BGMは、第22回紀念祭九大寄贈歌「筑紫の富士」。遠く九州から向陵を偲ぶ詩情豊かな曲である。
梅は、もともとは中国原産の外来の花ですが、万葉の昔から日本人に愛されてきた代表的花木のひとつです。江戸時代からは梅の果実を染料として使用するために実用的な梅の栽培が盛んになりました。それとともに品種改良が図られ、観賞用にも園芸品種が多数、生まれたようです。現在も梅は、その実が梅干・梅酒という保存食に利用されるだけでなく、その花は、多くの人に愛され観賞されています。 私が訪ねた梅の名所から、東京・池上梅園の梅、京都・勧修寺の「臥龍の老梅」、京都・清涼寺の「軒端の梅」、京都・随心院の「はねずの梅」、奈良・月ヶ瀬梅渓の梅、京都・北野天満宮の梅、小田原・曾我梅林の梅、水戸・偕楽園の梅を紹介します。 (追加)松島・瑞巌寺の紅白の「臥龍梅」、静岡県熱海の「熱海梅園」を追加しました。 |
池上梅園の梅 |
池上梅園は、池上本願寺の西にあります。丘陵斜面一面に30種・370本の梅が毎年1月上旬から3月上旬までの2ヶ月にわたり白梅・紅梅の花を咲かせます。もともとは個人の所有(画家伊東深水や料亭経営者の別邸)でしたが、今は東京大田区の施設となり、一般に公開されています。よく手入れがなされ、綺麗という意味では、一番のおすすめです。 |
勧修寺の「臥龍の老梅」 |
真言宗山階派の大本山勧修寺には、江戸時代にこの寺に移植されたという「臥龍の老梅」の名を持つ梅の名木があります。すでに幹は枯れていますが、根が生きているのでしょう、新しい枝が生じ、早春には枯れ幹の上に花が咲きます。山高の神代桜と同じく世代の交代中なのでしょうか。最後の力をふりしぼって、新しい生命を生み出している姿を眺めていると、なぜかしら人の心をうつ梅の老木です。 この寺には氷室池を中心に池泉回遊式庭園があり、夏には池の睡蓮が美しい花を咲かせます。左側の写真で、後ろのほうに観音堂が見えますが、そのあたりが池です。 |
清涼寺の「軒端の梅」 |
「嵯峨の釈迦堂」として知られる清涼寺には、和泉式部が好んだという「軒端の梅」と名付けられた老梅があります。普通の白梅・紅梅とは異なり、花弁が5枚以上あり、たいへん珍しい梅だそうです。樹齢350年余で、幹も多少傷んでいますが、早春に深赤の花をつけます。 |
随心院の「はねずの梅」 |
真言宗小野流大本山随心院は、謡曲「通小町」で深草少将が小野小町のもとに通いつめたという伝説の舞台の跡地にあります。この寺の一画に400坪程の小野梅園があり、「はねずの梅」(”はねず”とは、薄紅色のこと)が一面を埋め尽くして咲きます。この梅は遅咲きで、桜の蕾がほころぶ頃に満開となります。「臥龍の老梅」で有名な勧修院とは、バス通りを挟んで場所的に近いのですが、花の時期に違いがあって一度に見ることが出来ません。帰りに、近くの醍醐天皇後山科陵にお参りして帰りました。 | 小野小町化粧井戸跡 |
月ヶ瀬梅渓の梅 |
月ヶ瀬梅渓の梅樹は、もともと烏梅(紅染めに欠かせない媒染剤)製造のために植えられたものです。真福寺「琴若の梅」の説明板によれば、1331年の後醍醐天皇笠置落城の際、真福寺に逃れた女官の一人が、村人に助けられたお礼に烏梅の製造方法を教えたといいます。月ヶ瀬梅渓は、18世紀の後半、梅林の広がるにつれ、全国的に知られるようになりました。この地を訪れた頼山陽は「和州の香世界を観るに非んば人生何ぞ梅花を説く可けんや」と絶賛しています。この梅林の梅樹の数は、現在、渓谷の両岸に1万本といわれています。 芭蕉 はるもやや けしきととのふ 月と梅 |
北野天満宮の梅 |
北野天満宮の祭神は、「東風吹けば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだ菅原道真公、約2万坪の境内には50種・2000本のゆかりの梅があります。紅梅、白梅、一重、八重等の順に咲き始め、2月中旬から3月初旬までが最も美しい時期といわれています。 |
曾我梅林の梅 |
梅祭りでのヒョットコ踊り |
小田原・曾我梅林は、別所梅林、中河原梅林、曾我原梅林の三梅林からなり、広さは90ヘクタール、3万本の白梅が植えられ、小田原梅の産地となっています。この梅林からは富士山がよく見えるということでしたが、あいにくの天候で富士山は見えませんでした。この地は、あだ討ちで有名な曾我五郎十郎兄弟の育った地で、菩提寺の城前寺始め神社仏閣の多いところです。 | |||
瑞雲寺の梅 |
曾我兄弟の墓 |
水戸の偕楽園の梅 |
好文亭より小雨煙る千波湖を望む |
水戸の偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三代名園のひとつです。園内には100種・3000本、南側の田鶴鳴梅林には別に1000本の梅が植えられています。 雨やんで林なおうるおい |