生きていくのも、何かなあ
MAKRO RTTY
21MHz以外交信できない。それで31局
去年よりは悪いです。コンディションも、出ている局数も、来週のJARTS RTTYも気になります。
農薬の散布によるのか。
昔は農薬は猛毒のものをよく使っていました、パラチオンとかホリドールという名前の有機リン系農薬ですね。散布した水田には赤い三角形の旗を立てました。どこの水田にも赤旗が立っていました。共同防除ということでもありました。
その後は弱毒のものが開発されていったのではないかと思いますが、よくは知りません。さらにその後は無農薬栽培ということも行われる場合にもなったのでしょうか。
今でも農薬は標準的な稲作などの農業には使われています。害虫や病害虫防除に使うのです。また、除草剤は当たり前に使います。
私のところでは除草剤は使いますが、なかなか使い方が難しくて使いこなせません。今年は猛暑のせいでどこの水田にもいろいろな雑草が生い茂りました。手で一本一本抜くのが一番確かですが、重労働なので早々やれませんが、熱心な農家はしっかりやっていますが、さすがのそういう農家も今年はけっこう水田に雑草を生やしてしまっていました。
スクミリンゴガイ、通称ジャンボタニシですが(正確にはタニシではないようです)、今年はよく出てきて植えたばかりの水田の稲もけっこう食害を受けました。


水稲の除草剤は田に投げ込みます。投げ込まれた除草剤は水面に広まり、やがて土の面に沈殿して、除草というより雑草が生えてこないように働きます。これを2回くらいやるのですが、1回目はまあまあうまく行くのですが、2回目の散布が案外難しいです。
害虫の殺虫や病気の発生には農薬を使うのですが、わが家では使いません。動力噴霧器もあるのですがもう使う農家も少ないような気がします。この点では無農薬を何年か(けっこう長く)継続してきました。現実的に一番困るのがカメムシの大量発生で、カメムシの食害が悩みです。ここ3年稲の品種を晩稲(おくて)から中稲に替えましたので、カメムシの時期と少しずらせることになっているようです。


朝の9時から夕方の5時までの8時間の定められた1回目の時間帯が終わり、21MHzだけで44局です。去年よりもだいぶ少なかったようです。
2回目は真夜中の1時から日曜朝の9時までの8時間、3回目は日曜日の夕方5時から月曜日の真夜中1時までの8時間。総合計が8+8+8=24となります。


1700〜0100JSTの運用時間が迫ってきますが、28MHzだけで聴いて(ではない、RTTYなので見て)みたいと思います。
7MHzがEUまで飛びませんね。14MHzもうまく運用できません。交信したほとんどが21MHzです。
64局できています。
102局できました。
昨年よりも局数の上昇ペースが上向かず、こりゃ去年並にはいかないな、とあきらめていましたが、日曜日の夕方28MHzだけに絞って集中してオペレート。
EU方向が開けて信号も強力でした。おかげで昨年と同じ局数まで行けました。そこでやめました。28MHzは開かないとどうしようもないのですが、開くと強力です。


インフルエンザワクチンの今年の分を一緒に接種してきました。最初は痛くも痒くもなかったのですが、インフルの方が少し腫れてきましたね。インフルの方が少し量が多いようです。


某自動車関連企業の除草剤利用(悪用?)で話題になりました。近隣の農家で行っている除草剤の使い方(の一部)を紹介します。
・除草剤は100倍に希釈して使用することが普通のようです。
・ですが、もう少し効き目を強くしたい場合には50倍希釈でも使います。
・あぜ道に散布するとミミズが死にますので、結果的にあぜ道が痛みます。水が漏れるようになりますので、あぜ道には除草剤は避けて草刈り機で刈り取ることが多いです。
・雑木を枯らしてしまいたい場合には、切り口に除草剤の原液を付けてやります。ふつうの使い方ではない例外的な使い方ですが、効き目はあるようです。私自身は経験がありません。
な方ではないようにも感じる。
一生懸命にやっていても案外未練なくそれとの縁を切ってしまう場合もある。後顧の憂いがないのです。ちょっと違うか?これについて今は書かないですが。
HAMも実は結構幼い時から興味は持っていたのです。ライセンスを取ったのはかなり後のことですが。このようにしぶとい部分もいっぱいあります。恨みがましい性格なのかもしれません。
珍しく朝新聞(広告)を見たら、あたかも両者が同じものなのだと早とちりさせるようなキャッチフレーズ。
というか、ストーリー(物語)からヒストリー(歴史)という語が派生したのですね。だからストーリーはヒストリーではないわけです。違うわけです。
ストーリーはその多くが面白おかしく、興味深く楽しめるように書かれていますが、ヒストリーの方が科学であり真実の探求に向かうものです。ふつうはヒストリーの方が「そんなに面白くはない」のです。
何千年前かに戻ってしまうような詭弁はご勘弁いただきたいものです。
W方向に向けて見ていますが、あまりぱっとしませんね。PYは何とかですが、LUは苦しいですね。
もっとも28MHzのだけの運用です。明日からは「下の方」で見ます。風が強いものですから。
今正午、23局、繰り返しますが、28MHzだけ。夕方EU方向ではどうかな?


140局交信しました。例年よりは出てくる局が少ないのかな。まあ、21や28のハイバンドが賑やかにならないと、DXコンテストですからそういうことなのかな。一番心配なのはRTTY人気というか、RTTY愛好者が少なくなることなのだが。
昨日今日とのどが痛くてしょうがないのだが、RTTYのコンテストなのでその点支障はありません。だけれども別の面での苦労、というか面倒くささはあるのですよ。


1北から陸地伝いに来た(いったん絶滅したが戻ってきた)。
2絶滅せずに辛抱強く生きていた。
3フィリピン海プレートに乗って南から着た。
4どこかから運んできて、伊豆に放された。
まあ3は冗談ですが、1でしょうか。案外2かもしれません。4も当然可能性としてはあり得ます。
静岡県に住んでいても伊豆にはあまり行かないなあ。焼津あたりからは海の向こうに見えるのだけれど。
よけいなはなしだけれども、これからの季節に西伊豆まで船で行くと季節風で結構きつい場合があります。経験者ですが。


7MHz 5,14MHz 23,21MHz 103,28MHz 51,計182
例年よりも少ない気がします。200局以上が当たり前で、300局以上もそう珍しくはなかったのに。


ブラウザの中にあった話ですが、これは私も通過したことのある隧道かもしれない。割合この地域にはこういうトンネルがたくさんあったような気がする。怖い話のように書かれているが、そうでもないように思う。昔の話として少しでも生活を便利にしよう、よくしようという結果がこれではないだろうかと思うのだ。
マムシが出るともあったが、隧道が利用されなくなって、その結果その周囲が荒れて人間社会から遠ざかったので、自然が回復して(荒れ果てて、ともいえるが)マムシも安心して暮らせるようになったのではないのだろうか。
長くて狭い隧道は結構怖い。南アルプスの夜叉神峠の下を通り抜けるトンネルは中央部あたりが自動車のすれ違い場所になっていて、その他は細いトンネルで結構こわい。対向車が来たりするとなおのこと怖い。水が大量に漏れ落ちている個所もあって不安材料はいっぱいある。反対側の出口が見える真っすぐなだけが唯一の安心材料だった。


言われても、素朴な疑問。短い言葉でも、そりゃあ伝わることはあるけれど、高度な人間の志向や思考や指向や試行や嗜好や至高と思うものの表明、意思表示には普通はかなりの文字数は必要だと思うのだが。
まあそう言うことはしない、というのなら何も言うことはないのだけれど、そうなの?


「戦車で轢いてやる」という返答・返しはなかなか洒落ている。できそうで実はできないとわかってしまってはいるが、本当にできることで返しても面白くないからなあ。


ぎんなん、茶碗蒸しに入っている公孫樹の実ですね。茶碗蒸しは食べたのですが、中にあるぎんなんは残していました。宴会料理の定番ですから今まで何度出されたのだったか。そのたびに食べずに残していました。
実はつい最近、市販のプラ容器入りの茶碗蒸しを食べまして、ぎんなんも食べてみました。
お、これは食べられないこともないと、人生で初めてぎんなんを食べました。二度目も同じ形で同じプラ容器のものを食べ、何の躊躇もせずにぎんなんも食べました。
こういうこともある、ということでここにも書いてみました。何かの理由か、何かのきっかけがあって食べなかったのでしょうが。
そういうぎんなんの収穫最盛期だそうです。


数年前愛媛県松山市、料理はおいしかった。鯛めしがおいしかったので、たまに我が家でも「鯛めしの素」を使うのでしょうか、これで楽しみます。
この鯛めしはホテルの料理だったが、翌日の結婚式場の披露宴の料理にも鯛めしが出たが、残念ながらこちらはそうではなかった。


次の週末(日本の場合は土日月だが)は風も穏やかそうで、ありがたい天候です。
最近はRTTYのコンテストの方が楽しみで、SSBの方は声を出さなければならないので、その点が気が重いです。
昔は毎日声を出していたから、声を出す「お仕事」だったからマイクに向かうのは何でもなかったのだろうが、今はそういう気力体力が著しく減退しました。
DXクラスターなども何年も見たことはありませんので、クラスターで目ぼしい局を探して呼んでみるというのも、コンテストとしては間が抜けているようにも思え、ふらふら迷うところです。
ただ、一生懸命にCQを出している局を呼ぶ側もコンテストそのものを支える重要な要素です。


最近は本を読んでいて、すぐに寝てしまいます。新書版ですのでスマホほど重くはないので落ちてきても痛くはないようで、覚めてしまうことはないようでそのまま寝てしまっています。
栞を挟まないので本のページがどこだったか、当然わかりません。なので毎夜読んでいる割にはなかなか先へ進みません。
表紙がダメージを受けやすいようで、よく読まれているということがわかりますが、実際はそうでもないわけです。
スマホですか?そういうものは相手になりません。、


雪虫を知らないし、ましてやその大発生というものも想像できない。ひところ藤枝駅前である野鳥の害が話題になりました。単体ならいいのだけれど集団だと困る、怖い、悪さをする、というのはいろいろありますね。
何十年か前の我が家の前の用水路は、ボウフラが大漁にゴミのように流れていた。すぐに慣れたけれど。大発生と言うと悪いことの方につながってしまうことが多いので、そうでなければいいのですが。


というと12月が来て、そして新年だ。
暑かった夏だが涼しい今は、暑かったことを忘れたとは言わないが、勝手なものでそれなりに忘れようとしている。
暑かったので海に行っても暑いから、山に行く人が多かったのだと、誰も言わないようなことを私は言ってしまう。
山は100m標高が上がると1.55°気温が下がる(だったかな、気温の逓減率)。標高1000mならば平野部よりも15°下がるわけだ。最近こいう知識を実際には使っていないからちょっと自信がないが。
今は秋で朝夕の気温と日中の気温差がけっこう厳しい。
今の季節は山に登っているようなものだ、などとは誰も言わないがそうである。
思い出すが、まだ暗い早朝ガサゴソとパッキング(荷造り)を整えヘッドランプを照らし歩き出すのだ。午後のなるべく早い時間帯にその日の幕営地に着くのが理想的だ。もっとも今は装備がずいぶん軽くなったようだから、もう少し歩けてしまうのだろうか。が、雷も怖いから余裕は欲しい。テントだって自分で設営しなくてはならない。食事も当然自分で用意する。アーベントロート(外国語だがこれで正しかったか)もゆっくり眺められないで、案外あっけなく夜訪れる。


低級車という語はないらしい。中級車という語はキー入力でそのまま?「出てきた」。高級車というのがよくわからないが、ここでの話は特定の盗難されやすい高額な車のことらしい。
いずれにしても私は高額な車は買ったことがない。低額で買える車を大事に車庫に入れておくという乗り方使い方だった。屋外駐車しておく高級車という組み合わせはなにか**だなあとも感じる。もっと大事に使った方がいいのでは、と余計なことを言いたくなる。まあ今は自分の車も持っていないし、ある種煩わしいものを持たないでいるので清々しくもある。
最後の方の車は安くて古いいや古過ぎる車だったが、好みの車で乗っていて非常に気分の良くなる車だった。それを「締め」にした。


今さら支払う側でも何でもないですが、この学費関連のニュースはちょっと心のどこかが痛くなる。
私は当時もっとも学費の安い私立大学を受験した。東京にあった大学の受験もその大学に入って学費があまり高くない大学を受験した。
まあ、これ以上は話さないが文学部というあまり学費は高くはない学部だったから、何とか可能な受験だったし、合格した場合の進学先だった。
貧乏学生の部類に入るのだが、それほど惨めとか肩身の狭い生活を送ったというわけでもなかった。山の中に入ると生活費が少し安くなって、そんなことは知らないで山登りのサークルに入ったのだけれど、これは私の選択した中での最善の選択だったような気もする。


そうですね、多くの場合すぐに食べることはありませんので、温めてはもらいませんし、どちらかというと温めない方が好きかもしれません。
あたためますか?って言ってくれないとちょっと不満、と言う人がいるのかな。店員さんにそう言って温めてもらえばいいだけじゃあないのかな?、
私の子供の頃は炊いたご飯はいつまでも温かくはなかったのです。いわゆる「冷や飯」になってしまい「冷や飯食い」は一段価値が下がると言ったらいいのでしょうか、そういう下賤のものという感じでしょうか、そういう感じだったのでしょうか。
温かいご飯というのが「今の時代の当たり前のもの」になってしまったから「冷たいご飯」は嫌がられるのでしょうか。
今のご飯は冷や飯でもあまり不味くはないと思いますよ。ただし、冷の麦飯(麦が混ぜてあるご飯)はものすごく不味い物でした。


おむすび、むすび、と言う方が私は少しばかり感じよく感じます。おにぎり、にぎり、にぎにぎ、って賄賂のこと(暗語、隠語)ではないですか。まああまりこういう正規ではない語は知らないのですが。


咽が痛くて、やめました。治るだろうと思っていたのですが、結局治りが遅くWW SSBに間に合いませんでした。
RTTYのコンテストはこういうことがないからいいですね。マウスを操作しながら飲み食いも可能です。
RTTYのコンテストも年内あと2つ。
11月 WAE RTTY、(Worked All Europe RTTY)48H
12月 OK RTTY 24H


志太平野、志太平野の正式な名称があるのかはしりませんが、大井川の三角州、デルタですね、あるいは金谷あたりを扇央とする扇状地かもしれませんが、まだそこにしっかりと構築された堤防もなかったころ、大井川は自由にというか好き勝手というか、この平野一面にその低い場所をぬって川が流れていたでしょう。
平野とは言いますが、上流から運ばれた土砂がたまった洲や流れに沿って作られた自然堤防などの微高地もあり凸凹はあったのでしょう。今はずいぶん高低差が少なくなって平らになったように見えます。ですがこの凸凹が消えてなくなってしまったわけではありません。
でも、さすがに「沼」はなくなってしまったように見えます。ながくなるので、ここまで。


大井川がうねうねと流れていた。今は川筋は両側をがっちり堤防で固められてしまっていますが。昔は大井川も勢いに任せてあちらまたこちらと流れを変えていたようです。
流れに沿って土砂がたまった洲ができます。大洲や高洲という地名はそう言うことからの命名ですね。
また流れた川筋に沿って自然堤防という川筋の両側にたまる帯状の土砂の「堤防のような」地形が作られます。これを自然堤防と言い、川筋から見てその向こう側に後背湿地ができることもあります。
後背湿地はところどころに水たまりを作っている場合もあります。その水たまりがそこの泥をたまらせている場合は沼でもあります。
自然の河川は水流の勢いで流れを曲げていくことがあり、こういうものをメアンダー(蛇行)と言いますが。このメアンダーが出水によって切れ切れになった水たまりが三日月湖です。こういうでき方で沼ができることもあります。
まあぐでぐでと書きましたが、要するに大井川平野の各地には水たまりや沼がいっぱいあったわけです。昔はね。


脚を4本とも伸ばし全力疾走か。
私も南アルプ山中で見ました。熊からも見られていたようで、熊は全力疾走で急斜面を駆け上りました。もうこの話はここで何度もしています。
全力疾走はいいのだけれど、どれくらいの距離を全力疾走できるのだろう。猫も同じような姿勢で全力疾走ができますが、全力疾走できる時間は極めて短いと思われます。
今さら熊と再会できる可能性はないですが、熊が猫程度のダッシュしかできないでいてくれることを望みます。


トランシーバーの「古いの」が出てくるのですね。まあ、その仕組みはわかりますが、その仕組みは「精密ではなく」「アバウトで」「的を得ていません」。
いまはこういう古〜いTRXには興味はないのだなあ。最新機種を出してほしいのだなあ。
まあ、こういう古〜い機種を好んで使う、というのも趣味だからあるのだろうけれど、少なくとも私はこういう今となってはは実用的でないものは縁がないなあ。
20世紀のものはもう、私は使えません。21世紀に入ってから、いや2020年代に入ってから以降のモノなら、何とかかと。


破れかぶれみたいにも見えるけれど、あそこまでバイオレンスを発揮できるとは、やったことはもちろん褒められるはずもないが、すごいものですね。放火もしていますからなかなか娑婆には戻れないような重罪でしょうね。


まあ夢中になって見たり、関心を持ったり、熱中したりすることはない。草野球というものをやったのは私の世代では当たり前のことだったし、何かを言ったわけではなかったが、また欲しいと言ったわけでもないのだが、父がグローブ(グラヴと言う方がいいのかな)をほいっと買ってくれたりした。
だいたい私は球技というものの才能はなかったし、そのことによって球技というものに対する関心も育たなかった。
だが野球に関する一部の話題には関心も持ち続けているのかもしれないが、あのとにかく勝ち負けの極端な異常さは好きにはなれない。勝った負けたに異常に執着するのは大嫌いであるし、そういう部分からは逃げたい。
ある程度WWであることも野球のいいところかもしれない。将棋などというドメスティックなのも悪くはないが。


やってみましょう、今年も。


先日、阪急うめだ本店に新たに誕生した話題のフロア「GREEN AGE」に行ってきました。https://vogcopy.net/brand-98-c0.html ロエベ コピー バッグ 「人と自然の共生」をコンセプトに掲げた店内は、ロエベの世界で最初のストア「ロエベ リクラフト」やブランド初のカフェをオープンした「ステラズ ワールド バイ ステラ マッカートニー」など、気になるショップが盛り沢山。ここでは、エディターの私的お気に入りスポットをご紹介します。
まず向かったのは、ロエベ(LOEWE)が手がける「LOEWE ReCraft(ロエベ リクラフト)」。こちらは、革製品の修理・補修を専門としているのですが、なんと世界で最初のストアなのです! メゾンの革職人が常駐し、https://vogcopyevery.exblog.jp/ リペア・パーソナライズサービスを提供してくれるというので、私は愛用のバッグ「パズル」を持って行きました。もう5年ほどヘビロテしているため、全体的に艶感がなく、特にハンドルの部分の汚れが目立ち気になっていたのです。
というのは「違和感を感じる」。hi
「違和感」というだけで感じていることも含んでいる。感じていることを感じているわけだから変なのだ。こういうのを重言というのだそうだ。
言葉というものは書籍から学ぶということもあるが、普通の言葉は会話からも学ぶ。だから案外重言は多いのだろう。
書いた言葉はその本人が推敲するだけではなく、他人に見てもらうという過程も案外、いや絶対に有効なのだと思った。その文章に命がかかっている場合もある。
朝からいいことを教わった気がした。
今年の夏は暑かった(と、なかなか過去形では書けないが)ので、水分命でたくさん飲みました。吞みましたの方が当たっているくらいたくさん。
ですが、水だけでもつまらないので味の付いている冷たくした飲料もたくさん飲みました。
ただ、アイスコーヒーというものだけは飲む気にはなりません。暑い日が続く中でも毎日ではありませんがホットでコーヒーは頂きます。私は猫舌なので熱いものは苦手なのですが、そこから少し下がれば大丈夫なのでぐびりとコーヒーを頂きます。
アイスコーヒーは日本の専売特許だそうで、コーヒーの歴史の貧弱な日本だから生み出してしまったシロモノのようです。でもまあ好きなものを好きに飲めばいいようにも思います。暑いからアイスコーヒーにしろよと、もしかして言われても苦笑いをしてホットを頂きます。セッカクアイスコーヒーを出していただいたなら、にこっと笑うふりをして、これまた頂きます。
鼻はあまりよくないので香りを楽しんでいるわけでもないし、たいした舌も持ってはいません。あえて言えばコーヒーというものはのど越しがいいのかな。適度に暖かいコーヒーはのどに心地よい。
コーヒーよりも好きな飲み物もあるのでコーヒーが飲みたいとわがままも言わないし、コーヒー中毒なんかではありません。が、適度なカフェインは摂取したい口かな。
コーヒーよりも好きな嗜好品はもちろんお酒ですね。こちらはコーヒーよりもさらにのどに心地よい、というかよすぎてよくない。
人様の趣味に文句を言うのはよくないが、どうしても理解できないことがあるのでつぶやく。それは加水分解によってやがては劣化してしまう工業製品だということ。そこに何があるのか。どんなものでも多かれ少なかれ劣化や、劣化ではないにしても無情な時の経過があるということは避けられない。
靴のような製品ならば死蔵などしないで、よく履いてやったらどうなのだろうか、とは思うがどうもこれもコレクション的趣味性とは相いれないことなのだろう。
昔は使い古した履物は「弊履のように捨てた」ものだったから、履物全体もそれなりにそれまでの付き合いに感謝して、結果的には躊躇なく捨て去るものであるような気がしてならない。
まあ私の考えとしては「使ってこそなんぼ」なのではあるが。ま、部外者の軽率な?なので。
袋状のものをザックとかサックという。バックパックという語も使われた。
登山をしていた私はキスリングという横長型の大型ザックを使っていた。
その後縦型のものを使うようになった。縦長型も荷物を詰め込むにはコツがあるが、背中にフィットしやすくキスリングよりだいぶ楽になった。
うまくパック=荷を作るには紐の締め方で調節できる。だからこのザックが進歩発展する中で紐だらけになっていった。ここがちょっと見苦しいと言えばそうも言えてしまうのだなあ。キスリングも紐1本でうまく締めれば背負いやすくなったのだが、ある種高度な技だったのかもしれない。
最近ビジネス用のものが出てきてデザイン性をうるさく言うようになった。デザイン性に逆らうわけではないが背負いやすさが最優先されるべきだ。背負いやすく収納性にも優れたものがいいものだとは思うが、モノを入れて全体が丸っこくなってしまうものは満員電車の中で嫌われる。
ぺしゃんと薄っぺらな「封筒を背負っているような」、それでいて中のものをしっかり守れるものがいいと私は思うが、ここまで割り切ったものを販売してくれるメーカーはいないようだ。
DXなんてのが困る。デジタルトランスフォーメーションを略したいなら文字数をケチらないでもう少し長くしたらどうなのかと。そんな風には思っている。
でもDX(長距離通信)をやる人は少ないのかな。TXとRXと並べてくれるならわかるのだが、TRXというのもやや微妙な気がする。
まあ使えばいいのだと思うが、勝手にやってくれとも思うのだが、同音多義語にはなるべくならないように名付け親は頭のいい所を見せてほしいものだ。**か!なんてのは困る。
50年以上昔の話ですが、今の時代でも基本は同じ部分が多いので、まあまあ通用する話かと。
専攻は歴史学でしたので、一般的な会社務めは縁がありません。素直に歴史学の勉強を生かす道に進んだわけですが、別の道として新聞社なんてどうだろうか、と考えたことも少しあります。マスコミ関係ですね。
しかし、こう何というか違和感がありまして、そういうことはやめました。さっぱりと気持ちを落ち着けてよかったのでしょうね。
もう一つの道としては研究者の道ということも考えたのですが、さらに4年間というのもイメージしにくく、これは選択したくても無理な道だったと思います。
というのは間違いで、一芸だけでは身を助けない、だという。
えええ、たぶん一芸ではなく、芸は身を助ける、ではなかったか??
とにかく一芸は間違いで、芸は芸でも多芸でなくては駄目なのではないの?
多芸過ぎても駄目だとは思うが、一芸では心細いし、たぶんこの複雑な人間として生きるのに、あるいは複雑な人間社会を生きるのに一芸だけとはあまりにも心細い。
一芸入試とは揶揄(やゆ、からかい)の含まれた言葉なのでは。
仏像は階層というか、像としての位置づけが決まっていて、上から如来・菩薩・天部などとなっています。如来は悟りを開いた仏、菩薩は修行をして如来を目指すとともに衆生を救済する。天部は仏教の守護神などで元は仏教の外部から取り込まれた神々。
伎芸天は美術や芸術の神、西洋のミューズといえますが、仏像としての作品は少ない。文化財としての価値あるものとしては奈良秋篠寺のものが唯一。
芸術の守り神であるからということもあり、美術品としての完成度も高い仏像です。今までに秋篠寺には5回くらいは訪れました。お寺も感じがよい雰囲気があります。
この伎芸天は奈良時代、美術史的には天平時代のものです。ところが平安時代末期の火災で頭部を残して首から下を失ってしまいました。それが鎌倉時代に修補され首から下の部分が作られ、仏像として復活したという歴史があります。
頭部は乾漆像で首から下は寄木造ですが、そういう修理を感じさせない、修理されたものの不自然さがなくて、そういう違和感が全く感じられない、見事なものです。
嫌味な私に言わせれば、やや首が短い感じがするにはするのですが。むしろそういうことさえ高い得点にすらなっているような気もします。
がPCの画面にひっきりなしに登場して来て当惑しています。まあ、***とか***がしょっちゅう出てきても困りますが、もう何か月もコリンズが出てきます。312-B4まで一緒にの現物がPCのモニターの向こう側にあるので、出てくるのも何かの縁だとは思うし、心当たりがないわけではないのですが、それにしてもこういう趣味は今はまったくないのですから。
違和感はあまりないのですがこう何度も何度も出てくると親しくなってしまいそうです。ここまでお年を召していると、私の世代ではないのだなあ。いい記念品で大事にはしていますが。
日本で言えば「お盆」に当たるアイルランドの死者の祭りの行事が、アメリカに来て子供のお菓子をくれ―、というお祭りになってしまい、何を血迷ったか日本では群衆のバカ騒ぎになる。
死者の霊を祭るという原形がほとんどそこにはないのが少し悲しいね。そこに愛はあるのか、とだれか言っていたが。
ハローウィンのカボチャが少しあります。ことし我が家で栽培したものです。ご希望の方はお申し出ください。来年分の種を買いたいのでいくらかご援助をくだされば幸甚でございます。
同じ時間帯(朝の7時台)で昨日の気温と比較したら5度以上(以上?)低かった。
それでももりもり太陽光が増してきているので、まあそれなりに暑くはなるのだろうなあ。今8時。
寒くても嫌がらずにきっちり起きた方がいい、とは思うが、コンテスト以外の時はそういう思考にはなれないなあ。最近はコンテストでもああだこうだ自分自身に言い訳をしてしまう、そういう見苦しさ。
この記事が出ていましたので、一考。なお私は既に自分用の自家用車は持ってはいないので、けっこう醒めて見れます。
私の場合、最初のがグレーっぽい青、2台目が白、3台目は黄色、昔は案外塗装色を選ぶ余地がなかったような気がします。黄色は虫がたかる、という意見がありましたが、田舎の私はそういう経験はないですね。4台目も白、というか他に選びようがなかった。次が何だったか思い出せないが白だったような気がします。次は赤でしたが、中古車だったのでこの色、先の方の黄色も中古車でした。次は白でこれも他の色を選びようがない形で買ったので。最後はシルバーなのかな、汚れが目立たなくてよかったですね。
とりわけ塗装色にこだわりはなかったのでしょうか。大きい車は持たなかったので、いつも汚れはふき取ってきれいに乗っていました。かな?
とりわけ気温が低い中を風に吹かれていれば、体が動かなくなり、遭難死します。
暖かさを逃がさない防寒着(セーター、羽毛服、最新の化繊の防寒着)も必要ですが、風に当たっても体温を保てる防風衣(アノラック、ヤッケ、パーカ)の方も大事です。後者は夏には防寒着にもなります。
前者はぶ厚いものが多いですが、後者は布1枚のものが多いです。
私も新刊書に注目していないわけではないが、購入意欲が起こる新刊には滅多に、いや、まったくお目にかからない。
まあ私個人の必要性がなくなって、好き勝手に関心のある本だけを読めるようになったからだろう。まあ自由だ。
開け閉めできる自動車ですが、私は2台(2回という意味)ビートに乗りました。
1台目の時はやはり雨漏りがするなあ、と思ったものですが、まあさほど気にはなりませんでした。なかなかしっかりできていた、と言うべきでしょう。満足度は高く10年?13年だったかな?長く載っていました。
2台目は一度「普通の車」にしたのですが、やはりビートに乗りたくなって入手しました。こちらはさほど長くは乘らなくて、私も免許証を返納しました。この2台目は雨漏りはなし、といっても間違いないように思いました。
1台目はどうもボディーか何かに曲がりというかガタというか、そういう傷があったのかもしれません。トップの開け閉めも、ちょっと難がありました。2台目はそういうことは一切なかったですね。
2台目は10万キロを超えていたのですが、問題はありましたがまあまあよかったのです。それもトップの開け閉めがスムーズに行え、頻繁にオープンを楽しめたからかもしれません。
雨が降ってきたらさっと屋根を閉められないと日本で使うにはオープンカーは難しい、というのは手間暇がかけられない不精な方ですかね。
今はとてもここまで自力で登れる力はない。だがだが何度もここへは登ったので、今一度ここに登ってみたいとは思わない。理由はすぐ先に述べたとおりだ。
赤石岳を真正面見て、赤石岳は双耳峰なのだと思う。北側に小赤石岳があって南側に赤石岳の本峰がある。これほど大きな双耳峰は他にはないのではないかと、眺めるたびにそう思った。まあ、ちょっとその耳が小さ目ではあるのだが。
冬山コースは富士見平から小赤石岳を目指して稜線をつたって行く。夏山コースはこの尾根の左側をトラバースして、赤石・小赤の中間部へ出る。私は夏山ルートしか歩いたことはない。
生涯50回戦場に出て無傷だった本多平八郎忠勝も老年(と言っても今の時代だとそう歳でもないだろう)ふと刃物でけがをした。若い時とは違うのだ。他愛ないエピソードとしてこの話を受け流すか、それとも老いの残酷さを語るものと深刻に受け取るのか。
囲碁将棋はまったくやり方がわかりません。世の中のゲームとか競技と名前が付けられたもの一切と、たぶん縁がありません。
ただその中の結果=勝ち負けやら順位というものには少しは興味があるようで、将棋のタイトル八冠、などというものは案外興味がありますが、だからと言って実際将棋をやってみようなどと言う気にはまったくありません。まあ、一種のブラックボックスみたいに思っているのかもしれません。
とりわけ勝った負けたを楽しむことができず、どちらかと言えば遠ざけています。がしかし、こういう競技というものには勝ち負けや順位というものが最重要事項のようで、そこは私の一番の矛盾している部分なのですけれど。
でもまあ、勝ち負けへの見苦しいほどの過度のこだわりは見たいものではありません。
何でも競争にしてしまえばなんにでも勝ち負けや競争のための競争が生まれます。
とにかく他人様はともかく自分が競争の真ん中に投げ込まれるのは嫌で嫌でたまらなかったですね。
登山はそういう部分の極めて少ない、競争というものをさほど重視しないスポーツだったと思います。だから長く続けられたのだろうと思います。
HAMもそういう要素が多い趣味でしょうか。HAMの中も細分化され同じHAMでもそれぞれ別々のことが楽しめます。コンテストはもともとはコンペティション=競争=コンペと言われることも多かったようですが、コンテストも同じような地味があるのでしょうが、上摂り方は各人の自由な気がします。
普段外食には縁のない我が家ですが、昨晩久々にピザの出前を頼みましたが、安くはないですね。
昔はたまにお持ち帰りのお寿司を食べることもあったのですが、生ものが苦手になった家族がおりまして、今は断ちました。
子供の頃の昔よく食べたもの=田舎料理は苦手で避けていましたが、今は年のせいか案外そういうものが不味くはないのです。
食べるコメの量は少なくなりました。米は不自由なく食べられますが、だからと言ってそうそうたくさんは食べられないですね。
大昔の都市部の人は米を大食いしていたようですが、昔の農村部では米はなるべく食べないような食生活だったのですね。
その分野で大きな功績やら栄誉を得た人には敬意を持ちます。当たり前のことだと思っていたのだが、そうでもない人もいるのだね。
将棋にも野球にも関心はまったくないのだけれど、ひたむきに精進をして、絶えず向上を目指す人にはぜひあやかりたい。その姿は私が精進していることにも通じるのだと思うから。
をかくのはよくないか、という記事。
私の椅子は「あぐら椅子」という商品名で売っていた椅子です。具合はいいです。座面が広くてあぐらの姿勢を取りやすいです。最近「車輪」をつけまして、多少動きがよくなりました。座面も少し高くなりました。
MAKRO RTTYがまもなく開始ですが、
コンテストの時にはあぐらはかきませんね。座る姿勢はだんだんに嫌われる傾向にありでも、あぐらにしたい場合もあります。


アウトドア派
外での遊びが好き、というのがアウトドア派として考えますと、若いころは山男(今はやや使いにくい古語)だったことに間違いはありません。しょっちゅう山に登ることを考えていましたし、山に登れないときにも山に登るための様々なことを考え行動していました。一番やらなかったことはトレーニングかもしれませんが、頻繁に山に登っていると山に登ることが即トレーニングになっていました。
今は見かけはインドア派で間違いありませんが、アウトドアのスリリングな経験はそう簡単に手放せるものではありません。たとえは悪いですが胆石か尿管結石のようにそう簡単に体内から消えてなくなってしまうものでもありません。なお、たとえに使っただけで石はありません。が、何か似ているような気もしてそう書いてしまいましたが、案外、たとえて妙、です。
淀橋というのは新宿の西側の地名だったのが、その地名が店名の、企業名のヨドバシに池袋の中心部が乗っ取られるのか。
渋谷や新宿に比べてややイメージもよくなく、魅力においてもやや劣っていたのが池袋、かな。
私も1年の余、渋谷・新宿・池袋、西武線でさらに江古田という路線を通学していたけれど、新宿通過、池袋通過で江古田という毎日だったな。池袋に降りても用事がないんだ。池袋の駅から外に出たことはないんじゃあないかな。JRから西武線までの乘り替え通路だけが池袋だった。
3つ大学があるんだが、どの大学にも私は縁がない。私の下宿の近くには日大芸術学部、駅を降りて北には武蔵野音楽大学、反対側には武蔵大学で、どれも私にはまったく関係のなかった大学であった。これらの大学の在校生らしき人々にも遭わないし。
夜暗くなってから駅を降りて下宿に帰るため歩くと、女性らしき方々が客引きをしているお店の前を通る。
そういう言い方は、いわゆる質の悪い上から目線なのではないか。登山というものに触れたことのない人の側からの、間違ったものの見方である。登山に限らずなんだってどんな分野だって、同じことだろうと思うよ。
最初から身長で決めたらいいのでは、むむむ。もっと慎重に考えるべきだ。
勝つにはさまざまな要素がある。タワーが高いだけでは勝てないし、PWRが大きいだけでも勝てない。+αがいっぱいある。その+αの部分が面白い。
けれどもタワーが高かったり、PWRが強い局は+αもいっぱいあるからね。
していたらしいですが、さほどでもないですね。もっとも注意しなくてはならないのは秋でしょうが。
セミも今年は鳴かなかった。日中は暑過ぎて鳴かなかった。かといって朝夕も鳴いてはいないけれど。
蚊も暑過ぎて発生が抑えられているようですが、刺される人とそうでない人の差があるようです。私は後者の方です。
ダニは注意した方がいいようで、私も数回噛まれました。
それから雑草の繁茂の状態が例年とはけた違いに大きく、たいへんです。。
が発掘された、というニュース。古墳は大きいものも小さいものも墳丘(土を盛り上げて造成した構造物)を持っています。傾斜面に横穴を掘った横穴(おうけつ)横穴古墳(よこあなこふん)も同じ時代に造られてはいますが。
この古墳は横穴式石室が石で組まれて、その上に墳丘を造営したものです。その上部や石室の上部の天井石などは失われていますが、これは何かに再利用されてしまったのでしょう。側壁や奥壁は残っていてその部分が発掘されたのです。石室の床面からは副葬品が出土したようですね。
まあ、何となく破壊してしまってはいけないという心が働いて、ここだけは駐車場の駐車スペースにはしないで植え込みにしてあったのでしょうか。
確かな史料ということで一次史料、書かれた内容の信用性が落ちるものを二次史料と言いますが、例えば徳川家康が祐筆(書き役、秘書)に書かせ家康自ら花押(筆で書く署名となる印)を書き記した書状(手紙)などは一次史料で、その書かれていることは信用度が高いと考えられます。
ですが、家康は御存じの通りなかなか苦労をした人間性も複雑な「狸」であります。家康の手紙とはいえそこに書かれた内容は「嘘」かもしれません。正直一筋で生きた人物ではないかもしれません。
二次史料は後年の人物が記した文章なので(他の場合もあるが)、全面的には信用ができないとされます。がしかし、それが当時はまだ残っていた一次史料を読み込み、丁寧に考察して客観的に書かれた文書も信用できる場合もあるでしょう。
ここらあたりの見極めの的確なことが、歴史家の最も重要な部分なのでしょう。
大学に入って早々、歴史学というものの「救い難い」中身に感づいてしまった私でした。ですが、当時は理想を持って臨んでいた分野だったので、何とかこういう状況をこらえ、歴史学というものと四つに組んで頑張ったのですが、少なくとも研究者などの歴史学と一体とならなければならないような、歴史学命で、これと心中するくらいになるのは、そういうのは無理だなとは思いました。
そうはいっても歴史学にどっぷりつかってしまった4年間の染付は、そう簡単には抜けませんでした。最近になってようやく少し肩の重味が楽になって来たようです。
67歳というのは、まあ、置くとして、日帰り登山というのは私の経験ではありえないと思ったが、14時間で日帰り、ということらしい。
荷物は軽いんだろうが、私はこんな計画は立てない。最低限の装備でもある程度の重さにはなると思うし、1日14時間何て、私は実際歩いたことはない。
私の若い頃には「単独行」というのは「ある種の特別な登山形式」だと思っていた。要するに「フツーじゃあない登山」だ。普通は何人かで隊(パーティー)を組んで登山はするものだ。言い換えればそれくらい「危険」なものだということだろう。
そう言えば私が単独行で山に登ったのは、ほんの数回*だったと思う。単独行の比較的高齢な登山者が今年はよく山で死ぬ。
*高山以外を除けば3回かな。秋に南アの茶臼岳、初夏に南ア北部の仙丈岳(これは幼稚園児の息子を連れてなので準単独行)、思い出すだけでもこれくらいかな。
単独行は「かなり危険な登山方法」というのは今も基本的には変わっていないと思う。
高山以外→低山以外
補足
千丈岳は南アルプス北部の3000m峰だが、比較的山容がなだらかで、無理のない工程で2泊3日。一部登山道が崩れていて、そこがちょっと大変だった。2日目の宿営地は仙丈岳の山頂直下のカールっぽい地形の底のテント場、山小屋もあるが。
「コブラ」は全巻読みました。アメコミみたいだという人もいますが、私は疑問。手塚治虫の系統の絵やストーリー(やその背景にある精神)を強く感じます。
マンドラゴラの話に結構家庭内で盛り上がりました。レディー(機械となって復活した元彼女)が一番美人だというけれど、私はちょっと好みが違いました。
「コブラ」以後、ほぼ漫画は読まなくなりました。
ハノイには2回行きました。仕事だったのでそこのところは緊張してしっかりやっていましたが、息抜きのできる時間帯も工夫次第で作れました。
そういう時間帯にはハノイとヴィン(ハノイの南300q)の街並みを楽しみました。まだ暗いうちに目が覚めてしまい(時差のためか?)、未明の町にさまよい出ました。早起きの人々も多く、自宅では朝食を取らない(中国の影響か)人々が屋台でホー(米の麺)を食べています。屋台よりも早くから起きていますので、結構楽しい時間が長く過ごせました。
さて都市部の電線ですが、確かに恐ろしい感じもするごちゃごちゃな電線の張り巡らし方です。電柱は低く手を伸ばせば届きそうな低い位置に電線が貼られていました。四角いコンクリート製の電柱です。
電流を流し過ぎますと危ないだろうな、とは思いますが、何とかなっているようでした。
もう長い間ご無沙汰していますが、まだまだ高速道路網の未整備な頃=かなり昔、関西、と言っても行先は奈良方面だが、ここへ行くのに使っていた。
危険な、というような書き方だったので、何か私の勘違いかな、と思って読んだが、おお、懐かしの名阪道のことではないか。これのどこが危険なんだ、と思ってさらに読んだら、危険というのに対する反対意見がいっぱい出てもいた。そうだろうな、あんなものが危険だったなら、私のかつて踏破した道はすべて危険な道路ということになってしまうぞ。とはいえそれほどに今の道路は安全度が高くなったのだ、と思うべきであると思う。
塾というものが昔はなかったなあ。そろばん塾とか音楽教室なんてものはあったらしいが、いわゆる受験のための進学塾のことだ。
考えてみれば幸か不幸か一度も塾というもののお世話になったことはない。自動車学校という一種の塾には通ったけれど。
一日だけの電信級移行コース、だったけ?それは受けたけど。そのおかげである種の弾みがつきて、すぐに2級がとれて、さらに10年後には1級まで到達した。
自家用車ですが8台買い換えました。今は私の自動車はありません。さて、この8台のうちの4台は中古車でした。排気量の大きなものは持ったことがなく、一番大きいのが1400t(中古車)でしたね。最後のは軽自動車で走行距離が10万q超えてましたね。工業製品ですから過剰な期待などは持つもんじゃあありません。
無線用の鉄塔もありがたいことにローカルから安価に譲っていただきました。無線機は価格的には100万で当時最高級機でしたが、その後買い替えをしたいとも思いませんので、結果的には安いものになっています。
新しく出版された本については新聞の書評欄でチェックを欠かしませんが、読みたくなるような新刊本は出て来ないです。本は今でも年間50冊以上は買っていますが、すべて古書です。2ndハンドになれば高くても新刊の半額ですし、安いのになれば1/10以下で入手できます。
読書歴は長いものですから昔読もうとしたが、運悪く巡り合えなかったものとの再会もできたりもして、稀覯本(珍しい高価な本)であるわけもなく、安価に買えますから古書店通いはやめられません。
怖いなこれは。まあ外食はしないようにしているから可能性は少ないけれど。飲んだ方は信用していたのか、ぐいーっと飲んでしまったようだな。
店の対応も最悪のように書かれていて、さらに恐ろしくなるな。銀座の高級というか高額な料金の店だったというから、さらに驚いてしまうな。一緒にいた人が適切な行動をすばやくとったようだったので、店の「悪事」がバレバレになったようにも書いてあった。
私も大坂天王寺のデパート内のお店で食べた麺類が、常識外れに不味かったことがある。私のような味にうるさくない人間でもわかってしまうくらい不味かったので、これはまともなものではなかったのだと思いたい。体調にも変化はなしでした。
かすり傷(擦過傷)だったようですが、擦過傷なんて私など数日前に一回、今日もなんか痛いなと思っていたら、どこかに擦った跡がある。
救助隊員に同行してもらい病院にまで行ったとか。
私もどこかに油断があったわけだが、擦過傷だけで病院のお世話にはならないなあ(唖然)。まあ擦過傷と言っても痛みは結構ある場合もあるだろうし。が、フツーに歩けるなら行かなくてもいいんじゃあないのかなあ。
ある程度予知能力は欲しい気がするなあ。救急用品は持っていたのですよね?
イタリアはボロ−ニャ、古い大学都市だが、駅に割合長く停車。この頃の私は酒類をあまり飲まず、昼間でもあったから水を買った。
最近は瓶入りというのが少ないが、ペットボトルはまだない時代だった。
ぐびりと飲む。現在のように暑くはなかったが夏であった。うえ、となった。炭酸水だったのだ。欧州で水を買うと炭酸水のようだ。普通の水もあるらしいが、アッカミネラーレ・ノンガサータと言わないと炭酸水になってしまうようだ。
アクアとは水のことでノンガサータは炭酸抜き、という意味であることは言うまでもない。アクアリウムは水族館、アクアラングは水中肺である。閼伽棚とは仏教用語で仏に水を供える棚のことのようだが、閼伽とはインドから入って来た言葉のようで「水」ということらしい。
今年の夏は水をたくさん飲んだ。最近はペットボトルの炭酸水を安価に入手できる。今はフツーの水もよいが、炭酸水もなかなかにおいしい。
せっかくの食べ物が余ったというだけで、それが食べられないで廃棄されてしまう、ということだろうか。なんだが、不条理を感じてしまうなあ。
もっとも、私自身は給食というものにまったく関わりのない、縁のない学校生活だった。
いや、中学の時には牛乳だけの給食があった。脱脂粉乳というものが原料の「なんちゃって牛乳」だった。弁当は家から持参することは言うまでもない。
というわけで何かが食べ物として出される(提供される)ことは、そういう経験上うれしくなってしまうのだろうというは、貧しい時代の中での貧しい育ちなのだ。ただそのころは「紅白の饅頭」などが多くて、これにはげんなりしたものだった。
長野県大町市の山。春になるとその山腹に「種まき爺さん」の雪形が現れ、麓の農民に農耕の開始の時期を告げる。
この山でも遭難が起こっているようだが、詳細まで見る余裕もなかった。また、大町市では中学生の家出らしき事件も発生しているようだが、これまた皆目わからないようだが。
ただ早いだけの薄っぺらな、たぶん感情的な、あるいは条件反射的な思考よりも、熟考し、また多角的に内省を伴った思考が求められる。
そういう、ものの積み重ねのある思考が求められる。せっかくそういう思考のできる脳細胞をもって生まれたのだから。速くそれができればなおいいのだろうが、欲張ってはいけない。欲は正しい考え方を妨げやすい。
まもなく始まりますが、明日は風が強いとか、困ったもんだ。まあほどほどに、楽しんで。


1日目、案外しっかり取り組み呼、136局できました。主に21MHzです。
2日目、午前中まで=0時=9時JSTですが、179局。


235局交信しました、たぶん。
Ctestwinを使っているが、W局が03でなく3、04でなく4と送信してくると、そのままログに書き込めない。ということが多い、というかほとんどが、そうなってしまう。
がしかし、多くのフツーのエンティティーはCtestwinだと自動的にCQゾーンNRを表示してくれて、その分すばやく応答できてありがたい、というか便利過ぎてよくないかもしれないと思えるほどだ。
よくないとは某国や別の某国のような場合は自動的には出てこないので、うっかり忘れそうになってしまう。


白湯(さゆ)は昔から嫌いでしたが
最近、案外白湯が好きかも、と変わりました。少し前に「ここ」に白湯は好きではない、と書いたが、あれは昔の「白湯」だったかもしれない。
というよりも、味が付いている各種飲み物の多くが好きではなくなったみたいです。各種飲み物とは現在自動販売機で売っている飲み物の多くです。
今までで一番おいしい飲み物はやはり山の中の山の水ですね。大井川の源流の一つ、静岡県最北端の南アルプス間ノ岳から湧きだす水などかな。さほど確かな舌の持ち主ではないため、どこの山でもだいたい似たようなものです。ですが、山に登らないようになってしまった今ではない物ねだりであることは言うまでもありません。
そう、剣岳かな?
なぜ登れなかったか?そう、縁がなかったということなのかな?
遠いんだ、ということは、そうではない山に比べると経済的負担が大きい。と、まあ無理やり苦し紛れに理由らしきものをくっつけてみる。案外これが切実だった記憶がある。
が、剣岳は3000m峰ではないしな、とか、日本には多くの高山があるのだから、そういうものをむやみに願ってもむなしいのだ、と何か関係もなさそうな、そう数を競ってもあまり意味はないのだ、とか。
教科書といっても地図帳ですが、地図帳も教科書検定が行なわれる教科書です。誤っていた箇所が2000か所というから、とんでもない話です。
私もとある出版社の副教材の中に重大な誤りを発見して、その会社に善処をお願いして結局問題個所は差し替えられたのですが、何ともこの会社の対応がよくはなかったのです。誠意があまり感じられなかったのです。余計なことを***がった、とすら感じられる対応だったと、今は思い出しています。
老人になった、ということ、らしい。頷ける。褒めてもらえなくなったから、であることは言うまでもない、が。
褒めてもらうことがたいへんうれしい人と、そうではない人の違いがあるので難しいが、客観的ではなくなってしまうと、場合によっては反社会的にもなってしまう。
しました。前にもこのネタはここに書きましたが、しつこく、いや熱心にまたもや書きます。
生活している場所は岩室(いわむろ、木造建築を大きな石の壁で覆った山小屋)ですので、何の心配もありません。みしり、とも音も立てません。さすがに風の音は激しく岩室の中にも入ってきます。雷鳴も激しく轟き稲光も強く瞬きます。
問題は手洗いです。私たちの居住している室は神社となっていて、ここに同居していました。清浄な場所でなければならないからでしょうか、手洗いは外の別棟の岩室になります。ここまで行くのはなかなかの冒険でした。標高3700mで台風がどこを通過していくのか、反対側には気象観測用レーダードームまであるのですが、そういう情報は入手出来ていません。
もはや50年以上もとんと昔の話になってしまった。
走っているはずもないし、走ってはいけないはずの自動車が人に向かって暴走、しかも一方通行の逆走だとか。
夜のこういう催しは非日常的な、普段とは違う人工的に作り出された異世界、人為的なカオス。むしゃくしゃしたからと言う暴走者に同情などするはずもないが、心の弱〜い人はどこか心の中のネジがはずれてぐずぐずになってしまうのだろう。
今の私は若干視力に衰えた部分があり、夜には外出はしないしできもしない。私には昔からこういう傾向はあったのだろうが、よく見えない状態は好きにはなれず、長い間映画館は苦手な場所だった。
特に欧米人はみんなTシャツに短パン。アメリカ人の田舎者が流行らせたスタイルか。アメリカ人は英独を中心に世界中からの寄せ集めだが、北方系の方々の子孫は寒さに強いんだろうか。
そう言われれば私などもそういう格好で旅行はしないなあ。暑いベトナムにだって、ラフな格好は失礼かと思って、長ズボンだった。冷房は案外弱めで食べるにはやや厚さを感じた。
夏の終わりごろドイツの朝、寒かったので半袖の上にベストを着ていたら、ドイツの子供らに「変な恰好」と笑われた。まあ今から50年くらい前のことだから、私も今よりはだいぶ痩せていて寒さには弱かったのだが。今は結構寒さには強くなった。
やってもいいかな、と思われる条件を述べてみよう。
1他の登山者の少ないこと、2体調が十分であること、3気象などの条件が問題ない時、4不測の事態に対応できること、5例えば単独登山ではないこと、など。
富士山などであれば9月に入れば、今はどうなのか知らないけれど、ほとんど登る人がいないのに、条件は夏とそれほど変わらない、お勧めである。山小屋はすべて営業を終えていると思うけれど。マイペースでぐんぐん高度が稼げて、一日あれば余裕十分、おつりがくるくらい。
ただ、やはり何事も経験の差は時として生死を分ける。だがだが案外登山は死ぬ人は少ないスポーツで、昔はスポーツ保険の掛け金も少なかった。**は山などには登らなかったのかな、昔は。今は死ぬ人が多いような気がするなあ、本当のところは知らないけれども。
暑いですが何とか出てみました。久しぶりなので、やはりもたつきました。でもまあ出てくる局はたいへんすくないです。んなわけで普通は呼ぶこともない国内局もよばせてもらっています。


あと30分くらいで、いったんお休みになります。2回目は真夜中の1時に再び始まります。で、9時には終了。晩方の18時の3回目開始は、は月曜日の1時終了。合計で24時間。
もちろん私は全部には付き合いません。体にはあまりよくない季節ですし、適当にJAから楽しめそうな時間帯だけやっています。


夏だから8時間・8時間・8時間と3つに分けて、間に8時間・8時間の休みを入れたのかな。今年は何万年かに1度の暑い年だとか。
セミも高温過ぎて鳴かないし、蚊の活動にも暑過ぎるようで刺されない。ダニにはなぜか刺されるなあ。
屋外の作業が暑くて水分をたくさん摂ります。塩分も一緒に摂らないと「水中毒」になるそうです。
そうでした、SARTG RTTYは57局。まだ最終の「8時間」は残っていますが。18:00からですが、ちょっと用があるのだなあ。
去年も送ったはずなのに、ログの「送り方」を全く忘れていて、かなり迷った。まあ何とか送りました。60局、去年よりは多少は上がったかな。
それにしても、上がったのはほかにもあって、まず気温がなかなか厳しい。それから物価の値上がりがすごい。
私も負けずに何かを上げよう。


見かけることは少なかった。少なくとも登山をされるご老人は見たことがないと思う。
登山をされるご老人は見たことがなかったが、根曲がり竹を採る人はいた。根曲がり竹のように腰も曲がっていたが、小柄な体形は藪を漕いでいくにはいいかもしれない。
もう一人は山小屋の管理人だ。4人パーティーで登る。信州川から大沢岳を目指していたが、上から降りてくるのが小屋番のおじいさんだった。百闢エの小屋番さんも9月に入って里に下るのだった。


ようやく明日からは何度か低くはなるようです。まあ雨でもありますが。
少し「まとめ」っぽいことをしたいのですが、こう暑くては集中できません。
8月も下旬ですが、ツクツクホーシも鳴きませんね。
をしてみようと、一応リストは作りました。初めてなのでよくわからず、これでいいのかわかりませんが、が、駄目もとでもあるのでやってはみます。
9月の支部大会で、ということなのですが、他にやらなくてはならないこともあるし、うじうじ、としていることも事実。hi
DXCCに熱心だった頃、DXCC SSBで申請、DXCC 10mももらいましたが、その後熱心ではなくなって、今に至ります。
一応SSBでの交信証は280台はあると思いますが、整理整頓がしてありませんので、今回は90QSO分くらいでしょうか。
RTTYでのCFMも100以上ありますが、これのAWARDの申請、やってみればさほどでもないと思うのですが、なかなか面倒くさがってやらないのです。
多少は気温が下がったのでしょうか。そういう気はしますが、まだまだ真昼の時刻の日差しは厳しいです。
昨日は午後に用事があって出かけたのですが、まあ何とか動けました。
今日も高温ではあるものの猛暑の連続した頃に比べれば、はい、少し楽です。何かしようという気にはなれます。あまり調子に乗ってはいけないけれど。
確かにその通りだ。面倒くさいことを避けていては面白く生きることはできないに違いない。
ただ、誰にでも苦手なことというのはあるのではないか。苦手なことと面倒くさいこととは一緒ではないのではないか。
が、定番だとさ。ブランド品がいいらしい。
二つ折りがいいのはその通り。長財布は自分が持つとしたら、気持ち悪い。ああいうものが必要なほどお金をたくさん持っていない。仮に持っていたとしても、持って歩くのは最小の額だし。
黒革というのは父の財布がそうだったが、正直みっともないものだった。擦れてくると見てくれがよくない。
もうずいぶん長くバリスティックナイロンの二つ折りを愛用している。いつもぺしゃんこだ。ブランドはザックで知られたグレゴリィだが、前のも同じようなアウトドアブランドのモノだった。グレゴリィはやや短めでしっかりと紙幣を入れないと、長さが足りず紙幣のはじっこが曲がってしまうのが欠点だ。皮はくたびれるがナイロンはいつまでも新品同様だ。ちょっとミシン目がほつれては着ているのだが。
財布そのものにたくさんのお金を出すのは本末転倒だ。貧乏人ともいうのかもしれないが、まあ金持ちではないし勝手にさせてもらう。
人が何を買おうが、何を使おうが余計なお世話だ。
こんな間違いをしているから、財には縁がなく、配ばかり。←??
ではなく、消化器系の腫瘍だった。とある医者が近年言っているのだが、こんなことはずいぶん昔に富士川游という医学博士で医学史・疾病史の研究者がその著書の中にも書いている、のではなかったのか。
私がこういう知識を得たのは、歴史学を学ぶ学生だった半世紀前のことで富士川先生はそれのまたもっともっと昔の先生だ。
私も富士川游の「医学史」だか「疾病史」という名称の原典を読んでいないので、完璧な自信があるわけではないが、これだけまだ「てんぷらの食い過ぎ」説が強いということは、てんぷら食い過ぎの方が親しみやすいのだろうか。
てんぷらを食べたのが田中城(藤枝市)だったということで、地元関連のことなので、私のこういう面での知識はそうそういい加減ではないはずなのだが。まあ富士川博士の原典を読めばいいのだけれどね。
ではなく、三つ折りでした。こんなふうに自分のものであるのに間違えているのだから、お金がたまらないのだろうね。二つ折りよりはやや大きさがコンパクトになります。
どっちみち財布にお金を入れるという習慣や必要性は薄れていくのだろうから、財布なんてものはさほどこだわる必要なない物だ。
紙の封筒に必要な枚数の紙幣を入れていく、という紙幣の持ち運び方もこの頃はよくやる。例えば香典の入れ物?としての使い方だ。枚数はほぼ1枚だけのことが多い。
とある有名人の富士登山に寄せて、私の偽らざる感想です。ものすごく不自然であると思います。もっと激しい言葉を投げるならば、まさに偽善、であることが悲しい。
個人的な感想であることは言うまでもありませんが、生きていることはある面で、悲しいことだと思わされました。
最初に答。大河ドラマで扱われるような細かな部分は、教科書には書かれてはいません。授業では(これは学校によって違いますが)教科書の内容を理解させるのがせいいっぱいです。
大学で歴史学を専攻しようという学生は、さすがに高校生よりは数段レベルの高い学生が多いのですが、田舎の高校生で受験勉強もまともにやれていなかった私は、大学に入って早々愕然としたものでした。
何んとかそんな中で4年間過ごせたのも、登山というものがあったからでしょうか。
結論、歴史好きの小学生から大学院生までの中で、大河ドラマをまともな歴史と考えるのはいないのです。
歴史というものは、学校で学ばなくても自己流で好き勝手に学んでいっても、ある程度のレベルまで行けたのではないかと勘違いすることが多いのではないでしょうか。素人さんと専門家の見分けが難しいのも歴史学です。
というわけで、大河ドラマは歴史教育に害を及ぼすことはない、が正解です。
結構擁護派が多いなあ、という感想です。私とは登山の定義が違う方々でしょうか。ですから、「登山の定義が違う」という意味で書こうとしたわけでしたが不十分でした。登山だとおっしゃるなら(定義するならば)それは登山なんでしょう。
大きな声では言いませんが、思い込みの強引さが垣間見えて、私は無神経だと思いますね。
次のものがありますので、よろしければ
お引き取り頂き、お使いください。
1 TS511XN、付属品、PS=電源が重たいです、パネル面美品の輝き
2 アンプ類5個、ジャンクとして
3 TR7500G、FMナロー、ほぼ本体のみ、電源に繋いでみようか?
4 真空管もありますが、ここには煩瑣になるため掲載せず
TR7500Gではありません。
ところでこの7200には車載用のブラケットというのですか頑丈な金具が付いていました。よくわからずガチャガチャやっていて、ようやく使い方がわかりました。まあまだ生きているということです。
しかし、トランシーバーとしての機能が生きているかどうかはわかりません。今はない静岡市内のハムショップのステッカー(というのか)が貼ってあります。
筐体下側が斜めになってそこにSPが付いています。ブラケットを下側に付け水平に保持しますと、パネル面もまっすぐ前を向き名なかなか感じがよくなります。ついでに汚れもぬぐっておきました。
第5類として扱うことにしたって、それはあくまでも人間側の都合。統計的なものをきっちりとらなくなっただけ、なのかな。
以前のコロナと比べて軽症化と期待もしますが、コロナの場合は後遺症というのも問題のようですし、罹ってしまうのはしようがないのかもしれませんが、罹ったなら他の人には感染させないようにお願いしたいものです。
タイタン号が水圧でつぶれてしまったのか。そこまではわからないが、あの水筒みたいな形では、さぞや、と思わざるを得ない。そういう性能はなかったのではないかとも言われている。
私のチタン製ではないがアルミニューム製の水筒も、この会社は砲弾も製造しているというスイスのメーカーだが、あっけなく凹っこみができている。内側が耐食性の塗装がしてあるのでワインやウィスキーなども入れられる。
眼鏡などのも使われるチタン、チタニュームでもいいのか、これも軽くて強いが溶接部、かどうかは知らないが、案外接続部が弱い。
凹っこみができてはいても不格好なだけで、ちゃんと水筒として使えているが、たぶん30年以上いや40年は使っているモノだろう。いいものですよ。
っぽい傾向があるから、私に深海潜水艇は無理だな。飛行機は案外平気だ。八丈島飛んだ時はYS-11で窓のすぐ近くにプロペラが見えたぞ。シャックもやたら広いのは不安感が増幅されそうだ。今のシャック、になったのはずいぶん前だからかなり長い期間だが広さは4畳で、その5分の2くらいがデスク、というか無線機の操作台だ。定員1名で無理すれば3名まではOKだ。実証済みです。多バンド同時運用はできないか、そういうことは想定してはいない造り。
だったかどうかわかりませんが、私だげが利用しているような気がしますので、もしかしたら原因が私にあるのか、とも気にはしていました。
使えるようになっていたので、さっそく書き込みます。
固定機の台座製作(続き)
IC7800、FT950、TS590SG、のものを次々に製作しました。木製の台座を作っては塗装し作っては塗装しました。7800は赤色も少し入った目立つ茶色に塗りました。重厚であるが上質な家具調にも見えて悪くはありません。950は山吹色で目立たせてやりました。590SGは薄紫色が似合っています。590SGくらいの大きさだと台座の方が大きく見えてしまうのですが、薄紫はそこまで目立たないのでバランスが取れていい感じの仕上がりです。
こういう趣味の好悪は人によって違うだろう、ということは想像できないわけではありませんが、まさに好き嫌いの違いで個人の趣味なので好きなように、ということは好ましくやりさえすればいいのではないでしょうか。
水煙草、水タバコ、と50年くらい前は呼んでいましたが、おそらくおんなじものです。新しくて、おしゃれ、じゃあないの、よさそう、というのはまったく間違っています。
イスラム圏などでの喫煙法で、おそらく長い歴史があるのだと思います。50年くらい前も、とあるお店で販売されていまして、今よりははるかに喫煙人口の多かった時代ですが、私は何か月かこの「水タバコ」を嗜んでいました。
要するに煙草の煙を水で「濾過して」吸う、というもので、最初はきざみ煙草に火をつけて吸うというか嗜むのですが、きざみ煙草は面倒くさいので早々にこれはやめて、フツーのフィルター付きの巻煙草を先端に付けて、例によって「水で濾過して」煙草の煙を吸うのです。
その水がすぐに毒々しい色に変わってしまい、これは世話をしてくれる女の奴隷などがいないと嗜値ない喫煙法だなと思わせるモノでした。
視覚的に、煙草というものは好ましくはないものだな、と思わせてくれたのですが、そういう汚い部分さえ見なければ、ニコチン中毒という***なものなのでしたね。
事件をきっかけに暴動。
パリ市内は一応大丈夫なのですが、パリのすぐ外側はなにかと厄介な土地柄のようです。
私もそれほど知識やら経験があるわけではありませんが、確かにパリの郊外にはこういう要素があり、何かのきっかけでこれが噴出します。
パリのすぐ北側王家の墓地のある(有名なスタジアムもある)サンドニには3回出掛けました。ここだけ訪れるなら何と言うことはないのですが、この路線の地下鉄(メトロ)に乗車すると、あきらかに雰囲気の違う方々がいます。ようするに昔からのフランス人ではない人々です。
普段はまあ注意して行けばいい場所なのですが、事実私自身は何の問題にも遭遇しませんでした。昼間に行った方がいい場所でしょうね。
歴史的事実、略して史実ですかね。
実はこの史実というものはたいへん厄介なものでして、ある程度古い時代だと、その「確実に」史実だと言えるものはあまりないのです。
一例を紹介すると、本能寺の変です。信長が家臣の明智光秀によって討たれた事件であることは、言うまでもありませんが、なぜ光秀は主君信長を討ったのか、こういう部分になると史実はわからないのです。
ですからこのあたりの時代の基本的な疑いない部分は、内容的に信頼できるその同時代の記録・日記・文書(手紙ですね)などの決定的証拠がないと史実はわからないのです。
それでは歴史研究が進まないので、さまざまな論点を考察して「仮説」というものを立てて、研究を前に進めようとします。理科系の研究でも同じような手法は使われますよね。仮説演繹というのでしょうか。
ですが理科系と違って歴史学というものははるかに複座うtで、ひとつの仮説に対してとんでもない数の反論が出てきます。こうしてさらに歴史研究は前に進むという順になります。
こういう中で最も妥当なものを「定説」とします。これが教科書などに書かれている内容で、まあこれを一応の史実としているのでしょうね。
ただし教科書以上の細かな内容になると、もはや収拾がつかないカオスとなります。
歴史ドラマを作るのだ、ということになりますと、とても教科書程度の内容では間に合わなくなってしまいますし、脚本家や演出家の「作る」部分が多くなってしまうわけで、視聴者の中にはそれを見て「私の聞いたのと違う」「史実とは違う」などと言い出す方もいるのでしょうね。
史実というものはそういう細かな部分までは研究者の間でも一致しているわけではないし、史実という言葉を研究者が使う場合にはもっと慎重な使い方をするのです。極端に言うと史実はなかなか確定がしないのです。
大河「ドラマ」の家康があまりにも弱っちい、ということに事実が感じられない方も多いのかもしれませんが、真実は(これはなかなか、誰にもわからないですが)用心深く弱っちいからこそ、家康は「天下を取った」「天下を取れた」のではないかとも思えます。
過去にも家康を登場させた大河ドラマなどがいっぱいありましたが、今回の家康が一番家康の実像に近いように思えます。弱っちいというのは私の言葉では弱いという意味ではありません。本当は弱くはない粘り強く生き延びていける、そういう意味です。
とはいえ家康が描かれますと英傑である、天下を統一した偉人、場合によっては悪知恵をめぐらした高度な政治家、などとされてしまいますが、そういう風にしたのは、そうふうに描いたのはどこのだれか、考えたことがおありでしょうか。
描かれた家康と本当の家康本人とは違うと考えるべきでありましょう。家康が悪知恵の働く大悪人と描かれるようになったのは、そう、やはり江戸幕府滅亡後のことでした。
どうするどうすると悩んだ家康がある面では真実であるように思えます。神の君とは言っても日本の神は全知全能の西洋の神とは違うと思うべきです。
新橋の雑居ビルでガス爆発。ここは何回か、いやいや何歩いた場所だぞ場所だぞ、と言うだけのお話し。しかし雑居ビルという言い方は何とかならないものかな。
日本の自転車生産の7割はママチャリだそうです。私も当然これです。少数派の私だが、たまには多数派になれることもあるんだ、と喜びました。私はこの車の乗り手2代目です。新車ではなく中古車です。ママチャリという語は嫌いだなあ。最近の、たいていは黒色の、大型の3人乗りの、あれががががと迫ってくるとちょっと怖いなあ。
自分にほんの少しでも関わる記事は目についてしまうね。
すぐ前の投稿、1行目がおかしいですね。ただ、この個所は訂正してあったはずの箇所なので、箇所なのに、の方がいいかな、ちゃんと訂正されていないばかりか、訂正部分が無視されているのかな、と思われました。
ま、私の方の間違い勘違いだとも思いますが、念のため書いておきますね。
何度も、ではなく、何十回も、と書いたはずだったのですが。
大坂の電気街日本橋のすぐ向こうだから何度も行きましたよ。でも登ったことはないなあ。そこまでしたくはないのだね。
治安の悪い場所だった、という大阪人のコメントも多いのですが、私はそうは感じなかったなあ。づぼらやの近くの洋品店で夏用の衣類を買ったこともあるのだが、それが安い。このグレーの開襟シャツが案外気に入って何年も好んで着ていた。
ただ大きな通りを越えていった先は、カラーの映画がモノクロになってしまったように、町の色が変わってしまった気がした。それくらい何か雰囲気が違っていた。
およそ半世紀前の無線機が私の手元にあるのですが、もちろん真空管式です。それどころかオール真空管式なのでしょう。どういう真空管が使ってあるのかまでは把握はしてはいませんが、まだ真空管は何とかなるのではないでしょうか。TS511XNというのだったと思います。
それよりは今の無線機との一番の違いは、使ってみるのに周波数の安定性でしょうか。チューニングよりもこの問題が大きいのかもしれません。
嫌々こんな話は私には無理無理です。場所があるなら身近に置いておいて、さらにメンテのできる部分があるならいじってもらって、楽しんでもらうならいいのではないでしょうか。
あるいはあるいはちょっと今中をいじるのは無理、という場合は外から今の時代の無線機とのデザインの違いを眺めて味わい、それを論評などして楽しむというのはいかがですか。
よろしければ私に連絡をいただけますか。
だいたいこの組み合わせで外に出掛けます。両方ともそもそも私の買ったものではなく2ndからのおさがりです。だいたいオレンジとイエローという色からして私が持つのには似合わないものです。
自転車は日本製のようですがちょっと聞くことのないメーカーのものです。20年以上は前のものでしたか。一度タイヤを新しいものにしています。バッグは京都知恩院前の一澤帆布のトートです。便利というよりは使い勝手がいいものです。入れたことはありませんが、TS590SGならすっぽりと入ってしまいそうな大きさですが、トランシーバーを持ち運ぶのには向いてはいないと思います。最後のはおふざけです。
今は大井川用水も泥水のような色です。家庭から出る生活排水が原因です。工場排水は規制されているようですが、家庭からの排水は規制はあるとは思いますがゆるいのでしょう。
さすがに有害物質は問題はないのだとは思いますが、昔よりは田の水が汚いですし、淀んでいる場所など部分的には悪臭もします。
でもまあ水田によって環境がよい状態に保たれてはいることは確かなようです。
ある程度水量があり、流れも速い河川は水がきれいでした(過去形)。大きな桃は流れてきたことはありませんが(いうまでもなく冗談)、洗濯や食器洗いはできましたね(これは本当)。水生昆虫も種類が豊富でした。その時代の川に比べれば今の川=用水路はどぶ池を通り越して死の川です。
今の時代の水量があって流れも速い川は危険な川で水深もかなりあって、なのでいったんそこに落ちてしまうと這い上がることも難しい構造です。
という広告が出てきて出てきて、忖度してくれないのが困る。それも見当違いの業務用のハンディー機。趣味のものを新品を買うのだったら必ずしも価格で決めるのではなく、そのお店で選ぶという面が強いと思うが。今机の上にある3機種は全部同じ店で買ったもの。
石原都知事の一声で始まった。カラスの食(=生ごみ)を断つという作戦だったようです。
HAMの人口と似たようなカーブを描いていますね。1990年代だったと思いますが、新宿御苑にもたくさんいました。初めて入ったのですが北側から入場して南側から外へ出たのですが、至近距離で人を怖がらないカラスがたくさん私の方を見ていました。視線を合わせないように外に出ました。
新宿御苑には池がたくさんあって、ここらあたりから渋谷川の源流が渋谷方向に流れ下っていくようです。今はほとんどが暗渠となっていて、渋谷駅の南側まで行ってようやく流れが見えるようになります。
登山者という人々だけが歩く山々。そこでキャンプ場のような、いやそれよりもひどい火を焚く無法者。
私も30年以上山を歩いてきたが、こういうのはもちろん見たことはないし、出会ったこともない。
こういう時代になる前に山の登るのをやめてよかったんなあとしみじみ思う。とは言いながらスベア123(登山用ストーブ、と言っても調理用のガソリンコンロですが)をまだ持っているよ。
写真を撮る方々のマナーも悪いと聞く。そうなる前に写真もやめて幸いだったと思う。デジタルカメラを持っていたが、それが動かなくなってしまったが、ほっぽらかしてある。
広い世間にはもしかしたらこういう能力をお持ちの方もいらっしゃるかも。ただし本物は自分がそうであることを明らかにしないかと思う。
自分はこういう自分の能力を人に語ったことはない。こういう能力は自分にはないから語ろうにも語れないからね。hi
CGBとはコンテストガイドブックで毎年きゅ〜あ〜るえるクラブが発行している。ハムフェアではブースを設け、そこで販売もしている。
不肖JG2REJもCGBへの投稿者であって、CGB2018以来毎年原稿を掲載させていただく。
CGB2023の原稿も2022年12月末に送ってあって、掲載予定である。
以上余計なことは書かずに、要点のみ。
自動販売機で飲み物が買えず、危ない状態になることがある。まあ、金は有り余るほど持っていても、水が手に入れられなくて〜、という手の話はよくある。
日本では幸い金でほぼ何でも手に入りますが、金で手に入らないことで困ることのないように心がけた方がいいと思います。
最近の暑さに対して、自販機用の硬貨ではなく保冷できる水筒に氷と水を入れて出かけます。できれば炭酸水がいいのですが、これは様々な点で無理ですね。
登山の経験が生きているのです。登山というものは山へおいしい水を飲むために行っている、とすら言えます。山で汲んだ水でお茶を入れるとおいしいようですが、そういうことはしたことはないのだなあ。
筋肉系・血管系だけではなくて神経系も含まれる。血管系は知らないが、私はもう筋肉系は合格点はもらえそうもない。しかしそれ以上に神経系はかなりの鈍さになっている。筋肉系だけで体力を判断しては危ない。ましてや自分に甘い判断でそういうことをやっては駄目。神経系はもっと自分に対する判断が甘くなるようにも思える。
自分だけで自分のすべてが賄えていると考えるのは、間違っているとは思わないが、慎重に判断をしてほしいものだと思う。あまりにも他人に手間をかけるようであるならば、自分をより厳しく律する賢さ、言い換えれば老獪さを発揮してほしいものだ。甘えなどはもってのほかであるし、見苦しい。これを老醜という。
6月9・10日 DRCG RTTYがあるかと期待していたが、なさそうで残念。
17・18日 Ukrainian Classic RTTY、これはあるようだ。だけれど〜
24・25日 Ukrainian DigiのRTTY部門、あるようだ、RTTY75ボー
その他もあるけれど、あまりその気になれない。
話はまったく違うが、18日は「西部ハムの祭典」ですか?
長時間労働でと、ありましたが、62歳なので再雇用などの場合は賃金が安いのだろう。長時間労働だけではなく低賃金もストレスになった。その結果胃潰瘍になり病死であるように思う。
私のような勘の鈍い人間でもストレスで潰瘍になる。私の場合は十二指腸潰瘍でしたが。もう20年以上も前のことだ。
あとピロリ菌の有無が関わってくるのでしょうか。
電源のPS511は信じられないほど重たいです。トランシーバー本体のTS511XNは真空管機ですが、電源が別なので軽いです。上蓋を開けると隙間がいっぱいあります。そこでコード類を2本その隙間に入れておきました。外にこういうものがぶらぶらしていると、扱いにくいものですから。
ダイヤルやつまみにホコリが付着していますが、その気になれば除去できます。傷や始末に悪い汚れはありません。
もう一度言いますが、PS511が危険物クラスの重さです。それほどでもないか。hi
割合たくさん送られて来ました。
とはいっても、私はDXとの交信がもっぱらで国内の交信は少ないので、そうたいした枚数でもありません。一番小さい袋です。
DXからのカードはエンティティー別にJARLでは取り扱うのでしょうか。たまたま今回はそういうことで多かったのかもしれません。
カードで一番興味を持つのは動物ものですが、とりわけ猫です。が、さすがにそう多くはないですね。犬よりは多いですが。ご地域の御自慢のものは、申し訳ないですが、何が何なのかわかりにくく難しいですね。シャック内の写真のものはGood!です。アンテナ紹介もいいのですが、アンテナの写真は案外撮るのが難しいように思います。
できたら私の手元からどなたか引き取って欲しいものですから、この魅力を宣伝しています。ですが、この時代のHF機というものが、もちろん使ったことがないし、よくわからないのです。
本日は総点検しましたが、よくわかってはいない私の総点検ですから総点検などにはなっていない総点検であることをお断りしておきます。
TS511XNと重たいPS511については紹介済みですが、TRIOと示されたSPがなぜか2個あります。並べると意外に相性が良いので511などの時期のものでしょう。SPの方が少しだけ背が高いのですが、たぶんこれは「脚」が少し長いものが付いているのです。短いゴム足にすれば背の高さが揃うでしょう。外付けのカツミのスピーチコンプレッサーが付いている、と言っていいかどうかわかりませんが、たぶんこれと併せて使うようなものでしょう。PSと本体を繋ぐケーブル類で足りないものがあるのかもしれませんが。
銀色で鈍く輝くノスタルジックなパネル面は、飾っておくだけでも価値はある?
最近は人手不足で、という話もあるようだが、私は宿泊を伴う旅行には行っていないからわからない。
料金がどうこう、という話だったが、東京は高いというのは一般的な話だろうが、地方だって案外高い宿泊場所もある。学生時代山から下りてきて鉱泉宿で汗を流したのだが、宿泊をするとなるとえらく高い料金のところがあった。まあ山の中でテント料200円くらいのところに連泊してきたようなビンボー学生だったからそう感じたのだろうか。
東京駅八重洲口のとあるビジネスホテルは安過ぎて泊まる前は不安だったが、セーフだった。何にもサービスっぽい部分はなかったけれど。何でそんなところに泊まったかと言うと、翌日晴海の方へ移動して、とある趣味のための国家試験を受けるためだった。
その試験の結果は3文字だったが、次の回に東京では泊まるのはやめて早朝自宅を出て試験会場に向かった。結果は2文字だった。筆記試験の方は自己採点でたぶんOKと思ったが、60文字の欧文受信がすぐにはわからなかったけれども。
などない、って言えればいいのだけれど、さすがにいくつかはある。だが、さすがにまだ若いので、さすがにそのいくつかをべらべら話す気にはさすがになれるもんじゃあない。
それにその汚点というものも、ホワイトで消してなかったことになっていたり、美点によって多少は取り返せてもいる。と、自分に甘いのだ。
書いていました。こういう言葉遊びが大好きで、もしかしたら読んでくれるかもしれない人までも、呆れさせているのかもしれません。
要するにやり過ぎですが、仕事上もこれで失敗したことがありました、たぶん。ちょっと治りそうもない不治の病です。まあ、他にも不治らしき病気はいくつかもっています。これは本当の話です。
アイスコーヒーというものだけは好きになれない。
苦手です、というくらいにやさしく、ソフトに書けばいいのに、おそらく誰かの影響でしょう。
人間、そうそう独創的にはなれません。ほとんどが過去の人の言葉の劣化コピーです。
アイスコーヒーという言葉を見かけたので、ぶつくさ文句を言ってしまいました。八つ当たりですが、生の言葉で実行したらまずいです。
私ですが、食べ物にはこだわりがありません、たぶん。ですが、まさかと思うような体験またまにあります。
8月の暑い大阪、デパートの中の食堂で食べたのですが、何かの間違いだろうというかなりひどいお味、食い倒れの大阪で、まさかと思うモノを食べました。まあ食べたというレベルではなかったが。
今の話は天王寺でしたが、道修町でのお昼も疑問の付く味でした。何か薬みたいな味だったような気がします。もっともここは薬の町でした。池田市の駅前で寄ったお店も麺類の器の上にウズラの卵の載る関西風。ウズラは高山の雷鳥みたいに可愛らしいのだが、あの生卵はいけません。パリのメトロの売店で買ったサンドイッチと訳されているが、固いパンを割って具を詰めたものだが、パンも具もまずかった。パンは日本が絶対うまいが、パン屋さんで買うことがお勧めか。
まあたまには我慢して食べなければならないこともあるが、ほとんどのものはまずくはないのだ。ただまずいものの方をどうしても思い出してしまうのだ。
頑張りたいコンテストはない。たくさんある国内コンテストも今はそれほど面白いとは思わないし、DXの方もあまりないので、この点に関しては「お休みの期間」になってしまった。
そういう6月、去年はFT8が面白くてのめり込んだというほどではないが、結構面白かった。だが、なかなか今年は再開しようとはしていない。したくないわけではないのだけれどね。
を中心に、学生時代に読めるだけの本は読んだが、まあ簡単に言えば邪馬台国についてはほとんど確かなことはわからない。その後も研究は続けられているが、画期的な注目すべき発見というようなものは「ない」と私は理解している。
吉野ヶ里遺跡の石棺墓にしても、新たな発見・新たな歴史的発見とまで言えることはないのだと、ささやかに予測はしておく。
現在の段階での邪馬台国につながる発掘やそれに基づく研究で、もっとも邪馬台国に肉薄しているのは、大和=奈良県の纏向遺跡に関する一連の発掘、さらにその研究成果であろう。
そう簡単に何事も判明することはない。皆様、好き勝手なさして根拠もない考えを表明されるがあまりにも簡単に答が出ると思っているのが単純過ぎる。そういうふうに楽しむことに異論はないのだが、慎みというものはもたないといけないように思う。勉強・学習で学べるのは答ではなくて思考の道筋である。答えが簡単に出るのはかなりレベルの低い問題だ。邪馬台国のような問題は答はそう簡単には出ない。
高洲・大洲地区ですが、洪水・大水・浸水、まあ水害ですが、高洲の住人である私の経験で言えば、水害はまったくありませんでした。
私の生まれる以前はまだまだ油断できない地域だったようですが、今はまったくそのような心配はありません。
その昔水害常襲地域であったために「舟形屋敷」「三角屋敷」などと呼ばれる洪水を意識した屋敷構えのあった地域ですが、昔から住んでいなければ、いや昔から住んでいても、今となってはほぼこういう認識はないように思います。
家庭用水道とは別に農業用水道設備があったのですが、令和2年にはそれから離脱したというか、その水道設備の利用はしないことになったはずですが、本日届いた伝票によれば令和2年以後も支払っていたようです。ただし、水道自体は使ってはいなかったので、メーターの検針上はまったく使用していないことは明白でした。
担当部局に事情を話して会計上の善処をお願いしたのですが、相手方の要するに手続き上のミスを認めていただき、会計上の過払いを解消させてもらえる段取りができました。
何かの参考になればと思いここに紹介させていただきます。まあ、行政機関を頭から信用してはいけません。
勝てたから、ということにそれほどうれしがってはいない自分に気が付いた。勝てたとしても気持ちよくないと、どこか納得していない自分と言ったらいいのだろうか。
プロスポーツだとそうはいかないだろうけれど、賞金とかさまざまの利権的なものがかかっているだろうから、甘ったれたことを言ってはいられないのだろう。
勝とうと思って勝てていないにしても、楽しかったなら満足できてしまうのではないでしょうか。
できれば、その勝つ、あるいは勝ったということが楽しいことこそが重要です。


7800の筐体の下に木の枠を組んで、それにゴムの車輪を付けてみようと考え、そればかりかその考え(構想と言ってもらえると嬉しい)を実行しようとしている。
軽いことに価値はない固定機中の固定機だからこそ、動かせなくていいのだ、重たくて何も困らない、などと思考停止しないで、使いやすい角度や付属機器との並べ方などを替えるために、動かせるようにしてみようと思っている。
また報告します。できればCGB(きゅ〜あ〜るえるクラブの会報)にも発表しよう。


作ってしまいました。こんなものは世の中にはまず存在しない、と思ってしまう。
まあ、簡単に言えば、トランシーバーの下に敷く「木枠」で、それにゴムの車輪(一番小さな25センチの)を付けてあります。
思っていたより動かしにくく、快適ではありませんが、あまり軽々と動いても困るので、たぶんこれでいいのだろうと思う。
ただ、「木枠」が大き過ぎてトランシーバーの外側まで「出張って」しまっている。
シックな木製の「アンダーガード」が付いていると思えばいいのだが、ここらあたりは各人の美的感覚の差異があるところ。私的にはもう少し目立たない方がよかったかと思う。
ちょっとパネル面をこちら向きにして視認性や操作性を高めたいときには、たぶんよい評価が出るのか、と夢見ているところ。
小型のトランシーバーに迷彩などの(カバーのようなものなのか、それと塗装なのか)を施して楽しむ、中部のハムショップで売っていましたね。
今のところ私の製作した「台座}は白木ですが、何か洒落た塗装をしようと思えば私は慣れたもので簡単にできますが、しばらくは白木にママで置いときましょう。
少し落ち着いてシュミレーション的なテストをしてみましたが、期待していた結果が出ていますのいで、なかなかいいのではないかと思えます。
メインダイヤルの操作感ですが、私は人差指中指薬指の3本の指で、トランシーバーの下からささえ親指でメインダイヤルを操作します。
今までは直に筐体の底面にさわっていたわけですが、その下に木枠が設置されましたのでその木枠を3本の指で下から支えます。その支えで親指でダイヤル操作します。3本の指が今までは金属に触れていたわけですが、それが木製のものに替わりやや厚みも出ました。
結論的に言えば、この厚みによってかなり快適になったように思えます。木の板の15ミリくらい厚さが増しただけですが、素材が木材であることは金属であった時とはかなり違うことに驚いています。
この指の使い方で、知らず知らずのうちにかなり長期間慣れ親しんできました。秋の季節になるとトランシーバーの筐体の下に蚊が潜んでいてコンテストの朝の時間帯にはその潜んでいる蚊に必ず中指か薬指を刺されて痒い思いをします。hi
動かしやすく、という話をここで續けたが、きゅ〜あ〜るえるクラブの会報CGB=コンテストガイドブック2024に掲載してもらおうとしていて、それと同じような原稿を書いた。まあ中身はたいしたことはないのだけれど、こいうことができる「場所」を見つけてまだまだやっていきたい。
CGB2023の原稿はすでに2022年末に送ったので、CGB2024の原稿は2023年の年末に送る。
今度の日曜日=6月18日には「西部ハムの祭典」に短時間お邪魔したい。
インフルエンザだろうが、はたまたフツーの風邪だろうが、私はこれらに罹るのは非常に危ないらしい。そのために定期的に専門医に見てもらっている。
まあ、一種の「不治の病」なのだ。それ以外にも私には「不治の病」、いわゆる「難病」がいくつかあるらしい。
もう少し参考のためにいくつか白状すると、まず鼻の病気がある。これは治らないとあきらめている。さらに眼の病気だがこれも治療を継続しないと大変なことになるが、治療を継続すれば現状をある程度保てるらしい。まだまだまだあるようなのだが、いくら私でもこのくらいで留めておきたくなってしまうのだ。
と期待して、はいなかったのではないでしょうか。期待していたのは***な人々だけなのではないのかな。
ですが、青銅製などの金属の副葬品は期待できたのかも。いずれにしても吉野ヶ里ですから邪馬台国がどうのこうのという話になる可能性は低かったと思います。
1750年くらい前の大昔のことをそんなに甘く考えてはいけません。マスコミさんのそういう甘さの部分(=不勉強の部分)は反省して欲しいものですね。まあ無理だろうけれど。
作ってみました。7800のを作った後ですから、要領よく作れました。ただ木材の切断をするのがモーターで回す丸鋸などではなくて、手で使う何というのだろう、まあフツーの鋸ですから、そういう切断面で工作をするとなると、うまく辻褄を合わせるにはコツが必要になるのですね。
それの何が悪いという一種の居直りですが、こういう工作の仕方で用が足せれば、それで何も悪いことではないな、という心境にはなってきました。
作ったものの細部まで見られてしまえば、工作の粗雑さはバレバレですが、じゃああなたはもっと上手にできるの?世の中に名人はいないわけではないだろうが、そういう方々があふれかえっているわけでもなさそうに思う。
何年か開催されませんでしたので、忘れてしまった部分もあります。行けるようになりましたので、行かれる方々とはまた行った先でよろしく。
例によってあまり長時間は滞在しない予定です。
業者さんとしては、大進さんは来るのかなあ。来てくれるとうれしいなあ。
Ukrainian Classic RTTYが開催されるか、まあ無理なのかもしれないなあ、あ、やっぱり無理だったんだ、ということでした。
次の週のUkrainian Digi(RTTYは75ボー)も開催されないようです。
PG7Vのカレンダーでは「やらないよ」と見え消しの一本線が引いてありました。
開催できる日をあきらめないで待っています。あんまり局数は多くは出て来ないけれどね。
ズワイガニよりも安い。オオズワイガニもズワイガニと味も変わらないそうだ。しかし、オオズワイガニの方が高くは売れず、ズワイガニに比べれば捨て値で売られていることもあるという。
まあ、カニ類もエビ類もどちらも、わあ、おいしそうという私ではないので、この問題に関しては何の関係もないが、カニ類以外でこういうこともあるのではないだろうか。
何を言いたいかと言うと、安くても高品質なものはあるのではないか、世間一般の評判や評価「だけ」を気にしない方がいい、というようなことである。
今ではどっしりと重たいものの方が好きになっている。
軽いことは登山では最優先される。特に私のような筋肉質ではない者にとっては。水という命にかかわるものもできれば軽い方がいいのだが、これはそうもいかない。軽くするよりは水場の場所をしっかり研究しておくことだ。
水筒の中の水は全部飲み干してはいけない。少しは残しておかなければならない。この少し残っている水、聞き方によってはブラックだが、なかなか深い英知の籠った言葉だ。この少し残しておく水を「死に水」と言っていた。
今は自転車で行き来しているので、再び軽いものが好ましくなった。でもまあ、すんごい重量級の3人乗りで(うち2人は子供だが)案外高速なのある。
すばらしく何かを描くためにこそ使われるべきものだと思う。私見ではあるが、その理由としては絵画を汚すことは、たとえその絵画が素晴らしくはないものであったとしても、行ってはいけない愚行である。
あるものとはMFJ259なのですが、それからしばらくしてやたら「古めかしいリグ」がPC画面に出てくるようになりました。このPC、何もわたしのことを学んでいない。
今日も出てきましたが、どれもこれも古いリグばかりですが、IC7000が出てきて、51000円のようです。私もIC7000Mを持ってはいるのですが、この値段に対して、ほぼ使っていないので心が動いてしまいましたhi。
なぜかって、もう少しお金を足せばIC7300の新品が買えそうです。でも買おうというフェーズにはとんと入らなさそうな私です。
午前中だけの参加でしたが、何年ぶりかで楽しかったです。志太ハムクラブの方々も、ちゃんと来られていましたね。うれしいです。
もうあまり何かを手に入れるというよりも手放す方が先なので、あまり手に入れようというものはありませんが、メンテナンスはしなければなりませんので、ブチルテープ1巻300円、ジンクスプレー1缶1200円、エモトのローテーターの「輪ゴム」3本300円などを買って帰りました。最後に値引き交渉をして200円のおもちゃを1500円で買ってきました。
今度は支部大会ですね。
0を一つ落とすとたいへんです。払う場合にはいいですが、支払ってもらう場合にはたいへんです。
TS590SGにも台座を付けてやらなくては、と思い始めています。おんなじ方法で、私の得意な、得意ではないな、だが好きな木工で作り、特に好きなのがその彩色、というか塗装です。
とくによくやるのが、水彩絵の具で好きな色彩に塗って、乾いたらクリアラッカー=アクリルラッカーでスプレーする方法です。
悪く言えば過去の亡霊が続々と出てくるようです。使う無線機であったならやはり最新式がいいのだが、最新式にもこれはよさそうだと思えるものは、ない。
古いものでも使い方によってはいいのだとは思う。趣味ですから他人にあれこれ言われなくてもいいのであろう。
一時期MFJ259の安い時期がありましたが、今は高くてとても買えない時期ですね。内部の乾電池が使えなくなってしまった(単なる断線ですが)最初期のMFJ259、1980年だのものだったか??これをまだ外部電源で使っていますし、実はこれで十分です。単に新しいものが何となくいいなあ、と甘えているだけです。
MFJ259はいくらなのか?とPCに聞いたら、どどどと関係ないのが出てきてしまったのです。
3座目製作中です。高山などの数え方として「何座」というのがありますが、若いころはこういう数え方はしなかったような気がします。たくさん登ればそれで偉いってか、って心の中で文句を言いそうです。百名山などというのもどうも。
まあ、3つくらい作ればけっこううまく作れるようにはなるものです。そんな程度のことに一喜一憂してもほぼ意味はなさそうです。1個目のものがこういう意味からいえば、一番出来が悪いのですね。ですが、だからと言って嫌いにはなれませんね。
無線機のリユース
ただ、日本のような無線機が「ありふれたものになっている国」はどうしたらいいのか、困っている。
うんと古いもはや飾りにしかならない無線機は、はっきりいって飾りにしてくださる人の元へ。
比較的新しく使えそうなものは比較的新しいものを使えそうな人へ。
新しいものは安価に手に入れられると、一応考えて行動に移すべきか。それで少しも悪くはない。
純金ではなかったんだね。私は勝手にそう思っていた。シェークスピア曰く、輝くもの必ずしも金にあらず(ベニスの商人)だったっけ?
3億円というのは高いのかそれとも安いのか。必ずしも、高いからよいもの、安いから悪いもの、というわけではないこの世の不思議。
金印{漢委奴國王」の印はフェイクではないか、という本を一昨日手に入れた。楽しみだ。
金ではないが金色の腕時計を、外出時にははめている。金色は好きではないが、父の遺品なのでそれなりに扱っている。
害虫のGがいるのが当たり前なのだと、ある記事で読んだ。害獣はミッキーと呼ぶそうだ。それはそうだろうと思うとともに、Gというアルファベットは好ましい文字だと思っていたが、この飲食店のGを見るとそうでもないのだな。
まあAからSまでの文字は何らかの悪い単語の頭文字として使えるだろうから、しょうがないですね。BとCはアマチュアにはないけれどね。GだからGodとかgoodというわけでもなし。
私も読書には熱心でしたが、全作品を読破ということはありませんが、ちょうど受験の時期に重なるのですが、英国の作家サマセット・モームの作品はほぼ全部読みました。代表作から短編の小品、脚本まで読みました。新潮社の全集が揃っていましたが、もはやこの作家の「流行の時期」が過ぎていたためか、全集では全巻揃いませんでしたがいろいろ取り交ぜてモームはほぼ全部読み切ったように思います。それからもう何十年もたちますが、再び新しい翻訳者による新訳も出てきています。
その後、ここまで執着しなくてもよくないか、とも思うようになりほどほどにしています。好き嫌いや読みもしないで毛嫌いしている場合もあるので、その後はなるべく世の中に知られた作品は広く読むようにしています。そこで昔はなぜか伊阿彌がって読まなかったなあ、という本も今は読んでいます。
数年前には「源氏物語」の現代語訳をいろいろな訳者のものを読み漁っていました。原文にも少し手を付けて、部分的に触れただけですが、この作品の原文はものすごく手強いです。
根拠の薄い風説(うわさ話)のことを、こう呼ぶらしい。まあ実証的な科学ではない、取るに足りない巷説(風説・うわさ話)である。要するに非科学である。
信用できるはずもない馬鹿げた話を面白がっているのなら罪は軽いが、なにかのきっかけでブレイクしてしまうこともあるらしい。ブレイクは壊れるという意味もあるらしいが、この場合は逆のことを言うらしい。常識は非常識によってひっくり返ることがあるが、ひっくり返した人は非常識な人だということを忘れてはならない。常識が勝手にひっくり返っているわけではない。
口碑とも呼ばれ、古文書や歴史的な遺物などの確たる証拠に基づかない言い伝え、伝承、民話、神話などであって、もう一つ重要なことは権力者側ではなく被支配者階級、民衆、平民、常民(柳田国男はこう呼んだ)の間に長く守られてきたある種の「文化」であるということだ。
都市伝説のような言葉として使われ、伝説という価値あるものが貶められるのは残念であると思うのだが、如何か。いくらおふざけの表現ではあるとしても間違った言葉遣いではないだろうか。
耐えられないほどに、嫌だ。ここまでして待つような価値のあるものに出会ったことはないからだが、DXCCのパイルアップ、というのはこういうものの中では例外かも。だけれども少し待っていれば、何日かという程度だが、行列する必要などはほぼなくなってあっけなくできてしまうようだ。
だが今はあまりDXCCには束縛されていないから、ここ何年かまったく向き合ってはいないからかなり自由でもある。
DXCCだけがDXでもないのではないか。今も交信相手の9割以上はDX局なのだが、レアな局と雑魚局との落差がほとんどなく、変なこだわりなくHAMを楽しんでもいるのだと言えるだろう。
RTTYのコンテストで何度も何度も同じ局と交信するが、結構それが楽しくなっているような気もする。
もうかなり昔ですが、青崩は当然通れず、東側の兵越峠の道を通って静岡県側に帰ってきたことがありました。曲がりくねっていたためか思っていたよりは長く、甘く見たのを後悔しました。
ここを越す前に燃料が切れると困ると思い、山中のGSで給油しましたが結構価格が高く、しまったと思いました。峠の手前で突如交通渋滞。ここらあたりの数少ない「商店街」で地域の人々の車で渋滞していました。おまけに雨も降ってきて。
兵越(ひょうごえ、ヒョーゴエ)峠は武田の軍が越えた峠、という意味でしょうか。青崩れの方は厳しいでしょうから。
有名な海外旅行のガイドブック出版社が駄目になってしまった。ガイドの内容が悪かったわけではなく会社の経営に問題があった、などと書かれていました。
内容、ですか。好き好きがありますから何とも言えませんが、私はこれらよりもいいものがあると思います。積極的にこれを選ぶことはありませんね。
とにかく観光の対象物(名所)やお店に対する説明の偏りがひどいガイドブックが多いように思っています。このお店の回し者かと思うような記事がいっぱいのようにも思いました。
こういう点が比較的少ないのは、ロンリープラネットのがいいと思いました。それからミシュランガイド(レッドの方ではなくグリーン)の日本語訳は日本では小難しくて人気がなかったようですが。両方とも外国人の書いた「案内」の日本版です。
結論として多少の偏りはあっても、公平性があって文章のレベルが高いものがいいように思いました。
日本のガイドブックには絶対「安宿」が出て来ない、「お高いお店やホテル」ばかりが出てきて興ざめ、知りたい「肝心な部分」が腰抜け、「危険性の指摘」などについて踏み込みが弱い。本当にここに行っているの?と疑問を持たされる馬鹿に読ませるような紹介記事、観光客のよくいく場所とそうでない場所の「商会のレベル」が違い過ぎる。
スクミリンゴ貝、通称ジャンボタニシの防除の農薬ですが、これを散布しました。我が家では最盛期には水田の周囲がはピンクの卵でキレイでした。たぶんこの恐るべき害虫?害のある貝類ですが、これを最小限、かどうかは知りませんが、かなり数を減らせました。
去年田に散布しなかったスクミノン4袋を田に散布しました。少なくなったとはいえ、それでもまだいるようなので駄目押しです。
この害のある貝類をどうやって必要のあるお聞きになりたい向きはお尋ね管ある向きはお尋ねください。
スギ花粉に悩んでいる方にも朗報で、政府がその対策に取り組むようですが、なかなか難しそうな問題も解決の方向がないわけでもなさそうです。
古い無線機を引き取って、新しい持ち主を探しています。我が家まで来ていただいて、気に入ったら引き取って下さい。
台風のもたらす豪雨に当たってはいけないと、保存場所に防水シート(でもないが)をかけてきました。一部は家の中にも避難させました。
支部大会には持っていきませんので、我が家まで来ていただくよりほかに手段はありませんので、お気軽にお越しください。
これはある種の頭脳の鋭敏さによって成し遂げた結果なのだろうね、私にはまったく理解ができない勝負の世界のようだけれども。
こういう分野はただ単に頭脳の働きと言うだけではなく、ある特定の部分における頭脳の働き方の勝利なのだろう。
私自身は勝った負けたは正直大嫌いなのだけれども、それはある種の浅薄な(深淵の反対語)勝敗をさすものなのだろう。このような世界は私のようなレベルの低い者の関知するところではないのだろう。故に尊敬に値すべきかちなのだろうか。
高く跳ぶことのできるものは、高く跳ぶことのできない者をかえりみる必要性などはまったくない。そんなことよりはおのれ自らが、さらにより高く跳ぶことこそを考えるべきかとも思う。
の欠点というものは目立ってしまうことだろうか。また、言い方がたいへん悪意に満ちている、わけではないが、そう思われそうだが、ある種の目立ちたがり屋が高級車を好むという面は否定はできないだろう。
ただ、私の知っている、というか知ってしまったのだが、とびっきりの金持ちは高級車などは持たないのでもある。ただし彼らは運転手付きの自動車に乗るのだった。
ヴィトンだったか何だか知らないが、重たいと文句を言った人がいたそうだが、あれはご本人が持ち歩くものではなく、下僕は言い過ぎか、使用人がいいか、こういう人が持ち運ぶものらしい。
ぼろい軽自動車が、という記事を見た。それが誤解されていてどうのこうのということであるが、その軽自動車はイタリアの有名なデザイナーも気に入っていて、愛車にしていたという記事も昔見た。
軽自動車って輸出できるのか、という疑問はあるが、反対方向に思い切って振るのも悪カウはないと思う。たかが工業製品なので寿命はあるものだし、適度は好ましいが過度のこだわりはグロテスク(異形)かとも思う。
まあ、免許を持たない者にはほぼ関係ない話だが。
よく利用していましたが、最近はもう一つ東側を利用します。このすぐ東側にあるOMのお宅が線路の北側にありました。きれいに銀色に塗ったパンザマストが長い期間立っていたのですが、去年かおととしに撤去されていましたね。
エンチョーやブックオフに行くのに便利なので、もう一本、じゃあないさらにその東側の斜めに線路を横切る踏切もよく利用しました。
*本日のローカルニュース参照
誤読してもそれが正しいと思って押し通すくらいが、力のある頼りがいのある議員なのか。それとも誤読をしない正しい国語が使える、そういう日本語の力のある議員が頼りになるのか。
たまたまこの場面をTVで見ていまして、「てとう」という議会用語的なものがあるのかと私は考えてしまいましたが、どう考えても「てあて」だろうにな、と。
知事や市長らの首長のことを「くびちょう」とわざわざ呼ぶ呼び方もあるし、日本語の漢字の言葉は同音異義語もあって、案外頭の良さが必要とされるようにも思う。
議会は議論を尽くす場なのであるから正しい語句が使われないと、やはり議論が成り立たないとは言わないが、成り立ちにくいことは確かだろうな、と思った。
ま、思い込むと視野は確実に狭くはなるのだな。
よく見たら磐田市の敷地川、というところの間違いではないか。静岡市の敷地かと思ってしまったよ。この敷地のあたりに敷地川はないだろうしなあ、大谷川はあるのだが、ぶつぶつ。
静岡、と書いて静岡県の場合もあるし、静岡市をさしている場合もある。磐田は遠州なので静岡という気はしないなあ。まあ静岡県ではあるが「その磐田」であることが我々*にはわからないなあ。案外こういう不親切は多いと思うよ。
*県中部の人間
と言っても日本の場合は「算数」だが、慣れるためだけに学習していた記憶がある。言い換えれば深く考え、根元の部分まで理解しないとその学習は駄目だったのだなあ、としみじみ懐かしんでいる。
要するに数を数えるという「算数」では駄目だったわけで、数というものをを学んで理解する「数学」でなければならなかったのだ。
私の幼少時代を返せ、などとは言わない。こういう部分は他だをとってもらいたい部分もあるにはあるが、結局そういう部分も含めてしまって総体が自己責任だったのだ。だから死ぬまで勉強を続けることは欠かせないものだ。
しょうがないな。だってどうすればいいのだ。何か他に方法があるのか。
話をがらりと変えて、登山の話にしてみよう。荒天であるいは何らかの事情で目的地に到達できないことがある。そういう場合に備えてツエルト(簡易テント)で一夜を過ごすという標準的な危機対応技術がある。旅先では何かあって動けない場合に遭遇することもある。旅、移動すること、そういう非日常の場合は、他人は頼れない場合も出てくる。今の世の中が便利でそう言うことが少なく、安全がきープできるようになった。だからといって、そうではない場合もないわけではない。そこまで完璧ではない。というか、そこまでの完璧はない。
山の中まで完璧なサポートやケアを求める**が最近増殖中らしいが、山の中でなくても同じことだと思うよ。
400年くらい前は人が住めないような場所だったことは、ほぼ確かなことだろう。しかし、その後土木技術の発展があって、農耕が可能な地域となったため、何とか人が住めるような場所になった。
とはいえ大井川はそう甘くはなく、時に普段の川筋以上の幅に流路はあふれた。洪水である。この地域の人々もそれに抗って、何とか洪水に負けない、いや負けるにしても最小限の痛手で済むような工夫もした。
今でも流れの方向にそれに対抗するような「舳先」を向けた舟形屋敷とか三角屋敷と呼ばれる屋敷構えが残る。我が家もご多分に漏れずそうだった。
それが昔の高洲・大洲の地区だった。そこが今は大雨による災害の可能性が最も少ない地区、最も安全な地区となっていることは、何ともご同慶の至りである。何とも思わなくなってしまった面もあるが、少し深く考えるとたいへんなことなのだ。
野宿って、そういう風に使う言葉でもないような、そんな気が少しします。野宿もできないのか?って逆に聞きたくもなります。
野宿しない人が大勢いるような場所では、私も野宿はしにくいです。野宿にふさわしい場所でなら、野宿はごく自然にできました。さすがに最近はしていないけれど、というか、しないようにしているけれど。
その例1 秋田県の男鹿半島の男鹿駅の待合室。しっかり野宿させてもらいました。屋根もあるし、安心安眠、夏の盛りだったのですが、朝起きたら少し寒かったです。
その例2 同じく飯田線のある駅。終列車で着いてそのまま駅の待合室で。9月の初め頃でしたが、安心安眠朝も難事に起きたか憶えていないくらい。
人があまりにも多いとしにくいかな。かといって全くいないのもどうかな、などと思います。まあ、毎日やろうとは思わないけれど。
野宿くらいそう特別なことではないから、「野宿でもしろ」って言うのかって、さも特別そうなことは言わんでもよろしい。見苦しい。
が駄目な日本人
わかってはいるよ。長年学校で英語は学習させられたから、それくらいはわかっているよ。だけれども、どうにもこうにもLとRの発音は分けては分別して葉、弁別しては、使えない。
甘えて申し訳ないけれど、日本人がLと言っているけれど、もしかしたらRの発音かもしれない、そういうふうに推理もしくは想像してくれないかなあ。
だってしょうがないだろう。現代の日本日本語にはLとRの別は完全に存在しなくて、同じ発音なのだから、あなた方の言語とは違う日本人の英語なのだから、LとRがごちゃ混ぜなのだからそれを承知で日本人の英語をhearingでじゃなくlisteningしてくれないかなあ。無理か。
なかなか納得できないことがあったことを思い出す。
oneがどうしてワンなんだ。knifeはクニフェじゃあなく、どうしてナイフなんだ。こんな滅茶苦茶な言語はないと思った。
私も滅茶苦茶なことを言うけれど、もっと文字と発音が一致してるドイツ語のような言語がなまって、英語みたいないい加減な発音になったのかと思った。ドイツ語よりは文法は簡単でいいけどね、英語は。
文字と発音がこれほど乖離している言語はないのでは。
さらにその後私も学び、英語にはフランス語が入ってきてさらにややこしくなったという。そういう話にも続くか。
というけれど、あれは、よくないかもしれないが、日本人もうるさいとは思っているが、聞き過ごすことを学んでいるように思う。こういう文化だとも思うのだ、日本は。
パリのメトロ(地下鉄)でも次の駅はアナウンスしてくれるよ。フランス語でだけれどね。ある駅では日本人向け?に日本語の「スリ注意」の放送まであるよ。
ほぼ運だと。そうだろうな、と思う。そうはいっても若いころはここまで現実的ではなかっただろう。
ただ運といっても、そう単純ではないのでは?というふうに一皮めくってみようとするのも。けっこう面白いのではないだろうか。
完璧に運で、というのはやはり宝くじくらいしかないのではないかとも思う。宝くじですら、努力して宝くじを買わなくては運は開けぬ。
とすれば、やはり多少の実力もなくては運も逃してしまわないか?
RTTYは声を出さないのでそういう意味では「ありがたい」モードです。変な話ですが食べ物や飲み物を口にしながらオペレートできます。
食べながらではありませんでしたが、昨晩1時間くらいと、今朝は0400JSTから1時間半くらいの、計2時間半で7〜21MHzで32局ログインできました。
午後にまたEU方向向けで聴きます。
51局まで行きました。この辺まで行ければまあまあですね。もう少し見ていますが、緊張ばかりしていることもできませんね。


はアップロードするのではなく、メールに添付で送ります(と思います)。
ログ提出済みのリストを見ましたら、しっかり受理されていました。蛇局も私を含めて6局、その中で局数は私が2番、1番との差には泣けるのですが。
まだまだ終了時刻は先なのですが、数時間前のここらあたりでログを送る局も結構多いですね。コンテストのそれぞれによっても違うでしょうが。
はいくつかあると思うが、いちいち何だろうと数えたりはしないし、それについてわざわざ詮索もしない。
ただ、最近気が付いたのだが、私は歴史上の人物に敬称は付けない、着けて呼ぶのは嫌いだな、自分以外の人間がそうするのも嫌っているらしい、ということだった。
まあ私以外の人で歴史上の人物にいちいち敬称を付ける人は、今までは遭ったことがないのでありがたく思っている。このことは確かだし、なぜかという理由もわかる。
一生涯ということであれば、私は丁寧に数えたことはないが、浜松だろうと思う。その城のあった場所ということなら少年期青年期も含めて、ということならなかなか駿府(静岡)に居た期間も短くはない。
天下を取ろうとしている最終局面になると、江戸城に居た期間は案外短く、家康は江戸尾を好まなかった。江戸よりは駿府の方が好みだっただろうと思われる。
しかし、江戸やこの時期の駿府よりも長く滞在したのが、伏見であり伏見城だった。伏見城は秀吉の隠居城、ここで大地震に遭ってもいる。秀吉の死後豊臣政権の最高権力者となった家康は、この伏見城を拠点に天下取りの重要な期間を過ごし、江戸よりも伏見に滞在した期間は長い。駿府に比べてもやや伏見の方が長いようだ。
しかし、家康と伏見というイメージはあまり話題にはならない。家康よりも秀吉の城というイメージが強い。
7月の初めのDL RTTYまで出たいと思うWWのRTTYコンテストはないのですよ。
6月中旬にはDRCG RTTYが「おっ、また始める(再開)のか?」と期待したのですが、PG7Vのカレンダーから消えてしまい、がっかりしているところです。
6月には国内の目白押しですが、あまりその気になれるのがないなあ、残念。
何かの参考のために、ここに書いておきますね。
どうも屋外での作業中に、ダニか何かの虫に刺されたようで、結局自分で何んとか治してしまいましたが、結構大変でした。
あまり痛くはなくて、最初は衣類とこすれて傷がついたのかと思って放っておいたのですが、見てみたら患部が真っ赤になってしまいました。
まあ何か悪い病気・感染症になったようでもないので、手持ちのかゆみ止めの軟膏で気長に治しました。何とか一応治ったようなので、ここに報告します。が、まだ完治はしておりません。案外長引くつもりでいます。
を栽培しようと思っています。うまく稔ったら、しっかり収穫できそうになったらまたここに書きます。
現在、種から苗を育てている段階です。このカボチャは食用にはならないそうです。種子の入手先はnetからで、「発芽率が悪い」と書かれていましたが、何のことはない90%の発芽率でした。定植した後がどうなってくれるかまだまだわかりません。
食用のカボチャも作ろうと企んでおりますが、これまた先行きはわかりません。興味のある方はここに書きこんでください。
安定化電源が働かなくなってすぐにヒューズ、ガラス管のヒューズですが、これを調べたらもちろん目視でですが「どうも切れてはいないよです」。
かなり長い期間ほおっておいたのですが、ヒューズはやはり切れてはいないようです。しかしほかにはやはり思い至らないので、駄目元で「切れたはずのヒューズ」を取り外して「新しいヒューズ」を付けなおしたのです。
結果はどうだったと思いますか?
は切れているはずなのですが、切れているようには見えませんでしたが、やはり切れていたようです。見てもわかりませんでしたが。
新しいヒューズを入れたら安定化電源は「行き返った」わけですから、切れているようには見えなかったにしても、切れていたのでしょう。ガラス管入りの見えるヒューズだったのが、逆にこの発見を遅らせたのでしょうか。
今年度の組長になって年2回当番があります。5月21日が当番でしたが、いわゆる毎日受け取ってくれる「資源ごみ回収屋」さんがあちらこちらにできたせいでしょう。
アルミ缶は少なくなりました。紙のゴミの回収も激減しました。
私の担当は空き瓶回収で、これは依然として多いですね。お酒の見たこともないような様々な形のものが持ち込まれます。これらの大部分が再利用はなしなのでしょうか。一升瓶しか引き取りがないようです。私は紙パックの焼酎なので関係はないのですが、Xさん用のワインの瓶はそれほどたくさんは出せないし。
家電はどうでしょうか。あまり変わらないのかな。ものがものだけに場所は取りますね。
瓶の係では化粧品の便は除外して別にしなければなりません。出してしまう人もいるので注意注意。怪しげな瓶が出ています。イタリア語です。モデナという都市名まであります。他はまったく意味不明。反対側を見ると日本語の紙ラベル。見るとバルサミコ酢。
本当に良くしてくれる。静岡県では。
私が自転車に乗っていてよくする経験ですが、横断歩道では自動車はよく一時停止をしてくれます。9割以上の割合で止まってくれますね。
歩行者なら一時停止は必須ですが、私のような自転車の場合はどうなのだろうと、いつも若干の疑問が伴いますが、止まってくれますのでちょっと手を上げて感謝し自転車に乗り(歩行者じゃあなくて)さっと横断します。
他県ではずいぶんひどい状態のようですが、我らが静岡県は***ですね。京都府では25%程度しか止まらないそうですが、まさに百鬼夜行の京の都ですね。←ちょっとおちょくっただけですねん。
ゴミ当番の日は16日でした。21日は広場と公民館のお掃除の日です。
一旦停止してくれる車両の%ですが、もう100%に近いと言ってもいいように思います。100%ではないのでしょうが、止まるには止まれない距離であったり、道路の反対側であったりしたためでしょう。
たま〜に止まらない車はいますが、私とは違う性別の方が圧倒的に多かったような気がします。プロの運転手は見本となるように一時停止しますね。
ただ、私に外交や軍事やはたまた世界情勢の詳しいといえるほどの知識はない。
HAMが趣味なのだが、この趣味を通じてURあるいはRussiaには、それにまた関わってEU諸国やさらには全世界に関心を持っている。
世界には無茶苦茶な人間もいると思うのだが、ありがたいことにまともな話が通じる人間もいてくれる。
一昨日でしたか、気が付いたら首の右の後ろ、何の虫かはわかりませんが、この前と同様に少したってから虫に刺されていた、と気が付くのです。
けっこう腫れていますが、まあそれほど痒くもないです。やぶせったいですけれども。
というオレンジ色の花が蔓延っているようです。いや、はびこっています。見方のもよりますが感じが悪い花ではないと思います。
何年も前から我が家にも咲かそうとおもって咲かせた花ではないですが、だんだんと数が増えてきました。ついにXさんも駆除に乗り出したようで、一掃されていました。
この花の悪い所は他の植物の生育を妨げることらしいです。そういう物質を分泌するtポいうことでしょうか。
うちの田んぼには休耕田の対策としてフェアリー・ベッチというマメ科の植物を植えています。この植物も他の植物の生育を邪魔するようです。だからまあ休耕田対策にも使える花なのですが。種を蒔いてから何年目かですが(4年目?、種は2年だけしか買っていない)、今年ようやく休耕田にこのフェアリー・ベッチがほぼ一面に広がり、今の季節にはほぼ他の植物を生やさない勢いのようです。2年でいったんあきらめたのですが、やっと本領発揮かと喜んではいます。
学生時代の3年生の演習。織豊政権時代の専門家が担当教授。ひたすら古文書の演習、要するに解読です。年間で一度は当たりますが、特定のある「古文書」の解読・解題・解説を数十人の学生の前でやらされました。
自分でやっていて何が何だかわからないうちに終わってしまいましたが、反省点としては自分の授業を受ける態度やそれに臨む姿勢を反省しました嗚呼。成功を経験するのも確かに成果ではありますが、致命的な失敗を嘗めるのもこれはこれでいい経験であったかと、今となっては思います。
どこかの脚本家とか歴史小説家の書くものとは真の歴史には一歩近づけたのかもしれません。少しぶざまではありましたが。
これといったDXのRTTYコンテストがない。ウクライナのがあるにはあるがあまりぱっとしない。
国内コンテストや国内VHFコンテストもあるが、ちょっと私的には期待ができない。というところです。
は警戒した方がいい植物です。我が家では普通の雑草は自宅内で処理しますが、ナガミヒナゲシは燃えるごみとして出しました。
ただ、こういう外来植物にもやがて勢いが衰えて、数が少なくなっていくような種類もあるようです。一時期田畑にほびこった例の黄色い花もめっきり見なくなりました。
ジャンボタニシことスクミリンゴガイでしたか、あのタニシも我が家の水田では一時期ほどに多数の繁殖は見られません。去年はほとんど出てきませんでした。ショッキングピンクの色鮮やかな卵が今年も出なければいいなあと思っています。
何年も田植え直後の水田で「スクミノン」←農薬名はいろいろ、という駆除剤を使っています。案外スクミリンゴガイ、通称ジャンボタニシには効かないよな気がしていました。使い方も難しいのかもしれません。まあ、このあたりのことは正直難しいのです。駆除剤の散布のタイミング、水田の水深、などなど。
去年一昨年あたりから、少ないように思います。それよりも前はこのショッキンの卵が水田の周囲にびっしり、だったのです。
本日、田植えから3日経過しましたが、植えた稲の苗をむしゃむしゃと食べてはいないようです。スクミノンもまだ散布していません。卵が1か所見つかりさっそく駆除。まあ、ほとんどいない、という状況でうれしいですが。
と書いたはずなのにショッキンです。ショックです。でも、本当にこの色で身だちますので、駆除してくれ、と言っているようにも思えます。どうするか。このピンクの卵塊を踏みつぶし摺りつぶすのです。
スクミリンゴガイ、なぜか、水から出て産卵するのです。コンクリートの擁壁などに産卵するのが大好きです。まあ摺りつぶされるやすい悪い組み合わせです。
そういう方が問題を起こす。どう対処するのがよいのだろうか。常識を逸脱しているのだから、もはやフツー人の対処できる範囲内に居ない、ソーユー人であるのだろう。
かといって警察が扱うべき案件でもないとするならば、どうしようもないのではないだろうか?
ただ、こういう局面に陥らないような、そういう対処の方法を常に実践できるように心がけるよりほかにはないのだろう。
徳川家康
生まれは愛知県かもしれないが、静岡県を根拠にしていた時期が長い。静岡県は東中西ではそれぞれ性格は異なる。
遠州人は頑固である。頑固と言ってもいわゆる頑固ではない。駿河の人間は悪く言えば消極的だ。駿河乞食に遠州強盗という。浜松に拠点を置いたから家康は天下が取れたのだ。しかし暮らすのであれば駿河の方がいいと思ったのであろう。駿河の中心の駿府は風が穏やかだ。だからキュビカルクワッドが上げられる。演習の風は大きな凧を上げられる。
思うに自分の生まれ故郷を唯一のものと思うことなかれ、よその土地に行ってそこで一定期間暮らしてみることは重要だ。
かといってある程度は自分の行動範囲を定めなければならない。永遠のデラシネ(根無し草だっけ?)は困るかも。
いい加減なことを言うつもりはない。私の身近にも遠州生まれ遠州育ちの人がいる。身に染みて感じている私だ。
誤字は日本語表記では珍しくないものである。なぜかというと同音異義語が山のようにあるからだ。山のようには言い過ぎた森か林のようにたくさんある、に言い換えよう。
書いた本人は自分が書いたつもりの正しい語句で書かれている、と思い込んでしまうから急いでいて推敲をしないと(推敲じゃあないなたんなる確かめ)の時間がないからだ。私がここに書く駄文も長いことが多いので、時間切れを気にしてついつい点検をさぼるからだ。
まあ誤字はそのような語句を使う人間が知らないから犯すミスではなく、時間がないからだ。五時であるくらいはその前後を見ればわかるので、鬼の首を取ったように言い募らなくてもよいと思う。
出るのは難しいかな、と思っていたのですが、21と28で21局、だったかな、交信できました。
数の問題ではなく、出るか出ないかの問題だったと思っています。
1週間後は同じイタリアのAllessandero VOLTA RTTYです。


25局、21 18、28 7、になりました。
これでアップロードしましたが、意地を張らないで素直に翻訳ソフトのお世話になった方がいいですね。おまけに相手がイタリア語ですからなおさら。


静岡市にある職場には通算15年通勤した。そのうちの4年間は列車と自転車と徒歩だった。残りの11年間は自家用車通勤であった。
静岡は本当に風が穏やかな土地である。これはすぐ前にも書いてある。同じ日の藤枝に帰ってくると、駅から自宅まで風が強いことにびっくりする。自家用車通勤でも、宇津ノ谷の峠を境に天気が変化している。
志太平野の民家は北西方向に対して生け垣を構え、冬の強風に備えている。特に冬場には「かざと=風戸」と呼ぶ防風施設をかまえることもあった。


は私よりは5〜6月くらい生まれが早いようで、学年では一年上ですね。それにしてもその歳でよく王位に就くことにされたものだ。リタイアしてもおかしくはない歳なのに王位というものはそれほど特別なものなのか。
確かに皇太子のままで即位しなければ、王位に就かなければ、歴史に名を残せない、という面はあろうか。
英仏百年戦争の時にエドワード皇太子、色が黒かったのか甲冑が黒色だったのかで「黒太子」Edward,the black princeと呼ばれた。軍人として優れていたのだが、王位に就くまえに病死した。普通、王位に就かなかった人物は歴史において名を残さないのだが、目立っていた彼は違った。王位に就かないで名を遺すのはそれくらい稀なことだ。
本気でそう言ってくれる人があればこその美人なのだと思う。美人の定義はこれに尽きる。
蓮華寺池の南側に「抜け道」のようにある歩道兼自転車道」で「長楽寺の通り」に出てきて、そこにあります。
私は一度も行ったことはありませんが、店主の人柄はよく知っています。たった今netでいろいろ評判などを見ました。
食べ物業界はあまりにも当前え過ぎるギョーカイなので、いい評価悪い評価様々ではありましたが、いい評価の方が多かったので、うれしく思っています。
開店してもう何年もたちますが、頑張っているようでうれしいです。もしよろしかったら食べに行ってやってください。私の名前を言っても安くはなりませんが、ぜひ。私の名前を言って決して損にはならないことは保証します。
すけむねしょくどう、で検索して何台分かある駐車場をお確かめください。
風は比較的穏やかなようでアンテナの心配もいらないでしょう。また、雨が降るようなので、これまたコンテストには適しています。なぜかというと、外の仕事ができなくなるからです。でもまあ天気の予報はいまいち信頼性がない季節ですね。
高い方のバンドでは降雨が伝搬の面に影響するのでしたか?まあ、私は現実28MHzまでですからいいのですが。
6月になるとVHFのコンテストがあって、たいした局数にはならないですが、よく聴いておりました。などと考えを膨らませると144MHzのアンテナも小さくていいから欲しくもなります。
軽車両、運搬車ですかね、ありましたね。大河ドラマでは金濃塗の甲冑の武者が載せられていましたね。大八車というものはあまり見かけませんでした。
リアカーというのもあったですね。昭和30年代頃までは、航空機の車輪を使ったリアカーもありました。軍用機のものだったのでしょうか。
馬車が戴冠式に出てきましたが、馬車の車輪は比較的大きいですね。大八車よりも車輪はずっと小さな「馬力」と呼ばれた馬に牽かせる運搬車も、ごく稀ですが見ましたね。これは「運転者」は馬の傍らにいて「運転操作」というか馬を操っていたのです。動力はまさに一馬力だったのです。
宅配の人も「手押し車」を使っています。軽トラという道具も使い勝手がよさそうで、一台手に入れたいなとは思いつつも免許証返納となりました。
を実践しています。入念に洗わずに10分間程度湯船に浸かるだけ。洗剤を使うと皮膚の油分が取れ過ぎてしまうから、と理解している。手足などは衛生面から洗剤というか石鹸で洗う必要はあるとは思っているし必要な時には手洗い励行だから、入浴時にことさら洗う必要はない。
最近は頭を洗うのも簡単になったので、総じて入浴というややもすれば煩わしい時間のかかることが簡略化されてもいる。風呂は年中無休で一日も休まず入る。したがって風呂に入らない生活は逆にできない。旅先の大型の浴槽は嫌いなのではあるが、なければやむを得ず入る。
もうかなり長期間愛用しているシャックの椅子です。北海道の家具屋さん製造のものですが、すでに製造はしていないのではないかと思っています。椅子というものは腰掛けるもので、あぐらをかくようにはできていないのですが、この椅子はそうではありません。そこがなかなかすごい。
とはいえ私はこの椅子であぐらをかくことは、今はほぼありません。
最近これに工夫をして回転する脚をつけました。
これによって椅子を前後左右に移動するのが格段に便利に、また使いやすく快適になったのですが、少し加重が過重過ぎた(=過重だった)ようで動きが悪くなりました。
この荷重の問題を解決したいのですが、いいアイディアが思い浮かびません。「車」を大きくするのがいいのかな、というくらいしか思い浮かびません。
もう少し頑張って使い続けます。
欲しい人が多いが、その欲しがる品物が少ない。ただ、その欲しがるという内容の中には、高いけれど欲しいから買った、それくらい買えるから買った、という気分的な部分が入るのではないのか。
つまり欲望を満足させることができる喜び、感情の高ぶり、みたいなものが得られるから。つまり、その同じものが安ければそんな安いものは欲しくない、とはならないのだろうか。
確かに欲しがる人はその高額な理由としての、レベルの高さが魅力のかなりの部分を占めるのだと思う。盗まれたものですがいかがですか、ということになれば価値はむしろマイナスにすらなるのではないだろうか。
いみじくも、そんな盗品を買って満足している人間の安っぽさを表してしまうのではなかろうか。
ところで腕時計を1本2本と数えるのだということを初めて知った。木の数え方は安っぽくはないか?
欲しい人が多いが、その欲しがる品物が少ない。ただ、その欲しがるという内容の中には、高いけれど欲しいから買った、それくらい買えるから買った、という気分的な部分が入るのではないのか。
つまり欲望を満足させることができる喜び、感情の高ぶり、みたいなものが得られるから。つまり、その同じものが安ければそんな安いものは欲しくない、とはならないのだろうか。
確かに欲しがる人はその高額な理由としての、レベルの高さが魅力のかなりの部分を占めるのだと思う。盗まれたものですがいかがですか、ということになれば価値はむしろマイナスにすらなるのではないだろうか。
いみじくも、そんな盗品を買って満足している人間の安っぽさを表してしまうのではなかろうか。
ところで腕時計を1本2本と数えるのだということを初めて知った。この数え方は安っぽくは感じないか?
しまいましたが、私が出そうとして出したわけではありません、念のため。非常識なところのある私が常識的に考えても、何百万、ものによっては何千万もするらしい、なんだっけあのまわりがギザギザですぐにそれとわかってしまう、あの腕時計をあがめ奉るのだろうか。名前が何だったかすぐには思い出せないくらい興味関心の薄い、私だけれど。
一種の勲章なのだろうか。トロフィーともいうか。そう考えると多少は理解というか、共感ができないこともないのです。
私は値段の高いトランシーバーの点検に出すのに、いくらくらいかかるのだろうかと、正直恐れていましたが、交換しなければならない部品などなし、いやメインダイヤルのゴム(600円だったか?)は無理矢理交換されてしまいましたが。腕時計の方は聞くところによると、修理点検がかなりの高額なようですね。
別の板に書くべきかもしれませんが、書きなれたここで。
TS120Vのきれいなのがあります。チューナーAT120とSP120、これらもきれいです。電源だけがないのですが、これは私がまだ持っているのがありますから。
TS811というTS120やSP120と同じ高さの430MHzモノバンド機です。これらを並べると、なかなかいい長めになります。
IC1271という1200MHzモノバンド機があります。付属のハンドマイクだけが付いています。
TS511XNという古いHF10W機があります。SP?電源部?も付いています。私には古過ぎてよくわかりませんが、見栄えはするし正面はものすごくきれいですのでコレクションにはもってこいです。
まだ一部だけですが、おいおいお知らせできたらと思っています。
は正しいのかもしれませんが、EU=ヨーロッパ圏で最も古いのは、イタリア半島南部のサレルノ大学、医学校というべきかな、です。
ヨーロッパはイスラム圏に比べて学術・文化が劣っていた時代、最先端の学問が南からEUに入って来たのです。
現在の英国の大学はイタリアの大学やイスラム社会でのそれに比べて歴史ははるかに浅いのです。ドイツや北欧の国々のそれらはさらに浅い歴史であるのです。
がしかし、歴史が古いだけでは必ずしも文化的学術的な優位は保てないのです。
何かあったようで、パトカー3台に制服・私服の警察関係者がいっぱいいたそうです。こういうのはフツー何なのかな、何の事件なのだろう。その中身については私にも関わってくるかもしれないので、そういう面では事実を知りたいのです。それだけ。
買い物には支障はなかったというXさんの言でした。
昔も空き巣などはたまにいたように憶えています。本当の話ですが、そういう泥ちゃんを私の父(民間人で警察関係ではないですが)が、捕まえてしまったこともあります。
最近は強盗などパワーアップが気になりますね。一般の住宅に押し入っても、今はフツー現金は置いてはいないですね。盗もうったってないものは盗めません。そこで確実に現金や高額なもののあるところに忍び込んだり、押し入ったりするのですかね。
それでも田舎、見慣れない人は目立ってしまうこともあるようです。私はそういう眼力はありませんが。視力も弱いですし。ナンバープレートなんて読み取れそうもありません。hi
フツー販売とは金銭のやり取りを伴いますが、売れないのでもらっていって下さる方にも頼らなくてはいけません。ちょっと暗記しきれなかったので、名称に誤りがあるかもしれません。
IC24だったかな?
というハンディ機、小型の、ホントに小型、しかし電池部分が大きくなるので結局フツーの大きさになってしまうハンディだったと思います。ケースはないですが、充電器、モービル電源。
ハンディ機の愛好家も多いようで、何年も前に古いハンディを支部大会で出したらみんな売れてしまいましたね。今回、私も手持ちのものを2台手放そうと思ってもいます(そう古いものではない)。
とは言っても、次の2点はなかなか使用感あって、状態は中の下くらいでしょうか。
トリオTR2200、ハンディではなくポータブルの2mFM機
トリオTR1300+VL1300、大きさは2200とほぼ同じ、6m機、リニア10wと上下にして使う場合は固定機っぽくなります。
両方ともビニールのケースがあります。TR1300は本体だけを入れるものです。ハンドマイクも両方ついています。TR2200はダイヤルの装飾部分が取れていますが、接着剤で貼ってしまえばOKかと、それよりもその周りの目盛がなくなっているようです。錆が浮いている部分があります。