旧制第一高等学校寮歌解説

柔道部部歌

明治43年 

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1、時乾坤のうつろひに    向が岡の春闌けて
  花のみ薫る來し方の    二十の關を見かへれば
  一すじ冴えて行く水に   生けるひヾきぞたぎり行く

2、春千山の花ふヾき     秋落葉の雨の音
  濁世(じょくせ)の影を遠くして     柔の教にいそみ行く
  聞かずやこゝに搏撃の   音鼕々とたえざるを


3、古き歴史の跡問へば    青葉城下の鬨の聲
  壯士白衣の肌寒く      易水の風蕭々と
  北に撫劔の丈夫が     首途の曲ぞ胸にしむ

4、風大塚の花に來て     こゝに亂るゝはれ軍
  科戸嵐にひるがへる    護國旗高く飄々と
  香り漲る六合の       行方に敵の影もなし

5、黒潮たぎる絶東の      櫻華の國に生れ來て
  三千年の花と咲く      我が武士の道を訪ふ
  胸の血潮の高鳴に     我責任(つとめ)こそ身にあまれ
第2段4小節原譜には8分休符の代りに、8分音符ドがあったが、これを誤植と見て削除した。
現譜は、キーを4度下げてヘ長調からハ長調と変った。譜も昭和10年寮歌集(一部平成16年寮歌集)で多数箇所で変わっている。主な箇所は次のとおりである。
 第1段3小節の「うつろひ」、第2段3小節の「はるたけ」、第6段3小節の「たぎりゆ」を弱起とするため、各2小節3音の4分音符を付点8分音符に改め、16分音符の余裕を作って、各1音を前小節に前送り、それぞれ「う つーろい」 「は るーたけ」 「た ぎーりゆ」とした。すなわち、1・2・6段の2小節から3小節にかけてのリズムを3・4段のリズムに合わせた。4段のみ譜の上では、元通りで変更がなかったが、他段と同じように、「ゆ くーみず に」と歌ってしまいそうである。
1、「の うつろひ に」(1段2・3・4小節)の「の うつ」 ドーレ ミー
2、「むかうが」(2段1小節)の「むか」 ミーファ
3、「の はるたけ て」(3段3・4小節)の「の はるたけ」 ミーソ ラーソーソ
4、「二十の」(4段1小節)の「十」 ミ
5、「み かえれ ば」(4段2・3・4小節)の「み」 ミ
6、「さえて」(5段2小節)の「え」 ド
7、「いけるひ ゞきぞ たぎりゆ く」(6段) ソーラドーラ ソーソドーレ ミーレーレ ドーー 
 以上のうち、平成16年寮歌集の変更は、「うつろひ「(1段3小節)の「う」(レ)、「たぎりゆく」(6段3・4小節)の「ゆ」(レ)の音の変更である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
二十の關 1番歌詞 「二十年の柔道部歴史を振り返れば」の意。明治23年10月24日、文芸・ボート・撃剣、柔道・弓術・ベースボール・ロンテニス・陸上運動・遠足の9部で、一高校友会が結成された。この柔道部々歌が作られた明治43年は、ちょうど部創設二十年にあたる。一高自治寮も東・西寮が明治23年3月に開寮した。明治43年は、これまた開寮二十周年にあたる。
搏撃の音鼕々と 2番歌詞 「搏撃」とは、うつ、たたく、なぐること。「鼕々」とは、鼓の音の形容。ここでは、柔道部練習の激しい攻め合いの掛け声や畳の音のこと。
青葉城下の鬨の聲 3番歌詞 明治32年仙台・二高講堂で行なわれた対二高柔道戦。大将を残して一高が勝つ。前年の雪辱を果たした。
 「時は明治32年4月11日平山氏(大将)、北村氏(副将)以下19名の選手を率ゐ會稽の耻を雪ぐはは此時なりと一百餘名の聲援隊に送られて二高の門に攻め入りぬ、仕合場は講堂なり壇の下低く35の疉は布かれたり。觀客人の山を築きて皆之に向ふ、嗚呼獅子奮迅の時は來れり、嘗て易水の歌を高吟して京關を辭せし勇士の感果して如何に・・・。北村副將軍悠然として立てり一本の聲は審判者の口より出でゝ場の四隅に轟き渡れり、一高萬の聲は早くも紅軍(二高)の郎等中より起る。我軍も二高の萬歳を唱へ紅軍更に一高の萬歳を叫ぶ、嗚呼天下は源氏の掌中にあり我亦何をか云はん。」(「向陵誌」柔道部部史第二囘對二高紅白勝負)
易水の風蕭々と 3番歌詞 「易水」とは、河北省易県の西から東南に流れて拒馬河に入る川の名。中国の戦国時代、燕の太子丹が秦の始皇帝を刺すためにつかわした刺客の荊軻を送って別れた所。前掲の「向陵誌」に「嗚呼獅子奮迅の時は來れり、嘗て易水の歌を高吟して京關を辭せし勇士の感果して如何に」とある。
 史記『荊軻伝』 「風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還」(かぜショウショウとして、エキスイ寒し、 ソウシひとたびさって、またかえらず。)
 明治43年1月20日、二高柔道部から11年振りの試合となる挑戦状が来る。柔道部は朶寮一、二、三番に合宿して4月の試合に備え猛練習を開始した。さらに、2月24日に、対二高柔道・撃剣試合選手推薦式が倫理講堂で、校長以下が出席し行われ、夜には激励のための全寮晩餐会が開催された。3番歌詞は、試合に臨む柔道部選手を「燕の刺客荊軻になぞらえ」、その悲壮なる決意を「首途の曲ぞ胸にしむ」と詠う。あまりに激しい練習のため、一高選手に故障者が続出、有段者で試合に出場できたのは初段2人のみ。試合の結果は、二高3人を残して一高の負けであった。対二高柔道試合は、明治31年から大正9年の永久廃止まで、明治32年、43年、大正3年、7年の計5回行なわれた。戦績は一高の1勝4敗。
 「嗚呼勝敗は天也と云へども豈又人ならん哉、曩日の合戰今日に於ても尚吾人は切歯の情に堪へず、顧みて大塚の空を仰ぎ、伏して光榮ある部史を思ふ時、吾人の心中豈一片の涙なきを得んや、曾ては6人又は2人を殘して克ちたる大塚の古戦場を、敗辱の泥に汚す、嗚呼何たる弱輩ぞ、されど乞ふ幸ひに意を安うせられよ、我等十有八名、日夜苦技を練り磨き、常に北天の一角を望むあるを。」(向陵誌」柔道部部史明治43年第三囘對二高試合)
風大塚の花に來て 4番歌詞 明治38年、39年に大塚の高師大講堂行なわれた対高商柔道試合で連覇したこと。
 「明治38年3月、大塚の高師講堂で、強豪を揃えて自信満々たる高等商業と戦い、六将山上岩二氏の奮戦で、之を一蹴、その翌年も、中堅岩永祐吉氏の健闘と、参将山上氏が敵副将を屠り、主将と引分けて、わが軍は有名な新井源水主将及び増田副将を残して、二年連続栄冠を保持した。」(井上司朗大先輩[一高良私観」)
科戸 4番歌詞 「科戸の風」の「科戸」。「級長戸の風」とも書き、風の異称。級長戸神(しなとべのかみ)の名に基づく。
六合 4番歌詞 天地と四方。宇宙全体。
黒潮たぎる絶東の 櫻華の國に生れ來て櫻華の國 5番歌詞 桜の綺麗な日本の国。「絶東」は、極東。中国から見て東の海の涯の国。
 頼山陽 「花より明くるみ吉野の 春の曙見わたせば もろこし人も高麗人も 大和心になりぬべし」
 本居宣長 「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
三千年の花と咲く 我が武士の道を訪ふ 5番歌詞 「三千年」は、皇紀三千年。ただし、明治43年は、皇紀2670年である。「花」は、桜の花。
 「花は櫻木人は武士 武士の魂そなへたる」(明治23年「端艇部部歌」)
                        

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