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東海道四谷怪談の魅力

                                                                          東海道四谷怪談 演出進行 中橋耕史

●最高傑作の呼び名を持つ作品

ー単に優れたお化け芝居ではないー

 今から195年前ー文政8年(1825年)7月27日、江戸・中村屋にて『東海道四谷怪談』は初
日を迎えました。「化政文化」と呼ばれる町人文化が最盛期を迎えていた時代に生まれたこの作品
は、以来今日まで、400年の歴史を誇る歌舞伎の歴史に於いて、数多くある作品の中でも最高傑作
の呼び名を持つ作品として上演され続けています。その魅力は一体どこにあるのでしょうか。 

多くの人が思い浮かべるのは、恐ろしい幽霊、お化けで見せるホラーの楽しみ、また様々な技巧で見
るスペクタクルな舞台のイメージではないでしょうか。お岩が幽霊となり夫の伊右衛門を苦しめてい
く様は、今でも上演される度に様々な工夫が考えられており、観客を驚かし楽しませてくれます。し
かし、『東海道四谷怪談』が傑作とされる由縁は単に優れたお化け芝居だからではありません。作者
の4代目鶴屋南北(以下、南北)が書いたこの作品の意義は他にもあるのです。



●いくつかの話がヒントに!

 『東海道四谷怪談』は当時知られたいくつかの話をヒントに書かれました。いわゆる「四谷怪談」もその一つで、元禄年間(1968年〜1704年)のころに起きた出来事だったと言われています。

江戸・四谷左門町に住んでいた同心・田宮又左衛門が大病にかかり、ひとり娘のお岩に浪人の伊左衛門を婿に取ります。田宮家の婿になった.伊左衛門はやがて貧しい生活に嫌気がさし、仲人の秋山長左衛門と一緒にお岩を騙して下女奉公に出し、上役である与力の伊藤喜兵衛と結託して喜兵衛の妾・おこと という若い娘を自宅に連れ込みます。騙されたこと知ったお岩は嫉妬のために身を果たして失踪。その1年後、伊藤家、秋山家、田宮家に次々と不幸な出来事が起こり、合わせて18人が不慮の死を遂げます……。

そしてこの「四谷怪談」以外にも、こんな話があります。享保6年(1721年)に、直助という男が主人である深川萬年町の医師・中島隆碩りゅうせきの金を盗み、それを咎められのを逆恨みして隆碩を殺害。彼は権兵衛と名前を変えて逃亡しますが捕らえられます。その権兵衛(直助)と日本橋1丁目の田中近江という家の下男・権兵衛、2人の権兵衛が同じ主殺しの罪で、同じ日に同じ場所で磔刑はりつけに処されたという説話です。

 まだあります。当時の話ですが、ある旗本の妾が自分の召し使っていた中元と不義密通、それが露顕し2人は1枚の戸板に釘付けにされ、なぶり殺しにされた上、神田川へ流されたという話
●『忠臣蔵』が時代背景

 南北は、このように当時は世間的によく知られた説話や出来事を絡み合わせ、さらに『忠臣蔵』の「世界」を結び
つけます。「世界」というのは歌舞伎の作劇上の特色なのですが、簡単に言えばその作品の時代背景です。時代背景
を『忠臣蔵』にすることで伊右衛門は、内職仕事で傘針をしている元赤穂藩の浪人の身で、亡き主人(塩谷判官
えんや
はんがん
)への忠孝よりも敵方(高師直こうのもろのう)に士官を望み、生きるためには妻お岩をも裏切る欲に満ちた悪
人として誕生することになります。そして怪談話では嫉妬深い女性として描かれたお岩は、出世欲にまみれた人間に
虐げられた女性として生きることになっていきます。幸せになるはずだった婚姻が、虐げられ死に追いやられまでに
追いやられることになった女性が行きついた先は……

●『東海道四谷怪談』は「生(真)世話物きぜわもの

 こうしてみると、江戸時代の暮らしや価値観といったものが少し垣間見えてきませんか。歌舞伎作品のジャンルで
「世話物」というものがありますが、それは主に町人社会の義理・人情・恋愛など様々な人生模様を主題とした作品
のことを示します。その「世話物」よりも、さらにリアルな当時の暮らしを描いている作品は「生(真)世話物」と
呼ばれ、その傑作が『東海道四谷怪談』です。決してホラーとスペクタルを楽しめばよいだけの芝居ではない。江戸
の黄金期とも呼ばれた文化・文政年間(1804年〜1831年)の社会のどん底で生きる人間の生き様、悲しさを描いて
いるーーーここに、真の意義と魅力があるのです。
●直助とお袖

見事に描かれる悲劇「三角屋敷の場」

 このことは、『東海道四谷怪談』の通常上演(伊右衛門とお岩の物語のみ)では上演されない、直助とお袖というもう一組の男女の物語を読み解けばさらに深まります。

 お袖とは、お岩の妹として登場する人物です。お岩とお袖が姉妹であることによって、二つの筋が緊密に結びついています。また、先ほど登場した説話上の直助は南北の手によって、元は赤穂藩に仕えていた武家の下男でしたが、お袖に対する恋心を実らせるために悪事に手を染めていく人物として命を吹き込まれます。

 お袖には赤穂浪士の予茂七という夫がいたのですが、彼は何者かに殺され、お袖はやむを得ず直助と夫婦になります。これが二人の悲劇の始まりでした。戸板返しの仕掛けで有名な「隠坊堀の場おんぼうほりのば」の次にある「三角屋敷の場」では、その悲劇が見事に描かれます。南北が得意とする怪奇現象が次々と起こる上に、お岩の死が発覚し、お袖と直助、与茂七の三人にまつわる物語が実にドラマチックに展開されているのです。
 自己の欲望を叶えるために起こしたたったひとつの行動が、周囲の人生を大きく狂わす、たとえ一時の幸せを掴んでも,やがて巡り巡って、そのシワ寄せが己の身にすべて帰って来る。『忠臣蔵』を背景に、武家のしがらみと歪みを抱えた貧しい暮らしの中でも、夢の実現を願って生きる人間を描写した鶴屋南北。もし運命というものがあるならば、南北の描く運命は、残酷でありながらも美しい運命と言えるかもしれません。
 『東海道四谷怪談』が歌舞伎作品の最高位として置かれているのは、決して幽霊の技巧からばかりではないことが、この「三角屋敷の場」をみると言えます。
●前進座ならではの「三角屋敷の場」

 しかし、残念ながら「三角屋敷の場」が上演される事はほとんどありません。目先のホラーやスぺクタルなどの娯
楽性が優先されてきたという歴史や、上演時間の問題が理由かもしれませんが、これでは南北が書いた真の『東海道
四谷怪談』はやがて埋もれていってしまうことになります。前進座は創立以来、歌舞伎の批判的継承と発展に取り組
んでまいりました。「三角屋敷の場」を上演しない『東海道四谷怪談』は有り得ないというのもその姿勢からです。

 社会の底辺に生きる人間が、貧しい暮らしに悩みながらも、それぞれの願いや夢を実現するため道を外れ、堕ちて
いく……それでも未来を信じて生きる姿。南北が『東海道四谷怪談』で描いたのは、殺戮、残忍、恋愛、猥雑、悲哀
といった様々な要素を強調しながら、躍動感に満ちた人間の力強い生命の営みに他ならないのです。

※おまけ話

 『東海道四谷怪談』が何故「東海道」なのかは、実ははっきり理由が分かっていません。江戸の四谷を避けて、現
在の神奈川県藤沢市四ッ谷を仮の舞台に設定したからとの説や、初演時にお岩を勤めた三世尾上菊五郎が、東海道を
通って九州の大宰府へ参詣する前の公演だったのでという説などがあります。