行殺(はぁと)新選組りふれっしゅ 近藤勇子EX

第7幕『剣林弾雨の鳥羽伏見』(後編A・勝利への方程式)


 1月4日、よいの口。
 薩長軍に揚がった錦旗に動揺した徳川慶喜は『錦旗には逆らえぬ』と新政府に対し恭順を決意、夜陰に紛れて大坂城を抜け出し、小船で天保山沖に停泊する幕府艦隊旗艦『開陽』へと逃げ込んだ。
 慶喜が最も恐れたのは、この戦いが日本を二分する戦いに発展する事だった。そうなれば、幕府にはフランスが、新政府には英国が味方バックにつき、日本が列強の代理戦争の場になってしまう。最悪、ベトナムや朝鮮半島みたいに国を2つに分割されて、外国の支配に屈する結果になりかねない。それだけは避けねばならぬ。徳川家が朝廷に対して一歩退く事で、日本が一つにまとまるのなら、敢えて敗軍の将の汚名を受けよう、との高度に政治的な判断だった。
 だが大坂城内は大混乱におちいった。そういう高度な政治的な判断を下したにもかかわらず、その事を家臣に告げず、こっそりと逃げ出したからだ。総大将が逃げ出せば、全軍すみやかに撤退するだろうという慶喜の考えだったのだが、ほんのちょっと前に『千騎が一騎になっても退いてはならぬ。奮発して力を尽くせ』と、まるで正反対の命令を出していただけに、残された幕臣達は混乱した。将軍が逃げ出したので自分たちも逃げ出そうとする者、撤退の指揮を取ろうとする者、大坂城で迎え撃とうと主張する者、指揮系統が錯綜し、大広間は混乱の極みにあった。・・・・家臣の事を考えない迷惑な将軍である。


 そんな中、会津藩主 松平けーこが大広間に現われた。城内の銅御殿が将軍が過ごすプライベートルーム(18畳が2・24畳が2あるのでプライベートルームとはいえ、広い。さすが将軍)、銅御殿から東松廊下(渡り廊下になっている)で繋がった黒書院が将軍の執務室、大広間が謁見室と言えば分かりやすいだろうか。先の後編@で、慶喜・松平けーこ&定敬姉弟が話していたのが黒書院で、ここは言わば徳川の身内のみの場である。大広間は普段は正規の儀式を行う場である(将軍の座す上段が36畳、臣下の伏す下段が40畳、他に48畳の二之間、36畳の三之間、24畳の四之間がある。これ全部が大広間という建物である。め、目茶苦茶広い・・・)。今は戦時なので、ここが軍儀の間(作戦司令室)の役割をになっている。

肥後守ひごのかみ様・・・」

「会津中将殿・・・」

 洋風の軍服の上に緋の陣羽織をまとった松平けーこの登場で騒然としていた大広間が一瞬、しんと静まり返る。将軍が逃げ出したことは既に周知の事実であり、2人の老中板倉勝静かつきよ、酒井忠惇ただあつも慶喜に従って逃げ出していた為、姿の見えない会津藩主松平けーこと桑名藩主松平定敬の姉弟も一緒に逃げ出したと思われていたのだ。(※慶喜は主戦派の筆頭を連れて逃げたのである。これにより事態を沈静化しようとしたのだが、松平けーこ&定敬姉弟が忠義心ゆえに逆らったのは計算外だった)
 そして遅れて、けーこの弟で桑名藩主の松平定敬も大広間に入って来る。こちらも一部の隙もない軍装に身を包んでいる。

越中守えっちゅうのかみ殿!」

 何かが起こりそうな予感に大広間がざわめく。

「定敬、準備は整ったか?」

「はい、姉上」 定敬が静かにうなずく。



「肥後守様、一体、何を?」

 恐れながらと幕臣の一人が尋ねる。 けーこの眼鏡が不敵に光った。

「知れた事よ! これより薩長を蹴散らしに行く!」

 指揮用の弓折れを前に突き出し、高らかに宣言するけーこ。

「おやめ下さい、殿! それでは、我ら会津が朝敵となってしまいまする」

 会津藩家老の神保内蔵助くらのすけが進み出て必死の面持ちで建言した。
 広間のそこここに集まる幕府の重臣達も息を飲んで事の成り行きを見守っている。

「それがどうしたぁ!」 けーこが一喝する。

「ははっ」 神保は勢いに押されて平伏した。

「我が会津の兵が、まだ伏見で戦って居るのだぞ。
 家臣を見捨てて、主君だけがおめおめと逃げられるか!」

 これは暗に全軍を見捨てて逃げ出した将軍に対する当てつけと大広間の誰もがそう受け取った。実際はけーこが単に部下思いなだけである。

「しかし、殿」

 なお言い募ろうとする神保をけーこが手で制する。

「よいか! 我が会津は将軍家への忠節を第一とするのだ。それを忘れるな!
 たとえ朝敵の汚名をこうむろうとも、我が会津は将軍家の楯となってお守りするのだ! それが会津武士の生きざまよ!」

 この言葉に広間の各所から賛同の声が上がる。

「貴様ら、腕と根性のある奴だけついてこい!」

 広間に向かって呼びかけるけーこ。

「おおっ!」 広間の随所で呼応する声があがる。

「行くぜ、定敬!」

「はい、姉上!」

 けーこは大広間を横切り、そのまま狭間さま障子を開け庭に降りていった。二の丸に駐留する本隊を自ら指図する為だろう。(彼女は気が短い)



 大広間では反撃に向けての準備が一斉に始まった。彼らは責任を逃れるために右往左往していただけなのである。これは徳川幕府260年の間に武士が官僚化してしまった弊害だ。とかく官僚は自分の地位を守るためだけに動くものだ。しかも今は命令を下す将軍が不在という状況だったし。それを松平けーこが一変させた。けーこの勢いに飲まれて、彼らは効率の良い官僚的な本来の働きを始めたのである。



 会津藩主直々の出馬に兵たちは沸き立った。会津藩・桑名藩だけでなく、幕府陸軍のほとんどが会津藩に同調した。幕府陸軍は旗本と志願した浪士や博徒で構成されているが、江戸っ子の彼らは元々血の気が多い。しかもロクに戦いもしないうちから、彼らの将軍は逃げてしまったが、会津が代わりに戦おうというのだ。あねさんはだの松平けーこは洋装の上に先帝から贈られた緋の陣羽織をまとい、弟の桑名藩主と連れ立ち堂々と軍の前に出て来た。これに手を貸さねばおとこすたる。錦旗がどうのという政治的な事柄は末端の兵士たちには分かりづらい。だが会津が徳川将軍家を守るため、裏切る藩が続出する中で出撃しようとしているのだ。それにせっかく江戸から船で運ばれて来たのに何のいくさ働きもせず江戸に帰ったら、大江戸八百八町の笑い者になる。そういうわけで幕府陸軍は義侠心によって会津藩と一緒に出撃したのである。



 大軍勢ゆえ準備に手間取り、会津・桑名・幕府陸軍・その他佐幕派諸藩連合軍(※長いので以後、幕府軍とする)が実際に出撃できたのは、出撃を決めてから数時間後の事だった。実は幕府軍の真の主力は大坂城内に居たのである。相手が少数なので見くびって精鋭部隊を出さなかったのが、けーこにとって幸いした。フランス皇帝ナポレンオン3世から送られたシャスポー銃を装備し、フランス製4ポンド山砲や6ポンド山砲を勝手に国内でコピーした洋式砲隊を持つ最新鋭の将軍直属の近衛部隊が大坂城内で出撃命令を今か今かと待っていたのだ。更には淀方面から逃げ帰って来る伝習隊などが途中で加わった為、総勢1万ぐらいには達している。
 そしてこれまでと違い、夜にもかかわらず、家康公もかくやと本陣がどんどん前進するのである。全軍がそれに引っ張られて前進する形だ。

「殿、淀藩が裏切り、津藩も天王山に砲列を敷いております」

 天王山は大坂と伏見の間にある要衝だ。街道は東の男山と西の天王山に挟まれた隘路で、ここを押さえられるとやっかいだ。かつて豊臣秀吉が明智光秀を破ったのもこの天王山である。

「稲葉と藤堂の恥知らずが!」

「いかがなさいますか?」

「突破するより他にあるまい。伏見には、まだうちの連中が残っているからな」

「はっ」

 伏見では佐川官兵衛率いる会津藩兵と林権助率いる会津砲隊、そして近藤勇子率いる新選組がまだ頑固に抵抗していた。淀藩が裏切ったので彼らに退路はない。


「殿ぉーーーーー!」

「今度は何だ!」

「伏見に先行させた斥候からの報告です!
 高台寺党が裏切り、錦旗を砲撃、我が藩と伝習隊、新選組が攻勢に転じました!」

「よっしゃあ! さすが芹沢、やるじゃん」

 これで錦の御旗を攻撃したのは、あくまで薩長軍の裏切り部隊という事になるから、表向き幕府軍に非がなくなるのである。これは好都合(※島田はそこまで考えてない)。錦旗が出て来たのはけーこにとっても計算外だったが、まさにこんな想定外の事態の為に芹沢率いる新撰組を薩摩側に送りこんでおいたのである。
 次の伝令は錦の御旗が薩摩によって偽造された物だと伝えてきた。これは島田の言い始めたウソだが(※実は本当なのだが彼はそれを知らない)、これを最大限利用すべく新選組副長の土方歳江が配下を通じて情報を敵味方構わず、ばらまいたのだ。これで正々堂々と薩長といくさする事ができる。錦旗を奉じた天皇の軍隊を攻撃するわけにはいかないが、薩長と徳川が戦うのは私闘なのである。しかも現在の幕府軍の総大将は松平けーこなので、戦いの目的も伏見に取り残された会津軍の救出になっている。それを妨害する薩長軍と戦うだけだ。

「今の報、全軍に伝えよ! 我らも遅れを取るな!」

「おおーっ!」

 鳥羽街道と淀にいた幕府陸軍が、あっさりと南に退却してしまった為、薩長軍の主力はこれを追撃して南下。更に北上して来る幕府軍を迎撃するために天王山の麓の橋本に集結している。今ここで、橋本を攻めれば薩長軍は手一杯になり伏見に援軍を送れなくなる。伏見の連中が生き延びるチャンスが増えるのだ。
 そして負け続け裏切り続出の幕府軍に取って、味方勝利の報は効いた。俄然がぜん進軍速度が速くなる。

「続けー! 蹴散らせー! 伏見の連中に遅れを取るなー!」

 本陣もどんどん前進し、馬上の松平けーこが直々に檄を飛ばす。錦旗が贋物であるという情報は意図的に淀の稲葉と、天王山に砲列を敷く藤堂藩にも流した。更には会津の松平けーこが遂にキレて幕府の全軍を率いて北上中であるという情報も間者かんじゃを通してどんどん広めている。連中も錦旗の登場で薩長側についたものの、さてどう出るか。

「これで面白くなってきたじゃん」 けーこは馬上で独りごちた。



 一方、伏見では。
 絶対にあり得ないタイミングでの高台寺党の裏切りは再び戦線を引っ繰り返していた。錦旗の出現で優勢にありながら薩長軍に手だし出来なかったのだが、1発の砲弾が錦旗を奉じた鼓笛隊ももろとも吹き飛ばした為、新選組も会津藩も伝習隊も、もはや後には退けなくなったのだ。いくら言葉を並べ立てて言いわけしたところで、新撰組の幹部が元新選組幹部だったのは隠しようのない事実だからである。もはや勝つしか道は残されていない。

「芹沢局長、したで戦闘が始まったであります!」

 阿部十郎あべのじゅうろうが血相を変えて報告に来た。
 薩摩軍の砲台をことごと破壊つぶし尽くしたのでアームストロングカモちゃん砲は、現在砲身を冷やしている所だ。芹沢はアームストロング砲のかたわらで飲んでいたが、阿部は本陣(龍雲寺)に握り飯を取りに下りていたのだ。

「薩摩の男たちも馬鹿じゃないからねえ」

「裏切りは許さんという事でありますか?」

「そんなんじゃないわよ」 芹沢は苦笑して答えた。「あーむすとろんぐカモちゃん砲を奪おうって魂胆みたいね」

 飲ん兵衛で淫乱で浪費家で、始終副長の島田を悩ませる芹沢だが、その目は節穴ではない。阿部は目を丸くした。

「さあて、大砲屋は大砲屋の仕事をしよっか!」

「ですが、ここからでは龍雲寺山の麓は死角であります」

ぁかせて。周子ちゃん、焼夷弾あったよね?」

 試作アームストロング砲には榴弾や徹甲弾をはじめとして、様々な弾種が用意されていたが、焼夷弾もその一種で、火薬の代わりに油を染み込ませたおが屑が詰めてある。遅延信管により砲弾が空中で爆発すると、火の着いた油をそこら中に撒き散らし火災を発生させるという迷惑な砲弾だ。無論これは木造家屋が主である日本国内での市街戦を想定して開発された物だが、芹沢が京で一度試用して、ご町内全部丸焼けという大惨事を招いたので、以後、副長の島田から使用を禁止された砲弾である。

「はぅ? 焼夷弾ですかぁ?」

「そうよ」

「えーと・・・はい! ありましたぁ」

 首をかしげながらも谷周子が弾薬箱から焼夷弾を取り出す。

「阿部クンっ。信管は短めに切って。御香宮ごこうのみやを焼くよ!」

「はっ! は?」 返答はしたものの、すぐさまそれは疑問に変わる。

「島田副長が焼夷弾は使うなと・・・・」

「阿部クンは島田クンとアタシのどっちの命令を聞くのかなぁ?」

 芹沢が妖艶な笑みを浮かべる。誘ってるようだが、実は恐喝である。こうなった芹沢に逆らえる者なぞ、おそらくこの世に居ない。

「はっ、もちろん芹沢局長であります!」 即答する阿部。

「そうこなくっちゃ」

 疑問は持ってても、局長は局長だ。阿部と配下の砲術隊はすぐさまアームストロングカモちゃん砲の発射準備に入る。

「目標、御香宮本殿!」

「照準よし!」

「あーむすとろんぐカモちゃん砲、 発射ぁ!」

 アームストロングカモちゃん砲から発射された焼夷弾は目標の上空で炸裂し、火の着いた油の染み込んだおが屑を撒き散らす。御香宮の本殿の屋根は檜皮葺ひわだぶきだ。簡単に引火し、火の手が上がる。

「次、拝殿、行くよ! 発射!」

 本殿の手前に位置する拝殿は瓦屋根だが、所詮は木造建築。焼夷弾に勝てるはずもなく、これもあっさり燃え上がる。

「次は鎮守の森を焼こうかあ」

 ケラケラと笑いながら次々と目標を指示する芹沢。

「えーと、次は伏見の薩摩藩邸に、長州藩邸に・・・・
 えーい。面倒だから、焼夷弾のあるだけ伏見の町を砲撃しちゃえ☆」

「きょ、局長!?」

「ま、いいから、いいから」

 局長がそう言うんなら、どうしようもない。阿部以下の砲術担当は全員が頭の上に疑問符を浮かべつつも命令には逆らえず、砲撃を続行した。阿部はいつものように、副長の島田から『カモちゃんさんが暴走したら殴ってでも止めろ!』と厳命されていたのだが、これまたいつものように果たせそうにない。辺り一面が火の海になるのは時間の問題だった。



 やはりどこの組織でも裏切りは絶対に許さぬものらしい。そういえば、土方さんが作った局中法度にも『一つ 局を脱するを許さず』ってのがあったなあ。俺は銃を撃ちながら懐かしく思い出した。・・・・まだ1年も経ってないんだけどなあ。
 あーむすとろんぐカモちゃん砲が火を吹いて錦旗部隊を砲撃した直後から龍雲寺は薩摩軍の攻撃に晒されることになった。薩摩軍の砲台はカモちゃんさんが潰してくれたものの、歩兵一人一人を大砲で狙い撃つわけにはいかない。だがこうした事態を想定して龍雲寺に通じる参道の左右には、あらかじめ畳胸壁による堅固な防御陣地が構築してあったのだ。俺たちは少し前からここに籠もって下から上がって来る薩摩兵を撃ち落としている。だが薩摩軍は黒の筒袖洋袴。闇夜にカラスの言葉どおり射ってもなかなか当たらない。相手が見えないので狙いの付けようがないのだ。敵も時々撃って来るので、撃ったら発射光の方へ全力射撃で射ち返し、刃の煌く方に発射し、適当に当たりをつけて射ってるので向こうも迂闊うかつには上がって来れないが、こちらからも打って出れない。膠着状態だ。

 どーん。背後から大砲の発射音が聞こえてくる。あーむすとろんぐカモちゃん砲だ。

「カモちゃんさんが、またどこかを撃ち始めたか・・・どこを?」

 薩摩軍の砲台は全て沈黙させた。敵の増援を砲撃してるとしても、この闇では目標なぞ見えないはずだ。
 そして前方が燃え上がった。

「ひょっとして、御香宮?」

 昨夜、伏見奉行所を砲撃した時のように建物そのものを狙ったようだ。建物もろとも薩摩兵を倒す気だ。

「うおあっ! 御香宮本殿が燃えてるよ。国の重要文化財なのに、一体誰が弁償するんだ!?」

“俺たちでないといいな。でも俺たちなんだろうな。というか謝りに行くのはきっといつものように俺なんだ”

「あ、今ここで御香宮が燃えちゃったら重要文化財に指定されるはずがないのか」

 その通り。昨夜伏見奉行所が燃えなかったら、伏見奉行所が重要文化財に指定されたかもしれないのだ。全焼しちゃったのでもはやどうしようもないのではあるが。

「島田君、不条理な事を考えてないで攻撃命令を!」

 山南さんだ。向こう側の胸壁から怒鳴っている。
 炎を背にして黒服の薩摩兵の姿が浮き上がって見える。
 なるほど! カモちゃんさんはこれを狙ったのか。

「敵は丸見えだぞ。全員、ー!」

 こっちは畳胸壁に隠れているが、向こうには身を隠す場所がない。闇夜が姿を隠してくれてたのが、背後の御香宮その他が燃え上がってるので、遮蔽物のない場所に無防備な状態で姿を晒している。
 全陣地のスナイドル銃が火を吹いた。最大射程1200mを誇る幕末最強スナイドル銃にとって、この距離は必中距離だ。バタバタと薩摩兵が倒れる。それも十数人単位で。この不利をさすがに悟ったのか、薩摩軍は潮が退くように後退し始めた。

「敵ながら、いい判断だ」 と山南さんがつぶやいてる。

 そして、敵を撃退した俺たちの頭上を、あーむすとろんぐカモちゃん砲の砲弾が唸りを上げて駆け抜けて行く。そして今度は伏見の町を無差別に砲撃し始めた。焼夷弾を使ってるのだろう。落下地点から高々と炎が上がり、火災が無意味に広がって行く。

「なんか・・・カモちゃんさんがいつものよーに暴走しているよーな気がする・・・。
 ちゃんと阿部君に止めろって言っといたのに」

 まあ、止まらないだろうとも思ってたのだが。

「カモちゃんさんに、信号。『砲撃止め』」

 手近な者が俺の命令を中継して、信号用ランタンであーむすとろんぐカモちゃん砲台に向けて光通信を送る。だが、受信応答が来たにもかかわらず、砲撃がまない。

「ほーら、やっぱり」

 悪い方の予想通りなのだった。きっとカモちゃんさんは飲んでいるに違いない。


「わーっ!」

 下の方からときの声が聞こえて来た。

「まこと! ゆーこさんたちが来たよ!」

 へーの指さす方を見ると、浅葱色の一群が逃げた薩摩軍に攻撃を仕掛けていた。近藤さん率いる新選組だ。


「新選組、かかれー」

 近藤さんを先頭に新選組が白刃を振るって薩摩兵に襲いかかる。
 九条西瓜事件(※第1.5幕参照)以来、新選組も洋式化につとめたものの、島田が新撰組を立ち上げた際に、砲術師範の阿部十郎がスナイドル銃のほとんどを高台寺に持ち逃げし、山南敬助や武田観奈といった洋式戦のエキスパート達も新撰組の方に移籍してしまった(これは新選組内部での権力抗争も絡む為、実際はもっと複雑である)為、新選組の方では人材的にも機材的にも旧来の刀槍中心に戻らざるを得なかった。油小路の戦い(※第6幕後編参照)で洋式戦の威力をまざまざと見せつけられ、その後、慌てて装備を洋式化したものの、時間が足りず、十分な訓練が出来ていない。だが、その分、やはり槍や刀の白兵戦では新選組は無敵だ。


「俺たちも突撃!」

 俺は畳胸壁から飛び出した。

「わーっ!!!」

 こちらもときの声を上げて、斜面を駆け降りる。スナイドル銃に装填している時間はないので、銃剣で刺す、突く、切る、あるいは銃身を棍棒代わりにして殴り掛かる。野蛮な様だが白兵戦なんてそんなもんだ。俺たち新撰組の方は、剣の腕の立つ者はスナイドル銃の他に刀や槍といった各々の武器を携帯しているが、平隊士は銃剣付きのスナイドル銃だけだ。山南さんやへー(※藤堂たいら)、谷三十華みそか万沙代まさよ姉妹といった名うての剣客は既に銃を捨て自らの武器で斬りかかってる。洋式戦とはいっても接近戦で物をいうのはやはり個々の格闘能力だ。彼らは並みいる敵を切り倒し道を切り開いて行く。彼らを先頭に俺たちが後に続く。俺だけは18金メッキを施したレミントンアーミー拳銃を片手に1丁ずつ持った2丁拳銃だ。6連発のリボルバーなので、左右合計で12発は射てる。俺は向かってくる敵に対してリボルバーを発射する。至近距離なので外れっこない。弾を受けた相手は翻筋斗もんどうりうって倒れる。
 そして俺たち新撰組の方も本家新選組と同様の浅葱の段だらの羽織を洋服の上から引っかけているため、同士討ちの危険はない。浅葱色以外の相手を容赦なく殴りつけるだけだ。


 乱戦の中、近藤さんを見つけた。後ろから薩摩兵が狙っている。近藤さんはまだ気付いていない。俺は躊躇せずレミントンの引き金を引いた。弾は相手の肩に当たった。近藤さんが振り返り、袈裟懸けに斬りつけとどめを刺す。

「島田くん!」 近藤さんが俺に気付いた。

 俺は銃口を周囲に振り向けて牽制する。既に全弾射ち尽くしたんだが、相手にそれが分かろうはずもない。避けようと隙の出来た所を新選組隊士によって仕留められる。

「島田くーん!」 近藤さんが抱き着いてきた。

「近藤さん、大丈夫ですか?」

「うん、あたしは大丈夫。島田くんは?」

「あ〜、俺も元気です」 久々の再会なのに我ながら間抜けな答えだ。

「よかったあ。心配したんだよ。薩摩軍が龍雲寺の方に向かったから急いで駆けつけたの」


「近藤! 人前で抱き合うな! 士気にかかわる!」

 血刀をげた土方さんが俺たちに気付いて近づいてくる。薩摩軍は、もはや部隊とは言えない散り散りな状態で算を乱して逃げ出しているので、今や残敵掃討の段階だ。

「島田!」

「はいっ!」

 俺は新撰組の副長なので、土方さんは上司ではないのだが、なんだろう、土方さんから怒鳴られると反射的に答えてしまう。

「士道不覚悟で切腹!」

「うあ! いきなりですかい!」

「と、言いたい所だが、よくやった」

 “よくやった”というのは近藤さんを守った事だろうか?

「こほん、だからいいかげん、近藤を離せ。皆の士気にかかわる」

 そういえば、土方さんから怒鳴られている間も、近藤さんは俺の腕の中にあった。俺と近藤さんの目が合い、両者同時に顔を赤らめると、バッ、と離れた。

「でもでもあたしたちの大勝利だよね」

「まだだ。淀藩が裏切ったから伏見は大坂と分断された。西の鳥羽街道には薩長軍の主力がいる。我々は周囲を敵に囲まれた状態だ」

 浮かれる近藤さんを土方さんがたしなめる。

「あ〜、鳥羽方面なら大丈夫かも」 俺が口を挟む。

「なぜだ?」

「だって、ほら」

 あーむすとろんぐカモちゃん砲の砲撃で伏見の町が燃えている。宇治川にかかる橋も焼け落ちてるので南から攻められる心配はないし、西部の市街地は大火災だから、西から敵はやって来ない。カモちゃんさんはそこまで考えて無差別砲撃したんだろうか?

「・・・・島田、市街地では会津藩や幕府の第7連隊が戦っているんだぞ」

 彼らはあーむすとろんぐカモちゃん砲の砲撃に巻き込まれたかもしれない。気の毒に。

「どうする気だ!」 土方さんが俺の襟首を掴み上げる。

「えー、でも大砲撃ったのカモちゃんさんだし〜」

「こうなる前に止めろ!」 土方さんが更に俺の襟首を締め上げる。

「俺には無理っす」

 この世にカモちゃんさんを止められる者なぞ居ない。

「それよりもトシちゃん、今はあたしたちがどうするかを考えないと」

 近藤さんが土方さんを止めに入る。助かったあ。


「副長!」 誰かが俺たちの背後から呼びかけた。

「何だ!」「どうした?」 土方さんと俺は同時に答えた。

「えーと、島田副長の方なのですが」

 段だら羽織の下は洋装だ。俺たちの方の隊士だ。

「ふん、島田が副長とはな、出世したものだ」

「報告です。竹田街道の土佐藩が寝返りました」

 竹田街道とは鳥羽街道と伏見街道の中間に位置する小さな街道である。薩摩と長州の主力は鳥羽街道と伏見街道を守っていて、竹田街道はやる気のない土佐藩に任せていたのである。

「寝返ったって、何で?」

 一時的に伏見で俺たちが勝ったとはいえ、大勢は薩長に傾いてるのだ(※淀が封鎖されてるので、けーこちゃん様が幕府軍を率いて北上中という情報は島田達には伝わってない)

「分かりません!」 目の前の隊士は勢いよく答える。まあ、そりゃそうだろう。

「うーん、山南さん、どうしましょう?」

 俺は近づいて来た山南さんにかくかくしかじかと説明する。

「ふむ。都で何か動きがあったのかもしれないな。このままここに留まっていても勝機はない。ここは我々だけでも京に攻め上ろう」

「私も山南の意見に賛成だな。盤上の戦いがどうあれ、最終的に玉を押さえた方が勝つ」

 それは将棋の考え方である。

「やあ、歳江さんと同意見とは光栄だね」

「偶然の一致だ」 土方さんは憮然と答える。

「えーと、じゃ、全軍に連絡。俺たちはこれから竹田街道を通って京に上るから、弾薬を補充して準備出来次第、各隊ごとに出発するぞ。カモちゃんさんにも移動を連絡」

「うむ。それでいいだろう」 山南さんが俺の指示にうなずく。

「待て、なぜ島田が全体の指揮を取るのだ? 芹沢さんが局長で、山南が総長ではないのか?」

「おや、歳江さん、知らないのかい? 『しんせんぐみ』では副長が一番偉いんだよ」

 この山南さんの皮肉に土方さんが複雑な表情をする。

「帰るよ、あたしたちの京へ!」

 近藤さんが片手を突き上げ、宣言する。そうだ。新選組は京都守護職会津中将松平けーこちゃん様お預かりの治安部隊。京の都こそが俺たちの働き場なのだ。

「おおーっ」 一呼吸遅れて、その場の全員が近藤さんに呼応した。

(後編Bに続く)


(あとがき)
 かわぴょんです。案の定Aでは収まりきれなくなったので、更にBに分けます。@で歴史に反し、それぞれの行動を開始した幕府方ですが、これは最近私が読んでるシミュレーション小説の影響かもしれません。松平容保が松平けーこで、けーこはあんな性格だから、このような状況に陥ったらどうするか(彼女はおとなしく引っ込むような人間ではない)。芹沢以下既に死んでるはずの新選組の連中が生きてたら、この事態にどう行動するか(きっとカモちゃんさんは暴走するに違いない。しかも彼女は土方歳江が羨むほどのハイパーラッキーガールなので目茶苦茶な行動が全て良い方に転がるのだ)。
 本来のプロットでは、鳥羽伏見でけーこちゃん様の出番はなかったのですが、実際に原稿を書いてみると、何か、主役級の働きをしてて、しかも実にカッコいい。
 実は鳥羽伏見の初期のアイデア(2年ぐらい前に考えた)では、島田が第1幕で購入した鉄板入りの陣笠をベースに、山南のアイデアで鉄板を曲げて作った(ドラム缶を縦に割ったような)盾を持って、それに隠れて歩兵部隊は敵に肉薄。敵の陣地に関しては棒火矢(江戸時代に存在するロケット砲)を使って攻撃というのを決めてたのですが、全く生かされませんでした。最初、その新戦術まで組み込んだ原稿を書いたのですが(鉄板の盾で御香宮に迫り、御香宮は塀が高いので棒火矢で砲撃炎上させてみた)、近藤勇子の本家新選組の出番が全くないのと(当初のアイデアでは島田が高台寺に行く予定ではなかった)、カモちゃんさんに大砲を撃たせた方が面白いので、数ページ分の原稿を全部削除しました(ああ、もったいない)。実は島田の鉄板陣笠は鳥羽伏見での伏線だったのに、無駄な事をしてしまいました。

 今回、カモちゃんさんの砲撃(アームストロング砲の焼夷弾というのは私の創作です。私の調べた限りにおいてアームストロング砲に焼夷弾は存在しない)で、伏見の町を燃やしちゃいましたが、実は本物の鳥羽伏見の戦いでも伏見の町の南半分が全焼してます。これはおそらく南半分に幕府軍が布陣して居た為、龍雲寺及び、桃山に配備されていた薩摩砲の砲撃で燃えたのではないかと思われます。あるいは逃げる際に幕府側が火を着けたか(多数の幕末物を読んだけど、伏見の町が炎上したという小説は読んだ事がありません)。
 また伏見の町は宇治川に囲まれているため、橋が落ちれば、鳥羽方面、及び淀方面から孤立するというのは伏見の古地図を眺めていた時に気付いた事です(京都大学付属図書館様、ありがとう)。
 更に竹田街道ですが、実際に薩長軍は竹田街道に部隊を置いておらず、土佐藩が守ってました。森村誠一の『虹の生涯 新選組義勇伝』では、この史実を生かして、幕府のお庭番のじいさん3人組(主人公)と会津の白井隊(史実では偶然長州藩の前線を突破してしまい、唯一竹田街道方面に進出したけど、命令が来ないので撤退した部隊)が御所まで攻め込み岩倉具視に直談判します。『虹の生涯』では史実をちょっとだけ曲げて、大概は歴史通りの物語なので、岩倉具視に言い負かされた白井隊は撤収しますが、私は歴史を生かしつつ歴史改変する事に決めたので、同じ設定を生かして・・・・おっと、ここからはBで書くのさ〜。
 土佐藩に関しては、実際に最後まで鳥羽伏見の戦いに参加してません。中岡融司の『幕末勇者伝 蒼き竜馬、走る!』では、土佐の山内容堂公は岩倉具視と言い争いの末に、岩倉から射たれます。それでこの作品では土佐藩が龍馬のバックにつくのですが、史実でも岩倉具視と山内容堂は仲が悪かったらしいので、会津の姐御あねご、松平けーこちゃん様がブチ切れて全軍を率いて京に向かって進軍中。薩摩軍の一部(島田達だが)が錦旗を偽物と断じて錦旗に対して攻撃した。もはや錦旗の虎の威は望めないと分かったら、容堂は、おそらくあっさり幕府方につくのではないかと私は考えました。先祖の山内一豊が徳川に受けた恩を幕末の頃になっても忘れてないのですな。それは会津藩も同じですね。やっぱそれが武士道だろ、武士道!
 そういうわけで、このままBに突き進むのですよ。
 できれば感想が欲しいです。掲示板でもメールでもどっちでも良いです。書いた本人は面白いのかどうか分からんもので。よろしくお願いします。


書庫に戻る

topに戻る