アンテナを何とかしたい
何とか14/21MHzの、DXのできるアンテナを再び上げようとしていますが、思うようにはものごとが進みません。気持ちばかりは先に先にと前の方に行くのですが、体の方がまったく追いついていきません。
気持ちの方は先の方へ、とはいってもその内容ははなはだ好き勝手でいい加減なもので、手足を動かしてやっていることの方が現実で確かな部分を固めているのですね。
失敗したからといっても一生懸命にやったことはやったのでしょう?
上位になる道を絶たれたかといって、だからといってあやまる、ましてや土下座するなんて私はおかしいと思う。勝利至上主義は多くの罪を犯かさせている、それも無実の罪を。


6年間ばかり「お休みしていた」214Fですが、再整備中です。
まずは「見てくれ」を何とかしようと、エレメントの表面をきれいにしています。サンドペーパーで磨いていますが、指の力や握力の衰えを感じます。指に力が入らなくなりました。
まあ、アンテナは高く上げてしまいますので、見かけのよさよりは性能さえ出ればいいので、見かけはほどほどにして、エレメントの継ぎ目をはずして、導電グリスを塗りなおしをして、できればトラップの(簡易な)点検もしたいのですがやり方を忘れてしまいました。
CDの昔のバランのケースはアルミの筒でしたが、今は合成樹脂でこれはきれいなままですね。
2007年から2015年までパンザマストの18mHに上げてあったのかな。


本日未明の志太地区はなかなか雷様が派手に宴会をやらかしてくれたようです。でもまあ、富士山頂での雷はこの宴会場の真ん中で座って、雷様の酒の相手をしているようでした。今朝のは隣の部屋でやっている程度でした。
私はかなり雷が近くても平気で寝呆けています。家族の者]からはその鈍感さを呆れられています。度胸がある、と言ってほしいですが。最近は年のせいか眠りが浅く、けっこう気になって起きてしまいます。ですが、今朝も南の方に落ちららしいというときに起きてしまったのですが、またすぐ寝てしまったようでした。


は賞品だそうだ(林先生の言葉教室)。勝者に与えられる月桂冠をめぐって競った古代ギリシアのお話しから。
アスリートではなく選手、という言葉で悪くはなかったのにね。ま、いずれにしても自分がやったこともないしやりもしない種目に熱心になれるなんて、私は心が狭いのかもしれないが、理解できないことが多い。アスリートという言葉だけで言うのだが、賞品がもらえるからなんていうこともどうにも感情移入がしにくい世界だ。
いやいや楽しむことは個人の自由、それ自体他人がどうこう口をはさむことではありません。しかし、個人的に見てわけのわからない納得できないものに疑問くらい口に出しても許されよう。
あまり深く考えないし、興味関心もないので、悪気はないしもちろん邪魔などする気は毛頭ないが、このことは自分自身の確認のためだけに書いているようだ。まったく他意はありません。


広い世間を知らないので、以下、あくまでも最近の私個人の場合に限られることです。
静岡県支部大会には、ここ何年か、弁当というのもお恥ずかしいものですが、自分で容器につめてテキトーにご飯以外のものも合わせて、持っていきます。
本部からお弁当は出ないし(それはそれで何の文句もありませんが)、買ってきていただくのも申し訳ないし、持ち場を離れられないので自分で買いには行けないし行きたくもないので、家から持参するのが一番です。
今はこういうことになっていますが、数十年間にわたって作ってもらった昼食持参の弁当持ちでしたね。その昔は今のような便利なお店も少なかったですしね。


今は20世紀の昔ではなく、21世紀もまもなく1/4終わろうとする今ですよ。ま、政治がスポーツに手を出すなとは言いませんし、そういうことは思ってもみませんが、そういうことは優雅に(=ずるがしこく)やるのが上品というものですよ。
私が言いたいことはただ一つ、勝利至上主義は最悪です。一生懸命やっても得られないものこそが真に尊いのです。薬で欺いた結果はむなしいのではありませんか。むなしくはない?救いようがありませんね。


ある百歳近い方がもう蝉の声はやかましくはない、とのこと。私はまだやかましいと思っている。
昔は蝉も一日中鳴いていたように記憶するが、だってそういう日中に少年だった私は蝉を取りにいったもの。
ところが最近の蝉は日中には鳴かない。鳴くのは朝と夕方のように思う。夏の蝉は暑すぎても鳴かない、鳴けないようだ。
セミの種類も劇的に変化した。少年の頃の「希少種」だったクマゼミが今はゴミになってしまっている。先週くらいまでは猫がハンティングでクマゼミを獲っていていて、その断末魔のぎゃぎゃぎゃが聞こえていたが、今は猫もセミ狩りに飽きたようだ。
昔はクマゼミはめったに獲れず、鳴いている場所も高いので2段つなぎのタモ網という「新兵器」、当然自作であるが、こういうものを駆使して狙ったりしたこともある。


忘れていたけれど、9月や10月の、私たちが楽しみにしているイベントが今年もまた中止になってしまうのか。
あればかりはリモートでは楽しみにくい。気を使いながら人ごみの中に、というのも今の私には無理そうだし、な。


ひどい、ひどすぎる。ワクチンだと思っているわけだ。
みっともない、みっともなさすぎる。
ワクチンだと思っている段階で、もはやアウト。


保護猫の救済に協力しています。なかなか生き物と一緒に暮らすことは責任が重いですが、今回、新しい猫を引き取ることにしました。
10年くらい一緒の先住猫も保護猫ですが、この2匹と同じように引き取った猫です。先住猫も一緒だった猫が昨年死にましたので、その後1年くらい単独で暮らしていましたが、再び別の猫と一緒に暮らさなければならなくなりました。
一番多い時は4匹が同居でしたが、久々に3匹という多頭飼い?になりました。新しいQSLカードを作らなくてはなりませんが、まだ現用のカードがたくさん残っているのです。


netのニュースにあったので私も昔話。
静岡から自宅に帰るとき2回ばかり「六合駅」まで乗っていってしまったことがある。降車駅にはいつもは注意しているのだが、ごくなれに何かに落っこちる、のだろう。
乗り越しではないが、静岡駅のホームで、うっかり「東静岡」、といっても当時は貨物駅?だったが、ここまで「乗り越し}てしまったことがある。私のような**がもう一人いて、その後どうしたんだっけ?忘れた。


若い時には年間100日山の中に入っていたことがありました。今思い出しながら考えてみると一種の「修行」だったのでしょうか。
そういう20代が終わって30代40代も登山は継続していきましたが、体力の衰えは知力の衰えに通じることも自覚できるようになりました。このことに関してはかなり真剣勝負で考えてきたのですね。
私は基本重たい荷物(衣食住一式)をもって幕営をしながら登る登山が好きで、衣食住の付いた登山は好きになれなくて、拘りというか意地を張ってはきたような気がします。意地を張らないと山は危険です。
それから必ず同行者のある登山を心掛けてきたように思います。単独行(一人で登山)はほとんどしませんでした。
以上あくまでも、今は山に登らない私の場合です。


先の話に続く。黒い猫でえらく身体がほっそりしています。外来種の血筋が入った猫でしょうか。動きが活発ですが、一方ではまだ幼いのでころっと寝てしまいます。デレデレはしてきませんが警戒心は少ないようですね。
もう1匹は隠れてしまっていて、なかなか姿を見せませんが、ちょろちょろと出てくることもあって、慣れるにはまあ長い時間がかかるのかな、とも思います。白い部分が多く頭部と尻尾が何やら色がついています。こういう白っぽい猫は白くない部分の毛色が変わることもままあるようです。保護される保護のされ方によっても心に着いた傷の大きさの違いがありますので、生まれながらという部分と、幼い時のトラウマ的なもののそれぞれの違い=個性があるのでしょう。


左手の親指と人差し指の間が痒い。水疱がたくさんできている。昨日は一つだけポツンとあったのだが、今朝はかなりの数の水疱だ。
netで調べると、どうもアンテナのパイプのつなぎ目に塗る導電グリスが原因のようだ。このどういう成分が原因なのかまでは調べられなかった。
昔はふつうにこのグリスを指先で塗っていたのだが、この程度ではここまでひどくはならない。左手と同じように右手も導電グリス(のエレメント内に残っていたもの)がべったりついてしまったのだが、その右手の方は何ともなかった。左手の方はしっかり握っていたので、グリスを肌に塗りこむようになってしまったのかとも思う。
ちなみにグリスはナガラのペネトロクス(今は別の商品名)です。クリエートの半透明のグリスはビニール袋入りで量はたよりないくらいちょっぴり、ミニマルチのはビニール袋にどっさり入っていて、使いきれず余ってしまう分がものすごく多い。


しかも予報円の真ん中を来るとしたら静岡へもど真ん中かかも。
台風になったら10号とされる現在は熱低と、9号の連続だけれど、たぶん10号(仮称)の方が先に来るのだね。
どちらにしても海水温はまだ低いようなので、それほど発達はしないだろうってことを願う。
古語では野分(のわけ、のわき)ですか。源氏物語にも描かれています。


とかなんとか言っている海外の記者がいるけれど、パリのメトロもそんなに悪くはないと思うのだが。そんなに不便な交通機関ではないよ。
フランスのおばあちゃんに、まあマダムに、メトロの車内で席を譲ったことがあるが。いいえあたしは結構よ、ときっぱり断られてしまった。それなりの自由とまた案外厳しい自立があって、私個人は日本のマナーよりもすがすがしい部分を感じた。
サンラザール駅では日本語のアナウンスで「スリに注意」とやっていた。フランス人相手なら「それは自己責任」なのだろうが日本人の観光客にはそれなりに配慮はしているんだね。いいえあたしは結構よ、という気概がないとスリの餌食になるのだ。
冬場の旅行料金の安い時に行くのだが、女性は、そうパリジェンヌはみんな黒っぽいコートを着用、毛皮を着るようなマダムはメトロには乗らない。


9,10,11号がやって来る。平野部ではさほど恐れる必要はないだろうが、山で吹かれりゃよお、若後家さんだよ、黒いアヒルさんたち、ダークダックスも歌っていましたよ。←意味不明な方も?
無理して登るから不測の事態が起こるのですよ。冬は言うまでもないですが、山で一番怖いのは風です。M体質は危ないと思います。Mとは何でしょね。


よってたかってぼこぼこにするのもどうかと思うのだ。これ以前の過去にメダルを噛む映像が盛んに出たことがあった。メダルを手にした方々も噛んだり舐めたりするのは、個人的にはあまりいい光景ではなかったように思う。なぜかというとやや気持ちは複雑だが、まあ簡単に言ってしまうとあまり見たくはないものだった、ということに尽きる。


団体でやって来た、というような感じがしている。団体ではなく個人だったなら多少は救われる気持ちになれるのか?
私個人の感想としては政治の責任ばかりとは言わないが、政治の責任が多くはないのかな?という気はしてしょうがない。
もちろん、その政治の中にはわれわれ一般国民も含まれていることは言うまでもない。我々の国は独裁者の統治する専制国家ではないからね。


いろいろガラクタ、じゃあない猫用の、でもないな、仔猫用のおもちゃがいっぱいです。床にいっぱいですので、仔猫、大喜びで、暴れまわっています。壊れると困るものは別室に避難させてあります。
成猫になればこういう遊びはしなくなります。老猫になれば寝てばかりいます。私は成猫の方が好みです。


30年位前に缶にサラダ油を入れてダミーロードを作った。よほどのことでは燃えない油なのだろうと、思ったのだが。ガソリンだったなら人が死んだだろう。
MFJの製品で油は別に買ってそれを冷却に使うダミーロードの筐体にする缶に入れて、抵抗器を油の中に漬けて(?)ダミーロードを作るということ。


やっと終わったようですね。ご苦労様でした。私はさして苦労はしませんでした。
しかし、五輪と関係したのか関係しなかったのかわかりませんが、デルタによる第五波、先行きは不安です。私はこの「先行き」に苦労、というか、どう動いたらいいのか、というか当惑しております。


バカにされていたのか
卑弥呼が死んだのはおよそ西暦250年くらい。今から1771年前ということになあります。当然今とは何から何まで違う時代です。
中国へは周辺の国々から中国の皇帝へ貢物を捧げ臣従をする朝貢外交が行われていました。
中国の皇帝が周辺国を下に見ていたことは当然のことです。バカにしていたという言葉を広く解釈すればそうなのでしょうが、ちょっとニュアンスおかしくはないですか?
卑弥呼の時代には中国は三国時代、その魏から使者が倭国に派遣されたと考えられます。この使者は「出張」から帰って復命書を書いたのでありましょう。
この復命書の内容が「魏志倭人伝」に引用されていると考えられます。復命書には倭国が野蛮な国であることを中国の基準で書き表しています。卑弥呼については次のように書かれています。誰にも会わず宮殿の奥に住み、呪術によって(神の言葉を聞いたとして)人々を悪しき方向に導いている。
しかし、一方では卑弥呼の立場を支援し、さまざまに援助も行っていました。卑弥呼は親魏倭王という称号が与えられ、金印を賜ったと書かれています。(中断)


CO2の排出削減を、ということなのだけれども、あくまでもこの考え方は仮説ではないのか?
CO2排出削減はもちろん私は反対ではないが、CO2が温暖化の原因だというエビデンスはあるのか?あるとすればそれはどういうものなのか?CO2の増加が温暖化の明らかな原因だということの、シロートにもわかる説明が欲しい。
世の中に流布している説明ではCO2の増加と温暖化の相関関係はわかるが、因果関係はわからないのではないか。少なくとも私にはわからない。


3世紀=西暦201〜300年の100年間ということでうかね。弥生時代の後期ということです。
今は21世紀の日本、2021年の夏です。日本の夏は雑草との戦いです。あっという間に雑草は成長します。混合ガソリンで動かす空冷の20tちょっとのエンジンで回す草刈り機で刈ったとしても、すぐ元の状態に戻ってしまいます。除草剤で茶色に雑草を枯らしてもすぐまた同じ雑草が生えてきます。
魏志倭人伝にはおもしろい記述があります。先に立って案内してくれる人がすぐに(行く手を遮る草のために)見えなくなってしまう、と魏の国からやって来た使者=役人は書き残しています。たぶん中国ではこのような植物の繁茂によって道路が覆われてしまうことは珍しかったのでしょう。
都市のコンクリートやアスファルトで覆われて舗装されたとしても、日本の自然はまだまだ邪馬台国の時代とさして変わってはいないと思うのです。すぐ近くにも耕作放棄の田がありますが、人の背よりも高い草木が生い茂っています。(続く、かも)


和人と書くと穏やかな人というような意味でもっと後の時代の表記法でしょう。
倭人の倭とは人偏の文字ですが、どういう人間かというと、倭人、小さくねじ曲がったような小人、というような意味でしょう。まあ、かなりの差別的で罵りの語でしょうか。
中国の中華思想は周辺の民族を東夷・西戎・南蛮・北荻(萩の腐冠のない漢字)と呼び、彼らを野蛮人・獣に近い人々と読んでいます。
邪馬台国とか卑弥呼という言葉に充てられている漢字も見てください。かなり品のない表記とは思いませんか?


魏志倭人伝に記されている国名で、邪馬台国に敵対していた国です。クヌ国と読みますが、かなりの悪意の込められた国名ですね。
魏の友好国の邪馬台国ですらひどい漢字で表記されていますから、その邪馬台国に敵対する狗奴国はさらにひどい文字が使われています。
狗奴国はどこか?邪馬台国すら場所が明確にはわかりませんので、狗奴国はもっとわかりません。A九州南部という説とB関東・東国説に一応分かれているのかな。
邪馬台国については江戸時代から学者の間で論争(邪馬台国論争)があって、概略@九州説とA畿内説に分かれます。魏志倭人伝を読むだけでは何とも結論は出ません。考古学的な面からはA畿内説が有力だったとは思いますが、@九州説も捨てがたい、というところでしょうか。


ではあるが、そのことはあまり意識しない。でもまあ、階段から落ちるとか、風呂場での事故とか、毎日のことでうっかりするのでしょう。飲み屋の非常階段からダイビングした方もいるし。
これらに比べれば、山の中はもっともっと危険だ、と考えるのが普通だと思う。だが、危険だということのほとんどは現場に行けば誰でもすぐに理解できる。
状況の変化というものへの対処については頭を使わないと無理だ。身体能力は普通でいいと思うが、状況判断できる力がかなり必要だ。サバイバルというとややキツメの言葉になるが、一通りこういう分野も勉強したい。
単独で登山というのは登山する場合、かなり異常な状況だということは理解したうえで単独行動をしよう。この場合、かなりの能力の高さが求められる。だが、致命的なミスを犯した場合はすぐさま命にかかわる。


1週間以上経過してようやく回復したようです。こういう面でも年を取ったから治りが遅いのかなあと愚痴が入ります。皮膚科には行かず、効いたかどうかわかりませんが、虫刺され用ではない痒み止めを3日間くらい塗っただけです。


今はないのかもしれないが、にもかかわらず使うことにする。
この地区にも感染者が増加してきている。その理由は感染力の強い「株」というのでしたか、そういう型のウイルスだからでしょうか。
この私の疑問に答えてくれるような報道を見ませんが、首都圏での感染の過半数は感染力の強いΔデルタらしいので、志太地区でもそうなのだろうと推察される。λラムダも入ってきているといわれる。
志太地区という言葉は使えないのかもしれないが、使える正しい情報を、手短に、適切に、出していただければ、こちらとしても、素早く適切に対処ができると思う者なのだが。


と思ったが、すぐに水が引いてエンジンも始動できて、しっかり家まで帰ってくることもできた。
水没したかと思った場所
旧大井川町文化会館ミュージコすぐ西側の駐車場、一気に降雨があって排水が追い付かない状態だったか。見て、焦ったが〜。
水没したと思った車種
ホンダビート、改造なしの車高が低くはなっていないもの。幌なのでこちらからの雨漏りはまあまあある。
後から考えたこと
短時間だったからよかったのか。案外エンジンが上の方にあったのか。最新の車種とは異なり、ECUはあったのだが、その他の電子的な装置はなかったからか。小さな車体というだけが欠点と言えば欠点だが、その他は申し分なかった。運転感覚も私の所有したものの中ではもっともよかった。


乗ろう、と思う。まあ、自動車がよく通る通りは避けよう。自転車が危ない、と自動車の運転手は思うだろうが、やはり危ないのはあなただよ、と言いたい。ぶつかられると困るのだけれど。
自転車で危ない運転をしているのは、私の場合、それほど多くは見ない。自転車が自動車よりも安全なのは、特殊な自転車以外には自転車は速度がそれほど出せない。
ただ、一時停止違反は常態化して自転車に乗っている方がいて、これはこわい。横断する道路のほとんどすべてが「一時停止」だと嫌になってしまうだろう。ならば広くて優先道路になっている道路を通ればいいのだろうが、自転車通行帯が案外出来が悪く、自転車に乗らないような人が造ったものだな、本気を出して作ってはいないな、ということがバレてしまっている。歩道が広い場合は自転車通行帯を「歩道」の一部を区画することによって設けて欲しいのがホンネだ。
あ、それから、横断歩道で待っていればほぼ自動車側が一時停止してくれるのはありがたい。昔は当たり前なのだからということで挨拶なしですましていたが、最近は必ず手で「ごめんね」と気持ちを表す。が、片手離してこけたりしたらまずいので、手はハンドルに置いたままだ。ごめんね。


乗ろう、と思う。まあ、自動車がよく通る通りは避けよう。自転車が危ない、と自動車の運転手は思うだろうが、やはり危ないのはあなただよ、と言いたい。ぶつかられると困るのだけれど。
自転車で危ない運転をしているのは、私の場合、それほど多くは見ない。自転車が自動車よりも安全なのは、特殊な自転車以外には自転車は速度がそれほど出せない。
ただ、一時停止違反は常態化して自転車に乗っている方がいて、これはこわい。横断する道路のほとんどすべてが「一時停止」だと嫌になってしまうだろう。ならば広くて優先道路になっている道路を通ればいいのだろうが、自転車通行帯が案外出来が悪く、自転車に乗らないような人が造ったものだな、本気を出して作ってはいないな、ということがバレてしまっている。歩道が広い場合は自転車通行帯を「歩道」の一部を区画することによって設けて欲しいのがホンネだ。
あ、それから、横断歩道で待っていればほぼ自動車側が一時停止してくれるのはありがたい。昔は当たり前なのだからということで挨拶なしですましていたが、最近は必ず手で「ごめんね」と気持ちを表す。が、片手離してこけたりしたらまずいので、手はハンドルに置いたままだ。ごめんね。


ワクチンの害???
ワクチンが感染の源とか、ワクチンによって麻痺が起こるとか、不妊の原因ということのようですが、ワクチン製造会社の出した文書の読み間違いから、こういうことが始まった、ということのようですね。
ワクチンにはジェンナーの牛痘、すなわち種痘ワクチン、天然痘ワクチン以来の長い歴史があるのですが、こういうことに対して全くの知識なしですか?
今の同じ地球上に200年くらい前と同じような人がいるのですね。まあ、いるんでしょうね。ジェンナー以来の古いタイプのワクチンとは異なる新しいタイプのワクチンだから、ということでこういうことを言うのでしょうか。そうでもないでしょうね。
ともかくものすごい歴史の逆行に、歴史学というものを少し齧った私は開いた口がふさがりません。
それでもワクチンはなかなか理解はしにくいものでもあるのです。実績から少しづつ理解が進んで行くよりほかに道はないのかもしれませんね。情けないことなのだとは思うけれど。
ちなみに私も接種した左腕が痛いのですが、麻痺しているわけではありません。まあ、適度な保守性と進歩性の程よいバランスで進むしか他に道はないのですね。思い切りのよさそうな過激な考え方はいかがなものでしょうか。
だから、ワクチンを打ったのだ(この「打った」でいいのかな)という気持ちさえする。山にも登ってみたいのだが、冷静に=科学的に、考えて、これはかなり困難な道だ。
コロナ禍さえ過ぎ去れば海外旅行は可能であろうし、こういう希望は生きていく希望にもなりうる。コロナにそのまま屈服することは御免被りたいかなという気持ちがふつふつと。


さっぱり読めなかった。つまりその日本語を読んでも書いてあることの意味が分からなかった。だから、私は悪くない、書いた人が悪い、という人をたまに見るが、私はこういうものの言い方だけはしたくはない。なぜかって?だって、これは最高に恥ずかしいことではないか。本が読み手を選ぶのであった、その逆ではないのだから。


去年の10月に接種したインフルエンザのものと比べるコロナワクチンの1回目もほぼ同じで、現在48時間後ですが痛みはなくなっています。お酒も気にしないで昨晩もその前の晩もおいしく頂きましたよ。悪いと書いてなかったと思うけれど、最近目が悪いから書いてあっても見つけられないこともあるけれど。←居直りするつもりなし。


ということはない、という考え方に賛成したい。
学問とは狭い専門家だけの占有物・独占物ではない。狭い専門家であるがゆえに狭い視野からだけの偏っただけのものの見方なると思う(例外的に広い視野の学者もいるが)。
そもそも考古学という方法論の原則に立てば、土偶が何かということのどこのどういう部分がわかるのか。もちろん考古学が土偶という遺物を扱う部分はあるだろうが、考古学だけで土偶を独占するのは間違いだ。
学会や研究者の世界にはこういう閉鎖的な傾向がある。まあ一種の商売であり職業であるから寡占状態、さらに(まあ無理だが)独占状態になればこの商売は思いのままだ。中世のギルドみたいなものである。
土偶、こういうわけのわからないものに狭い専門知識は無力だと思う。が、逆に専門知識の大きな力というものも当然私は尊ぶ。私の学友にも考古学を専門とした者はいる。


走行妨害の観客を訴えず、というニュース。
もし仮にという話で言うならば、日本で同様な事故が起こった場合は、とある場所ではかなりの避難中傷、悪口雑言罵詈讒謗が渦巻きそうな気もする。
が、この自転車競技の主催者は訴えないようだ。罪はない、というわけではないとは思うが、訴えようとはしないということはなぜなのだろうか。
勝手に想像するのだけれど、こういう事故は想定内ということなのかもしれない。これだけ開かれたガードなしの競技において、完璧にトラブルなしでやり遂げることの不可能を理解しているのかもしれないとも思った。たぶん選手も観客も両方が危険を納得しているのだろう。
日本国内で山岳事故山岳遭難が起こると、登山に対して否定的なコメントがあふれかえるが、登山者は事故を起こしたくて起こしたわけではなく、無責任に登山をしているわけではないので事情が分からないのに一方的に見当違いな発言はどうなのかな、といつも思う。


無線が趣味などというと(まあ、めったに言わないが)何となく違和感を感じることもあったりする。最近はないから、昔はあった、の方がいいのかな。
写真が趣味というと、場合によっては変な趣味に通じているのか、と疑われることはなかったけれども、ある種写真を撮るということがマイナスイメージになって来た。
また、場合によっては何を勘違いしているのか、さんざん人に迷惑をかけているマニアさんもいるらしい。
暗室まで作って熱心に写真を楽しんでいたが、今はまったく写真に趣味はない。このように昔は熱心だったが今は完全に手を切ったよ、という趣味が私には多い。このことは案外私の考え方や行動が適切だったことを示しているもかもしれない。
見当違いのことを言うようだが、こういう趣味、道楽、見方によっては奢侈・浪費は日本国内ではよくは見られないことも案外あるようだ。
ただ、悪い趣味、犯罪そのものだったり不道徳な趣味、はた迷惑な趣味というものは嫌われて当然ではないかとも思う。中には何を勘違いしたか一流の人間だといいたいような人まで出てきて、他人のことながら自分も何か恥ずかしくなってしまうような人もいたりする。
生きがいというものは人間という厄介な=複雑な=見方によっては高度な、そういう動物にはなくてはならないことなのかもしれない。困ったことではあるし、やめた方がいいとは思うのだが、そうもいかない。迷惑となるものは排除すべきとは思うけれどね、なかなかそうもいかない。


ファイザーのmRNAワクチンの効果は安心できるもののようです。デルタ株=旧称インド株にも有効のようです。新しい株などにより状況は変化するようですが、今現在の選択としてはファイザーやモデルナのワクチンの接種は最善の選択のように思えます。
さらに期待を持たせてくれる情報としては、今後何年間か有効となる場合も期待できるようです。
なお、中国製のものは(以下、私の言い方ですが)接種しても無意味のように思います。まあ、ほとんどの肩には関係はないでしょうが。
9月の県支部大会や10月のハムフェアに希望が持てるようになってきたのでしょうか。それならばいいのだけれど。


ただし高洲・大洲地区を除く、ということのようです。
昔だったなら水害を最も恐れなければならない地区が、今は藤枝市内でもっとも安全な地区となっています。
大洲・高洲地区には今でも水害に備えた舟形屋敷・三角屋敷というものが残っています。と同時に冬の北西風に備えた屋敷森や槙の地の囲いのあるお宅もあります。
リニアが通って大井川の流水量が少なくなれば、大洲・高洲地区はさらに「安全な」地区になりますが、人の住めない砂漠のような地区になってしまうかもしれません。hi


とんでもない誤った情報が跋扈している(=好き勝手に飛び交っている)。
それの影響を受けてワクチンの接種をためらう人がいるという。若者に多いとも言われているのか。若者が情報弱者とは思ってはいなかったのだが、これはどうしたことなのだろうか。理解に苦しむ「若者ではない私」である。一般的に若者の方が情報社会に適応度が高いのではないのか。
私の感じたこのことは、情報の脊髄反射ではないのか、よく内容(すなわち文章)をよく読まないからなのではないか。あるいは私も目が悪くなってきたから可能性は多いが、読んでも正確に内容が理解できないのではないか。専門的な文章は案外そのままでは難しい。素人にもわかりやすく、かつ正確に書くには丁寧に言葉を選びながら書かなければ読めない人が多いようで、さらに付け加えて最初から虚心坦懐で読む気のない人、思い込みだけで読む人にはわからないのではないのか。
情報は形式的な伝達さえ行なわれればそれで伝わったわけではなく、理解されないまま、あるいは情報が変形しまくって「伝わっていく」のではないのか。ま、簡単に言うと「悪夢」だと思う。


マダニの媒介する病気(メモしておかなかったので病名を忘れましたが、それよりもマダニの方で注意喚起が有効か←いいわけ)が静岡県でも発生。
猫や犬にも感染して、人間よりも死亡率が高い。ま、人間はマダニに噛まれて痛いとか痒いとか、あれ熱が出てきたぞ、体調が悪いなあ、あれっこの虫は何だ、などと知恵があるから犬猫にまさるのでしょうか。
九州四国のマダニが静岡でもということは温暖化であろう、ということと、野生動物の熊鹿やイノシシが人里に出没するようになって、人間の生活圏にマダニを運んできたとも考えられるようです。


というけれど、見ていてV字ではないなあと思えてしょうがない。あえて言えば「逆への字型」ではないのかなあ、と心の中で呟いた。
DPもバランや同軸ケーブルの重さで、この逆への字型になってしまいやすい。逆に逆Vアンテナは、開く角度を90度以下にするとインピーダンスがうまく調整できているとは言いにくく、開いた角度が120度くらいがちょうど50Ωに合い、具合がいいので、私もこれくらいの角度で立てて何年か使ったが、これまた逆ではなくただの「への字型」ではないか。
というわけで私はある印刷物でインヴァーテッドV→逆V→IVVと表記するのを見つけ、以来このIVVという呼び方が気に入って使っている。もっとも今はないんだが。


土石流の方がいいのかな、これからも日本全国いろいろな場所で起こりうることでしょう。私が思うのが50年くらい前の静岡七夕豪雨ですね。
静岡清水を中心とした大規模な災害ですが、周辺の藤枝でも印象的な災害でした。
少し見当違いな私の思いですが、これからは人口も次第に減少していくだろうし、傾斜地やその近くから離れて平野部にお住まいを定められてはいかがでしょうか。
別の言い方をしますと都市の近郊、周縁部で暮らされたら如何かなあと愚考いたします。私だったらこういう場所の中古住宅などが入手しやすくお勧めの物件かと存じます。
固定資産税は若干多めなのかもしれませんが、甘いかもしれませんが庶民の私でも何とかなりそうです。アンテナも不自由しないで貼れそうです。
傾斜地は反対側には電波は飛びにくいのでは、志太平野のほぼ中央、私のQTHなどいい場所なのかもしれません。←その割には有効利用がなされてはいませんが。hi


おととしあたりから焼酎を炭酸水で割るものを嗜んでいます。焼酎はもうかなり前から愛飲の酒ですが、炭酸水で割る「ハイボール」が好みです。ウィスキーを炭酸水で割るのが本来のハイボールでしょうが。
今年はビールは全く飲ます、これも我慢しているのではなくビールがさほどおいしいとは思えなくなってしまい、一度飲んでは見たものの「なんだこの苦いのは」と思ったのでした。
炭酸水を入手するには重くて嫌になるのですが、今は簡単に「*御用聞き」で入手出来てしまいます。焼酎は紙パック(たまにはガラス瓶のも飲みます〜)なのでごみ処理も楽です。*いうまでもなく通販です。
最近私は昔とは飲食の好みががらりと変化、人生長くなれば体質や思想、当然食の好みも変わって当たり前です。
ですが、変わらないのもあるのです。


もしあったなら、そのある人はあるというわけがない。あるとしゃべっちゃたその瞬間にその能力を失う。普通の人間だったならたぶんこういうパターンでその能力を失う。
私ですか?そんなもの、あるわけがないではありませんか。hihihi。
短波帯の電波で世界中との交信も、なかなかそう自由自在にはできないものですよ。11年周期のサイクルもなかなか思うに任せません。
近年は何とか時間が多少は自由になりましたが、2021年の今年は私個人を取り巻く状況がややめぐり合わせがよくなく、もう少し先にならないと難しそうです。いえいえ世間様は無関係です。極めて狭い身の回りの事情によるものです。まあ、欲張らないで、かといって諦めないで、真っすぐとはいきませんが前の方には進みたいですね。


世間にはいろいろ「えっ」って思うことも多いけれど、判断したくても十分な情報が出てこないから、それ以上に何とも言えないことも多い。
まあ、これと離れて天気のことだが、梅雨時のこととはいえ天気予報がはずれてばかりで困っている。
晴れなくてもいいので雨さえ降らなければやりたいこととかがあるのに、雨が降るようだからと思い計画を中止とすれば降らなかったり、というケースが最近連日続いた。連日続くと、さすがにれれれと思ってしまうし、様々な面に影響していく。
頭だけを働かせてもいけないようだし、できれば身体の方の働かせたいのだが、思うようにいかない。頭も働かなくなってしまったら、どうする? 何日かかけて英語の入門書(英会話の〜、ではない)を一通り読んでしまったが、なかなか通り一遍の読書ではいけない。


すごい歩く、ということなのでしょうが、私は9年前かな、この年は月に500qくらいは歩いていた。まあ、通勤ですから、それこそ雨の日も風の日も歩きますので、これくらいになってしまいます。
今ですか?もっぱら自転車ですから短時間で長い距離を稼ぎますね。とはいえ毎日ではありませんから、どの程度かな、歩くのと自転車は違うと思うのでわからないですね。


そりゃあ、ほとんどすべて独学だと思う。その元は学校の授業などの学習なのだろうが、元だけでは多分駄目なのだろう。
あまりにも狭い専門分野ではかなりの能力のある人はともかく、フツーの人だったなら駄目でしょう。
独学は誰でもやっていることだと思うのですが、違うのかな?英会話学校などに行ってもそれだけで英会話なんてできるようにはならないでしょう。独学とは言わないだろうけれど、センセーの教えてくれたことだけでは何にもならないではないでしょうか。応用を鷹揚にやらなければだめですね。
試験勉強もある種独学なのでしょう。ただし発明とか新発見ではないのですから、試験の場合は試験問題の攻略ですから、となれば過去問の攻略+αですね。+αの部分は過去問だけでは攻略負荷の部分です。
試験問題の場合は度胸、落ち着き、ふてぶてしさ、準備してきたことへの自信、案外65点取れれば合格(1アマの学科試験の場合)なんだというような現実主義が有効かもしれません。
私もアドミッタンスはわかったけれど、この逆?何だっけ、これが結局わからないまま受験しましたね。←細部いい加減SRI


だったか?
久々の晴天で、やらなければならないことがいっぱいありました。いっぱいあった嬉しさに大喜びして働きすぎ。午後に入るとぐてっとしてしまいましたが、再び起き上がり、あれこれ。←かなり主観的な思い込みが含まれています。


あっても、私は瞬間的には、つい「ろうほ」と読んでしまう。もちろん「しにせ」と読むのが正しいし、読むのにある程度の時間の余裕(もちろん1〜2秒で十分)のある、たとえば試験問題などには正しく答えられる。
なぜなのだろう、と考えてしまうのだが、たぶん私は老舗というものを特別視していなくて、それほど尊んではいないのだと思う。ただの古いだけの、ただそれだけの店ではないか、というような気持ちや感情が強いのだと思う。たぶん何かそういうトラウマがあるのだろう。
権威というものに無条件には信頼の気持ちを持たないようにしているのかもしれないが、でもさほど激しく反発する方でもないとも思っている。
素直に「しにせ」と読めないことは案外いいことなのかもしれない。そう簡単に自分自身を悪く思う必要もないのだ。


アドミッタンスというのが、というよりもこの計算問題がよく解けなくて困ったんだった。インピーダンスはわかります。工学は計算というものがわからない=できないと65点以上が難しそうでしたね。


ということなのでしょうか?
私はへそ曲がりの根性の腐った人間で、オリンピックのような大勢の人が楽しみにしているようなものが好きにはなれませんでした。順位というものを争うこと、よい順位でなければ価値がないという考え方には、ここまで貧しい考え方はどうしても好きにはなれませんでした。
ですが、オリンピックもいずれはなくなってしまうような馬鹿げたものであっても、今の世界ではそれなりに高い価値が置かれているものです。私のように価値がないと思う者もいればそうではない大勢の人がいることは確かなことでしょう。
さて、各論ですが、熱海の災害とそこからの復興の問題と静岡県に関わる自転車競技の問題が、わざとらしく並べて書かれている文章を見ると、並べてはいけない2つ、性格の異なる2つを無理くりならべてあり、このことに**の出るような気持ちがしました。ひどい。平気でこういうことを書けてしまう人間の情というものを疑いたくなりました。


私も長年人間をやってきまして、人間観察の経験はかなり積み重ねて、今その結果が出てきているようです。と、勝手に思っているだけですが。
ただ何かに役立つような、自分の利益になりそうな、そんなことには役に立ってはいません。
人相のよくない方というのが人相だけがよくないわけではない、ということがわかるようになってきました。今の時代のことであるので、その人相の悪い人が誰かということは申し上げにくいのですが、私の「勘」の的中率は驚異的に高いです。目は口ほどにものを言い。
まあ、今の時代、政治的にはわれわれは恵まれない不幸な時代にいるようです。


八ヶ岳連峰の主峰・赤岳
3回登りましたが、個人的には申し訳ないが(というか好き嫌いはあって当然だが)「八つ」は好きではない。だが嫌いというわけではない。いいところも多い山だとは思う。
なぜならば、そう好きではない私ですら3回、いや今思い出したが4回か、という具合に登ってしまう山だから、好まれる特徴はたくさんある山だろう。
学生時代「八つ」が好きで「通う」くらい好きだと公言する「ヤツ」がいて、よく半分冗談に会話を楽しんだ。懐かしい。
東京からほどほどに近く、登山者のレベルに応じてさまざまなコースがあるいい山なんだという。
私は、すぐに主稜線まで登れてしまう(つまらない)面白くない山だと思っていた。それなりに裾野は長いが奥深い山ではない。
わが地元の?南アルプスの奥深さ、1日では主稜線にはたどり着けない奥深い山々とは比べるのも次元が違うのであった。
まあ、こうしてああだこうだ言い合えるのも登山というものの面白さであった。私はもう山には登らないが、いまだに山のことは生きることの一部にはなっているような気はするが、山と心中するはない。。


まだ非公式ですが、保護猫を引き取るという話が進みそうです。また、続報します。


我が家に来るようです。うむむむ。詳しくはまた後日。
保護猫*とは昔の言葉でいう捨て猫のことです。私も保護猫養育の活動には間接的には支援してはおりますが(語尾を濁す)。


河川名や都市名、地方の名称などがカタカナで表記されているが、ドイツ語の発音ではなく英語の発音になっていたりで、読みにくい。今は基本現地の発音で表記するはずなのだが、このへんがまだまだいい加減であるか。
DXCCの読み方などもWのアワードなものだから英語読みで通してしまおうとすればそうなるのだろうが、そうはいかないようでもある。固有名詞はなかなか扱いが厄介だ。
それはそうとLX=ルクセンブルク公国のある局の電波がいつも強いのだが、今日たまたま地図で見たらこの小国は標高のやや高い場所にある国だと知った。水系で言うならば東のドイツ側と西のフランス側、北のベルギー側の分水嶺のようになっている地形だった。HFだから標高が高いから電波が強い、とも言えないだろうが。
それからニュースに出てくる地名が高校の地図帳(教科書)では掲載されていないことが多く、役に立たないヤツだなあと悪口をつぶやいています。私が細かい文字が読みにくくもあるのですが。ヤツ当たり?


@保護猫(捨て猫を拾い上げた猫)の♂と♀の計2匹
A生まれてから3か月くらいで、♂は白っぽい茶かな。♀は黒。黒い猫は貰い手が少ないらしい。可愛いのにね。
Bうちでもらわないと=引き受けないと、保護する猫がいっぱいいてつかえている状態のため。
先住の10歳♀の7800gの大猫との3匹体制になります。たいへんそう。


と思っている人ももしかしたらいるのだろうな。もちろんそういう人はフツーではないが、世の中にはフツーではない人もいるから。
オリンピックはもう少し複雑だとは思うが、案外似たようなものなのかもしれない。そんな風にも思えてきた。
まあ、私は「予防」としてなるべく自分の頭で考えることにしよう。TVなどに大事なものを丸投げしませんように、ということでかなり状況はよくなりそうでもある。hihi。


止めるではなく停める(駐車する)です。パリの縦列駐車の方法です。ま、パリでは当たり前ですがそれは狭い場所に多くの車が駐車するからです。がつーんとバンパーを当てるのではなく、当たる寸前に駆動力を切り=クラッチを踏み、まあそっと両側の車のバンパーに当てるようです。
こういう信じられないようなやり方で、場所によっては前後にほとんど隙間がないように駐車されています。MTでないとこういう駐車(=こういう駐車テクニック)はできないようでなるほどなあと納得しました。坂道でもこういう駐車をしているのには感心しますが、これは常識のようです。
疑問には思ってはいたのですがnetのニュースにわかりやすく説明されていました。
数日前のニュースには、パリでは40qの制限速度と路肩の駐車禁止が進められるように書かれていました。パリを一歩外に出ればフランスは田舎ですからこういう都会的なクレージーな駐車は見かけなかったと思います。


えっ、そもそも行こうという考え方が理解できないのだが。論外とはこういう場合の言葉のように思うが。


自分自身を諫めるのですが、いくら経験を積み重ねたにしても、それだかといっても、あなたには解決できず乗り越えられず打ち勝つことのできない、あなたが知らない新しいことがあるのです。
今は単純な過去の繰り返しではないことを思うべきなのです。長く生きて長く多くのことを見てきたにしても、そこに深い洞察、もしくは深い施策がないならば、あなたの知恵というものも残念ながらさほどたいしたことではないのです。ご自愛を。


本日ちょうど1回目から3週間、やれやれ。安心感は多少はあるのですが、そもそもこういうワクチンの接種そのものが必要ないことが一番ですので、達成感だとかは感じないし、若干のむなしい気持ちの方が多いような気もします。
こういうことよりも先の方のいいことを期待しなくてはいけませんね。
接種してから1時間くらいは経過したのかな。いろいろ副反応があるかもしれないということでアセトアミノフェンを10錠出してもらいました。


まだあったんだ、とフランス贔屓の私もビックリ、と洒落てみました。筆記具は何といってもボールペンの天下。私は日本製(と思うが)SARASAです。インクの退色が気になるのだが、まあいいか、ということで使っている。
JA1コンテストにログを送ると参加賞で「東京大学ボールペン」が送られてきた。今はどうか知らないけれど。このボールペンも古いタイプのインクなのだろうが、書き味は悪くはなく合格点が付けられました。


接種後5時間くらい経過して、おっ、上腕の肩に近い接種した場所が痛くなってきました。痛いということはワクチンが効いてきているということのようで、これ自体は副反応という悪いものではないようです。
暑さの方も昨日や一昨日に比べると多少は下がってきましたか。気温として報道されるのは日陰の温度で済んで、カンカン照りの日向の温度はさらに何度か高いのですね。


暑いのは平等に暑いからなあ、我が家はまだエアコンのSWをONにしたことはないと思うぞ。案外静岡は暑過ぎないようだなあ。
暑いのに文句を言っても涼しくはならないからなあ。


お酒を飲んではいけません、とも言われてはいないので、おいしく飲んでいます。さすがに痛飲ではなく、時と場所をわきまえた飲み方です。
焼酎乙類(麦ですが)をウィルキンソンでかなり薄めて飲んでいます。ビールは悪く酔ってしまいますので飲みません。←思い込みもあるか?


しつこいのでこれでやめておきたいと思います。
熱は上がりませんでした。その他の異常も出ませんでした。薬ももらいましたが、結果的には必要なかったようですね。まあ、おとなしくしていたし、フツー副反応は出ないのですね。この「出ない」方はニュースにはならず、めったに出ない副反応が運悪く出てしまうと、注目されてしまうのですね。だけれどもめったに出ないものですから、注目されることもないのかもしれません。


高齢者のワクチン接種が進み、この年齢層の感染者(だったかどうかちょっと正確ではないが)がたんと減った。10分の1に減少。この年齢層で打っていない方もいるから、たぶんさらに少なくなっているだろう。
おこがましい言い方になるのが申し訳ないのだが、私のワクチンを打ち終わってささやかながら「務めを果たせたのかな」とは思います。
熱はさほど、いやまったくといっていいほど出ませんでしたが、だるくて1日グダグダしていました。たぶん暑かったからでしょう。


猫は鼻で温度を感じるのだそうですが、それはともかくうちの猫は「自然の風が優しい場所」に寝ています。その場所はちょくちょく変わります、変更されます。
冷たいジェル入りのシートとか、アルミの冷たい猫用の「お盆」などを買って、それを使わせようとするのですが、頑としてそれらを拒否します。エアコンの部屋も拒否していましたね(今年はまだエアコンを稼働させていませんので昨年と一昨年の夏でしたが)。
それはそうと2匹目3匹目の3か月の♂♀2匹の仔猫、夏風邪を引いたようで、それが快癒するまで我が家には来ないようです。
猫用(犬用でもあるようだが我が家には無関係)バリカンを買って我が家の長毛種の猫の毛を刈ってやろうとしていますが、なかなかたいへんで少しづつ刈ってやるしか方法がないですね。
東京大学の猫の腎臓病予防の何でしたか、治療方法ですが、たちまち何千万かの募金が集まったそうですが、確かに猫を飼う人々にとって猫の泌尿器系等の病気、およびそれに起因する死亡は悩みの種でした。猫の飼い主の輝かしい希望の星ですね。


ここでいう高齢者とは必ずしも単純な年齢だけではなく、年齢とともに身体能力の衰えた、という意味です。
奥穂高岳に登る手前のザイテングラード(付け尾根という意味だった?ドイツ語)で滑落した70代の男性。ここで落ちたんではかなり不適格になっていたのでは。
槍ヶ岳に続く東鎌尾根で200m滑落した60代の女性。ここは鎖場や梯子の連続する怖いルートです。3点確保を常に強いられるような、きつい登り下り。
登山は1位2位を競争するような要素の少ない、純粋に近いような身体の動きを楽しめる稀有なスポーツでしょうか。自己の体力筋力バランスを無理のないレベルで楽しめればいいのですが、どこかそういう部分で不具合が起こってしまったのでしょうね。
世間の登山を知らない方々が言うように、高齢の人間に登ってはいけないとは言いませんが、簡単にはできなくなっている、そういう身体になってしまっていることは多いと思いますよ。
私はそういう自覚はかなりはっきりと感じられますから、もう登りません。エラソーに言うわけではありませんが、経験から学ぶことは学んでいるつもりです。


間も無く6m & Down コンテストです
https://www.jarl.org/Japanese/1_Tanoshimo/1-1_Contest/6m/6m_rule.htm
7MHzのIVV=インヴァーテッドV=逆Vを試しに上げてみました。本日午前の出来事です。
エレメントを高く上げられなかったためか、周囲の建物の影響を受けて、だと思いますが、SWRが1.6以下に下がりません。
11m+11mのエレメントを切っていって調整しましたが、左右が10m・10mの長さとなって7MHzのすぐ下まで行きましたが、場所や高さを変えなければうまくいきそうもないのでやめました。
午後は雨が降ってきました。
50MHzのアンテナはGPしかないので、安価で指向性のある、51MHzではない50.200MHZ〜くらいに合わせたアンテナを上げたいですが、思いばかりで身体が動きません。これを空回りというのかな。


移動はちょっと厳しいかも・・・


局免を2種類持っているけれど、固定局のだけにしようと「流してしまう」ことも考えたが、やはり移動する局の免許も申請して継続した。固定局の方はまだ数年先だ。
50/144/430MHzのGP第一のV2000を上げているが、気が向いたら50MHzをワッチしてみる。50MHzのバンド幅の全域はカバーしていない。昨日RFアナライザーで見たら,50.350がSWR=1.2、50.800くらいがSWR=1.1くらい。50のラジアルの長さで調整する。もう少しラジアルを長めにした方がいいようだ。


21:00〜50SSBだと思いますが、QRVの予定の様です。
お出掛けの方は、お気をつけて!


VUは高い場所に行って運用した方がいいでしょうね。ご検討を、またお気を付けて。
伊豆山神社は山が海に向かって突き出した尾根の上にあります。地すべりなのか土石流かはわかりませんが、神社の南側の谷というか川沿いに土砂が滑り落ちていますね。
地図を見ても2次元なのでピンときませんが、3次元で見るとかなりの斜面でその山腹を道路が通っています。海には初島も見えます。
30年位前熱海駅からてくてく歩いて伊豆山神社まで行きました。仕事です。駅からは2〜3qというところでしたでしょうか。
屋外で運用する場合はやはり眺めの良い高い場所に行きたいでしょうが、私は登山とHAMはまったく別の趣味として過ごしてきましたので、どうしてもこういう風な運用をしたいという気持ちにはなりません。変ですね。


夏を乗り切る
たいしてワッチしているわけでもないが、Esもそうそう出ない。(私はコンテストのときだけ)。EsはさほどいいアンテナではなくてもOKなのでしたか?21や28の国内、DXしかやらなかったのでEsはほとんど知りません。
ワクチンの接種は6月末の1回目と7月下旬の2回目予約、接種して即安心ではないけれど、まあ着実に。
暑くなるけれど、モノによっては寒い季節よりはやりやすいこともあるということで、そういういい方向で考えてやっていきたいですね。
幸い激痛ではないし、耐えきれぬ痛みでもない。それは幸いなことだが、なかなか痛みとは縁が切れることはなさそうだ。
ただ。若い時もこういうことは四六時中あったのではなかったか。それがよりきつく、より激しくなっただけとも思える。まあ、しょうがないねえ。胡麻化しながら諦めますが、幸いこのことによって楽しくもあること、か。


85件=85人はいいのだけれど、分母の方をも一緒に報道してくれないのかな?片手落ちです。
仮に分母を1000万人とすると、0.0000085なのだが、この数字はどう考えるべきなのか?
センセーショナリズム(無責任なお騒がせ主義)は報道機関の不治の病弊(無反省の**につける薬なし)。


自己満足的に、あるいは自己弁護的に、疑いつつも何となくそう思っていましたが、やはりこれには根拠はないようですね。
苦労しないで楽にやった方がいいのでしょうね。
ですが、ですが、苦労はしても苦労だけではなく、その中で楽しんで喜んでやったことは、苦労の中でも幸福感に満たされてやった中でできたことは報われるような気がしますが、皆様方、如何でしょう?


昔は使われなかったように思う、この言葉。この言葉がよく使われるようになってから世の中が悪くなったのではないかと思う。
完璧の「璧」の文字なんて誰も書けなかったし、書かなかったと思う。書く必要がなかったから、だれもが書かなかったし、書かなかったから書けなかったのではないのではないでしょうか。


小型の猫もいましたが、大型だからと食事の量は変わらないように思いました。一緒にいた小型猫が小型の割にはたくさん食べていました。排便の量も多いので間違いはないです。
今は大型しかいませんが、排便量はさほど多くはないばかりか、水分も少な目の固い便です。
猫は毛を舐めますので、便に毛が混じり、それを「人間トイレ」に流してしまうことはNGです。燃えるごみとして出しましょう。
体重ですが7800g標準くらいでしたが、過日計測したら7900でした。私は7800の愛用者ですが、7900はありません。←意味不明な文章
しかしまあ、こういう重い猫、避難しなければならない場合には困ることが予想されます。それに持って動かなければならないのは私ですから。


って言ったって、免許証返納者には縁のない工業製品。でもまあ、こういうものが大好きな方もいらっしゃる。それはいいことだけれど周りの人の評価というものもあるでしょうか。
私もこういうものに拘り、もしくポリシー、価値観をしっかり持っている方がいいと思います。数をたくさん持っているのは子供のメンコ集め(古い!)みたいで痛いと思うのです。
50tの原付免許は残しておこうか、とも考えましたが、今更乗らないなと思いやめました。自転車はフツーのものに乗っています。なるべく長い期間乗ろうとは思いますが、無理になったらやめます。
HAMの免許はそれよりはさらに長く持っていても大丈夫そうですね。明るく元気に頑張ります。


192人でしたか。こういう情報はどしどし出せばいいのです、出すべきなのです。こういう数字は事実としてあるのだから出せばいいのですし、出すべきです。出さねばならない責任があると思います。
結論ですが、出したことによって予防接種後の死亡が著しく少ないことが理解されるようにしたらいいのです。こういう情報がしっかりと出されていないものだから疑心暗鬼になるのです。
どうしても自分勝手に予防接種の危険性を誇張して受け取る方もいますので、数字的に危険性がゼロではないが、同時に「数字的に」極めて危険性の低いものだということをわかりやすく知らせることも重要なことです。こういうデータはすでにたくさん集積されているのではありませんか?
その後の接種する接種しないということは、個人の責任による接種する接種しないの個人の判断によります。
最後の最後に、**国では予防接種によりコロナでの死者が**人になりました、というようなことを付け加えるのも悪くないでしょう。


ということが我が家でもあったのですが、諸事情があって(まあ、例えば世話する人間の高齢化ですが)諦めました。
もう少し若かったならどどどと暴走してしまっても何とかなったかもしれませんが、今はいろいろ考えてみてもそれはないですね。
一度猫の飼い主になったならその猫が死ぬまで飼わなければなりません。何も人目を引くようなとんでもないことはなくていいので、しっかりと地味で結構だと思いますので猫との生活を継続されることこそが重要です、たぶん。


太った猫、太って大きな猫は案外小食です。
ただ、活発には動かず動けず、よく寝ていますね。
猫が寝ているのは、日光の眠り猫にも示されているように平和の象徴なのです。
太った猫を間違ったたとえ話に引っ張り出すのはやめてほしいです。


水が(川が)すごい大きな落差になっているような地形ですから、そこの近所も似たような地形です。
私も30年間くらい登山に親しみましたが、沢沿いのコース(滝がいっぱいある場合もあるコース)の方が怖かったです。尾根道の方がどんなに痩せ尾根(両側が切り立った尾根・稜線)でも怖くはないような気がしました。
黒部の水平歩道でしたか、絶対歩きたくはないですよね。あれに似たようなあれに近いような、そういうコースもいやいや歩いたことはありますが、二度と御免です。


@占い 当たらない、当たるはずがない、ということですね。
A目立ち過ぎるブランド品 王侯貴族なら似合うでしょう、ということかな。
B宝くじ 確率論まで持ち出さなくてもわかる。光るもの必ずしも金ならず(ベニスの商人)。
ここでいう「頭の悪さ」というのは経済的に割が合わない、利益にはならない、ということですね。
ですが、逆に@こういうことが大すき、A目立つの大好き、目立つのが生きがい、B当たったら一気に大金持ち、と思っている、そういう生き方もあるとは思います。
私は@占いはペテンだと思っています。A目立つのは大嫌いです。B金は天下のまわりもの。金メダルは24KGPか?


東西方向に張ってあったエレメントを、北北西・南南東方向に、張りなおしました。
南側に向かって低くなっていますが、まあ、ほぼ水平でしょうか。
昨日、エレメントの長さを調整をした後に給電点が10mHくらいに張ったのですが、RFアナライザーで測ったら、周波数の低い方にずれてました。何かの理由でこうなってしまったのでしょう。明日、再調整をしてみます。
前の位置では地上高はあるけれど、屋根の上だったので屋上高(屋根からの高さ)が気になっていました。
また、DPは地上高との関係でSWR値が変化することもありますね。
道草を食いながらアンテナと遊ぶのもいいものです。


ような気がする。歳をとると嗜好が変わるものらしい。もっとも大昔の素朴なカレーと今の香辛料豊富なカレーではかなり違うのかもしれない。
昔は食べられなかった、あんこやきな粉の食べ物がかなり好きになった。上段ではなく、こういうものと一緒に焼酎が飲める。豆腐が好きだったのだが、これも最近おいしいとは思えなくなってきた。魚の生のものもちょっと苦手になったのかもしれない。寝かしておいたカレーは危険とか、生魚のアニサキスがこわい、というわけでもないけれど。
趣味の方も同じような面があるだろうが、食べるものが楽しみという趣味はないな。


そんなことを嬉々としてやっていてはいけないなあ。
幸い私は、おめでたいなあ、と言われるかもしれないが、どちらかというと人から嫌がられないようなことばかりしてきたつもりだ。
だがそれも、嫌なことをしているなあ、と思われていたかもしれないし、気に食わないなあとも思われたのかもしれない。そういう思い違いもしていたのかもしれない。
これ以降の話になると、もうこれは私にはどうしようもこうしようもないのだ。いちいちこまごまとてもまともには気を使ってはいられないように思う。
夏目漱石の「草枕」、その冒頭の一節を読んでください。そこに書かれているような心境を思います。


ことを防ぐには
本番の試験申し込みをして、志願者として勉強に臨むと、よい。試験に1回落ちてみるのもよい。これはまさに、私の場合その通りでした。2アマも1アマも1回落ちました。どちらも2回目で合格。
細かいことにこだわり過ぎない。その通りなのですが、点数を付ける側採点する側になるとここで点差を付けたくなるのですね。
細かいことに、あまりくよくよしない、明るく楽しく大らかに、ということで如何でしょう。細かなことに拘り過ぎるのは十分力がついてからでもいい気がします。神は細部に宿るのでもありますから。


エレメントの長い短いが原因ではなかったようで、かなり無駄というか、はたまた見当違いというか、とにかく、アンテナと戯れていましたが、とにかくアマチュアバンド21.0〜21.450はすべてSWR=1.5以下に入りました。
こういうワイヤーのアンテナを張るのは、実はたいへんだし、結構難しく思いました。
今回で5回目くらいか、今までは何となくやって何となく測定しああだこうだ言いながら長さを調節して、できた、ということの繰り返しだったのですが、今回は今までよりは少しだけ「攻めて」ものごとを進めたような気がしました。


去年2本植えまして、すでに去年のうちに実がなりましたが、実はあまり大きくはなりませんでした。今年は結構実が大きくなりました。枡井ドーファンだったかな?という品種ですが、大きい実がなる品種のはずですがようやく本領発揮ということでしょうか。今年は既に2個熟し、2個とも無花果好きのXYLが食べてしまいました(他に食べる人もいないものですから)。
今年植えた2本は目が出るのが遅く、当然まだ枝も十分伸びていません。実は枝の伸びたところに付きますから、今年実が付くにしてもまだまだ先のことでしょう。
世話もかからず失敗が少ない果実というか果樹ですので、私のようなシロートさんにもお勧めできます。


そうなのかもしれませんが、私はあまり汚いとは感じがしなかった。翻って、わが日本もさほどきれいとも思ったこともない。都市なんてこんなものだと思う。コメントに書かれている悪口は間違っているとは言わないが、悪口ばかりだと、えっ、そこまでひどくはないんじゃあない?と、何か違和感ありありで、私は気持ちが悪いと思う。
ただ、パリはシックな町並みで気持ちは落ち着く。石の壁は黒いけれど洗うと白くなるが、洗われて白っぽくなったからと言って美しいかというと考えてしまう。アジアの都市は多かれ少なかれ中華風のキラキラごてごてピカピカで派手なのだが、こういうのは正直どうも勘弁して欲しいのだ。
ゴミだらけというパリには、私は幸い遭遇したことはない。ストライキがあるとそうなるんだろうが。それは労働者の権利だからなあ。犬の糞の不始末も日本と同じなんじゃあないのかな。


今日はさらに4つ収穫しました。ちょっと目を離していると熟してしまっていて、収穫しないといけません。
枡井ド−ファンではなくドーフィンですかね。昔の品種に比べると果実の大きさが3倍くらいあります。まあ、これが今の時代のフツーの無花果の売っているものですが。昔の品種って言ったって今は誰も知りませんよね。
明日か明後日、また1つ熟しそうです。


どうもこういう日本人の言うことが気になる。気になってしょうがない。汚い汚いというけれど、そこまで汚くはないだろう、と思うわけで、このことについては「すぐ前に」書いてある。
私は汚いとは感じないが、まあ感じる方もいるのだろう。そういうことはしようがないが、旅とは非日常(お祭りのようなことをいう)なのだから、汚いとか逆にきれいだなどということを問題にしてもしようがないのではないか。
汚いキレイなどとは別のことを楽しむのが旅なのだ。旅にキレイモ汚いもへったくれもないのではなかろうか。楽しいか楽しくないかであって、汚いキレイではないのである。観光地が汚いのは汚くしてしまう人も来る、ということに尽きるのではないか。
何か無実の人間にぬれぎぬを着せているような、軽いマナー違反を重罪犯罪だと騒ぎ立てているような不自然さ、あるいはまやかしを見ているような嫌な感じを受けるような、そんな気がしてしようがないのだ。難しく言い過ぎたかな、理不尽に汚いのはいけないのかもしれないが、無理してきれいでなくてもいいよ、と私は言いたい。


昨日は食べられそうにもなかった実が、今日はすっかり熟していました。案外早く完熟です。暑い時期はこれからですが、蜂も来るらしいので気を付けなくては。
無花果というので実なのか花なのかわからないですが、花ならつぼみというものがたくさん付いていますので楽しみです。
果物として買うと高いのですが、今年の収穫で元は取れそうです。栽培に難しいことはあまりないようで、植木鉢だと大変でしょうが畑に植えればさらに管理が楽になります。ただ、商売として利益を上げようとすると、これはこれで大変でしょうね。←当たり前だ!


有名人が成功させましたが、もうずいぶん昔、無名の青年が成し遂げましたね。パイオニア的な冒険の方がやっぱり価値は高いのでしょうね。もっともいつの時代に成し遂げてもなかなかの挑戦であることに変わりはないのかな。
個人のレベルで言えば、1828年播隆上人が槍ヶ岳を開山して、その200年後に一個人が槍ヶ岳に登頂しても価値は変わらないと思いますが、いずれにしてもそう簡単には実現できないこと、そう楽々とは成功させられないことを成し遂げるのは偉業と言って差し支えないのではないかと思います。
やってもいないことを傍からあれこれ軽く言うことには、深い疑問を感じます。まあ、やったことがないからその価値が理解できないのでしょうね。**だということがばれてしまうから、黙っていればいいのに、と思います。


20.700〜21.450がSWR=1.2以下ですね。
21.000〜21.155はSWR=1.0に近いです。
雨で変化するのはやむを得ないのかな。


水晶だった、ということですが、水晶の方が役に立つ(!)場合もあるからよかったではないですか、というのはボケでしょうね。
ダイヤモンドも光り輝き希少だから価値があるのではないでしょうか。ですが、1カラット以下のダイヤは金銭的な価値はないに等しい、とも聞きます。ま、そう聞いても驚きはしませんね。
話題になったこの「ダイヤの原石」に似たような水晶を持っていますが、一部を平らに研磨して「文鎮」として使えるようにしてあります。研磨してある面から中が見えてキレイですよ。ただし、どうして手に入れたか、買ったならいくらだったか、こういうことは一切憶えていませんので、たぶんもらったものか、買ったとしても安価なものでしょう。


私です。基本、私はよく売れている本、話題になっている本、それからベストセラーとなっている本は読みません。
何も慌てて読むことはないではないですか。本物の書物は「長生き」するはずですから、読む時期になったら読めばいいのです。
何千年か生き残っている本の方が、私にとって読むのを優先すべき本です。ただ、こういう古い本を読むためには新しい本を読んで、その古い本の読み方やわかりにくい内容を解説してもらいながら読まなければならないし、そうして読んで行かないと本当に読んだことにはなりにくいと思います。


食べられるはずだった果実を野鳥に横取りされてしまいました。食べられる前に採っておけばよかったのに。
案外この季節、熟すのが早いようです。台風も5号のようです。


梅雨の間の天気予報は難しそうですが、雨が続く、と思っていたら、金曜日あたりまで、「もしかしたら降らないかも?」という予報になっています。
はいはい、そのつもりで心構えをしますよ。ま、台風はほぼ問題はないということか。


午後には大井川?あたりの上空をかなり長時間ヘリコプターが飛んでおりました。焼津市の方から藤枝市東部を通って大井川へ、ということなのかな。♂だったのかな。←不正確な情報が混じっています。
この程度だったなら私も自転車でなら動き回れますよ。←そういう問題ではない。
山にはよく登ったのだが、カモシカとの遭遇はないな。熊とは一度ある。秋にはヤスデが絡み合っているサッカーボールくらいの塊に出会った。ライチョウは結構あるけれど、それでも山は広いからそうやたら入りわけでもないか。


タワマン、タワーは持っているけれど、タワーマンションンは持ってはいない。タワーは安価に入手出来て感謝。
高級外車、たぶん私は150万円以上の車は買ったことがない(タワー建設の方がこの金額よりやや高かった)。外車ももちろんない。それに今は免許もない。
高級時計、高い時計は縁がない。数年前機械式の時計が駄目になったが、新しい時計は買わなかった。手首に時計をして居たくはない。


そんなことよりもすぐさま行動し成功体験を積み重ね、失敗を積み重ねるすることが大事、という記事を読んだ。
うむむ、それは確かかもしれない。だが、本末転倒と言われようが、前者の方が同じ仕事をするにしても、楽しめてはいるような気がする。もちろん自己満足であることは言うまでもないが。
今から思い返せば、当然仕事は後者の方式で私はやって来た。ただ、この方式の欠点は多くのメンバーで進める場合にはそうではない人もいるので、ここが厄介なところなのだった。その結果私は十二指腸潰瘍になってしまった。
今はほぼ個人で仕事は進めているので、とりわけ趣味の部分は能率だけが価値ではないので、近年は準備にやたら時間を使う。そのうち肝心の目的を忘れてしまったりもする。
インプットもアウトプットも装置自体が劣化している。アナログのレコードが何度も何度も同じ部分を繰り返し再生しているような悪夢。
ここまでひどくはないが、たまには自己嫌悪状態に。


を重んじてもらいたい。そのために専門家が存在する。だから、政治的判断というものも科学的判断の中で行うべきだ。
が、そうはならないことが多い。日本では歴史的な伝統として(たぶんその元となった中国でも)学者の地位が低い。
まあ、派手で目立つような部分よりは目立たない地味な面の方が、政治的には重要だということだろう。
だがだが、悲しいかな、多かれ少なかれ英雄主義的な傾向のある政治的指導者だけではなく、深く考える習慣の少ない一般大衆も派手で目立つような部分が大切だと思ってしまうのだ。
神は細部に宿る、のだ。←やや見当違いな文言だが。


タワマン、伝統的工法でしっかりと建てられた木造建築の方がいいかもしれませんよ。まさかとも思った水害にも弱かったし。法隆寺の金堂・五重塔は1300年建っています。
高級外車、少量生産だから高価なのでしょうか。湿度の高い日本ではよく炎上しているようですが。身内の者も所有していたくらいの、外車でも量産車はそれほど高価ではないようです。昔よりはフツーですね。
高級時計、日本のモノはあまり無いようなので、外国の少量生産品でしょうか。確かに子々孫々に伝えていけるものらしいですが、そのための費用も半端な額ではないようです。


高校1年で受けた原付免許、二十歳過ぎに受けた普通免許、これに落ちる人はまあいないだろうと思えるほど、学科試験については驚くほど簡単だった。
普通免許の実技は知識やら練習を実地で成功させなければならなかったから、えらく難しく仮免許試験もたしか2回目でやっとのことで合格だった。
自動車学校での卒業試験に合格しているから実技の試験は受けてはいない。
2アマも1アマも学科試験は難しかった。電磁気の知識の内容は案外よく理解できたが、苦しんだのは数学の部分だった。まあ、これは過去問をしっかり勉強することで、まあ一種の力技だが、何とかなったようだ。ここでもまた実技がたいへんだった。それは骨身にしみていたからひたすら練習を積んだ。


来ていなかった、と思うが、志太平野。
去年は30度台後半の暑さは何回かあったと思うが、記憶しているほどではない。コンテスト中にこれは暑いな、と思ったことが確かあったはずだが、きっちりとは憶えていないのだ。
再来年になって、憶えてはいないなあ、という程度のフツーの夏であってほしい


ではありません。少しばかり事情がありまして、派手に立ち回るのを抑えて控えめに控えめにしています。というよりもそうせざるを得ない事情がありますが、ここには書けませんので、また機会があれば弁明というか見苦しい言い訳をします。
7/14/21MHzのDXに使えるアンテナが不具合で、これもそのきっかけとなりました。来る秋に備えてアンテナも何とかしようとは思っていますが、少し休息することも悪くはないかもしれません。などと心は案外ゆったりしています。


がありますね。自分は大好きでも世の中にはそれが大嫌い、という皆様も多いのでしょう。そういうことを考えながら、感じながら趣味を堪能しないといけないのでしょうね。
あまり猫猫猫とはしゃがない方がいいでしょうね。その気持ちはわかりますが、世の中には猫は嫌いだ猫は許せない、という方々もいないわけではありませんよね。
ごり押し、というのでしょうか、それは顰蹙を買いますね。趣味という面もあって、その顰蹙は妬みとか恨みとか、よりダークな方向に深まっていく場合もあるでしょうか。
趣味の本質そのものだけだったなら、それでもまあいいのでしょうが、金銭が絡んだり、やり方がアンフェアだったり、目的のためには手段を選ばなかったり、などと言うことになってしまったなら、その趣味を持たない方々からかなりの反発を受けることが予想されます。
そこに持ってきて他者の考え方や感性を無視した、いわゆる上から目線の不遜な態度とということとなったら、もう目も当てられません。ホントに頭が悪い人間のやらかすことは救いようのない無様さをさらけ出します。


をしました。接種から3時間くらい経過しましたが、私は何の変化もありません。Xさんは接種箇所が少し痛いようです。腕を水平より高く上げるのが痛みになるということでした。
何も痛くなかった、という人が多いようですが、注射針がまったく無痛で逆に驚きました。筋肉注射だからでしょうか。血液検査のための採血の方がはるかに痛いです。
まあ、こういう個人的なドキュメントよりは社会全体が平穏な方向に向かうような、その中の一部分となれればいいのかなあと思います。
むむ、私も少し痛みかもしれない感じが出てきたのかもしれません。


というべき猫が我が家には3匹。一番古いのは茶の♀、そしてその婆さん猫の娘の三毛、三毛だから当然♀。両方とも捕まえて獣医による避妊手術を施しました。
新参者の白黒のトラ♂、これは迷い込んできた猫ですが、すでに去勢手術がしてあるようです。藤枝市によく生まれる「志太っ子」と呼ばれる猫です。
私が毎朝餌やりをしています。基本我が家の敷地内で生活しています。♂のトラはそうではないかもしれませんが。
このトラは慣れっこい性格で、飼猫にしてもたいへんいい猫となるでしょうが、やや我が家に慣れ過ぎたかとも思います。
生きたままゴミ袋に入れられて捨てられた仔猫。飼い主は逮捕されたのですね。猫を飼うには避妊や去勢手術を必ず施すべきです。自然の摂理に反する、かわいそう、などとお花畑の中で寝言を言っていると大変な悲劇になります。


笊ヶ岳
「危険な」タイトルにしてしまった
笊ヶ岳という山を地形図上で改めて確認したけれど、静岡県の最北端3000m峰の間ノ岳から真っすぐに南下する稜線上の2629mの山だ。間ノ岳から笊ヶまでの距離のその2倍以上の長さの稜線が、さらに南下して行って、それとともに次第に標高を低くしていき、最後は静岡浅間神社の山をすとんと下りるとそこで平野部となる。
山は非日常的な場所なので、こういう地味な(と私は思うが)山はどちらかというと、私は好みではない。山そのもののイメージはそうなんだが、浅間さんから静岡の市街地を縦断して、大浜海岸に至れば3000mから海抜0mまで歩き通してきたことになる。
こういうことを考えると、というか妄想すると、こういうのも面白いかなあと思う。考えたこともなかったのだが、実際に登ることができなくなってからでも、「登山」は楽しめます、じゃあない、愉しめます。
やっていけないのかな。やっていけないのだろうね。はたから見ていると、そういうふうに見えてしまいます。
まあ、それはどんな分野でも同じようなもの、似たようなもの、なのだろうが、お金の使い方、それも元々は自分たちのお金ではなく、人様からのお金の使い方、が本当に真っ当な使い方なのかどうか、ということが問われている。問われているのだから、今すぐでなくともいいとは思うが、何かの形で応えなくてはならないものだろうね。
HAMもHAMだけでやっていければいいな、と真剣に思ったよ。でもそうはいかないだろうけれどね。しかし、みっともない形で何かにぶら下がって生きていくのは嫌だな、とは思う。


確かに大量生産の工業製品は、高性能であるし、加工の精度はいいし、ということは見栄えが当然いいし、それでいて納得の価格(か、どうかはそう簡単には決められないが)で、まあ、こういうものを基本的には生活に必要なものとして使っている。
「手作り」ということは今の時代、一般的ではなくなってきているので、傍流のものに成り下がってしまった。そういう中で手作りのものが蔑まれたり貶められたりする場合さえある。その手作りをした人物に低い評価をすることや、人格の否定までしでかす、そういう勘違いヤローも出現する。
手の技を失ってしまうと、またそうなって少しもかまわないという考えが広まるならば、何かたいへんなことが(しかも悪いこと)が起こりそうな気がする。


去年2本植えて成長しました。小さいけれど実もなりました。
味を占めて、今年も2本苗を買って植えて、片方はすぐに芽が出て葉も開いたのですが、もう片方が頑固に芽を出しません。根付かなかったのかなと思ってあきらめていたのですが、今日何とか芽が出ているを見つけ、喜んでいます。


しました。
自作品はアンテナ同軸切替器です。3.5MHzと28MHzの同軸をIC7800のすぐ後ろまでもってきて、同軸切替器につなぎ、両バンドを運用しました。
自分で作っておきながら、一抹の不安はあったわけですが、SBEさんも使っていただいて、大丈夫だろうとは思っておりました。大丈夫でした。結果は既にここに書きましたとおり。コンテスト委員会の方にも受領していただきました。
2個作ってありますので、2個目の方も使うようにして見ようと思います。
こういうものを自作しても買ってくれる人はいないでしょうね。ですから私も売る気にはなれません。材料費の元が取れないでしょうから。ですすから、こういうものが使えるのは製作者だけ、だろうなあ。


この先難しい、のかな?
いろいろときっちりした予定が立てられません。まあ、しょうがないですね。


とか、呼ばれるのか、自らそう主張しているのか、という方々です。何のエビィデンスもないのになぜあそこまで言い張るのでしょうか。
裏返せば今の時代の科学がそこまでの力がないからなのでしょうが、それをいいことにテキトー過ぎる無責任の駄弁を垂れ流します。
でもまあ私がそう思っているだけで、私のようには思わない方々も一定数いらっしゃるから、こういう方々も存在しているのだということかと思います。
恥ずかしながらわが身自身の中にも、こういう無知蒙昧な迷信や不勉強で理解することが追い付いていかない不甲斐なさがまぎれもなく存在します。そういう隙間をついて間違っているものが、近づいてくるようにも感じます。


なりにけり、というのは「降る雪や明治は遠くなりにけり」の下手なもじりです。身の回りに昭和的なものが少なくなっていくものですから、ある場合には「昭和の時代はよかった」でしょうし、また逆の場合は「ひどい時代だった」となるでしょうが。
実際の生活面で言えば、令和の今と比べれならば、昭和は貧しく暗く寒い時代だったと言わざるをえません。もちろん戦後生まれの私の実感ですよ。ひどい時代だったとまでは言えませんが、夜はまだまだ暗かったし物質的には貧しかったと思います。暗かったものですから夜は星がよく見えました。山の中で目を覚ますと星がきれいで、それは晴天であることを示してもくれていました。それから誰もが貧しかったような気もします。冬の朝は寒かったのですが、今は寒くはないですね。温暖化ということでしょうか。一方では多雨の傾向が近年顕著ですが、多雨は氷河期の到来の前触れだとも聞きました。


登ったことはありませんし、登ろうと思ったこともありません。登りたいなあと思う山とそうではない山があります。
南アルプス主峰の山々自体がたいへんな山ですから、それより注目度の低い前衛の山々には登る機会はなかったですね。主家に注目度が低いから難易度も高いので、よっぽどのぼってみたいという気持ちが強くならないと結果的には縁のなかった山になってしまうのかな。


もう学校教育を諦めた、というような話について。
そうですねえ、真剣に考え、真剣に行動したなら、そういうこともあるかもしれませんねえ。
確かに、私にもそういう部分はあったかもしれません。小学生と言えども一生懸命学んだことについては、学校というか先生方というか、そういう存在の上に行ってしまう場合もありますしね。あ、こういうことは自分でやっていけばいいのだ、学校なんかに頼るべきことではない、とまあ、年少者ではあっても気が付く場合はあるのです。
一方では学年が進むに従って次々に新たな課題も出ては来るのです。そういう中で、昔の勉強の足りなかった、自分の無様さもさらけ出されてきます。しかし、高度な段階へと進んでいると、そうおいそれとその足りない部分を糊塗しようともなかなかなかできなかったりします。
アリストテレスも言ううように人間は社会的な(正確にはポリル的な)動物ですから、年齢が高じてくるとそれなりの悟りが必要となり、自分のできることとできないこととの兼ね合い、というか調整、もしくは妥協というものが求められてきます。現実的な進路、生き方が求められ、それに沿って動くようになります。
まあ、他の方はどうなのでしょうか。しかし、そうそう他の方々のことまでは考えが及ばないのですね。


でした。ポリスは古代ギリシアの都市国家のことで、ポリティックス=政治、などの語源なのかな。
アリストテレスの「師匠」のプラトンの著作で読みたいものが、手元には何冊かあるが読めていない。
プラトンは数学者でもあったが、このレベルの数学は今は小中の学校で学ぶのかな。
古代オリンピックに起源のある近代オリンピックはどうなるのかな。ただのメダルの取りっこではレベルが低くはないのかな。


最近おめでたい話題で知られる女性たちだが、昔の人間である私から見ると、どれもみんな同じに見える、なんてことは思わない。みなさんそれぞれ個性的で魅力的だとは思います。
ただ、個性的なという方が先で、次に魅力的という語をつけたい女性が多いのかな。昔は、とにかく魅力的が何よりも重要で、個性的などと言う要素はずっとずっと後の方の項目だったような、そんな気がする。
たぶん、今の時代の方が真っ当なんだろうな。フツーなんだろうな。私は古い人間だということはよくわかる。あくまでも一個人の感想です。


この世代の半分、とありましたが、まだ半分は見ている、ということなのでしょうか?
読んでみると、若者はTV(の生番組)を見ていないという方向に文章が続いていましたが、正確さがよく出ていない見出しですね。
私はもちろん若者ではありませんが、TVは見ませんね。ドラマは見ませんし、少し前までは見ていた(と思う)朝の情報番組も見なくなっていました。光TVの海外のドラマもCSIが面白かったのですが、今は再放送ばかりのようで(それも3〜4回目?)見ていません。
今、確実に見ているのは朝の0653朝日TVの林先生の言葉教室?と、その後の天気予報だけなのかなあ?この局は静岡もポイントとして扱っているので見ているのですが、逆に公共放送の静岡の予報では役に立ちにくいですね。全国の状況が要領よくわかるので、0700まで見て、NHKにしてニュースの冒頭数分、特に見出し(字幕?)だけ見て、ここでふつうOFFですので、合計10分間くらいでしょうか。
ニュースはnetで好き勝手に見ています。スポーツニュース以外の興味のあるものの場合は深堀ができる場合もありますので楽しんでいます。たまには自分からもしゃべってみたいことがありますので、「ここ」を使わせていただいています。小声で言うだけでいいので。


昔、我が家にはアオダイショウが土蔵に棲みついておりました。さすがに長く、ということは大きくもあり、ヌシという感じだったでしょうか。燕の巣作りの季節には母屋に侵入することがたびたびありました。梅の木に長々と身を絡ませというか横たわりというか、そういう姿を記憶しています。梅の木は移植されて今も別の場所にありますが、アオダイショウは今はいないようです。
蛇は水辺にいる場合が多いようで、水神とも考えられさらに天に昇れば竜神になれます。
周辺の水辺にはヤマカガシが多数生息しています。近年になって毒蛇であることが判明したということですが、昔は無毒とされていたので、蛇にはまだまだ怪しいところがあるのですね。
そうそう、例のニシキヘビは専門家の考えていた通り屋根裏でしたね。蛇の道はヘビ、とか言うんじゃあなかったですか。


残念ながら、海外、フランスでのお話し。日本は**なことに古い車には重い税が課せられる、信じがたい非道で恐ろしい国(茶化しているだけですので)です。私も数年前にはこのことで重い過酷な税金に苦しみ苦痛に耐え忍びながら税を払っておりました(また茶化してはいますが、本質的には事実でしょう)。
パリの工芸博物館にはキュニョーの「蒸気自動車」が展示してあります。少年の頃に見た雑誌か何かの写真にあったのを忘れずに、ここを訪れました。しかも2回。
案外想像していたよりも大きく、大きな釜(罐だな)目立ちます。アリの怪物のようでした。


でずっと暮らしていますね。もともと外食はしない習慣の家庭ですし、外のお店のものでもピザの出前くらいですね、ごくごくたまに。
飲むのは外でなくては、などともまったくありません。家飲みが一番です。焼酎を炭酸水で割ったのはハイボールと呼んでもいいのでしょうか。これも外で飲む得体のしれないショーチューの炭酸水割よりも確かです。外で飲むののいいところは銘柄の指定ができて、ふだん家庭では飲めない銘柄が飲めるところくらいでしょうか。
でもまあ、いずれ外でも飲めるようになるといいのだがなあ、という気がしないわけではありません。ですが、焦る気持ちはゼロですね。


またもや遭難ですか。私は京丸山には登ったことはありませんが、近くのアカヤシオ、シロヤシオで知られた岩嶽山には何度か登りました。
花の季節には結構登る人が多い山です。一人で登ればあっという間に登れてしまう山ですが、危険なところもない山ですので、子供2人、まだ幼い時に連れて登りました。
彼らを休ませておいてお菓子を食べさせ、私はその周辺の写真を撮っていたのですが、大勢の登山者たちから白い目で見られてしまいました。街中なら物騒で怖いでしょうが、山の中ならそういうこともないでしょ、とは思いましたが、まあ事を荒立ててもいけませんので、なにやかや言い訳をして下山したのでした。
なお、京丸山はこの岩嶽山とは違う山です。誤解している方がいるようです。


を間違って買ってしまった。何かの間違いだろうと発送元に電話して、誤配ではないかと調べてもらったのだが、ちゃんと注文書に注文した事実が書かれていたらしい。
何かこういうことを未然に防ぐ工夫が必要だ。
それからヒマワリの種子をどこに蒔くか、越年させると発芽率も下がるらしいし。


緊急用のブレーキを解除してあった。これでは
緊急用のブレーキではなくなってしまう。
本末転倒というのは意外にある。それは人間のいい加減さ、たぶん自分は感染しないという根拠のない自信も、これと同じだろう。
しかし、そうはいっても人間はこれを繰り返しそうな、そういう馬鹿な存在でもあるような気がする。


をしてしまった。燃えた樹脂がぽとりと脚の膝上に落ちてきて。
8ミリ×8ミリくらいの火傷の傷だが、何度ノ火傷?というのかまではわからない。原因は何か。ここではお話しできませんので、機械があればアイボールで〜


山の用語では「単独行」とも言うんだが。ドイツ語にもある語で、男性と女性では違う用語。
やはり単独行は遭難した場合、危険度が高いですね。私は登山のセオリーに忠実で単独行はほぼしませんでした。
たぶん本格的な山で単独行は一度だけだったと思います。その時にたまたま油断していて滑って沢に落ちまして、危うく山の中で水死するところでした(半分くらい冗談ですが)。
遭難防止のために電話級の免許を取得しました。1981年でしたね。1988年にはもっぱらHAMの方に転向して山の方は「卒業」しました。電離層は山よりも高くて魅力的ですから。←?


だと思いますが、たぶん1971年、練馬区江古田の、近くに音大があり、富士講のミニ富士山もあり、私の行きつけの古本屋もあった「市場」のなかにあった店ですが、ここで初めて牛丼を食べました。
市場はなくなってしまったようですし、古本屋さんもなくなってしまったようです。
牛丼を食べたのは後にも先にもこの1回だけ。基本外食はしない私です。それよりも忘れられないのは高田馬場駅前の食堂でカレーライスのお皿の隅の方に千切りキャベツが載っていて、カレーとキャベツの相性がよくて驚いたことが印象的でした。
今でもカレーにはキャベツを載せて食べます。テーブルの上にキャベツがあれば、ですが。外食の思い出など、ほとんどない私です。


昭和40年代以前、八百屋とか豆腐屋、醬油屋(醸造業)、籠屋に桶屋なんてありましたね。今はないけれど。
小間物屋、氷屋、魚屋に酒屋もいつの間にかなくなった。駄菓子屋、もちろんない。床屋さんはあるけれど私はいかない。文房具屋さんも、なくなってしまう?仕出し屋さんもない?麹屋、縄屋、鍛冶屋、当然ない。
暑い季節には「氷」の旗を掲げていたかき氷屋、この店なぜか「筵=むしろ屋」と呼んでいた。どちらかというと寒い季節だったのかもしれないお好み焼きのお店、「蛇=へーび屋」と読んでいたか?おでん屋、とはいっても駄菓子屋でやっていた。心太=ところてん、も。煙草屋には今は行かないが、まだあるのか?
みんなみんななくなってしまった。あるいは、なくなってしまうのか。


どちらが幸せか?
何をもって測るかにもよりますが、私個人は今の方が幸せと感じます。
昭和の時代は夢はあったけれど、現実は貧しかったですよ。そういう現実を知らない方は知らないものだから、そのころみんなが描いた夢の方を見ていい時代だったのでは?と思うだけなのですよ。
今の時代にごく当たり前にある、便利なものおいしいもの楽しいもののほとんどがなかったのですよ。まあ、やがてそういうものが得られる時代を期待する気持ちは山のようにあったとは思いますけれどね。
今の人間は便利で当たり前、衣食住に困らなくて当たり前と思っていますが、それが当たり前ではなかったのが昭和の時代ですよ。お金そのものがそうそうなかったし、お金を稼ぐのも今の時代よりもはるかに大変だったのです。
今の時代を豊かにしたければどこかの誰かさんに期待しても駄目、あなた自身にしかそれをやれる人はいないのではないですか?だいたい何十年も昔の日本と今の時代の日本を比較して何になりますか。何にもならないでしょう?


東西方向に張ったのですが、焼津方向に傾斜している張り方になってしまいました。給電点が12mHくらいです。
キットではなく自作ということで。バランはサガのBL40X、エレメントはアンテナ用のビニール被覆編線です。
JA2AQRとの交信では了解度が高かったのですが、逆に言えばそれまではDX向きのEU方向向きの」アンテナではよく聞こえなかったのでしょう。
本当は7MHzのフルサイズを張って21MHzでも使えるようにしようと思ったのですが、長いエレメントを扱うのが嫌になって21MHzモノバンドにしました。
さらに言えば、インバーテッドV=IVVにしたかったのですが、支柱を立てるのがなかなか大変そうで、DPにしてしまいました。


SWRのカーブ、といってもそういうカーブそのものを見られるわけではありませんが、まあRFアナライザーMFJ259,1996年購入のもの、これでメーターの振れを見てのことです。
雨の影響があるかな、と単純に考えて計測してみたのですが、低い方にずれていました。晴れてアンテナが乾いてから測って元に戻っていればいいだけの話かもしれませんが。
昨日は〜21.450までSWR=1.5以下に収まっていましたが、今朝は〜21.375までになっていて21.375〜21.450が使いにくくなったということですね。


雨が小降りになってから、SWRを測りなおしたら前の状態に戻っていました。やれやれ。
次の課題は、今東西にエレメントを張っているが、南東・北西にエレメントを張りなおすことかな。同軸ももう少し長いものが必要となるけれど。


一年間に何人のヒトを死なせるか
1位 蚊 830,000.
2位 人 580,000.
3位 蛇 60,000.
4位 蠅 24,200.*サシチョウバエ
5位 犬 17,400.
以下略
刺される虫、私の場合
1蚊 これが一番多い、痒い
2蜂 昔はたまーに刺された
3虻 同上
4百足 めったに刺されない
5蟻 同上
6電気虫 昔はよく刺されたが最近はない
7猫 月に何回か噛まれるが甘噛み、月に何度か引っ搔かれるがさほどの傷にはならない。
身近にいる危険動物、私の場合
1ヤマカガシ 猛毒があるとのこと、個体数もたいへん多い
2キクガシラコウモリ 大丈夫ですかねえ?
3飼育していた危険動物 管理をよろしく
4寄生虫の中間宿主 アナサキスとか


去年の冬山で滑落して遭難死なのでしょうか。
コースは椹島から赤石岳を目指すものでしょうか。傾斜はきついですが最短雄コースです。
赤石小屋から少し登ると富士見平に出ます。真正面に赤石岳と小赤石岳が眺められて圧巻の見事さです。
積雪期は小赤石岳に続く稜線を小赤石岳を目指して登ります。
夏山の時期には向かって左側の山腹を捲く(トラバースする)コースとなります。カールの底を左に横断して、赤石岳と小赤石岳の中間にあるピークから降りてくる尾根にからんで登ります。ここもぐんぐん高度が稼げます。
主稜線に出たら右に向かえば小赤石岳、左が赤石岳です。
話しが富士見平に戻りますが、ここから眺めると赤石と小赤石その間の尾根、尾根で分けられた両側のカールが見事です。赤石岳というのがあるというよりも、赤石岳と小赤石岳がどっしりとそこにあるのだと思います。双耳峰(ツインピーク)とも私は思うのですが、そう言う人はあまりいませんね。
赤石山脈というだけのことはある素晴らしい山容です。


宮崎コンテスト
夜になって3.5MHzで4局交信。しかし、上の方、中華ドラゴンがひどい。
JA0と神奈川コンテスト
昼間21/28MHzを聞くもののさっぱりでした。


あまりおいしくはなかった今晩。おいしくなくなったので焼酎乙類にしたのだけれど、ビールに戻るなどと言うことはまったく考えられない。まあ嗜好品ですからいいと思うものを飲めばいいのですよね。飲んでも呑まれるな。


といっても、ラジオなのですが、何年ぶりかで、電源を繋ぎSWを入れてみましたが、うむ、聞こえない、しばらくいじるが、駄目になってしまったかな、と思っていたら、ふいに聞こえてきた。生き返ったような気がしたが、単なる同調の操作の問題なのか。
今朝も聞いています。


2024年が将棋連盟の100周年だそうです。
JARLももうじき100周年ではないですか。2028年、かな。
ちなみに私は将棋も囲碁も、もちろん麻雀もまったくわかりません。陣取りゲームみたいなものですか。だとしたら私の一番性に合わないのだ。
というよりゲーム全般・勝負事全般が興味なしなのだ。


外部アンテナを付けてみようか、などという方向へ行ってしまう。そういう傾向のある私。放送の中身にはあまり興味が向かないのだ。
もっとも文化放送のある番組を聴く必要があって、何かいろいろ工夫した時期があった気がする。放送の中身が大切であって、聴取・受信の工夫の方は憶えていないなあ。
外部アンテナとは平行フィーダを使って、確か、タブレットを製作すればいいのだったか?ループアンテナの方がいいのかな?


タブレットはFM放送用か。300÷80=3.75で、1/2波長のDPだから1.875mくらいでいいのか?待て、平行フィーダを使うということは、フォールデッドDPなのだから〜
ループアンテナのぐるぐる巻きは中波放送用でしたね。
などと空想することで終わってしまい、その先になかなかいかないことが多い。


BCLラジオとも言われたらしいクーガー115である。SWが3バンドに分かれている。BCLとは和製英語のようでSWLのことらしい。
だが、このラジオのSWは聞こえないようだ。MWは1400近くの地元局が聞こえるがちょっと感度が悪いようにもにも思う。FMはいいんじゃあないかとは思うが、感じとしては頼りない気もする。
BCLブームの真っただ中の1975年製らしい。私もこの頃スカイセンサーの5500を持っていた。その前に5400というのも使っていたが、やや無理して5500にしたような気がする。
結局これらはSWLに使ったことがなかったような気がする。これらを使う前には中波放送専用のトランスレス5球スーパーヘテロダインだった。球はもちろんMT管だったが、案外あの怪しげな赤い光が懐かしい。
クーガー115(RF1150)は頂き物で2003年以来シャックにある。
要領が悪い話でSRI。


普通のコースで10回くらいは登ったでしょうか。普通のコースなら特別の危険はありません。
戦前は「弾除けの神」としてたいへんにぎわったお宮さんです。今は社殿はなくなってしまっています。
転落とか滑落とあったかと思いますが、沢登りのコースだったのでしょうか。
なお捜索の費用というものは必要となる場合もありませので、山岳保険というものに入っておくほうがいいでしょう。登山という夜の世間でのイメージよりは危険性の低いスポーツですから案外掛け金は安かったのですが、最近の事情は知りません。年齢にもよる金額の違いもあるのかな。


以前から気になっているのですが、レピーター(JP2YCS)がパタつく事が度々あります。
声(音)が聞こえない(載っていない)ので、その旨添えて呼び出してみたのですが、
応答がありません。
とは言え、一時的に止まる?
様でもあるので、こちらからの信号は聞こえているのかな?
妨害なのか、混信なのか・・・
聞いた(確認した)人は、何時何時受信したか
レポート頂けると嬉しいです。
ここ何年か430MHzの信号を聞いていません。HAMを始めたばかりの頃はYCSはよく聞いていました。1200MHzの方も聞いていましたが、HAMをもう少し熱心にやってみたいな、という糸口にはなって大変感謝しているのですが、いつの間にかHFだけになってしまい、さらにはコンテストがもっぱらの楽しみになってしまい、さらにさらにRTTYのコンテストが中心という流れでした。
今現在、私の今までの流れを振り返ってみて、冷却期間というか、少し考えているところです。レピーターでの交信も昔は私の趣味の一部であったはずなのですが、なかなかこちらの方へ耳が向かない状態です。


HFで交信している時に430Mも電源入れてますので
ヒマな方お呼びください。
あと、金曜日は晩御飯の支度しながら夕方聞いてます。
***ならない。動いてはいるのですが、どうにも自己評価が低い。人から評価してもらうことでもないし。
しかも2匹も。しかもしかも最初に飼った方のは生まれながらの隻腕だとのこと。3年前くらいかららしい。
Fには興味関心はなかったが、というか、芸能人本人にはだれに対しても興味はないのだが、猫好きか否かということは気になってしまう。
3年くらい飼っては来たのだが、今まではこのことを明らかにはしてこなかったようなので、わざとらしくなくますます好感が持てる。
忙しくない私でも犬の散歩など考えただけでも嫌なので、飼うのだったら猫の室内飼いが今の時代お勧めです。
野性のツシマとか沖縄の猫のような野生種以外の猫はすべて飼い猫ですし、ブランド猫も交雑した種類の中から品種として固定されたものですから、ほとんどが「雑種」とされる保護猫(飼育を放棄された猫)であろうが、人間の勝手な区分ですので、そういう意味以外での優劣(商品としての価格がつくということ以外での)はありません。
Fでしたらかなりの高価な猫でも買えるでしょうが。←これは余計な一文ですが。


そうだろうか。もしそうであるならば今よりもはるかに低レベルな生きかたしかできなかったのではないだろうか。
生活空間というものをどう定義するかにもよるが、実生活、実際の生活の延長だけではその通りだが、それ以上の物事を知ることは、たとえば科学というものの力によって可能にしてきたのではないか。
芸術とか文化というものによって想像の世界はかなり広げることができているのではないだろうか。


なんて考えるのはやめた方がいいという、庶民的な考えの私。
機械式の時計というものは大昔は貴族のものだったが、しだいに世の中が変わりブルジョワ=王族貴族ではない大金持ち、のものになっていったのかな。
ブルジョワが育てた近代資本主義は質の高い工業製品を安価に製造した。時計もそういうもののひとつであるのだろう。
だから今はさほどの御守りにもなれなくて中途半端なものなのだ。中途半端なものは所詮寿命というものがあって、やがて廃棄されていくシロモノかとも思う。ならば可能な限り性能がよくて、安価なもの=コストパフォーマンスの良いものを選ぶということになるのかな。
昔は手づくりだったから高価だったものが、今同レベルらしきものを作ったならはるかに安価に製造できる。まあ、いいことなんだが、何か引っかかっているなあ。


というふうに、今の私にはひがみの感情というものはほぼないらしい。こういう感情を持てないことはありがたいことなのだろう。
だが、今の季節、GWGWと五月蠅い。何がGWだ。そんなものは知らないぞ。でもよく考えてみればGW関係なし、という人はかなり多いのだと思う。私だけではないのだ。
そういうわけで、やっぱり僻みは、私にはないのだ。だけれどもGWGWと五月蝿いねえ。


まあ外野からは知られていない事は多いよね。知らないことをいいことにとんでもない(間違ったこと)を無責任に言う人がいますね。
私も、夏休みがあっていいですねえ、と言われた(さすがに間接的にだが)こともありましたけれど。そんな桃源郷があったらぜひ行ってみたかったなあ。
さすがに最近は、それとはまったく逆な職場だということが広く知られるようになりました。残業手当があったなら今頃大金持ちかもしれません〈夢想)。


医療に関わるさまざまな事項が気にならないこともない。コロナという事情で肺がん検診とその後の診断の停滞という事情。
医療資源は当たり前だが限りのあるものだろう。世界運動会開催などのために「無駄遣い」していていいものだろうか。「無駄遣い」かどうかは議論のあるところかもしれませんが、肺臓に何らかの異常のある者にとっては喫緊の課題です。


午後になり、雷雨。午後の時間帯、海沿いの方ではかなりの落雷があったらしい。暗くなってきて、私のところでは時々雨ではないものが断続的に降ってきたようだ。雹=ひょう、霰=あられなどの混じりの雨だったか。


太陽黒点は今度のサイクルでどれくらい上がりますかねえ?
私がDXを始めてすでにもう何回かサイクルを経験してきましたが、28MHzが一番よかったのは1990年くらいの時だったような気がします。
その後、黒点数のサイクルごとのピークは前のサイクルよりも下がり続けていませんか?
太陽活動の指標はいくつかあるのでしょうが、一番なじみのあるのがSSN=サンスポットナンバー、太陽黒点数です。この減少傾向は地球の寒冷化を示すのではありませんか?温暖化議論も結構ですが寒冷化が頭っからないというのも怖いことではないでしょうか?


深刻な医療の状況の中で(ただの風邪だという方もいらっしゃいますが)その一方ではお祭り騒ぎというのは、私はやや深刻に考えすぎるのかもしれませんが、いいのかなあ、そういうことをしていると、罰(ばち)が当たるのではないか、という方の感性を持っている私です。
あくまでも政治経済の面での事柄ではなく、まったく個人のレベルの中で完結してしまう事柄として感じていることは率直に申し上げておくことにします。
仮によいことではあってもその中に一部の悪がある場合、それは隠そうにも隠せないことのような気がします。
こういう心がけは人様に強要することではありませんが、促す程度のことは屋っておく方が自分の心の平安には慰めになります。


いよいよ明日は、というところなのですが、実はなかなかもたもたうじうじしていて、自分自身のことながら困惑気味です。
@今年は28MHzと3.5MHzにしか出られそうもないこと。モードはSSB。
A28MHzは少し前まで、出る気にはなれなかったこと。また、それとともに静岡コンテストにおけるこのBANDのことがわかっていないこと。
B3.5MHzは去年も運用しましたが、何となく7MHzでは感じなくてもいいこのBANDの厄介そうな部分に躊躇します。正直言って辟易しないこともありません。
Cま、これ以上言うといけませんが、国内コンテストは私が気にし過ぎるのかもしれませんが、気苦労が多い気がします。間違っているかな?
Dこういう状況の中で、ああ、私はHFのハイバンドでSSBやRTTYでお気楽にDXコンテストに出ているのが一番いいのだな、とおもってしまうことです。


ドンキボンと読むのだろうね。鈍器というのは実際の使われ方としては傷害事件とか殺人の凶器などをイメージさせる、あまりいい感じのしない語と思うが、分厚い、おそらく中身もボリュームのあるパワフルな感じ、という積極的な部分もあるのかな。
昔、レンガ本などと言われた京極夏彦のミステリーがあったが、あれだってすべての作が分厚かったわけではなかった(一応シリーズ全部読んだ)。
本は紙の本の方が読みやすく、などと書いたが電子書籍は今のところさほどに便利とは思えないし、実際ああいうものは読めやしないわけで、まったく縁はない。
今私の読書のメインは文庫本の古典で、若いころ読むことができなかった本などが読めればなあ、というスタンスだろう。
ここにもちょくちょく書いているが、購入先は完璧に古書店である。店内は密にならないいい環境なのだが、やや商品の回転が鈍い。ならば売れない本は価格をどんどん下げて欲しいが。


1300頃から約1H、28MHzSSBでCQを出して、16局。


最初は2月と言っていたのではなかったか?
じわりじわりと目立たないように先送りされていく。
この分だとなくなってしまうような気もする。なかったことにされてしまうような気もする。
医療従事者だってまだ充足していないのだ、という信じられないような話も聞く。不信感が頭をもたげてくる。
今は5月と言っているが、本当に?そういうふうにできるの?


3.5MHzの方は42局でした。28MHzと合わせると58局。


もう少し洒落た見出しが好きですが〜。山でも川でも事故が〜。
どんなに低い山でも、私たちの普段の生活のフィールドよりは何百何千倍ものスケールの大きさであるのが、山。それゆえに魅力も何百何千倍もあるのだけれど、危険性の方もそれに正比例している。
地図だけは必ず持参のこと。観光案内図はいけません。チョコレート1枚でいいので非常食(非常時にのみ食べる食べ物)も。水筒も最後まで飲んでしまわないで、少しだけ残しておくように、この少し残しておく水を登山用語(非公式かも)で「死に水」と呼んでいました。この言葉は怖い言葉ですがかなり含蓄のある言葉ですね。それから沢筋を下るのは途中でにっちもさっちもいかなくなってしまう場合が多いから避けましょう。道に迷ったら尾根筋に登りましょう。


なかなかそれができない、という方がいる。それが私には理解できないとまで言う気はないが、そこまで考える気はないが、私には自粛できないという気持ちはほぼ理解できない。
自粛せずに何をしたいのだろうか。外に遊びに行きたい、外食したい、外に気晴らしのために出掛けたい、温泉に行きたい、買い物に行きたい、にぎやかなところに行きたい、のだろうか。私にはそういう気持ちは、まったく、ない。
というか、我慢しなければならない、他人に迷惑がかかるではないか、こちらも感染するかもしれないではないか、こういう雰囲気は、意気込みは、風潮は、みんなで作っていかなくてはならない。
こういう見極め、こういう根性、こういう基本、などと言うものは子供の頃にどれもこれも身に着けた、身に着けるように導かれた。今はそう思っているのだが、違うのだろうか?


正直、私はあまり国内に興味はありませんでした。もっぱら海外=DXが主な対象でやってきました。
ですが、食わず嫌いもよくないので、国内の地方コンテスト(静岡コンテストのような)にもけっこうワッチしてログも提出してきました。
さらに前に進んでCQも出してコンテストをやってみるのもいいんじゃあないか、と思うようにはなっています。
そういうことで来年もまた静岡コンテストが一番出やすいので、いろいろ自分本位にどういう風に参加するか楽しみながら出ようと思っています。


私は行きません。理由は服装に興味がないからです。
私がもっぱら行くのは古書店です。110円以下では利益が出ないのかそれ以下の価格がなさそうなのが不満ですが、元の値段がその10倍以上のものが格安に手に入りますから、ありがたいです。
こういうお店がなくなってしまうのは私が困りますから、一生懸命宣伝しています。
持っている本の買取もしてくれますが、商売にはならない「売れ筋ではない本」は値がつかないようで、ただで引き取るか、お持ち帰りかのようです。買う人がいなければ値段はつかないのですね。高く売れそうなら有名人の他人が履いたスニーカーが何億円かで売れるんですね。高く売れるんじゃあない、と思って持ち込んだ人がこれは買取り外の本(発行部数が大きいから)、と言われてがっかりしているのをy子横で聞くこともありますね。こういう要素は楽しいですよ。有名人のスニーカーは一点ものですからね。


市立病院は何か月かに一度ですから、前のことは忘れています。なので新鮮で、そのため毎回若干の緊張状態で行きますが、診断の結果は特に変わりはないようです。
いつも、常に、毎回、必ず、しっかりとドクターから言われることですが、「風邪はひかないでくださいね」、あなたにとって風邪は致命的ですから、という意味なのだと思いますが、予防を心掛けることくらいができることなのでしょうか。
フツーの方よりやや厳しいくらいなのかな。まったく自覚症状はありませんが。
次回の受信日は11月11日です。


あるらしい。これはおもしろい。いいんじゃあないかと思う。私はからくも浪人はしなかったが、同期で浪人をするヤツも珍しくない時代だったから、どこかの大学に在籍しながら次年度別の大学を狙うという仮面浪人に対してそう悪いものだとは思わない。
ただ何かの因縁(仏教用語)で入学することとなってしまった大学に自分の居場所を求めるのももちろん、いい。やろうともってやれることならば、禁止されていないならば、やってしまえばいいんじゃあないかな、とは思う。親の経済的負担とかその他の問題はないわけではないが、若干の回り道も悪くはないと思う。
私も昔から仮面浪人の話はよく聞いていたから、こういうサークルがあることはGJだと思う。


私はQSLカードは手書きで書いています。筆記具のボールペンは最近書き味がいいというか、書いていて手の感触がいいものを選びます。でもまあ、最近は手書きで書くのは疲れます。しかし、手で書いた方が、満足感や納得感が大きいし、何よりも趣味であるので効率うんぬんを言い出したら駄目じゃあないの、というスタンスです。
はんこ、印鑑、印章、認印、何と呼ぶのがいいのでしょうか。これらも消滅はしないでしょうが、縮小は進むでしょうね。カードにはこれもしっかり捺します。猫の肉球付き。


私はオリンピックとは呼びにくかったので世界運動会などとここには書いてきたが、なぜオリンピックと呼べないかというと平和の祭典とは呼びにくいと思うからだ。
オリンピックは元来オリンピアの山の神々を祭る祭典だった。この祭りの期間には共通の神々を信ずるギリシアの人々は戦争を停止した。
平和の状態ではないなら、この期間だけでも平和にしようとはしないならば、オリンピックと呼ばれる資格はない。
今の世界は世界全体の戦争状態ではなさそうなのだが、100年ぶりの大きな疫病との戦いに苦戦を強いられている。
それから金も銀も胴もいらない、月桂樹の冠だけでいいのだ。あるいはそれすら要らない。とりわけ強欲の証となるようなものは断固拒否すべきだと思うのだ。でも、そうはいかないようだ。このことが解消されない限りはオリンピックは画餅ではないのか。


私は本はよく読む方だとは思うが、国語の教科書に採用されている作品はあまり面白いものではなかったような気がする。小中高の国語教科書で学ぶ、というか学ばされる散文=小説はどれもこれも興味が持てなかった。要するに何を表現しているのかさっぱりわからなかった。そういう作品ばかりだったような、そんな気がする。
以上は現代文の方だが、古文の方が古典文法なんて若気の至りで無視したが(ごめん)書かれている中身は意外にも心に引っかかるとげをもったような作品が多かった。人間や人間社会の取扱説明書のような感じがして、書かれていることの意味が分かり読んだことの意味がしっかり伝わって来た。
実用的な文章を教科書にも多くしていこうという考え方があるが、実用的=殺風景な文章という意味ではないと思う。また、もっと深い意味で言えば実用的の本当の意味は何かということも問題にすべきなのだ。


最近は2B、場合によっては4Bを常用することがオススメらしい。8Bまであるんだったかな。
でも私はもうボールペン一筋だ。消えては困ることを書くにはうってつけ、もってこい、だろう。
間違って書いて消せないと困るではないの?と言われそうだが、なーに線を1本化2本引いて、いわゆる「見せ消し」「見え消し」にすればいいのだ。間違ったことをなかったことにしようというのはいけないのだ。
QSLカードは間違って書いたら線を引いて消して訂正する、というのはまずいようだから書き直しをするしかないですね。


つまり対コロナ優良県らしいです。実はこのことは常日頃私は感じておりました。
静岡県人は、とりわけ静岡県中部の人は、穏健のようです。駿河乞食に遠州のからっ風ですから。徳川家康も隠居して長生きする土地に選んだわけです。
静岡県人は秩序順応的で真面目であるし、行列に並ぶのを嫌がるようです。
私自身は自分のことを不真面目で不謹慎であると思っているが、行列に並ぶのはホント死ぬほど嫌だね。
こういうことを感じるのは県外に出た時に感じることも多い。他県で「お茶をください」と言ったらエイリアンを見るような顔をされてしまった。
それからずいぶん時間がたって、まずいほうじ茶が出てきた。←この一文、やや極端に書きました。


なぜ世界運動家を中止にできないか。その理由が今までもわかっていたのですが、本日見たnet記事でくっきり見えました。なぜ目が曇らされていたかも、よくわかりました。
無観客でも一向に差し支えないようだ。参加できる国とできない国の別があってもこれまた一向にかまわないようだ。何ということだろう。だが、それこそが現実だ。
何ができるのかな。そして、何ができないのかな。したたかに私も成り行きを見ていきたい。肝心な競技の方はまったく爪の垢ほども興味関心はないのだが。←最後の一文はささやかな私の感情です。


パスツール研究所とか北里研究所というようなこの分野では歴史的な成果を上げた機関のあった国が、今はワクチンの開発・製造ができない国になっているんだね。簡単に言うと落ちぶれたわけだ。
なぜだろう。何か理由というか、原因のようなものがあるはずなんだが、日本もフランスも官庁が中央集権的な、頑固なような気がする。両国とも国の中身がそのように見えるのだけれど、そういう点が何か気になるのだけれど。わからないなあ。
日本は言うまでもないのだが、フランスも私にとっては好ましい国なのだが、両国ともどこかイヤーな部分もあることを感じるのだ。


ねえ。もっと飲んだ方がいいらしいが、昔の人間だものですから、登山の際にも、水は飲むなあ、バテるぞ、と言われたクチで、行動様式というと大袈裟なんですが、そうなっちゃってるようです。
それにあまり変なものを飲むのもどうかと思いますし、水が一番いいのですが意外にこれが、今は飲みにくいです。飲む、じゃあなく呑むになってしまいます。スポーツドリンクというものがどうも嫌ですし。
最近いいものを見つけました。これは案外飲めます。炭酸水です。これを最初に間違って飲んだのは、イタリアのボローニャ駅だったでしょうか売りに来た瓶入りの水を買って飲んだら、これがガス入りの水だったんですね。これはとても飲めたシロモノではなく、うぇ、となってしまいました。ガス入りではないのを買わなきゃ駄目だといわれました。アクアミネラーレ・ノンガサータって言うんだ。この「呪文」にしばらくうなされました。
それが今はおいしく飲めています。かといってがぶがぶ飲むこともできにくいので、勢いで飲んでしまえないこともいいと思います。お勧めです。


蛇蝎のごとく嫌われる、という成語のあるように一般的には蛇は嫌われる。巨大なニシキヘビが生息していない日本に住んでいることを感謝したい。でもまあ、輸入されたものを飼育する人はいるし、そこから逃げ出す場合もある。
猫が嫌いな人もいるのだからお互い様ではあるが、猫が人間に危害を加えることはワクチンの副反応で死ぬ人よりも少ないだろう。猫は人間に危害を加えるような、そんなに勤勉ではないのだから。それに、少しいやらしい言い方になるが、蛇好きと猫好きの圧倒的な数の差もあるし。
それに引き換えウイルスはどんどん変異型も出てきて、パワーアップしたり、人に危害を加えないウイルスも場合によっては、凶暴なタイプに変身もするのだね。
ただ、蛇も怖いが猫(猫目のキラリ)もごくまれに怖いと思うこともないこともないのだ。恐れることはある種自然な感情でもある。信じて疑わないというのではなく、お花畑に能天気に信じ込まないで、常に疑問や畏怖の感情は発揮できた方がよさそうに思う。


だって言葉の響きが悪いし。モノは慎重に買っているから、あるいは買わないで頂いたりしている。そういうものはそうそう捨てられない。捨てるということが平気な人が信じられない。捨てて平気な人が信じられない。モノを大切にしよう。こういうのを貧乏性というのかな、違うな。
消費行動というものはそもそもそんなに合理的なものではないが、すべて合理的でないわけではなく、合理的に買ったものもある。そういうものを捨ててしまうというのは生き方としていいのかなあ、とかなり切実に思う。
だが、私も無線機は買うけれども売らなかったので、溜まっていって持ち過ぎだったので、昔すぱっと整理したことがある。そうして売ってしまった。売ったお金はたいしたことはなかったが、500Kくらいにはなったので500K足して、1000Kの無線機を買ったた。
持っているもので売ってもたいしたお金にならないものは、価値のわかるOMにもらってもらう。これが一番いいようだ。


この市関連の不祥事はnetのニュースを見てもらうことにして、西尾市は江戸時代に西尾藩があった。藤枝市に田中藩があったように。
幕末西尾藩は井伊直弼の与党として活躍し、幕府内の反対派や尊王攘夷派を弾圧した。安政の大獄などの推進である。これによって所領(領地)を増やしてもらった。
西尾藩の得た所領として現在の焼津市(旧大井川町)の四か村を得た。この新たな領地を支配するために西尾藩は今の清流館高校(旧大井川高校)野球場あたりに陣屋(現地事務所)を設置した。小杉陣屋という。
桜田門外の変で井伊直弼は討たれ、その後しばらくして小杉陣屋も廃止された。西尾藩が加増された領地が没収されたのである。


自宅から 1295.0MHz FM に出ています。毎晩19:30からCQを出しています。お相手下さい。IC-9700 10W X5000給電部高さ 6m位です。3月31日 JS2EOQ 金澤さんからの呼び出しが有りQSOその後誰からも呼ばれません。オンエアー可能な局御座いましたらお相手下さい。今後も可能な限り続けますのでよろしくお願いいたします。
19:30に1295MHzという件了解しました
FMモードもしくはDVモードでお相手いただけると嬉しいです
木曜日はこの時間は不在ですので明日以降よろしくお願いします
普段は他の周波数で一通り運用した後1296.6MHzで出ています
レポート交換が可能でありましたらこちらでもよろしくお願いします


9月26日(日) 静岡県支部大会(中止)
https://www.jarl.com/sizuokaken/#sz2 R3.8.23 更新
● 令和3年度静岡県支部大会・ハムの祭典中止案内(支部H/Pよりコピペ)
静岡県内で新型コロナウイルス感染者が増加傾向にあり、来場者及びスタッフへ
の感染防止及び安全確保が困難であることから、9月26日(日)静岡県支部大
会・ハムの祭典の 開催中止と決定しました。
同時開催予定の制作講習会も中止いたします。
===========================================(支部H/Pよりコピペここまで)
https://www.jarl.com/sizuokaken/doc/pdf/r3nendo/sibutaikai2021/R3sibu.html R3.7.5 更新
静岡県支部大会の予定が支部H/P静岡県支部行事に
掲載されています
JARL静岡県支部↓↓↓
https://www.jarl.com/sizuokaken/
令和3年度JARL静岡県支部行事↓↓↓
https://www.jarl.com/sizuokaken/doc/shizuoka_brunch/event2021.html
この日はCQ WW RTTYの2日目ではありませんか。これは困った。どうしましょう。まあ、支部大会の方はなるべく短時間で、ということにさせてもらおうかな、と画策しましょうか。
もっとも、今=5月1日は7・14・21MHzのアンテナがないんだよね。秋には間に合うように、今は頑張っていますが。


わかりきっていることを
わざわざ聞いている問。そこで問われている数。
3573、100、6、1、1000、35877 ←テキトーでいいと考えたので、テキトーにに書きましたが、こんなモンでした。
などを聞いてくるのですが、なぜこんな馬鹿げたことを問うのか。
あ、そうでした、問の内容がまだ示してなかったですね。「次の数は偶数か奇数か」と問うものでした。
わかりきっているのになぜ、問とも言えない、謎の、意味不明な設問ですが、何かこれは意味のあるものなのでしょうか。
私はこんな高度な?数学は知りませんので、意味が分かりません。
9問ありまして、どきどきしながらやってみました。
文系の人には難しい、これは難問です、などと挑発する文言が書かれていますので、正解はこれに違いないのだけれど、まさか違うのかなどとスリルを楽しみましたが、結果は全問正解でした。
全問正解者は中学レベルの力はあります、との結びの言葉でした。


netの方にもそういう話題がいろいろ出てきます。
田舎の高校から東京大学に合格・入学して、自分と同期の同じ新入生とのギャップに驚き、また落胆もするという話。
東大も昔ほどではなさそうだ、というようなことは感じていますが、たかがその多くが二十歳前の若造ですよ。経験値というものを馬鹿にしてはいけないと思います。
二十歳であれば20年以上前のことは誰も経験はしていないのです。自分が直接知らないことを知る方法を見つけることが学問だ、お勉強とは違う。
現実的な話をひとつ。まともなサークルに入ることをお勧めしたい。ところが、ご存じの通りこれが今は無理なようだ。授業はリモートでかまわないもしれないが、ここ=友人をつくる、のところがかわいそうな気はする。


病気や抗がん剤の副作用で、ということなら女性でもなるのだが、ふつうは男性だけの現象か。
これを具合の悪いことととらえるか、何が悪いと慌てず騒がず泰然としているか、私は後者です。前者の場合そうではないと胡麻化そうというのは、日本の文化というか見てくれ重視というか、理解はできるが、このために莫大なお金(少なくとも気楽に出費できる金額とは言えないようだが)が必要なことと、つねに後ろめたい気持ちを持ちつ図家無くてはいけないことは、嫌だと思う。
ジェイソン・ステイサムは苦み走っていて常にクールだし(スクリーンの中だけかもしれないが)、それには勇気づけられるところがある。


土曜日の1500Z〜日曜日の1500Z、これは昔よく出ていたSP DX(SSB)の時刻、JSTでは日曜日の0000JSTから2400JSTの24H。
土曜日1600Z〜日曜日1600Z→日曜日の0100JST〜月曜日の0100JST,2013年からは、このEA RTTYの方に出ています。


あくまでも個人の感性ですが、見ようによってはかなり倒錯的な「絵」か?図柄も醜い?踏みつけたのが大柄の人でないのが、多少の救いか。
私も足の甲をハイヒールのかかとで踏まれたことがある。その少し後で、足に合わなかった新しい登山靴で足指の爪が変形してしまったことがあった。
その10年後くらいか、登山靴が痛くて耐え切れず、我慢できず脱いでビニールの草履に履き替えて下山したことがあった。
痛い話をして、あしからず。


前からの続きです。何を言いたかったかというと、時間帯を間違えていたということなのです。
私は何を勘違いしたのか、JSTの土曜日だとばかり思っていました。土曜日の1600Zに始まるのですが、ここはJSTでは日曜日の0100=真夜中の1時でした。UTCとJSTの変換の間違い、たまにこの勘違いをやらかします。
SP=ポーランドも、EA=スペインも、両方ともカトリックの国という風に憶えておきましょう。休息日の日曜なのです、と。


というわけで誕生した動物の幼いのが話題になり、ネタの常連さん。
今朝はアルパカとヤマアラシだった。
私の関心はもちろん猫なのだが、アルパカやヤマアラシよりは複雑なところが魅力であって、さらに言えば仔猫よりは成猫の方が面白いと思う。
犬はペット=愛玩動物なのだが、言い換えると人間のしもべでないといけない部分がある。人間のために働いたりもする。昔田舎で犬を飼っていた理由として、番犬として役に立っていたということが大きいのだと思う。
猫は今の時代家の中で飼うのが普通というか常識であって、愛玩動物であるのだろうが何かに役立つということは、ほぼない。昔の田舎では鼠を防ぐという意味で飼っていた=給餌していた、ということはあるが、今は猫の仕事はないし、猫がそれほど活動的に動き回るのはめったに見ない。まあ、ぐうたらな同居動物というふうに思うのだが。
多頭飼いしていた猫の飼い主が死んでしまったり、飼育放棄してしまったりすると、多頭飼いだったこともあってか、猫たちも悲惨な状況に追い込まれる。


風は穏やかなようです。1月2月、それから3月も風が吹き、まともにアンテナが上げられなかった。
明日になったばかりのの真夜中からですが、EA RTTYは日中は雨でもあるし、それなりに集中してできるでしょう。
ですが、このコンテスト、いろいろな理由はあるとは思いますが、例年あまり局数は伸びません。
ほぼ同時時間帯にSP DX(CW,SSB)がありますし、年度初めなので落ち着かないのかもしれませんね。たまにはSP DXのSSBの方にも出てみたい気にもなりますね。


T3-6DXが正しく動作しません。というかアンテナのトラブルですね。EA RTTYに出られず、がっかりです。前回や前々回のロールコールで指摘されていたことが、これ(トラブル)につながってきていそうです。
マイクじゃあないか、とされていたことが原因ではなく、アンテナの不調のようですね。CD78JrやHB104DXCは正常な動作をしていますので、無線機側ではなく、アンテナ側が原因でしょうか。


なんとかログをアップロードしましたよ。早朝のアンテナ不調には気も折れてしまいましたが、午後遅く21MHzや14MHzにも出て、15局交信しました。
アンテナ、7MHzはおかしいようですが、14と21はまあ、まともに働いてはいるようですが〜


メンフクロウのアイちゃん、だったかな。鳥類には♂♀が外見からはよくわからない種類があるとのこと。
一方ではニワトリのように外見からも雌雄がはっきりしている種類もある。でも、生まれたばかりの時はみんなひよこで区別がつかない。変な色に染められた♂ばかりの、縁日やお祭りなどで売られていたひよこはみんな♂でしたね。鑑定士という専門家がいるのだったね。
セキセイインコはくちばしの付け根の色が雌雄で違うのです。飼い鳥が逃げて探している飼い主さんの話はどうなったかな。鳥を飼うのは案外大変ですよ。猫が一番です。ただし家の中で、逃がさないように、去勢手術・避妊手術はぜひ。


というタイトル(うろ覚えSRI)の新書版の本が評判になった。学校での学習の遅れた不良少年はケーキが切れない、ということだったと思う。この本はかなり評判になって私も読んだが、少しだけ疑問がある。それは私もいきなりケーキを3等分にすることなどできそうもないのだ。120度の角度でケーキカットをするのだろうが、これは私は自信がない。どうしても3等分というのなら、まず円の中心をとおる直線でケーキをまっぷたつに割る。その180度と180度の角度にさらに2本30度と30度の角度で分割線を入れる。30度の分割したケーキ4つずつで120度近くにするという手だ。
あるいは縦横十文字に切って(これはかなり簡単だ)、4個のケーキ片を一片ずつ3人に分けて残りの一片はじゃんけんで決めるとか、それをさらに3等分する、などと考えてしまったが。
本の主題は学習の遅滞して学校内で居場所をなくした少年たちが非行少年になるということだと思うが、どうも私はケーキ3等分の話が納得しにくくて、いまだに気持ちがすっきりしていない。中身はまともな本だったが、タイトルだけは無理筋のように思える。
それとも何か重要な点を見落としてしまったか。


東京へ行くということになれば必ず回数券。そういう時代がありましたね。私ももっぱら仕事によく利用しました。というか、そういう仕方で東京まで出張に行くことになっていました。公衆電話が新幹線の車内に設置されたのもこの時期かな。まあ、使わなかったけれど。ある日、東京駅から自宅に電話しようと思ったら、公衆電話がないことに気づき唖然としたことを思い出しました。


英国エリザベス女王の夫だが、ギリシア王家の生まれとか。まあ、フィリップという英語の名前は、元々はフランス王の名前でもこういう王がいたし、フランス王にフィリップという名前の王がいることが、ギリシア風の名前だったのだが、本来フランスにとってはフランス語風の名前ではなかったのだ。
本来(やたら本来が出てきてごめん)はギリシア語の名前だったのだ。ギリシア人(マケドニア人)の、かの有名なアレクサンドロス大王の父君がフィリッポス2世という人物だった。
スペイン王国の全盛期のスペイン王がフェリペ2世だが、これも同じ名前だ。フランス王にもフィリップ2世という割合有名な王様がいた。
まあ、何を言いたいかというと、この名前はヨーロッパ中にに広く使われている名前だということだ。
フィリピンという国名もフェリペ2世にちなむ名前だ。時代もめちゃくちゃに書いていて申し訳なし。


という題名の記事があった。昔は人生50年と言われたけれど、今は80年くらいだから意味合いが違うかもしれない。
人生いろいろだから、いろいろな内容の「やっておきたかったこと」が出ていて面白かった。この記事、朝はあったのだが今は出ていないようだ。が、もう一度じっくり読みたいわけではない。
今はできないことという意味と解釈するならば、私の場合は上級試験ということだったか。従事者免許証の日付を見たら50歳になる11か月前だった。3回目以降の国家試験を受けることとなったなら、この日付は50歳過ぎていたものだったかもしれない。


通常の考え方では有り得ないことだとは思うが、指摘の通りトラッキング火災ということは可能性があると思うので注意したい。だけれども、待って欲しい。これって使い方というかメンテナンスの問題であって、延長コードそのものの問題ではないと思う。
そんなことよりも最近の延長コードについて、気になることとはコードの導線がしなやかではないことだ。昔のコードはもっとしなやかだったし、それによって使いやすいものだったと思うのだ。被覆の材質が昔とは違うのでしなやかではなくて固くなった、ということだけならばいいのだが、これが使い勝手が悪いということもあって、どうも気に食わないし、材質悪化ではないかとも疑う。断線もしやすいような気もする。ともかく釈然としない。


めったにお店には行かない、行くとしてもごく限られたお店にしか行かない、この私だが、最近続けてフツーのお店(スーパーだが)に行った。いきなりすごいものを見てしまった。お店の入り口に積まれたパック詰めのお野菜を、ものすごい勢いでかきまわしひっくり返し滅茶苦茶にいじりまわすお客だ。見てはいけないものを見てしまったようなイヤーな気分になった。どんな人かというまでは確かめなかったが、たぶん確率的に女性であろう。私のXさんの話によればお年寄りの女性に多いケースだということだった。私はこういう現場に免疫がないものだから、ある種の恐ろしさを感じて、早々にその場を離れた。


そこで半袖になった。その右手で左手の上腕を触ると、疱瘡の痕やBCG接種の痕が指先に感じられた。
毎年インフルエンザの予防接種を気管支拡張症という風邪にかかると危ない身体だからね、と言われている。最近はほぼ家にいる。コロナのワクチンの接種もあるというけれど、いつになるのだろうか。


ですので、「わかりきっている」と思っていたことなのですが、実はよくわかってはいません。
T3-6DXという「巨大なアンテナ」はたぶん問題ないのだと思います。
アンテナからシャックまでの経路が問題なのであろうと思います。
自分が自力で見ることができる部分については「目視」では昨日今日とチェックしましたが、その同軸ケーブル等は異常はないようです。
あまり神経質にならないで、ギスギスしないで解決策をはかっています。好転しましたら、その時はお知らせします。


ありそうでいて、自分にはあまりないようにも思う。こだわりがあったほうが、何かポリシーがあって格好よさそうだが、反面無意味な面倒くさい人にも思えるのかもしれない。
食べ物の好き嫌いというものは案外気になることのようにも思う。幸い私は好き嫌いはほぼない。基本何でも食べられる。だが正直言うとちょっと遠慮したいものもないわけではない。だがだが、まあ状況にもよるが好き嫌いは出さないようにその場は過ごすことが多い。
極端なものはまあ遠慮してもいいと思い、食べなかったこともあったように思う。
いかの塩辛はさすがに私でも無理だ。鰹の(内蔵の)塩辛は見ても見なかったことにする。酒飲みの人は人は好きなもののようだが、完璧なものはこの世には存在はしない。


@何といっても、家の中で飼っていれば手がかからない点。証拠確実
Aしつけなどに、ほとんど手がかからない点。証拠確実、トイレのしつけだけ
B注射の必要なし。証拠確実←うるさいね!
C小さい獣の方がよい。うちのは8000g近いが、これは例外
D飼い主側が害を受ける可能性はほぼ0。わが家の実績
E平和の実感。日光の眠り猫。寝ている猫は宝物。
Fさらに言うならば犬の悪口になってしまうので、それは避けたい。御免


細かな泡が出ておいしいのだとか。私はもうビールはやめたので、好き好んでは飲まないかな?
こういう風に私には、今はやめた、というものがけっこうある。趣味の世界でも、飼い鳥、サボテン栽培、写真、弓道、登山など熱心だった(ホントに熱心だったが)が今はやめてまったくと言っていいほど後ろを振り向かない。
読書とハムだけが残っている。飲酒という嗜好品もやめてはいない。だがビールは本当にやめてしまっていて、もう数年は経過しただろうか。今は焼酎の乙類で麦が好みだが、他のものでもよい。ハイボールといってもいいだろうが、炭酸水で割って飲むのが好みだが、割らないで飲むのも悪くはない。
それから猫が好みで、ブランド猫ではなく保護猫でもかまわない(やや差別的な言い草か)という考え方になっている。保護猫は昔の言葉でいうと捨て猫だが、ほぼ雑種猫なので性格が予想不能なところがある。


木造建築が主体の日本では新築の建造物が好まれるから、古い建造物を尊重するという感性が少ない傾向がある。青い畳にヒノキの薫る新築の家が理想なのだろうか。
ヨーロッパでは石造りの古い建築が尊ばれ、場合によっては古い方が価格が高いということもあるらしいが、これは日本人には理解しがたい感性なのかもしれない。
こういう古い建造物、ということは日本だから木造建造物なのだが、これらがまとまって街並みを保っているところは非常に少ない。静岡県には残念ながらほぼ皆無なのである。
私は映画の寅さんシリーズには興味はなくまったく見てはいないのだが、寅さん好きな友人に誘われて昔(50年前くらいかな)柴又を訪ねたことがある。
柴又の帝釈天の門前町だが、古代には島俣と呼ばれていた、まあ藤枝の大洲や高洲のような場所で、正倉院文書にこの地域の7世紀の戸籍の一部が残っている。私はこれがどんな場所か一度行ってみたかった。
帝釈天の裏手には矢切の渡しがあって今でも渡し舟を運行させていると思う。私たちは向こう岸に渡ったため帰りが遅くなってしまった。


今7・14・21MHzのアンテナが具合が悪く、土日のSP RTTYには出られない。幸い3.5〜3.8MHz(クリエートCD78Jr-H)と28MHz(ミニマルチHB104DXC)はちゃんと働きそうなのであるが、これでDXは難しいのでオールJAに出てみようかと思っている。
今まで国内の交信にはあまり興味はなかったが、とりわけ3.5も28も国内は交信局数が少ないので、面白いかもしれない。3.5の方は最近の国内コンテストにはその気になって出ているが、28の方が全然わかっていないので面白いかも。だけれどもそんなには出てこないだろうね。
そのすぐ後の静岡コンテストの予行演習にもなるかもしれない。


というような文言がnetに出ていたので、自分なりの答を出してみた。
@その1、東京かな、ハムフェアももちろん、この中に込み、です。
Aその2、大阪、でもないような気がしますが、@と合わせるために大阪と書いておきましょうか。もちろん、関ハム込みで、こう書くわけですが。
Bその3、奈良、でしょうか。一番行ってみたいところでしょうか。何十回と訪れたところですが、魅力的な場所ですから。ハムはほぼ無関係ですが。
あまり焦らないでじっくり物事には対処しませんと、たぶんうまくは行きませんでしょう。


土日と、珍しく身体を使うことがきつく、若いころだったなら筋肉が痛くて〜、で済んだことが、今は関節までが痛くてと弱音を吐きまくり状態です。
何とか静岡コンテストは参加しなくては、と思ってはいますが、心身ともに青息吐息の状態です。

