旧制第一高等学校寮歌解説

征露歌

明治37年2月 

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1、ウラルの彼方(かなた)風あれて  東に翔ける鷲(ひと)
   渺々遠きシベリアも    はや時の間にとび過ぎて

 2、明治三十七の歳      黒雲(くろくも)亂れ月暗き
   鷄林の北満洲に      聲物凄く叫ぶなり

 3、あゝ絶東の君子國     蒼浪ひたす一孤島
   銀雪高し芙蓉峰      紅英きよし芳野山

 4、これ時宗の生れし地    これ秀吉の生れし地
   一千の兒が父祖の國   光榮しるき日本國

 5、荒鷲今や南下しつ     八道の山(あと)に見て
  大和島根を衝かむとす    金色(きんしょく)の民鋒とれや

 6、十年の昔大丈夫が     血潮に染めし遼東の
   山河欺き奪ひてし      あゝその怨忘れめや

 7、北州の北熊吼ゆる     サガレンの島これ昔
   わが神州の領なるを    奪ひ去りしも亦彼ぞ

14、貔貅忽ち海を越え      旅順ダルニー蠻族の
   血潮に洗ひ遼東の     山河再び手に収め

15、朝日敷島艨艟の       精を盡して浪を蹴り
   露西亞艦隊葬りて      翠波おさまる日本海
  
*「おさまる」は昭和50年寮歌集で「をさまる」に訂正。

16、砲火に焼かむ浦鹽     (かばね)積まむハルピン府
   シベリア深く攻め入らば   露人も遂になすなけん

19、忍ふに堪へぬ遼東や    又サガレンやアムールや
   あゝ残虐の蠻族に      怨かへさむ時至る

20、金色の民いざやいざ     大和民族いざやいざ
   戰はむかな時機至る     戰はむかな時機至る

譜は「アムール川の」の譜の借譜である。


語句の説明・解釈

「日露間の外交交渉が断絶、陸軍先遣部隊仁川に上陸を開始し、連合艦隊が旅順港外のロシア艦隊を攻撃、日露戦争が始まったのが明治37年2月8日であった。当時、一高2年に在学中だった熱血漢で弁論にたけていた靑木得三が、さっそく筆を執って詠んだのが20節にも及ぶこの長歌で、・・・・・・・・・・。その熱気に溢れた愛国の情が一高生のみならず国民一般の共感を喚び、本歌は非常な反響を捲き起こしたと伝えられる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
           
語句 箇所 説明・解釈
渺々(びょうびょう) 1番歌詞 広くて果てしないさま。渺茫
鷄林(けいりん) 2番歌詞 (「三国史記」に新羅の脱解王が城西の始林に白鷄が鳴くのを聞いて始林を鷄林と名付けたという故事から)新羅の別称。転じて朝鮮の異称。
紅英きよし芳野山 3番歌詞 吉野山の桜は、ほとんどがシロヤマザクラといわれる山桜である。名前は「シロ」だが、「櫻眞白く」と謳われた本郷・一高自治寮の桜(染井吉野?)よりは、ピンクの色は濃いのだろう。「英」は、はな、はなぶさ、のこと。富士山の「白雪」と吉野山の「紅花」を対比(「嗚呼玉杯」2番ー芙蓉の雪の精をとり芳野の花の華を奪ひ)。18番にも同様の「富士の高嶺の白雪や 芳野の春の櫻花」とある。「吉野山の桜」については、このホームページの「桜の名所」をクリックして下さい。
これ時宗の生れし地 これ秀吉の生れし地 4番歌詞 蒙古襲来を退けた鎌倉幕府執権北条時宗、征明を目的に大陸(朝鮮)に侵攻した豊臣秀吉の生れた国、すなわち日本。
荒鷲 5番歌詞 ロシアのこと。1番の「鷲」も同じ。
八道 5番歌詞 日本の八道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道・北海道)か、朝鮮の八道(京畿道・江原道・咸鏡道・平安道・黄海道・忠清道・慶尚道・全羅道)か? ロシアは「朝鮮に進出して、次は日本を狙っている」とみれば、「八道」とは「朝鮮」のことである。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、東海道等の日本と解説しているようだが、疑問。
十年の昔大丈夫が 血潮に染めし遼東の 6番歌詞 明治28年、日清戦争で遼東半島が日本に割譲されるが、極東進出を狙うロシアなどの三国干渉で清に返還を余儀なくされた。ついで明治31年、ロシアが25年の租借地とする。日本は、「臥薪嘗胆」をスローガンに掲げ、ロシアに報復を誓った。
サガレンの島これ昔 わが神州の領なるを 7番歌詞 「サガレン」とは、欧米での樺太・サハリンの旧い呼び方。ツングース語に由来。樺太には、先住民としてニヴフ・ウィルタ・アイヌが居住し、近世清国に朝貢していた。1790年松前藩がシラヌシに運上屋を設置、1807年、幕府の直轄領となり、1809年に北蝦夷地と命名した。ロシアの樺太進出はこれより遅れ、1853年のネヴェリスコイによるクシュンコタン占拠以後のことである。はじめ日露の国境が定まらず雑居地とされたが、明治8年、樺太・千島交換条約によりロシア領となる。その後、明治38年、日露戦争の勝利により、北緯50度以南が日本領となり(ポーツマス条約)明治40年に大泊(コルサコフ)に樺太庁を置いた。
貔貅(ひきゅう)忽ち海を越え 旅順ダルニー蠻族の 14番歌詞 「貔貅」とは、古く中国で飼い馴らして戦に用いたという猛獣。貔は雄、貅は雌。転じて勇猛な将士。つわもの。ここでは、日本陸・海軍のこと。明治37年2月4日、御前会議で対露交渉を打ち切り、開戦を決定するや、8日に陸軍部隊は仁川に上陸、連合艦隊は旅順港外の露艦隊を攻撃、9日には仁川の露艦2隻を撃破した。露に宣戦布告したのは、翌日の10日のことであった。ダルニーは、露命名の大連の旧名。蠻族とは、ロシアのこと。
艨艟(もうどう) 15番歌詞 [南史蔡道恭伝]いくさぶね。朝日・敷島は日本海軍の主力艦(当時)。排水量・トンは、朝日15,443トン、敷島15、088トン、速度・砲(口径×門数)は、両艦18ノット・30×4、15×14である。日清戦争後の海軍拡張計画(ロシア海軍に対抗するための所謂「六・六艦隊の整備」、敷島は第1期、朝日は第2期)により甲鉄一等戦艦としてイギリスの造船所で建艦された。日露戦争には旗艦三笠の属する第1艦隊第1戦隊に所属して参戦。ところで、この歌では、何故、最新鋭の連合艦隊旗艦「三笠」でなく、「朝日」「敷島」なのでしょうか? (敷島も朝日も、常備艦隊「旗艦」の経験はあるが。) 戦艦朝日の水雷長広瀬武夫中佐が、「杉野は何處?」と旅順港閉塞中に爆死したのは、明治37年3月27日のことである。
アムール 19番歌詞 明治34年東寮寮歌「アムール川の流血や」のアムール川(黒竜江)。
明治33年7月16日、ブラゴヴェシチェンスク事件。黒竜江・アムール川流域のロシア人と清国人が混住する地域で、コサック兵が清国人3000人を岸辺に集め虐殺し川に突き落とした。
同年8月2・3日、愛琿事件。兵力2,000が黒河鎮に渡河上陸、清国人を大虐殺した。

 上記のような残忍非道な事件を起こしたロシアを「あゝ残虐の蠻族」と詠んだのである。
金色(きんしょく)の民 5.20番歌詞等 白色人種に対し黄色人種を「金色の民」といった。金髪のことではない。
            
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 『アムール川』は一高に入ってぶち当たり、覚えるのに苦労した。大正5年というと、日露戦争に勝利してまだ十年、巷には広く喧伝され、毎日来る酒屋、魚屋等のご用聞は『明治三十七の歳』などと口吟さびながら『今日の注文は』と威勢よくやってくるのが、面白かった。・・・・・。後世、応援によく『戰はむかな時機至る』を歌ったが、これも征露歌がはやらなかったら、こう見事には取り上げられなかったろう。その『戰はむかな』であるが、昭和4年の『全寮晩餐会』で、亀井高孝先生(明治39)が壇上から、『皆、時機をジキと歌っているし、それで正しいのだが、応援のことでもあるし、トキと歌い易くしてよいのではないか」と発言され、一年生の私は一つ智識を得たし、その後『トキ至る』と歌い続けている。 「寮歌こぼればなし」から

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