行殺(はぁと)新選組りふれっしゅ 近藤勇子EX

第7幕『剣林弾雨の鳥羽伏見』(後編@・その時歴史が動いた)


 1月4日の早朝。夜明けと同時に淀からフランス式の調練を受けた幕府陸軍本隊が進発。鳥羽街道と伏見街道の両方に兵を分けて北上してきた。
 伏見では、頑固に残って戦っていた新選組・会津藩が幕府軍に合流して、薩長軍に大攻勢をかけた。これに対し、数に劣る薩長軍は市街戦において防戦に回らざるを得なかった。だが、薩摩軍は有利な位置に大砲を据えていたので、その砲力を生かして数に勝る旧幕府軍と互角以上の戦いを繰り広げていた。

 しかし、その反面、鳥羽街道の幕府軍主力はダメダメだった。
 1月3日の午後5時頃、鳥羽街道の方で上がった砲声を合図に鳥羽伏見の戦いは勃発したのだが、鳥羽街道での戦いは緒戦から暗澹あんたんたるものだった。鳥羽方面の先鋒は、大目付おおめつけ滝川播磨守はりまのかみ具挙ともたかが率いる旧幕府歩兵2個大隊7百人、フランス式四ポンド山砲を4門擁する砲兵隊、佐々木只三郎が率いる見廻組5百人という大部隊で、しかも、その後から幕府陸軍主力部隊が鳥羽街道を北上していたのだが、この鳥羽方面軍は惨敗を喫した。開戦と同時に放たれた薩摩砲の初弾が旧幕府軍の四斤山砲に命中。しかも砲撃の音に驚いた滝川の馬が狂奔し、落馬した滝川具挙は情けないことに這々ほうほうていで逃げ出してしまったのだ。で、指揮官不在のまま旧幕府軍は鳥羽街道の左右に伏していた薩摩軍によって銃撃され後退を余儀なくされてしまう。見廻組はこれを見て、戦況を挽回せんと白刃を振りかざして突撃したのが、町中の伏見と違い鳥羽街道の方は両側が開けた畑地で身を遮るものが何もない。見廻組は敵に近づくことすらできずに薩摩軍の銃撃の前に壊滅してしまった。かくして鳥羽方面の旧幕府軍は総崩れとなり、あっさりと淀まで退いたのである。

 そして1月4日。
 伏見街道に比べて鳥羽街道の方が道幅も広く主力が通るのに適している。と、いうわけで、旧幕府軍は圧倒的多数の主力を鳥羽街道に振り向け、数でここを突破する作戦に出たのだが、夜の間に薩摩軍は鳥羽街道に縦深陣地を築いていた。街道の両側は畑地だから、ここに塹壕を掘り、街道の両側から安全に銃撃できるようにしたのだ。つまり銃砲版の鶴翼の陣である。しかもその後方には4ポンド山砲を8門据え、塹壕で足止めした敵を砲撃で撃破する作戦だ。更にこの塹壕は幾重いくえにも掘られており、たとえ、敵が死体の山を築いて、第1の塹壕を突破したとしても、すぐに次の塹壕が射撃を浴びせるという寸法だ。そして幕府軍がまた足止めされてる間に4ポンドの砲弾が降って来るのだ。幕府軍は案の定、この策略に引っ掛かった。多大な被害を出し、午後になっても、まだ鳥羽街道を抜けずにいた。

 そして同日の夕刻、突如として薩長軍に一旒の旗が上がった。赤地に金と銀の糸で太陽と月を刺繍してあるその旗は、錦旗きんき。賊軍を討つ皇軍に与えられるにしき御旗みはただ。
 薩摩の大久保一蔵(※後の大久保利通)は公家の岩倉具視らとはかり、切り札としての錦旗を用意していたのである。鳥羽・伏見両方面で戦闘は膠着状態におちいっていたが、このままいくさが長引けば、遠からず圧倒的な物量に勝る旧幕府軍に押し切られる。本国(薩摩藩と長州藩)から増援を呼ぼうにも大坂を押さえられているため、それもかなわない。戦況不利と見た大久保は、1月4日の正午に開かれた御前会議において、強引に錦旗の使用を認めさせてしまう。これは天皇が認めた正義の軍隊に与えられる旗。この旗に逆らうものはすなわち、天朝に弓引く反逆者を意味するのだ。

 京の方から錦旗を掲げた部隊がゆっくりと南下してくる。如何な幕府軍といえども錦旗に攻撃するわけにはいかない。あくまで敵は薩長であり、天皇ではないからだ。
 幕府の鳥羽方面軍は、そもそも負けが込んでた事もあり、再び総崩れになって退いて行った。

 時を同じく伏見の方でも、伏見街道を通って錦旗が南下して来た。鼓笛隊を先頭に悠然と進んでくる薩摩軍に、新選組も会津藩も手を出すことができない。


「あれは錦旗・・・・そんな、薩長が皇軍・・・・」

 茫然と錦旗を見つめる近藤勇子。昨日の夕方から戦い続けているので、硝煙で頬はすすけ、疲労の色が濃い。

「じゃあ、アタイらは、天子様に逆らう賊軍ってわけかよ」

 永倉の言葉に隊士たちの間に動揺が広がる。

「馬鹿、アラタ、なに言ってんのよ。沙乃たちが、沙乃たちが賊軍のわけないじゃない!」

 沙乃の言葉が悲痛に響く。

「けどよお・・・」

「やってくれたな」 土方がぎりぎりと歯噛みする。

「トシちゃん・・・・」

 近藤が肩を落とす。

「今までがんばって来たのに、日本の国のため、徳川様のため、会津様のため、京の人々のため・・・・がんばってきたのに・・・・。あたしたちが罪人で、悪逆の限りを尽くしてきたキンノーが皇軍・・・・そんなのって、そんなのってないよ!」

 近藤の叫びがむなしく木霊こだまする。

「近藤・・・・」

 嗚咽おえつを漏らす近藤に、さすがの土方もかける言葉が見つからなかった。




 1月4日、同時刻。大坂城。

 大坂城は、豊臣秀吉によって造られた難攻不落の城塞である。何せいくさ上手の家康が大坂冬の陣・夏の陣で卑怯なまでの計略と大軍を用いてようやく攻め落とせたぐらいの金城湯池を誇る城だったのだ。その大坂城を二代将軍秀忠、三代将軍家光が豊臣大坂城を凌ぐ豪壮な城に築き直したのが今の大坂城だ。寛文5年(1665年)の落雷で天守閣を焼失したものの、江戸城に次ぐ規模と設備を誇る、幕府の西の守りであった。

 その大坂城本丸御殿の黒書院に将軍 徳川慶喜が居た。黒書院の一段高くなった上段に座し、下段には松平けーこ&定敬姉弟が控えている。この黒書院は将軍の日常の公務の間である。


 昨夜は伏見から13里(約50km)離れた大坂城からも、伏見方面で空が赤く燃えるのを確認できた。情報によると伏見奉行所が爆発炎上したらしい。伏見奉行所は堅固な要塞として建造してあった。それがいくさが始まって半日も経たぬ内に落ちたのだ。今朝方フランス装備の伝習隊を投入して互角の勝負に持ち込んだが、薩摩軍の砲台が生きているため、まだ伏見を抜けないでいる。
 鳥羽方面の戦いも同様だった。初日は先鋒が蹴散らされ、主力を注ぎ込んだ今日の総攻撃でも、死体の数だけがどんどん増えていっている。それでいていまだ、小枝橋すら越えられないのだ。
 大坂城に届くのは敗報ばかりだ。官吏としては有能な将軍、徳川慶喜ではあったが、実戦経験はない。昨夜の伏見奉行所の炎上、そして大軍を投入しているにもかかわらず数に劣る薩長軍に苦戦している現状を考えると、慶喜は居ても立っても居られなくなってしまった。

「ちょっとは落ち着かれよ。総大将はもっと、こうデンと構えてないと兵が不安がる」

 先帝の孝明天皇から下賜された緋の御衣を作り直した陣羽織をまとった会津藩主 松平けーこが気弱な将軍をいさめる。天誅てんちゅう荒れ狂う京の都で数年間、京都守護職をやってたので慶喜よりもよほど肝は座っている。

「このままでは負けてしまうぞ」

「さような事はござりませぬ」

 けーこの弟の桑名藩主 松平定敬さだあきが、そう言う。定敬は京都所司代を務めていた。姉は京都守護職、弟は京都所司代。いわば姉弟で京の治安を護っていたのである。

「いや、しかし鳥羽でも伏見でも敗北を喫しておるではないか」

「味方の兵は1万5千。対する薩長軍が4千。土佐が千。長州征伐の折は、銃と洋式戦法にしてやられましたが、比度こたびは、こちらにもフランス式幕府陸軍がおります。勝負はまだ、これからです」

 絶対に勝てる戦だった。薩長軍はあとがないから必死で戦っているが、それでも消耗は避けられない。いざとなれば物量に勝る幕府軍が圧倒的に有利なのだ。それが理屈では分かっていても、こうも敗戦の報ばかり入ってくると、慶喜も勝てるのかと疑心暗鬼になってしまう。


 そんな中、白書院から柳廊下を渡って老中 板倉勝静かつきよがすり足で走って来た。戦時ゆえ、大広間と白書院が幕閣の軍議の間として使われていた。黒書院には将軍に近しい者しか入れぬ為、大坂城に入って来る情報は老中クラスが伝令役となって伝えて来るのである。(ちなみに大坂城本丸御殿は複数の建物から成っており、それぞれが渡り廊下で接続されている)

「上様に申し上げます。鳥羽伏見両方面で敵軍に錦旗が揚がりました!」

「なに!」「なんだと!」

 松平けーこ&定敬姉弟が驚きの声をあげる。

「それでは我らは賊軍ではないか!」 将軍慶喜は頭を抱えた。

「おのれ! 小細工を!」

 歯軋りして悔しがる松平けーこ。蛤御門の変の時、けーこはみかどのおそば近く御所に詰めていたが、御所に向かって大砲を撃ちかける長州を憎いと孝明帝は体を震わせてお怒りになっていたし、東宮(現明治天皇)は大砲の音に驚き気絶なさったぐらいなのだ。そんな幼帝が長州に対して錦旗を下されるはずがないのだ。


「お味方、どんどん退いております!」

「申し上げます! 津藩が敵に寝返りました!」

 津藩は、淀の南、天王山の麓の山崎に砲列を敷いている。津藩の藤堂は外様ながら徳川幕府の信任が篤い。それが裏切ったのだ。衝撃は大きい。だが、悪い知らせはまだまだ続く。

「申し上げます! 淀・彦根の両藩が薩長に寝返りました!」

 淀は大坂と京の中間に位置する要衝。淀藩が裏切ったとなると、京に軍勢を進める為には、まず淀藩を攻略しなければならなくなる。

「馬鹿な! 徳川恩顧の譜代大名が裏切るなど!」

 幕府に対する忠節の篤い松平けーこにとっては信じられぬ事態である。
 淀藩の稲葉正邦いなばまさくには現役の老中、彦根藩の井伊は常に徳川軍の先鋒を務める譜代筆頭、津藩の藤堂も伊井家と並び、徳川の先鋒を務める家柄だ。である。最初から敵対している薩摩の島津・長州の毛利などは外様大名だが、譜代大名が裏切るとは・・・

「申し上げます! 紀州藩が我らに反旗を翻しました!」

 更に悪い知らせだ。和歌山から大坂に向かっていた援軍がそっくり敵に寝返ったのだ。
 紀州和歌山藩は、徳川御三家の一つ、紀伊徳川家である。

「馬鹿な! 紀伊は御三家だぞ! そんな事は有りえん」

 譜代に続き、御三家までも。このいくさの趨勢は見えた。それだけ錦旗の威力は大きいのだ。

「錦の御旗に逆らうわけにはゆかぬぞ。ふねで江戸に戻り謹慎する。
 朝廷に対し二心のないことを示さねばならぬ!」

「何を馬鹿なことを! まだ前線には兵がおるのですぞ!
 大将が真っ先に逃げてどうなさるおつもりか!」

 松平定敬が声を荒げる。

「将軍も、天皇に仕える武家の一つに過ぎぬ。錦旗に弓引くわけにはゆかぬのだ」

 徳川慶喜は徳川御三家の一つ水戸徳川家の出身だ。水戸は尊王攘夷派の聖地とも言われていた土地で、天皇への忠節を第一に考える風潮がある。水戸には徳川光圀みつくに(※水戸黄門)が編纂へんさんした『大日本史』をベースにした水戸学があり、それが慶喜にも多大な影響を与えていたのだ。

「しかし!」

「そうじゃ、けーこ、定敬、お前たちも余と一緒に来るのだ」

 一人で逃げるのは心細かったらしい。慶喜にはこういう肝の座らぬ所があった。紀州徳川家が裏切ったとなると、逆に大坂が包囲されてしまう。逃げ場は海しかない。

「・・・慶喜、あんたは勝手に逃げな」

 松平けーこの眼鏡が光った。言葉使いも変わった。どうやらキレて地金が出たらしい。彼女は元、族である。

めいが聞けぬと申すか!」

 慶喜も凄んでみせるが、如何いかんせん迫力が足りない。声が震えている。

「行くぜ、定敬!」

「はい、姉上!」 松平定敬は従順に姉に従う。

「けーこ! 藩祖 保科ほしな正之まさゆきの心得を忘れたか! 余の命に従え!」

 会津藩の藩祖 保科正之は3代将軍 徳川家光の弟である。妾腹であったが、家光はこの腹違いの弟を大変可愛がり、会津を領地として与えたのである(※もう1人の弟の徳川忠長は実の弟だったが、家光と忠長は仲が悪かった)。保科正之は終生将軍への忠誠篤く、徳川将軍家への絶対服従を家訓として残したぐらいである。この家訓は代々、会津松平家(3代目から保科姓から松平姓になった)に受け継がれており、当然、9代目の松平けーこも10歳で高須松平家から会津松平家に養女に貰われて以来、会津藩の藩主たるべく、15カ条からなる家訓はそらじられるほどに身についている。会津藩主にとって、将軍家の命は絶対なのである。

「あたしは逃げない。日本中の全ての藩が裏切り、全軍が逃げても我が会津藩だけは薩長の前に立ち塞がってやる。会津は将軍家を見捨てはしない!
 慶喜、あんたが逃げのびるまでの時間を稼いでやるさ」

「それでは会津が朝敵となってしまうぞ!」

「これが会津の忠節と思し召されよ」

 そう言い残すと松平けーこは黒書院を後にした。




 1月4日。更に同時刻、龍雲寺。
 龍雲寺は昨夜から薩摩軍の旗を降ろしていたが、薩摩からは特に何も言って来なかった。俺たちとしては、伏見奉行所を壊滅させた事で薩摩藩に対する義理は果たしたし、薩摩藩は新撰組がいずれ裏切るだろうと予測していたふしがある。ま、元新選組の集まったのが高台寺党新撰組の連中なので、いつ裏切ってもおかしくはなかったのだ。『すぐさま敵に回らないでいてくれるだけまだマシだ』と、薩摩にはそういう思惑があったのだろう。
 しかも薩摩も長州も幕府軍に押されていたが、主力の一翼と見なされていた土佐の銃隊一千が、これまた島田達の新撰組と同様に日和見ひよりみしていたのだ。土佐藩も藩祖 山内一豊かずとよが関ヶ原の戦いの折、豊臣家を裏切って徳川方についた功(別に大した働きをしたわけでもないのだが)を持って土佐藩主にほうぜられている。土佐の山内家も会津松平家と同じく、徳川将軍家に対する忠節はあついのだ。王政復古のクーデター後も、山内容堂は徳川慶喜も新政府に加えようという運動をしていたぐらいである。今回の鳥羽伏見の戦いも徳川家が薩長に物申すという名分で始めたいくさなので、土佐藩はこれを徳川家と薩長の私闘と見なし、薩長に味方しないという立場を貫いていた(山内容堂は新政府の参議なので表立って徳川家に味方するわけにもいかなかったのである)。山内容堂の意を受け、いぬい退助(※後の板垣退助)は兵を動かさなかった。土佐藩の銃隊は幕末当時最新鋭の米国製7連発スペンサー騎兵銃(武器の密貿易をおこなっていた坂本龍馬が仕入れて来たらしい)を持っていた部隊だ。これが参戦しないのも薩長にとって頭の痛い所だった。と、いうわけで鳥羽方面でこそ、薩長軍は勝ちを収めていたが、伏見では苦戦を強いられていたのだ。

いくさたけなわだねえ」

 俺の隣で遠眼鏡とおめがね(※望遠鏡)を覗きながら、カモちゃんさんが呟いた。

「そろそろ近藤さんに味方しましょうか?」

 俺はこの日、何度目かになる質問を投げた。その都度、山南さんから『まだ早い』と却下されていたのだ。俺には山南さんが何を考えてるのか皆目見当もつかない。

「あのー、幕府軍が勝ちそうなんですけど」

「そーだよ。そろそろ御香宮ごこうのみやと桃山の薩摩軍砲台をぶっ飛ばそうよ。
 アタシのあーむすとろんぐカモちゃん砲で瞬殺しちゃうよ☆」

「このまま薩長が負けるとは思えないんだ。幕府軍が圧倒的多数。それが分かっていていくさを挑んだのだから、何かしら策があると考えるべきだ。それが何か分かってからでも遅くはない」

「でも〜」 こう論理的に言われては、俺ごときでは効果的な反論ができない。

「島田くんっ、あれ! あれ見て!」

 カモちゃんさんが遠眼鏡を動かす。俺もカモちゃんさんが構えているのと同じ方向に遠眼鏡を向けた。

「しまった! そんな手があったとは・・・」 と、山南さん。

「これじゃあ、手の出しようがないじゃない!」 とカモちゃんさん。

「・・・・」 俺は無言。

「島田くん、どうしよう!」 カモちゃんさんがかなり慌てている。

「これでは幕府方に勝ち目はないぞ。今一度薩摩軍旗を揚げるか・・・」

 山南さんも唸る。おそらく軍事的な切り札を予想していたのだろう。


「・・・・あれは、なに?」

 俺の呟きが間抜けに響いた。2人の目が点になる。俺には2人が何を慌てているのか全然分からない。赤い旗を立てた鼓笛隊がやってきてるだけだ。こういう時に学のあるなしが物を言うのだろうなあ。

「赤旗って事は源平合戦???」

「島田くん、錦旗を知らないの?」

「おいしいですよね」

「何の話よ!」

「あれは天皇が自分の軍隊に授ける錦の御旗。あれに逆らうことは、
 すなわち天皇に逆らう事になるんだ」

「あの旗が切り札なんですか?」

「ほら、会津藩や幕府軍が退いてるだろ? あの旗に銃を向けることはタブーなんだよ」

 確かに、山南さんの解説通り幕府軍や会津藩が退き始めている。察するに水戸黄門の印籠みたいなものか。

「こうなっては、致し方ない。我らも遅まきながら薩長に味方しよう。
 昨夜、伏見奉行所を壊滅させたのは芹沢局長の大砲だから、それで何とかなるだろう」


“ふーむ、そういうものか”

「ぐっ、があっ」

 納得しかけた俺だったが、突然、頭痛が襲った。頭をハンマーで殴られたかのようないつもの痛み。脳にキリが突き刺さる痛みが俺の脳裏に未来の映像を嵌入かんにゅうする。


 縄を打たれてる・・・あれは近藤さんだ・・・近藤さんが首を前に垂れ・・・白刃がきらめき・・・首が掘られた穴の中に落ちた・・・。血が、血が、これは斬首! 何て事を!


 映像が飛んだ。


 あれは・・・沙乃・・・ここは上野? 彰義隊という言葉が俺の脳裏をかすめた。いくつもの銃弾が彼女の小柄な身体を貫いた。沙乃のむくろが茂みの中を転がり落ちて行く。


 また映像が飛んだ。


 これは土方さん(金髪で髪が短くなってたが土方さんだ)だ。単騎で突撃していく。行く手には銃が数十丁も構えられていて・・・・一斉射撃・・・土方さんが馬から崩れ落ちる・・・。


 そして、頭の中で何かが砕けた。砕ける音を聞いた。
 今こそ分かった。俺が何のために生きているのかを。俺は何回も同じ時間を繰り返し生き直した。何度も何度も幕末を生きた。だから局長附近習だったり監察だったり実戦部隊だったり雑用係だったり、色んな経験・記憶があるんだ。そして、その度に、近藤さんを、土方さんを、カモちゃんさんを、沙乃を、アラタを、そーじを、へーを救おうとがんばった。でもみんなを助けることはできなかった。誰かを助けても誰かが死ぬ。最初からまたやり直し。
 俺は永遠にこの時間の牢獄から逃れられないのかもしれない・・・・いや、違う。今回が最後だ。もうチャンスがない。何故だか、それが分かった。

 近藤さんを救えなかった。何をどうやっても近藤さんを救えなかった。だから俺は今ここにいる。近藤さんを救うために!
 あの時の俺には力がなかった。大きな歴史を動かす力なんかなかった。一人を救うのが精一杯だった。
 だけど今回は違う。近藤さんや土方さんと敵対する道を歩んでしまったけど、けど、カモちゃんさんや山南さん、へーに阿部君、谷さん姉妹、武田観奈、本来なら死んでしまったみんながいる。ここが歴史の分岐点。あの旗を撃てば歴史が変わる。みんなが助かる正しい歴史に動く!

 でも・・・・そうしたら、俺の役目は終わる。みんなの命と引き換えに、今度は俺の命がなくなる。それも分かった。いわゆるバッドエンドって奴だ。

 ・・・・そうか、武士道とは死する事とみつけたり、だ。
 今、その意味が分かった。近藤さんの為に死ねるのなら本望。やってやる!



「島田!」

「島田くん」

 山南さんから呼び捨てにされたのは初めてな気がする。そしてカモちゃんさんが心配そうにのぞき込んでいるのに俺は気付いた。


「あの旗を攻撃しましょう」

 頭痛予知の白昼夢から覚めたが、俺が何をすべきか明確に分かっていた。

「島田くん、本気で言ってるの!?」

「あれは京の薩摩藩邸で作られた偽物です」

「見えたのかい?」

「はい」

 俺はウソをついた。だがこれしか手はない。今、新撰組が動かなければ、また歴史が繰り返す。みんなを何度も殺させはしない!
 山南さんがじっと俺の目を見る。俺は目をらさず真っすぐに見返した。

「・・・あり得る話だ。旗を偽装するのは古来よりある戦術の一つだ」

「でも錦旗だよ!」

 水戸出身のカモちゃんさんにとって錦の御旗に対して攻撃するなんて考えられない事なのだ。

「先の孝明帝は毒殺されたというウワサがあった。
 天皇を暗殺するような奴らなら錦旗の偽造ぐらい造作もなくやるだろう。
 そして、そんなのはもはや尊王でも勤王でもないよ」

 勘の鋭い山南さんの事だ。俺のウソには気付いただろう。だが、それでいて俺に話を合わせてくれている。

「山南くん・・・・」

「負けたら近藤さんが斬首されるんです。罪人として!」

「そんな!」 俺の言葉にカモちゃんさんが驚く。

「沙乃も上野のお山で死ぬし、土方さんも函館で敵陣に突っ込んで死んでしまう!
 あんな偽物の布切れ1枚の為に!」

「島田くん、攻撃命令を」

 山南さんが静かに促す。覚悟を決めたらしい。
 俺はうなずき返した。

「砲撃準備! 目標、薩摩軍先鋒の偽の錦旗!」

 新撰組の方針が決まった。もう後戻りはできない。

「了解、阿部君、やるよ!」

 カモちゃんさんがあーむすとろんぐカモちゃん砲の方へ向かう。

「新選組には斎藤君がいる。発光信号で渡りをつけよう」

「お願いします」

「へー、攻撃準備、全軍行くぞ! 目標、薩摩軍!」

 下に向かって怒鳴る。下からへーの『はーい』という返事が返ってくる。


 そして歴史が動き始めた。




「ゆーちゃん、本隊(幕府軍)が後退し始めた!」

 永倉が報告に来る。新選組も、ゆっくりと前進してくる錦旗部隊に合わせるように後退を余儀なくされていた。錦旗に手向かえないのだから、どうしようもないのだ。薩摩側から賊軍の幕府軍に対して発砲がなかったのにも理由がある。幕府軍の先端は新選組。幕府軍の中でも最も野蛮で、暴走しやすい部隊だ。射ったら射ち返される可能性が高い。ここは錦旗の威だけで押すのが得策と判断したのだ。(もはや余分の戦力がない。というのも理由の一つ)

「近藤、ここは一旦、退こう」

「だって、だってぇ」

「ゆーこさん、伝令が来て、淀のお城が城門を閉めたって言ってる!」

 沙乃も報告に来る。錦旗が上がったのを知って、いち早く幕府軍を見限ったらしい。
 錦旗の前にあらがすべはない。

「淀藩は稲葉いなば正邦まさくに様だよ。現役の老中なのに、そんな!」

 薩長に錦旗が上がったので、淀城まで退く予定だったのだ。

「ふん。我が身かわいさの裏切りか。武士の風上にもおけぬ奴だ。士道不覚悟で切腹だな」

 土方がせせら笑う。

「あたしたち、このまま負けちゃうのかな?」

「今は打つ手がない。何か・・・」

 土方がこう呟いた時、いきなり錦旗を奉じた薩摩軍部隊が吹っ飛んだ。

「な・・・・!」

 遅れて、ドーンと大砲の発射音が聞こえて来る。
 そして、わーっというときの声。

「な、何? 何が起きたの?」

 どこかの馬鹿が錦旗を砲撃したのだ。それは分かってるのだが、頭がついて来ない。音は後方からではなかった。ということは幕府側からの砲撃ではない。土方達よりも前にいて、そういう馬鹿なことをやりそうなのは・・・・。

「トシちゃん、見て!」

 御香宮ごこうのみやの更に先、島田達のいる龍雲寺がある。その旗竿に朱に『誠』の一字を染め抜いた新選組隊旗がひるがえった。

「島田!?」

 敵陣に上がった新選組隊旗を見て、皆が活気づく。


 錦旗を失った部隊はパニックになって後退している。そして龍雲寺からは凄まじい勢いで砲撃が浴びせられ始めた。目標は薩摩軍本陣御香宮と桃山砲台。次々と爆煙が上がる。大砲が引っ繰り返り、積んであった弾薬が爆発し、わずか1、2分で壊滅的な打撃を与えた。射撃速度、射程、精度、破壊力、どれをとっても当代随一の最新鋭の大砲を、普段から無意味に大砲を撃つのが趣味の大砲専門家が扱ってるのだ。薩摩軍の砲台も遅まきながら龍雲寺めがけて撃ち始めたが、下からの打ち上げになるうえ、松林が射線を遮っているので、全くダメージが与えられないらしい。これは龍雲寺が敵に倍する勢いで撃ち返してる事からも分かる。
 次々と薩摩軍砲台が沈黙する。大砲を撃ったら正確な位置が割れるのだ。あとは上から滅多撃ちにされてしまう。昨日の伏見奉行所の戦いのちょうど逆だ。

「さすがカーモさんだね」

「ゆーこさん、そういう場合じゃないわよ! 錦旗に弓引いたら賊軍に・・・」

「ちょっと待って下さい!」 沙乃の台詞に斎藤が割り込んだ。

 龍雲寺の方がチカチカ光っている。

「島田からの発光信号です。『ノ錦旗ハ贋物がんぶつナリ』」

 斎藤が龍雲寺からの信号を読み取る。

「何だって!?」 永倉が驚いて声を上げる。

「島田の馬鹿がやってくれるじゃないか」

 不敵に笑う土方歳江。彼女も戦う名目を探していたのだ。敵は薩長。それははっきりしている。だが、錦旗を攻撃できない。では、どうするか。島田の方が先に答えを出した。錦旗は偽物と断じたのだ。
 これは『暴れん坊将軍』で悪事が露見して、一旦は吉宗に平伏した後も「比奴こやつは上様の名を騙る偽者ぞ、者共、斬り捨てい!」と、悪人が居直るのに似ている。

“いや、それだと我々が悪人みたいだな。しかもこっちが徳川勢なのに。面白いものだ”

「ふっふっふっふ」 低く笑う土方。

「トシちゃん?」

「『我ラ新選組ハ悪ヲ断ツ剣ナリ。全軍攻撃ヲ開始セヨ。目標薩摩軍』」

 斎藤が信号の続きを読み上げる。

 一斉射撃の音が響いてきた。島田麾下きかの新撰組が攻撃を開始したらしい。新撰組は元からスナイドル銃を持つ洋式装備の良く訓練された部隊。伊達に寺や神社に迷惑をかけまくりながら演習をしてたわけではない。しかも昨日から何もせず体力を温存していたので、薩長軍や新選組に比べると疲れてもいない。そして何より錦旗に楯突くものはいないという常識を破っているので、薩摩軍も対応が遅れている。

「そうだよ、みんな。
 あたしたちは、いつも天子様の京を守るためにキンノーと戦ってたんだよ。あんな偽物の旗一枚で動揺しちゃダメ! あたしたちは正しいんだから! あたしたちは正しいんだからぁ!」

“あたしたちは正しいんだから・・・・” 近藤の魂の叫びが、皆の心に染み渡る。

「旗を立てよ! 我らが誠の旗印を!」

 土方が凜として命じる。
 旗持ちの尾関が新選組の隊旗を掲げた。隊旗が翻る。赤地に白く『誠』の一字を染め抜いた新選組の隊旗が。

「おおおおおっ」 怒号が沸き起こる。

「行くよ、トシちゃん」

「おう!」

「新選組、続け!」

 近藤が走りだす。
 その後ろに新選組の全軍が続く。目の前の薩摩軍部隊は錦旗を失い茫然自失の状態にあり、彼らを支援する薩摩軍砲台は既にない。


 新選組の進撃が始まった。

(後編Aへと続く)


(おまけのSS)
【永倉】 ゆーちゃん、何か変な敵がやってきた!
【原田】 赤い旗を掲げてるわね。
【土方】 赤旗・・・・共産主義者か!
【斎藤】 日本は不凍港を持ってるから狙われてるんですよ!
【土方】 奴らに国を渡すわけにはいかん! 全軍攻撃開始!
【全員】 おおー!

【近藤】 あれはね、錦旗っていう天皇の軍隊を表す旗印で・・・・あ、みんな聞いてない〜。 
【島田】 ・・・・っていうか俺たちの出番がなくなるんですけど。


(あとがき)
 申し訳ありません。長くなってきたので後編も@とAに分けます(Bにならない事を祈る・・・)。後編Aでこの続きを書きます。
 作中で、土佐の千名が動いてませんが、これは史実です。土佐藩は錦旗が揚がるまで、攻撃に参加してません。なので最初は幕府軍1万5千VS薩長軍4千だったのです。が、薩長軍がほぼ全軍が戦ってたのに対し、幕府軍は一部しか戦ってません。数が多い方の余裕が招いた敗北ですね。
 錦旗に関しては、大河ドラマの『新選組!』では、岩倉具視が「これ、使お」と、用意した物でしたが、実際のところ、京の薩摩藩邸で作られたものらしいです。だが、偽物と言ってよいかというとそうでもなく、1月4日の午前3時に開かれた朝議で薩長軍を官軍とする事が決定したので、この時点で、この錦旗は本物になりました。で、1月5日の午前8時に鳥羽街道上の新政府軍の陣地に錦旗が翻り、午前11時頃、錦旗は淀の千両松付近に達し、幕府軍の潰走が始まりました。
 幕府陸軍(伝習隊)に関しては、割とまともに戦ってたのですが、指揮官が家柄だけで選ばれた旗本(実戦経験なし)だったので、効果的な攻撃ができず、防戦に回ってました。数が圧倒的に多いので急いで攻める必要がなかったのですな。そんなおり、錦旗があがったので総崩れとなりました。
 今回、松平けーこちゃん様が登場しますが、史実に反し、彼女は逃げません。行殺の松平けーこちゃん様はそういうキャラだと私は思います。

 それでは後編Aでこの続きを書きます〜。


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