BGMは、二高「波の唄」、副題にー海の勇者を悼む 1934年12月28日 松島湾の鬼と化せる若き友に捧ぐーとある。

瑞巌寺の臥龍梅と船岡城址・白石川堤の桜

瑞巌寺の臥龍梅

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 平成20年4月12日長年の夢であった瑞巌寺の臥龍梅を見るために宮城県松島に行った。この臥龍梅は、紅白一対、瑞巌寺上棟(1609年)の祝に、伊達政宗がお手植えになっともので、朝鮮出兵から引揚げる時に、甲を鉢にして持ち帰ったものという。爾来400年、紅白の梅は、毎年4月10日前後に八重の花を咲かせ、政宗在世の頃と変らない甘い香りを境内に漂わせる。
 *政宗が持ち帰った臥龍梅は、もうひとつ仙台市古城2丁目・宮城刑務所内に植わっているという。この地は、もともと仙台伊達藩の下屋敷があったところで、明治になって国の所有になった。臥龍梅の2代目で樹齢は200年余という。この臥龍梅を見るのは、刑務官になるか、あるいは罪を犯して囚人とならないと無理のようです。

 中門を入って右に紅梅、左に白梅が植わっている。
 案内板によれば、ともに八重咲きで、花弁は20数枚、雌蘂7〜8本、雄蘂7〜80本で、実を7〜8個鈴なりにつけるので、別名「八つ房の梅」ともいうそうです。
 「臥せた龍」に似ていることから臥龍梅と名づけられた。 
 紅白共に樹齢は約400年とかなりの老樹である。何十本という支柱に支えられ、注意して見ると幹は割れ、大きな穴が充填材で補修されているのが分かる。 
 大きさは、白樹で、幹の周囲2.3m、高さ8m、東西19m、南北14mである。
 
   「二高十英霊碑」、瑞巌寺山門を入り、右側に並ぶ岩窟群の最初に建つ。
 二高端艇部7名、東北大学先輩3名は、石巻遠漕の帰途、昭和9年12月18日、鯨島沖で遭難、全員海底に沈んだ。
 せめてもの追悼に、松島海岸に出て、「海鳴り遠く、また近く・・・・・」と海に向って歌ってきました。
 

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