旧制第一高等学校寮歌解説

銀波歌

明治35年 

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PPと非常に低く出ます。音が聞き難い時はボリュームを上げて下さい。
大海原月夜の景色      畫にかゝまほし筆とりて
月も出でぬ潮もみちぬ    とぶは鷗か岩の上に
砂にさゝやく白波は      わだつみの君なる
海の姫神むちあげて     すべ給ふらん
あな麗しやあな面白し     ながめあかさん此一夜
昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。

1、調
 変イ長調に始まり、歌詞5行の「砂にさゝやく白波は」から以降変ホ長に転調し、歌詞9行の「あな麗しやあな面白し」で変イ長調に再び戻る。これを、変イ長調は変二長調に、変ホ長調が変イ長調に、キーを5度下げ移調した。それでも音域は1オクターブを越え、素人の寮生が歌うには相当に無理がある。

2、拍子
 8分の12拍子は変わらず。複合拍子は一高寮歌では珍しい(他に4分の7拍子の「運るもの」)。

3、音
①、「しーらなみはー」(2段2小節)の「みはー」  タイを外し、「はー」の2音を「ミ(付点4分音符)ーー」1音に。
②、「むちあげてーー」(3段2小節)の「てーー」  「--」の2音を「ミ(付点4分音符)ーー」1音に。

最初の出だしは、音符下歌詞に拘わらず、「おおうーなばーアら」と歌うが、最後まで歌い通したのを聞いたことがない。なお、「銀波」の題は、昭和10年寮歌集で、「銀波歌」と変更された。

作詞者の山内冬彦は、東京大學入学直後に病死した。死を予感しこのような純粋な抒情詩を詠んだのかも知れない。一高寮生の頃、飲酒の弊風に染まり、当時、禁酒論を校友会雑誌に発表した荒井恒雄などが随分、山内冬彦の健康を心配したという。文芸部員でもあった山内冬彦は、「聖仏陀を想う」(校友会雑誌第120号)、「エマーゾン」(明治36年、ラルフ・ワルド・エマーソンのことか?)を発表している。野球部部歌「天地の正気」を作詞した剛毅な面の反面、酒に溺れ、仏にすがる繊細で弱い面を持った青年であったのだろう。

語句の説明・解釈          
            
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 その存在に気づかぬ方も多いと思うが、寮歌集の370頁(旧384頁)に『銀波歌』という作詞山内冬彦氏、作曲小峰昇二氏の歌がある。山内氏は人も知る勇壮な野球部部歌の作詞者、小峰氏も名寮歌『暁寄する』の作曲者。そして、この銀波歌は、月明かりの海辺の一夜をうたったもので、一見寮歌らしくない。然し、此は、亀井高孝先生から数年前承った処では、当時寮内があまりに剛健尚武に偏っていたので、今でいう一種のレジスタンスで、このような寮生活に関係ない天然の美観の歌を、作詞者作曲者で創ったものという。山内氏は前記の如く、寮委員長、野球部歌作詞者という剛の反面、文芸部委員として、校友会雑誌に『聖仏陀を想ふ』という秀れたエッセイを書いていたり、『文庫』の驍将であったというから、そういうことも考えられる。とすれば、篭城主義に対するひそかなレジスタンスの走りかとも思われる。 「一高寮歌私観」から

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