冬の京都に行く機会があった
せっかくなので
一泊伸ばして冬のお寺を歩いた
この日は曇り空、いつ雪が落ちて来ても不思議がないような底冷えのする寒い日だった
私たちは、京都に詳しい友だちの提案で歩くことにした
金閣までバスで行き、金閣から竜安寺、仁和寺まで歩いた
今なら清水寺に間に合うかもしれないと言うので、仁和寺前で大急ぎでバスに乗り、
八坂神社を抜けて閉まる直前の夜の清水寺まで行った
私は旅で急ぐということをしないので、一人なら夜の清水寺は見られなかったろう
2000.1.25.-26
底冷えのする冬の京都は、驚くほど人影がなく静かだった
金閣が塗りなおされていると知っていたので、ピカピカの金閣はどんなものかと心配だったが、池に映るその姿は美しかった これに夕日でも当たっていたら、極楽浄土を思ったかも知れない
ふだん、「金閣寺」と言っているが、「鹿苑寺」が正式名称の禅寺で、舎利殿が「金閣」だったことをこの日知った
それにしても、以前来た時の大混雑の人波の間から見るのとまるで違うものに感じる これだけで、もう私は冬の京都が気に入った
2人の友だちは若い頃から長くお茶をやっているので、茶室を見ながらにじり口がどうのこうの、楽しそうに話している そこで、私たちもお茶をいだたいた いつも思うのだが、知識があると楽しみも大きいと感じる 私にお茶の知識がないことが残念だったが、こういう友だちと来られて良かった
鏡湖池に映る金閣
夕佳亭前にて
次に竜安寺に向かた 私には、大昔修学旅行で来た時にスピーカーの説明の声がうるさくて煩わしかった印象しかなかった
しかし、静かとはなんと素晴らしいことか・・ 人のいない石庭に向かい、私たちは静かに庭を楽しんだ この庭を造った頃にはあの木も小さかったのだろうな、今とは借景がまるで違うであろうことを思いながら座っていた よく拭きこまれ床は、歩くと凍えそうだったが心地良かった
竜安寺とは石庭しかないような気がしていたが、白壁と枠組みの木の対比が美しい庫裡や石段、またつくばいガ興味深かった
「吾唯足知(ワレタダタルタルヲシル)」となる図柄・知足のつくばいの傍らに、あの派手好きな秀吉が愛したというわびすけがあるのは皮肉な気がした
石庭をでて、すぐのところにある店で湯豆腐をいただく 凍えた身体に温かいものは嬉しい だが、不味くはないけれど美味しいとは言えなかった
次に向かったのは仁和寺、この寺はともかく広い
二王門を入り広い石段を登ると、桜の木がいっぱいだった 春の桜の頃は大混雑だそうだが、見事さが想像できうなづける 京都に住む私の友だちは、子供の七五三にはココに来たのよ、と言っていた その時付ける髪飾りは枝垂れ桜を模したものだと教えてくれた
清水寺からのんびり降りて、また四条通りまで戻った
夕飯、昨夜はご馳走だったから今夜は軽く行きたいね、と言うことになり、ニシン蕎麦が名物という蕎麦屋さんに入る
街に詳しい人がいると、こな時には探す手間なしで美味しい物に出会える
京都は、料亭で食べるような料理は贅沢で、庶民の日々の食事は質素と聞くが、街を歩くと分かる気がする
質素だが、ニシン蕎麦は美味しかった
その後周辺をブラブラすると、話に聞いた髪飾りの店があり、愛らしいものがいっぱいっだった
みてるだけで楽しく、子供がこれから七五三なら買いたいようだった
掲示板で地図の話が出ました
その時に昔の地図の話も出て、
私は今はまとめて周るこのお寺が
昔はどういう地図上の変遷を辿ったのか興味が湧きました
@ 鹿苑寺 1397年(応永4年)
(禅寺)
足利3代将軍義光が西園寺家から譲り受ける
A 竜安寺 1450年(宝徳2年)
(禅寺)
B 仁和寺 888年(仁和4年・平安時代)
C 清水寺 780年(宝亀11年)
*13万u(広すぎて地図に緑で載っていなかった)
D 銀閣寺 1482年(文明14年・室町時代)
*大きな地図で見ると、金閣寺などより
こじんまりとしていて半分の印象です
* 地図で建った順番と広さを想像して下さい