カリブの魔法 
コスメル メキシコのユカタン半島沖合に浮かぶ島で、メキシコで一番大きな島です。4世紀ごろにはマヤ人が住むようになり、交易の中心地として、またイスチェルという豊穣の神の巡礼地としても栄え、人口4万人の都市に発達したそうです。16世紀にスペインに占領され、人口が300人以下に減ってしまったそうです。現在は美しいビーチとマリンスポーツのスポットとして観光を柱とする約10万人の人々が暮らしています。
今回は、「チチェン・イッツァ」観光(129$)に参加しました。したがって、コスメルの観光はなしです。
チチェン・イッツァ観光 コスメル到着前の7時45分に集合。下船後すぐにフェリーに乗船、45分ほどで対岸のプラヤ・デル・カルメンの船着き場に着きました。ここから観光バスに乗りました。8番のバスです。
 
チチェン・イツァとはマヤ人の言葉で“泉のほとり”のイツァ人という意味だそうです。ユカタン半島最大のセノーテ(聖なる泉)を中心にしてこの都市が繁栄したことから、そのように呼ばれたそうで、遺跡群はマヤ独自の特徴が顕著な6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァ」と、トルテカなど中央高原の文化を取り入れた10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァ」のふたつのエリアに大別されています。
3時間ほどバスに揺られ、12時30分にようやく遺跡に到着、入場券を渡されて現地ガイドに付いて入場します。土産物屋が並ぶ道の途中の石積みで何か説明をしていますが、ガイドブックを見ても内容はわからない。2〜3分も歩くといきなりピラミッドが見えてきました。感動です!まずは、「新チチェン・イツァ」の観光です。
エスカルティージョ(ククルカン神殿)です。ピラミッドはそれ自体巨大な暦で、四方の階段各91段と頂上の1段を合わせて1年の365日になります。また基壇の9段はマヤの農耕暦(ハアブ暦)の1年18カ月を表し、各基壇のパネルの52か所はハアブ暦と祭事用のツォルキン暦のふたつが重なる52年の周期を表しているそうです。上の写真は北側からのパノラマで、左手奥の遺跡は戦士の神殿です。下の写真は左が西側、右が北東側からのものです。春分と秋分には、北側階段の蛇頭ククルカンが太陽の影で生きているように現れるということです。
全長150mもある大きな球戯場です。球技は、生ゴムのボールを手を使わずに壁面の輪にくぐらせるもので、豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式だったそうです。基壇には、勝利者が斬首され、ながれる血潮の先から植物が芽を出す図などが彫られています。手を叩くと反響がすごいという説明で、観光客が皆さん手を打っていました。
 
ツォンパントリです。「頭蓋骨の城」という意味で、いけにえの骸骨を曝す場所だったそうで、台座には様々な頭蓋骨が彫られています。 ジャガーの神殿です。小神殿正面にはジャガーの像が置かれています。壁の内側には戦争の様子が克明に描かれているそうです。ジャガーは、マヤ人にとって畏怖の対象であり、強さの象徴であったといいます。
次は、ジャガーと鷹の台座のレリーフです。
ククルカンの像が置いてありました。 金星の台座です。台座は、蛇、ジャガー、ワシ、人などの装飾がなされ、金星と関係のある象形文字があります。 戦士の神殿の左隣の基壇です。解説はなしでした。
 
戦士の神殿です。3層の基壇を持ち、戦士の浮き彫りが施された石柱群が囲み千本柱の神殿とも呼ばれるそうです。上段の入り口にはいけにえを捧げる台座のチャック・モールが見えます。中央高原のトルテカ文明との交流説が強調される要因となっている神殿だそうです。
ピラミッドの近くを発掘していました。 観光時間は2時間弱でした。「旧チチェン・イツァ」はまったく観光できません。2時30分には集合してすぐ出発です。再び3時間のバスの旅です。プラヤ・デル・カルメンから6時のフェリーに乗って、コスメルに帰るころは真っ暗でした。
 
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