YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2006年 9月


2006/09/04  二人分!

どうでもいい事かもしれませんが、最近気になる事があります。
それは、若い女の子たちの姿勢。
満員電車に乗るたびに思うのですが、最近の子って胸から上が後傾している人が多くはありませんか?
そんなこと気にした事がない?
やっとの隙間に足を滑り込ませてふと気付くと、やたらに密着してくる前の子の上体!!
足がある場所の上には上体がなくて、妙に後ろにあるものだから、結局、彼女の占めるスペースは二人分 ?!
そっくり返っているというよりは、お腹を突き出して、肩甲骨の下あたりから後ろに落ちている。
要は腹筋、背筋がないんだろうけれど、若い女の子に特にそういう人が多い。
少し前までは、姿勢が悪い女の子というと、いわゆる猫背で、肩が前に入り、背中が丸いタイプが多かっ た気がするのですが、今は圧倒的に後ろに落ちるタイプが多い気がします。
この原因は何なのでしょうかねぇ?
すごくよく言えば、モデル立ちの変形なのでしょうけれど、モデル立ちは足の付け根を前に突き出す形な のに対して、今の子の立ち方は、どう見てもお腹を前という感じ。
その証拠にそういう子の下腹は、若い子にあるまじき緩みっぷり!
踊りでもやって、しっかり身体のセンターを勉強しないと、すぐに下腹ぽっこりのおばさんになっちゃう よ〜!!知〜らないっと!!(・・・と窮屈な思いをしながら思う私なのでした。)



2006/09/07  廊下のブローチ

秋は虫!
特に、後ろに森のような小山をひかえた我がマンション付近は、様々な虫が大活躍する季節です。
セミたちの最後の悲鳴のような大合唱に、夜ともなれば、おなじみの仮死状態で廊下に落ちたセミの間を かいくぐっての帰宅。
もし、セミをいったん刺激したら最後、狂乱のセミの舞の中を逃げながら走ることになる・・・。
その他、名前もよくわからないような、小さな虫たちが、ぼとりと突然コンクリートの廊下の上に落ちて いる。
玄関の灯りの周りには、大小の蛾たちが、飛び回り、ドアを開ける時に、いっしょに入り込まないように 細心の注意が必要!

今の家で暮らして約30年というのに、虫たちとの共存というのはいつまでも慣れないし、どうもここ数 年、かえって虫の数が増えたような気がするのはどうしてなのでしょうか?
もしかすると、虫の天敵の鳥とか、他の何かが減っての結果なのかな〜・・?

朝出かけようとすると、廊下になんとも色鮮やかな虫が落ちていました。
思わず、携帯でパチリと撮ったけど、本物はこの写真よりもっと綺麗でした。

たぶん、コガネムシかカナブンの一種だと思います。
世界に分布するコガネムシやカナブンの写真などを見ると、ホントそのままブローチにできそうな美しい ものがいっぱい!
(足がついているのが若干気持ち悪いから、私はそんなブローチはしたくはないけどね・・・)
南の海の熱帯魚などを見ても思いますが、自然の色合いのセンスは、人間が考えてもなかなか思いつかな いような奇抜で、でも美しいものだったりして、やはり天才的ですね。

2006/09/10  「容疑者Xの献身」

遅ればせながら、直木賞をとった東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」を読みました。
東野作品は、結構好きでかなり読んでいる方ですが、(ドラマにもなった「百夜行」は何故か読む気がし なくて読んでいません)私が好きな東野作品のベスト7(何故か7?!)には入るかな・・・。ベスト1 ではないけど・・・。(ちなみに、ベスト1は、「秘密」か、「変身」。ちょっと選べない。)
さて、その「容疑者・・・」です。
読んでいらっしゃらない方のために、ざっとあらすじを言うと・・・。
天才数学者石神は、さえない高校数学教師。隣に住む靖子が彼女につきまとっていた元夫富樫を殺してし まったことを偶然知って、その犯罪をかばい完全なアリバイ工作をめざす。石神の旧友、天才物理学者湯 川が犯罪を知り、苦悩しながら、そのアリバイ工作を崩すことになる。

読み終わった夜中には、何故か異常に感動して、
(あぁこれこそが、無償の愛。この人は、靖子の中に、自分の神を見たんだろうな〜)などと思ったので すが、一夜明けると、どうも割り切れないものが残っている。
石神にとって、靖子母子は、絶望していた彼にとっての生きがい、崇高なるものであったわけですが、そ のために彼がとった行動は、まさに「目的のために手段選ばず!」、しかも、冷酷、かつ完全な(に思わ れた)彼の工作で、靖子は決して幸福にはなれなかった。
つまり彼の行動そのものが、彼のアリバイ工作のキーワード「思い込みを崩す」の「思い込み」でしかな い。
哀しいね〜。
決して自分の利益を求めず、常に遠くから見守るだけで満足、何のアプローチもせずにあくまで距離を保 ち、頭脳の限りを尽くし、黙って自分が罪をかぶった後は、他の男と幸せになってくれることを願い・・ ・。
それでも、それは単なる「思い込み」で、誰をも幸せにしなかったのだ。
そう思うと、やはり人間は一人では駄目なんだな、と思ったりします。
コミュニケーションの大切さ、話して意思を伝えあうこと、傷つけたり傷ついたりすることを恐れずに。
殻にとじこもったまま、心の中でどんなに自分の身を尽くして愛しても、それは相手にとって恐ろしい負 担にしかならない事もある。しかし、旧友湯川も、何で石神の想いを、事件のからくりを、靖子にばらし ちゃったんだろう・・・?!これもまたひいては“自分考え”。
知らぬが仏だったのに〜!
人間は、ちっぽけで愚かで哀しい。

しかしながら、このミステリーの他の人のレビュー(感想)をネットでぱらぱら見ていたら、本当に極端 で面白かったです。
無償の愛に感動!派と、深みがなくて同調できない!派、に真っ二つ。
かくいう私も、一夜にして両方の感想を持ったから分かる気がする。
著者の東野さんは、何でも7回候補になって、7度目の正直で取った直木賞ということらしいですが、とり あえず読みやすいし、さっと世界に引き込む筆力はいつも通りなので、時間があったら読んでみて下さい 。(^o^)/



2006/09/11  ほおずき?

道端で(人の家の前)、ふと見つけた何かの実。
青いからちょっと分からないんだけど、たぶん、ほおずき?(違うかなぁ?)

ほおずきって鬼灯って書くんですよね。何となく感じが出てる・・・。
小さい頃、この実の中に入っている、さくらんぼのような本当?の実で遊んだことがあります。
ほおずきは、子供が、口に含んだ有様、“頬突き”から来ているという説の通り、鳴らして遊ぶのです。
私くらいの世代?!ならご存知でしょう?
鳴らして遊ぶと言っても、すぐ鳴るわけではなくて、熟れた赤い実をそっと揉んで、丹念に柔らかくして いって、実と房との境目を離して、中の種を全部出して(結構これが大変。大抵ジュクジュクと柔らかく している途中で破けちゃう。)、きれいに洗ったら、その小さな赤い風船みたいなものを吹いて笛のよう に遊ぶ。
実は、私は、そう母親から聞いて、かなり長い間、実をいじっていた事はあるし、確か、そのうち一個く らいは、中身を出すところまでは行ったと思うけれど、どうも鳴らせた記憶がないのです。(口に含んだ 事はある気がします。)
まぁ元来、手先も口も?!器用な方ではないし、上手く鳴らせなかったのでしょう。
“鳴らす”で思い出したけれど、祖父の家の垣根が、“マサキ”という木で、その葉を祖父や父は器用に 草笛にして鳴らしてくれましたっけ。
これも、私はできなかったんだけど。
口にくわえて、自分で“ブーブー”言ってました。(^o^;)

もしかしたら、ほおずきではないかも知れないんだけど、赤くなってくるのかまた見てみましょう。



2006/09/17  柔道W杯女子を見て

柔道W杯女子をTVで見てました。シンクロとどっちを見るか迷ったのですが、シンクロってどうも見ていても、私には差があまり分からないのです。
指先も爪先も、顔も?!力入りまくっていて、技も同調性(っていうんだっけ?そろいっぷり?!)もみ んなすごいんだとは思うのですが、イマイチ素人にも歴然とわかる点数の差がない気がする・・・。
同じように、技術点、芸術点、で審査されるスケートなら、まだ、ジャンプの失敗とか、明らかに分かる し、技の内容も踊りに近いし、まして芸術性といえば、ほとんど踊りと同じフィールド。
見ていても、これは上手い、とかあらら?とか分かりやすい。
シンクロは、確かに美しいと思う瞬間も沢山あるんだけど、どうも結果が素直に予測できない分、何だか 入り込めないわけで・・・。
(振付や構成は、面白いと思う。特に、これは、スケートも同じだけれど、選曲でかなり観客の印象は違 ってきますよね。何でこんな地味な曲使うかな〜という時あるものね。)

さて、柔道。
悔しい〜!!
ご存知の通り、日本女子はフランスに惨敗し、銅メダルに終わりました。
私は、あまりに入り込みすぎて、息もつかずに応援していたのですが、それもむなしく終わり、ちょっと 柔道を習いたくなってしまいました。(勝ちたい〜!!)
そのTVで、高校生の代表、中村に、
「どうやって組み手を覚えたのですか?」
との質問に、
「上野さんのを見て勉強しました。」
との答え。
解説の人が、そういうのを、“見取り稽古”と言うんですね、と言ってました。
つまり、上手い人のを見て研究する。
これは、踊りでも同じく重要な事です!
私もさんざん、見るのも稽古のうち、と言われてきました。
まずは、見る目を養うこと。
しかしながら、見ていて、自分にも出来ると思ったら甘い、甘い・・・。
日本の代表の選手を見ていて、私も習えば勝てるかも〜なんて(さすがにそれは思ってないけど・・・) のは問題外ですが、結局は、稽古、冷静に自分を判断する力、強い精神力、何の分野でも共通する点はあるものですね。



2006/09/23  発表会のゲーム機

友人のIちゃんは、バレエのインストラクターをしています。
もうすぐ、彼女が教師を頼まれているあるスタジオの舞台ということで、毎日ハードスケジュールの中で も、自身のレッスンはかかさずに頑張っています。
先日、朝のレッスンの前の一服タイムで、ちょっぴり憤慨して言う事には、
「ウチの先生は、当日ゲーム機を持ってきていいって子供に言っちゃったんだよ〜。どう思う?!」
話によれば、ゲネ、本番と、当然あるであろう空き時間にやるように、ゲームを持ってきていいんですか ?の質問に、なんとスタジオ主宰の先生が、許可を出してしまったそうで・・・。
彼女が教えているクラスでは、
“バレエに関係ないものは一切持ってこない事!”(それが普通だよね〜)
の指導方針を貫いていたのに、当の主宰の先生が、許可を出してしまったとの事・・・。

う〜ん・・。それっていったい・・・!
大体、子供なんて、何にもなくたって、何となく全てを遊びにしてしまう天才なもので、大人が暇をもて あますんじゃないか?と心配することはないような気がするし、ましてゲーム機とは!
私は、ゲーム機、携帯などで子供が遊ぶのは、どうも好かないし(あれこそが、想像力を奪い、子供を孤 独にする原因!)、バレエの発表会という、いわば晴の場まで、持ってこなくてもいいのに〜!!
どうも、内輪の事情を聞くと、主宰の先生にもお子様がいて、その子たちを連れてくるのに、おそらくゲ ーム機を持たせて放っておけるように、他の生徒さんだけ禁じるわけにもいかず・・・ということらしい のですが、いずれにしても、ちょっといかんなぁ〜と思ったわけです。

遊具がなければないほど、子供の想像力は羽をのばして、時に大人が感心し、時に“それのいったい何が 楽しいんだか?”と首をひねったりする中でも、子ども自身は楽しんでいたりする事があります。
ただのおっかけっこや、行ったことのない部屋まで行ってみる“探検”だったり・・・。
現代にあって、周りの状況は変化を遂げていても、多分子供自体には、昔の子供のような感性も残ってい る気がするのです。
後もう一つは、時には我慢させるのも必要という事。
何だか退屈で、でも他の場所には行ってはダメで、ただここで静かに皆で待っていなさい!という我慢を 子供にさせる、これも一つの経験です。
ほとんど覚えていないけれど、私が小学一年の時のバレエの発表会でも、待ちの時間に、緊張とワクワク 感が高まっていった気がします。
大人が面倒だからと、子供の言うとおりにさせてしまう事が、子供のためにならない、という見本のよう な話しでした・・・。



2006/09/28  「夜のピクニック」と「グロテスク」

涼しくなったと思ったら、冷えたのか夏の過労か、ちょっと張り切りすぎたのか、腰を痛めました。
まぁ今回のぎっくりは、軽い部類で、歩けるし、(^o^;)とりあえず振付はできるので助かりました。
だいたい夏生まれのせいか、夏の暑い間は元気なのですが、夏が終わったとたんにこのざまで気分的にち ょっぴりへこみますが、しばらくおとなしくしてれば回復するので、大丈夫です!(^o^)V

さて、今週末公開の映画、「夜のピクニック」の原作をこの間読みました。
恩田陸という人の作品で、他の作品も何作か読んでいるのですが、私としてはこれはう〜ん?・・・とい う感じでした。
話は全く単純で、一昼夜かけて全校で80キロを歩く、「歩行祭」なるものをめぐってのまぁ青春ストー リー。
徹夜で全校で歩くなんていう行事をさせる高校が、本当にあるとは思えないけれど、この話の中では、そ れが高校生活最大のイベントになっていて、いろいろな思いを秘めた高校生たちがその思いを伝えられる か・・・という話。
私にしてみれば、こんな純真な、素直な高校生なんて今どきいるの?っていう感じだったし、自分の高校 時代を考えてももっと屈折してたし、その前に読んだ桐野夏生の、「グロテスク」の方がよほどピンとき ました。
(「グロテスク」の方は、私立付属の女子高の中で、いじめあり、ねたみあり、内部、外部(付属から上 がってきた子と後から外から受験した子)の差別という高校生活から始まり、結局その後は、エリート会 社員でありながら売春婦として殺されてしまった実在の人物もモデルで出てくる、というドロドロとした 展開になるのですが、私は結構好きだった)

が、私の母親になるとまた感想が違ってきて、
「ママたちの高校生活を思い出して懐かしかった・・」
という事。
私が、あんな高校生活は私にとっては全然リアルじゃない!と言うと、ちょっと哀れみ?の混じった感じ の目で、
「そうかも・・・郷愁なのかもね」
ですって。

私としては、屈折してたし、生意気だったし、かなりやる気がない高校生活だったけれど、それはそれな りに今の私につながっているわけで、その時の私の現実だったからね〜。
今の時代に、妙に郷愁をさそうような「ホンワカもの」がとりあげられるのっていうのは、もしかしたら あまりに時代が殺伐としているから、そういうものが求められているからかもしれないな・・・。
まぁ読みやすい作品なので、ホンワカしたい方は読んでみて下さい。(ガッツリ!?読みたい方には、「 グロテスク」をお勧めします。)



2006/09/30  さようなら ありがとう

今朝、友人夫妻のところのピット(私が生まれて初めて仲よくなれたアメリカン・ピット・ブルテリアと いう大型犬)が亡くなりました。
私が、具合が悪いことを聞いたのが昨日、まだ3歳、人間で言えば、25歳くらいだったのに・・・。
原因不明の脊髄の病気に突然なってしまい、10日間苦しんだ後に、逝ってしまったそうです。
今日お別れに行ったら、部屋の真ん中に、お花に囲まれて、まるで眠っているように横たわっていました 。

犬が怖くて、まして大きな犬なんてとんでもない!と思っていた私に、優しく穏やかになつっこく接して くれた彼。
彼をきっかけに、犬があまり怖くなくなった私でした。
白黒の牛模様がとてもかわいくて、幼い頃は、アレルギーがあって、目の周りがピンク色で、あまり体が 強くなかった彼。
椅子の下で、太い尻尾をピタンピタンと私の足にぶつけてきた彼。
私の「ウエイト!」の命令もちゃんと聞いてくれて、玄関でいつまでも待っていた彼。

その後、立派に逞しく賢く優しく育ち、友人夫妻の大きな愛情に育まれ、皆に愛された彼は、今朝旅立っ ていきました。
最後は、夫妻の必死の看病の中、何日もの徹夜で、ふと居眠りした二人の隙を待つように、そっと逝って しまったそうです。

あんまりいい子だったから神様が早く帰っておいでと呼んだのかもしれない・・・。
会う人皆を虜にして、皆に愛をくれて逝ってしまった彼。
でももうどこも痛くないし、苦しくない安らかなところに行ったんだよね。
思い出を本当にありがとう。


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