観 光 編

<7日目後半~9日目
(2002.9.26~28)>



※ $1 = \120 = 3.5ソル(2002.9当時) ※

 Hotel Las Dunasはイカの町外れにあるリゾートホテル。 中のホールでは何かのシンポジウムが行われており、しもべ1号はなぜかその参加者に間違われていた(笑)。 プールサイドの庭でビュッフェランチの昼食(もちろん昼ビールを注文)。 日本では見たことのないかわいい小鳥が飛び回っていたので、食後はパンくずで手なずけたりして時間をつぶした。

 その後、バスに乗って簡単なイカ市内観光。最初に連れて行かれたのが考古学博物館。 最初の方は織物や壺が展示されているのだが、この博物館のメインはミイラ。 布を巻かれて棺に横たわっているのではなく、普通にあぐらをかいたような体勢のまま固まっている。 エジプトのように内蔵を取り出さなくても、この乾燥気候のせいでナチュラルにミイラ化するようだ。
 他にも頭蓋骨がたくさんあって、脳外科手術跡のある頭蓋骨(手術後も生きていた形跡が頭蓋骨に見られる)が有名なのだが、むしろシロウトの目を惹くのは細長く変形した頭蓋骨。 この時代の上流階級の間では「頭が細長いほどイケてる」ということになっていて、幼児の頃からぎゅうぎゅう布で巻いて纏足ならぬ纏頭(?)していたらしい。 そんな時代の女王様じゃなくて良かった。 (^^)

オアシス  次に、ワカチチというオアシスへと向かった。まずオアシスの手前で周りをかなり大きな砂の山に囲まれている地点でいったん下車。 ナウなヤング(爆)の間では、この砂山でのサンドスキーが流行っているそうである。
 イカの町中から15分くらいでオアシス(左写真)に到着。初めて見たオアシスの感想は…イメージと違う! オアシスというと「人々の命の水となる砂漠の中の美しい泉」というイメージだったのだが、これでは「砂丘に囲まれた不忍池?」。 水も決してキレイではないし、手漕ぎボートで楽しんでいる人々がいるのがなんとも「オアシス」にそぐわない感じ。 よく考えれば、これだけの乾いた土地の中に突如泉が涌いているということ自体が貴重なわけだが。

 イカの空港に戻ってみると、我々のセスナ機の前に救急車が横付けされていた。 「何事?」と思ったら、(見た感じでは)交通事故に遭ったらしい現地の少女をリマまで同乗させることになったとのこと。 満席なのにどうするのかと思ったら、セスナ機の最後部のスペースに担架を横たえていた。点滴をしていて痛々しい。 スペースの都合から、少女の親は同乗せずに看護婦さんだけが付き添って乗り込んできた。
 リマまでのフライトの途中では少女の泣き声が後ろから聞こえてくるときもあってかわいそうだったが、機長が機内から連絡をしておいたため、空港に到着すると既に滑走路上に救急車が待機していた。 看護婦さんに「Gracias」と言われながらセスナ機を降りたところで、地上絵ツアーは解散。17:30頃。

ライン

 それからほとんど人気(ひとけ)のない国内線カウンターへ行き、アエロコンドルのカウンターの奥に預けてあったスーツケースを引き取る。 周りが空いているのをいいことに、並んでいるイスの前でスーツケースをオープンし、ナスカみやげを詰め込んだり、スニーカーから普通の靴に履き替えたり、トイレに洋服を持っていって着替えたり。
 そして今度はスーツケースを荷物預かり所に預けようとしたが、これがなかなか見つからなくて、しもべ1号は空港の2階まで探し歩くハメに。 だがその間に荷物番をしていた女王様1号が、しもべ1号が上っていったエレベーターの裏側のエリアにふと視線をやると、まさしくそこに「荷物預かり所」の表示が…。 荷物預かり所は国際線カウンターと国内線カウンターの中間にあるエレベーターの裏側にあります。値段は荷物1ヶにつき1時間$1

 夜中発の飛行機まではまだまだ時間があるので、夕食&最後の買い物スパークのためにタクシーでリマ市内のミラフローレス地区へ行くことにした。 空港からのタクシーはボリボリ値段だとは思うのだが、粘り強く交渉する気力がもう残っていなかったので、あまり値切れずに25ソル。 空港前では各運転手とではなく、価格交渉を一手に仕切っているらしいオヤジと交渉して、成立すると次々タクシーに乗せられる仕組み。
 初日にリマに着いたときは旅行会社のクルマだったので結構表通りを走っていたようなのだが、夕方で渋滞しているし、運ちゃん裏道走りまくり。 まだ夜7時前だというのに真夜中のように静まり返っている寂れた地区なども通り、やがて右手に暗い海が見える海岸沿いの道に出た。
「おお、ここは太平洋の東端?!」
太平洋の西端の国から来た我々としてはちょっと感慨深い(?)。
 そのうちに、有名なシーフード・レストラン「ロサ・ナウティカ」の横も通った。 この店で夕飯を食べることも検討していたのだが、夜だと真っ暗で意味なさそう。ここは昼間に来るべきところと見た。

 空港から約50分でミラフローレス地区のケネディ公園前に到着。 ここでしもべ1号が支払をしようとしたら、なんと偽造コインが混じっていたことが判明。 今ペルーで偽造コインが出回っているという話は何かで読んでいたが、いつの間にか掴まされていた模様。 小銭なので大した被害額ではないけど、外国人には防ぎようがない。 (-"-)
 ミラフローレス地区は「新市街」と呼ばれるところで、ごくありふれた繁華街っぽい雰囲気。 人通りも多く、フツーに気をつけていれば無茶苦茶危険な目には遭わなそうである。
 ここから歩いて行って、「バザール・ナカヤマ」という店でアルパカ製品を買ったり、民芸品市場と呼ばれるみやげもの屋アーケードで細々としたみやげを購入。 さらに通称「ピザ屋街」というイタリアン・レストランの多い通りでペルー最後の夕飯を摂って、やるべきことはすべて終了した。
 再び25ソルでタクシーを拾って空港へ戻ったが、一般のタクシーは空港内まで進入できないそうで、空港前の通りからターミナルビルまでを結構とぼとぼと歩かされてしまった。

ライン

 まだ離陸3時間前だったが、リマ空港でのアメリカン航空のチェックインはやたら時間がかかるという話を聞いていたので、もうカウンターに行ってみる。 なぜ時間がかかるのかというと、実際にチェックインする前にアメリカン航空の係員による検問(?)のようなものを受けなければならないのだ。 こちらが日本人と見るとちゃんと日本語の分かるスタッフが対応してくれる(しかしピュアジャパニーズではないのでちょっと日本語が不自然)のだが、日本語スタッフは人数に限りがあるので、日本人ツアー客などが団体で来るとなかなかはけないらしい。 日本語係員待ち行列があんまり長い場合は、新庄言うところの「エーペ(=英語ペラペラ)」または「スペペ(=スペイン語ペラペラ…なんてことは新庄は言わなかったが)」な人はその旨申し出た方がいいかも。
 尋問の内容は、「ペルーでどこに行きましたか」「スーツケースはいつどこで荷造りしましたか」「電気製品を持っていますか」「誰かに品物を預けられませんでしたか」、そして持ち込み禁止物の写真をいろいろ見せて「このようなものを入れていませんか」など。 「このような質問をするのは~だからです」といちいち質問理由も律儀に説明するので(直訳調の日本語で (^^;)、女王様1号のように善良な観光客相手でも検問を終えるまでに10分以上かかった。 9.11テロ以前もこんなに厳重なチェックをしていたのかどうかは不明。
 待合室に入る前の金属探知器もほとんど無意味なほど感知レベルが上げられており、洋服のファスナーでも反応してしまう。 女王様1号もそれに引っかかってデイパックの隅々まで調べられたが、非常食の小魚アーモンドまで取り出されて恥ずかしかったではないか。 (-_-#

 日付が変わって1時5分発のAA948便は深夜便なのでさすがに満席ではなく、7割程度の席が埋まっていた。多分定刻通りに離陸。 多分というのは、席に着くやいなや爆睡してしまったためである。朝8時過ぎにダラス・フォートワース空港着。
 行きと同様、またもやアメリカに入国→出国の手続きを踏まねばならないが、今度は二度目なのと乗り継ぎ時間が3時間あるので楽勝。 オニのように広いターミナル内を探検する余裕もあった。
 11時30分発のAA61便に搭乗して、太平洋と14時間の時差を飛び越え、翌日の15時前に成田空港に帰着。 時差を抜きに考えるとペルーから約1日半かけて帰ってきたことになる。 「旅好き3女王様の小帝国」からインカ帝国への表敬訪問も終え(?)、これで南米大陸も制覇。残すはオーストラリアと南極大陸だ!と野望を新たにする女王様1号であった。

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