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日本復活プロジェクト
Lesson for earthquake revival vision
美術教育資料-教育学、支援、擁護のための文書(記録)サイト
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Art e-Learning Centerでは、歴史的な美術教育資料を復刻して公開しています。
著作権法 第53条(団体名義の著作物の保護期間)法人その他の団体が著作の名義を有する著作物の著作権は、その著作物の公表後五十年

「エノホン」:戦時体制での芸能科図画・工作教科書 
"Old Texbook on Drawing": Art education textbook under war. published in 1941
An elementary school subject, called Drawing -
戦後60年経っても、未だ世界では紛争や戦争が絶えません。
1931(昭和6)年満州事変、翌年には上海事変と、その頃の日本は徐々に戦争に歩みを進めていました。
1938(昭和13)年には国家総動員法が制定されて軍国主義的風潮はさらに強くなり、3年後の1941(昭和16)年には国民学校令が出されました。
これまで設置されていた尋常小学校、高等小学校が廃止されて、国民学校初等科(6年制)、高等科(2年制)が置かれました。
国民学校初等科では、国民科、理数科、体錬科、芸能科の4教科になり、高等科ではこれに実業科を加えた5教科となりました。
その後、世界大戦を迎えていく時代に使用された図画工作科教科書はここに公開する『エノホン』『初等科図画』『初等科工作』だけです。この教科書は二度とあってはならない、日本の不幸な歴史を伝える重要な文化財となっています。
昔の教科書類は、出版社や図書館等で保存されていて閲覧することができます。しかし、教師用の指導書は数が少なく、ほとんど残されいないのが実状です。そこには、作品資料と共に、題材のねらいや当時の美術教育に対する国の政策が記されていて、貴重な教育資料となっています。
ここで復刻され、ワープロ化している『エノホン』は、昭和16年発行された初等科1・2年用の芸能科図画と芸能科工作を合併した教科書です。その(三)は、現在で言えば小学校2年生向けです。今の時代から覧ると作品見本は技術的で、児童には高度に思われる教科書です。
内容としては、もちろん戦時体制下における「国民ノ基礎的錬成」が目的の軍国教科書であり、個人の楽しみはあまり意図していません。むしろ、目的に向かう、合理的で科学的な系統を目指しているようです。
そこには、日本が生産立国として復興を築く礎になるような、基礎的な能力や幅広い題材も感じることができます。
<注釈>:歴史的仮名遣い(旧かな)を一部、現代仮名遣い(新かな)に修正しています。
イメージ
小学校2年生向け(教師指導用)
For 2nd Grade Students

*平成21年11月17日
文部科学省著作刊行物の
複製許可申請書提出

■表紙をクリックして下さい。修正したPDFファイルの公開です。平成21年11月23日
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●原文画像ファイルはここをクリックして下さい。画像PDFファイルの公開です。令和2年3月16日






「初等科工作:戦時体制での芸能科工作教科書 
"Old Textbook on Handicrafts": Art education textbook under war. published in 1943
An elementary school subject, called Handicrafts -
国民学校初等科では3年生になると、「初等科図画」と「初等科工作」の教科書に分かれました。ここに紹介するのは、「初等科工作一」ですので3年生用の科書です。
内容は道具の扱い方の説明や設計を重視した工作展開図、戦闘機のグライダーやゼンマイのあるおもちゃなど、その時代を感じさせる題材が羅列しています。やはり、本の綴じ方や画板の制作など、生産業の担い手としての役立つ工作が多く見られます。(昭和18年発行)
■表紙をクリックして下さい。PDFファイルでの公開です。
平成21年11月23日
*平成21年11月25日
文部科学省著作刊行物の
複製許可申請書提出


小学校3年生用
For 3th Grade Students:



子供の美術 創刊号 昭和30年 9月1日発行 蜂書房 
"Child Art" published in 1955
1.児童画ブームについて    久保貞次郎イメージ

 ブームとはブーンと鳴る音の擬音が語源である。蜂がブンブン鳴ることなどもブームという。児童画ブームも蜂がブンブン鳴るようなうるさいところがあるから、ブームということばがふさわしく聞える。ブームはにわか景気のことを指すのだが、たしかに児童画界はこのにわか景気に見舞われている。だが、マンボ・ブームから比べれば、そんなに突如として起ったものでないし、そんなに急に衰退するものでもないだろう。児童画ブームの社会的諸現象を羅列して見ると、次のことがある。
 1、画塾の流行
 2、コンクール、展覧会の流行
 3、外国児童画度の開催
 4、豆天才の出現
 5、特異児童の絵
 6、美術教育出版ブーム
 7、図工教科書のハンラン
 8、スライド・映画製作
 9、精神衛生の画から見た児童画相談の流行
 10、幼稚・保育園での幼児画研究熱
 まだ細かくあげればあるかも知れない。とにかくここにあげた諸現象は大いに歓迎すべきことである。ブームなどというととかく、その場かぎりという印象をあたえて、なにか軽はずみな感じを与える。じじつ児童画ブームもいくらか、あるいは大いに軽はずみのところもある。流行に遅れまいといそいで馳けつけて来たといつた感じのする現象が多い。しかしそれだからといつて、その流行が、本質的に悪いということではない。くり返していうが、これらの現象は大いに歓迎すべきことなのだ。ただ、この流行を単なるブームとして終らせないで、日本の教育文化という建物に鉄筋コンクリートの地下工事をほどこすことが、ぼぐたちの任務である。また、そうでなければ、おもしろくもないし、一生懸命やりがいがない。ぼくたちがおもしろがるのは、流行にのることでなくて、児童画の本体をつかむことである。ぼくたちは何によらず流行に追われることには興味がない。では何に興味があるかと間われれば、ぼくたちは人間の精神の発揮に関係のあることなら興味をそそぎたい、と答えよう。
 児童画の探求も、児童画それ自体のうしろにある人間の精神の自由とか、解放とか、発達とかに興味があるのである。この根本的な問題に興味をそそがずに、表画的な児童画の流行を追う人々は、スタイルの流行を追う諸君と大差はない。
さて前にのべたいろいろな項目のうちで、画塾と展覧会の流行について批判をしてみよう。いまの画塾のやりかたが多く技術教育主義におちいっているのは、困ったことだ。「アア、空をもう少し濃くぬりたまえ。」、「ここに木を二本かくとよい。」、「バックに調子をつけて。」、「花瓶の輪劃がくるっている。」などとすべて表面的技術をつめこむことに専念している画塾は有害なものである。しかしこの画塾は群小画家の先業教済のためばかりでなく、母親たちの劣等感救済に役立つ、社会的機開である。だからいくらぼくが画塾に攻撃を加えても、そう簡単には消えてなくなるものでない。世のお母さん方の自分の子供だけ、才能を植えつけたいという、こっけいな欲望は雑草の如く強じんである。なぜならば、母親たちが自分の人生で達することのできなかった目的を子供に自分に代ってなし遂げてもらいたいと思う欲望は無意識の願望であるからだ。彼女たちは、子供のときにあまりにも、親だちから多くの禁止、抑圧をうけ、失望落胆させられ、その失望が無意諸のうちに根強く残り、子供へそのコンプレックスを転化させ、自己の劣等感を補償しょうとしているのである。子供は親からは独立した存在であるというデモクラシーの精神を身につけていない曰本の母親たちは、当分苅っても苅ってもあとから生えて来る夏の雑草のごとく、旺盛に子供たちを画塾に進りこむであろう。こうして披女たちは児童心理を無視した有害ないまの画塾を保護しその繁栄を支えている。
 しかし,進歩した画塾の教師はこの親たちを啓蒙しはじめている。この仕事は困難だが少しづつ効果が見えはじめてきた。いま、小学校で、よい美術教育をうけている子供たちが、大人になったとき、進んだ画塾の教師たちは、大いに自己を発揮することができるだろう。なぞなら、現代のよい教育をうけた子供たちが親になった時には、いまのような技術つめこみ主義の画塾を支持しないからだ。

 次に児童画コンクールや展覧会の流行に目を向けよう。児童画展は日本中いたるところでさかんに開かれ、また大都会では、新聞社雑誌社、絵具会社、または森永のような会社でも全国的な規模のものを毎年開催している。さてこの児童画展でいちばん重要な点は、その審査にある。地方コンクールの審査は、ずいぶんでたらめで、すこしもはつらつとしていない作品が、一せいに入選し、入賞している例は教えきれないほどたくさんある。全国展は最近はだんだん改革されて、わりあいによい児童画がえらばれるようになってきた。
しかしまだまだ油断はできない。日本は伝統的なやりかたに反対して、新しい運動が起ったばあい、その改革の主張をいいかげんにとりいれて、保守派が新しい運動を骨抜きにすることのうまいところである。決して正面から対決しないで、うまいぐあいに妥協して、新しいものの激しさや鋭さを、まるめこんでしまうのだ。日本の美術教育ジャーナリズムもその手本を踏んでいる。ぼくたちは、日本の児童画の評価はまちがっている、子供らしさを無視して、大人の小器用な絵のまねみたいなものばかりを高く評価している、これは改めるべきだ、と十数年まえから叫んできた。そして近頃だいぶこの主張がうけいれられてきたと思っていたら、次にもう怪しい傾向が現われてきた。それは、一見子供らしく、よく見れば、ぼくたちが、十教年に亘って攻撃してきた、旧式のものとその精神においては共通の児童画が流行しだしてきたことである。それが新しいスタイルで登場してきたので、審査員諸先生は、その仮装を見抜こうとしないで、その傾向の作品を賞讃し始めたのである。すなわち審査員諸氏は、児童画を表面的なパタンで見ようとしている。するとうわべは子供の自然さのようなものをもった絵が現われてきた。しかしそれらの児童画のうしろには、自由なはつらつさが欠けている。じつはそれが欠けていたら、いったいどこにとりえがあるというのだ。しかし世の審査員たちは、これを推賞している。だからぼくたちはいまでも油断することができない。油断したらもとのもくあみである。そしてぼくたちがもくあみになったのを見たら、伝統派は内心ニヤリとするだろう。

 このほかのいくつかの児童画ブームの現象については、ぼくはここで批評を加えない。そしてこのブームの底に一つの重要な芽生えがあることをつけ加えよう。それは教師の人間性回復の運動である。いままでの教師は、社会的に下積みになっていた。教師は自分の職業にそんなに誇りをもっていない。もちろん教師ばかりでなく、自分の職業に自信をもっている人々は、広い世開でも少ないものだ。教師もまた世間の人々と同じように疲れ、退くつし、その曰暮しである。しかし元気のよい将来をせおう子供たちを指導する教師たちが、こんなにぐんにゃりしていて、よいのだろうか。いくら美術教育の理論やじっさいを学び研究しても、ほんとうに子供に与える影響は、教師の個性ではないか、その教師の個性が、しぼみ光を失っていて、どうしてよい美術教育ができようか。しかもぼくたちが、美術教育のじっさいの結果を分析してみて、この考えが正しいことが明らかになった。それは、子供のよい作品は、教師の個性のはつらつさから生れるということであった。いくら美術教育の本を読み、人々と討論しても、その教師が人間的に自由の精神に目ざめなければ、子供たちに、よい影響を与えることが少ないということだった。そこでぼくたちは、教師は、ただ忍耐していて、この社会の重荷に服従しているだけではだめだということに気ずいたのである。教師は自信をかくとくしなければならぬ。教師としてよりも、まず人間として。それには、教師がいままで曰本の学校の職員室を支配しているような偽善的な態度をすてて、率直になる必要がある。独善的でなく、視野を広くもつことが肝要だ。一ロでいえばそして大げさにいえば人間性を回復することが大切である。こういうことが明らかになったので、全国的に教師たちが手をとりあって教師がいままでのように消極的でなく、積極的な気持を養うために、ぼくたちはたびたび会合をひらくことにした。皆んなが心の窓をできる限り広くおしひらいて、協力して教育の道を打開していこうという気運を高め始めた。人開は自己を発揮することには、誰れでも興味をもつ。教師はいままで、余りにも経済的に社会的に劣った地位にいて、自己を発揮することがはばまれてきた。いまや教師はこの自己発揮を集団のなかで実施し始めた。自己を発揮できる教師は幸福感が高まる。幸福感の高まった教師は、子供に権威をもって威圧する必要もないし、偽善的な態度でのぞむこともない。こうして、近頃美術教師の人間性の回復が、一つの運動となって、展開してきたのは、曰本の将来にいだいてよい希望の一つである。この運動の展開こそ、児童画ブームの基底となるべきである。その時にはいまの児童画ブームも健全な児童文化の伝統をつくりうるであろう。(美術評論家)

<注釈>:歴史的仮名遣い(旧かな)を一部、現代仮名遣い(新かな)に修正しています。
久保氏は、1952(昭和27)年に創造美育協会を設立されている。1996(平成8)年10月31日死去平成21年11月22日ご息女に掲載を承諾をいただきネットで発表しています。

■新しい時代の造形教育誌「子供の美術」創刊号より
昭和三〇年九月一日発行



2.造形教育センターの発足記事 

  • デザインや構成の造形教育に努力している美術教育者、画家、評論家、デザイナーが中心になって、新しい造形教育の団体が生まれ、今後の活動が期待されている。P72
  • ■記事をクリックして下さい、原文を公開しています。平成21年11月25日
   



3.私は美術教育をこう考える p20,p21
   図工教科書今昔談 山形 寛 pp23,p24,p25
   日本の子どもの絵がうまいということ 倉田三郎 p26,p27,p28,p29
  • ■表示をクリックして下さい、原文PDFファイルで公開しています。平成26年11月24日


子供の美術 十月号 昭和30年 10月1日発行 蜂書房 
"Child Art" published in 1955
『写生画は必要か 必要でないか』

井手則雄(彫刻家、美術評論家、詩人)
■表題をクリックして下さい。原文PDFファイルで公開しています。
<注釈>
井手氏は、新しい絵の会でも活動していました。1986(昭和61)年1月3日死去平成22年12月13日、奥様の矢野和江様に掲載を承諾をいただきネットで発表しています。

小学生の図画工作 昭和30年 5月20日発行 二葉株式会社 
"Old Textbook on Art and Handicraft" published in 1955
『図画工作教科書 Textbook on Art and Handicraft』

■表題、表紙をクリックして下さい。原文PDFファイルで公開しています。
2010年(平成22年)に学校法人桑沢文庫より、「桑沢学園と造形教育運動」ー普通教育における造形ムーブメントの変遷ーが発行されました。
バウハウス教育がどのように日本の美術教育に吸収され、造形教育センターがデザイン・工作教育の推進にどのように関 わってきたかを詳細に示してあります。その影響もあり、昭和33年施行の学習指導要領には、1,2年生で内容として、「模様を作る」、3,4年生で「デザインをする」、5 ,6年生で「デザインをする」、「役にたつものを作ったり、構成の練習をしたりする」、「機構的な玩具・模型の類を作る」が入れられています。
この度、公開する小学生の図画工作(発行所:二葉株式会社)は、それ以前の昭和30年発行の教科書です。編修委員の川村浩章先生、西光 寺亨先生は、造形教育センター所属であると共に創造美育協会の会員でもありました。
編集方針としては、楽しげな構成や想像・イマジネーションの世界だけでなく、生活環境や周りの自然、生産活動を意識した多様な学習内容になっています。一部を紹介しますと、3年:とりいれ(収穫)、4年:ふね、へやづくり、5年:店とへや、駅の構内、美しいすまい 、役にたつもの、たてもののあるけしき、漁村、新しい建築、6年:働く人、私の家、美しいへや、いす作り、図のみかた、電気スタンド、見学、工場。編成には、児童の興味や創作意欲をたかめながらも、これからの世界や構成教育に対する幅広い指向が感じられます。折しも、今年は未曾有の東北大震災が起きました。私たちは改めて圧倒的な自然の驚異と、被災後に世界の工場にまで大きく影響を及ぼした日本のモノづくりの技術力を思い知らされました。正に、先に記した教科書の題材は、今後の日本復活の要件を予見していたようにも思えます。同情やペーパー知識では日本は復興できません。造形教育として、単に個人の楽しみや建築を目標にするのではなく、地球を含めた新しい構成教育を試行しなければならないと思います。その示唆に富んだ図画工作科教科書を公開できることを幸運に感じています。歴史をコピーするのではなく、再生し、創造することを願っています。


文化を受け継ぐ者は、その思想や技術などを批判的、客観的に(Critical Thinking)考えていきたいものです。単なる肯定や否定だけでなく、すぐれているものを受け継いだり、そうでないものを補ったり、訂正していくような創造的な態度が求められています。それが、正しい伝統文化を継承する姿であり、これからの情報時代を創造的に生き抜いていくための指針(目標)になると考えます。


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