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                                            ※真実を求めて(迷妄の追放)は、後半にあります。
                                             (この世の主要な迷信の追放を意図した内容です)


     真実を求めて
                                            2007年6月19〜20日  柴田昭彦作成
                                            2007年6月20日      インターネット初公開
                                            
2007年6月21〜24日   追加修正
                                        
2007年7月13〜15日   追加修正
                                        2010年2月13〜20日 <真実を探して>を追加
                                        
2010年7月25日  内容を更新 
                                        
2014年1月25日  構成を変え、一部修正
                                        2014年1月26日  ルターの言葉について追加

                                        
2014年2月9日 一部、追加(ミニマルキッチン関係)
                                        2014年2月23日  映画「感染列島」での言葉を追加
                                        2014年7月15日 「第二のチャンス」では、訳書初版の
「明白」
                                             訳書再版では
「明日」に訂正されていたことが判明した。
                                        
2014年7月19日 ルター研究の第一人者(徳善氏)の見解を追加
                                        
2014年7月26日 『世界名言事典』のゲオルギウの生年記載について
                                        
2014年7月27日 童門冬二の人生信条である「ゲオルギュの言葉」
                                        
2014年8月28日 石原氏の言う「ゲオルグ」は「トラークル」だった!
                                        
2014年8月28日 リンク先にゲオルグの謎を作成
                                                (アシジの聖フランチェスコのニンジンのエピソードを含む)
                                        2014年9月17日 一部修正 
                                        2014年10月5日 「赤鼻のセンセイ」の第2話でのこの言葉について
                                        2014年10月5日 リンゴの種を蒔いた「ジョニー・アップルシード」について
                                        2014年10月15日 「赤鼻のセンセイ」の言葉、茂木健一郎の言葉
                                        2014年10月19日 伝「二宮尊徳」の道歌「この秋は・・・」について
                                        2014年10月21日 伝「二宮尊徳」の道歌の「小谷三志説」について
                                        2014年10月25日 一部追加(世間が有名人の名言を欲すること等)
                                        2014年11月8日  リンク先に道歌「この秋は」のルーツを作成
                                        2020年10月12日 参考文献
「ルターのりんごの木」を追加
                                        2020年12月9日  一部修正


「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」 

 
   
これは、誰の言葉なのだろうか、その謎を解きあかす決定版のコーナー

(このコーナーの内容のコンパクトなまとめ)

  このルターが語った(という)言葉を小説1952年に紹介したゲオルギウルーマニア生まれでフランスへ亡命した詩人・作家である。
  (
ゲオルギウとは、詩人・作家コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウである。1916年ルーマニア生まれ、1992年パリで没)
  (ルーマニアの政治家・革命家である
ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ)とは無関係である。)

 
 (ドイツのマルチン・ルターが説教で語った言葉というが、初出は1944年10月のドイツ・ヘッセン教会の回状であり、
   1944年当時のドイツの誰かが、有名なルターの言葉として創出した言葉である可能性が高いと指摘されている。
    ただし、創作であるとしても、その言葉の内容はルターの信仰の気持ちをよく表しているという見解が専門家によって示されている。)

  (石原慎太郎氏の言う「東欧の詩人、ゲオルグ」とは、なんと、オーストリアの夭折の詩人ゲオルク・トラークルのことだった!!!)
   (なぜ、石原氏は「ポーランドの詩人のゲオルグ・トラークル」と書いているのだろうか。オーストリアの詩人のはずなのに。)
     (もちろん、
『トラ-クル全集』1000頁余の中のどこにも、上の言葉は見当たらない。ゲオルギウの言葉なのだから当然です。)
      (石原氏も寺山修司と並ぶ、この言葉の作者名の捏造者と言えよう。)


  (この言葉をルーマニアの政治家・革命家「ゲオルグ・ゲオルギウ」のものという虚偽情報を意図的に広めたのは寺山修司である。
   寺山修司は『青春の名言』(1968年)とその改訂版『ポケットに名言を』(1977年)で、この言葉を
「革命」の言葉として広めたのだ。
    
寺山修司といえば「捏造」が代名詞であり、詩人・作家の「ゲオルギウ」を「確信犯で捏造して」別人の政治家・革命家に変えたのだ。)


  ★結論をまとめると、この言葉はルーマニア生まれでフランスに亡命した詩人・作家のコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウが
   小説『第二のチャンス』(1952年原著、1953年訳書)の巻末に、マルチン・ルターの言葉として載せた言葉である。
   初出は1944年10月のドイツ・ヘッセン教会の回状であり、その中でルターの言葉とされている。ただし、ルターが説教などで
   語った言葉に、この句は見あたらない。従って、
「ルターの言葉そのものではないが、ルターに帰せられている言葉」である。
   この言葉を、寺山修司が「革命家ゲオルグ・ゲオルギウ」に帰しているのは、
確信犯の捏造であり、読者をだまし続けているのである。

  ※なお、一般的な人名表記は「ゲオルギウ」が訳書・人名辞典などで採用されてきているが、最近は「ゲオルギュ」という表記を使用する
   場合も多く見られるようになっている。このサイトでは、従来からの訳書・人名辞典の一般的表記に基づき、「ゲオルギウ」としておく。


○このテーマについては、マルティン・シュレーマン著、棟居洋訳「ルターのりんごの木―格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ」(教文館、2015年)に詳しく取り上げられている。ただし、ドイツの国内での動きが中心である。1944年の回状が最初の出現であることも述べられている。文章はお世辞にも読みやすいとは言えないが、事実を追求しようとする著者の姿勢は強く感じられる。訳書の棟居氏の翻訳の動機は、このりんごの木の格言が、宗教界において、公然と、「ルターの言葉」として間違って受け止められている現状に「警鐘を鳴らす」ことであった。このテーマに興味がある人には、図書館利用でもよいので、一読をおすすめしたい。(2020年10月12日、追記)



<ゲオルギウの言葉の謎>


 のテーマの謎に迷い込むことになったきっかけは、平成19年(2007年)6月4日(月)のサンケイ新聞の月一回掲載記事であった。
その連載
「日本よ」(石原慎太郎)のサブタイトルと記事は次のとおり。
(※石原慎太郎『平和の毒、日本よ』(産経新聞出版、平成24年<2012年>)の65〜69頁に収録されている。
  ただし、「リンゴ」が「林檎」(ルビ:りんご)に変更されている。冒頭の「さる5月中旬」も「平成十九年五月中旬」に差し替えられている。)


   
たとえ、地球が明日滅びるとも


 さる5月中旬、ニューヨークでの世界大都市の首長による地球温暖化対策会議に出席した。(本文・中略)

 いつだったかどこかの居酒屋で色の変わった古い色紙に記された、同世代の作家だった開高健の言葉を目にし心を打たれたことが
ある。調べたら
東欧の詩人ゲオルグの詩の一節だった。

「たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える」

 それを色紙に記した開高の思いが何であったのかはつまびらかでないが、彼が共感して記した人間のその志について、私はニュー
ヨークでのスピーチに世界中から集まった仲間に改めて取りついだものだったが。



しかし、この東欧の詩人ゲオルグとはいったい何者であろうか。


筆者が、上の言葉を見て、最初に思い出したのは、
高木彬光『ノストラダムス 大予言の秘密』(日本文華社、昭和49年)
(角川文庫、昭和50年)
の第十三章のタイトルになっていて、章末に記された次のような一文であった。


 たとえば詩人リルケもいっている。

「たとえ地球の滅亡が明日に迫ろうと
       
りんご
 
私は今日林檎の樹の種子を植える」
     (※「りんご」のルビは角川文庫版のみ)


いくつかの資料においては、この言葉をリルケに帰している。    →→→ リルケの言葉

しかし、リルケ(1875-1926、オーストリアの詩人・作家)の詩集を調べてみても、この言葉はどこにも見当たらないのである。

一体どういうわけであろうか。




作家の開高健(1930〜89)が、この言葉を書いたもの(自筆)は、次の写真集の191ページにある(下に掲示)。


開高健記念会編 『 開高健 Portrait de Kaiko 』 (開高健記念会発行、2004年)

(※2014年9月現在、開高健記念会に問い合わせて申し込めば入手可能。5400円+送料360円を振り込む)

 写真集『 開高健 Portrait de Kaiko 』 を収める外箱より

その文章は、次のとおりであり、居酒屋の色紙に記されたものも、これとまったく同一の文章であろう。


明日世界が
  滅びるとしても
今日、
あなたは
  リンゴの木を植える

        開高 健
  

              
『 開高健 Portrait de Kaiko 』191頁     出典:長靴を履いた開高健(2010.05.22)(2004.07.01)
(2004年)


インターネットでも、類似であるが、少しずつ表現の異なる文が見られる。
  
→→→ 開高健の言葉

なお、開高健は、もともと「私は」になっているところを、あえて「あなたは」または「君は」に変更していることに注意しておこう。

「君は」に変更しているものは、ブログ2012年07月19日2012年08月18日に掲載された写真(太陽1996年5月、8頁)に見えている。
また、「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」(読売新聞社、1990年)の24頁にも掲載されている(カメラマン高橋f氏の長女に贈った言葉)。

この言葉のルーツをインターネットでたどって行くと、その混乱ぶりに驚かされる。

出典を示すことなく、孫引きされているケースも多い。
誰が言った言葉なのかについて、以下のような説がまことしやかに紹介されていて、定説を見ない。

マルチン・ルター説(この言葉の初出は1944年10月のドイツ・ヘッセン教会の回状で、ルターの言葉として出された。ルターの説教集には存在しないので、ルターが言った言葉そのものではないことは確実である。)
マーチン・ルーサー・キング・Jr説(キング師説はアメリカで広く流布している誤説。ルターとルーサーは同綴りのため混同された。)
ルソー説(ルターと一見、似ているため、読み間違えたことから生じた異説らしい。ルソーの言葉でないことは確実であり、誤説。)
リルケ説(高木彬光の誤説。他の本で目にしたことはないので、高木氏が発端であろうが、裏付ける資料は見当たらない。)
ゲオルグ・ゲオルギウ(革命家)説(寺山修司の誤説。政治家ゲオルグ・ゲオルギウ・デジと作家C.V.ゲオルギウとをおそらく故意に混同した。)
C.V.ゲオルギウ(作家)説(この言葉の出典を、世界的ベストセラーの『二十五時』とする説があるが、誤説。詳細は後述。別の著書が出典。)

開高健説・・・・・先人の言葉をアレンジして「あなたは」または「君は」を使用している。開高健の言葉とは言えるが、オリジナリティーはない。
ゲオルギウス説(「ゲオルグ」「ゲオルギウ」との混同から生まれた誤説。「ゲオルギウス(ゲオルギオス、聖ゲオルグ)」は3〜4世紀の聖人。)
ゲオルク・トラークル説(石原慎太郎の誤説。「トラークル全集」には、この言葉は存在しない。寺山説のゲオルグから勘違いしたものか?)

出典にまつわる詳細は、インターネットにおいて、下のブログにあったが削除され、2020年6月現在では参照できなくなっている。
ここでは、この言葉のルーツを探るために、単なる孫引きではなく、出来る限り、オリジナルの資料を紹介して、根本的解決に読者を導きたいと思う。

ミニマル・キッチンBlog「世界が滅びる日の前日に林檎の樹を植える」のは誰?(1)(2006.01.15)
ミニマル・キッチン(2) (2006.01.15)
ミニマル・キッチン(3) (2006.01.18)
ミニマル・キッチン(4) 
(2006.01.22)
ミニマル・キッチン(5) 
(2006.01.24)



寺山修司第一回映画監督作品「書を捨てよ 町へ出よう」(1971年公開)(パイオニア、DVD)の中に、次の言葉が出てくる。

もしも世界の終りが明日だとしても
   
ぼくは林檎の種子をまくだろう
            ゲオルギウ


インターネットの「時よ止まれ!僕たちはすることが一杯ある!!−今日の一曲『1970年8月』」に紹介されている。

映像は上記「書を捨てよ 町へ出よう」のDVDで確かめることが出来る。壁の落書きの文字が、マッチの火で浮かび上がる。



DVD映像には、上の文字のとおり、「今日」が見当たらず、ゲオルギウのフルネームも示されていない。

上の言葉は、「アートシアター 86」(1971年)の64頁(「書を捨てよ町へ出よう」のシナリオ)に次のように見える。



寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫、1977年初版、2005年改版)の154ページには次のようになっている。

(この名言が、「146〜154ページ」に載せられた「革命」をテーマにした名言23句の一番最後に載せられていることに注目したい。)

   (※寺山修司と言えば「捏造」と言われるほど、自伝の「嘘」は有名で、友人をだまし、かつぐことなども多かったという。)


                                                た ね
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
                                  ゲオルグ・ゲオルギウ


こちらには、フルネームになっていて、寺山修司はルーマニアの共産党のリーダーであった、
「革命家」ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(1901〜65)の言葉としていることがわかる。
(Gheorghe Gheorghiu−Dej 1901.11.8〜1965.3.19 Romania) ・・・Wikipedia(英文)による

  ★Wikipedia(和文)で、ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ
として紹介されるようになっている。

では、石原氏のいう「ゲオルグ」は、寺山修司によったものなのだろうか

ゲオルグ・ゲオルギウ・デジは「ルーマニアの政治家・革命家」であり、「東欧の詩人」ではないことは明らかである。



従って、石原氏のいう「ゲオルグ」はまったく別の人物であることが示唆される。

(2014年8月28日、追記)石原氏の言う「東欧の詩人ゲオルグ」は、「ゲオルグ・トラークル」であった!

  雑誌「WiLL」の2014年10月号の連載記事「石原都政回想録」によって、石原氏が言う「東欧の詩人ゲオルグ」というのが

  実は、「詩人のゲオルグ・トラークル」であることが明確に示されたので、今までの疑問がすべて氷解した!!!

  石原氏は、寺山修司の言う「ゲオルグ・ゲオルギウ」ではなく、まったく「別の詩人」のことについて述べていたのであった。

    ここでは、十分なスペースが取れないので、別のコーナーで、石原氏の言う「ゲオルグ」の謎ときをしてみたい。

           → → →  ゲオルグの謎(アシジの聖フランチェスコのニンジンのエピソードを含む)

                         


『ポケットに名言を』は、寺山修司『青春の名言 心さびしい日のために』(大和(だいわ)書房、1968年)の改訂新版である。

この中にあるゲオルギウの言葉は、次のように『ポケットに名言を』(1977年)と同一である(ただし、「種子」のルビ「たね」は見られない)。

(もちろん、1968年に発行された時点で、「革命」をテーマとした名言23句の一つであり、そのラストの句でもあった。)
(「革命」名言23句: 1968年の本に村田英雄の句があり、その句を1977年の本では黒澤明の句に差し替えているのが面白い。)

もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう
                           
    ゲオルグ・ゲオルギウ

                 ※寺山修司『青春の名言 心さびしい日のために』(大和書房、1968年)190ページ


一方、梶山健編『世界名言事典(新版)』明治書院、昭和63年初版、平成5年三版)の巻末索引(521ページ)には、

ゲオルギウ Gheorgiu,Constantin Virgil(1901〜    )ルーマニア  作家 43, 102, 163, 181, 224

とある(名前の綴りと生年に間違いがある。後述。)ので調べてみると、102ページ下段には次のとおりの言葉があった。

いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、
  世界の
終焉明白であっても、自分は今日、リンゴ
 
植えることだ。 (最後の瞬間を支えるものは希望である)
                    
        −ゲオルギウ
「二十五時」

上の言葉には、
「明日(あす・あした)」ではなく、「明白(めいはく)」とあることに注意しておこう。

   (最後の瞬間を支えるものは希望である)は、編者が加えたものと思われる。

コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ Constantin Virgil Gheorghiu1916.9.15〜1992.6.22)
                                              ・・・Wikipedia(C.V.Gheorghiu)(英文)による

※C.V.ゲオルギウは、日本での知名度があまりないためか、2014年10月現在でも、Wikipedia(和文)は作成されていない。


1916年、ルーマニアのモルダヴィア生れの作家・詩人。
       ブカレスト大学、ハイデルベルク大学で哲学と神学を専攻、その後、文筆活動に入る。
1940年、『雪の上の落書』でルーマニア王国詩人賞を受ける。
1944年8月、ソビエト軍のルーマニア侵攻とともにフランスへ亡命。
1949年、小説『二十五時』を発表。衝撃の文明批評で世界的なベストセラーとなる(1967年映画化)
1992年、パリで亡くなった。

主著『二十五時』『第二のチャンス』『ひとり旅の男』『女スパイ』『大虐殺者』『二十五時の証言』など
著作活動の一方で、1971年からギリシア正教の最高位・コンスタンチノープル公会議府主教を務めた。


近年の訳書には、『アラーは偉大なり』(サイマル出版会、1980年)を改訂した次の本がある。
ビルジル・ゲオルギウ『マホメットの生涯』(河出書房新社、2002年)・・・上記のプロフィールの一部を収録。

『第二のチャンス』(1953年、筑摩書房)の裏表紙より


以上のように、寺山修司の言う「ゲオルグ・ゲオルギウ」は政治家「ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(1901〜65)」のことであろうし、
梶山氏が示しているように、この言葉は明らかに小説家「コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916−92)」のものであろうから、
同じ「ゲオルギウ」であることから、混同が起きていることがわかる。ただし、寺山は、その二人のゲオルギウの存在を積極的に
利用して、「混同した」のではなく、意図的に「偽装工作」を行い、「小説家の言葉であるのに、革命家の言葉にすり替えている」のである。

二人のゲオルギウのまぎらわしさは、データ不足から来ていると思う。インターネットではゲオルギウの紹介は英文主体で、和文は少ない。

ただし、
『岩波西洋人名辞典 増補版』(岩波書店、1956年初版、1981年増補版)には、2人とも、以下のように掲載されている(同書497頁)のだから、間違える余地はないはずなのだが。

ゲオルギウ Gheor’ghiu,Constantin Virgil 1916.9.15− 現代ルーマニアの作家

ゲオルギウ・デジ Gheor’ghiu-Dej,Gheorghe 1901.11.8−65.3.18.ルーマニアの政治家
                                    (正しくは、65.3.19.)



さて、言葉のルーツの探索は、いよいよ佳境に入る・・・・・。

上の『世界名言事典(新版)』での引用が正しければ問題ないのだが、索引のデータの誤りが、心配を予感させる。胸騒ぎ。


コンスタンティン・ヴィルヂル・ゲオルギウ作・河盛好蔵訳 『二十五時』 

                                   (筑摩書房、1950年)


筑摩書房版は、漢字が旧字体なので読みにくいが、内容はまさに波瀾万丈の息をもつかせぬ展開で、これだけ古い本で通読できた
のは、やはり、世界的ベストセラーとなっただけのことはあると思った。他に
角川文庫版(1967年)もある。


さて、全部、通読したのに、上の言葉は、どこにも見当たらないのである!!!

                                   (2007.6.13 読了)

何ということだ!!!     どういうわけだ!!!     梶山氏は原書を確認したのだろうか?

ここで、6月17日にインターネット検索で発見したのが、「ウェブ石碑−名言集」「ゲオルギウの名言」の中の、次の文章だった。

いかなる時でも、人間のなさねばならないことは、
世界の
終焉明日であっても、自分は今日、りんごを植えることだ
「第二のチャンス」より
人間/努力/仕事/現在/今/世界の終わり 


こっちは「明日(あす・あした)」になっている。さっそく、C・V・ゲオルギウの第二作である『第二のチャンス』を調べてみる。
この本の原著の発行年は、1952年である。訳書は翌年の1953年発行ということになる。

通読するのでなく、巻末にあると予測して、探してみる(
2007.6.17)。・・・・・・・あった!!!!!

ゲオルギウ著・谷長 茂 訳 『第二のチャンス』 (筑摩書房、1953年)

この本(初版)の360〜361ページ(小説のラスト部分)には、次のような文が見つかる。これが出典に他ならないだろう。

 新に飛行機の編隊が山の上にあらわれる。パラシュート
部隊がまた山頂に降下する。
「世界の終りだ、と云っていたわ。」とマグダレナが云う。
 ピラはおどおどとした彼女の美しい眼を見、
マルチン・
ルッターの言葉
を思い出す。世界の終りの問題が、マグ
ダレナの口調と同じ気高さで述べられているのだ。ピラは云
う。
            
                          ‥
「Und wenn 
Morgen Weltuntergang ware,ich werde 
am heutige Tage doch Apfelbaumen pflantzen.」
「上から射ってくるわ。」とマグダレナは云う。 「どうしま
しょう? (彼女はすっかりおびえている。) どうしたらい
いの?」
どんな時でも人間のなさねばならないことは、」とピラ
                                    

は云う。 「Und wenn Morgen Weltuntergang ware・・・
・・・」
 弾丸が叢をかすめ、彼らの頭の上の樹にあたる。
 マグダレナは地面にぴたりと頬をつける。
「いまなんて云ったの?」と彼女は小さな声でそっとたず
ねる。
 ピラはドイツ語を訳しはじめる。
「たとえ世界の終末明白であっても、自分は今日リンゴ
を植える・・・・・・」

 
機関銃の一斉射撃が、語っているピエール・ピラの口と、
耳を傾けている美しいマグダレナの耳を永遠に閉す。
 ヘリコプターのマイクロフォンが世界政府の兵士たちに
天気予報を告げている。その声は谷間の彼方にまで響きわ
たって行く。
《お天気が続きます!  お天気が続きます!》

          (『第二のチャンス』のラスト部分より)


 

{結論}   (2007.6.20)
 

コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916〜92)は、小説 『第二のチャンス』 (1952年原著、53年訳書)
の巻末において、マルチン・ルターの言葉として、次の文を引用しているのであった。

(※ ただ、「
明日」と「明白」の食い違いの謎は残されている。あとで解明しよう。) 

「どんな時でも人間のなさねばならないことは、
 たとえ世界の終末が
明白であっても、
 自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・」

 
(ゲオルギウ著・谷長 茂 訳 『第二のチャンス』1953年刊・訳書、より)


ただし、マルチン・ルターが言ったという確証はなく、1944年10月以来、ルターに帰せられている言葉である。

インターネットにおいて、次の3つのサイトを参考にされたい。

神学のよくある言い回し」(たとえあす終末が来ようとも、きょう私はりんごの木を植える)
(2003.4.30開始)


絶叫機械+絶望中止(2005-08-21)

ミニマル・キッチンBlog「世界が滅びる日の前日に林檎の樹を植える」のは誰?(1)(2006.01.15)
ミニマル・キッチン(2) (2006.01.15)
ミニマル・キッチン(3) (2006.01.18)
ミニマル・キッチン(4)
 
(2006.01.22)
ミニマル・キッチン(5) 
(2006.01.24)


この3つめのミニマルキッチンは考察が詳しいが、ゲオルギウの謎が解けていなかったのが残念。

ようやく、本サイトで、ゲオルギウの言葉の謎は解決したと思う。         ゲオルギウの言葉


{希望のことばより} (2007.6.21)

ヘレン・エクスレイ編・中村妙子訳 『シリーズ<手のひらのことば> 希望のことば』 (偕成社、1999年)
には次のとおり。

たとい、この世界が明日
  くずれ去ろうとも
  わたしはわたしの
   リンゴの木を
植えることをやめない。

  マルティン・ルター
  (1483〜1546)


明日明白の違いの解明}(2007.6.22)(7.13追加:「明白誤植だった!」)

ゲオルギウ著・谷長 茂 訳 『第二のチャンス』の文章に見られる食い違いを追求してみよう。
                      
 ‥
「Und wenn 
Morgen Weltuntergang ware,
ich werde am 
heutige Tage doch Apfelbaumen pflantzen.」

このドイツ語の原文を訳してみれば、謎は解けるはずである。
英語での逐語訳(単語の羅列だが)は、次のようになる。

「and if(when) 
morning(tomorrow) world-under-walk be,
I  would  on today’s  day  but  apple-tree  plant. 」

そして、たとえ 明日 世界が滅亡しようとも、
      私は 今日 リンゴの木を植えるだろう。


したがって、
明白な clear (klar ; deutlich)は、どこにも見当たらない。

この疑問の解決のためには、『第二のチャンス』の原書(フランス語)を確認するしかない。
2007年6月20日、 K書店に次の原書を注文し、7月13日には入手することができた。

Virgil Gheorghiu,LA SECONDE CHANCE,Editions du Rocher,1990.


この原書にある、ドイツ語の綴りは、訳書とは2カ所で食い違っていて次のとおりである(原書p.443)。
                         
   ‥
−《Und wenn morgen Weltuntergang ware,
                                ‥
ich werde am
 heutigen Tage doch Apfelbaume pflantzen.》


さらに、原書のフランス語の該当部分(ドイツ語からのフランス語訳)は次のようになっている(原書p.443)。

−La fin du monde serait-elle pour demain,je planterais quand
 
meme des pommiers aujourd’hui...

このフランス語を逐語訳(英単語の羅列にすぎないが)してみると・・・

「The end of 
world  to be  for tomorrow, I plant when

even  the apple−tree today...」

つまり、「世界の終末明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える・・・」である。



『第二のチャンス』の訳書(1953年)にある 「明白」は単なる誤植であり、
「明日が正しいのであった。 
 
  
(本邦唯一の訳書の初版は、お粗末であった。なお、下記注のとおり、訳書の再版では誤植は訂正されている。


次の文章が、本来、ゲオルギウ著『第二のチャンス』に収録されるべき原文なのであった。

「どんな時でも人間のなさねばならないことは、
 たとえ世界の終末が
明日であっても、
 自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・」


(注)下欄の追記(2014年7月15日)で報告しているとおり、『第二のチャンス』の訳書の初版(昭和28年6月25日印刷、同30日発行)「明白」と誤植されていた箇所(361頁)が、訳書の再版(昭和28年7月10日発行)では「明日」に訂正されていたことが判明した(2014.7.12、小林氏からの情報による)。


{僕の生きる道より} (2007.6.24)

○橋部敦子『僕の生きる道』(角川文庫、2003年) 219ページ

「ある人が、こう言っているんだ――」
 金田はいつになく真面目な目で秀雄を見つめた。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私は、りんごの木を植える――」
 
秀雄は帰る間ずっと、金田が言った言葉の意味を考えていた。

※2003年1〜3月、テレビ放映された大ヒットドラマのノベライズ。
 テレビドラマの第7話(2月18日)で、私立高校の生物教師の中村秀雄(草g剛)に余命1年の宣告が下る。
 敬明会病院の診察室を訪れて、主治医の金田勉三医師(小日向文世)に会った時に、秀雄は上の言葉を聞く。


{梶山氏はなぜ出典を間違えたのか} (2007.6.24)(7.15修正)


梶山健編『世界名言事典(新版)』(昭和63年)に、言葉の出典が、『ゲオルギウ
「二十五時」』となっていたことが、
間違いのもとであった。
梶山健編著『世界名言大辞典』明治書院、平成9年初版平成15年三版)の巻末索引(589ページ)
では、昭和63年版に見られた「ゲオルギウの名前の綴りと生年の間違い」はどちらも訂正されていない。

平成9年版の239ページ上段には昭和63年版と同じ名言(文は同一)があるが、出典は、
「二十五時」ではなく、
「第二のチャンス」に変更されていた。

「ウェブ石碑−名言集」の
「ゲオルギウの名言」の中に示された出典が「二十五時」ではなく、「第二のチャンス」
になっているのは、平成9年版を参照したためであろう。

梶山氏(1918〜99)は、平成9年版の「緒言」で、「出典名の統一や、誤記・誤植を訂正した」と述べている。

(最後の瞬間を支えるものは希望である)という言葉は、出典にないので、梶山氏が加えたものと考えられる。


(2014年7月26日、追加)梶山氏の名言・引用句の事典の新旧版を比較していて、奇妙な事実に気づいた。
巻末索引において、「ゲオルギウ(Gheorgiu,Constantin Virgil)ルーマニア 作家」であるのは共通している(綴りにhの脱落があるのも共通)が、生年が、初期の年代のものは正しい(1916〜)になっているのに対し、新版(昭和63年版)以降は、生年が改悪(政治家の生年である間違った(1901〜)に変更)されてしまっているということなのである。おそらく、誰かの指摘に惑わされ、本来正しい生年を、作家でなく政治家のものに変えてしまったのだろう。その圧力をかけたのは、もしかすると、寺山修司の革命家説を信じた誰かだったのかもしれない。あるいは、改悪したのは、出版社の編集者であった可能性もありえる。今となっては、真相はわからない。なお、ゲオルギウの生年が正しい昭和41年版と昭和51年版を比較してみたところ、10年の間に見いだした名言を改訂・増補したとうたう昭和51年版に収録語句の変更は見つけ出せず、実質、昭和41年版と同じ版下を用いているようである。事典では、こういうこともよく行われたのであろうか?

 書名 索引のゲオルギウの生年 (※1916年が正しい)  紹介されているゲオルギウの言葉の収録された頁 リンゴの樹の言葉の記載内容  (※「明白」は、「明日」が正しい)
 梶山健編『世界名言事典』明治書院、昭和41年初版  (1916〜 )  47・179・192・201・465  いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、<例えば、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ。(最後の瞬間を支えるものは希望である。)
−ゲオルギウ
「二十五時」
 梶山健編『世界名言事典 改訂版』明治書院、昭和51年改訂版、昭和60年改訂6版  (1916〜 )  47・179・192・201・465  いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、<例えば、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ。(最後の瞬間を支えるものは希望である。)
−ゲオルギウ
「二十五時」
 梶山健編『世界引用句事典』明治書院、昭和54年初版  (1916〜 )  31・79・139・155・191  いかなるときでも,人間のなさねばならないことは,<例えば,世界の終焉が明白であっても,自分は今日,リンゴの樹を植えることだ.(最後の瞬間を支えるものは希望である.)
−ゲオルギウ
「二十五時」
 梶山健編『世界名言事典 新版』明治書院、昭和63年初版、平成6年四版  (1901〜) 43,102,163,181,224  いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ。(最後の瞬間を支えるものは希望である。)
−ゲオルギウ
「二十五時」
 梶山健編著『世界名言大辞典』明治書院、平成9年初版、平成17年四版  (1901〜?) 27,79,231,239,379   いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ。(最後の瞬間を支えるものは希望である。)
−ゲオルギウ
「第二のチャンス」

『世界名言大辞典』の四版(平成17年=2005年)によれば、梶山健氏は同初版(平成9年=1997年)を出版後2年の平成11年=1999年に亡くなっている。この平成9年版が最後の改訂となった。それにしても、初版に正しく記載していたゲオルギウの生年の新版での間違い(なぜ作家でなく政治家の生年に改悪したのか?)、綴りの初版以来の間違い(hの脱落)、「明白」の間違い(「明日」が正しい)、引用文の訳書との食い違い(最初の記録カードで間違えた?)に気づかなかったのは、残念な事であった。引用書名の修正(「二十五時」→「第二のチャンス」)の際に気づいていたら、正しく修正するチャンスはあったであろうに・・・。


(2014年1月26日、追加)

マルチン・ルターの言葉として、次の一続きの文章が、インターネットで流布している。

「死は、人生の終末ではない、生涯の完成である。
希望は、強い勇気であり、新たな意志である。
たとえ明日、世界が滅びようとも、りんごの木を植えよう」


3行目の内容を補う意味で、上の2行を付け加えたように見える。

実際のところ、本来は、3種類の別々の「マルチン・ルターの言葉」を3つ、一緒に続けたものである。

つまり、本当は、次のように、3つの別々の言葉のはずである。

「死は、人生の終末ではない、生涯の完成である。」

「希望は、強い勇気であり、新たな意志である。」

「たとえ明日、世界が滅びようとも、りんごの木を植えよう」


にもかかわらず、一続きに紹介しているのは、
次の質問コーナーへの回答(2007年1月)に由来するようである。

    質問「これは誰の言葉ですか?」への回答    ← ルターの言葉(ひとつずつ紹介している本来の形)

そして、それが、インターネットで引用されて、ほうぼうに紹介されているという状況にある。

      DRIVE(ルターの言葉)            液化する言葉について 


ルターの言葉については、Wikiquote に紹介されているものの信憑性はともかく、引用は3つ合体文ではない。

  
  本来、別々の3つの文を、ひとつにしてしまうのは、まずいのではないだろうか?

インターネットで、孫引き引用をされる際の注意として、問題提起しておきたい。



(2014年2月9日 追記)(2014年7月19日 追加・修正)

ミニマル・キッチンBlog「世界が滅びる日の前日に林檎の樹を植える」のは誰?(1)(2006.01.15)
ミニマル・キッチン(2) (2006.01.15)
ミニマル・キッチン(3) (2006.01.18)
ミニマル・キッチン(4)
 
(2006.01.22)
ミニマル・キッチン(5) 
(2006.01.24)

上記のミニマルキッチンのサイトでの解明について、核心的な内容を引用して紹介しておくことにしよう。

■「世界が滅びる日の前日に林檎の樹を植える」のは誰?(4)(2006.01.22)

ドイツ語版「
Wikiquote」には、なにやら怪しげな記述があります。
- Der fruheste Beleg fur den Satz findet sich in einem Rundbrief der hessischen Kirche vom Oktober 1944. Welt am Sonntag, 20. April 2003
ドイツ語・・・・・・
しかし、根性で訳しました。
「この文章の最も早い使用例は ヘッセン教会による一つの回状(194410月)である。2003420日(日)記述。」

英語版サイトhttp://www.luther.de/en/baeume.html
Luther and the Apple Tree
Many more legends about Luther and trees swirl around, one of the best known should be mentioned, the famous saying: "If I knew that tomorrow was the end of the world, I would plant an apple tree today!" is attributed to Luther.
One must remember, that the first written evidence of this saying comes from 1944...

ルターと木に関しては多くの伝説が渦巻いている。最もよく知られているのは次の有名な言葉、
「もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう。 」これがルターが語った、とされるものである。
...(しかし)覚えておかなければならない。 この言葉に対する証拠は最も古いものでも1944年であることを・・・」

ルターは「もしも明日世界が終わるなら・・・」なんて言っていない。やはり400年の時を越えてルターの言葉が発見されるとは考えられないです。それと、ルターの活動を端的にいうと「信仰の原点に返れ」ということになると思います。・・・改めて振りかえってみると「もしも明日世界が終わるなら・・・」という言葉は他のルターの発言に比べて違和感を覚えます。まるで近代の市民が発したかのような言葉です。
1944年のドイツって・・・・・・2次世界大戦 真っ只中です。・・・ドイツの敗北はもう決定的、という感じです。
1944
年のドイツというキーワードを得て感じたことがあります。・・・当時のドイツの政権を担っていた政党のことを考えると
実名で「世界が終わる」なんて発言をしたらどうなるのか・・・・・・
まとめとして
「もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう。
これは1944年のドイツを生きた何者かが考えだした言葉なのではないか。
しかし、当時の世相を反映して作者の名前で公表されることははばかられ「マルティン・ルター」という適度に歴史があり、適度に検証が難しく(バレにくい)、なんとなく説得力を感じさせる人物の権威を借りることにより発表されることになる。推測の域を越えることはできませんが私は、現時点ではこのように捉えています。」 (ミニマルキッチン(4)より)


(2014年2月23日、追加)

映画「感染列島」(2009年1月17日公開)に、そのフレーズが使われていることは以前から知っていたが、チェックの機会が
ないまま過ぎていた。2014年2月19日(水)に、MBSテレビで放映されたのでチェックをしてみた。
その中で、次の言葉が使われていた。小林栄子(檀れい)が医者になった理由をきかれて、亡くなった弟の好きだった言葉
として紹介したフレーズがこの言葉だった。

「たとえ
明日(あした)地球が滅びるとも、
今日君はリンゴの木を植える」
これは、石原氏の使っている言葉
たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える)から、

2カ所だけ、その順序を入れ替えたものであることがわかる。

あえて、そっくり同じ順序の言葉にしなかったのだろう。こういうやり方で、いくつも違う言葉ができあがる。
意味が同じだから気にしないと言えばそれまでだろうが・・・。

   (2014年7月27日、補足)インパクト編『生きる力がわいてくる 名言・座右の銘 1500』(永岡書店、2012年)の014頁には、

      たとえ明日地球が滅びるとも、今日君は
      リンゴの
を植える。  映画『感染列島』


(2014年7月15日、追記)
 7月12日、小林浩さんという方から、筆者の見逃していた
「次のような新たな情報提供」があったので、お知らせしておこう。

「どんな時でも人間のなさねばならないことは、たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・」
 (ゲオルギウ著・谷長 茂 訳 『第二のチャンス』1953年刊・訳書、より)

の「明白」という誤植についてですが、昭和28710日に発行された同書の再版では、「明日」に訂正されています。
同書は御承知の通り、昭和28630日に初版が発行されていますけれど、その直後に重版され、誤植が訂正されていた
ということになるかと思われます。


 従って、「第二のチャンス」の初版発行わずか10日後に発行の再版では、「明白」という誤植は訂正され、正しい「明日」になっているわけである。 訂正された経過は不明だが、初版発行後すぐに誤植が「発見」されて、すみやかに「訂正」されていたわけである。とはいえ、引用される際は、初版である場合が多くなるので、初版の誤植が「致命的」であったことには変わりがない(一番大事な言葉が混乱してしまう原因をつくってしまったからである)。ただ、訳者と発行者の名誉のため、速やかな訂正が行われたことについては、ここできちんと報告しておきたいと思う。なお、
訳書の再版において、確かに「明日」に修正されていることについては、筆者自身で2014年7月15日に原本で確認を行った。下に、その再版の該当する一部を掲載したので、確認いただけると思う。








(2014年7月19日、追加)
  「この言葉はルターの言葉ではないが、ルターの信仰の気持ちをよく表している」
「ミニマルキッチン(4)」では、この言葉は、ルターの発言と比べてみると、違和感を覚えるとしています。
一方で、
この言葉が、ルターの考え方に近いので、ルターの言葉として受け入れられやすいのだという説もあります。
それをここで紹介しよう。それは、
ルターの著作の翻訳を多数行ったルーテル学院大学、ルーテル神学校名誉教授である徳善義和氏の見解であり、そのコメントには、ルター研究の第一人者である重みが感じられる。筆者も、徳善氏の見解に従いたいと思う。

「もう一つ、こういう言葉もあります。これはマルチン・ルターの言葉だと言われて、あちらこちらに引用されるのですけれども、その言葉がどこにあるのかと何人かの方に尋ねられた機会に、私が何回かにわたってかなり大捜索して探してみましたけれども、見つかりません。その後、高名な学者に伺ってみても、やはりルターの言葉ではないということのようですけれども、ルターの信仰の気持ちをよく表していますから、それでマルチン・ルターの言葉ということになってしまったと思うのです。それは、「たとい明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える」という言葉です。世界の終わり、それは神のみ手の中のことだ。この世界の完成としての、世界の終わりが神のみ手から来る。そのことをルターははっきり信じていました。それが神のみ手から来るものであるならば、あれやこれやと私たちが詮索してみたり、考えて悩んでみたりしてもしょうがない。それは神にお任せしよう。そして、私としては今日一日私に託されている仕事を精一杯行っていこうという、そういう気持ちはもうルターの生涯の中に絶えずあったわけで、それに似た言葉をルターはよく言っていますので、たといこの言葉がルターのものでなくても、考え方、信仰的な基本はルターのものだと言っていいと思うわけです。」
                       (徳善良和『マルチン・ルター 生涯と信仰』教文館、2007年、152〜3頁より)

《著者紹介》(徳善良和『マルチン・ルター 生涯と信仰』より)
徳善義和(とくぜん・よしかず)1932年、東京に生まれる。東京大学工学部、日本ルーテル神学校卒。立教大学大学院修士課程修了。ハンブルク大学、ハイデルベルク大学に留学。名誉神学博士(アメリカ、ワルトブルク大学)。歴史神学(宗教改革)専攻。
現在、ルーテル学院大学、ルーテル神学校名誉教授。
著書 『神の乞食 ルター・その生と信仰』『自由と愛に生きる―「キリスト者の自由」全訳と吟味』他。
訳書 P.マンス『宗教改革とルターの生涯』他、ルター著作集を始め、ルターの著作の翻訳多数。



(2014年7月27日、追加)童門冬二の人生信条である「ゲオルギュの言葉」

童門冬二『人生、義理と人情に勝るものなし』(PHP研究所、2003年)の2頁(前口上)には次の文が見える。

ぼくがものを書く基本的態度は、いろいろなところに撒いているように、ルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュの言葉と、太宰治の言葉である。すなわち、ゲオルギュの、「たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは
きょうリンゴの木を植える」というのと、太宰の、「わたしは何も知りません。ただ伸びてゆく方向に陽が当たるんです」「かれは、何よりも人をよろこばせるのが好きであった」というのが土台だ。



童門冬二『男の論語 下』(PHP研究所、2000年)(PHP文庫、2001年)の文庫264〜6頁には具体的にその言葉の背景の説明がある。

わたしの人生信条であり、いい言葉なので何度もくりかえすが、わたしは講演や書いたものの中で最後に必ずルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュのことばを引用する。
「たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日リンゴの木を植える」というものだ。背景を知らなければ、「随分能天気で、楽天的な考え方だな」と思うに違いない。・・・「どんな絶望状況にあっても希望を失うまい」という考えを、リンゴの木を植えるという言い方でたとえたのだと思えばそれでいい。
 しかしこのゲオルギュのことばは本当はもっと深刻な背景を持っている。ゲオルギュの有名な作品に、『二十五時』という小説がある。「われわれにとって、一日は二十四時間ではない。二十五時間だ」ということだ。その意味は「それだけわれわれは、スターリン体制に苦しめられている。人間的自由が全くない」ということだ。・・・
人間的な自由を求めるゲオルギュの魂は呻(うめ)き、「いまのわれわれにとって、一日は二十四時間ではない。二十五時間だ。しかもプラス一時間の苦しい一日は、すべてソビエトの専制支配下にある」と嘆いた。これが『二十五時』という小説のモチーフになった。カフカの『城』などによって示される、「不条理に自分を取り去られ、他の意思によって操られる人間の苦悩」が如実に出ていた。わたしはこのゲオルギュのことばを引用する時には、必ずゲオルギュが置かれていた当時の苦しい状況を頭の中に思い浮かべている。だからこそ、この、「たとえ世界の終末が明日であろうとも・・・」という意味合いがずっしりと重く感じ取れるし、同時に、「それでもリンゴの木を植える」という強い前向きの意思が、ひしひしと伝わって来るのだ。

  (2014年10月25日、追加)
童門冬二『人生を選び直した男たち』(PHP研究所、1988年)(PHP文庫、2000年)のあとがきの末尾(文庫版242ページ)に次のようにある。この座右の銘については、1988年よりも、ずっと以前から紹介しているのだろう。

 
そこで、最後に、筆者はここでもまた、自分の座右銘である言葉を掲げて、結びにしたい。

 たとえ 世界の終末が明日であろうと
   わたしは今日 リンゴの木を植える
                             コンスタンチン・ゲオルギュ

                                        童門冬二

(2014年10月25日、追加)
 克舟先生の「心のサプリメント」の記事「たとえ世界の終末が明日であろうとも」には次のようにある。

「たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日、林檎の樹を植える」コンスタンチン・ゲオルギュ
この言葉は
私の小学生の時の国語辞典に書いてあった言葉でした。何故か覚えている言葉に「あきらめてはいけません」ベッスーン婦人と言うのもありましたが、この二つを覚えておりました。

このブログの作者は政治家の佐藤克男(1949年11月生まれ)である。北海道茅部郡森町の前町長(2008〜12年)である。

1956(昭和31)年4月に小学校入学、1962(昭和37)年3月卒業であるから、当時の「国語辞典」とは、1959〜1961年ごろに発行されていたものと思われる。当時の国語辞典とは、具体的に、どういう辞典なのであろうか?


(2014年10月5日、追加)

 テレビドラマ「赤鼻のセンセイ」の「第2話」(2009年7月15日放送)には次の言葉が出てくる。

   「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」 うーやん★赤鼻のセンセイ 2話
   「たとえ明日地球が滅びるとも、今日君はりんごの木を植える」 先日、「赤鼻の先生」で
   「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、今日私はリンゴの木を植える」 赤鼻のセンセイ@k
   
「たとえ明日世界が滅びても、私は今日リンゴの木を植える」 ドラマは何でも教えてくれる:04 赤鼻のセンセイ
  赤鼻の先生・石原参太朗(大泉洋)が、太川絹(シルク)先生(小林聡美)に教えられたこの言葉を受け売りで男子生徒に言うのであった。
  
  上記の通り、言葉を引用しているサイトによって、言い回しの言葉が食い違っている。
どれが、ドラマでの正確な言葉なのだろうか?


 (2014年10月15日、補足)
     「赤鼻のセンセイ」の中の言葉の言い回しが気になったので、
DVDで再生して台詞を調べてみることにした。

     「赤鼻のセンセイ」の「第2幕 恋の病」を視聴してみた。すると、
上の紹介サイトの台詞は不正確であることが判明した。
     (
台詞の言い回しを録画でチェックできていない。確認せず、どこかのサイトから勝手に引用したのだろう。)

(25分30秒〜)シルク先生
「もし、あしたが世界の終わりだとしても、私は今日リンゴの木を植えます。」
         赤鼻の先生「は?」
         シルク先生「悪くない考えだと思います。」

(31分55秒〜)赤鼻の先生
「もし、あしたが世界の終わりだとしても、今日、私はリンゴの木を植えますって、そんなこと言う人がいるんだよ。」
          和田くん(白血病の入院患者の男子中学生)「意味わかんねーよ。」
          赤鼻の先生「だよなー。俺も今やっとわかった。出会ったこと、後悔なんかするなよ。大事なのは、そん時の気持ちだろ。
                  いいじゃないか、好きになったって。いいだろう好きで。だって好きなんだから。おまえは人を好きになって
                  いいんだよ。そんなこと後悔なんかするなよ。」

(42分27秒〜)和田くん「あきらめない。
もし、あしたが世界の終わりだとしても、俺、絶対あきらめないから。」
          藤原さん(和田くんが好きな女子中学生)「あたし、知ってたよ。」
          和田くん「え」
          藤原さん「和田くんがあたしのこと見ててくれたこと。あたしも、あ、同い年くらいの子もがんばってるんだって励まされたよ。」

 (2014年10月24日、追記)
その後、新たにインターネット検索してみると、多数のサイトで紹介されていて、正確に台詞を引用して紹介しているサイトも結構あることがわかった。もちろん、違った言い回しの場合も多数見られる。多数にのぼるので、ごく一部を紹介しておく。最初に検索した際は、「たとえ明日」の形のものだけ検索していたようである。下の最初の二つは、台詞が詳細に紹介されている。

「もし明日が世界の終わりだとしても 私は今日、りんごの木を植えます。」大泉洋主演ドラマ 赤鼻のセンセイ 第2話ストーリー詳細|メイモのブログ
「もし、明日が世界最後の日でも、私はりんごの木を植えます。」(赤鼻のセンセイ・第2回あらすじ:ドラマアワー
「もし明日が世界の終わりだとしても 私は今日 りんごの木を植えます」ドラマ赤鼻のセンセイ#2−月下樹のおと
「もし、明日が世界の終わりだとしても、私は今日、りんごの木を植えます」・・・シルク先生の言葉
「もし、明日が世界の終りだとしても、今日私はリンゴの木を植えます」・・・この赤鼻のセンセイの言葉は、「私は」と「今日」の順序がシルク先生と異なる。

「明日が世界の終りだとしても、りんごの木を植える人がいる」
「もしも明日が人類最後の日だとしても、私は、リンゴの木を植える。」
「明日地球が滅びようとも、今日リンゴの木を植える」
「明日が世界の終わりだとしても今日私は林檎の木を植える」

「今日が地球最後の日でも私はリンゴの木を植えます」(『赤鼻のセンセイ』第2話感想。)って不思議な紹介もあるが、いったい、いつ植えるのだい?

※「今日、世界が滅びようとも、明日、君は林檎の木を植える」(徒然、神楽坂通信、2002.4.24)という紹介(開高健の言葉)もあったから、同類だろうと思う。これは「開高健のアレンジした言葉」(闇の向こう側)ではなく、単に、「今日」と「明日」を逆の位置に書き間違えただけであり、本気で受け取ってはいけませんよ。まあ、世界が滅んだのに、林檎を植える人間がいるというのはシュールな話ではある。人間が残っているのなら、世界は滅んでないのだから・・・。



(2014年10月5日、追加)
 「たとえ明日地球が滅びるとも」 ヤフー知恵袋 の回答には、19世紀の初めごろに、アメリカ西部の開拓地一帯を回り、聖書の教えを説きながらリンゴの種を蒔いて歩いた伝説的人物、ジョニー・アップルシードJohnny Appleseed(1774〜1845)(本名ジョン・チャップマンJohn Chapman)の逸話が紹介されていて、「アップルシード(リンゴの種)」というのが聖書の影響であることを示している。西欧において、リンゴとは、アダムとイブの物語における「禁断の果実」「禁断の木の実」「知恵の木(善悪の知識の木)の実」である。

すなわち、「リンゴの木を植える」というのは、聖書の世界そのものであることをあらためて強調しておきたい。

(2014年10月15日、追加)
 茂木健一郎『心と脳に効く名言 言葉と測りあうために』(PHP研究所、2011年)において、「明日世界が滅びるとしても」という開高健の言葉を採り上げている(24〜33頁)。

 明日世界が滅びるとしても、今日君は林檎の樹を植える。(31・33頁)
 開高健が、色紙に好んで書いたという、この言葉。(31頁)
 
聖書以来、林檎は「智恵」の象徴である。(32頁)
 
開高健のこの言葉に隠されている叡智(えいち)とは、すなわち、生とは、林檎の苗のようなもの、芽吹く種のごときささやかなものということなんだよ。(33頁)


「ヤフーの知恵袋」には、「リンゴの木を植える」という言葉について知りたいという質問がいくつも出てくるので、整理して紹介しよう。

(2006年)
「明日世界が滅びるとしても(9月)

(2007年)

これは誰の言葉ですか?(1月) 

(2008年)
「たとえ明日地球が滅びようとも(6月)
 詩 たとえ明日が来なくても(9月)
(2009年)
感染列島について質問(1月) たとえ世界が明日滅びようとも(4月) 
「たとえ明日地球が滅びるとも(10月)  
(2010年)
「たとえ明日、地球が滅びようとも(9月) 「例え明日地球が滅びるとも(10月)  「たとえ明日世界が滅びてようと(12月)

(2011年)
たとえ明日世界が滅亡しようとも(2月) 『たとえ明日地球が滅びとも(英語)(3月)

 夕方のニュースの中で噺家の方が(4月) かっこいい名言を教えてください(7月) 「たとえ明日、世界が滅亡しようとも(7月)

(2012年)
マルティン・ルターの残した名言(5月)

(2013年)
昨日の予算委員会で、石原慎太郎(2月) ついつい調べてしまいました。石原慎太郎(2月) 「明日地球が滅びようとも(11月)

(2014年)
ルターの言葉です。んな言葉を言った(1月) 「明日、世界が滅ぶとも(9月)



(2014年10月19日、追加) 
伝「二宮尊徳」の道歌「この秋は雨か嵐か知らねども・・・」について

 「リンゴの木を植える」という言葉は、文字通り、「木を植える」という行為と解釈することもできるし、聖書の世界における「智恵の木」の象徴という観点から、広く、「人間の叡智を結集して、いろいろな活動に取り組んでいくこと」ともとらえることができる。人類の終末が明日にせまってきたとしても、「今日1日やるべき仕事を精一杯おこなうこと」が大切なのだという教えと言えよう。

 ところで、この「リンゴの木を植える」という言葉をインターネットで検索していたときに、下のような言葉が伴っていて、目についた。表記の仕方には、いくつものバリエーションが見られる。いずれも「二宮尊徳」の言葉として紹介している」。


    「この秋は雨か嵐かしらねども今日のつとめに田草取るなり」 (なわのつぶや記)   (東漸寺)(steisukeのブログ

    「この秋は雨か嵐か知らねども今日の努めの田草取るなり」 (宮城県議会)(感染列島についての質問)(美華ツイッター

    「この秋は雨か嵐か知らねども今日の務めに田の草を取る」 (近江商人ブログ

    「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめに田の草を取る」 (
年の初めに|校長だより

    「この秋は雨か嵐か知らねども、今日のつとめに田草取るなり」 (ヒュウルガンガンのつぶやき
    「この秋は雨か嵐か知らねども今日の勤めに田草とるなり」 (29日<無相庵カレンダー>)(玄侑宗久:福島民報
    「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめの田草とるなり」 (ムラウチ社長ブログ
    「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめに田の草取るなり」 (今がよければいいんだという人へ



 つまり、
その伝えんとする内容が「リンゴの木を植える」という言葉とよく似ていることから、いくつものサイトで採り上げられているのであった。

 ところが、驚いたことに、
上の道歌の出典は明らかではなく、大多数の人が紹介している「二宮尊徳の作」というのは間違いらしいのである。なお、道歌(どうか)とは、仏教等の心を述べる教訓の歌である。精神修養の寓意歌であり、短歌の形式(五七五七七の形)で教訓を詠んだ歌をいう。

 一般に、この歌が知られるきっかけとなったのは、福田内閣メールマガジン第40号(2008年7月24日)であり、次の歌を、誤って「二宮尊徳の言葉」として紹介している。

 「この秋は 
雨か嵐か 知らねども 今日のつとめの 田草とるなり」

 この道歌のルーツを探った詳細な「レファレンス事例(国立国会図書館)」があり、関係資料の博捜によって、概要が明らかにされている。

 詳細は「レファレンス事例」をごらんいただくとして、引用された文献に、筆者の確認できた資料も加えて、まとめてみると、次の通りである。



 
この道歌のルーツは、横山丸三(春亀斎丸三)の次のような道歌である。「雨」はもともと「水」であったことに注意されたい。

 「此秋(このあき)ハ水かあらしか知(し)らねども けふのつとめに田草(たくさ)とるなり」

 上の道歌の出典は、
北條宇輔編輯「淘祖 春亀斎丸三道謌集 初篇」(北光堂、明治13年8月)の「廿三丁表」(デジタルコレクションのコマ番号26)である。編者名は、序文には「北条宇助」とあり、内題には「丸三道哥初篇 北條宇助編」、奥付には「編輯出板人 北條宇助」とある。 


 天源淘宮術研究会著述「淘祖 春亀斎丸三翁道歌集」(内題「春亀斎丸三道歌集 北條宇助編」)(松成堂 須原屋本店、明治45年2月)の四二頁に次の歌が見える(デジタルコレクションのコマ番号24)

 「此秋(このあき)は
水かあらしか知(し)らねども けふのつとめに田草(たくさ)とるなり」


 以上の2書は、同じ編者「北條宇助(北条宇輔)」によるものなので、当然ながら、同一の表記の歌である。


 国会図書館のデジタルコレクションには、横山丸三の「淘詠集」が見つかる(以下の二つが閲覧可能)。

 『淘詠集』(原田義方発行、明治24年5月)の「二十四丁裏」(デジタルコレクションのコマ番号26)には次の歌が見える。

 「此秋ハ
水か嵐かしらねともけふのつとめに田草とるなり」


 伊東喜一郎編『淘詠集』(博秀社、明治44年5月)の「二六丁表」(こ の 部)(デジタルコレクションのコマ番号28)には、次の歌が見える。

 「この秋
水かあらしか知らねともけふのつとめに田草とるなり」



 竹内勝太郎(竹内師水)編纂、教祖横山丸三先生遺著『淘詠集』(永楽堂書店、大正2年12月発行)の四十三頁に次の歌が見える。

 
「この秋(あき)は水(みづ)かあらしかしらねどもけふの勤(つと)めに田草(たぐさ)とるなり」

 上記の本は、大阪府立中央図書館に所蔵されており、外側に記載された書名等は、革新淘宮術会長竹内師水先生編纂『淘祖 淘詠集 量丸、十丸 勝美、一元先生道歌抄』(東京 永楽堂蔵版)となっている。大阪府立中央図書館所蔵本の奥付には「大正二年十二月二十日印刷 大正二年十二月廿五日発行」とある。岡山県立図書館の蔵書でも「1913(大正2)年発行」とあり、一致する。

 ところが、国会図書館所蔵本では、1914(大正3)年発行となっていて、食い違っている。同書は国会図書館でデジタル化されているが、デジタルコレクションでは閲覧制限があり、内容の確認は内部でしかできない国会図書館 詳細検索結果ため、国会図書館に照会したところ、国会図書館所蔵本の奥付には、大阪府立図書館所蔵本と同じ日付の上に出版年月日を訂正する形で「大正三年一月六日印刷 大正三年一月九日発行」と手書きで記載されていることが判明し、それが、大正2年でなく、大正3年と書誌に記載されている根拠であるとのことであった。「当館の納入時に、この出版年月日の訂正がなぜ行われたかはわかりません」とのことであった。そういうわけで、大阪府立図書館と岡山県立図書館の蔵書と内容が同一であるにもかかわらず、国会図書館本のみ出版年が食い違うという事態が生じているのであった。日付の差異は2週間ほどであり、どうして訂正する必要があったのか、今となっては不明というほかはない。納入者が日付の厳密さにこだわったのであろうか?そもそも、印刷・発行の年月は便宜的に記載するものであり、事実とは異なるのが通例である。ましてや、活字で印刷した訂正用の日付用紙を貼付したものですらなく、何の意味も無いに等しい訂正のように感じる。



 『新渡戸稲造全集 第八巻』(教文館、1970年)の234ページに次のような歌を
「二宮翁」のものとして紹介している。一部言葉が異なる。

 「この秋は
雨かあらしか知らねども 今日のつとめの
草を取るかな

 この歌は、新渡戸稲造『世渡りの道』(実業之日本社、大正元年10月)の「第十三章 惜まれる人」の「三 惜まれる人の発見」の「惜まるゝ人を発見するが大切」の項にあるもので、「二宮翁の この秋は雨かあらしか知らねども 今日のつとめの草を取るかな と満足して居る人が、最も惜まるゝ人と思ふ」と記述されている。

 1912年(明治45年・大正元年)当時、すでに、この歌が二宮尊徳のものであるという話が広まっていたのであろうか?
 
 新渡戸はなぜ、本当の出典を調べなかったのだろうか?

 新渡戸の『世渡りの道』(1912年)において、
横山丸三の道歌で「水」とあったものが、初めて「雨」に替えられた形で、「二宮翁」の道歌として紹介されたのであり、この新渡戸の記述が、後の人々に誤った認識を植え付けた可能性を否定できないだろう。

 『新渡戸稲造全集 第十巻』(教文館、1969年)の246頁には、次のような類似の歌を
「ある狂歌」として紹介している。

 「この秋は
雨か嵐か知らねども けふの努めの種をまくかな

 この歌は新渡戸の『人生読本』(実業之日本社、昭和9年3月)の「自己を伸ばさんとする心の準備」の「一定の結果を得るには準備が必要」の項に引用され、「種を蒔くのが即ち準備の行動である」と述べる。後半部分が異なるためだろうか、もはや、二宮翁の歌とは書かれていない。それにもかかわらず、和歌DS6の「この」において引用された一覧表では、この歌の作者を「二宮尊徳」としているが、明白な誤りである(筆者の指摘により、データベース作成者の十和田市立新渡戸記念館が誤りを認め、平成26年11月9日に作者名「二宮尊徳」は削除された。)。


 春亀齋(しゅんきさい)横山丸三(まるみつ)の詠んだ歌集を、祖翁直弟(そおう・ぢきてい)の竹元齋量丸(ちくげんさい・かずまる)が慶応二年に校訂した淘詠集(上記で紹介した大正2年12月永楽堂書店発行の『淘詠集』を指す)と、大正元年十二月に横山家にて印刷された『淘詠集』とに基づいて輯録したという『淘詠集』(淘友会、大正3年6月)の「淘詠集(下)」の「十四丁表」(こ の 部)には、次の歌が見える。ここでは、「この秋は」が「此秋」になっている。伊東喜一郎編淘詠集』(明治44年)も同じように「この秋」になっていて、ルーツが同じ可能性がある。

 
「此(この)秋(あき)
水(みづ)かあらしか知(し)らねどもけふのつとめに田草(たぐさ)とるなり」



 
八木繁樹編著『二宮尊徳道歌集』(緑蔭書房、1982年)の134ページに次の歌がある。

 
「この秋は雨かあらしか知らねども けふのつとめに田草取るなり」

 この歌に対して、 「天保2(?)伝二宮翁道歌。二宮尊徳の作ではないようである」と注記されている。

 この『二宮尊徳道歌集』の313〜4ページには
「5.誤伝された道歌」の解説があり、次のような記述が見られる。

 「二宮尊徳の道歌は、実に六百首を越えていますが、世に尊徳の道歌として伝えられるものの中には、実は尊徳の作品でないものも含まれています。これは尊徳にとっては贔屓(ひいき)の引き倒しでまことに迷惑なことと思われます。」
 「
この秋は雨か嵐か知らねどもけふの勤めに田草取るなり    古 歌
  註。右四首の三志説にまた異説がある。また右の古歌は三志ともいう。」 (注:原文は縦書き)

 「この秋は・・・」の歌の右側に、四首の小谷三志の道歌が載せてあり、三志説には異説もあるのだという。
 「この秋は・・・」の歌は、古歌(昔の人が作った歌)であり「詠み人知らず」であるが、小谷三志の歌だとも言われているという訳である。

 小谷三志(Wikipedia)(こだに・さんし)(1766〜1841)は江戸後期の宗教家、社会教育家。富士講の一派「不二孝(不二道)」を広めた。 二宮尊徳は三志と交流があり、報徳思想に影響が見られると言われている。そういった点が、「この秋は・・・」の小谷三志説と関わっているのかも知れないが、裏付ける文献はないようである。
『小谷三志著作集W』(鳩ヶ谷市の古文書第十六集、鳩ヶ谷市教育委員会、平成3年)には、小谷三志の道歌が多く収録されているが、この歌は見当たらない。おそらく、三志の道歌ではないものと思われる。

 大半のネット情報が「二宮尊徳作」と自信満々に記載している中で、
「詠人知らず」と紹介している坂部達夫税理士事務所ABCネットニュース(2013年8月12日)がある。

 
「この秋は雨か嵐か知らねども、今日の勤めに田草取るなり」(詠人知らず)

 木村山治郎編『道歌教訓和歌辞典』(東京堂出版、1998年)の321ページには、「人生」に分類される道歌として、その意味するところを解説している。

 
この秋は雨か嵐か知らねども きょうのつとめに田草とるなり  (作者・出典未詳)

 【大意】稲田の実る秋に大雨があり嵐があるかも知れない。せっかくの収穫が無になることはあり得るが、それはそれとしてそれよりも何よりも、今日は田の草とりを仕事として、稲作に精出しいそしむことの方が大事なのです。
 これは農民の勤労詠である。長塚節(たかし)の長編小節(ママ)『土』を見るまでもなく、六十年以前の農作業の酷なこと、これは周知の事実で、米は「米」の文字から、八十八度の粒粒辛苦の賜物とされてきた。(中略)
 このような辛苦を重ねても、この秋は雨か嵐か知らねどもと歌はいう。結果がいかにあれ、今日のただ今のなすべきに励む勤労への意欲、なすべきをなしながらも、なおかつその結果を約束されなかった農民の、今日のつとめに田草をとる迷いのない姿が心をうつ。
  


 大半の書籍が、この歌を「二宮尊徳」に帰している中で、次の本が「横山丸三」の作としているのは貴重である。ただし、横山丸三の道歌として紹介するのなら、「雨」ではなく、「水」を採用すべきだろう。

 久米建寿『名歌人生読本 −短歌にまなぶ日本の心−』(文芸社、2000年)の143ページ

 「この秋は
か嵐か知らねども今日の勤めに田草(たぐさ)取るなり(横山丸三)」


 一部で横山丸三の作として指摘されているのにもかかわらず、この言葉は、すっかり、二宮尊徳のものとして俗世間で流布しているからであろうか、知多半島の愛知県大府市吉田町生田八幡社には、次の句が「二宮尊徳の歌碑」として設置されている。出典は、宮澤康造・本城靖編「全国文学碑総覧」(日外アソシエーツ、1998年)の563ページである(「新訂増補 全国文学碑総覧」2006年、630ページ)。

 「この秋は雨かあらしかしらねども 今日のつとめに田草とるなり」(二宮尊徳の歌碑


 「全国文学碑総覧」(564ページ)(新訂増補版、631ページ)によると、愛知県半田市亀崎町亀崎小学校の「尊徳像」に次の歌が見える。

 「この秋は雨か嵐かしらねども 今日のつとめに田草とるなり」(二宮尊徳像台座刻)
会田雄次『人生の探求』(大和出版、2000年)の236ページに次の歌が「二宮尊徳が詠んだ和歌」として紹介されている。

 「この秋は
雨か嵐か知らねども 今日の務めの田草取るなり」

この歌は、会田雄次『日本人として言い残しておきたいこと』(大和出版、1995年)の236ページにもあり、同書を改訂して書名を改めたものが、『人生の探求』(2000年)なのであった。会田氏は京都大学名誉教授であったが、両書で「歌の道には不案内な人間」と正直に述べており、「二宮尊徳が詠んだ和歌」と誤って紹介しているのも、不注意な孫引きなのであろう。

斎藤亜加里『親から子へ代々語り継がれてきた教訓歌』(きこ書房、2009年)の58〜59ページにおいては、次の道歌を「二宮尊徳」の教訓歌として紹介していて、何の疑問も呈していない。

 「この秋(あき)は 雨(あめ)か嵐(あらし)か 知(しら)ねども 今日(きょう)の勤(つと)めに 田草(たぐさ)取(と)るなり」

59ページに「尊徳は、本名が二宮金治郎(通称金次郎)であるが、公人としては尊徳を使った。彼は著書『道歌集』をはじめ、多くの教訓歌を残している。なかでもこの歌は有名なもので、現在でも政治家などが談話のなかで、しばしばこの歌を引用している。私自身も、今日まで何度となく耳にしてきたポピュラーな教訓歌である」と紹介している。同じ著者の『道歌から知る美しい生き方』(河出書房新社、2007年)の32ページにも「*この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の勤めに 田草取るなり(二宮尊徳)」とある。おそらく、両親から二宮尊徳の道歌として教えられたのであろう。

両親から教えられたという話から、西村眞悟氏も、この秋は・・・風か嵐か(H24.9.7)(時事通信)で、次の歌を「二宮尊徳の歌だと、母が言っていた」と書いていたことを思い出したので紹介しておこう。歌の内容は若干、異なっている。聞き伝えるうちに、アレンジされたのだろう。

 「この秋は、風か嵐か知らねども、今日の務めの、草を刈るかな



以上のような紹介から、この道歌の言い回しと、誰の言葉としているのかをまとめておこう。 
道歌「この秋は」のルーツ

 横山丸三(コトバンク)(よこやま・まるみつ)(1780〜1854)は江戸後期の幕臣・神道家。淘宮術(Wikipedia)(とうきゅうじゅつ)(開運修行の方法)の祖。遺著『淘詠集』は詠み遺された、淘宮の修行に関する戒めの道歌を500余首まとめたものである。淘宮術は江戸期に弾圧されたが、明治期には受け入れられ、現代においては一般社団法人日本淘道会によって、横山丸三の教えが継承されている。

 二宮尊徳(Wikipedia)(にのみや・たかのり)(1787〜1856)は江戸後期の農政家・思想家。通称は金次郎(全集収録の自筆書簡の署名の93.1%が金次郎。金治郎と書いたものは6.5%である。二宮康裕『二宮金次郎正伝』34頁のデータによる)。「報徳思想」を唱えた。正しくは「たかのり」だが、広く「そんとく」として知られる。大正13年以降に金次郎像が建て始められる。以後、昭和初期(15年頃に集中)を中心に、薪を背負ったまま、本(大学)を読む金次郎少年の石像・銅像は、刻苦勉励の姿の象徴として、各地の小学校の校庭に建てられて有名である。ただし、二宮康裕の研究によると、「大学」の金次郎自身による購入は文化十年(27歳)であり、薪の刈り出しと城下での販売は文化8〜11年(25〜28歳)の出来事であり、少年の日の金次郎ではなく、勤労に励む青年の金次郎の姿が「金次郎像」の原型であったという(前掲正伝52頁)。

 この道歌は、『二宮尊徳道歌集』の注記から天保2年(1831年)(?)の歌と伝承されているらしいので、横山と二宮のどちらの言葉であっても可能性はあるが、文言が多少違っていても、本来、横山丸三の道歌「此秋ハ水かあらしか知らねども けふのつとめに田草とるなり」が、そのオリジナルと考えられる。それが、なぜ、二宮尊徳の道歌になってしまったのか不明だが、いかにも農政家の二宮尊徳の言葉にふさわしい内容なので、混同が起きたのかもしれない。新渡戸稲造の『世渡りの道』(大正元年)が「二宮翁説」を広めた可能性もありえる。

 信頼できる「二宮尊徳の道歌」の資料に、この道歌は見当たらず、信頼できる「二宮尊徳の伝記」にも、この道歌は見当たらない。二宮尊徳の道歌ではないらしいと指摘されているにもかかわらず、政治家や大学教授、宮司などによって、広く、「二宮尊徳の道歌」として紹介され続けていること自体が、この言葉の持つメッセージの力の大きさを物語っているようである。

 たとえば、葉室頼昭『心を癒し自然に生きる』(春秋社、2003年)の131ページには次のようにある。

「この秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめに田の草を取る」という二宮尊徳の有名な歌がありますね。私の好きな歌なんですが、これは、
いたずらに将来のことを考えて右往左往してもしようがない。いまやるべきことに全力をあげなさいということを詠っています。この心構えが、そのまま形成外科にも通じるのです。こんなに包帯を巻いても、どうせぐずれるのだから適当でいいではないか。つい、こう考えたくなりますが、そうではないんです。

 葉室氏は医学博士で、昭和43年に葉室形成外科病院を開業し、平成4年に枚岡神社宮司、平成6年に春日大社宮司となった方であるが、そのような方ですら、何の疑いもなく、二宮尊徳の言葉として受け入れているという現状があることは驚くべき事である。
そのメッセージを強く印象づけるために、「二宮尊徳」という「ビッグネーム」が積極的に活用されているといってもよい。これが、もし、「横山丸三の歌」とか、「古歌」とか、「詠み人知らず」とかあったのでは、そのメッセージ性が弱くなってしまうのではないだろうか。


 〇「ゲオルギウ」は無名に近い作家・詩人のほうではなく、有名な政治家・革命家である「ゲオルギウ・デジ」のほうへ。

 〇「この秋は・・・」の歌は、無名に近い「横山丸三」の道歌ではなく、有名な「二宮尊徳」の道歌であるとするほうへ。

 名言の作者は、真実よりも、「より広く知られた人物のほうへ、シフト(位置移動)してしまう傾向」があるのだろう。

 
 
困ったものである。
 いわば、
「世間が有名人の名言を欲してしまう」ことに原因があると言えるのではないだろうか。





<真実を探して(迷妄の追放)>

 このコーナー「真実を求めて」は、もともと、この世の中の真実を探り、迷妄を追放するために
 設けるつもりであったのだが、テーマがテーマだけに、構想のみで、掲載をためらっていた。
 しかし、初期の目的を達成するために、今般、思い切って載せることにした(2010.2.13)。


下記は、すでによく知られている真実ばかりではあるが、あらためて、まとめておこうと思う。
内容から察知されると思うが、「と学会」と「武田邦彦氏」の諸著書を参考にした。ただし、以下は筆者の文責による。
同じような内容がくり返し出ているが、別の角度から表現したものであり、重複を承知されたい。

「下記に反した
迷妄が世に出てくる理由」は単純ではないが、考える人達の動機などは、金もうけ、詐欺、思い込み、誤解、
人を楽しませたいという気持ち、などであろう。その多くは、
知識不足による思い込みであるが、人類の夢、あこがれ、ファンタジーなどでもある。こういうものがあればという願望もあれば、世の中のミステリーを探求しようという知識欲とも密接に関わっている。人類が生きている限り、あくなき探求心が迷妄を生みだしつづけることだろう。真実とは無関係に・・・。

<明らかな真実のリスト>
1.
タイムトラベルはできない(想念によって過去に遡ることも不可能)。
2.
テレパシー、念力、念写などの超能力は存在しない(すべてインチキである)。
3.
幽体離脱は脳内現象に過ぎず、実際にはあり得ない。
4.地球外に人間のような知的生命体(
宇宙人)は存在しないし、その乗り物(宇宙船)も存在しない。
  
UFO(未確認飛行物体)目撃証言は、出鱈目か、物理的に説明できる現象の誤認である。
5.
相対性理論は正しい。
6.
植物に意志は存在しない。
7.
永久機関は作れない。
8.未来に起こる出来事を正しく
予言することはできない(予言の的中と言われる例は全て嘘である)。
9.
テレポーテーション(空間の瞬間移動)はできない。
10.
世界の終末予言は必ずはずれる。
11.
ユダヤ陰謀説は妄想に過ぎない。
12.
天中殺、大殺界なるものはでっちあげに過ぎない。
13.
シオンの議定書は偽書に過ぎない。
14.
ネス湖の怪獣なるものは嘘である(写真はインチキ)。
15.
血液型と性格の間に関連は全くない(占い、手相、おみくじ、おまじないなどと同様に考えること)。
16.
幽霊や妖怪は存在しない。火の玉も霊魂ではなく、物理的現象などの見間違いである。
17.
ヒマラヤの雪男(イエティ)は足跡が捏造されたものであり、全くの嘘である。
18.
アトランティスはプラトンの完全な創作であり、実在しない。ムー大陸、レムリア大陸も後世の創作である。
19.
ツタンカーメンの呪いは全くの嘘である。
20.水脈や遺構を探し出す
ダウジングは実際には役に立たない(使わない方がよく見つかる)。
21.
地震の予知は不可能である(的中は偶然。前兆現象とされるものも、因果関係はない)。
22.
ノアの方舟の物語は、創作に過ぎない。
23.
巨石遺構ストーンヘンジ、ピラミッドなど)は、人力で建造可能であり、謎はない。
24.
ミステリーサークルは、人をかつぐために作ったもので、謎はない。
25.いわゆる「
」の存在は証明できない(従って、実在しない)。
26.この地球上の
生命体の生存は、根本として、太陽の存在に依っている。
27.魔の三角地域(バミューダ・トライアングル)のミステリーは嘘である(謎はない)。
28.
地球空洞説は、根拠のない空想である。
29.占星術は出鱈目に過ぎない。信じるのは自由だが。惑星の運行と地球上の出来事は無関係である。
30.地球は
寒冷化や温暖化を繰り返しており、1000年単位で考える問題であり、影響は問題にしなくてよい。
31.
北極・南極の氷が溶けても、海水面の高さに影響は生じない。
32.
ツバル地域の海水面は変化していない(住居の浸水は地盤沈下と海岸浸食によるもの)。
33.
COの排出を制限すると経済成長が鈍る(不況を招く大きな原因になる)。
34.
地球温暖化は悪影響を言われるが、良い影響もたくさんある。地球寒冷化の方が心配すべきことである。
35.
CO2排出量を減らしても温暖化抑制の効果はほとんどないが、経済活動への悪影響のほうはある。
36.
レジ袋追放は間違い。レジ袋は余り物で安価にできる製品である。エコバッグ作りで石油消費は増大し無駄遣い。
37.
ペットボトルリサイクルするとかえってエネルギーを無駄遣いする。ゴミとして焼却する方がよい
38.
アルミ缶のリサイクルは原料から作る際に必要な電気消費量が少なくて済むので望ましい。
39.焚き火やゴミの焼却で発生する
ダイオキシンは実験動物に対する毒性が高いが、人間に対しては毒性は弱い
40.
人工甘味料のチクロは発ガン性があるとして使用禁止になったが、実際には発ガン性は高くなかった。
41.
マイ箸運動は誤りである。割り箸は間伐材の有効利用に貢献しており、森林の保全にも役立っている。
42.
紙のリサイクルはかえって、前処理に石油を多く消費し、無駄遣いにつながっている。

43.ゴミの分別回収は、アルミ缶以外は、まったく無意味で、焼却処分で十分である。
44.「脳内革命」は嘘であった。ベストセラーになる本は、刺激的だが内容が出鱈目であるものも多いので注意。
45.
超古代文明なるものは、でっちあげである。
46.
超科学なるものは、すべて嘘である。
47.
心霊現象と言われるものは、すべて科学的根拠がなく、出鱈目である。
48.
ツングース隕石は、彗星のかけらが落下したものである。
49.
イエスの再臨(救世主)を唱えるものはすべて偽物である。
50.江戸時代の
うつろ舟の話はすべて創作である。海女の使う球形のひさごが原型で、宇宙人の乗り物などではない。
51.
月には大気がない。
52.
月や火星人工的建造物は存在しない。
53.
火の玉は、サーチライトなどの見間違いで説明できることが多い。
54.
ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」で提案した「木星から飛び出した巨大彗星が地球に大異変を起こし、
   後に金星になった」という説は妄想に過ぎない。

55.マンモスは氷河期の訪れで滅亡したわけではない(人類の祖先が行った乱獲のためらしい)。
56.
ポールシフト(地球の極の転移)は起こらない(日本が北極や熱帯になることはありえない)。
57.惑星の並び方(
惑星直列、十字形=グランドクロス)によって、地球上で異変が起こることはありえない。
58.
太陽の黒点の活動が、地球の景気変動に影響を与えることは、まったくない。
59.
ナスカの地上絵は、杭とロープを用いて拡大して作図し、表土を削って、描いたもので、作成方法に謎はない。
60.
イースター島のモアイ像は人力だけで立てることができ、謎はない。
61.インドのデリーにある「
錆びない鉄柱」なるものは1500年前のもので、土台には少し錆はあり、謎でもなんでもない。
62.
ピリ・レイス(レイス提督)の世界地図(1513年作成)に描かれた南極大陸(当時は未発見)の一部と見られる
   海岸線があるが、それは当時の資料と想像で補った南米の一部に過ぎず、謎ではない。
63.
火渡りの儀式で、やけどをしないのは、足をぬらして、すばやく歩くからである。
64.
妖精の写真なるものは、トリックであった。
65.
ポルターガイストはトリックや自然現象であり、心霊現象ではない。
66.
転生(生まれ変わり、前世の記憶)の話は出鱈目であり、記憶の捏造である。
67.
脳死体験は、脳内に生じた一種の幻影である。
68.
死後の世界は存在しない。
69.
ヨハネの黙示録は1世紀後半のローマ帝国の情勢を反映したものである(現在や未来とは無関係)。
70.
ハルマゲドン(メギドの丘)で行われるという最終戦争とは、神・天使と、サタン(悪魔)との戦いで、現実とは無関係。
71.
霊言(死者の霊がしゃべる言葉)なるものは、すべてインチキである。
72.
七田式教育には裏付けはない。幼児(0歳児)がカードを二択で選んでも、偶然に左右されるもので、理解とは異なる。
73.
霊媒(イタコ)の口寄せは、真実ではない。トランス状態での言葉に過ぎない。
74.
チャネリング(宇宙人のメッセージの受け取り、宇宙口寄せ)なるものは出鱈目である。
75.
霊視、透視で、犯罪事件は解決できない。
76.
水晶ドクロは19世紀にヨーロッパで作られたもので、太古の超古代文明の産物ではない。
77.
コックリさんは嘘である。
78.
鬼門(東北方向を忌諱する)は、陰陽道に基づく迷信である。
79.
キルリアン写真は高周波を掛けて撮影するので、コロナ放電の跡が見えるもので、オーラ(生体エネルギー)ではない。
80.
秀吉の一夜城の話は作り話である。
81.
沖縄の海底遺跡は人工物ではなく、自然地形である。
82.
古代文字の石碑(ペトログラフ・ペトログリフ)は自然形の誤解、古代人の「絵」(文字でない)、後世の偽作である。
83.
土偶は人体をデフォルメしたもので、宇宙人とは無関係である。
84.
徐福伝説は、中国の伝説に過ぎず、史実ではない(今日の伝承は後世に捏造されたもの)。
85.
サンカ文字は創作されたものである。
86.邪馬台国の位置がわからないのは、残された情報量が不足しているためである(今後も永久に解けないだろう)。