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谷文晁の「名山図譜」(のちには「日本名山図会」)について

                                    2004年4月 3日 柴田昭彦 作成
                                    2004年9月23日 阪上氏等の資料を加えて、大幅に修正
                                    2004年9月25日 日本名山図会の山の一覧表を追加
                                    2004年9月29日 山崎『登山史の周辺』等の文献資料を追加
                                    2004年10月2日 阪上氏の資料を用いて、一部修正
                                    2005年9月24日 尼ヶ岳での現地調査により、一部修正

                                 
2020年5月28日 文晁の笠置山を描いた場所が姫路市香寺町溝口の山であることを報告

                              2020年5月29〜30日 姫路市香寺町溝口と福崎町高橋地区の現地調査の報告
 
                              2020年6月1日 齋藤潮氏のアドバイスを受けて、カシミールの画像と説明を修正


                      2021年8月12日 「歴史と神戸」347号へ、「谷文晁の笠置山について」の原稿が掲載された

          
2022年2月20日 「歴史と神戸」350号へ、「谷文晁の笠置山について―笠形山説の立証―」の原稿が掲載された


<谷文晁の「笠置山(在播磨州)」が「兵庫県の笠形山」であることを検証>

・住谷雄幸『江戸人が登った百名山』(小学館文庫、1999年)には、名山の山の同定について疑わしいものをとりあげている。 
 その際に、参照した文献として、次のものをあげている。

・阪上義次「谷文晁と近畿の山」(『山書月報』232号、1982年5月号)p.25−27.

この中で、通説に反対している意見(笠置山は笠形山である等)があるが、最近でも、一般には、認められていない現状である。
この文献が入手しがたいことにも関係しているだろうし、住谷氏以外には三宅修氏ぐらいしかとりあげていないこともあろう。
斎藤氏のコメントは、京都の笠置山であることが前提になっている。

・三宅修『現代日本名山図会』(実業之日本社、2003年)・・・301ページに阪上氏の笠形山説も紹介するが、笠置山説に未練。                

・斎藤一男『日本の名山を考える』(アテネ書房、2001年)・・・250ページに「笠置山」:播磨州は山城相楽郡のまちがいとする。


「日本名山図会」に関する文献は他にも『江戸人が登った百名山』にいくつか載っているが、次のようなものがある。

・小林玻璃三編『新編 日本名山図会』(青渓社、1977年)・・・山城相楽郡の笠置山とする。

・山崎安治「谷文晁『名山圖譜』全三巻(文化二年刊)」・・・『新選 覆刻 日本の山岳名著解題』(大修館書店、1978年)所収
 ・・・小林説を踏襲して、山城相楽郡の笠置山とする。ただし、改稿の際、阪上説を採用して、笠形山とする(登山史の周辺)。

・佐藤武雄『解題 日本名山図会』(山と渓谷社、1990年)
・・・「多くの読者は笠形山をとる」としつつ、佐藤氏は笠置町の山とする。


ごらんの通り、今でも、「日本名山図会」の「笠置山(在播磨州)」を「京都府笠置町の笠置山」とする説が根強いことを示している。


      

住谷氏が、阪上氏の論考のうち、取り上げているのは、次の二つである。

(1)笠置山は通説では笠置町の山としているが、播磨州笠置山とあることから笠形山と考える。
(7)谷文晁が描いた山容は、尼ヶ岳でなく、倶留尊山という可能性はないだろうか。

(1)については、まったく、その通りであると思う。谷文晁の笠置山は、おそらく、笠形山であろうと思う。
(7)については、山容からの観点であり、同定は「尼ヶ岳」でよいと思う。そもそも、倶留尊山を、天岳とは呼ばないことを考慮すべきかと思う。

(2005年9月24日の追記) 結論・・・「谷文晁の描いた天岳の図は、西側から眺めた尼ヶ岳である」
「天岳は、尼ヶ岳から見た倶留尊山である」という阪上説については、検証が必要であると思い、2005年9月18日に伊勢奥津駅から払戸・三多気を経て大洞山へ、また9月23日には下太郎生から尼ヶ岳へ出かけて、大洞山・尼ヶ岳から西側の倶留尊山の峰々を眺めて来た。その結果、次のような事実が判明してきた。

 (A)尼ヶ岳の南東方向にあたる伊勢本街道(石名原)の南の林道から大洞山・尼ヶ岳を見ると、大洞山が大きく、尼ヶ岳はその右にごく小さく見える。従って、石名原から見ても、図と類似の景観は得られない。
 (B)大洞山から眺めた倶留尊山は谷文晁の図に似ている部分も少しあるが、全体的には、類似性は低い。
 (C)尼ヶ岳から眺めた倶留尊山は谷文晁の図に似ている部分はほとんどない。
 
(D)従って、谷文晁の描いた天岳の図は、倶留尊山とは考えられず、尼ヶ岳である可能性が高い。

筆者は、カシミール3Dのカシバードを用いて、
飯垣内(はがいと)集落の西側の裏山から見た尼ヶ岳・大洞山の図を作成してみたところ、谷文晁の描いた天岳の図にとてもよく似ていることに気付いた。中央の烏帽子のような山が尼ヶ岳、その右側に連なる荒々しい山塊は一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、四ノ峰、そして一番高い雄岳、次の小さいピーク、雌岳、そして下りとなっており、ぴったり一致する。また、尼ヶ岳の左に連なるやや低い山々は、富士見峠に続く尾高山、ワシの巣、見通山、乃木山、沼木山などと考えると一致する。
 大洞山の山塊が、荒々しい山容に描かれていることが、他の山ではないかという誤解を招く一因のようにも思える。現在の大洞山はすっきりした山容だが、実際に歩いてみると、
四ノ峰や雄岳には大きな岩がゴロゴロしていて、樹木がなければ荒々しい山容になるのではないだろうか。江戸時代の大洞山の植生がどのようになっていたかはわからないが、現在のような植林はなかったことだろう。文晁の描いた天岳の図の右半分は、当時の大洞山の景観を忠実に表現したものとして興味深い。



★★★ 谷文晁の「笠置山 在播磨州」の図を紹介する。これと同じような景観の場所を探してみよう! ★★★




上のプリントは、阪上義次氏に同行した杉山元治氏が、深山の林道から写したもの(1981年3月15日撮影)。
阪上氏から、2004年9月22日にいただいたカラーコピーである(杉山氏は故人。ネガはもう無いとのこと)。

阪上氏によると、山崎安治氏も小林玻璃三氏も共に、この写真を見て、文晁の笠置山の図は笠形山である
ことを認められたということである。山崎氏は以下のように阪上氏との約束を果たして訂正している。

山崎安治「谷文晁『名山圖譜』全三巻(文化二年刊)」
『新選 覆刻 日本の山岳名著解題』(大修館書店、
1978年)の33〜61頁
に収録されていて、小林説を踏襲して、山城相楽郡の笠置山に同定していた。
49〜50頁には、次のように書いていた。

「笠置山(在播磨州) 播州にこの名の山は見当たらない。小林氏のいわれる通り山城相楽郡、いまの京都の笠置
山であろう。山上に笠置寺がある。標高二八八メートル。(地図・奈良)」


山崎氏は、阪上氏から上の写真を受け取ったあと、上の原稿の改稿の際、阪上説を採用して、山崎安治
『登山史の周辺』(茗渓堂、1984年)の191〜222頁に収録された改稿版「谷文晁の『名山圖譜』」
において、
209頁には、次のように明確に、笠形山説を掲げている。文中の釜坂峠は深山の北北東1.8キロの鞍部である。

「笠置山(在播磨州) 播州笠形山の誤りである。北東の尾根上釜坂峠から画いたもので、別名播磨冨士と
いわれ『山岳』第十年一号に古家実三が「わが郷国の山々」で紹介している。九三九メートル。(地図・生野)」

阪上氏によると、同行した杉山氏が撮影した場所は深山の山頂の近くの林道だということである(2004.9.20の
阪上氏からの電話
で聞いた話による)。谷文晁の絵が「描かれた場所はもう少し下ですが、山は、100%播州の
笠形山です」
と阪上氏は言う(2004.9.22着の手紙)。確かに、この写真の笠形山の稜線は大変よく似ている。
周辺の山の配置もかなり近似していると思う。
やや、難点を言えば、平地に相当する部分が少ないのに気がつく。だが、文晁の絵で平地(水田)の広がりを誇張した
ものは他にもあるので、否定する材料とはならないだろう。文晁の絵は真景図といわれる実景の写生図であるが、
垂直方向に誇張したものが多いので、この図は珍しいほどに写実的な図と言えるのではないだろうか。

また、重要な要素として、京都府の笠置山説の論者は、笠置寺に必ず触れているのに、谷文晁の絵には、寺は
まったく見当たらないことが挙げられる。これは、笠置寺の存在を無視したというようなものではないだろう。
笠置寺が見当たらないということから、京都府の笠置山説は支持しにくいといえないだろうか。さらに、笠置山の麓には
木津川が流れていて、かなり目立つ要素であるのだが、谷文晁の笠置山の図には大きな河川は描かれていない。
このことも京都府の笠置山説を支持しにくいことにつながるだろう。

山名については、京都の笠置山は「有名」だから、笠形山と混同するはずはない、という主張もあるが、それなら、
「山城州の笠置山」として記すはずで、「播磨州の笠置山」と書くはずがない、という主張も成立するだろう。
古来、京都の愛宕山から、笠を置いた形に見えることが山名「笠形山」の由来であり、文晁は、「笠置き山」と
呼んだものと考えてもおかしくないと思われるのである。谷文晁の絵はまさに「笠を置いた形の山」に描かれている。


筆者のリクエストに対して、2004年9月8日に、東京都江東区の武藤一雄氏から、カシバードを用いた画像を
送っていただいた。それは次の2種類であった(カシミール3Dを使用)。京都府の笠置山説を主張されていた。

・「笠置駅の北600m地点(切山)から笠置山を見た山容」
・「入相山の西2.9km地点に当たる、根宇野集落の少し北側から見た笠形山」

その画像を見た感想としては、あまり似ておらず、やはり「深山から見た笠形山」のほうが似ているという結論となった。

武藤氏からは、いろいろと示唆的な意見をいただき、大変、参考になった。



(2020年5月28日の報告)
★文晁の「笠置山(在播磨州)」が、
間違いなく、「兵庫県の笠形山」であることを発見!

 15年ぶりに、文晁の笠置山さがしにチャレンジしてみた。

 齋藤潮 『名山へのまなざし』(講談社現代新書、2006年) を読み返し、162頁に、ヒントを見つけた。

 「山岳のすぐれた眺めは、山岳から距離をおいたところにこそ求められる」

 そこで、ひらめいた筆者は、文晁の絵の、右に連なる峰が、日光寺と深山であれば、そっくりの山並みが生まれることに気付いた。

 笠形山から遠く離れて、右手に日光寺の山並みを見ながらも、笠形山を見通せる場所はどこなのかを、探し始めた・・・・。そして、
 
 2020年5月26日、カシミールを用いて、文晁の笠置山のスケッチ場所を特定することができたので、報告する。

 2020年6月1日、齋藤潮氏から、カシミールでの撮影地点に関するアドバイスをいただいたので、画像を修正し、説明も書き替えた。


 文晁の笠置山(笠形山)のスケッチ場所・・・JR播但線溝口駅の北北西900mの標高140m地点

                        
兵庫県姫路市香寺町溝口、溝口ホームタウンの北方の山上



上の地図の標高140m地点(+)からの、カシミールによる景色を掲げる。文晁の笠置山の絵と見比べていただきたい。
   




類似しているポイントをまとめておこう。
@中央の「Z」を市川と見れば、奥から流れ出る市川と西から合流する七種川の流れの様子が一致する。
A右側の平地を田んぼと見れば、福崎町西田原・東田原・南田原地区の広い平地と構図的にも一致する。
B右の山並みは日光寺から西に伸びる山地で、東の奥が深山、手前の支脈の「W」に曲がる様子も一致する。
C左側の山並みは福崎町山崎の山で、左側へ流れるようなラインも多少のデフォルメもあるがよく似ている。
D笠形山はかなり遠いが、山体の主要部分が見通せる立地であることに驚かされる。主要な山体から離れた手前の山々は低く折り重なって見えるが、山体を隠してはいない。低い山々は省略してしまい、見通せている笠形山の山体を大きく美しく見せるようなデフォルメを施していると思われる点は見事である。笠形山の左脇に見える結構目立つ、溶岩塔のような山塊は、市川町東川辺から小畑にかけての山体で、一番高いピークは小畑地区の北端、705.9m三角点ピークである。カシミールの画像でも目立って三角形に見えている。

上のカシミール画像では、すぐ手前の山々が含まれていない。これは中央の「Z」の河川を笠形山の山頂方向と一致させることで生じる矛盾である。

すぐ手前の山々を多少なりと入れようとすると、標高140m地点から西へ少し歩き、北へ小さな谷を刻む鞍部に立つことが必要である。その画像を示そう。



Eすぐ手前の山は、描いた場所の西方の168mピークと、そこから北に出て東に下る尾根に一致している。
Fすぐ手前の右側の谷は、168mピークから東へ刻む谷の下部と思われる。この辺り、画面構成上、デフォルメされているようだ。



阪上氏の笠形山であるという主張は、スケッチ地点の違いはあるが、上の画像によって、裏付けられたと思う。

あるいは、異なる意見もあるかもしれない。私自身の、思わぬ勘違いもあるかもしれない。

その場合は、メールにて、お知らせいただきたい。万人の認めるスケッチ地点が他に見つかれば、筆者はシャッポを脱ぐことにしたい。

(2020年5月29日の現地調査の報告)

溝口駅から県道を西に歩き、小学校の手前で右に折れて、吉備津神社を経て、鉄塔巡視路を歩いて登る。
168mピークから、標高140m地点(南側斜面に太陽光パネル設置)まで歩いたが、北側の展望の開ける場所は皆無で、
絵師のスケッチしたと思われる場所からの写真は撮れなかった。

168mピークから、北へ、そして東へ、境界尾根の広い自然遊歩道を下った。この経路は、文晁の絵の手前に描かれた山々と思われる。
出た場所は、福崎町高橋地区の自然遊歩道の看板のある地点であった。
位置としては、標高140m地点(+)の北北東方向のL字の道のコーナー地点である。標高は80mぐらいであろうか。


その高橋地区からの写真を掲げておく。左右の山並みは文晁の絵とよく似ており、説明は述べた通りで、相違ない。




笠形山が、かなり遠くに見えて、その細部がわかりにくいので、同じ日に撮影したズーム写真も掲げておこう。

山塊の並び方がよくわかる。左半分が溶岩塔のように描かれた705.9m三角点ピーク(左から2番目の鉄塔の上方)で
右下の山、左脇の山、低い場所の山が、それぞれ重なり合い、文晁の絵と類似をなしている様子が見てとれる。
右脇の三角の山は市川町の城山で、日光寺から西にのびる山の西端の三角の山(写真の右端)と似た形なので、
画面構成上、省いたか、あるいは、笠形山の山体の一部として組み込んでしまったようにも思われる。
この辺り、文晁流の美学による、デフォルメがなされたものだろう。




以上のような報告は、インターネット上で公開しているだけでは、ほとんど誰の注意も引かないまま埋もれてしまうことを危惧する。
筆者なりに、厳密な考証を行なったつもり(?)なので、思い切って、2020年10月に「谷文晁の笠置山について」と題したレポートにまとめて、兵庫県の郷土誌である「歴史と神戸」へ投稿してみたところ、兵庫県の笠形山に関する内容なので、採用してもらえる運びとなった。

★レポートは、2021年8月発刊の「歴史と神戸」347号に掲載された。

 郷土誌への公開によって、各方面からの検討を期待したいと思う。

 (なお、この考証結果は、拙著「旗振り山と航空灯台」の笠置航空灯台のガイド記事で、231頁下段で、さりげなく紹介しておいた。)

★2021年8月18日、齋藤潮氏(東京工業大学)からは、「歴史と神戸」の拙稿をご覧になられたうえで、上記のような考証を全面的に支持する旨のメールをいただいた。感謝申し上げたい。

★2022年2月20日、追記

 その後、「歴史と神戸」347号の拙稿記事への反響を紹介する記事を
、「歴史と神戸」350号に掲載した。次のような記事である。

 
「谷文晁の「笠置山」について―笠形山説の立証―」

 この中で、「兵庫県神崎郡神河町中村の法楽寺付近から東方向に眺めた笠形山であるという説」、2013年に書かれたネット記事の「趣味人倶楽部の岐阜県恵那市の笠置山であるという推理説」の二説を考察した。そして、この二説ともにふさわしくないことを述べた。

 文晁自身が「笠置山在播磨州」とのみ記載し、郡名が見られない理由には、
二つの郡(笠形山であれば、神崎郡と多可郡)にまたがる立地の山であることから、郡名を省くという一貫した編集姿勢が貫かれており、その意味するところは、一つの郡のみに立地する「京都府の笠置山在山城州相楽郡」という説は否定できることを述べておいた。

 詳しくは、
「歴史と神戸」350号(2022年2月1日発行)を参照されたい。

阪上義次(よしつぐ)氏は大阪府大東市にご健在なので、歴史と神戸に掲載した論考についてお知らせしたところ、阪上氏ご自身は、谷文晁の笠置山は、笠形山の東の多可郡八千代区域の山から眺めた可能性があると思っている、とのコメントを頂いた。笠形山説は揺るがないが、眺めた地点については深山説は捨てていることだけは確かである。筆者の主張内容については、受け入れられないようであった。先駆者としての誇りもあるのだろう。


<谷文晁の「日本名山図会」一覧表>

『日本名山図会』の山の一覧表は、いくつかのウェブサイトに載せられているが、筆者によるものを掲載しておこう。

谷文晁『日本名山図会』<88座90図収録。文化9年、1812年>(『名山図譜』<87座88図収録。文化元年、1804年>の増補版)

                            
番号と標高は、住谷雄幸『江戸人が登った百名山』(小学館文庫、1999年)による。

図会分類 図会順位 図会の山名 図会記載の所在地 所在地 番号 現在の山名 ★1座2図 標高 図会記載の地名
1 金峰山(キンプセン) 大和州吉野郡 奈良 82 山上ヶ岳(大峰山) 1719
2 富士山 駿河州冨士郡東北属相模甲斐二州東南跨伊豆州 山梨・静岡 56 富士山 3776
3 妙義山(妙儀山) 上毛州甘楽郡 群馬 33 ★妙義山 1104
4 浅間(アサマ)山 信濃州佐久郡 長野・群馬 49 浅間山 2568
5 磐梯山 陸奥州會津郡 福島 21 (会津)磐梯山 1819
6 吾田多良山 陸奥州安達郡二本松城西 福島 20 安達太良山 1700
7 巖G(ガンシュウ)山 陸奥州南部磐手郡盛岡城西 岩手 9 ★岩手山 2038
8 鳥海山 出羽州由理郡 山形・秋田 17 鳥海山 2236
9 金剛山 河内州石川郡東大和州界 大阪・奈良 80 金剛山 1125
10 野(コウヤ)山 紀伊州伊都郡 和歌山 84 高野山 800〜1100
11 比叡山 近江州滋賀郡東属山城州 京都・滋賀 68 比叡山(大比叡) 848
12 白山(ハクサン) 加賀州石川郡跨飛騨越中二州界 岐阜・石川・福井 44 (加賀)白山 2702
13 秋葉(アキハ)山 遠江州周知郡 静岡 59 秋葉山 885
14 駒嶽 信濃州築摩郡 長野 53 木曾駒ヶ岳 2956
15 御嶽(オンタケ) 信濃州築摩郡 長野・岐阜 52 木曾御岳(御嶽山) 3067
16 七時雨山 陸奥州南部鹿角郡 岩手 8 七時雨(ななしぐれ)山 1063
17 愛宕山 山城州愛宕郡 京都 70 愛宕山 924
18 膽吹(イブキ)山 近江州栗本郡 滋賀・岐阜 66 伊吹山 1377
19 大山(オオヤマ) 相模州太住郡 神奈川 38 大山 1252
20 那須山 下野州那須郡 栃木 26 那須山(那須岳) 1917
21 天城(アマギ)山 伊豆州田方郡 静岡 58 天城山(万三郎岳) 1406
22 彦山 豊前州田川郡連互豊後筑前二州 福岡・大分 95 英彦(ひこ)山 1200
23 笠置山 播磨州 兵庫 71 笠形山{笠置山説は誤り} 937
24 葛城山 河内州石川郡東属大和州 奈良・大阪 72 葛城山 959
25 鉅(ノコギリ)山 安房州平郡 千葉 36 鋸(のこぎり)山 329
26 加納山 上総州 千葉 35 鹿野山(かのうざん) 379
27 中嶽(ナカダケ)石門 上野州片品郡 群馬 33 中ノ岳石門(★妙義山)
28 碓井(ウスイ)嶺 上野州碓井郡 長野・群馬 32 碓氷峠 958
29 天(アマ)岳 伊賀州名張郡 三重 63 尼ヶ岳 958
30 筥根(ハコネ)嶺 相模州足下郡 神奈川 40 箱根峠(箱根山) 849
31 日光山 下野州河内郡 栃木 29 (日光)男体山 2484
32 無終(ハテナシ)山 紀伊州日郡 和歌山・奈良 85 果無山(冷水山) 1262
33 大苅田(オオカッタ)山 陸奥州苅田郡 宮城 15 青麻山(あおそやま) 799
34 半田(ハンダ)山 陸奥州信夫郡 福島 19 半田山 863
35 三上(ミカミ)山 近江州蒲生郡 滋賀 69 三上山 432
36 那智山 紀伊州牟婁郡 和歌山 87 那智山(烏帽子山) 909
37 象頭(ゾウズ)山 讃岐州那加郡 香川 93 琴平山 524
38 書冩(ショシャ)山 攝津州志加磨郡 兵庫 74 書写山 371
39 春日山 大和州添上郡 奈良 78 春日山(芳山) 518
40 摩耶山 攝津州有馬郡 兵庫 76 摩耶山 702
41 足(アシタカ)山 駿河州冨士郡 静岡 57 愛鷹山(越前岳) 1504
42 多度山 伊勢州朝明郡 三重・岐阜 61 多度山 403
43 鳳来寺山 参河州設楽郡 愛知 60 鳳来寺山 695
44 足柄(アシガラ)山 相模州足上郡 静岡・神奈川 39 足柄山(金時山・矢倉岳) 759 金時山
45 二上山 大和州葛下郡 奈良・大阪 79 二上山 517
46 八(ヤツ)岳 甲斐州山梨郡 長野・山梨 47 八ヶ岳 2899 諏訪湖
47 先(セン)山 淡路州津和郡 兵庫 77 先山 448
48 南昌(ナンショウ)山 陸奥州紫波郡 岩手 11 南昌山 848
49 臥釜(フセカマ)山 陸奥州北郡 青森 6 釜臥山 879
50 御駒(オコマ)山 陸奥州和賀郡 岩手 13 駒ヶ岳、経塚山 1130 経塚
51 早池峯(ハヤチネ) 陸奥州閉伊郡 岩手 12 早池峰山(早池峯山) 1917
52 内浦岳 蝦夷州 北海道 4 駒ヶ岳 1131
53 臼岳 蝦夷州 北海道 3 有珠(うす)山 732
54 惠山 蝦夷州 北海道 5 恵山(えざん) 618
55 玳瑁(タイマイ)渉 蝦夷州 北海道 2 樽前山 1041
56 志利邉津山 蝦夷州 北海道 1 後方羊蹄(しりべし)山 1898
57 赤城山 上野州那邉郡 群馬 30 赤城山 1828
58 惠奈山 美濃州惠那郡 長野・岐阜 55 恵那山 2191
59 金華山 陸奥州牡鹿郡 宮城 14 金華山 445
60 百丈(ヒャクジョウ)岳 伊勢州員弁郡 三重 62 錫杖ヶ岳 676
61 六甲山 攝津州武庫郡 兵庫 75 六甲山 931
62 立山(タテヤマ) 越中州新川郡 富山 43 立山 3015 立山、刮山、釼峯
63 佛通寺山 安藝州豊田郡 広島 90 大峰山(仏通寺山) 610
64 雲仙岳 肥前州來郡 長崎 96 雲仙岳(普賢岳) 1359
65 巌木(イワキ)山 陸奥州津軽郡 青森 7 岩木山 1625
66 霧島山 日向州那珂郡 宮崎・鹿児島 98 霧島山(韓国岳) 1700 東霧嶋山、西霧嶌山、霧島村、荒川村
67 雲鳥嶺 紀伊州牟婁郡 和歌山 86 大雲取山 966
68 筑波山 常陸州筑波郡 茨城 25 筑波山 876
69 武光(ブコウ)山 武蔵州秩父郡 埼玉 34 武甲山 1295
70 清水(キヨミズ)山 丹波州氷上郡 兵庫 73 清水山(柏原町・氷上町) 542 清水山、矢谷岳
71 阿蘓(アソ)山 肥後州阿蘇郡 熊本 97 阿蘇山(高岳) 1592
72 吉備(キビ)中山 備中州都宇郡 岡山 89 吉備中山 170
73 (タカ)峰 伊勢州飯郡 三重・奈良 65 高見山 1248 峰、音羽山、吉野山
74 朝熊(アサマ)山 伊勢州度會郡 三重 64 朝熊ヶ岳 555
75 比良(ヒラ)山 近江州志賀郡 滋賀 67 比良山(武奈ヶ岳) 1214
76 屋嶋山 讃岐州山田郡 香川 92 屋島山(南嶺) 292
77 五剱(ゴケン)山 讃岐州三木郡 香川 91 五剣山 375 八嶋、檀浦、志度浦
78 朝日岳 陸奥州白川郡 福島 24 旭岳 1835 鷄嶺、大隈川
79 榛名(ハルナ)山 上野州群馬郡 群馬 31 榛名山(掃部ヶ岳) 1449
80 二股(フタマタ)山 陸奥州岩瀬郡 福島 23 二岐山 1544
81 原(タカハラ)山 下野州鹽谷郡 栃木 28 高原山(釈迦ヶ岳) 1795
82 鹽原(シオハラ)山 下野州鹽谷郡 栃木 27 塩原山(前黒山) 1678
83 吉野山 大和州吉野郡 奈良 81 吉野山(青根ヶ峰) 858
84 小野(オノ)岳 陸奥州大沼郡 福島 22 小野岳 1383
85 米山(ヨネヤマ) 越後州頸城郡 新潟 41 米山 993
86 御岳(オンタケ) 薩摩州櫻嶋 鹿児島 99 御岳 1117 鹿兒嶋
87 雄鹿(オガ)山 出羽州秋田郡 秋田 16 本山(ほんざん)(別称:男鹿山) 715 雄鹿山、寒風山、鳥海山、砂山、般若町
88 大山(ダイセン) 伯耆州久米郡 鳥取 88 (伯耆)大山 1729
89 磐手(イワテ)山 奥州南部 岩手 9 ★岩手山 2038
90 玉東(ギョクトウ)山(一名、姫岳) 奥州南部 岩手 10 姫神山 1124