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2005年2月10日(木)
約束


この頃、嬉しいことが多い 体調はこんなに好調が続くと治ってしまうかと思うくらい良いかと思えるし、ルンルンだ 

昨日、新聞屋さんがゴッホの展覧会の券を届けてくれた 初めて勧誘に来た時に「今度お持ちします、と言って今まで持ってきてくれた人はいなかった」と絵の好きな私は勧誘員に嫌味を言った、そうしたら、帰ってすぐに持ってやって来た 「デパートのなのですが・・」と小さくなりながら・・ 私はその誠意に一応契約した 

そして、今度はゴッホ 持って来た本人まで嬉しそうに胸張ってやって来た ポスターまで付けてくれて、私は大好きなゴッホに大喜び 

これじゃ、しばらくはココの新聞だ 私はずっと読んできた新聞が好きなのだが、販売店のあまりの横柄さに変えた 新聞は何故販売店を選べないのだろう、いくら配達があると言っても・・



2005年2月9日(水)
スケッチブックの効用
   


まだ山を歩かない頃、ひとりで公園でぶらぶらしたり、ランチ食べるのが好きだった でも、中年女一人と言うのは、浮いているようで落ちつなかった 

そんな時に、スケッチブックひとつ抱えると急に様になる気がしてのんびり出来た ぼんやりしていることもあるが、時々はスケッチもする 

秋のお天気の良い日、私がスケッチしている所を覗きこんできた女性2人組みがいた 何となくオシャベリしていて、私はその2人を各々スケッチしてあげた その後、その2人からお礼状と写真が届いた スケッチは額に入れ飾りましたとあり、気軽なものだけに恥ずかしかったが、嬉しかった

そして5月の藤の花の季節、2人に招待されて、館林の多々良沼公園で藤見をして遊んだ また、私の作品の出ている展覧会に来てくれるようになった


この頃、また体調がよくなって来た スケッチブック抱えてお天気の良い日出かけようかな・・



2005年2月5日(土)
プログに変えようかな?


HPビルダーの日記、どうも上手く機能しない 長くなっているので、ページを分けたいのだが、それをするといつもおかしくなり、後でリンクを散々いじることになる

今朝もそれをやり、一日分の日記は何処かに消えてしまった 

プログって使い勝手はどなのだろうか? 書いても混んでいて書き込みできなかった、なんていうのを読むとそれは面倒だな、と思ってしまう

惹かれるのは、料理、生活、山などと、分けられることだ 自分でも後で便利だが、人のプログでその機能を楽しく使っている 




2005年2月3日(木)
振袖


今日もまた振袖の販売が来た 娘が来年成人式なので、昨年から振袖の売込みが激しい

娘は、以前は着たいようなこと言っていたのに、昨年秋に下宿してから「私はいらないよ、下宿にいっぱいお金かかって大変なんだから・・」と言う それでも、着たいなら着せてあげたい親心、どうしようかと考えていた お正月に帰宅した時に、「お金くれるならそれの方がいい、車の免許取りたい」と来た 「どうせテスト中で、式の翌日がテストなら式には出られないから・・」とも言う

まあ、本人がそういうならやせ我慢だとしてもそれも良いだろう・・ 下宿はさせないと言った父親に、どうにか許しを貰い下宿した娘はとても慎ましい アルバイト始めたのだから、もう少し贅沢しても良いのに、と親が思うほどだ お金は天下の廻り物、ケチケチ溜めるより、何処では贅沢して欲しい 慎ましく育った私だが、その後の浮き草稼業でお金は楽しく使うのが好きだ



2005年2月2日(水)
地図をたのしむ


私は昔から道路地図見る事が好きだった 地図を読めない女という本があったが、私は地図は逆さににしなくとも頭の中がくるりと逆さになるので困らない

そんな私は、山に行けなくなってから、人の山レポ見ながら地図を辿るのが楽しみなった 山の地図は、立体的に見える分ことに楽しい この稜線は景色きれいだろうな、最後がこの登りじゃきつそうだなとか、この人この小屋まで行ったのか!と感心したり、いろいろ想像する そして、レポにある写真みて広域地図を広げ、遠くに見える山まで考えるのが楽しい

自分が山を歩いた頃は歩くのに夢中で、行く前に時間をチェックしたり、私の分担になっていた磁北線を引くくらいで、山の姿など想像したこともなかった 遠くに山を見ても、自分がどこの山を見ているかさえも分からなかった 今思うと、なんとモッタイナイことしたのかな、と思う

今、歩けるようになったら最初に歩こうと思っている丹沢の地図を広げている 表尾根縦走は無理だな、何処くらいなら歩けるのかな?と地図を見ながら考える

ちなみに、私は地図からどこかに行くのは苦労しないのに、凄い方向音痴だ 特に暗い所から出たり、ビルの違う口から出たら、すぐに迷う 頭の中に地図が描けないとダメなんです お日様が出ていないと魔の時間になる
 



2005年1月30日(日)
幸運・雪の銀閣寺


3年前の冬、仕事で京都に行った その時もう一泊したら、翌朝山科は吹雪いていた

遅い朝食を摂っているうちに日が射して来た、私たちは雪の銀閣を見たいと出かけた まだ人影もまばらで、雪の銀閣寺は美しかった ひと回りして出てくる頃には雪が溶け始め、入って来た時のような緊張感が、景色になくなっていた 

京都に住む友だちに、私だって雪の銀閣見たことないよ、と言われた 冬になるとこの時の京都を思い出して行きたくなる 

ちょうど今の時期なので、ガラガラの金閣寺とか竜安寺石庭も交えてレポ作ろうかな・・

2005年1月28日(金)
お茶


昨日、電車の乗り継ぎも悪く疲れきって帰宅した うがいをしていたら、義母がやって来た

「歯磨きしているんじゃお菓子は食べない?美味しいのがあるから一緒に食べようと思って・・」「今、帰って来たところなの、疲れているから少し寝ようと思って・・」と言うと、私を待っていたような母がたまらなく寂しそうで「少しの時間だけ、お茶だけ飲む?」と招き入れた

甘いミルクティーを淹れて座ったのだが、疲れていて喋る気力もない 私の顔見て、寝た方がイイヨ、と義母は早々に帰った 

普段の私ならこんな体調の時に相手しなかったと思うが、娘と遊んでたっぷりオシャベリして、お互いを甘やかしあって来た後には、義母にも幸福分けたかった 

義母にもすぐ近くに娘が住んでいるが、忙しいフルタイマーで寄り付く暇もなし 子供が小さいころは子供を預けていたので毎日来ていたが、義母が必要でなくなった時にはもうほとんど来ない 娘だって、忙しければこんなもの 私も、今は娘のお財布だから寄り付くのかな・・



2005年1月25日(火)
思いついて


そうだ・・ 冬山用のダウンジャケットがある、あれならふかふかで軽くて暖かいからあれ来て行こうと、早速出してみた

すると、昨年以来ぎゅっと小さく畳まれていたダウンは、しっかり圧縮されてこのとおりシワシワ・・ たっぷり霧を吹いてみたがどうも簡単にはシワは取れなそう・・ 雪山なら、気にしないけれど、街ではこのシワじゃ着ては歩けないよ



2005年1月25日(火)
寒いと困るな

明日は検査でお茶の水に行き、その後は娘と[映画ベルリンフィルと子供たちを渋谷で観る予定だ それなのに、今日から寒いなんて・・

実は、私は微熱が続き寝たり起きたりしているうつに10キロ近く太ったので、着るものに困っている でも、どうせ医者にくらいしか行かないので、
この体型に合わせたもの買うのは嫌な女心 未だに、どうにか無理して間に合わせている次第だ 薄手のコーとは着られるけれど真冬用の暖かいコートはきついのだ 諦めて、明日は一枚ゆったりした暖かそうセーターでも一枚買おうか・・・・・



2005年1月24日(月)
絵の話


今まで、HPで展覧会の話は出ても絵の描き方みたいな話はしたことなかった

それが小さなきっかけで絵を描く話になり、絵を描いている方にメールで細かいアドバイアスをした

アドバイスって、その人の先生絵とか尊敬している絵描きさんとかではないと、とても難しい・・ 信頼関係というものがないから、たいては鬱陶しいか、余計なお世話になる

今回は、求められてなのでだいぶ気は楽だったが、どう感じるかが気にはなった 

でも、生徒にもいい生徒と言うのがいるように、聞くのが上手な人もいて、この人にならこれからもしてあげたいし、これからの絵を見て行きたい、と思った



2005年1月24日(月)
大町便り


2005年1月22日(土)
批評と経歴


人の絵を観て、こうすればもっともっと良くなるのにな〜と思うことが多い でも、アドバイスが好まれないことは知っているので、今までしたことはなかった そんな私が、この間ついやってしまったが、やはり凶と出た

これなら、HPに見たい人だけが見る「絵の描き方」のページ作ろうかな、と考える その時に、経歴が何もないと誰も認めないと思う 女子美卒、その後画廊勤務、と、入れようか・・ 

でも、私自身がそんな経歴は、絵を観る目には関係ないことを知っている 絵を観る目はたくさんの良いものを観てきた事とそれへの努力 私の場合は、やはり彫刻制作してきたことが大きい 3次元の世界に浸った人間には、2次元の世界のデッサンはとてもよく見えてしまう 色や構成はデザインをやった事が大きい これは逆に、ポスターなど平面しかないものは、色と構成でしか勝負できないからだ 

何にしても、ちょっとの事でぐっと良くなるのが分かるものを放っておくのは忍びない


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2005年1月20日(木)
子供に本物を


いろいろな事やいろいろな言葉、その時には理解出来なくても、後になり、ああ、あれはこういうことだったのか・・と分かることがある 

私は、中学2年生の時に日本美術史を、3年生で世界美術史を学んだ 後から思うと、あれは美大生相手に通用する授業だった 中学生だから分からないだろうとか、観てもわからなそうな子供だから、と言う手抜きはいっさいなかった

その先生が毎回の授業で、色々なお寺や仏像の写真を見せてくれた 「良いだろう、素晴しいね〜!」と、先生は自分で眺めて自分が感激していた 「僕はね〜、焼ける前の法隆寺の壁画を観ているんだよ!!!」と、よく自慢した それを聞くその頃私は、「こんな仏像の何処が良いんだろう?先生としては、美術の先生だもの、良いと言わない訳にはいかなんだろな・・」と思う、可愛げのない生徒だった

そして、中学3年生の修学旅行で京都奈良に行った 薬師寺で、西塔の跡の水溜りに映る東塔を見て、身体に稲妻が走るような衝撃を受けた(今は西塔が再建されています) 「先生は本当に良いと思っていたんだ・・ 本当に凄い!」 先生の言葉が本音であることを知った

この先生は、日展の審査委員をしている凄い先生だと大人の噂には聞いていたが、その頃の私にはそれがどんな価値なのかは分からなかった でも、先生の言葉が本物であることは分かった この先生の元から、美術系に巣立った生徒が多い 私もこの先生でなかったら、美術に進んだかどうか分からない

今でもクラス会をすると、絵など興味なさそうだった、あの頃のやんちゃ坊主が、「Vちゃん(先生の愛称)には会いたいな〜」と懐かしがる 絵を愛し、生徒を愛した先生のことは、生徒たちはいつになっても忘れない

これは、MINMINさんの「高校の授業」という文を読んだ時から、いつか書いておきたい思っていました

http://minminsroom.cocolog-nifty.com/webdiary/cat1578653/index.html



2005年1月18日(火)
感想


山の好きな人には、写真や絵の好きな人が多いのだろうか・・ HPで、スケッチを見ることも多い みな、それぞれに好きな物描いている思いがあり、とてもいい 

ただそんな時に、「ああ、いい指導者が付けばウンとよくなるのに・・」と思う事が多い ここを注意したらぐっと良くなるのにと思うと、余程言おうかと迷う でも、今まで言ったことはなかった

私に指導を求めている訳ではないし、大抵の人は褒められるのは好きだが注意されるのは嫌いだ・・ 私とて、そんなこと分かっているよ、と思うことがある だから、絵の良い点は褒めても、注意すべき点を指摘することはまずしなかった

先日ある掲示板で、仲間に苦言呈し注意をしている言葉を見た 羨ましかった・・ 大人になると、嫌がられるのが分かっているから、気づいていても誰も注意などしてくれなくなる

そんなこともあった為か、あまりにセンスのある人だったからか、ある掲示板で初めて絵の感想以上のことをしてしまった これは吉と出るのか凶と出るのか・・



2005年1月15日(土)
こんな風にして欲しかった


昨日は、ドキドキしながら行った病院だった ああ、患者はこうやって欲しかったのよ、という扱われ方をした

今までの状態を、丁寧に時間を気にせず聞いいてくれた 私の症状は、この先生とてこれと思えるのがなかった でも微熱の出る可能性あることを一つ一つ説明してくれ、それらの検査をして行くことになった すべて同じ先生から指示が出され、日程も患者が楽なように調整してくれた 

今まで受診すると、○科は○科、x科はx科となり、患者はすべて検査も検査結果を聞くのも、別の先生に別々に受診しなければならなかった 状態説明も、すべてまた繰り返さなくてはならなかった 

今回、突き放されずに色々な検査できることは嬉しい でも、一番嬉しいのは、これでもう何処の科を受診したらよいのかと悩まずにすみ、また私には後ろに付いていてくれる先生がいるというのがなんとも嬉しい

2月末に今回の全ての検査結果が出て、今後を相談する予定になっている 「何もないといいわね〜」、と先生は言い、私はどんな結果でもハッキリしたら良いと思っている

2005年1月13日(木)
暖かい顔に出会えるかな?


お正月以来体調がすぐれず、今週末のクラス会旅行はやっぱりリ欠席にした 成人式の3連休は熱が上がり胃は気持ち悪く、あまりに苦しくて、旅先でこんな状態になったら大変と思えた

明日、J病院に行く 女性専用外来の予約が取れた 私の状態は女性特有の病気とは思えないが、とにかく内科から膠原病、婦人科全て含めて相談に乗ってくれるという嬉しいふれこみだ 本当にここでなら、なんでこのくらいで来た、という顔はされずにすむだろうか・・

写真は、曇ればたちまち氷点下になるという大町からです

2005年1月7日(金)
寄付ってむずかしい


我が家の息子は11月20日生まれ、両方の実家の初の男の孫だったからそれは大切にされた 11月の誕生日には必ず贈り物がある

毎年その後の12月になると、募金が始まる 私は息子の贅沢さを思うと、食べ物さえない地域の子供のたちと比べ、同じ子供として生まれたのにと気になった

夫は、アフリカなどで今の子供たちが育ち、また子供を生むとますます貧しくなる 悪循環だから、自分は寄付は嫌だと言う 私は女だから、生まて来た子供たちが死んでいくのはたまらない 私が個人的にすることは構わないと言うので、家計費からではなく、自分のお金からしていた

今また違う形だが、スマトラ沖地震でおきる2次被害など見ていられない 夫とTVを観ていたら、xxさんがxx寄付、○○さんが○○寄付と言っている、それを、あのくらい稼いでいるのに水分少ないな、など言うので、あなたはいくらたの?と尋ねたらゼロ・・ 

皆が口では気の毒と言うけれど、寄付ってしようとは思っても案外できないでいる  たとえ1円でも、それが100万人集まれば100万円だからしないよりずっといいと思っている

2005年1月6日(木)
クラス会旅行


今夜、来週のクラス会旅行、やっぱり出席は無理と幹事に電話した そうしたら、クラス会メンバーから次々に電話があり、ドタキャンしても良いからと言うことで行くことになってしまった

私が体調悪いことなど誰も気にしないから暗くなどならない、出てきて気分転換した方が良いと、出席を勧められた 甘えても良いメンバーなので、私も心が動き無理しても行きたいと思った




2005年1月4日(火)
迎春


遅くなりましたが、明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いします

このお正月は体調が悪くて、お正月早々に悪い話などしたくないしネットから離れていました

それでも、今日は明日帰るという娘の買い物に付きあわされ、夕飯は娘のリクエストに応えるという親ばかぶりです

そんな時に、友だちから久しぶりの電話があり嬉しくなりました 賀状に体調不良のこと書いたので、心配して電話してきました 私より20歳上の友だちに私の身体を心配させていては話にならないけれど・・ 

会いたい人とは無理しても会っておく、今の私は本当にそう思います 具合悪くなって考えると、そんな時にでも、会いたい人って少ないものだな、と思います 



2004年12月31日(金)
娘の帰宅を待ち焦がれる


ウチの子供たちは、とても指圧が上手だ 娘が家に居た頃は、肩こりのひどい娘とお互いによく指圧をしたものだ 息子も上手いが、この方がよく効くとゴリゴリ押し腰は押してくれないので、娘の指圧が良かった

今肩の痛みに苦しむ私は、娘に指圧してもらったらどんなに楽になるだろうと良く想像していた

そして今、30分以上娘が指圧してくれた まるで、私の身体ではないようだ・・ 娘に、この身体で何故プロの所に行かなかったのかと言われた 今年が、至福の時間で終わる 




2004年12月30日(木)
なが芋


この写真でわかるだろうか・・ 緑色の物がマッチ箱、長〜いトロロ芋だ 今日、これが3本入りで送られて来た

以前これほど立派ではないが、毎年ネギ&トロロ芋を送ってくれる人がいた 深谷はネギと共にトロロ芋も産地だ ネギは泥ネギなので庭に植えて順次食べていった トロロ芋は悪くするので、20本もあると私は3本くらい残して、皆あちこちにお裾分けしていた 

ある年、最後の一軒の伯母の家に行ったら、これは冷蔵庫に入れておけばいくらでもモツノヨネ〜と言う そんな〜、知らなかった・・と思ってもまさか伯母から取り返す訳にも行かない 翌年は、シッカリ自宅に確保した 

しかし、いつでもあるトロロ芋には、価値がなくなり、最後の頃はあまり嬉しくもなかった その翌年は、またお裾分けを開始した

さてさて、今回はどうしよう・・ 腕が痛くて買い物が苦手になった私には、長持ちするおかずの元は貴重だ デモね〜、くれてしまえば、きっとまた他のもがもらえるよ、と囁く私がいる




2004年12月26日(日)
新酒の季節


私に鳥海山の麓に住む友だちがいる 何年か前、土地の日本酒を贈ってくれた それまで、私はお酒は好きだが、日本酒を飲みたいとは思わなかった 

しかし、そのお酒は美味しくスッカリその酒の虜になってしまった それ以来、冬に新酒が出ると見繕って送ってもらう その後は、夏までの間なくなるとあれこれと気にいった物を指定して送って貰っている 

今日、この冬の新酒第一弾が届いた これでは、クリスマス・チキンは消えておでんだ

私は、この友だちに一度も会ったことも電話で話したこともない まだ、メール友だちが出会い系なんていう言葉を使われなかった頃に知り合った 私は、高校生の時から6年間文通をしたことがあるので、文章での繋がりになんの疑問も感じない  
 
私が鳥海山に登る時には、鳥海山を駆けるように登る友だちいるので、ガイドに紹介してくれる約束になっている

2004年12月25日(土)
フキノトウ


先日、山のレポで今頃フキノトウを摘んだ話を読んだ 今日花に水をやった時ふとその話を思い出し、我が家の庭を眺めた

なんと、春より立派なフキノトウが芽を出していた 香りもシッカリしている




2004年12月24日(金)
新しい風


今朝、また新しい虹の写真をいただいた このところ、たくさんの人から虹写真をいただきとても嬉しい もらうことも嬉しいが、ことに嬉しいのは人との繋がりで増えてきたことだ

私は何かのサークルでも友だちグループでも、仲間同士だけで固まらないで、新しい人が入ることが好きだ 義母が入っていた趣味のサークル、「この頃みな年をとり具合の悪い人増えて、このままでは消滅する」、と言ったのは幾つごろだろうか・・ 私の年代の女性は、概して仲良しグループで固まり自分たちの世界を作るのが好きだ 

でも、風が吹かなければ空気は淀み、水は流れないと腐る  私は裸像人物彫刻と言う、人数が集まらないと出来ないことをしてきた為か、仲間が外に広がって行く 山のグループも、その時々で違う人が入って行く 

いつも生活に爽やかな風の吹く「去る者は追わず、入る者は拒まず」という風に暮らして行けたらステキだ



2004年12月23日(木)
幼馴染


先週、絵を観に行って以来どうも腕が痛い 腕が痛いから熱が出るのか、熱が出るから腕が痛いのかと考えていた

そんな今朝、宅急便が届いた アメリカに住んでいる友だちからのスィーティの贈り物だった 9月にも長く私の体調が悪いこと知った彼女からメロンが届いている こんな重いもの送料が高いのに・・と喜びながら、気にしていた

彼女は私の小学校以来の幼馴染で、ただ一人の中・高も同じ友だちだ 中・高ではお互いに違うグループに属し、親しい付き合いはなかったが、どこかに親しさを持っていた

彼女は、私がお腹に初めての子ががいた頃、アメリカに渡った 既にあちらで生活している人と結婚するためだった そして、2人の子供を持ちグリーンカードを取り永住した 

私たちは、同級生に共通の親しい友だちがいる 彼は長くアメリカに赴任し彼女の家を訪ねたりして、彼から彼女の様子は聞いていた 彼女が帰国するとウチにも遊びに来た 日本にいた頃よりも余程頻繁に会った 昨年、父親に続き母親を亡くし、「今度日本来る時には、もう旅行者なんだわ・・」と寂しい顔をした 

この何年か、彼女が帰国するのは両親のどちらかが具合の悪い時だった そして、親に付いていられない辛さを嘆いていた お兄さんもシンガポールに赴任していて、傍に誰もいなかった 

彼女は友だちが多かったが、彼女とも親とも親しい人は少なかった 私はたまに彼女の実家に顔を出し、父親が亡くなった後、母親が入院した時には、病院に行った 

私にとってヨガをやっていた所とそう離れていないので、帰りがけに顔を出すことはたいしたことではなかった そして一度共通の友だちも一緒に病院に行ったら、お母さんは色の黒い彼をシンガポールで日焼けした息子と間違え大変喜んだ こういうことを電話で聞くと、彼女はとても喜んだ 

幼い日に毎日遊んだ友だちと、更年期じゃないの?と言われる年齢になった今、また親しく電話やメールしている 今度日本に来たら一緒に旅行しようと言っている



2004年12月22日(水)
応援


腹ペコ山男さんところで知り合ったnonyさんのアラスカ日記や掲示板読んでいて思う 

nonyさんはこの暮れに、喉から手が出るくらいではなく、心臓から手が出るほど観たかったと言う「オーロラ」をアラスカに観に行こうとしている その実現への行動力も素晴しいのだが、周りの人が応援してくれることがなんとも嬉しい 

私が彫刻始めた時夢中になり、仕事を辞めて都内の彫刻のできる学校に通い始めた それは、とても周りに驚かれることだった 通う私も、通うわせる夫も・・ 

その時、あんなに夢中なのだからどこかでやらせてあげたいと思ったと、学校を調べてくれた友だちは言った 夫は、私がやりたいと思ったことはいつになっても諦めないで、いつになっても言い続けるから、と思ったそうだ

何かしたい、その強い思いが伝わると、人は助けてあげたくなるようだ 思いの強さが、実現に向かって踏み出していく 

nonyさん、素敵なオーロラに出会ってね たとえ写真が撮れずとも、絵
が描けなくとも、観たということが一番ですから・・



2004年12月20日(月)
満杯にしない


先日、ヨガの先生の所に挨拶をかねて出かけた 私はこの先生の元で、週1回2時間この春に原因不明の微熱が続くまで15年ヨガを続けて来た

この先生からいろいろなことを学んだ  その中に、素直になりなさいがあった コップに水ガいっぱい入っていたら、新しい水は注げない それと同じ、心を自分の考えでいっぱいにしていてはいくら良いことを話しても、他の良い話が入らない

このコップの水のことで、もう一つ私に素敵なことを教えてくれた人がいる まだ子供が小さい頃は図書室だった図書館がすぐ近くにあり、ソコの司書さんと仲良しになった その人の言葉だ 

私がある時に、「これはね・・気づくまで10年もかかったの 教われば、なあ〜んだと、一瞬のことなの でも、教えてもらった人はそれが分かるかしら・・ 教えたくないようにも思ってしまうの」と話をした そうしたら、「コップにね自分の水がいっぱい入っていたら、新しい水は入らないの 自分の知識はドンドン出してコップを空にすれば、また次の新しいことが入るのよ 貯めておいてはダメなのよ」と・・ 

この時から私は、前よりケチではなくなった お金も、出せば回ってくる物と思える



2004年12月17日(金)
君子危きに近寄らず


MINMINさんが、ドンキホーテの火災のことから、危ないことに・・という話書いていた

それで思い出したことがある 以前、TVでピーコさんが、「道を歩いていても、危なそうな人が来たらさっさと脇に避けてぶつからないようにする こちらが正しいんだぞ!と言って、ぶつかって行ったりしない」と言っていた 

確かに、何故こちらが・・と思うことはあるが、正義を振りかざして事故にあっては何にもならない シャクだな、と思うことがあっても、避ける気持ちは大切だと思う 感が働く人の方が事故に合い難いそうだが、何事も危ないと感知する心が必要な気がする

かと言って、すべてを個人が注意したり逃げる生活にはしたくない



2004年12月15日(水)
立っている


あっ!お母さんが立って新聞読んでいる・・」と息子が言った 新聞を、窓の傍で大きく広げ立って読む 私の当たり前の姿だった

それが、昨年微熱に悩まされるようになってから、やはり息子に「お母さんがテーブルに新聞広げているなんて珍しいね」と言われ、そういえばこの頃座って読むな、と気づいた

私は、山に行っても、5分、10分の休憩に座ることはあまりない 自分では座りたいと思わないので気づかないのだが、立っていることはよく不思議がられる

その私が、この1年間は座らないといられない身体になり、今また立っていた 今度こそ、本当に身体が回復して来た証だろうか・・
 



2004年12月14日(火)
ピカソ展


今日、佐倉の川村記念美術館で、ピカソ展を観た 朝、行けるかと悩む位の体調だったのだが、行って良かった・・

帰りの電車でカタログ見たら、新宿の「東郷青児美術館」でやったものと同じと知った あの展覧会は、あまり良く良くないと言うコメントをいくつか読んでいたので、同じものと知っていたら無理して行かなかったかも・・

知らないでよかった!



2004年12月11日(土)
耳障りな表現


娘が少学校一年生の時、代休担任の若い人形みたいな先生が、学級懇談会で「xxしていただければ・・、〇〇していただければ、と思います」を連発した

私はこの言葉がとても耳障りに感じた 先生なら、父兄には「xxして下さい」、穏やかに言うならxxしていただきたいと思います」と言ってほしい

「xxしていただければ・・」は、「xxしていただければ、嬉しい」とか「〇〇していただければ、助かる」の希望を述べる言葉が後につく表現だから、天邪鬼な私は 「あなたの希望通りにはしないよ!」と言ってみたくなる

しかし、気が付いたらこの10年で、日本中の誰もかも、NHKのアナンサーまでも、xxしていただければ・・、○○いただければ、れば、れば・・・、と言う 何故、「していただきたい」とは言わないのだろう?

「xxしていただければ・・」とは言いながら、言っていることは、「xxして欲しい」だものね 「れば」は、語感だってキレイではない



2004年12月11日(土)
うふふ、なんです


makotoさんの掲示板に遊びに行ったら素敵な虹がいっぱいでした

私はHPに虹コーナー持つくらい虹が好きです 掲示板に虹の写真載せていた方々から、私の虹コーナーに写真を貸していただけることになりました

上は左がmakotoさん、右がohtomoさんのものです まだあるんですよ・・ 一気に私の虹のページに虹が増えます これからupします

光の不思議、出会いたくとも出会いない自然の神秘、あえると本当に嬉しくなります



2004年12月10日(金)
試作品


昨日、娘からメールがあった

「そういえば、Mサンからケーキもらってたんだねぇ〓苺の美味しそうだったぁ〓ああいうのは隠しておかなきゃぁ」 

そうだった・・ 娘は時々この日記を覗くのだ 可哀想だからと、貰ったこと黙っていたのに失敗した

そこで、何か送って私の簡単ケーキを送ってあげようかと、今朝は久しぶりにこのケーキを焼いた これは、クリームチーズ&ヨーグルトの中に、パンを入れると言う、腹持ちの良いおやつのような食事のようなケーキ 容器ごと送れば容器も使えるし崩れる心配もない 

ただ、あまりに久しぶりなので、作り方も材料も適当になっていた まあ、手抜きして作ってしまったが息子は美味しいと朝から喜んで食べて出かけた

N、今度送るね




2004年12月9日(木)
智恵の交換


夕方駅前を通ったら、幼い子供を両手に引いたお母さんが横切った

子供たちは色違いのお揃いの帽子を被っていた 双子か年子のように、似た体格で似た服装をしていた 帽子の色は淡い黄色とこげ茶色だった

それを見て、私が子育てをしている頃、姉に言われたことを思い出した 「横断歩道で子供に手を上げさせることは理にかなっている 子供は小さいから見落とし易い、手を上げて高くすることで目立つのよ」と・・

今日の2人は、同じように帽子を被っていても、最初に黄色の頭に目が行き、こげ茶色の帽子の子は親が手を引いていたら気づいた

また、姉に注意されて、ああ!と思ったことがある 子供の靴の後ろに○○と名前が書いてあった 姉に、それは子供の誘拐に繋がると・・

子供の持ち物に書いてある名を見て「○○ちゃん〜、私ママのお友だちよ」と声をける悪い人がいる 親しく名を呼ばれると、安心感から付いて行き易いそうだ だから、学校の服に付ける名札も帰宅する時は時には外させるそうだ

姉とは、こういう子育てや生活の知恵をお互いに交換しあった



2004年12月9日(木)
自動ドアにして


猫を飼うようになってから、出入りの度に呼ばれるのが面倒で、ウチ中のドアを開け放して暮らしている

寒くなりドアが閉められるようになると、パソコンの傍のこの戸は軽いので、ミャウ(猫)はここから出入りする しばらく前から、「オイ!開けたら閉めてよ・・」と突っ込みいれて、「猫が閉めたら化け猫だ」と夫に笑われていた

今日は我が家の冬専用自動ドアを復活させた 単に輪ゴムを繋ぎ両端をピンに留めるだけ・・ 輪ゴムは2重3重にすると切れにくいが、元は輪ゴムだから切れたら付け替えるだけのこと

簡単なことだが、とても便利だ ウチに遊びに来た人に、猫くらいの能力しかないからと子供用自動ドアにしたと言った人がいる 

ノブ付きのドアも、重り付けららどうにかなりそうだと考えてはいるのだが、まだ実現していない 

こんなこと考えながら、息子がかけたままにしていった「ミューズ」のCDを聴いている いつ聴いてもいい声だ 息子にロックは洗脳され、かなりハードなものも聴けるが、ミューズやレディオ・ヘッドはいつ聞いて惹かれる 

ロックに関しては、息子から妹より母親の方が余程分かるとお墨付きを貰っている 息子とは、感性が似ているからかな・・、




2004年12月8日(水)
私の好きな公園


今日、一年ぶりにこの公園に来た 春の夕方のような穏やかさで、夕焼けに映えた古墳はキレイだった

私の住む田舎は関東平野のど真ん中、何処まで行っても平らだ 都内に出た時など、東京ってずいぶん坂があるな〜と思う 

私は近所に階段を探し歩いたことがある 甲斐駒に登り、鳳凰三山を歩いた後、今度は北岳縦走したいと思った時だ このままでは無理だ、トレーニングしないさいと、甲斐駒、鳳凰三山を一緒に歩いたリーダーに言われた 

その頃の私は、早朝サイクリングやプールが好きで運動はよくしてた しかし、それでは足はダメだから階段を歩きなさいと言われたが、私の住む土地では、お寺や神社もみな平地にあり、坂や階段と言うものを自然の中では見ないで困っていた

そんな時、車で通りかかりココだ!と思った そこは埼玉(さきたま)古墳 古墳に階段がある この周辺でこれだけの高さを見ることはない 

         

それからの私は、車で30分のこの公園に通い 左の坂の急な方を登りに、右の階段を下りに使って歩いた そして北岳は、苦しいと聞く草すべりさえも楽しく登れた 


ココは、私が山歩き始める前も、散歩したり、時々スケッチブックを抱えてきたお気に入りの公園だった 
北風の強い日に丸山古墳に上がると、遠くには浅間から榛名、赤城連山、日光連山がキレイに見え、足元には田んぼが広がって行く 春は桜が見事だ 


    

昨日は、やっと予算が付いたのか、荒れたままになっていた前方後円墳も整備が始まり、ブルトーザーが唸っていた 昔は、田んぼの中のただの小山のようだったところが、だんだん整備され大昔の姿を取り戻していく 

資料館で鉄剣や埴輪を見ると、長い時を隔てて今の私が見ていることにゾクゾクする



2004年12月8日(水)
気づいたときには・・


先日、病院の問診表の書き込を始めたら、あれ、あれ、この字は・・と、だいたい分かるのだがいざ書こうとすると書けない こんな字が書けないはずはないと焦るが書けない

私は昔から字が下手でコンプレックスだった ことに人目に晒すものはメモ一枚でも書かなくて良いものなら書きたくない きのう、あちこちに振込みがあり、メモは面倒なのでどれも、みなパソコンからプリントして持った 以前なら、いくら字が下手でもみな手書きで写した

私は公に字を書くのは苦手だが、文を書くのが好きなので日記や手紙はよく書いた 字は気になり辞書で良く確かめた そんな私は、字はかなり書けると思い込んでいた

今手紙はほとんどメールに移行してしまい、日記もパソコンに打つ 辞書を引かずともたいていは変換してくれる 基本的な日本語が変換できないと、まったくワードはおバカさんなんだから・・などと言って手書き入力パッドや単語登録を利用している 

でも、私のほうが、余程お馬鹿さんだった・・



2004年12月7日(火)
もしかしたら・・

台湾人の友だちからのメールに、こんな言葉があった

「朋友要長交金錢要短結」中國のこわざです
「友達は長くつきあう事、金錢の取は短期間て結束する事です」

この友人は2年ほど前、息子さん家族がアメリカで事業するので、子供が小さいから一緒に手伝って欲しいと頼まれた、とアメリカに渡っていた 落ち着いたらメールしますと言ったまま音信不通になっていた 

その彼から、1週間ほど前に「また懐かしい台湾に戻った」とメールがあった、そして、私の返信に喜んだメールにあの言葉があった

私は、コツコツとお金を貯めるかのごとく、その時々の友だちがひとりずつ増えた もしかしたら、これってとても素敵なことなんだ・・



2004年12月6日(月)
美味しいって幸せ


以前にココにも書いたことのある(7/24)甘い塩がなくなるので、注文しようとしたら、そのニガリの店では取り扱わなくなっていた 

そんな時に、「アンデスの岩塩」というのを見つけたので買ってみた 値段は、500gで530円、前に気にいっていたものの半分の値段だ 鉄分を含みそれがピンク色に見えるという美しい塩だった

しかし、ウチで味見をしてみたら、普段使いの「○○の塩」との違いを感じない あの「ごとうの塩」は、ぺろりと舐めただけでまるで違うものを感じるのだ 今度のは岩塩なので、料理によってはいいのかもしれない でも、どうしよう・・おにぎりにも、魚にも、チャーハンにも、出汁のごとく使って来た塩がないのは痛い

思いついてネット検索した 制作者のHPが見つかり 早速注文 嬉しいことに、こちらは3000円以上は送料無料だ 前はニガリのついでに塩を頼んでこの美味しい塩を知ったのだが、今度は塩のついでにこの店のニガリを頼んでみた

写真でニガリの色が分かるだろうか・・ 薄い金色をしている、ちょうどミリンみたいな色だ 今までニガリは透明と思い込んで来たので不思議な思いで少し舐めてみた ニガリが美味しいってなんてあるの? 苦いけれど、甘みのある苦さ ここのHPで塩の作り方を見たら、海水を塩と分ける時に出るものとか・・ 美味しい塩の味のあるのは当然か・・ なんだか、お風呂に入れるのはもったいないような気のするニガリだ これで、豆腐も作ってみたいと思った

それにしても、こう言う美味しい物を丁寧に丁寧に作ってくれている人がいることが嬉しくなる その恩恵に預かった私は幸せになれる

http://www.toraya.gotohp.jp/



2004年12月3日(金)
鳥の丸焼きの作り方

やっぱり途中の写真がほしいでしょうか・・
途中の写真の為に今作ると、
クリスマスの時には、
どうでも良くなりそうな気がするの

(^^;


2004年12月3日(金)
恩返し


掲示板で恩返しの話が出て、書いておきたくなった

私に変わった出会いの友人がいる 若い頃京橋に勤めていて、よく友だちのいる画廊に遊びに行った そこで彼女の上司とも親しくなり、画廊を閉めた後にソコの人たちやソコに出入りする絵描きさんたちとよく食事に行った 友だちは結婚退職したが、私は相変わらずその画廊に出入りしていた 

年齢差があったこともあり、いつもご馳走になっていた そして、姉御肌の彼女は、顔が広くて画家たちに好かれていて、誰彼となく私を絵描きさんにも紹介して、何処にでも連れて行ってくれた お陰で私はソコに出入りしていた絵描きさんにまで可愛がられ、私が京橋を去るときは、皆でサヨナラ会してくれたほどだ

その友だちの上司と、未だに付き合いが続いている 私よりちょうど20歳年上だ 友だちの方とは、彼女が海外生活しているうちになんとなく疎遠になっている その上司だった人も私が退職して何年か後にその職場は辞めたので、私たちは時々待ち合わせ遊んだ 

その後、私はお世話になりっぱなしの彼女に何とかお返ししたいものと思って来た ある時、それを当人に言った 返って来た言葉は、

「私に返そうとは思わなくていいの あなたが嬉しかったことを、若い人たちにしてあげてね」

私は、この言葉を忘れない 巡り巡っていろいろな恩を返して行きたい



2004年12月1日(水)
年賀状


今日郵便局に行った そうだ、今年は暖かいのでピンと来ないが、もう師走 年賀状のこと考えなくては・・ パソコンから、山の写真印刷するようになってからは年末に慌てることがなくなった 

でも、私としては感動した素敵な写真をプリントしたつもりでも、相手は覚えていないことに気づいた それが、下手でも自作スケッチをスキャンした絵の時にはよく反応された

今年は、先日フラワーパークで買って来たこのシクラメン描こうかと思っているが、やっぱり写真になってしまうかな・・


・・おまけ・・
郵便局で久しぶりの人と会った 「あらお元気そうね」と言葉をかけられた そうか、人には元気に見えるんだと少し嬉しかった




2004年11月30日(火)
見せびらかしだね


昨日会うはずだった友だちが、持ってきてくれる予定だったケーキをクール宅急便で送ってくれた 

右の苺ケーキと、写真左の熟成させてクリスマスに食べるココア色ものと2つ まだ閉まってあるので、左は昨年の写真 苺ケーキ、大皿に移そうとしたら柔らかな土台が割れそうになったので、仕方なくこのまま切った 

私は普段は甘いものを食べないのだが、友だちの作るケーキだけは別格だ 久しぶりにコーヒーを淹れて美味しくいただいた 苺ケーキって、こんなに苺の香りがするものだったかしら?と思う苺の美味しさ

いつも、いろいろなケーキをプレゼントしてくれ、どのケーキがいい?と聞かれるので、家族の好みをシッカリ聞く 息子は「こういう王道のケーキは好きだな〜」と大きく切った一切れを満足そうに食べた この前に貰ったケーキは、これが一番好きだ、といった いつでも、今食べているものが一番美味しい息子だ

今は娘がいないので息子が大部分が食べるだろう クリスマスケーキの方は日持ちするし硬いので、後で娘に半分送ってあげよう クリスマスはバイトが書き入れ時なので帰れないだろうと言われている いつも、この友だちのケーキを楽しみにしている子なので苺ケーキを貰ったことは内緒だ



2004年11月29日(月)
昔のクラスメート


私に、とても仲の良いクラス会仲間がいる 中学校1年2組という、2つの小学校から集まった子どもたちが、最初に接触した違う集団の新しいクラス この時の仲間と年1回クラス会旅行があり、その中の地元周辺仲間とは年4,5回は集まって飲んでいる 

土曜日にその仲間の飲み会があり、体調不良の私はパスしていた 今年の1月の旅行以来、4,5回パスして来たろうか・・ 

夜、皆が集まっている所から電話があった 嬉しかった 次の時には気晴らしに少しでも出ておいで、という言葉が嬉しいけれど、重かった 次回の旅行は1月に会津だよ、と 

今日も本当は別の友だちと会う予定だったが、一昨日から熱が上がりキャンセルした このごろ良くなって来て約束するが、いったい幾つキャンセルしただろうか・・ 今の私には約束することが辛い



2004年11月25日(木)
幸運な人生


感が鋭い人は運が良いとか、物事明るく考える人も幸運を呼ぶとか・・

私は感とか観察力はまったく駄目な方・・ でも、人が不運と言うことに出会っても、かなり前向きに考える方だ 私の好きな言葉に「塞翁が馬」と言うのがあり、今の悪いことは後での幸運の元かもしれないと思っている 

私は、ずっと原因不明の微熱を抱えて何の治療もなしに過ごしている 初めの頃は治療はなし、回復もなし、に苛立った 

でも、今まで生きてきた人生だけでもかなりステキで、
生まれてきた甲斐あったな、と思う これからどうなろうとも良いじゃないかと思える 元気に越したことはないけれど、元気でなくても素敵な事はいっぱいあるし、何かあっても、それはそれで良いかと思える



2004年11月24日(水)


明日は帰宅すると娘が言ってきた昨日、スーパーで鱒が一尾98円だった

娘は、鱒を空揚げにして甘辛いタレにつけた丼物が大好きだ これは難しい事はないがは、手間がかかるので、あまり作らない

まずは鱒のぬめりを取り、ひれを取り、内臓を抜いて、片栗粉をつけて揚げる それも、2度上げしないと骨まで柔らかくならない 先に作って熱くしてある甘辛醤油に、2度揚げした魚をジュッ!と漬ける これは魚もタレもぬるくては美味しく出来ない

この料理、私たちは日光中禅寺湖ほとりの金谷ホテルのレストランでいつも楽しみに食べて来た それが閉店してしまい、今は自宅でしか食べられない

金谷ホテルのレストランなら、お重に小さめの魚が2尾並んで来る 自宅では大きな鱒が、とりあえず乗るの皿に一尾乗る それでも、十分美味しく、家族は喜んだ



2004年11月22日(月)
群馬フラワーパーク



昨日、私の肩に良いし温泉に行こうということになった では何処に寄るかと言うことになり、夫の希望で何時も看板だけ見ていた「群馬フラワーパーク」に行った

暑いようなお天気の中、赤城山を望みながら歩くのは気持ちよかった ずいぶん長いこと外を歩かなかったな〜と言う気がした


人工的なところに来ながらも、こういう道をあえて歩きたくなってしまう 今年初めての真っ赤な紅葉も見た 

          


帰り道に寄った赤城温泉は、久しぶりに掛け流しの温泉で気持ちよかった 

http://ns.myg.or.jp/~akagionsenhotel/home/top.html

私たちが温泉宿の玄関に行こうとしていたら、若い女の子たちが上の方に見える「華の宿・湯ノ沢館」というのは何処から入るのかと聞いてきた ソコは「るるぶ」に載っていたとか・・ そちらも掛け流しなら、今度入ってみたい気がする 



2004年11月20日(土)
でっかいTVが欲しくなった


今日、肩の痛みの為に順天堂病院まで行った 昨日の電話の話では、土曜日の午後はとても空いているということだった 早く終わると思って、喜んで今日行ったら、午前中の診察の終わるのが遅れ、午後の診察が1時間半も遅れた いい加減ウンザリした

ところが、2時からJリーグ決勝試合が始まり夢中になって時間を忘れてた なんたって浦和レッズ優勝への王手のかかった試合 この前のナビスコ杯で負けた時には本当に悔しかった

午後の整形外科の待合室は静かで、大きなTVはクリアで見やすかった 今まで自宅のTVで観ていた時には分からなかった体の動きがよく分かる 息子が、ああこう言っても、サッカーに詳しくない私にはその動きが分からなかった 今日見ていて、細かり楽しいかった

結局レッズは負けた 2位争いのガンバ大阪も横浜に負けたのでレッズの優勝となった 2時間近くTVに釘付けになっていた私としては、少し複雑な気持ちだった 地元駒場スタジアムで勝たせてあげたかった せめて引き分けにと願った 

でも、一時はJ2に落ちたことさえあるのだから、優勝に大喜びしてあげなくてはね 明日の新聞見る頃は、きっと素直に嬉しいだろう

それにしても、名古屋グランパス、良い試合だった 敵ながら称えたい

4時間半も過ごした病院での私の肩の診察結果、ただの五十肩らしい・・



2004年11月17日(水)
相性


子供が小さい時、一緒にバイオリンをやっていた子のお母さんから喪中葉書が来た 添え書きに、「私がバイオリンを始めました」とあった

電話した バイオリンについての第一声、「私にはバイオリンは向かないみたい・・ 子供に顔向けできないからまだ続けるけれど」 

「バイオリンって、自分で表現出来る所に行くまでの技術習得が大変でしょう 指の位置ひとつとっても、少しの狂いも許されないし、丁寧に丁寧にやることは合わないよ ゴスペルも習いだしたけれど、私には歌う方が相性だわ」と・・

「私はね、ばあ〜っと乗って、ダンダン!と言う感じでやってしまうのが好きなの」と言う 

彼女は若い頃ずっと合唱やっていて、子供のレッスンを見る時、音楽素人の私には羨ましい人だった

私は、自宅で子供のバイオリンを調弦しながら、子供が教室でして来た練習を、よく自分もしてみた まずは正しく調弦が出来ず、苦労する 一生懸命耳を済ませて、少しずつ音を近づけて行く その時に、子供が最初の曲として習うキラキラ星をレコードと合わせて弾いてみると狂いがよく分かる 何回も何回もやって行くと、音も正しくキレイになって行った 私には時間を忘れるほど楽しかった そんな私は、練習が嫌いだった子供が不思議だった

この頃のことを思うと、私は、バイオリンが相性だと思う 昔、子供と一緒に習いたいと思った時期もあった 

今でもバイオリンのレッスンに心惹かれる 



フレーム
2004年11月17日(水)
大町便り


今日は素敵な青空だから、公園で落ち葉踏みしめて散歩したいなとメールしたら、この季節一番というアルプスの写真が届いた

これが見える大町の山の中腹は、もう霜を踏みしめての散歩だそうです

昨日の写真と並べ、登るなら今日だろうけれど、写真としては雲のあるほうがいいな、なんて勝手なこと思いました



2004年11月16日(火)
大町便り

今ね、唐松林の中にいる。とても風が強いんだよ。背の高〜い唐松が、大きく右へ左へ、頭を降って、今にも倒れそう。

林の奥から、やってくる風の音が私の背中を押して、一瞬の内に通り過ぎると、静けさと共に、すっかり黄金色に変わった唐松の葉が、雪のように舞いながら、降ってくる。
そして真っ青な空に突き出た、唐松と唐松の間を、真っ白い雲が、踊るように通り過ぎ、形を変えていく。なんて青くて、高い空なんだろう。

アルプスに目を向ければ、頭に、白い雲、そして、頂上は、はっきり見えないけど、かなり荒れて、雪が吹雪ているようだな〜

風な当たっていて、寒くなってきた。そろそろおうちに帰ろう


             えみ丸専用アルプス中継局より



2004年11月15日(月)
友だち


今朝、友だちと長電話した 昔の職場の先輩で、姉より年上だが年齢を意識しない付き合いが続いている

今日の第一声、身体の調子はどう?と聞かれた 2人で、乳癌の話やら、家族のことなど話した後に、こんなことで笑った

昔、年寄りって寄れば触れば病気の話ばかりしていて、やあね〜!と思ったのに、気づけば自分たちがそうなっている、と・・

私はこの一年ほとんど何処にも出ない何も出来ない生活して来て、病人や年寄りが嫌われる理由が良く分かった

まず、自分の身体が自分の思うようにならないから、明るく楽しい雰囲気とはなり難い おまけに行動半径が狭くなり、話題は自分のことばかり 私のこの日記を見ても、子供、猫、庭の話ばかりだ これでは、楽しい話したい相手とはならないだろうな〜と思う  ことに気を付けないといけないのは、暇だから色々目に付き、あれこれ言う 専業主婦も似たようなところがあるが、こちらは身体が元気なのだから、その気があれば気持ちはいくらでも外に向く

私は友だちが少なく、特に地元には少ない 昔から、一度にたくさんの友だちが出来ることはない その時その時出来た友だちたちだ 子供のPTA友だちはできなかった 

友だちは全国に散り、海内までも行ってしまう ネットやメールは本当に有り難い そんな友だちが、心配して遠くからお見舞いしてくれるのはとても嬉しい

でも、だんだん身体が動かなくなった時、歩いて行ける所に気の合う友だちがいたらいいな、と思う



フレーム
2004年11月14日(日)
プロ


昨日、思いついて「コンサート会場の受付に置くような花」をとネット注文した

当日の昼だったので、まず電話で確認、そして詳しいことを話す、4時にお届けしましたの電話があり、夜にはメールでその写真が送られてきた 大変、応対が気持ちよかった

でも、写真をひとめ見てガックリ・・・ 安っぽいのだ 低予算で大きく見せた花、と言う感じだ 私はこじんまりで良いと言ったのに・・ それに、私がこの花材を与えられたなら、ここはこうして、ああして、リボンの色は・・と手直ししたくなった 花屋さんはプロなんだから、素人にはないな、寒心するようなセンスが欲しい 

私が仕事で出入りしたことある花屋さん、田舎町の小さな花屋さんだったが、そこで作られたアレンジにいつも惚れ惚れした 季節や用途、値段において色々だったが、どれ見ても、いいなあ、ここで花を買いたいと思わせるものばかりだった 

あのようなセンスで仕上げてくれたなら、少しくらい高くてもそこに頼むだろう プロには、そういうセンス身に付ける勉強して欲しい この花屋さんが、どんなに応対が良くとも2度と頼むことはないだろう



2004年11月13日(土)
少し左利き


私は右利きなのだが、あれ?と言うような事に人と反対のことがある その中にパソコンのマウスがある 私はマウスが左手使いなのだ

今日少し左手が痛いので、マウスを右手で使っていた そして気づいた 右利きがマウスを左手で使うと、とても便利だ

左にマウスを持ったまま、右手が、DeleteキーやEnterキーなど何でも簡単に押せる 右手がいつでもすぐに使えると言うことは、とても使いやすい 

しかし、私のパソコンでスッカリ左手使いのマウスに慣れrているはずの娘は、下宿して自分のパソコンを持ったら、マウスは右だった 右利きには左手使いのマウスの便利さより、全て右手を使う方位が使いやすいのだろうか・・

私は少しだけ左利きなことを喜ぶ



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2004年11月12日(金)
コンサート


明日、娘の入っているオーケストラのコンサートがある 今回とても聴きに行きたかったが、やっと良くなって来た体調崩すのが怖さに出かけられない

娘の15年間のバイオリン人生の中で、今回ほど練習したことはなかった 桁違いの練習だった 親に月謝を払って貰っている時と、自分でオーケストラに入ることを選び、会費も全て自分でまかなってもやることとの違いだろうか・・

この娘は、かなり引っ込み思案で恥ずかしがりの子だったのに、自宅練習よりも先生の前、先生の前よりもコンサートでの聴衆の前の出来が良い、と言う不思議な子だった 本人は死にたいほど怖かったと言うが、それは聴いている側には分からない 先生曰く、緊張が神経を研ぎ澄ます子がいるとの事だった

こんな子なので、明日も心配しないが、聴きたかった、オーケストラの一員として弾く娘の姿を見たかった



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2004年11月11日(木)
サフラン


今日、このスケッチを見つけてから気づいた 今年はサフランが咲いていない・・ たしかもう咲いていい花だ これからなら芽くらいは出ているはずだ

私は花は好きなのに不精なので、植えっぱなしの球根が多い それゆえに、忘れていたものが咲いて喜ばしてくれたりする

今年は可笑しな天候で、球根がやられてしまったのだろうか・・ 杏の木にも、今5、6輪花が咲いている ついこの間毛虫退治に火をかけられ、痛みきっている時だと言うのに・・ 



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2004年11月2日(火)
つわぶき

つわぶき、夕日が当たって金色に輝く時が好きだ
    
                                 

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