真実を求めて
{開高健の言葉} (2007年6月23〜24日作成)
(2014年9月16日修正)
(2014年11月3日修正)
(2014年11月9日修正)
開高健が生前、個人の求めに応じて、色紙(額)に書いていた言葉は、次の通りである。
(その色紙は、居酒屋、レストラン、宿屋に掲示されたり、家に個人的に飾っておくなどされた。)
明日、世界が
滅びるとしても
今日、あなたは
リンゴの木を植える
開高 健
上記2点は、「茅ヶ崎市 開高健記念館 リーフレット」から一部を転載
出典:長靴を履いた開高健(2010.05.22)
上記の文において、「あなたは」のところを、開高氏自身が「君は」と記しているものもある。
その言葉は、ブログ2012年07月19日と2012年08月18日に掲載された写真にある。
(出典:「特集 開高健」 太陽1996年5月号 平凡社 8〜9頁)(撮影:高橋f)
※この写真と同じ場面で姿勢の異なる写真が「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」(読売新聞社、1990年)の23頁にあり、「くたびれた。カナダにて(1983年8月、カリフォルニアからカナダへチョウザメ釣り旅行)」という説明がある。
上の写真の9頁左上端には、次のような注記がある(上の写真の外側部分)。
神奈川文学振興会編「開高健展」(神奈川近代文学館・神奈川文学振興会発行、1999年)の60頁には、上に見える「谷口氏」本人に対して贈ったエプロンの写真が次のように紹介されている。旅に同行した谷口博之教授に、1985年3月2日、コスタリカで、旅の終わりにその労をねぎらって書いて贈ったことがわかる。
太陽1996年5月号には、開高健がよく利用した越前町梅浦の旅館「こばせ」の主人、長谷政志の記事があり、旅や執筆の疲れを癒やすために越前海岸を訪れた開高を案内しており、色紙をたくさん「こばせ」に残したとして、105頁に、次のように色紙を紹介している。
ブログ2012年08月18日には、次のような開高氏の直筆の色紙も紹介されている。
ここでは、「植える」が「植えます」になっている。
2012年から遡って40年程前(1972年ごろ)の秋田県での開高さんの
講演会の際に戴いたものという(ブログの作者が、ある人から寄贈されたもの)。
(従って、何十年も飾られていたので、かなり褪せている。)
「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」(読売新聞社、1990年7月)の24頁には次のような開高氏の「オーパ!」の旅に同行したカメラマン高橋f氏の長女、高橋悠女(ゆめ)さん(1981年1月生まれ、当時小4)の開高先生へのお別れの言葉が掲載されている。
「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」(読売新聞社、1990年)の148〜151頁の記事によると、南館山「オーパ!村」の名誉村長として開高がペンション村を訪れたとき(1987年新春)に各ペンションおやじが色紙を用意していて、十枚すべてに違う文章を書いたという。
(「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」149頁より)
(「ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌」151頁より)
※ラ・メールはペンションさんで−BEACHIに改名したという(1990年当時)。
「上記の3種類の言葉」が開高健の言葉であって、それと異なる文章は、誰かが勝手にアレンジしたものと思われる。
次のようなものがインターネットで流布されている(下表、2007年6月当時)。
開高健は、ゲオルギウの言葉で「私は」になっているものを「あなたは」または「君は」に変更している。
開高健の自筆の言葉づかいは、ほとんど無視されているように思われる。
用字を含めて、自筆の言葉のまま引用したものは、ほとんどない状態である。
「開高健の言葉」として紹介していても、実際は、紹介する人が勝手に自分でアレンジした文章に変えているのである。
(「今日」を「きょう」に、「リンゴ」を「林檎」に変えていることが多い)(「世界」「滅びる」の言い回しが異なる場合が多い)
開高健の言葉として紹介された文 | 文の紹介者(誰の言葉) | 出典:(著作)(インターネット) |
明日、世界が 滅びるとしても 今日、あなたは リンゴの木を植える |
(開高健の自筆) ※この文章の他に、自筆で、「あなたは」を「君は」に変えたものもある。 |
『開高健 Portrait de Kaiko』 (開高健記念会発行、2004年) |
明日世界が滅びるとしても、 今日あなたは、林檎の木を植える |
(開高健の言葉)(もとは マルティン・ルーターの 言葉) |
原田治幸氏の体験談のまとめの言葉 (AYSA1月例会」議事録(2007.1. 20)(周南市市民交流センター)卓話 |
明日、世界が滅びるとしても 今日、君はリンゴの木を植える |
(開高健が好んで色紙に 書いていた、詩人ゲオル グの言葉)※左の文は開高健の「君は」を使った例である。ゲオルグは間違いで、ゲオルギウが正しい。 |
にきび・ニキビ跡・敏感肌のケア (明日、世界が滅びるとしたら・・・) (livedoor Blog 2005.6.16) |
明日世界が滅びるとしても、今日君は林檎の木を植える | (開高健の言葉) | 文学の名言を書き込め!!!!!! (54)(2001.11.10 4:34) |
明日、世界が滅びようとも、きょう、君は林檎の木を植える | Pastoral Louise さん (開高健のことば) |
昨日のご飯。−家計もワタシもダイ エット☆−楽天ブログ(Blog) (2007.5.14 11:13) |
今日、世界が 滅びようとも、 明日、君は 林檎の木を植える (※今日と明日が逆である。単なる書き間違いと思われる。) |
2002年から10年以上 も前の話。大阪の四ツ橋 筋にあるイタリアレストラ ンの壁に掛かった額 (開高健の書いたもの) |
徒然、神楽坂通信(2002.4.24) (※2014年現在では該当記事は削除されており、内容の確認もできない。) |
あす世界が滅びるとも、きょうあなたは林檎の木を植える | 石井孝明(開高健) | 『京都議定書は実現できるのか』 (平凡社新書、2004年)213頁 |
あす世界が滅びるとも、今日あなたは林檎の木を植える | (開高健が生前よく色紙 に書いていた文言)(ルタ ーの言葉として紹介) |
No.19 なぜ地球温暖化を問うのか エネルギー政策と京都議定書 (2004.6.23) |
明日世界が滅びるとも、私は今日林檎の樹を植える | 石原慎太郎(ゲオルギウ という詩人のとても美しい 言葉) ※開高健への 言及は見られない |
トップインタビュー(第1回2016年 オリンピック開催への熱意 −スペシャルコンテンツ) (2007.3.5) (※2014年現在では該当記事は削除されており、内容の確認もできない。) |
明日世界が滅ぶとも、今日君は林檎の木を植える | (開高健の名言) | 開高健を偲んで作ってみました。 〜 FESTINA LENTE 〜 |
明日世界が滅ぶとしても、今日君は林檎の木を植える | (開高健が、写真家の 高橋昇の娘さんに 送った言葉) (何かのドラマにも使わ れた言葉) |
教えて!goo QNo.1746954(生きるとは…) ANo.11(回答者:pastorius) (2005.10.31) |
明日世界が終わるとしても、君は林檎の木を植える | (開高健の著作より) | 快食情報交換室(2002.6.27) |
明日世界が終わるとしても 君は今日林檎の木を植える | (開高健の名言) | 61:無名草子さん (2004.3.3 9:26) |
地球が明日滅びようとも、君は今日林檎の木を植える | 石原慎太郎(開高健) | 悪魔のことわざ |
地球が明日滅びようとも、君は 今日林檎の木を植える | (開高健が好きな言葉) (ルターあるいはキング 牧師の言葉といわれて いる)(キャプテン・ハー ロックも似たような事を 言っていたという) |
sometimes a little hope (今日 私は バオバブの木を植える) (2006.5.3) |
地球が明日滅びようとも、君は今日、林檎の木を植える。 | (開高健) | So−net blog:Idiot’s Hovel 〜或る阿呆のぼやき〜 |
明日、地球が滅びるとも、君は今日、林檎の木を植える | 石原慎太郎(ゲオルグの 詩として紹介)(開高健が 寝ころんで書いた) |
東京都知事・記者会見 (2004.5.14) |
あした地球が滅びるとも、君は今日林檎の木を植える | (開高健が生前言い続け ていた言葉) |
石原都知事の政策「石原の人類の 寿命に対する認識」 |
たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える | 石原慎太郎(開高健がよく引用していた詩人ゲオルグの言葉) | 石原慎太郎「日本よ」 (サンケイ新聞 2004.10.4) |
たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える | 石原慎太郎(どこかの 居酒屋で見た開高健の 言葉の色紙)(東欧の 詩人ゲオルグの詩の 一節) |
石原慎太郎「日本よ」 (サンケイ新聞 2007.6.4) |
(2014年10月13日、追記)
滝田誠一郎『開高 健 名言辞典 漂えど沈まず 巨匠が愛した名句、警句、冗句200選』(小学館、2013年)12〜13頁には、下のように書かれている。他の句には、ほとんどすべてに出典の書名が記入されているが、この句については出典が一切書かれていない。開高氏の著書を探しても、この句が記された随筆などが存在しないからであろう。もちろん、『開高健 Portrait
de Kaiko』(2004年)には、この句は色紙の文字として載せてある。また、ルターの説教集にこの言葉は見当たらず、1944年10月のドイツ・ヘッセン教会の回状において初めて「ルターの言葉」として記されたもので、真の作者は教会の関係者であろう。「ルター自身の言葉ではないが、ルターに帰せられている言葉」というのが正確な位置づけである。
※滝田誠一郎『長靴を履いた開高健』(小学館、2006年)(朝日文庫、2010年)の文庫版17頁(下を参照)には、
この言葉の主語を「あなた」や「キミ」に変えていたとあるが、実際には、「あなた」や「君」に変えていたというのが
正しいようだ。上の『開高健 名言辞典』(小学館、2013年)では、「キミ」ではなく、「君」に修正されている。
※滝田誠一郎『長靴を履いた開高健』(朝日文庫、2010年)16〜17頁より。「神学者」というのは、『初版本・釣魚大全』(岳洋社、1977年)の訳者である京都在住の杉瀬祐氏で、「小説家」の開高健と対談を行っている(1976年6月13日)。
★柳田邦男『新・がん50人の勇気』(2009年、文藝春秋)(2012年、文春文庫)の「意味のある偶然 武満徹」には原崎さんのことや、精神科医・西川喜作氏のことなどが書かれている。1990年代半ばに、小金井市の病院ホスピスではルッターの言葉が50少し過ぎのがんの男性M氏を支えたという。次のような言葉がある。
「M氏は親交のあった作家・開高健氏が原稿用紙にペンで書いた言葉を額に入れて壁に飾り、最後まで心を気高く維持して生き抜く支えにしていた。その言葉は、まさにルッターの言葉だったが、ちょっとだけ開高氏らしい言葉がつけ足されていた。
<たとえ地球が明日滅びるとも貴方は今日林檎の木を植えます。ほんとかね・・・・・・>と。」
「開高氏がどんな機会にルッターの言葉を知ったのかは、わからない。もしかすると、M氏は精神性を深く追い求める若い頃からの生き方の中で、ルッターの言葉に出逢っていて、人生の持ち時間がわずかしかない事態に直面した時、その言葉の実践者となったことを開高氏に語ったのかもしれない。そして、M氏がユーモア精神の持ち主でもあることを知っていた開高氏が、あえてルッターの言葉の中の「私は」を「貴方は」に置き替えて原稿用紙にリフレインし、ちょっぴり「ほんとかね・・・・・・」とつけ加えることで、息苦しくならないような支え方をしたのかもしれない。」