旧制第一高等学校寮歌解説

音楽班班歌

 

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1、駒場の原に淺綠     新芽は萌えて土香る
  叡智耕す鋤鍬に     額汗ばむ我等なり

2、東海波は静かにも    陽の勢に育くまる
  豊葦原の民草の     望を擔ふ我等なり

3、四方の同胞誘ひて    正義を翳す行進に
  歡喜の歌を歌ひつゝ   力あふるゝ我等なり
  
4、いざ我が友よ颯爽と   歌の翼を打ち振りて
  空をも突かん雄叫びに  天馬の如く行かんかな
2段3小節の音符下4番歌詞「ウチハリテ」は、平成16年寮歌集で「ウチフリテ」に、同時に2段3・4小節の1番歌詞「かほり」は「かおり」と変更された。

 譜に変更はない。伴奏の譜は省略したが、MIDIは伴奏付きとした。テンポはメトロノーム指示。さすが音楽班班歌だが、一高寮歌では2、3の例があるのみで、珍しい。
 「明朗快活に」とあるように、文化部の部歌としてはたいへん勇ましいメロディーとなっている。戦時下の曲だからであろう。作曲は大正6年寮歌「若紫に」の箕作秋吉である。


語句の説明・解釈

戦時体制は一高校友会組織にも及び、昭和15年12月6日、校友会は解散、「一高護国会」が誕生した(昭和16年3月、正式発足、昭和16年10月3日には、校長を隊長とする「報国隊」に再編強化)。その時、文化部の各部は、文芸班、弁論班、科学班、音楽班の名称となった。おそらく、従来の樂友会が音楽班として再編されたのだろう。全国組織では、山田耕筰を隊長とする音楽挺身隊が、昭和16年9月18日に結成された。
 この音楽班班歌の作成時期は、その名称から音楽班が正式に誕生した昭和16年3月(早くても前年末)以後の間もない頃と推測される。もっとも、曲自体は、昭和13年に内閣情報部が募集した「愛国行進国」の曲として応募したものという(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)。作曲者は戦後にも、この曲で労働歌「世界をつなぐ花の輪」に応募、当選。
 ただし、音楽班OBの大山哲雄大先輩(昭和17年「彌生の道」、同6月「運るもの」の作曲者)は、「音楽班班歌があること」を知らなかったというメールを頂いたことがあった。昭和18年寮歌集に載っているので、音楽班班歌自体は存在したことは確かであるが、あまり歌われなかったのかも知れない。
           
語句 箇所 説明・解釈
豊葦原の民草 2番歌詞 日本国の国民。「豊葦原」は(トヨは豊穣の意。古代、水辺に葦の茂ったさまから)日本国の美称。「民草」は、民の増える様を草に喩えていう語。
四方の同胞 3番歌詞 日本本土のほか、朝鮮・台湾・樺太等の植民地・外地や日本の占領地の民も含めていうのであろう。八紘一宇(今流に言えば、「世界は一家 人類皆兄弟」)が当時盛んに宣伝された。
正義 3番歌詞 日本の主導による東アジアの新秩序形成ーアジア植民地の欧州列強からの解放。
            

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