旧制第一高等学校寮歌解説

端艇部應援歌

大正9年 

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1、嗚呼向陵に正氣あり    靑春の兒が熱血の
  双手にかざす紅の      護國旗の色君見ずや
  我が當年の丈夫が     鐵腕撫して立つところ
  墨江の空、連勝の      覇業の光榮に輝やきぬ。

2、干戈一度戢りて       平和よ暫し春の夢
  唯三尺の劔を撫す     丈夫の悲憤幾春秋
  飛躍を待ちて幽谷に    臥龍の思ひ幾春秋
  越殿の花、我知らず    唯營々の意氣の跡。

3、霧大利根を罩むる朝    堅氷わりて凛然と
  激流切りて溯るとき     見よ筑波嶺に()はあかし
  花墨堤に匂ひては     綾瀬の流れ若綠
  波上に浮ぶ春光に     七雄の歌楫枕。

4、さはれ髙眠永からず    今壯快の晴れ軍
  墨江十里慘として      乾坤どよむ鬨の聲
  嗚呼戰はむ勝軍      光榮の歴史を飾るべく
  渾身の血は躍るなり    戰はんかな友よいざ
昭和10年寮歌集で、次のように変更した。(小節数は、最初の小節もカウント)
1、3段4小節から4段5小節1音まで
 1オクターブ下げて歌いやすくした。これで大方の寮生の声が出るようになった。
2、「りょーに」(1段3小節) ソラーソ
3、「せいきあ」(1段4小節)の「あ」 レ
4、「くれない」(2段5小節)の「い」 ラ
5、「やわ」(3段3小節)の「わ」 ド
6、「うぼ」(4段5小節)の「ぼ」 ソ(低)
7、「れんしょー」(5段2小節)の「ん」 ド
8、「かがやき」(5段6小節)の「き」 レ

平成16年寮歌集で、次のように変更した。
 「きみみず」(3段2小節)「の「ず」 レ


語句の説明・解釈

「明治20年代、満都をわかせた対高商ボートレースも、明治32年以降は学校当局の意向で廃止されていたが、大正9年に至り東京帝大主催の第1回全国高等学校対校競漕大会(インターハイ)が隅田川で開かれることになった。一高端艇部にとっては実に21年ぶりに対外試合が復活した。この大会は6人漕ぎの固定席によるもので、一、二、三、四、六高が参加して、4月6日に挙行された。一高は予選で三高を四挺身差で破り、決勝では二高を一挺身差で破り優勝、全国制覇を遂げた。この時に寮生からの募集によって生れたのが端艇部應援歌『嗚呼向陵に生気あり』である。」 (「一高自治寮年60年史」)
 「”母校の興廃この一戦にあり”三囲稲荷に屯した一高応援団は、交々立って悲壮極まる激励の語を吐く。二高の応援団も三角緑旗を手に手にカザして校歌を合唱しながら、言問の土手から三囲にかけて居並んだ。帝大主催全国高校対校競漕の決勝戦が開かれようとする6日午後4時である。・・・・・・やがて墨田の長堤は緑白二色、一高と二高の天地に二分された。・・・・二高は『五城の雪を掩ふて立て』、一高は『戰はん哉時至る』と叫んで、川面も湧返らんばかりに動揺めき渡る。・・・一高は捷った。全国高等学校競漕の覇権を握った。三囲以東に陣取った百余の応援は狂喜して跳廻る。・・・何処に用意してあったか太鼓の音が鼕々と鳴り響く。次で凱歌は潮のように湧上った。」(東京朝日新聞記事ー「一高応援団史」)
「刀水に寒風を受けて、練習の苦心幾日なりしぞ。年改まると共に南寮二番に合宿して、渾身の熱血努力を以て鍛えし壯腕今ぞ鳴る。而して一周の後に墨江上に、我が向陵の意氣を発揮せんとす。三ヶ月の苦心努力、先輩校友の熱誠なる指導激勵、彼を思ひ此を偲びて、感慨無量なるものあり。戰はん哉、時機は至りぬ。」(「向陵誌」端艇部部史大正9年)

語句 箇所 説明・解釈
正氣 1番歌詞 天地間に漲る正大の気。万物のおおもとである元気。
護國旗 1番歌詞 一高の校旗。唐紅色で、柏葉橄欖の校章の真ん中に國の字が入る。
 「染むる護國の旗の色 から紅を見ずや君」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
墨江の空、連勝の 覇業の光榮に輝やきぬ 1番歌詞 明治20年から同32年まで、6回行なわれた東都の名物、一高・高商(現一ツ橋大学)ボートレースは一高の連勝で終わった。
干戈 2番歌詞 たてとほこ。武器。転じて、いくさ。高商との対外ボートレースをいう。
臥龍の思ひ幾春秋 2番歌詞 まだ雲雨を得ないため天に上れず、地にひそみ隠れている龍。前述のとおり対高商ボートレースは明治32年で終った。爾来22年間、対外試合を待ち望んでいた思いをいう。
 「時期到る。蛟龍終に雲を得たり。黙々空しく劍を撫して鬱勃たる雄心を制すること星霜正に二十。何ぞ躊躇する所かあらん。」(「向陵誌」大正8年12月。*向陵誌には大正10年とあるが8年の間違い。)
越殿の花 2番歌詞 「越殿」は、中国・春秋時代の越王句踐の宮殿。豪華で華やかな宮殿であったという。「越殿の花」は、対外試合での「勝利の光榮」のことで、残念ながらまだ経験はない。
 「越殿の丘鷓鴣は飛ぶ」(大正7年寮歌「悲風慘悴」3番)
堅氷わりて凛然と 3番歌詞 冬の朝、岸の氷を割って勇ましく出挺する模様をいう。3番歌詞は、翌春の競漕大会に向け、真冬、大利根遠漕、江戸川遠漕等で猛練習したことを踏まえる。隅田川から運河を越えて大利根を下り、銚子に至る遠漕のコースについては、頌歌「あゝ愉快なり」を参照。
 「各部選手のうちよりその粹を抜き、大利根に冬氷を破つて大遠漕を試み、猛練習を開始す。・・・大利根遠漕は冬期休暇中に行はれ、寒風雨雪を厭はずタンク、バック臺に、日一日と練習を積めり。」(「向陵誌」端艇部部史大正8年12月)
七雄 3番歌詞 6人の漕ぎ手と1人の舵手。当時は固定席艇であった。
楫枕 3番歌詞 楫を枕として寝る意だが、艇の中で寝泊りしたわけではない。船旅、遠漕のこと。
さはれ 4番歌詞 そうではあるが。
高眠 4番歌詞 志を高く持して閑居していること。高臥。
墨江 4番歌詞 大会会場の隅田川。「墨堤」(3番歌詞)は、隅田川の堤。
乾坤どよむ鬨の聲 4番歌詞 天地も揺るがさんばかりに轟く合戦の始めの叫び声。「乾坤」は、天地。「鬨の聲」は、味方の士気を鼓舞するとともに、敵に向かって戦いの開始を告げる合図。転じて、多人数がどっとあげる声。
渾身の血は躍るなり 戰はんかな友よいざ 4番歌詞 「刀水に寒風を受けて、練習の苦心幾日なりしぞ。年改まると共に南寮二番に合宿して、渾身の熱血努力を以て鍛えし壯腕今ぞ鳴る。而して一周の後に墨江上に、我が向陵の意氣を発揮せんとす。三ヶ月の苦心努力、先輩校友の熱誠なる指導激勵、彼を思ひ此を偲びて、感慨無量なるものあり。戰はん哉、時機は至りぬ。」(「向陵誌」端艇部部史大正9年)
 「大和民族いざやいざ 戰はむかな時機至る」(明治37年「征露歌」20番)
                        

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