真実を求めて



{ゲオルギウの言葉}               (2007.6.28〜30作成)

(1)寺山修司は、次の本の中で、ゲオルギウの言葉を紹介している。
 『青春の名言 心さびしい日のために』(大和書房、1968年)
 『ポケットに名言を』(角川文庫、1977年初版、2005年改版)

                                    た ね
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう
                            ゲオルグ・ゲオルギウ


寺山修司はこの言葉をルーマニアの政治家・革命家である
ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(1901〜65)の言葉としている。
しかし、彼が、この言葉を言ったということを裏付ける文献は、
どこにも見当たらない。

(2)ルーマニア生まれの作家・詩人コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916〜92)は、
 小説 『第二のチャンス』 (1952年原著、53年訳書)の巻末において、
 マルチン・ルターの言葉として、次の文を引用しているのであった。

「どんな時でも人間のなさねばならないことは、
 たとえ世界の終末が明日であっても、
 自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・」
  
 
         (ゲオルギウ著・谷長 茂 訳 『第二のチャンス』1953年刊・訳書、より)
          
(※訳書には「明白」とあるが誤植であり、原書によって「明日」に訂正した)

このゲオルギウの言葉とされているものについては、少しずつ微妙に異なった文が、
書籍・インターネットにおいて流布されている。

その整理をしたものは見当たらないので、ここで、まとめてみることにしよう。

       ゲオルギウの言葉として紹介された文   誰の言葉(誤り    出典:(著作)(インターネット)
「どんな時でも人間のなさねばならないことは、」
「たとえ世界の終末が
明白であっても、 自分は今日リンゴ
の木を植える・・・・・・」
 
 (※「明白」は訳書の誤植。独仏語原文では「明日」である。)
C.V.ゲオルギウは、小説の中で、「マルチン・ルッターの言葉」としている。 ゲオルギウ著・谷長茂訳『第二のチャンス』(筑摩書房、1953年)360〜1頁
たとえ世界の終末が明日であっても
 自分は今日林檎の木を植えるであろう
ルーマニアの革命家ゲオルグ・ゲオルギウの言葉 平成18年3月議会定例会「町長施政方針演説」(住田町)
いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、
  世界の
終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴ
 
樹を植えることだ。 
(最後の瞬間を支えるものは希望である)
出典を、C.V.ゲオルギウ「第二のチャンス」としている(正しい)。 梶山健編著『世界名言大辞典』明治書院、1997年初版、2003年三版)239頁
いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、
  世界の
終焉が
明白であっても、自分は今日、リンゴ
 
樹を植えることだ。 (最後の瞬間を支えるものは希望である)
出典を、C.V.ゲオルギウ「二十五時」としている(誤り)。 梶山健編『世界名言事典(新版)』明治書院、1988年初版、1993年三版)102頁
 いかなる時でも、人間のなさねばならないことは、
  世界の終焉が明日であっても、自分は今日、
りんご
  木を植えることだ

C.V.ゲオルギウ「第二のチャンス」 「ウェブ石碑−名言集」の「ゲオルギウの名言」
 いかなる時でも、人間のなさねばならないことは、
  世界の終焉が明日であっても、自分は今日、
林檎
  樹を植えることだ。
ビルジル・ゲオルギウの名言・格言 世界の名言・癒しの言葉・ジョーク
 いかなる時でも、人間のなさねばならないことは、
  世界の終焉が明白であっても、自分は今日、
林檎
  樹を植えることだ
ビルジル・ゲオルギウ 世界名言大全集第3章−1頁−
どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ ゲオルギウというルーマニアの作家 はやし浩司「FORUM 人生」
希望論(2003年3月7日、16日、等)
もしも世界の終りが明日だとしても
ぼくは林檎の種子をまくだろう
ゲオルギウ 寺山修司第一回監督映画「書を捨てよ 町へ出よう」(1971年)の中に提示
もしも世界の終わりが明日だとしても、
ぼくは今日林檎の種(子)をまくだろう。
ルーマニアの共産党のリーダーであったゲオルグ・ゲオルギウ・デジの言葉 時よ止まれ! 僕たちはすることが一杯ある!!今日の一曲『1970年8月』
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。 ゲオルグ・ゲオルギウ 寺山修司『青春の名言 心さびしい日のために』(大和書房、1968年)190頁
                               たね
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
ゲオルグ・ゲオルギウ 寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫、1977年初版、2005年改版)154頁
もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種をまくだろう。 ゲオルグ・ゲオルギウ ふるさと紀行(『ポケットに名言を』の引用)
もし世界の終りが明日だとしても
私は今日林檎の種子をまくだろう。
ゲオルグ・ゲオルギウ革命家 もし世界の終りが:Hi☆Style:
Quality of Life の向上(2005年8月20日)
もし世界の終りが明日だとしても、私は今日林檎の
種子をまくだろう。
発言者の名前はゲオルグ・ゲオルギウ 絶叫機械+絶叫中止(2005.8.21)
もし、世界の終わりが明日だとしても、ぼくは今日林檎の種を蒔くだろう。 ルーマニア人、コンスタンティン・ゲオルギウの小説「25時」の中のコトバ livedoor ナレッジ知識、知恵のカタマリ(2006.9.26 17:35の質問)
あした 世界が滅びるとしても
きょう 私は林檎の樹を植える
コンスタン・ゲオルギウ(ルーマニアの作家)・・・深作欣二監督が書いたメモより引用したもの 荻野目慶子『女優の夜』(幻冬舎、2002年)313頁
明日世界が滅ぶとしても、私は林檎の木を植えるよ。 コンスタンティン・ゲオルギウの小説「25時」に出てくる言葉らしい。ルターの言葉だって記述もある。 ニューラ@無限のファンタジア/ウェブリブログ 「本日の強化」(2007.6.1)
明日終末が訪れようとも、私は今日林檎の木を植える。 妻が思い出した「ゲオルギウの言葉」 蓮見圭一『そらいろのクレヨン』(講談社、2004年)92頁(「詩人の恋」)所収