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                                            谷文晁の名山・・・2022年2月20日更新

                               近畿の名山

                                             伊勢山の会の本の一覧

                                             京都府の山々


        2004年2月14日〜4月3日作成、4月27日追加  柴田昭彦作成

        2007年5月27日、新しく執筆した随想(94号)を追加。 
         京都府の山々・・・2万5千分1地形図「淡輪」で「懴法(せんぽう)ヶ嶽」表記採用の情報を追加 

       2008年2月18日、新しく執筆したコースガイド(99・100号)を追加。

  
        2014年1月30日、101〜118号(最終号)に掲載したものを追加。 

       2014年9月9日、新ハイキング関西の記事の検索・複写方法(104〜118号のバックナンバー入手可能)

       2014年9月22日、新ハイキング関西の筆者の記事の一部リンク掲載を実施
                    (おうとう越) (庄兵衛道) 
(八淵の滝・「八徳」の文字について)

       2014年9月24日、新ハイキング関西の筆者の記事の一部リンク掲載を実施
                    (宝山寺旧参道) (鳥見山と外鎌山) (生駒山系中腹道) (清九郎道) 

       2014年10月27日、新ハイキング関西の筆者の記事の一部リンク掲載を実施
                    (九重越) (長者屋敷越) (フキガッポ(ダス原峰))  

                                            
       2014年11月2日、新ハイキング関西の筆者の記事の一部リンク掲載を実施
                    (日下の直越) (烏の塒屋山) (小仏峠越) (国見山(国見岳))

       2014年11月29日、新ハイキング関西の一部リンク掲載記事に「補訂の注記」を追加

       2015年1月19日、新ハイキング関西の筆者の記事の一部リンク掲載を実施
                    (矢立峠越) (畑屋越) (玉手丘と国見山)

       2015年6月3日、『湖国と文化 149号』の「梶山(大尾山)」の記事を紹介(追記3)

  

1.山との出会いから

  筆者は小学校時代、遠足で笠形山に登ったのが山頂をきわめた最初である。笠形山はご存じのように、京都の愛宕山
から笠の形に見えることから命名されたと伝えられているが、筆者の郷里から見える笠形山は二つの笠が仲良く並ぶ
双耳峰である。林道が中腹を 縦断する以前の勇姿は印象的で、開通後の痛々しい姿に、寂しさをおぼえたものである。
今では、自然との共生が進み、笠形山の良さが戻りつつあるような表情を見せている。
  本格的な、標高2000メートル以上の山との出会いは1987年8月に登った八ヶ岳から始まった(27歳)。天候も良く、
ジーンズ姿で、今おもえば、ルール無視の無謀な山登りであったが、山頂をきわめた時の充実感は大きかった。
  以来、『京阪神ワンデイ・ハイク』(山と渓谷社、アルペンガイド、1986年)を片手に、関西近郊の山々、そして、深田
百名山へ。1996年までに登った百名山(東北・信州・北陸方面中心)はちょうど30山となった。その山行のうち16山は
「サークル・ケルン」という社会人ハイキング・グループに参加しての活動であった。


2.ハイキング・ガイドの執筆

  今までハイキング・ガイドはどっさり、出されてきている。筆者のハイキングの原点は『京阪神ワンデイ・ハイク』の影響
が大きいが、古いハイキング・ガイドの資料的価値に注目し、古書店頭あるいは古書目録を利用して入手し、主要な昔の
ハイキング・ガイドは所有している(もちろん、入手できないものも相当数あるが)。
  赤松滋「古き好き時代の書籍案内」(『大阪50山』大阪府山岳連盟発行、1998年、限定版)は古き好き時代のガイド
の持つノスタルジーをたっぷり語っている。このエッセイが『大阪50山』(ナカニシヤ出版、2002年)には収録されていな
いのは商業的出版の限界であろうか。マニアックなものが一般書から消されてしまうのは寂しいことである。

  たくさん出されているハイキング・ガイドの内容や地図がかなり杜撰なものを含んでいることはご存じの通りである。
丁寧に、細かく、詳しく書き込んだものは、たくさん発行できないし、第一、売れないから、経費を考えれば、うすい内容で
たくさん、写真入りで紹介したものが中心になってしまう。それもやむを得ないことだろう。そういったガイドで迷子になる
ハイカーが出ないことを願うのみである。

  筆者がガイドの執筆をするようになったきっかけは、中庄谷直『関西山越の古道(上)』(ナカニシヤ出版、1995年)
の中で、あいまいにしかルートが示されなかった九重越を解明したことによるものであった。その成果は、中庄谷直『関西
山越の古道(下)』(ナカニシヤ出版、1996年)
で紹介されている。
 併行して、『新ハイキング別冊関西の山』27号(1996年3月)に、コースガイドを掲載して、その成果を公表した。
隔月発行の小冊子ガイド雑誌であった。当時、『山と渓谷』『岳人』と比べて周知度は小さく、同人誌に近いようなものであったが、
中規模ぐらいの書店の店頭にも並び、手にとって見ることができる雑誌であり、見かけたことのある人もいるであろう。
残念なことに、編集を担当していた方が体調をくずし、2010年には115号をもって市販を中止し、2011年から会員限定誌
『新ハイ関西』に変更したが、ほどなく、編集者の死去により、編集を引き継ぐ方がおらず、2011年に116〜118号を出した
だけで廃刊となってしまった。筆者にとっては、コースガイド等の情報公表の場として、かなりマニアックな内容でも引き受けて
もらえたという意味において、編集者の、情報提供誌を市販することへのこだわりが幸いして、貴重な発表の場を提供して
もらえたことに感謝している。商業雑誌は黒字運営を要求されるので、当然のことながら、あまりマニアックな内容を投稿しても
掲載されることはまずないのである。


新ハイキング関西の記事の入手方法について(2014年9月9日記載) 

 1.「新ハイキング関西」「新ハイ関西」のバックナンバーの入手方法について

   
現在、『新ハイキング別冊関西の山104〜115号』『新ハイ関西116〜8号』のバックナンバーは新ハイキング社あてに申し込めば、
   入手できるとのことである。
新ハイキング社あて、
メールseki@shinhai.netにて申し込まれたい。

 2.国会図書館の複写サービス利用について

   国会図書館には1〜118号まで全号が所蔵されているので、以下のサイトでバックナンバーの確認や記事の検索を行った
   うえで、国会図書館の下記のサイトをごらんいただいて、該当記事の掲載号数と掲載タイトルを指定して、複写を申し込むとよい。

   「新ハイキング関西」と「新ハイ関西」の記事の検索→バックナンバー記事の検索へ

   国会図書館の「新ハイキング別冊関西の山」と「新ハイ関西」の所蔵状況→NDL-OPAC - 書誌情報1 NDL-OPAC-書誌情報2

   国会図書館への複写申し込み方法→
複写サービス

 3.新ハイキング別冊関西の山 1〜103号のコピーサービス(新ハイキング社)について

   希望の記事が特定できる場合、1篇につき100円にてコピーを送ることが可能である(郵送料が別途、必要)。
   コピーサービスを希望する場合、「掲載号数と記事名」をメール(新ハイキング社・在庫担当 関根茂子seki@shinhai.net
   にて知らせれば、実際にその記事が、掲載されているかどうかを確認の上、代金等を知らせるとのことです。



 今思えば、数々のマニアックな投稿内容の中に、玉石混淆ながら、いろいろな人の、貴重な情報が含まれている雑誌だと思う。
そういう意味で、『新ハイキング関西』の編集者(故・村田智俊氏)のなされた業績は大きいものがあると思う。検索によって活用いただきたいと思う。


  筆者が今まで『新ハイキング別冊関西の山』に公表したハイキング・ガイドは次のとおりである。太字のものは反響が
あって、好評であったものである。公表したものの大部分が、市販コースガイドにほとんど取り上げられないような低山
となっている。それを目的として公表してきたので当然のことではある。
  2014年現在、筆者のこれらの旧ガイド記事を参考にして、現状を探索する動きも見られる。古いものでは15年以上経過して、現地の状況が大きく変化している場合もある。参考までに旧ガイド記事の一部を公開しているが、経年変化があるということを前提にして、インターネット情報や新しいガイドブックの情報で補った上で、探索にでかけられることをお願いしておきたい。旧ガイドを鵜呑みにして、道に迷うということのないように注意頂きたい

 掲載号   年月     No  コースガイド名              概要(内容のポイント)  

 25号 1995年11月   1  おうとう越            八尾市から平群町へ越える業平ゆかりの古道。

 26号 1996年 1月      おうとう越(追加・訂正)   上記ガイドに不足していた内容の追加と訂正。
 27号        3月   2  九重越             葛城二八越の一つ。河内長野市から高野口町へ。
 28号        5月   3  日下の直越          古事記や万葉集に見える、生駒山を越える直越の道の解明。
 29号        7月   4  庄兵衛道            米田藤博『大和の道しるべ』等をもとに、宝山寺参詣道をたどる。
 30号        9月   5  宝山寺旧参道         『古道に残る信仰の文字』をもとに江戸時代の信仰の道をたどる。
 31号       11月   6  鳥見山と外鎌山       桜井市の万葉集に詠まれた「跡見山」と「忍坂(おさか)の山」。

 32号 1997年 1月   7  生駒山系中腹道       米田藤博『大和の道しるべ』をもとに、宝山寺参詣道をたどる。  
 33号        3月   8  烏の塒屋山          奈良山岳会『大和青垣の山々』から選んだ山の一つ。
 34号        5月   9  小仏峠越            大安隆『芭蕉大和路』で紹介された旧東熊野街道の峠道。
 35号        7月  10  長者屋敷越          奈良山岳会『大和青垣の山々』に紹介された古道。
 36号        9月  11  清九郎道            妙好人清九郎の通った念仏坂と屋敷跡をたずねる。 
 37号       11月  12  矢立峠越            本居宣長が越えた飛鳥と吉野の間の峠道

 38号 1998年 1月  13  畑屋越             本居宣長が越えた古道
 39号        3月  14  玉手丘と国見山        奈良山岳会『大和青垣の山々』から選んだ山々。
 40号        5月  15  万字越             清水俊明『関西石仏めぐり』から選んだ峠道。
 41号        7月  16  高御位山と日笠山     「鹿島山」は間違った山名であることを指摘。
 42号        9月  17  青貝山と天台山        あまり登られていない静寂の山「青貝山」を紹介。
 43号       11月  18  飯盛山(河内)         ルートの精密な紹介。絵日傘コースの確認。

 44号 1999年 1月  19  学文峰と井谷ノ峰       「がくぶん」ではなく、「がくもん」であることを考察。
 45号        3月  20  金勝アルプス(大津コース) 知られざる名称「怪獣岩」の紹介。狛坂コースの位置の確定。
 46号        5月  21  金勝アルプス(栗東コース) 片山コース、ゆるぎ岩、小屋谷観音の場所の確認。

 47号        7月  22  明ヶ田尾山         「みょうがたお」ではなく、「あけがたお」であることの考察。    
 48号        9月  23  かぶと山(兜黛山)      伏木貞三『近江の山々』から選んだ山。山名考。
 49号       11月  24  田上山と呉枯ノ峰       「くれこ」は「暮子谷」に由来。『近江百山』より。

 50号 2000年 1月  25  フキガッポ(ダス原峰)    奈良山岳会『大和青垣の山々』から、ユニークな山の紹介。
 51号        3月  26  国見山(国見岳)       清水俊明『関西石仏めぐり』から選んだ山道。
 52号        5月  27  相場振山(田中山)    米相場の旗振り山。「かぶと山」は誤りで「田中山」が現地名。
 53号        7月  28  行市山             柴田勝家方の武将が砦を構えた。砦の位置を考察。
 54号        9月  29  二石山(二谷山)       忘れられた旗振り山。山名のよみかたは不明である。
 55号       11月  30  城山(篠原岳)         中世の城砦が築かれた。野洲町。

 59号 2001年 7月  31  金糞岳             山名考。小字地名、谷名の考察。詳細地図を掲載。
 67号 2002年11月  32  見張山と城山         『比良山系』2002年版(昭文社)の河川名、地名の誤りの考察。
 73号 2003年11月  33  鴻応山(鴻野山)       ガイドブックの登山コース表示の誤りについて。
 76号 2004年 5月  34  湯谷ヶ岳            豊能町の石仏めぐり。天狗岩の場所の解明。
 90号 2006年 9月  35  金比羅山(のべぶり岩)と小牧山   のべぶり岩では旗信号で米相場を伝えたことを紹介。
 91号 2006年11月  36  久我山(西北山)       昭和7・8年頃、航空灯台が設置された山の一つを紹介。
 99号 2008年 3月  37  霊仙ヶ岳と法貴谷      明智戻り岩(屏風岩)の由来(丹波攻略の時)。法華岩の場所。
100号 2008年 5月  38  愛宕参詣道(北舎峠道・出雲峠道)  亀岡の名木。北舎(きたや)は北谷と書いても通用。
101号 2008年 7月  39  旗立山          もともと無名の山に、旗を立てたことから新たに命名された山名。
103号 2008年11月  40  提灯講山       提灯講は茅渟神社の祭礼を支える講の一つ。その講と関連する山名?
104号 2009年 1月  41  岩神山          その北方向にある見返り山は新たな命名で、本来は金剛童子山。
106号 2009年 5月  42  嶽の立石        宇陀市榛原区内牧の不思議な巨石、立石・寝石・蛇石のレポート
112号 2010年 5月  43  正林坊山        航空灯台のあった山A。伊賀市島ヶ原と長田の境界付近の山。
114号 2010年 9月  44  旗振り山(中山峠)   江戸時代の米相場中継所。三ヶ日地区には言い伝えが残る。
118号 2011年 5月  45  嫦娥山         航空灯台のあった山B。地形図には「嫦峨山」とあって誤記。
                                       (戦前の航空灯台を参照のこと)




3.随想とせせらぎ

  『新ハイキング別冊関西の山』には巻頭の「随想」、巻末の「せせらぎ」の欄がある。

 筆者は次のような「随想」を投稿をしている。

 42号 1998年 9月   1  「金糞岳」山名考       金糞岳の過去の呼称を考察

 43号       11月   2  八淵の滝・「八徳」の文字について
    森本次男『比良連峰』(山と渓谷社、1961年)に「谷の中に大きな四角い岩があって、大きな隷書体で八淵と彫ってある」と記載されているが、これらは間違いで、高島町文化協会民具クラブ発行の『高島の民俗』第5号(1979年9月1日発行)によれば、大正時代、滋賀県知事が八淵の滝を訪れて、大岩に「八徳」の文字を書き込んだという。八つの淵の「滝」の徳をこの大岩に念じたもので、その後、この文字を石屋が彫ったという。平成2年11月27日付の京都新聞の記事(「八徳」ってなになの)によれば、この石碑は篆書体で刻まれたものだという。『高島の民俗』には、この出来事の時期は大正5年、時の知事は堀田とあるが、当時の知事は実際は池松時和(大正3〜6年)であり食い違う。堀田義次郎が知事であったのは大正8年から12年までである。食い違いの理由は不明である。
 なお、この件について、今日では、滋賀総合研究所編『湖国百選 石/岩』(滋賀県企画部地域振興室、1991年)にある次のような記述が定説として、高島町役場企画振興課作成の観光パンフレット(日本の滝百選「八ツ淵の滝」)に採用されて流布されている。

「99八淵の滝八徳石」「大摺鉢の手前右側に上部が平らな畳二枚分くらいの標石があり、岩の正面に(下流側)に「八徳」と篆書(てんしょ)体の文字が刻まれています。これは大正十一年、当時の堀田義次郎・滋賀県知事が滝を視察した際、八淵の滝の徳を念じて筆をとったものを、当町黒谷の中溝に住む石屋、岸田友吉が彫った、と伝えられています。」

 関係者がすべて亡くなった現在、これ以上の追求はもう不可能であろう。『湖国百選 石/岩』は多くの資料を基に編集されていることを付け加えておこう。71号に綱本氏が「八徳」についての随想を寄せている。


 45号 1999年 3月   3  「ポンポン山」山名考     『五畿内志』(1735年)には加茂勢ヵ岳、
                                                『日本山嶽志』は加茂背嶽。
 46号        5月   4  「逆さ観音」について     地震説のほか、石工が発破をかけて転倒ともいう。
                                       山崩れ説もある。木内石亭『雲根志』の記事考証が
                                        不十分で、綱本氏から指摘を受けた。
 48号        9月   5  「鶏冠山」山名考       江戸時代から「砥坂山」と呼び、「とさかやま」と呼ぶべき。
                                      最近は、「けいかんざん」と読む人が増えた。 
 50号 2000年 1月   6  オグラスとボボフダ峠    小椋栖(木地師の住処)。
                                           ボボフダは登山者の通称、地元名は須川峠。

 52号        5月   7  オランダ堰堤の築造年   明治5・6・8・11・15年説は誤りで、明治22年完成が正しい。
 55号       11月   8  「鴻応山・千頭岳」山名考  本来は「こうのやま」だが、「こうおうざん」もよく使用される。
                                      本来は「せんず(が)だけ」だが、「せんとう(が)だけ」も使用。
 56号 2001年 1月   9  「大尾山」山名考   大津市南庄町では「梶山」と呼ぶ。
                                         木尾山→大尾山と誤記されてきた。

 57号        3月  10  「籤法ヶ岳」山名考    籤法ヶ岳(くじほうがだけ)は誤称。

                                      本来は
懺法ヶ岳(せんぼうがだけ)である。(※)
                                     「居母山」「鳥見山」「俎石山」の読み方について。

(※)2007年2月発行の2万5千分1地形図「淡輪」で、ようやく、「懴法(せんぽう)ヶ嶽」の表記が採用された。

 62号 2002年 1月  11  「土倉岳・三重嶽」山名考  ずっと以前は「はぜくらだけ」であった。
                                            今では「つちくらだけ」が通用。
                                      地名調書に「さんじょがだけ」とある。
                                            (サンジョに由来する地名という)。
 64号        5月  12  山の名前が変わる話    皆子山はもと「霞ヶ岳」であった。
                                             ブンゲンはブゲン(分限?)谷に由来か?
                                   「居母山」「鳥見山」の読み方は「いもやま」「とみやま」である。
                                    京都府美山町の「奥ヶ追山」は、「けものを追う」ことに由来か?
 69号 2003年 3月  13  飯ノ浦峠とアチラ坂峠   余呉湖の南方にある。両峠は同一地点で、別称である。
                                飯ノ浦の村中(コチラ)にあった石仏を峠(アチラ)にまつったことに由来。

 94号 2007年 5月  14  松明峠の由来     愛知県豊橋市、JR二川駅の北北東1.1`のピーク(258m)を
                            松明峠(東山)と呼ぶ。高力種信編・画『東街便覧図略』(1786年頃成立)
                             には、この山にいた追いはぎが仲間どうし、出る時刻を知らせるために
                             峠で松明をふって相図をしたので、こう名づけたと、里人の物語にいう。

105号 2009年 3月  15  「談山神社」の呼び方  公式には「たんざんじんじゃ」だが、辞典類を見ると、
                             地元の多くの人の呼び方に従い「だんざんじんじゃ」としているものが
                             目立つ。広辞苑には両方が載せられており、どちらでもよいのである。
                             おそらく、発音した際の語感から「たんざん」としたものなのだろう。
              
(※「たんざん」が正しいと目くじら立てて強調する頭の固い人もいるがファジーでよいのです!)
             

              
なお、57号随想に関連する「山のレポート」として、次の記事がある。

102号 2008年 9月   1  「籤法ヶ岳」が「懴法ヶ嶽」に改称された理由   その理由を出典紹介で説明したもの


 上の随想の記事に関連して、次のような記事が出ているので、掲載号を参考に紹介しておこう。内容は原書を見られたい。

 12号 1993年 9月  随想: 綱本逸雄「砂防の父、デレーケの築堤神話」
 20号 1995年 1月  随想: 綱本逸雄「山岳宗教の山、ポンポン山」
 47号 1999年 7月  随想: 綱本逸雄「『逆さ観音』新説について−柴田氏への疑問」
 52号 2000年 5月  随想: 綱本逸雄「再び『ポンポン山』について」
 67号 2002年11月  随想: 綱本逸雄「ポンポン山の正式名称は加茂勢山か?」
 71号 2003年 7月  随想: 綱本逸雄「比良・八淵の滝の文字石」


 また、筆者は次のような号に「せせらぎ」を掲載してもらっている。

 44号 1999年 1月   1  音羽山(奈良中部)の登山コースが台風7号の影響で寸断していたことの報告
 51号 2000年 3月   2  『登山・ハイキングバス時刻表』の山名さくいんに誤読等が散見することについて
 53号        7月   3  『京阪神から行ける滋賀県の山』に田中山。
                       『大和まほろばの山旅』に長者屋敷越、国見岳がある。
 54号        9月   4  2万5千分の1地形図地名のCD−ROM版である
                       (『数値地図25000(地名・公共施設)』)について 

 57号 2001年 3月   5  森林地図の一般販売、京都一周トレイルマップ、六甲全山縦走マップ、
                        山城古道探検地図
 58号        5月   6  旗振り通信の調査を始めたきっかけ、田中山の小字について、
                            「ダス原峰」の語源について
 59号        7月   7  山名は地名調書によること、大尾山(梶山)は京都で「三の滝」と呼ぶこと
                     『登山・ハイキングバス時刻表』の山名さくいんが削除されたこと
                     ニューエスト『滋賀県都市地図』の山名考
 61号       11月   8  大峰山系の釈迦ヶ岳山行について。地名調書のダンノウ峠は誤記でダンノ峠
                     が正しいこと。『滋賀県都市地図』の八九端(やくばた)山は兜黛(かぶと)山
                     の別称であること。野洲町の田中山は甲山ではないこと
                     掛橋谷山の谷名について。「ハナノ木段山」について。「ソトバ山」について。
                     「中津灰山」が正しく、「中津合山」は間違いであること(31号も参照)。
 62号 2002年 1月   9  局ヶ岳の山行。地名考(キトラ、ホトラ、オトシ、ウト山、カラト山)。
                       インターネットで名前検索。 
 63号        3月  10  銚子ヶ口の山行と山名考。ホトラ山考。廃村八丁の土蔵の落書きについて
                       カナ山登山口考。
                     「夜叉ノ妹池」は間違いで、「夜叉ヶ妹池」が正しい表記であること。   
 64号        5月  11  インターネットによる書籍購入。2005年、日本山岳会創立100周年に合わせて
                     
『新編日本山岳志』を制作中という話題。
                     近江百山之会では『滋賀県登山辞典』をつくる目標に向かって進行中。
                     インターネットのブックショップの紹介。
                     鈴鹿の「大見晴」は「おおみはらし」と読むこと。
                     辻凉一『鈴鹿 樹林の山旅』伏木貞三『近江の峠』の入手方法について。 
 66号        9月   12  日本コバの山行(間違った道標の撤去)について
 69号 2003年 3月  13  明星ヶ岳の山行について
                     (歩きやすいコースが、ガイドブックには紹介されていないこと)。

   
 
 筆者のコースガイドに対する感想を含む「せせらぎ」の記事は次のとおりである。

 40号 1998年 5月  北尾氏の、「長者屋敷越」(35号)についての記事
 52号 2000年 5月  前川さんの、「鳥見山と外鎌山」(31号)についての記事


4.随想とハイキング・ガイドで主張してきたこと

  ハイキング雑誌のコースガイドぐらいでは、重要な指摘をしても、一般に採用されることは稀である。
  なぜなら、目につく機会も限られており、利用される期間も短い。ここでは、上記のガイドで示した内容のうち、
  重要と考えるものを整理して示そう。  
    
  (1)各地に特定の寺院の参詣を目的とした参道が四方八方から整備されていた。

     生駒山の宝山寺への参詣道がいくつも設けられた。    

  (2)国土地理院の地形図に示された山道表示には、根本的な誤りが多い。

     空中写真測量が一般化された今日、山道は現地調査されることなく、間違った位置に描かれている
     ことが多い。


     ・飯盛山(四条畷市・大東市)の北側の登山コースは間違った位置に記入されたままになっている(43号)。
     ・金勝アルプスの南西側の登山コースは東にずれたままである。狛坂磨崖仏の位置もずれている(45号)。     
     ・鴻応山(豊能町)の南西側登山道は位置が間違って記載されている(73号)。

  (3)山名について、充分な考証がなされず、現地の呼称を無視した正しくない山名が流布していることがある。
     地形図の山名は市町村から提出された「地名調書」に従っているが、昭和40年代に作成された地名調書
     には多くの誤りがあり、その誤記が、地形図の山名表記に多大な影響を与え、混乱をもたらしてきている
     こと。それらは、国内のありとあらゆる地図類に引き写されて、長い年月にわたって改められていない現状
     であること。

     このケースは、かなり山名資料が充実してきた現在でもまだ見受けられる。場合によっては、指摘によって、
     現在まで採用されている山名を改悪してしまうケースもみられる。注意が必要である。

     京都市と大津市境の大尾山は地名調書の記載ミスによって生じた明白な「誤った」山名の代表
     的な例である。

      大津市の南庄生産森林組合がこの山林を所有・管理しており、その組合長の岡米蔵氏は小字名「梶山」
      が正しいという。
      「梶山」が正しいことは『近江百山』(ナカニシヤ出版、1999年)の108〜9頁にあり、次のとおりである。

    ・大尾山は地元では梶山と呼ばれている。何かのミスで「梶」が「木」と「尾」に分解され、「木」が「大」
     に読み間違えられ、国土地理院発行の地形図には「大尾山」と記載された。地元では訂正を望んでいる。

     そもそも、「大尾山」は地形図に記載がありながら、地元では「誰も知らない」「読み方を知らない」山名として、
     ずっと指摘されてきた山名であった。筆者(柴田)は随想(56号)でこの事情をかなり掘り下げて考察している。
     誰も読めないけれど、とりあえず「だいおさん」「おおおさん」「だいびざん」などと呼ばれてきた。しかし、元に
     なる「地名調書」には、なんと「おおびやま」とあって、ガイドブックでの使用例は皆無であった。
     しかし、そもそも「誤記されてしまった」山名なのだから、正しい読み方以前の話であって、無意味となって
     しまうのである。長年、放置してきた国土地理院はお役所仕事と指摘されかねないように思う。

    『三省堂 日本山名事典』(2004年5月1日発行)には、次のように記載されている。

     
「だいびさん(だいおさん) 大尾山(梶山 かじやま)681m  (中略) 
 
               大尾山は大津側呼称の梶山の誤記と考えられる。」

 
     ・学文峰の読み間違い(44号)。「がくぶんみね」は誤り。「がくもんみね」と読むべし。
     ・明ヶ田尾山の読み間違い(47号)。「みょうがたおやま」は誤り。「あけがたおやま」と呼ぼう。
     ・『日本山名総覧』に、夜久野町の居母山を「いぼやま」とするのは全くの誤りで、「いもやま」が正しい。
                   鋳物は製鉄と関係。
     ・『日本山名総覧』に、榛原町の鳥見山を「とりみやま」とするのは歴史的に誤りで、「とみやま」が本来の
                   読み方である。
     ・野洲町の相場振山の東方のピーク(田中山)の別名「かぶと山」の誤り(52号)など。かぶと山は、甲山古墳
       のことである。
     ・播磨アルプスの「鹿島山」は登山者が勝手につけた呼称で、地元では、三角点ピーク(264m)は無名で、
      その西隣のピーク(250m)を「鷹の巣山」という。その直下に鷹の巣崖(江戸時代、鷹が巣を作っていた
      ことから命名)があることから付けられた山名である(41号)。
      松本文雄『ふる里の山名復活−高砂での試み−』(創出版、1985年)および『ふる里の山名絵地図 高
      砂市北部』(1988年、ふる里の山名絵地図研究会発行、事務局 TEL 0794-48-2332)
を参照されたい。
     こういったことを知らず、いまだに頂上(264m)に「鹿島山」というプレートを設置している団体・個人が残って
     いるようである(もうそろそろ、鹿島山の亡霊から離れようではないか。松本文雄氏は次のように語っている。
     コースガイドの執筆者は肝に銘じるべし。

   ・鹿島神社のことを地元の方々が「かしまさん」と呼んでいるのを聞いて、登山者が山名と誤解して地図に
    記入したものらしい。


   ・「ハナノ段山」の呼称は、美山町発行の地図にあるが、その肝心の地図が、実は2万5千分の1地形図の誤りの
    ある版をそのまま複製してつなぎ合わせて編集したものなのである。「ハナノ段山」とある旧版地形図には同時に
    「鴨芦谷山」「懸坂」という誤植があり、美山町の地図にも全く同じ誤りがあることが、誤りの多い旧版地形図の
    内容をそのまま複製したものであることを物語る(疑われる向きは旧版地形図を図書館等で確認されたい)。
      その後の改訂された版では、「鴨芦谷山」「懸坂」「ハナノ木段山」と正しい呼称が記載されている。
     美山町の地図に従って、ハナノ谷段山に戻すということは、誤った旧版地形図に戻せ、というに等しい。
     なのに、現在、発行されている最新の地形図には、「ダンノ峠」がようやく正常化されたのに、
    誰かが伝えたのか、「ハナノ谷段山」に改悪(!)されてしまっている。
    次回、正しい「ハナノ木段山」に改善されることを提案しておきたい。

    こういった事態は、信頼するに足る山名辞典・事典がないことに起因している。改善を希望する次第である。 
    最近、ようやく、次のような山名事典が出版されたが、やはり、信頼度はまだまだといえるだろう(がっかり)。

   ※『三省堂 日本山名事典』(2004年5月1日発行)には、次のように記載されている。

   
 「はなのたにだんやま ハナノ谷段山(ハナイ段山) 704m 」   ・・・明らかに間違った呼称である!

   まったくもって不可解な2つの呼称を採用している?なぜ? 「ハナノ木段山」に戻すことを要望するものである。
   だいいち、「ハナイ段山」などは、従来、一度も使用されたことのない呼称ではないか!捏造はやめてほしい!

   語源考証から・・・はなのき〔花ノ木、花之木〕ハナ(端)ノキ(除。「軒」ニ同じ)で「端が崖になっている所」という地名
                 (楠原佑介・溝手理太郎編『地名用語語源辞典』東京堂出版、1981年) 

   古いハイキングガイド・地図に見える山名
            ・・・花ノ木段(「京都北山(二)」昭文社、1969年)(『北山百山』1989年)
              ハナノ木段(「京都北山2」昭文社、1999年)
              ハナノ木段山(内田嘉弘『京都丹波の山(下)』)(森本次男『京都北山と丹波高原』) 

    語源からも、ガイド地図からも、「ハナノ谷段山」という呼称はあり得ないと判断できよう。長い伝統もあるのだよ。
   地形図作成者よ、しっかりしてくれ!

    そういえば、「石堂ヶ岡」が最近の地形図には「石堂ヶ丘」に変わっていた。ずっと一貫して「石堂ヶ岡」
   あったものを安易に変えてよいのだろうか? おそらく、単なる誤記ではないかと思われる。 


  (追記1)

    2万5千分の1地形図「北小松」(平成15年更新、平成16年3月1日発行)を見ると、高島町のリトル比良の山に、
   「岩門沙利山」とあった。山地図などで、「岩阿沙利山(いわじゃりやま)」として通用してきた
   山である。いったい、地形図製作者は、きちんと、関連資料を調べているのだろうか?
    『三省堂 日本山名事典』を見ると、この山は、「いわあじゃりやま 岩阿沙利山」とあって、勝手に「あ」を加えている。
   この場合、従来の読み方が、[iwaajariyama]の連続する[a]を欠落させて、[iwajariyama]と呼んできたことを
   見落としている。この場合、一概に、間違いとはいえないが、それにしても、地形図の「岩門沙利山」はいったい
   どこから出てきたのだろうか? 筆者の知る限り、この山の名前には岩阿沙利山天狗岩山の二つしかない。
    おそらく、単純な誤植だと思うが、まったく困ったものである。早急に改善を望みたい。(平成16年5月4日)   


  (追記2)

   上記のような山名の考証については、京都府の山々でも考察しているので、参照されたい。
                                                         (平成16年9月23日)


  (追記3)

   大尾山が、本当は「梶山」であることは、次第に知られてきたが、まだ、「大尾山」と呼ぶ人は多い。

   最近、『湖国と文化 第149号』(滋賀県文化振興事業団、平成26年10月1日発行)の88ページに次の記事があることを知った。
                                                         (平成27年6月3日)