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五稜郭 五稜郭は、開港を控えた江戸幕府が北方防備のために築造を計画し7年がかりで完成しました。中央に建てられた函館奉行所は4年ほど使われたのち、函館戦争で旧幕府軍の拠点となり、戦争終結後に解体されました。現在は、国の特別史跡で五稜郭公園として一般に開放されています。
 
 この日は8時40分に下船、函館駅の観光案内所に寄って市電の一日券の買い方を聞いてから市電に乗りました。一日券は500円です。函館駅前駅から20分ほどで五稜郭公園前駅に着きました。10分ほど歩いて五稜郭公園に着きました。
 一の橋を渡り半月堡を通って二の橋を渡ります。「函館奉行所」の看板のある黒門から五稜郭の中に入りました。土塁の上をぐるりと回ってみました。土手には春の花が咲いています。土塁を下り、大砲や土蔵などを見学、再建された函館奉行所は外から見ただけです。五稜郭公園内では色々な野鳥が鳴いていました。左はカワラヒワ、右はコムクドリだと思います。藤棚ではシロフジがまだ綺麗に咲いていました。
 五稜郭タワーに上りました。このタワーは二代目です。初代は函館空港の関係で高さ制限が60mだったので、五稜郭の全体が見渡せずに不評だったようです。今は高さ制限が108mとなり。眼下に見渡せるようになっています。また函館山から松前方面と360度の展望は楽しいです。
 五稜郭タワーから歩いて幕末の志士の跡を追ってみました。まず「中島三郎助父子最後の地」です。函館戦争の時、千代ヶ岡陣屋を守備していて親子で戦死した場所だそうです。次は「千代ヶ岡陣屋跡」です。元は津軽藩が築いた陣屋でしたが、函館戦争の時には旧幕府軍が陣地としました。このあたりは中島三郎助に因んで中島町というそうです。「中島廉売」は、昭和9年頃に形成された商店街で通年営業の露店のある珍しいものだそうです。歩き疲れて、市電の駅を探し、堀川町駅から市電に乗ってしまいました。
函館山 函館山は、海底火山の噴火で大きな島になり、その後砂州によって陸続きなった陸繋島です。明治時代の要塞工事で山頂は削られましたが、一般の開発はされずに豊かな自然が残っています。標高334m、周囲約9kmで牛の寝そべるような外観から臥牛山とも呼ばれています。現在山頂へは函館山ロープウエイで約3分で到着します。
 市電の十字街駅で降りてロープウエイの山麓駅を目指します。そこそこの坂道を登ると山麓駅です。次の出発は12時です。あっという間に山頂駅に着きます。
 山頂駅に着いてすぐにレストラン「ジェノバ」に入り、生ビールを頼みました。窓際の席で、函館の眺望が素晴らしい。生ビールもことのほか美味しく感じました。にっぽん丸も良く見えます。
 屋上の展望台からの函館の眺めです。薄っすらと雲が出てきていましたが、両側に海の見える不思議な眺めです。
 
 快晴です。展望台周辺をウロウロ! 
 
 ツツジ山駐車場のすぐ先に御殿山第二砲台跡があります。砲座の跡や地下に造られた砲弾の貯蔵庫などが残されています。土塁からの眺めが素敵でした。
 入江山観測所跡に行きました。途中にも砲台の跡が残っていました。入江山(約291m)は観測所というだけあって展望は良く、函館山山頂が間近に見えます。途中のこんもりしたところがツツジ山(約306m)です。山道にはスイカズラやタニウツギが咲いていました。
 
 14時15分のロープウエイで下りました。途中、立待岬方面を見ると薄っすらと下北半島の陸地が見えていました。十字街駅から函館期前駅まで市電に乗って、10分ほど歩いて土方歳三最期の地碑に寄りました。土方歳三が銃弾に倒れたとされる一本木関門跡に近い若松緑地公園にあります。毎年碑前祭が行われるそうです。ここからは歩いてにっぽん丸へ戻りました。
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