【廃墟マニヤ File014】
D二海堡(千葉県)
(その3)
なんかサボテンっぽい植物が生えてました。環境が過酷なのか植生が違いますね。
船着き場は、ほぼ島の中央にあるので、まずは右手(東側)へ行ってみることにします。
東の端の方。土台が崩れていました。この当時、まだ鉄筋コンクリートという技術がなかったため、破断面に鉄材が見られません。
このあたりの崩壊は、おそらく関東大震災による被害ではなく、長い歳月に渡る浸食・流失による地形の変化によるものだと思われます。
鉄の扉がいい感じの色になっていました。中に入り込むことができそうな場所もあるのですが、ちょっと怖いのでやめておきます(崩落はともかく、酸欠とかガスが怖いので……)。
東端に出ました。出入口っぽいところが見えたので潜り込んでみたのですが、強度的にちょっと危険な感じが……。
上の写真の奥側。軍関係の施設に行くとよく見る配置ですね(第二次大戦時のものはコンクリートの場合が多いですが)。
千葉方面にはD一海堡と富津の展望台が肉眼で見えました。
どうでもいい話ですが、富津の展望台は五葉松をかたどったもので、無意味なほど高く、上に立つと股のあたりがイヤ〜な感じになるのは私だけではないと思います(ちなみに一時期改修工事を行っていましたが、現在は登ることができるようです)。
D一海堡、D二海堡、D三海堡の間隔はおよそ2.5kmとのこと。これは、これら海堡の建造計画時の砲の射程がおよそ3000mだったためでしょう。
あちこちに窓らしきものがありますが、すべて閉ざされていました。
(続く)
(この頁最初へ)