旧制第一高等学校寮歌解説

弓術部遠征歌

 

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1、西のくらいのに白旗いさむ  あれは一高のアロイスト
  七分八分の言ひそませて   行くよ京洛神樂丘
*「言」は昭和50年寮歌集で「弓」に変更。

2、坂東太郎で生湯を使ひ     關東八洲の息を吸ひ
  育つた俺等は伊達には行かぬ 過ぎた欣求のあと見やれ

3、上野の山からごんとなる鐘に 冷えた蒲團に身を寄せりゃ
   夢に通ふよ弦音が高く     まゝよ勝つまで草枕
  
4、()爲朝には及びもないが 弓矢執る身の意地じゃもの
   西へ西へと白旗すゝむ      行きて歸らぬ梓弓  
譜の変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。この遠征歌のメロディーは、赤城音頭からの借譜という。


語句の説明・解釈         

語句 箇所 説明・解釈
七分八分の言ひそませて 1番歌詞 昭和10年寮歌集・18年寮歌集の「言」を改め、昭和50年寮歌集で「弓」とした。「七分八分の弓」は、強弓。「弓の厚みが普通の六分(2センチ)より太いものをいい、これを引くには相当の膂力(りょりょく)(筋骨の力のこと)を要する。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「言」は誤植であろう。
京洛神樂丘 1番歌詞 京都の三高。向ヶ丘の「向陵」に対し、「神陵」と称す。作詞は部歌と同じく、郡 祐一(大正14年卒)。「一高寮歌解説書」は、大正13年の京都遠征直前の作と推定する。郡は大正13年の京都遠征には弓術部選手として参加した。
 「眞砂町江知勝に祝勝会を開き、郡先輩の御努力によって、得たる神歌を高唄し、祝盃は廻り、觀談盡くる所を知らざりき。」(「向陵誌」弓術部部史大正14年8月25日対三高戰)の「神歌」が、この遠征歌であるとすれば、大正14年の作となろう。あるいは、これを「部歌」と解すべきか。
坂東太郎 2番歌詞 利根川のこと。
關東八洲 2番歌詞 相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野の八ヶ国。
欣求 2番歌詞 よろこび求めること。
上野の山からごんとなる鐘 3番歌詞 上野寛永寺の鐘。今は上野精養軒の入り口前にある。本郷一高からは、言問通りを下ればすぐそこである。
芭蕉 「花の雲 鐘は上野か浅草か」
  
大爲朝 4番歌詞 源氏の武将源為朝。強弓で名高い。
西へ西へと白旗 4番歌詞 「西へ西へ」は京都遠征。一高の柏葉旗は白旗。三高は赤旗。
梓弓 4番歌詞 梓の木で作った丸木の弓。ここでは一高弓術部のこと。
            

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