旧制第一高等学校寮歌解説

水泳部部歌

明治43年 

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1、狭霧(さぎり)はれゆくあかつきの   鏡が浦の浦風に
  白帆かゝげて魚人(ふなびと)の      雄々しき今朝の船出哉
  我等もさらばとく起きて     清き波間に浮びては
  健兒の歌をうたはずや

2、波しづかなるまひるまの    玉藻よりくる砂濱に
  あみひくあまく乙女子の    いそしむさまを君見ずや
  われらもさらば(わざ)を練り    腕をきたへてもろともに
  ことあるときにそなへずや    
*「あまく」は大正14年寮歌集で「あまや」に変更。

3、入日をあらふさヾなみの    金波銀波とみだれては
  沖の島山紺青の         色うるはしき姿かな
  われらはさらば奮ひたち    七里の波路(なみじ)こえんとき
  日頃の意氣を示さずや 
弱起の曲、ニ長調2拍子は不変。譜は、平成16年寮歌集を中心に次のとおり変更された。*下線はスラー

1、「に」(2段2小節)          ミード(平成16年寮歌集) 
2、「とくーをきて」(3段6.7小節)  ファーファファファミレ(平成16年寮歌集)  
3、「うーたを」(4段6小節)       ドドシラ(平成16年寮歌集)  
4、「けん」(4段5小節)         ソ-ソ(昭和10年寮歌集)  
5、その他、多くの箇所で、8分音符・8分音符を付点8分音符・16分音符に、また、その逆に変更した(平成16年寮歌集)。

後年著名な法学者となった水泳部末広嚴太郎の作詞である。寮歌祭では、この部歌に続いて「河童踊の歌」が歌い踊られる。
この曲の原曲は、C.W.Gluck:Orfeo ed Euridiceである(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)。     


語句の説明・解釈         

語句 箇所 説明・解釈
鏡が浦 1番歌詞 一高水泳部の水泳場。水泳場は、明治27年7月1日に神奈川県浦賀郡浦賀町字大津に開設されたが、(明治36年南寮「彌生が岡に地を占めて」の2番「大津の浦にものゝふが 夢破りけん語り草」の大津) 明治31年7月3日に、千葉県安房郡北条町八幡鏡浦に移った(明治41年までは江戸屋旅館など地元の旅館、明治42年以降大正12年まで詠歸寮)。ついでながら、八幡の水泳場の「詠歸寮」は大正12年の関東大震災で倒壊、以後、一高水泳部の練習の拠点は、伊豆・宇佐美へと移った。詳しくは、「水泳部舊部歌」の説明参照。
波しづかなる 2番歌詞 「鏡が浦」の名前の由縁であろう。
 「波静かなる鶴ケ谷 そこに地を占む水泳部」(明治36年「水泳部舊部歌」2番)
乙女子 2番歌詞 一高寮歌で、「乙女子」などの「女子」が出てくる寮歌は極めて珍しく、この歌詞が問題となった。「第10回寮歌『青くすみたる』に『摘みて取りて少女子ら』という前例があるという指摘があって不問とされた」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)
                                 
沖の島山 3番歌詞 廻遊の大遠泳を行なったところ。「沖の島」は、周囲約1kmの小島で、今は陸とつながっている。
 「那古船形や鷹の島 遙かに浮ぶ沖の島 遠い波路も何のその」(「一高水泳部の歌」5番)
            

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