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 戦前の航空灯台

                                                  2010.1.20  柴田昭彦 新規作成
                                             
                                          2010.5.10
 室津航空灯台跡(嫦娥山)の話題を追加
                                          

                                          2011.6.22 雑誌掲載情報の修正
さよなら交通博物館 「航空灯台」
                                  
2013.12.31 山口県等の航空灯台跡の情報を追加
                                               (航空灯台一覧表も修正)

                                  2014.1.3,24 一部修正(山口県での踏査報告等)

                                  2014.3.21   一部修正 
                                  
2014.8.9    一部修正 
                                  
2014.9.24  「嫦娥山」は、もとは「尉ヶ山」であったという記事
                                  2014.10.4  「歴史と神戸」306号の航空灯台記事について
                                  2015.1.5〜7  
7.朝倉ユリ「霧の航空燈台」(ビクター)について
                                  2015.1.25   一部追加


1.戦前の航空灯台に関心を持ったきっかけ

 
昭和初期(昭和8〜12年)、有視飛行時代、夜間の定期航空(郵便物等の運搬)のために、航空灯台(航空燈台)というものが設置されていた。飛行コース(東京〜大阪〜福岡)に沿って立つ航空灯台の閃光が、夜間の飛行の安全のために活躍したのである。

 第1期の航空灯台は、昭和7年10月から昭和8年10月の間に整備され、昭和8年11月2日から、東京〜岡山間で点灯された。

 なお、岡山〜福岡間では、航空灯台が設置されたが、不時着場が確保されなかったために点灯されず、岡山上空で、日没または日出となるようにして、運用されたという。

 昭和12年7月以降、戦争による燃料・乗員確保の困難さにより、夜間定期航空は中止となった。航空灯台そのものは点灯されて、飛行の安全に寄与するが、昭和18年には戦況の悪化に伴い、防空上から無期限消灯となった。

 戦後、昭和20年12月に連合軍指令が出され、昭和21年以降、維持存置、移設、廃止などの措置が行われた。その後、航空灯台は増設、移設、改造、撤去をくり返しながらも、有視飛行時代に活躍し続けた。

 昭和36年9月、幹線のジェット化が開始され、航法も無線標識を利用するようになり、航空灯台の利用は減少して行った。無線飛行が主役になった結果、昭和43年に航空灯台は廃止が決まり、消灯され、昭和44年にかけて撤去された。航空灯台は、その多くは撤去されたが、今でも、鉄塔や建物が現存しているものがある。


 筆者が航空灯台に関心を持つようになったきっかけは、須磨旗振山にまつわるエピソードを検証するためであった。


 『歴史と神戸83号』(1977年5月)の鷲尾治兵衛「旗振山について」には、神戸市垂水区下畑町の
林邦松(1890年生まれ)の証言(1976年の聞き取り。当時は数え年で87才)として、次のような話が載せられていた。

「下畑の旗振山を、下畑では古く鯛取山という。これは鯛取りに出た漁師が目じるしにしたから、とか。旗振山の名は、戦前、鉢伏山に航空燈が建ったとき、この上に旗を立て、飛行の便に供したからである。米相場には何の関係もない。」

証言当時、林さんは87才である。年齢は関係ないが、須磨旗振山は米相場の中継所として知られており、その証言内容の真偽が問題となる。
林証言が正しければ、須磨旗振山は米相場と無関係と言うことになるからである。しかし、落合重信さんは、旗振山の呼称が大正期にすでにあることから、古老の記憶の誤りであろうと推定されている。

 筆者も、次のような3つの理由から、
古老の記憶の間違いであると考えている。

(1)1万分の1地形図「須磨」(昭和61年編集、平成17年修正、平成18年発行)には、神戸市垂水区下畑町、下畑海神社の東に鯛取山(標高103m)があり、旗振山(標高252.58m)とは別の山である。

(2)鉢伏山(標高248m、1万分の1地形図「須磨」による標高値)に航空燈台が建てられた時期は、昭和7年10月〜昭和8年10月の間のいつかである(実際の建設期間はもっと短いがこれ以上絞る資料は今のところ手元にない)。

(3)旗振山に建つ「旗振茶屋」の開業は昭和6年3月である。一方、航空燈台の建設開始は昭和7年10月以降である。
  航空燈台が建っていない時から、「旗振茶屋」が存在するのだから、明らかに古老の証言は間違いである。



 筆者が、航空燈台に興味を持つようになったのは、この鉢伏山の航空燈台が、いったい、いつ、完成したのかを知りたくてたまらなかったからであった。2000(平成12)年頃だったと思うが、須磨区役所に問い合わせた時には、資料が見当たらないため、完成年代は不明のままであった。その後、2006(平成18)年に、航空燈台の資料を調べる機会があり、
山口修『航空郵便沿革史』(昭和60年、1985年)園山精助『日本航空郵便物語』(昭和61年、1986年)を参照して、1933年(昭和8年)の夜間郵便飛行のために、昭和7〜8年ごろ、航空燈台が、東京・大阪・福岡間におよそ40ヶ所設置されたことがわかった。

 この時点で、
須磨旗振山が米相場の山でないという証言が出鱈目であることが裏付けられたのであるが、具体的な設置地点の資料は乏しかった。

 とりあえず、乏しい資料を用いて、次の亀山市のコースガイドを公表したが、満足できる内容ではなかった。

 
「航空灯台のあった山 久我山(西北山)」(『新ハイキング別冊 関西の山』91号、平成18年11・12月)

2.航空灯台の資料の収集


 2009年7〜8月に、図書館で、『日本航空史 昭和前期編』(昭和50年)と『日本燈台表』(昭和13・14年)に収録された航空灯台の一覧表の写しを入手するに及んで、ようやく、基礎資料が揃うことになった。

・日本航空協会編『日本航空史 昭和前期編』(昭和50年、日本航空協会) (大阪府立中央図書館蔵)
  (p.562〜569、民間航空編、第二章航空路施設、一 航空路施設の整備、(三)航空照明)


・「航空標識燈一覧表」
  (燈臺局編纂『日本燈臺表』昭和13年、社団法人 燈光會)所収 (大阪市立中央図書館蔵)


・「航空燈臺一覧表」(昭和14年5月15日調)
  (燈臺局編纂『日本燈臺表』昭和14年、社団法人 燈光會)所収 (大阪府立中之島図書館蔵)


 さらに、8月に大阪航空局で問い合わせて、次の記事・資料を入手できた。

・吉田久善「航空路灯台跡地さがし 我ら熟年、探検隊」の次の3本の記事

    「その1(室津、笠置編)」(「とうゆう」第81号、平成20年5月)
    「その2(玉津編)」(「とうゆう」第82号、平成20年8月)
    「その3(関編)」(「とうゆう」第84号、平成21年2月)

・鈴木隆治「航空灯台の想い出」(「とうゆう」第85号、平成21年5月)
 
・航空照明50年史刊行委員会編集『航空照明50年史』(昭和62年、日本航空協会、非売品


 「とうゆう」は航空灯火友の会発行の雑誌。今では、航空灯火・電気技術振興会(連絡事務所:末廣屋電機(株)東京支店内)が発行している。航空局保安部航空灯火・電気技術課を中心として執筆されている。一般の人々が目にする機会はほとんどないであろう。

 
『航空照明50年史』は、古書店で入手することができたが、本来は内部資料で、非売品だ。図書館では、東京都立中央図書館に所蔵されている。また、筆者がその後、古書店で入手できた2冊目の本を2014年(平成26年)9月に国会図書館に寄贈したので、いずれ利用できるようになることだろう。非売品ゆえ、いろいろな方法で利用できるようにしておくことが大切であると考えた次第である。

 吉田さんが所属するハイキングクラブで、行き先の対象として「航空路灯台跡地さがし」に取り組むようになったきっかけは、何と、筆者の「久我山」のコースガイドを平成18年10月に読んだことなのであった!!!

 その後、実際に、航空灯台の跡地をいくつも訪問し、なかなかたどりつけないことに、一層、興味をかきたてられた。
 失われかけている跡地さがしにチャレンジし、謎解きに醍醐味を感じつつ、「航空灯台一覧表」の完成という目標に向かって、取り組んできている。いまのところ、不明の地点があり、その謎の解明は難しそうである。

 
次のレポートを投稿したので、航空灯台一覧表2枚と併せて、掲載された。
「航空灯台のあった山A 正林坊山」(『新ハイキング別冊 関西の山』112号、平成22年5・6月)

「航空灯台のあった山B 嫦娥山」 (『新ハイ関西』118号、平成23年5・6月)
(※
115号までは市販された。116〜8号は市販されず、会員配布の雑誌となったが、バックナンバーとしては入手可能。

(※2014年9月現在、、91号記事はコピーにて、112号、118号はバックナンバーとして入手できる。)


新ハイキング関西の記事の入手方法について(2014年9月9日記載) 

 1.「新ハイキング関西」「新ハイ関西」のバックナンバーの入手方法について

   
現在、『新ハイキング別冊関西の山104〜115号』『新ハイ関西116〜8号』のバックナンバーは新ハイキング社あてに申し込めば、
   入手できるとのことである。
新ハイキング社あて、
メールseki@shinhai.netにて申し込まれたい。

 2.国会図書館の複写サービス利用について

   国会図書館には1〜118号まで全号が所蔵されているので、以下のサイトでバックナンバーの確認や記事の検索を行った
   うえで、国会図書館の下記のサイトをごらんいただいて、該当記事の掲載号数と掲載タイトルを指定して、複写を申し込むとよい。

   「新ハイキング関西」と「新ハイ関西」の記事の検索→バックナンバー記事の検索へ

   国会図書館の「新ハイキング別冊関西の山」と「新ハイ関西」の所蔵状況→NDL-OPAC - 書誌情報1 NDL-OPAC-書誌情報2

   国会図書館への複写申し込み方法→
複写サービス

 3.新ハイキング別冊関西の山 1〜103号のコピーサービス(新ハイキング社)について

   希望の記事が特定できる場合、1篇につき100円にてコピーを送ることが可能である(郵送料が別途、必要)。
   コピーサービスを希望する場合、「掲載号数と記事名」をメール(新ハイキング社・在庫担当 関根茂子seki@shinhai.net
   にて知らせれば、実際にその記事が、掲載されているかどうかを確認の上、代金等を知らせるとのことです。

(2014年10月4日、追加) 「歴史と神戸」306号に「兵庫県内の航空灯台について」の記事を掲載

 2014年10月1日に発行(10月4日発売)された「歴史と神戸」306号に、次の記事を掲載している。

   柴田昭彦「兵庫県内の航空灯台について」(『歴史と神戸』306号、2014年10月1日発行)

      ・はじめに
      ・航空灯台の文献
      ・航空灯台の歴史
      ・第一期・第二期・私設・第三期・第五期航空灯台一覧表
      ・兵庫県内の航空灯台
      ・須磨航空灯台
      ・室津航空灯台
      ・神戸大丸
      ・大阪第二飛行場
      ・岩屋航空灯台
      ・おわりに

   ※航空灯台の一覧表は、新ハイキング関西112号に掲載したが、今回は本サイトでも公開していない
     「第三期・第五期」の航空灯台の一覧表も追加し、最新の情報によって、更新している。航空灯台の
     最新情報が今後、このような活字になって公表できる機会は、もうないだろうと考えており、今回が
     決定版となるだろう。本サイトでも報告している山口県における航空灯台跡の情報も追加している。


3.航空灯台一覧表
 (禁無断転載)

 筆者が収集した資料によって、昭和6〜14年設置の主要な航空灯台を一覧表にまとめてみた(昭和15年以降は省略)。

(表1)第1期航空灯台一覧表
     (東京・大阪・福岡間の夜間定期航空のため、昭和7〜8年に建設・設置、東京・大阪間20ヶ所、大阪・福岡間19ヶ所)
      (昭和8年11月4日、官報告示26ヶ所)(★未点灯)
 

地点 期間
(昭和)
緯度(北緯) 経度(東経) 高さと標高(m) 現在の地形図(1/2.5万)による場所 
(△三角点)(■基礎残存)(●撤去穴残存)
航空灯台名 設置 廃止 灯器 高さ 標高 山名等 標高 種類 図名 現在の住所表示
(航空灯台の地点)(注記)
東京飛行場 8 42 35 33 35 139 45 47 16 15 1   3 東京国際空港 東京都大田区羽田空港一丁目(昭和20年、羽田に改称)
戸塚 8 19 35 25 35 139 30 3 85 15 70 富士塚 60 等高線 横浜西部 神奈川県横浜市泉区和泉町(横根稲荷神社の東、現発電所)(消失)
平塚 8 43 35 19 2 139 21 45 29 15 14   11.1 三等△ 平塚 神奈川県平塚市千石河岸13(桜河岸公園)(旧15.0m△)
(昭和44年、海上灯台で再点灯、平成12年廃止、13年撤去)
(
港小に展示)
真鶴 8 18 35 8 59 139 8 27 105 15 90   80 等高線 真鶴岬 神奈川県真鶴町(89m独標の南東280m)(現在、会計検査院研修所跡の更地が航空灯台跡らしいが、痕跡なし。真鶴町役場による)
十国峠 8 20 35 7 40 139 2 28 790 15 775 十国峠 771 独標 熱海 静岡県熱海市・函南町(昭和7年11月28日完成)(旧774.4m△)
(昭和14年、中腹に記念碑建立。昭和43年、航空灯台跡に移設)
沼津 8 20 35 5 45 138 52 37 155 15 140 香貫山 140 等高線 三島、(沼津) 静岡県沼津市上香貫(かぬき)(山頂の北400mの稜線上) 
田子浦 8 20 35 7 40 138 40 11 44 24 20 田子の浦 10 等高線 吉原 静岡県富士市田子・新浜(しんばま)(金毘羅神社東80m)(鉄塔は撤去された)
焼津 8 44 34 54 28 138 20 32 465 15 450 花沢山 449.2 三等△ 焼津 静岡県焼津市・静岡市
(旧449.7m△)(■) 
金谷
(かなや)
8 16 34 48 31 138 6 18 297 15 282 火剣山 260 等高線 掛川 静岡県菊川市(火剣坊大権現の南方)(282.6m△の南280m)
(墓の峠に、鉄塔が現存。半分をアマチュア無線の基地に使用した)
浜松 8 32
34 45 8 137 43 7 65 21 44   45 等高線 浜松 静岡県浜松市中区(本田技研工場南東端付近) (不時着陸照明)
豊橋 8 16 34 47 13 137 29 35 425 15 410 富士見岩 410 等高線 豊橋 愛知県豊橋市(415m独標、富士見岩北側と推測されるが痕跡不明)(昭和21年、南方の神石山324.7m△に新設。昭和44年撤去)
幡豆
(はず)
8 16 34 48 28 137 8 42 346 15 331 320 等高線 蒲郡 愛知県幡豆町(旧331.1m△)
(324.8m△の南西150m付近)
(消失)
知多本宮山 8 16 34 52 36 136 52 24 102 15 87 本宮山 80 等高線 半田 愛知県常滑市(■)(●)(山頂の本宮祠の北100mのピーク)
明野 8 16 34 32   136 40   27 21 6     明野 三重県伊勢市小俣町明野(不時着陸照明) (設置地点は不明) 
千世崎 8 18 34 51 12 136 36 50 26 24 2 2 鈴鹿(神戸) 三重県鈴鹿市南若松町千代崎
8 20 34 50 43 136 22 7 309 15 294 久我山 294.1 四等△ 鈴鹿峠 三重県亀山市関町久我(西北山)
(旧294m独標)(●)
加太
(かぶと)
8 16 34 50 28 136 17 26 440 15 425 大杣山 428 独標 鈴鹿峠 三重県亀山市加太
(旧425m独標)(●)
柘植
(つげ)
8 18 34 49 52 136 12 45 243 15 228   227.5 三等△ 上野 三重県伊賀市楯岡
(旧227.8m△)(■)  
上野 8 18 34 45 9 136 4 31 317 15 302 正林坊山 302.0 三等△ 月ヶ瀬 三重県伊賀市長田(■)(●) 
笠置
(かさぎ)
8 20 34 44 38 135 56 9 371 15 356 灯台山 355.1 四等△ 笠置山 京都府笠置町笠置(■)昭和21年、切山背後へ移設、44年廃止。笠置駅の真北1650m地点、標高442.7mピーク、地元で「灯台跡」と呼ぶ地点に●2コ確認
生駒山 8 20 34 40 27 135 40 37 645 15 630 鬼取山 631 独標 生駒山 奈良県生駒市(昭和7年11月9日、鉄塔の航空灯台完成)
(昭和15年、コンクリートの建物を新設、現存)(旧636.6m独標)
大阪飛行場
(木津川尻)
8 14 34 37 37 135 27 45 17 15 2 2 大阪西南部 大阪市大正区船町二丁目
(現在、中山製鋼所)
須磨 8 20 34 38 27 135 5 44 262 15 247 鉢伏山 240 等高線 須磨 兵庫県神戸市須磨区(昭和33年建設の回転展望閣の敷地)(消失) 
室津 8 20 34 46 36 134 30 43 281 15 266 嫦娥山 265.8 三等△ 網干 兵庫県たつの市御津町室津
地形図の「峨」は誤字)(●) 
玉津 8 20 34 39 44 134 9 59 155 15 140 五郎山 140 等高線 牛窓 岡山県邑久町庄田(129.0m△の北東のピーク)(■)(道なし) 
早島
(はやしま)
8 20 34 37 26 133 49 38 95 15 80 70 等高線 倉敷 岡山県早島町(89.6m△の南250m)(消失) 
★笠岡 8 15 34 30 24 133 31 23 234 15 219 応神山 219.3 四等△ 笠岡 岡山県笠岡市
★糸崎 8 16 34 23 34 133 7 41 445 15 430 鉢ヶ峰 429.7 二等△ 三原 広島県三原市糸崎町字鉢ヶ峯
★上北方 8 16 34 24 23 132 55 59 343 15 328   327.7 三等△ 竹原 広島県三原市本郷町上北方字竜王平(りゅうおうひら)
★三永 8 15 34 23 20 132 44 34 235 15 220 210 等高線 清水原 広島県東広島市西条町三永
★熊野跡 8 15 34 23 29 132 35 54 725 15 710 鉾取山 711.5 四等△ 海田市 広島市安芸区阿戸町
★五日市 8 15 34 22   132 22             廿日市、広島 広島市佐伯区五日市町(経緯度・標高の資料がないため、不明)(設置地点は、海老山の可能性がある。ただし、裏付けはとれておらず、確定は難しい。)
★岩国 8 16 34 10 42 132 11 33 293 15 278 岩国山 277.8 三等△ 大竹 山口県岩国市錦見二丁目(■)
★高森 8 15 34 4 21 132 2 13 339 15 324 大黒山 323.4 三等△ 上久原 山口県岩国市周東町高森
大黒山(だいこくやま)
(■)
★櫛ヶ浜 8 15 34 1 31 131 50 23 139 15 124 岩熊山 124.0 三等△ 徳山 山口県周南市・下松市
★中ノ関 8 15 34 1 17 131 31 56 237 15 222 田島山 222.1 三等△ 防府 山口県防府市(現在、航空自衛隊の航空灯台が回る) (■)
★宇部 8 16 33 55 36 131 15 55
19 15 4   4 宇部東部 山口県宇部市沖宇部(八王子町)
★行橋
(ゆくはし)
8 20 33 48 22 130 59 9 144 15 129   127.9 二等△ 苅田 福岡県苅田町(かんだまち)(旧128.1m△)(松山城跡)
★若松 8 16 33 54 3 130 45 59 295 15 280   280 等高線 八幡 福岡県北九州市若松区藤木
(石峰山の西南西600m)
★筑前鐘崎 8 15 33 53 18 130 31 30 67 15 52 50 等高線 吉木 福岡県宗像市鐘崎
(鐘の岬の旧52m独標)
(★)秋月 8 44 33 29 31 130 40 58 655 15 640   639.2 三等△ 甘木 福岡県朝倉市下秋月(戦前未点灯)(戦後使用)(■)(鉄塔跡地)
 

 (表2)第2期航空灯台一覧表 (<☆私設灯台>を含む)                 

地点 期間
(昭和)
緯度(北緯) 経度(東経) 高さと標高(m) 現在の地形図(1/2.5万)による場所
 (△三角点)(■基礎残存)(●撤去穴残存)
航空灯台名  設置 廃止 灯器 高さ 標高 山名等 標高 種類 図名 現在の住所表示
(航空灯台の地点)(注記)
三保 9 20 35 1 11 138 31 3 16 15 1 1.3 水準点 興津 静岡市清水区真崎(水準点付近)  (不時着陸照明)
辻堂 10 18 35 21 50 139 26 13 53 5.5 47.5   45 等高線 藤沢 神奈川県茅ヶ崎市
(48.5m△の西50m付近)
国府津
(こうづ)
10 18 35 17 36 139 12 31 205 15 190 弁天山 190 等高線 小田原北部 神奈川県小田原市田島  
御殿場 10 18 35 18 55 138 55 59 485 15 470   470 等高線 御殿場 静岡県御殿場市
(462.3m△の北西400m)
矢倉嶽 10 18 35 19 43 139 2 7 873 5.5 867.5 矢倉岳 870 独標 関本 神奈川県南足柄市
(旧867m独標)
神山 10 20 35 14 0 139 1 15 1444 5 1439 神山 1437.8 一等△ 箱根 神奈川県箱根町
(旧1438.2m△)
鞍掛山 10 18 35 10 34 139 1 32 1009 5 1004 鞍掛山 1004.3 三等△ 箱根 静岡県函南(かんなみ)町
(旧1004.2m△)
巣雲山 10 44
35 0 18 139 2 14 587 6 581 巣雲山 580.7 二等△ 網代、(伊東) 静岡県伊豆市(展望台前に印の杭あり)  (すくもやま)
久能(くのう) 10 18 34 58 23 138 28 11 313 5.5 307.5 有度山 307.2 二等△ 静岡東部 静岡市清水区
(旧307.6m△)  (うどやま)
袋井 10 16 34 46 28 137 55 2 74 24 50 40 等高線 山梨 静岡県袋井市(護国塔の南方130m、少し西寄り)(消失)
御油(ごゆ) 10 18 34 49 6 137 18 39 97 5.5 91.5 御津山 94.8 四等△ 小坂井 愛知県豊川市広石(御津(みと)山公園)(旧96.8m独標)(消失) 
霊山寺山 10 20 34 49 2 136 15 38 771 5 766 霊山 765.8 一等△ 平松 三重県伊賀市下柘植(旧伊賀町)
(山頂付近)  (れいざん)
大河原 10 18 34 45 14 135 59 41 308 5.5 302.5 280 等高線 笠置山、柳生 京都府南山城村(旧302m独標)
(ゴルフ場内、消失)
木津 10 14 34 43 35 135 50 34 142 5.5 136.5 115 等高線 奈良 京都府木津川市(旧136.3m△)
(旧186.8m△→数字の誤り)
(121.5m△の北100m付近)
(ゴルフ場内、消失)
笠取山 11 44 34 44 2 136 17 48 850 15 835 笠取山 842 独標 佐田 三重県伊賀市大山田地区(旧844.6m△)(レーダー基地内)
昭和32年、西側に移転。昭和49年に828.4m△を設置)
大牟田 11 44 33 4 27 130 25 49 74 15.5 58.5 観音山 58.0 三等△ 大牟田 福岡県大牟田市岬仲屋敷(黒崎公園の高台)(昭和44年撤去)(■) 
川内
(せんだい)
11 44 31 46 51 130 13 43 535 15.5 519.5 弁財天山 518.7 一等△ 羽島 鹿児島県いちき串木野市羽島(旧519.1m△) 鉄塔は現存
大阪第二飛行場
(伊丹)
14 21 34 47 6 135 26 4 29 15 14 10   伊丹 兵庫県伊丹市(大阪国際空港、伊丹空港)(昭和21年廃止
龍王山 14 18 34 46 40 135 42 13 325.5 5.5 320 龍王山 321 独標 枚方 大阪府交野市(木津から移転したもの)(■) 龍王社の北15m
☆大阪朝日新聞社 6 42 34 41 35 135 29 45 64 58 6 2 大阪西北部 大阪市北区中之島三丁目
(朝日新聞社)
☆福岡松屋呉服店 8 18 33 35 34 130 23 54 43 40 3 3 福岡 福岡市中央区天神4(昭和48、マツヤレディス)(平成17、ミーナ天神)
☆名古屋新聞社 11 38 35 9 45 136 54 34 42 33 9 7.5 等高線 名古屋南部 愛知県名古屋市中区西川端町1丁目(栄3・大須4)(久屋南噴水付近)平成8年までシンボルで点灯
☆京都丸物(ぶつ) 11 39 34 59 17 135 45 33 73 44 29 30 等高線 京都東南部 京都市下京区(プラッツ近鉄京都店、平成20年、解体済)(平成22年、ヨドバシカメラ京都店)
☆神戸大丸 11 40 34 41 19 135 11 25 56 50 6 5 等高線 神戸首部 兵庫県神戸市中央区明石町
(大丸神戸店)
☆新潟新聞社 12 18 37 55 20 139 2 39 38 36.8 1.2 1 新潟北部 新潟市中央区西堀前通7番町の南西角(三菱東京UFJ銀行の場所)
☆札幌今井商店 13 36 43 3 35 141 21 17 67 49 18 20 等高線 札幌 札幌市中央区南1条西2丁目(丸井今井札幌本店一条館)(丸井今井事務センターに灯器保存

(注1)表1・2の作成にあたっては、『日本灯台表』(昭和13・14年)所収の「航空標識灯一覧表」「航空灯台一覧表」、『日本航空史(昭和前期篇)』(昭和50年)、『航空照明50年史』(昭和62年)に収録された諸表を参照した。これらの諸表には、誤植や資料不足によって生じたものと思われる数値の食い違いや欠落などが多数見られ、一部の航空灯台の位置が不明のままになっている。

(注2)経緯度データは上記資料の他、旧版地形図の航空灯台の記載とインターネット情報等を参照して、筆者が独自に、世界測地系に変換したもの。他のデータも筆者が独自に調べて修正を施した。 

(注3)廃止の欄において「―」と表示したものは、昭和24年末において活動中であったことを示している。ほとんどの場合、昭和43〜44年に廃止・撤去されている。→その後の調べで、廃止年が判明したので、具体的な年を記入し、「―」はすべて削除した。

(注4)航空灯台は、廃止された後にも、施設そのものが存続している場合がある。上の2つの表において、鉄塔跡のコンクリート基礎残存(■)や撤去穴残存(●)は、すべてを網羅したものではないので注意。

(注5)航空灯台の燭光数は、120万(晴天の暗夜における光達距離50km)が多く、次いで、266万(光達距離75km)もあり、一部に0.5万(光達距離25km)などがある。

(注6)昭和15年以降に設置された淡路島・四国地方その他の航空灯台については、すべて省略した。なお、加太航空灯台は昭和8年に官報告示されているが、昭和10年初点灯とする資料がある。

(注7)国土地理院HPの地図閲覧サービスにおいて、経緯度による検索で、上記の航空灯台の位置が確認できる(誤差に注意)。

(注8)表1・2は未完成版で、不正確な場合がある。場所や痕跡などの情報を教示いただければ幸いである。

               (2009年11月21日〜2010年1月17日、柴田昭彦作成)     (上の2つの表は、禁無断転載)
              
(2013年12月31日、修正) (2014年1月3日、追加)(2014年8月9日、追加)

4.忘れられた航空灯台はいずこ?

 上の「航空灯台一覧表」でわかるように、五日市の航空灯台の場所は、今では、行方不明になっている。

 旗振り山同様、
戦前の航空灯台の場所も、失われ、忘れられ、埋もれた歴史となりつつある。

  これらの航空灯台は、1939年(昭和14年)当時にはすべて実在していたものである。

 なのに、たかだか、70年前という年代であるにもかかわらず、人々の記憶から消えつつあるのである。

 だが、今でも、
80才以上の人なら、航空灯台の実在する姿に遭遇していた可能性はあるはずである!!!

  今、一度、古老の記憶を呼び覚まし、何とか、その痕跡を発見することができれば、と考えている。

 埋もれた航空灯台の跡地さがしに協力して、現地調査を行って、レポートしてくださるかたの出現を願ってやまない。

 
上の一覧表で未発見になっている航空灯台の情報を、是非、お寄せ下さい!

 
戦前、広島の五日市町にあったという航空灯台を知りませんか?(2010年1月17日、鈴が峰の現地調査をしましたが、東峰の砲台跡しか見つかりませんでした。)

 豊橋市の富士見岩にあったという航空灯台の設置場所を知っている人はいませんか?

 沼津・田子浦・浜松・千世崎航空灯台の痕跡を調べた人はいませんか?



(2013年12月31日)山口県下における航空灯台跡の調査報告について
                       
(2014年1月3日、修正)

2013年11月〜2014年1月、遺跡・遺構の探索をしているブログ
「こちら山勘研究所」の作成者から連絡があり、山口県内にあった航空灯台の跡地の探索を行ったという報告があったので、ここで、その概要を紹介しておくことにする。

・岩国山の岩国航空灯台跡
 
山頂には4個のコンクリート基礎が残存している。コンクリート基礎には3本のボルトがあり、一辺47〜48cmの正方形、4個の基礎の中心点間隔は270〜280cmの正方形(つまり外側どうしの長さは317〜328cmとなる)に配置されている。基礎は三角点のすぐ近くにある。
 
(参考)柘植航空灯台の基礎コンクリートにはボルトが3本あり、基礎の一辺45cm、正方形に並ぶ基礎の外側どうしの長さは324cmであり、類似していることがわかる。

・大黒山の高森航空灯台跡
 
山頂には、地元で海軍の監視所跡と伝えられているコンクリート遺構がある。郷土資料に記載がなく、山の本で地元の人の話とされているが、近くにトイレ、水槽遺構がなく、疑わしい。三角点の点の記に、昭和8年に日本航空輸送の委託により西方5mへ移転という記録が残り、実際に、三角点は遺構の中心点から4〜5mほど西方にあるので裏付けることができ、山頂の遺構は、監視所跡でなく、航空灯台跡と考えられる
 その遺構は、4mの正方形の中に幅60cmのコンクリートが箱のようにあり、内側は草が生えている。頂点の3か所には、ボルト2本または1本が残っていて、その辺りに幅45cmぐらいの基礎が埋まっている痕跡があるがはっきりしない。
(参考)上野航空灯台の基礎コンクリートにはボルトが2本あり、基礎の一辺45cm、正方形に並ぶ基礎の外側どうしの長さは393cmであり、類似していることがわかる。笠置航空灯台もボルト2本、45cm、395cmであるので、近似している。

・岩熊山の櫛ヶ浜航空灯台跡
 
現在の山頂は猛烈な薮になっていて、かろうじて三角点に達することはできるものの、コンクリートの基礎らしいものは見当たらない。航空灯台の何らかの痕跡が残っている可能性はあるが、おそらく、確認は困難であろう。

・田島山の中ノ関航空灯台跡(2014年1月24日に修正)
 
山頂には、現行の航空灯台がある。その北側にある電柱のそばには基礎が見られるが、一辺60cmほどで、ボルトが2本見られる。この基礎が戦前の航空灯台のものかどうかは不明であるが、基礎は4個とも残っており、可能性はありそうである。

・宇部市の宇部航空灯台跡

 宇部図書館での調査により、
航空灯台の記載がある古地図の復刻版が見つかった。
「宇部市全図(5万分の1)」「宇部市街図(1万分の1)」で、いずれも昭和13年10月改編である。郷土資料には、航空灯台についてふれたものは見当たらない。その記載された場所は、現在の住所では宇部市八王子町14、八王子児童公園へ向かう道の途中と考えられる。大字では沖宇部である。該当すると思われる現地には遺構は見当たらず、現在では、すでに撤去されて残存しない可能性が高い。

★なお、「こちら山勘研究所」の岩国山と大黒山の航空灯台の探索記事は、以下の通りである。詳しい探索の経過・現地写真があるので、大変参考になるだろう。宇部航空灯台跡についての記事も追加された。

  1 岩国山の航空灯台跡の探索


  2 大黒山の航空灯台跡の探索

  3 宇部市の航空灯台跡の探索

   櫛ヶ浜・中ノ関航空灯台跡の探索

  
  宇部市全図(五万分之一)               宇部市街図(一万分之一)
    昭和13年度版(昭和13年10月改調)(和楽路屋)    
※両図中央に「航空燈臺」が見える。

   (出典:『復刻 宇部市街古地図』宇部地方史研究会、昭和58年10月)



5.
戦前の航空灯台跡の現状


●知多本宮山の本宮祠の北方のピークにあった航空灯台跡地には、基礎コンクリート(幅44cm、ボルト1本付き
 が二ヶ所に残り、そのうちの一つは露出しているが、もう一つは埋没していて外からは見えない
 (2009年12月23日調査)


 あとの二ヶ所には、基礎コンクリートの撤去穴(径120〜160cm、深さ40〜60cm)が残されている。

 基礎四ヶ所は元々、正方形の位置にあり、その一辺の距離(基礎の中心を基準)は約3mである。


●笠置航空灯台(灯台山、南笠置)(昭和8〜20年設置)の跡地には、基礎コンクリート(ボルト2本付き)が残る。
 (2009年10月4日調査)


 今では、以上のような工作物の残存の事実や、それが何であったのかも忘れ去られつつある。



6.室津航空灯台跡○嫦娥山)(×嫦峨山)について


兵庫県たつの市御津町室津の北方、標高265.8mの山は、2万5千分1地形図「網干」(大正12年測図・昭和22年修正測図、昭和24年発行)に初めて「嫦峨(ジヨガ)山」という山名が現れている。当時は室津村である。5万分1地形図「姫路」(昭和26年修正・発行)も同じ山名である。戦前の地形図に山名は記載されていなかったのである。

 国土地理院近畿地方測量部によれば、
昭和42年御津町役場作成の地名調書に「嫦峨山(じょうがさん)」とあり、現在の地形図に、この山名が記載されている根拠となっている。

 しかし、
揖保郡役所編纂『揖保郡誌』(明治36年、一五二頁)には、明確に「嫦娥山」と記載されており、「嫦峨山」ではない。(もう、これだけで話はおしまいになるぐらい真実は明白である。)

 「兵庫県揖保郡 御津町全図」(2万5千分の1、昭和46年11月調製、御津町役場)と
「兵庫県揖保郡 御津町管内図」(1万分の1、昭和47年7月調製、御津町役場)でも
「嫦娥山」である。


松本保一・松本綾子編著『ふるさと御津』(厳潮社、昭和54年)には次の記載がある。

「嫦娥(じょうが)山(高さ二六五、八m) 嫦娥とは月の異名である。
昭和の初め
灯台があって、その灯が廻転して、夜はきれいであったが
知っている人は少かろう。この
灯台は戦争のため撤去された。」

 松本保一氏は、御津町生まれで、校長までされた方である。「嫦娥山」の表記で間違いあるまい。

 松本氏が述べているように、嫦娥山の山頂には、昭和8〜20年、航空灯台があった。
戦前の航空灯台のことを知っている、地元、室津の人たちが
「ひこうとう」と呼んでいたことが印象に残った(平成21年11月1日、賀茂神社での筆者の聞き取り)。漢字を尋ねたが、耳で聞くだけなので不明という。
おそらく
「飛行塔」「飛行灯」であろう(「飛行塔」の可能性が高いと考える)。

(追加注)地元では、「航空塔」と呼ぶ人もいるようだ。それも考慮すると、「飛行塔」の可能性は高い。


『御津町史 第四巻』(平成11年)の付図1「御津町の大字・小字図」には
大字「室津」の小字に「嫦娥山」とあり、原図の1万分の1「御津町管内図」(平成9年3月修正)に見える山名も「嫦娥山」である。『御津町埋蔵文化財分布調査報告書』(平成9年3月)に使用されている地図も同様である。

もちろん、現地の山の道標には、100パーセント「嫦娥山」と書かれているのだ。


以上のとおり、地元の御津町室津では、例外なく「嫦娥山」が用いられており、
地形図の記載に忠実に従った人達だけが「嫦峨山」を用いているということになる。


室津海駅館(かいえきかん)でもらった手書きの「室津街道イラストマップ」に
「嫦娥山への山道」とある。


室津海駅館内に拠点を置く「嶋屋」友の会発行の
『会報 むろのつ』第九号(平成14年9月)に掲載された、地名研究家の田中早春さんの「地名の話9 山の地名 日和山・嫦娥山」に次のようにあるのが決定版となろう。

嫦娥山の標高は二六五、八メートルと御津町では一番高く、この山の高さと目いっぱいに広がる青い空、その青空に溶け込むようなおだやかなブルーの海、この視界をさえぎるものが何も無い、という室津の地理的条件がもたらした月の伝説に彩られた山なのです。

山名の嫦娥とは不老不死の命を持つ月の精の名前で、元の名を妲娥(こうが)(筆者注:妲は誤植)といいます。中国の古典の中にこの話が収められていますので紹介いたしましょう
「げい」(※)が不老不死の薬を月に住む仙人である西王母に頼み、やっと手に入れることができたのですが、「げい」(※)が飲まないうちに妻の妲娥(筆者注:妲は誤植)がこれを密かに盗んで月の国へ一人行ってしまいました、そして薬を飲み月の精となった』というこの物語の根底にあるものは回春伝説といわれ、たとえ死んだとしてもふたたび命が甦えることや若返るなどのことを語りに託して伝えたものだと言われています。」

「室津には異国をはじめ国中の商人が集まり、それにつれていろんな階級の人たちが出入りしたことでしょう。これらの人たちは物品だけでなくきっと多くのカルチャー情報をもたらしたに違いありません。一八〇度の展望を誇る室津の高峰に、もっとも似つかわしい常世への願望を込めた
月の伝説を取り入れ、山に嫦娥の名を付けたのではないかと考えられるのです。
 町内の権現山で発掘が行われたとき、他の出土品に混じって五枚の神獣鏡がみつかりましたが、このなかの一枚に東王父と西王母の刻影を見つけたときの、胸の高鳴りをいまさらのように思い返す今日このごろです。」


 
※「げい」は人名で、上半分が「羽」で、下半分が「廾」の漢字(パソコンで出ない)。
    羽
    廾

 辞典類を調べると、
「嫦娥」は月世界に住む美人仙女の名で、「女亘 女我」(こうが)ともいうとあるので、「妲」は誤植である。漢の文帝の諱(いみな)である「恒」と旁(つくり)が共通な「女亘」を避け、漢人が「女亘」(こう)を「女常」(こう)に書き改め、俗字として用いた。後世には「嫦」を「じょう」と読むようになった。 

 ※
「女亘」もパソコンでは漢字1つで出せない。「妲はパソコンで出る。このことが雑誌で誤植の原因かもしれない。


月の嫦娥伝説は、日本の「かぐや姫」型伝説のルーツである。

中国初の月周回衛星「嫦娥1号」(2007〜9年)の由来はもちろん、
この嫦娥伝説に基づくものである。


 嫦娥は人名であるから、嫦峨と書くのは間違いである。

「峨」は山の高く険しい様を表す漢字で、全くの別字である。

おそらく、昭和22年に地名調書の提出を求められた室津村の担当者が、人名の嫦娥に由来する山名を、不注意にも「嫦峨山」と誤記したのだろう。
昭和42年御津町役場作成の地名調書にも「嫦峨山(じょうがさん)」と誤記された理由は不明だが、御津町と室津村は合併以前も以後もつながりが弱く、御津町役場では室津村のことはよくわからないので、古い地名調書の記載を踏襲したというのが真相ではないだろうか。こういうケースを典型的なお役所仕事という。地元で山名表記の確認作業が行われていたら、現在のような状況は生まれなかったことだろう。残念である。

山が険しいから「峨」を用いたのではなく、
単純なミスである。


室津では、誰もが「嫦娥山」と書いて、疑う者はいない。


 筆者は、地元で聞き取り調査(平成21年11月1日、室津海駅館および賀茂神社で老若男女に聞いた)をして確かめている。

室津では、みんなが、異口同音に
「嫦娥山」が正しいという。
 そもそも、
地形図に「嫦峨山」と書いてあること自体、まったく知らないというのである!


次のレポートが掲載された。116号以降は市販されず、会員配布の雑誌となったが、バックナンバーは入手可能。
(バックナンバーについては、新ハイキング社あてに問い合わせていただきたい。2014年9月現在、入手可能)
「航空灯台のあった山B 嫦娥山」 (『新ハイ関西』118号、平成23年5・6月)

 
なお、嫦娥に由来する地名には、次の二つがあるようだ。

 ○嫦娥島(じょうがじま)(壱岐市、浦島太郎の竜宮城伝説が残る島)
 ○嫦娥岳(じょうがたけ)(伊那市、南アルプス北部、標高2047m)



(追記)国土地理院の地形図での表記はかつて「嫦峨山」であったが、筆者が国土地理院近畿地方測量部に対して、多くの資料を添えて修正を要望したことによって、現在では、「嫦娥山」に修正されている。いくつかのサイトで、修正されたことが報告されている。


(2014年9月24日、追加)

 歴史教室には、
嫦娥山は、古くは「尉ヶ山」と書かれていたという興味深い記事がある。参照されたい。

 尉(じょう)・・・国字@四等官で、兵衛府・衛門府の第三位。A能楽で。老人をかたどった面。B炭火の消えたあとに残る白い灰。
 尉(じょう)・・・〔能楽で〕白髪の、老人の男性。おきな。(白い灰になった炭火の意にも用いられる)
 尉(じょう)・・・@男の老人。また、能の翁(おきな)の面。A炭火の白い灰。

 したがって、「尉ヶ山」とは、「翁の山」「白髪山」という意味となろうか。
 そして、「尉ヶ山」→「じょうが山」→
嫦娥山」と変化したということが考えられる。



(2015年1月5〜7日、追加)
7.朝倉ユリ「霧の航空燈台」(ビクター)について 

 インターネットで、航空灯台について検索していて、朝倉ユリの歌う「霧の航空燈台」という流行歌があることを知り、その曲の収録されているEPレコード(VS-152、45回転)を2014年12月に入手でき、再生・録音もできた。フランク永井の「夜間飛行」と一緒に収録されている。この「夜間飛行・霧の航空燈台」のレコードには、SPレコード(V41872、78回転)もあり、ほぼ同じ頃に入手できたが、盤面の傷がひどく、再生は試みなかった。

その歌詞は次のとおりである。


もちろん、上のEPレコード(シングル)(1958年11月)は絶版であり、中古盤で聞くしかない。歌詞は魯人ブログ 霧の航空燈台も参照されたい。

「霧の航空燈台」は、フランク永井のLPレコード(アルバム)「高度一万米」(1959年)(フランク永井 mixiコミュニティ参照)にも
収録されているが入手困難だろう。

『高度一万米』 LV 62 (1959年) 
1.高度一万米 /フランク永井
2.霧の郵便飛行 /フランク永井
3.霧の航空灯台 /朝倉ユリ
4.羽田発7時50分 /フランク永井
5.夜間飛行  /フランク永井
6.東京エアーライン /藤本二三代
7.花のスチュワーデス /築地容子
8.札幌発最終便 /フランク永井

「高度一万米」の8曲すべての歌詞は、2015年1月に古書として偶然見つけた、「LP(エルピー)歌のカーニバル」(平凡8月号別冊第1付録、昭和34年8月5日発行) の66〜73ページに掲載されていて、「霧の航空燈台」の歌詞(ふりがな付き)は、68ページにあった。

(表紙)    (66頁)


(68頁)

1番のみ、次の mp3形式(mp2) で紹介する。Windows Media Playerがあれば、このサイトに入れば自動再生されるはずである。