旧制第一高等学校寮歌解説

理端遠漕歌

明治34年 

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 1、戊戌の昔殘したる       旗の印の慕はしや
   長蛇を逸す茲二歳       恨は常に骨にしむ

 2、頃は師走の冬の空       隅田川原を船出して
   鴻ノ臺下に近づけば       吹く風寒し古戦場

 6、星を落せる彼の早瀬      枯蘆しげき其の中を
   夜泊の船に事問へば     行手は遠し取手町

 9、船の歩みを速めつゝ      行手の希望は牛堀や
   二十世紀の初日出       祝ふや利根の波の上

10、一瀉千里に下りたる      往佐の快も夢なれや
   日頃鍛へし此の腕       逆流何ぞひるむべき
*「往佐」は昭和50年寮歌集で「往時」に変更。

11、日毎々々の練習に腰なへ   手足は痛めども
   何をか辭せん二部の爲     又もや運河の一千本
*「二部の爲」は、昭和10年寮歌集では「理科の爲」
変ロ短調2拍子で現譜に同じである。ただし、最初から短調であったかどうかは、明治37年寮歌集、大正14年寮歌集に収録なく不詳。


語句の説明・解釈

昭和10年寮歌集では理端遠漕歌であるが、もとは二部遠漕歌。明治34年当時、大学予科課程は3部に分けれていた。一部は法・文科、二部は工・理・農科、三部は医科の志願者の為のコース。これが改められ、文科と理科となったのは大正8年9月新入生からである。
 「『文端』に対し対抗意識を燃やす『理端』選手の立場で詠まれている点で、前歌『遠漕歌』にはない緊張感や猛練習の苦しみが見てとれる」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

語句 箇所 説明・解釈
戊戌の昔 1番歌詞 明治31年の対部レース(第一選手)で、二部(工・理・農科)が優勝したこと。
 「(明治31年)4月11日第15回春期競漕大会擧行、江花江水春悠たれども、或いは曰ふ、敵ありて吾城門を窺ふと。兜の緒引締めて、此日健兒皆よく振ふ。第二選手一着一部。選手競漕は闇夜、提灯を舷灯掲げて行ふに至りしと云ふ。一着二部・・・」(「向陵誌」端艇部部史明治31年)
長蛇を逸す 1番歌詞 惜しいところで大物を取り逃がす。ここでは優勝を逃したこと。「茲二歳」とあることから、明治32年、33年と連続して敗れたことをいう。臥薪嘗胆、捲土重来を期し猛練習に励んだ。ちなみに明治32年、33年春期競漕会の三部対抗第一選手の優勝は、三部(医科)であった。
二十世紀の初日出 9番歌詞 昭和10年寮歌集、昭和50年寮歌集には、この遠漕歌の作成年の記載はない。一高同窓会「一高寮歌解説書」および平成16年寮歌集で、明治34年作と明記されたのは、この「二十世紀の初日出」の歌詞(明治34年は1901年で二十世紀初年)によるものであろう。
往佐 10番歌詞 佐原または布佐へ行く語の造語という(平成16年寮歌集)。昭和50年寮歌集で「往時」と変更された。佐原は合併して香取市の、布佐は我孫子市の一地区である。
一瀉千里 10番歌詞 一たび流れ出ると一気に千里も流れ去る水の勢いの意。
                        

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