旧制第一高等学校寮歌解説

新渡戸校長惜別歌

大正2年5月 

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1、慕へどあはれ行く春を  誰かは仇に止め得む
  若葉は枝にちぎるとも  萠ゆる綠は長からじ

2、溢るゝ許り湧き出づる  深きなさけの感激に
  若き血潮のたぎりけん  心の窓も閉じ果てぬ

3、「濁るも水のならひぞ」と 「高嶺の日」は照すとも
  教への君にわかれては  何を光のわれ等ぞや
*「高嶺の日」は昭和50年寮歌集で「高嶺の月」に訂正。

4、心ごゝろに思ひ出の    古き夢路を覺め出でゝ
  別れの宴催せば      あくとしもなき今宵哉
譜に変更はない。テンポをメトロノーム数字で指定した歌は、一高寮歌では珍しく、現譜に残っているのは、この歌と「一高音楽班班歌」、昭和15年九大寄贈歌「不知火の」。昭和10年寄贈歌「嗚呼先人の」のメトロノーム数字は現譜では削除されている。
 ミーミーソーミードーードドーーの主メロディーは長調ながら、惜別の哀調をうまく醸し出している。3段(起承転結の転)で、思い切り高音に持っていき、感極まった寮生の感情の高まりを伝える


語句の説明・解釈
数多くの一高校長の中でも、寮生から惜別歌を送られたのは、籠城主義の向陵にソシアリティーという新風を吹込んだ新渡戸校長だけである。
 「5月1日には寮委員主催で新旧校長の歓送迎会を嚶鳴堂で開く。4年前、新渡戸校長を批判攻撃した大學生石本恵吉は同じ壇上に立ち、往年の非を謝し、校長の徳を彰し、新渡戸夫人の一高生に尽くした貢献をたたえた。劇的な情景であった。夜七時から全寮晩餐会。終わって寮生数百、校長を見送り、その多くが雨後の泥濘のなかを校長を擁して小日向台町の私邸まで送り、『新渡戸校長惜別歌』を歌い、花束を贈呈、後年一高校長・東大総長となった矢内原忠男が代表して送別の辞を述べた。校長も夫人も『諸君、土足のままでも構わない。上がってくれたまえ。あとで掃除をすればよい。平生、幾分大きい家に住んでいるのはこんな時の役にたてたいからだ』と言って、全員を泥靴のまま招じ上げたという」(「一高自治寮60年史」)
           
語句 箇所 説明・解釈
「濁るも水のならひぞ」「高嶺の月」 3番歌詞 作者未詳  明治37年小学唱歌(三) 『四季の月』に採録。
 「折々は濁るも水の習ひとぞ思ひ流して月は澄むらむ」
 「見る人の心ごころにまかせをきて高嶺に澄める秋の夜の月」

「新渡戸校長の愛唱歌で、校長直筆の後者の額は、一高廃絶に至るまで食堂に掲げられていた。」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)
            

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