旧制第一高等学校寮歌解説
河童踊の歌 |
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1、河童やめらりょか アリャ 河童やめらりょか ノーエ 河童水の アリャイッチョマタ 主ぢやもの ノーエ (繰返し)ア イッチョナ イッチョナ ト 2、水の音にぞ アリャ 氣をいさませて ノーエ 世界のレコード アリャイッチョマタ やぶってやれ ノーエ 3、河童よいもの アリャ はだかではだし ノーエ 白い眼玉が アリャイッチョマタ チャームする ノーエ |
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譜は拍子・小節のないものであるが、楽譜ソフトがこれに対応していないため、4拍子表記とした。不正確であることをお断りする。 譜に変更はない。MIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。 メロディーは、相撲甚句(相馬甚句?)の譜を借用したものといわれる。「河童やめらりょか」の「河童」の歌い方について、「かあーっーぱーーー」と歌う人が多いが、「かあーーっーぱーーー」と「かあーー」ともう少し伸ばす歌い方もあったらしい(原譜に、(♩)で載っているが、上の原譜では略)。 |
水泳部の歌。一高寮歌祭では、水泳部部歌「狭霧はれゆく」を歌ったあと、この「河童踊の歌」を歌い踊る。名取もおり、現在は4代目。各地寮歌祭の名物であった南大先輩の河童踊りも今は見ることが出来なくなった。寂しい限りである(南大先輩は、デカンショ節の大家でもあった)。 「本歌は元来、大正10年5月4日、5日に、同年5月30日から6月1日にかけ上海で開催される極東大会に向けての予選会が、湘南、本牧の三渓園の池で行なわれた際、本牧の駄菓子屋の二階に宿泊した東京各大学の水泳選手数人の手により『河童甚句』として合作されたもので、当初の歌詞は1番と2番だけだったという。・・・・この原『河童甚句』が、その夏、房州北条の一高水泳部詠歸寮における合宿で、初めて当の(前記合宿に参加した)松澤一鶴等に教えられて、水泳部の愛唱歌となったが、そこで3番の歌詞が詠み加えられたらしい(誰の作詞かは不明)。」「その『踊り』が振付けられたのは昭和5年2月1日の紀念祭においてからである。(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
河童 | ー | 水泳部員のこと。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
園部達郎大先輩 | 私の(河童踊りを)初めて見たのは、昭和5年『第40回紀念祭』の当日、『水泳部』の連中の揃いの緑の河童姿、その踊りだった。その後、『水泳部』の呼び物となって現在に至る。・・・橋爪幸大さん(昭4)に伺った処、橋爪さんのお兄様、吉志郎さんが若柳流の師範なので、振付を考えてもらったと言われる。『解説』では『橋爪兄弟が家元若柳吉三郎師に頼み振付を了えた』と記す。何しろ『河童踊り』はその後受けた。『一高百年祭』の時、水泳部OBが揃って踊ったあの情景が眼底に残る。 | 「寮歌こぼればなし」から |