるとまずいものがあった。ソーダ水で、炭酸でという方がいいのか、あれで薄めると味がよくて、多く呑んでしまう危険性がある。まあ、酒はきっぱりやめたから、いいのだけれど。


USBケーブルの不具合ではないかもしれない。
無線機側の「何という名称なのだろう」、四角いUSBのコネクター、Bタイプのもの、無線機の「受け口」もそれに「差し込む方」も無線機のマニュアルには「コネクター」の名称だ。
とにかくその無線機側のコネクターの故障、つまり「破損」だと思う。
しかし、ケーブル側の不具合の可能性も捨てきれない。


は難しい。
ものを作ったことのない人は、それが難しいことわからない。
ものを創り出すことの難しさなど、わからないどころか、完璧にわからないために想像すらできない。←少しくどいかな?


アンテナの不具合、というよりも手抜かり、というか、意識の低さのために5局で敗退する羽目に陥った。
FT8なら「いける」がSSBでは「いけない」のだった。3エレのトライバンダーは帯域が狭くSSBの上の方、いや、SSBのほとんど全部がカバーされていなかった。
ちょっと設計が古いからだが、それは自分も理解していたことだった。
できるかどうかはわからないが、来年度は何とか、とは思ってはいるが、正直SSBの方はあまり熱心になれない気もする。


結局、ただ単に「よくないことだ」と漠然とした、そういう批判や非難が「虚しく(たいした内容もなく)」書かれているだけなような気がして、私は虚しくなります。
文章の内容を見れば登山の未経験者ではないか、という疑いを即座に持ちます。それゆえ虚しいのです。別の言い方をすれば「からっぽ」なのです。
登山についての、それなりの経験者が書かれているならともかく、シロートさんの無邪気な(捨てられたゴミのような)コメントは正直勘弁して欲しいな、と思います。
言論は自由ですが、何でも書けばいいものだとは思えません。ゴミは行けません。


という巨大な花の存在は、けっこう幼い時から知っていた。大きい、くさい、めったに見れない、花が咲いてもすぐに腐ってしまうから、マレーシアの森林の中、などということはだんだんに知るようになった。
今はその写真やより細かな情報まで、あっけなく知ることができてしまう。
ラフレシアはその花だけが存在するユニークは植物。根もない、茎もない、葉緑素も持たない、だから光合成もしない。
葉緑素をもたない、だから光合成もしないのだが、こういう緑色ではない真っ白な植物なら、日本国内でも見たことがあるぞ。
東北の山の中だったが、ぎょうりんそう、という名称だと思った。これには茎はあるし、根もある感じ。


実はよくわかってはいませんが、最近のサケ、シャケと呼ぶ人もいますが、あれが昔のサケとはちょっと違うなあ、と思っています。
早い話が、昔の者よりも「食べにくく」なったのです。詳しく言ううと、身に骨があるのですが、昔は、例えば「アラスカサーモン」なんかにはそういうことはなかったはず、完璧な自信はないのですが。
最近口にするのは「北欧サーモン」。テキトーな名称にしてしまいましたが、アラスカとは違うのかな、腹ボネが多くてすんなりと食べにくい。その他は同じように思うけれど。
しかし、私の本音は「マスの方がおいしかったな」、「あの塩の塊の中に漬けこまれている塩マス」です。皮まで全部おいしく頂きました。皮までコリコリに焼けていたらおいしかったです。
頭だけは残るのですが、これはエビガニ(アメリカザリガニのこと)を釣るのに最適なエサでした。エライ昔だ。


で作られた、焼かれたパンの方がおいしいのだなあ、残念ながら、結果は紛れもなく、こうなのだ。
しかし、価格が高いのだ。当たり前だが、そうなのだ。
だが、工場で流れ作業で焼かれたパンも悪いものではない。しかし、原料の価格も上がっていて、原材料の価格も上がっていて、価格の安い原材料になってしまっていないか、という疑いを抱きながらそのパンをほおばるのだ。
手作りのパン屋さんでもそうそう価格を上げられないだろうし、そういう安易な方向に流れれば、たちまち評価が下がってしまい、経営的にも難しくなるだろう。
おいしいバケット(長いフランスパン)が食べたいのだが、なかなか。


小学校の算数なども馬鹿にはできない。まあ、もう少し高い学年で学習する知識や技能でカバーできないこともないけれど、基礎は基礎で大事にしないといけない。
だが、まあまあそういう基礎ばかりの本を読むと、簡単すぎて飽きてしまうのが悩ましい所。我慢しないといけないのだが、日々の忙しい毎日の中で、そんなことはやってられないよ、ということもあるにはある。
結構基礎がわかっていなくて学習が進まないという部分は、わかってはいてもやっていられない部分になってしまう。


それどころか、剥がれ落ちる。やがて皮だけではなく、身も落ちていくのか。そこまでは知らないし、関心もない。


たぶん罰が当たります。罰が当たったのを見たことはないのだけれど、盗む人も、基本、いないのだろうね。
例外のない規則はないのではあるけれども。


カトリック教会の場合は保守派がその元凶になりやすいのだろうか。かなり歴史の長い組織であるから、その腐敗の歴も長かろう。
天国への切符とされる免罪符というものを売って利益を得た、というのも歴史の教科書には必ず記されている。それに批判をしたのが、ルターであるが、そういう中からカトリック(旧教)に対するプロテスタント(新教)が発展した。
旧教も新教も魔女裁判を行って、多くの犠牲者を生んだ。旧教と新教が戦争で対立することもあった。
宗教も神の営みであるとともに人間も関わる大きな力を持つ組織だから、善の仕事もしたのだろうが悪の仕事にもいそしんだ。
宗教というものはよく考えてみなくては、適切な付き合い方をしなければ、その扱いに十分気をつけないと、大火傷をする。


ということのようですが、本当です。猫の傷はあっという間に治ってしまいました。まあ、まだまだ「壮年」の猫ですが。ちゃんと人間に馴れている猫で、傷を清潔に保つことができたという面もあると思いますが。
生まれたばかりの仔猫で、捨てられて、放置されて、悪いカラスにぎたぎたに突っつかれたにもかかわらず、育ってしまった猫もいます。顔面を狙うんですね。


のだけれど。外国を旅していて最長は3週間くらいはあったのだろうか。ご飯が恋しくなるというような思いを爪の先ほどもなかった。飯をくれ〜などと思ったことはない。
私の場合はもうたくさん食べたから、もういいよ、ご飯以外の他のものは無いのかなあ、というような半分ふざけたような言い方をしてもいるのだが、まあとにかくご飯には執着はあまり無いのだと思う。
執着よりも一種の惰性で食べている。美食はあまりいいものだとは思ってはいない。嫌いなものでなければ何でもいいのだ。


狐ヶ崎は静岡市の地名だが結構古くからの地名のようだ。近年では、といってもちょっと古いが、狐ヶ崎の遊園地があった。遊園地が廃れた後スケート場になった時期もある。私もほんの小さい頃遊園地にいたし、その後滑れもしないのだがスケート場にも行った。
鎌倉時代、源頼朝の死後、御家人たちから浮いてしまった梶原景時は本拠地を脱出して京都をめざしたが、その逃亡の途次狐ヶ崎で土地の豪族吉川友兼と争い破れ、このあたりの土地で自刃した。北の方に梶原山という山がある。これを狐ヶ崎の戦いともいう。
この時に吉川友兼が携えていたたちが「狐ヶ崎」という名前の太刀なんだそうだ。吉川氏はそのご西国に移った一族が栄えました。毛利氏とも手を組んだこともあるのでしょうが。吉川と小早川は毛利の両川(りょうせん)とも呼ばれました。
そのレプリカを現代の最高の技術者らがつくった、というニュース。
吉川さんは私の身近にもいました。梶原さんにもけっこうお世話になりました。ともに静岡の人ですが。


を間違えるという人たち。ニラもスイセンも食べませんので、根本間違えることはありません。食べたいと思っていると、食べられないものでも食べられると思ってしまうのではないか。
こういうのを思い込みというらしいのですが、世間には思い込みによる悲劇、思い込みによる詐欺被害というのがたいへん多いらしいので、慎重に考え、何事も簡単には信用しないで、安易に向かい合わないようにしたいですね。


なぜ私がこういう分野に興味を持っているかというと、まあ何となく、なのですが、あえて言えば、登山に一生懸命になって、登山に関係する様々な分野にも興味を広げていったから、ということもあるかもしれませんね。
特によく読んで勉強したのは、山岳遭難という分野でした。ま、これは主に冬季の雪山登山とロッククライミングですね。これらはやらなかった、といえます。
夏の時期の高山の高山植物もよく勉強をしました。まあ花というものも魅力的で幅広く「趣味的に」勉強しました。この中に「毒」も含まれます。
体力だけでは山には登れません。体力に恵まれなかった私なりにこういう方面にも努力はしたのでしょうか。


ぐちぐちと恨み言、それもわからないわけではないが、さっさとそこから立ち直った方がいいのはわかってはいるけれど、なかなか負の感情の制御や解消は難しい。


いや、発言というほどのものではなく、そう、しゃべり・しゃべくりが冴えない、平板で迫力がなくなった、まあ元気がないようにも聞こえる。
心配している。


日本では、でも同じだと思うが、いろいろな特徴を持っているが、こういうことについて意外に知識がなく、無頓着で、要するにいなかっぺいである。
政治家、特に議員に対しては案外軽んじていて、尊敬はされていないことが多い。また、議員もその多くは尊敬に値しない人間が多い。そういう感性が日本では強いような気がする。
政治家も国民や住民に対して真摯に責任はとらないし、信頼にも応えない。
非難や批判されればあっさり辞任するので、ますます有権者から軽くみられる。
もらっている給料の割には働かないし、役には立っていない。


歴史的に見れば、為政者の権力行使の歴史が劣悪だったのではないか。
その最近の霊と言えば、民族全体が滅亡するか、とも思われた戦争である。
おおむね指導者たちの資質も知能も劣悪だったため、きわめて少数の有能な指導者の活躍が目立つのだと思う。
上に立つとなぜか無能力者になってしまう、というタイプも多いのだろうが。


こういうものは、はっきり言って、嫌いである。なにか人を小ばかにしているような感じがして、嫌なものである。
あくまでも個人の気持ちだよと言ってはそれまでのことだが、こういう心根がどうにも好きにはなれない。
まあ、ランキングというのが嫌いなだけなのだろうが、やっぱり山ということになると、私も黙ってはおれない。


断捨離、わけのわからない変な言葉だ。断捨離なんて考えたこともない。モノはたくさんあった方がいい。いいに決まっている。
縄文時代の人々は実に多くの品物を持っていた。おまけにそれらのそれぞれが全部手作りだ、ハンドメイドの世界に一つしかない唯一のものだった。土器は様々であり、その一つ一つが個性的であり、自由に見える奇抜な造形物だ。
しかし、縄文の品物もそれぞれが永遠の命を誇っていたわけではないようだ。役割を果たせばその生命を終えたのだ。
土器だけではなく石器も作った。これまた腐ってなくなってしまうことはないので、多くの石器が遺される。住居の柱の穴まで地中に遺される。条件がよければ木材だって残る。
美しい宝石も好んだ縄文人。翡翠、ひすいはかなり広範囲に分布し、人々が大事にした者だった。富山県の糸魚川あたりにしかなかったもののようだが、かなりの遠方まで運ばれて、人々も大切に扱われた。
土製の人形も作った。土偶だ。いろいろとその用途は何だろうと今の人たちは想像を愉しむが、本当のところはわからない。


ような気がする。今年のカメがやや高値で売れたとしても、工業製品ではない米は、さあ、たくさん作って儲けましょう、とはならないんです。
米の生産は、もちろん国内生産ですが、さあ増やしましたよ、というわけには行かないだろう。
ひとつには近隣の農家の生産意欲はあまり上がってはいないように見えます。上げようにもすぐ前に述べたような理由で、すぐには増産はできないからです。
それから、稲は勝手に育ってくれるわけではない、ということです。米の字を分解すると八十八となります。88回の手も暇をかけてやらないと成果が出にくい作物です。
88回もの世話のできる人間がいなくなっているのです。高齢者がおもに農業の担い手ですから、農業人口は増やしにくいと思います。無い袖は振れない、なのです。
今日久しぶりに南の方の田園地帯に行ってきましたが、知らない間に家の作付け面積がかなり減っています。自家消費の分だけは作るか、という漢字で、田植えの準備がしていないような田が広がっています。


というのは知ってはいますが、実物を見たことはありません。
無銭米というものもあるらしく、それをもらっているエライ人もいるようです。自ら(ただで)もらっていると言っていました。
無線米というのはありません、念のため。


その難しさ、まあ何といっても、ギアを繋ぐところ。免許を取って慣れてもしょっちゅうエンストを起こしてしまっていましたね。
クラッチをつなぐ、(で、いいのかな)時ばかりではなく、レバーの操作にも車種によって違っていて、FRの車はいいのだけれど、FFの車はレバーの操作に意外にもたつくことが多かったですね。レバーからエンジンの間だがリンケージというのか、やや長めの棒が付いていて、それが案外曲者、ぎくしゃくしてギアになかなか入らない。エンジンの回転数を合わせなければうまく反応してくれない。しょうがないのでダブルクラッチなども自然に覚えちゃいました。
MTしか乗らなかったのですが、ATは楽かもしれないけれど、操作はなんかおもちゃっぽい感じがしていました。


花と言えば桜のことを指すらしいが、そこまで狭量にならなくてもいいだろう。梨の花とか桃の花もあったが、まあこれは中国の事か。桜の前は梅の花だった時代もあるらしい。
国民に直接現金給付か減税か。前科の現金給付の時はお金のなかった私は
手持ちのお金と合わせて、TS590SGを買ってしまった。
今回?まだ海のものとも山のものともわからないが、額が小さいからげんぜでいいや。面倒くさくもないし、少額だとも言うし。
視力はどこに行った?です。今日も本を読んでいたのですが、全然読むスピードが出なくてページ数が稼げません。面白い本でそれほど厚いわけでもない本なんですが。まあ、活字が小さ過ぎるのではありますが。


そう、イベント。待ち時間がものすごい、とか、昼食にもなかなかありつけない昼食難民おおぜいとか。
同情こそすれ、いい気味、などとは思いません。私もこういう大変な目に遭った人間でした。ですが、今はもうこういうものには付き合いません。関わりません。個人の力である程度のコントロールができるモノでなければ、関わらないつもりです。


が2025年度中には全線開通するらしいのですが、もう私は運転しませんので直は関係ありません。
もうだいぶ昔になりますが、「この」一部分だけ(ほんとに一部分だけ開通している一部分だけ)運転して取ったことがあります。
山また山の中にぽっかりと、その部分だけ「別世界」がありました。あっという間にそれは終わって元の道に戻ることとなって、青崩れはもちろん通れるでもなく東側のヒョー越えを越えて、静岡県水窪に出ました。
ホントに山の中で「憑かぬ間の別世界」を見たのでした。


いつもの雨音とは違うパキパキというような音です、ほんの短時間だけでしたが。
冷たそうな雨の降る前の時間帯でしたが、FT8の国内局との交信、10MHzでは1000局以上したけれど、7MHzの国内交信がよくわからず、何にもやらないに等しい状態だった。
国内用の出る周波数を教えてもらって、本日手を付けてみました。アンテナは地上高6mH程度です。さすが7MHz、1312ー1415JSTの時間帯で40局できました。10MHzよりもはるかにたくさんの局数ができそうな勢いです。


7で40局の話はしましたが、夜にはさらに16局を+でした。
あまり多過ぎるのはよくないかもしれませんね。
いくらたくさんの局と交信できても、頭打ちというのか、そういう時期も来てしまいます。
10で似たような、そういう経験をしました。
それでも7の方が10よりは長持ちはするだろうとは思いますが。


というか、疑わしい人に対する確かめ方。
干支(えと、カンシ)は何か、これを聴くとばればれということが多いそうですが、干支の干と支の両方はわからない人が多いでしょうから、干支の支の方、十二支ですね、これを聴きます。
私は丑年で干支だと己丑になります。己の年は10年に1回、丑年は12年に1回ですから、己丑の年は60年に1回です。


花柄などの絵が描かれた昔の小便器が出ていました。こういうもので用を足す時、ちょっと心が引き締まりますね。絵の描かれたこれら小便器はもちろんですが、普通の真っ白い小便器も急速に住宅設備から消えて行く運命のようですね。
私もこういう文様が描かれた小便器は滅多に出会ったことはありませんが、たま〜に遭遇しました。市内の歯科医院にあったこと(使ったこと)を記憶しています。歯科医院の隣が瀬戸物屋さんでしたから、こういうものも設置されやすかったのか。
倶楽部の忘年会の賞品にこの瀬戸物屋(違う瀬戸物屋かも)で「招き猫」を買っていきました。私がロールコール年間最多参加者だったので、一年間ロールコールの司会者(キー局)を務めた年の暮だったのです。
この年「招き猫」受賞者ですが、今はすでにサイレントキーですが、喜んでくれましたね。


夏8月でしたがですが暑いです。ベトナムでは6月ごろが一番暑いと聞きました。11月ごろが一番過ごしやすいようです。
朝早く目が覚めてしまって、まだ暗い街を散歩しました。けっこう私と同じような人が多くて、散歩しています。ようやく明るくなると朝ごはんの麺の露店が出ています。朝は家では食べないという習慣は中国からの影響かもしれません。昼間は町から人がいなくはなりませんが、少なくなります。
日本の農村でも近年は早朝に働く、農作業は昼間やったら死んでしまう(事実近くでもそういう人がいます)、という水稲栽培となります。暑いとカメムシが大量発生します。カメムシに全部喰われてしまう、ということはなさそうですので防除はやらないです。タニシはまだ暑くならない前の対策をとらないと壊滅的な被害を被ります。運よく稲を食べないで雑草を食べてくれた、ということもあるのですが、まあそう言うことに期待はほとんどできません。稲がある程度育ってしまえば稲をあまり食べないようですが、夏の夕方にはタニシ取りもやります。


見たい、見せたい、TD何んとかもいいでしょうが、やはり本物を見せたい。作り物よりはどうしても地味になりますが、本物を見ることによってじんわりと長〜く効能があると思います。
自らが遊ぶのであって、何かに遊ばれてしまっていては困ります。遊ばされることは避けられませんが、それはただの操り人形であって生命というものを与えられた人間のすることではありません。
遊びも高度化するとなかなか自分が主体になるよりもメカやエレクロロクスに遊ばれているように感じます。


は自動ドアではないから、客が手動で閉める。私はほとんど乗らない。パリにはいくつか丘があるから、こういう丘に登るときはタクシーがおすすめ。
トイレに便座が無いこともある。管理のよい場所はそうではない。が、便座が、な、ない、と驚かされる確率は高いようだ。お店や博物館などは大丈夫。モンマルトル墓地のトルコ式水洗トイレが興味深かった。
メトロ(地下鉄)にはエスカレータがない。階段のみと思っていた方がよい。だけれどスリ(というよりひったくり)は多い。あるメトロ駅では日本人向けに「すり防止放送」を流している。ドアも手動のが多い。慣れればどうということはない。
日本がフツーだと思っていてはいけない。また、そういう異文化を楽しまなくては海外旅行に行った甲斐がない。
それにしても今の為替レートでは海外旅行には行けないねえ。


ひねくれ者の私はどうも苦手な花だ。というか、栽培種の「人工的な蘭」はあんまり親しめない。まあ、内密の事情もあるのだが。
それに引き換え野生種の蘭は嫌いじゃあない。今頃の季節からなのかな、「ねじ花」と言われる、あの花はなかなか可憐で悪くはない。芝生と相性がいいらしく、芝生の中にピンクの花が咲くと見つけやすい。


なかなか新しいお家に入りたがらない、という。警戒してしまって、いやだ、と頑張っている。
野生が十分に残っている。馬なんだがシマウマなんて言うのも野生の度合いが強くて、馬なのだが飼えない野生の動物らしいね。
その点犬や猫は比較的簡単に人に飼われてしまう個体が多いよね。人との共存の歴史が長いからだろうとは思うが、オオカミや大型猫は難しいようだし。


15日から昨日までに270局+αできました。
国内の7MHzだけですので、あまり苦労はしません。ただ、あまり時間はとれません。


あまり狭い視野で見ていたら駄目ですよ。人はそんなに器用な生き物ではありませんから。そう、猿回しの猿じゃあないから。
それに、よい方に変わってくれないといけませんから。ある種の「教育」をするとすぐに人は変わってしまうみたいですよ。私は直接の経験がないのですが。


いやいやいや、与謝蕪村は俳人だろうに。それとともに文人画の画家、ということだろう?
ソウイウことではなくて、俳人と画家のどちらで「飯を食ってたの?」です。彼が遺した手紙を読むと、画家が収入源のほとんどのように見えます。俳人として確かに著名ですが、俳人は金にならない、けっこう持ち出しもあるし、まあ、こちらの方で後世に名は遺した、のではあるけれども。


という便利なものが登場したのは、そう、もう50年くらい前のことか。
ただ、糊なのではあるが、ぴたっと貼り付いてしまう糊ではないので、それが貼ったりはがしたりと、便利に使える糊なのだった。
ただ、いや、ただただ、本の余白に「申し訳ない」という控えめな感じで「仮に」「一時的に」貼らせてもらうものだった。
最近、この「乱用」「別の方法の方がいいのではないかな」「ちょっとそれは貼りすぎ」「あえて言わせてもらえば逆効果」というような乱用も目立ってきたのではないかと思ってはいた。
紙をめくるのに指を嘗めてめくる、本のページを繰っていくときに舐めてなめてめくっていく人、こういう方は今は皆無に近いが、これも嫌な見たくはない習慣だった。なお、メクールという指先に付けて紙をめくるのに使うクリーム?もあったが。まあ、唾付けはご勘弁を願いたい。


女子大には中高の付属高校・中学がありますが、その女子大には進学(内部神学)しないで、他の大学へ進む場合も多いです。
女子大には進まないで、他の大学に当然試験を受けて合格して、進学してきます。
まあ近年はこういう進学の仕方、つまり内部進学はしないで、共学のおそらくもっと難易度の高い大学にいこうという生徒が一定程度います。これは昔からそうでした。近年はこういう傾向がさらにはっきりしてきて、大学側も中高は維持するけれど(人気がないため定員を大幅に割ってしまう)大学は閉校するという場合が多くなってきました。
昔は女子は4年生よりも短大の方が人気があって、倍率も高かったのですが、今現在短大は完全にその立ち位置や役割も終え、人気もないに等しい状態です。
こういう短大全盛期にも4年制へ進む女子も数は多くはなかったかもしれませんが、当たり前にいました。ただし理科系分野などはまだまだ少なかったのです。今も多少はそういう傾向も残ってはいるようです。
当たり前のことを書いていますので、つまらないことを書いているなあとお思いでしょうが、世の中の変化や傾向というようなものはなぜだか、よく見て見ないとわかりにくい部分(人間本来の保守的傾向があるため)もありますので、くどくど書いてみました。


国立は春にやるんだったね。五月病なんていうものも一緒に報道されていたような記憶も。
私らは秋11月だった。だから案外寒い場合もあった。休みの日だったからだろうか、朝の電車が空いていた。キャンパスも清々しかった。
まあまあ適度に人も来てくれたが、あんまりそういう記憶はない。むしろ仲間内で楽しんでいた。狭い敷地だったが、割合余裕はあった。


他大学の文化祭に行ったことがないわけではない。中でも女子大の文化祭には行ったことがある。だが、その中身はほとんど覚えてはいない。まあ一人ではちょっと、という友人の付き添いに行ってやった、というところであった。
農大にはなぜか私一人で行った。多少の今日ももあり、比較的下宿に近かったからだろうか。意外に狭い校地だったような気がした。まあ実習農場のような墓所も別にはあるのだろうが。さて会場では「豚の丸焼き」をやっていて、その光景は類のないものだったからか、よく憶えている。校舎内の展示も見たはずだが、まったく覚えてはいない。
私の学生時代は70年安保の時代だったので、若干他の大学に入るにはしにくい時代だった。


どんどん悪化傾向が強まりました。PCが止まって(停まって、の方かな)てしまうのですから、どうしようもありません。
ソフトの操作ミスと表示されますが、私にはちんぷんかんぷん。どうもそうではなくて、もっと「原始的な」トラブルではと思い、コアを入れてみようと思いました。しかし、コアでは駄目のようです。
はてはてはて?と思ったのは、さらに「原始的な」接触不良ではないか。どうもそのようでした。USBケーブルのコネクターが、どうもおかしいようでした。PCと無線機を結ぶケーブルが用をなさない状態のように思えました。
まあ、自分ではどうしようもなく、手段はただ一つ新しいUSBケーブルを買うことです。長いのを、ね。


多少は価格が上がるだろうけれど(だからといって真面目に期待する馬鹿はいない)、生産者米価の段階ではさほどのもうけはないよ。
今までは赤字経営が長く続いてきたけれど、多少は利益になる部分が出るのかな、という淡い期待は持たせてもらうにしても、現実は儲かるわけがないので、農業従事者の高齢化もあって、ますます農家は少なくなりますよ。
田畑で働く人間は生身の年寄ばかりだしね。若者が希望を膨らませてやるような仕事じゃあないよ。


新年度が近づいた割にはぐだぐだしている私である。
本日、どさっと大量のQSLカードが届いた。久しぶりである、これだけ多く届いたのは。いやこれだけの量は初めてかもしれない。
たぶん私がすでに送ってあるFT8の国内の分だろう。すべてJARL経由で発送済みだから、送ってもらったものをチェックするだけでいいのだが、大量でもあるので少し考え込む。どうしよう。
大部分が昨年の春ごろ交信のFT8のもの(ほとんど4月分)でしたが、一部に数年前のDXからのSSBやRTTYのカードもありました。
次回もまだまだ来るのだな、ありがたく頂きます。


たくさんあり過ぎるとなかなかたいへんです、カード交換。
とはいえ、交信のしっぱなしというのもよくはないのでしょう。昔から海外とのカードの交換は問題、というか、大変なことが多かったのですが。
国内の方は今のところ、それなりに何とかなっているようですが、従来とは違う、今の時代に合わせた新たな方法を希望する向きも多くなってきたのでしょうか。
FT8のカードはいままでとは違うような面も案外多くて、送ってもらったカードは、その局の設備、まあリグとアンテナですが、ほぼすべての局が記入してくださっています。これは参考になります。
このことについては、次に書いてみるつもりです。


厳密にカウントしたわけではないですが、印象としてはIC7300は多いです。FT911**も多いです。そんな程度しかわかりません。200W機をPWRを落として、という局もいるにはいますが。私の使うTS590SGは1台も見つかりませんでした。その人気の無さにガクっときました。
アンテナの方はワイヤーアンテナ使用局が多くて驚きました。10wです、とか30Wも、100wは滅多にいなくて、私が思っていた以上にLowパワーの局が多いです。私の10MHz用のフルサイズIVVの8mHなんかは結構レベルが高い方です。もっとも今回は10MHzのカードが多かったからですが。10MHzの使えるHB9CVの局も数局いましたけれど。
まとまりのないコメント、すみません。


はFT8で私の使う(まあ愛用、なんだろうが)無線機ですが、国内から送っていただけたQSLカード(昨日見たカード)には1枚もありませんでした。
ここまではすぐ前に書きましたが、なんと、まだ見てはいなかった(今朝見た)カードにしっかり書かれていました。隣の国から送られてきたカードでしたが。
FT8の運用にはまったくと言っていいほど関係はありませんが、TS590はパネル面をびっしりとスイッチ類が埋め尽くしている、ちょっと見には「怖そうな」リグです。注意して操作しないと間違えます。
まあ、FT8の運用にはパネル面でほとんど操作しないからどうってことはないのですが。


私にもそれらが4校あるわけだが、学校というものに対して「母なる学校」というような感覚・思想・意識・思い入れ・心情・期待・愛情などは持ててはいない。さすがにまったくないわけではないが、かなり希薄であることは確かかと思う。
どの学校にもそれほどいい思い出は無いのだと思う。普通にいいこともあったのだとは思うが、そういうものよりも悪いことの方へ意識が向いてしまうのだ。いわゆるマイナス思考、マイナス指向、マイナス志向だ。
また新学年新学期が始まろうとしている。


って、何だ、と戸惑った。こんな語句は見たこともないし聞いたこともなく、知らない。
たぶんテレビ番組、エンターテインメント、のことだろうと見当をつけてみたが、自分が縁のない分野は正直言ってよくわからない。
内容もよくわからないが、大勢の人たちが何だか騒いでいるような、にぎやかな、つまらないことを笑って明るく軽く楽しくしようというようなことか。そういうものはそういう場やそういう時間からちょっと横に離れるとものすごく暗く、そして泣きたくなるほどの寂しさが満ちるものなのだなあ、たぶん。
どうせなら、人の姿を見ているのではなく、自分が主人公になってしまう、というのはどうだろうか。呟いてみた。


トランプ関税29%、単純に対米貿易が黒字だったから、ということか人口3000人にも満たないこの島に。しかもオーストラリア領なのにもかかわらず、と。
同じオーストラリア領ハード島にもトランプ関税をかけるらしいが、ペンギンはいるらしいが住む人はいないダード島。無人島であるのにどうして徴税が行なわれるのだろうか。ペンギンに払わせるつもりなのだろうか。2本脚であるいているじゃあないか、ということで。
ハード島のSSB14MHzのカードは持っています。
同じくノフォークは7・14・21・28、持ってます。


誤字脱字が増えると思います。ご勘弁を。おまけに文字が小さい設定で、なおのこと見えません。
文字が大きい設定もあるのではないかと思いましたが。
それから関税は輸入者側が納めるものですね。つまり米側が納めるわけです。


程度の問題というのはあるのかなあ。
毎年言っていた**フェア、行く途中にある、あの何とも言いようのない建物。**フェアの会場となっている建物も、十分奇抜な洒落た建物なのだけれども、かの建物は奇抜ではあったけれども、洒落た心地よい建物という感じでは受け取り難かった。あえて言えば、やや気持ちがよくない建造物とも受け取れた。
あくまでの個人的な、あまりにも個人的な思いです。


ではない、ということはもはや常識であると、ほぼ全国民の共通認識と思っていたが、そうではないようだ。こういう風に悪名が付いてしまうと、なかなかそれを覆すのは難しい。
およそ250年間消えてなくならない悪名だ。歴史学的には田沼の政治の本性は明らかで、積極的な政治を推進した有能な官吏であった。田沼が短期間領地とした遠州相良もほど近いこの地域では、そんなことはないとは思うが。
有能であったから反対派からなおのことねたまれたのですよ。


というのが書いてあった。初めの方はトースターの使い方、という書き方だったが、どんどん違う方向に流れていったように思える。
こりゃあ不味いよ、」と明らかにわかるものもあったが、まことしやかに書かれていて、すぐに本気にするのは「まずい」です。
私ですか、トースターの「くせ」をよく理解して、無理のない焼き方をするのがよいです。うちの家族はみんな黒っぽく焼いてしまいます。黒いのは熊色、焦げ茶は狸色、ちょうどいいのは狐色でしょうね。
私は常に狐色ですが、家族は狸色が好きなようで、困ります。
私は焼きが進み過ぎたなと思ったら、ひっくり返して、下側を上にひっくり返します。マーガリンは熱いうちに素早く塗ります。


ことは御理解いただけると思いますが、ですが、長年「低値安定」だった生産者米価(農家が売る場合の米価)は長年「低値安定で」直近の2024年秋の生産者米価も「低値安定」の延長線上にありましたが、ちょっとだけ2024年の生産者米価は上がるには上がったんですね。
おや、今年は少しだけだが高く買ってくれたな、と思ったものです。なぜかな?と訝しくは思いましたが、雀の涙以下のわずかなものですのですぐに忘れました。
今の消費者米価は農家の手を離れた後の、農家はあずかり知らない値上りです。


すぐに米の増産はできない。また、そういうことをする気もないのが、農家の「実際」です。まあ、去年と同じ稲の苗の植え付け面積です。
今から30年以上前にも予想外の冷害で東北地方などで不作になって、タイ米の緊急輸入が行なわれましたが、日本の米作全般にはたいした影響があったわけではありませんでした。米価が急激に日本国内で上がったわけでもありませんでした。地元静岡県も冷害とはほぼ無関係だったのかな。
ともかく何かが「あって」何かが「こういう原因になって」米価が上がったのでしょう。大袈裟に言うとちょっとした「闇ではないような闇」ですね。


いますし、水田の耕作放棄はじわじわ進行していますので、これは米価が上がろうが、はたまた下がろうが、基本的にこの原因の部分は一方的な増加傾向です。農業の担い手は言うまでもなく高齢者です。若い世代からの「補給」は基本ありませんから(こういうケースがあればニュースになるくらい、少ない)当たり前ですが農家は減少しますし、彼らと運命を共にして耕作面積も少なくなります。


もちろん、ない。
自家用に使った車の排気量を順番に並べると、
1000、1300、1400、1000、1300、660、1300、660
となる。車体の大きさも小型なものを選んで使ってきた。
今の標準的な車は3ナンバー車になってしまったが、まったく縁がなかった。家族を載せることが少なくなると軽自動車で十分だったし、しかも2シーターにしてしまい、いったん普通の車にしたが、また再び2シーターの軽自動車に戻って、ここで免許を返納した。
なお、すべてMT車である。
何を言いたいかというと、アメリカの**でかい乗用の自動車はまっぴらごめんだということだ。こういう車は私にとってまったく縁のない車だった。


**品らしい。それに燃料を**喰いするくせに働きは悪いという。
私は日本国内の山道をよく走った。FRよりもFFの方がいいらしいのでそうした。さらには四駆ならもっといいらしいのでそちらに鞍替えもしてみた。
高速で遠距離を走るということは主な用途ではなく、日本の国土はさほど広くはない。アメリカの映画はよく見たが、この国にはやはり大型車が似合うのだということは否定できないようだが、日本ではまったくそれは当てはまらない。
国道150号線の長いトンネルができても、海岸沿いの崖の中腹を走る大崩れの道路の方が好きで、余裕があればもっぱらこちらを多用した。


のために有名人が2LDKの部屋を借りたそうだ。場所は目黒で家賃は50万円だそうだ。
私が東京で一人暮らしをした最初の下宿は4畳で家賃5千円だった。いくら50年以上昔ではあっても上記の有名人の1/100であったのには「泣ける」。
次もまた細かいことは忘れたが、これまた4畳で、支払うお金も似たようなものだった。
4年生になって8畳間になったが、半分は別人の使うスペースだったので、これまた4畳であった。
今も私のシャックは4畳であるが、幸い家賃は払わなくて済んでいる。


私はたまたま家賃の安い場所に住めたが、当時の家賃の相場はもうちょっとだけ高かったと思う。
最初の場所は品川区の隅の隅で目黒区との境界線の際だった。
次は目黒区でちょっと中心部から離れるが、まあいい場所。わけあって家賃が安かった。
3件目は練馬区というやや見方によってはぱっとしない区だったが、まあまあ住みやすい場所だった。日芸のすぐそばだった。


間の方に書いた数字と矛盾するので、改めた。しかし、細かく言えば55年前が正しいのだけれど。


前者はDominicanで、リパブリック、後者はDminicaで、コモンウエルス、だけれども名前は同じドミニカ、でいいのかな。
ダンスホールのtん場が落ちで大事故となったのが前者、でいいのでしょうか?
前者はHI,なかなか交信に苦労した。後者はJ7,18と24がWKDだ、PXがこれだけ違うと別のエンティティーだとわからうが、しばらくすると、え、どっちだっけ?と、またわからなくなりそう。
WARCの方が交信はしやすい、のかな?


ここに書いていることが誤字だらけで申し訳ないし、恥ずかしい。
しかし、いいのだ、と決めたつもりになってしまうと、後で直そう、あとで見直せばいいのだ、としてしまうと、そのままになってしまう。
あまり「ここ」で時間が長引くと「おじゃん」になってしまうこともきにかかり、早々に送信してしまうことになってしまうのだ。
言い訳、弁解が多くなってしまうが、申し訳なし。


落雷についての知識というのも、昔と比較してずいぶん変わりました。昔は樹木の下、樹冠から地表までのある程度の角度内に入っていれば防げる、ということでCQ誌にも載っていたことがあります。いまから30年位前の同誌の基でに、です。
今の教えでは樹木の直下は危ない場所と、教えられています。60年前なんですか、穂高独標における松本深志高校の多数生徒の被雷事故、というか山岳遭難のような、何も遮るもののない場所での落雷の方が怖いものだった。
山はとにかく朝がまだ暗いうちに出発して、なるべく午後に入らないうちに目的地に着くようにする、これが最上の被雷に対する対策だったように思います。


なんかうれしいな、という感じもしてしまうのが「現金の怖さ」だが、それなら最初から税金を減らせよ、こういう部分が何か「作為」を感じる気もする、そう「何か悪〜い感じのする」部分なんだな。
まあ、一国民として物価高は苦しいです。楽しみに使えるお金も少しはあってもいいのかな、とも思うのですよ。


と、政府=内閣のエライ人が言ってました。つまらないですね。


ちなみに私にはアニメ趣味は皆無ですが、あえて言えばバイキンマンが好みでしたね。
バイキンマンがいればこそのアンパンマンかな。はひふへほ〜、です。好敵手が存在してこそヒーローが目立ちます。
私が幼児の頃、あんぱんが好きではなかったそうです、知らんけど。


ここでいう農家は小規模家族経営の農家です。元とは米を売って利益を得るための元です。肥料✚農薬+農業機械諸費用+そもそも水田+人件費+αというところですね。赤字です。とんとんで赤字にならない値段にできるならば、農家の売り渡し米価を上げることです。ですが、できないですいね。
経営を合理化・効率化・機械化・大規模化をより先鋭に行えばいまのままの米価でも農家は利益を出せると思います。ですが、これはたぶん農家の従業者がある程度若くないと無理かな。今の高齢化した農家では無理です。
結論、何をやっても日本の米作は消滅への一本道を進むだけのように見えます。外国から安いコメを買えばいいのではないですか。たぶん政府筋の方々は、まあすべてではないにしても、そう考えているとしか思えません。外国からうまく、大量に買うならば国内で作らなくてもいいようになりますよ。

