旧制第一高等学校寮歌解説
對三高四部全勝歌 |
昭和9年
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1、橄欖永久に香る 兒が胸常に高鳴るを 切齒長蛇を逸したる 遺業をいかで繼がざらむ 見よ 2、あゝ神苑の光榮の丘 戰雲低く迷ひては 誓に勇む意氣の兒が 先ず 鬨はあがれど鴻鵠の 大志は遠し 白旗凛然西下して 戰機塾せり破邪の陣 3、戰はん哉 烈日誇る 神樂ヶ丘の第二陣 赤旗空しく地に伏せど 凱歌奢らず瀬田川に 九雄腕を 4、向陵の粹こゝに見る 今日 守りは堅し關東の 覇を稱へたる無敵陣 攻むるは易き無人の野 飛 堂々凱歌湧くところ 敵零敗に聲を飲む * 5、嗚呼偉なる哉この勝利 陵史に空しこの覇業 今 月落つ 東海染むる曉色に 祥氣滿ちたり武香陵 |
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平成16年寮歌集で、概要、次のとおり変更された。この歌は難しく、滅多に歌われることはない。 1、「おかをも」(2段1小節) レーミレード 2、「つねにたか」(2段4・5小節) ミーレドー ラーラ 3、「せーんじんが」(3段4・5小節) レーレード ミーレドー *レーレにタイ 4、「しー」(4段1小節) タイを除った。 5、「はいの」(5段5小節) ソーソミー 6、「ついにな」(6段5小節) レーレレーレ |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
橄欖永久に香る下 | 1番歌詞 | 「橄欖」は、一高の象徴。 |
切齒長蛇を逸したる |
1番歌詞 | 惜しいところで全勝を逃してひどく無念に思うこと。陸運・端艇・野球・庭球の対三高四部対校戦は、大正13年に始まった。翌14年に一高はまさかの四部全敗(陸運・端艇・野球・庭球の全ての試合で三高に負けた)を喫した。雪辱を期し、大正15年は、校長以下学校幹部も出席して嚶鳴堂で応援団長推戴式を行い、昭和3年からは応援団長以下幹部が、さらに昭和5年からは応援団幹部と選手が同時に推戴され、全校揚げて対三高戦四部全勝を祈願した。しかし、昭和4年は、陸運、昭和5年・7年は庭球、昭和8年は野球が負け、いづれも3勝止まりで、四部全勝には惜しくもあと一歩及ばず無念の涙を呑んだ。 |
多年の望遂に成る | 1番歌詞 | 昭和9年の対三高対校戦に四部優勝したこと。 7月22日 陸運(神宮) 62 1/2 ー 51 1/2 8月17日 庭球(三高) 7 - 2 8月18日 端艇(瀬田) 15挺身(46秒) 8月19日 野球(西京極) 19A - 0 「嗚呼茲に四部全勝はなれり。白旗京洛の地を席捲し王城の舊都には赤旗なし。我等の歡喜これに勝る事あらんや。多年望みて遂に成らざりしも宿望は遂に成りし。健兒の意氣は天を衝き茲に向陵史上未曽有の勝利をなせり。實に我等手の舞ひ足の踏む所を知らず、胸底に刻まれし勝利の歡喜は本郷史上最後の華と言ふべし。本郷臺上より去るに臨んで吾人はこれを大いなる向ヶ丘への餞と爲すものなり。8月20日大阪中之島中央公會堂に於て大阪一高會近畿大會を開き四部全勝の法悦に浸れり。9月11日夜酒樽を圍み對三高戰四部全勝大祝勝會を根津權現に開きぬ。勝利者の有する陶然たる法悦に浸り將來への飛躍を誓ひぬ。」(「向陵誌」昭和9年) |
先ず邀へ撃つ勝軍 | 2番歌詞 | 陸運は三高が上京し、7月22日に神宮外苑で試合を行なった。これに先ず勝利したこと。 「あな嬉し、喜ばし、戰勝ちぬ。神苑に薄暮迫る頃、閉場式に臨み、次いで石川部長以下圓陣を作り、遙々東上せし三高軍の奮闘に報い、第三高等学校万歳を唱へて引揚ぐ、唯喜びあふれて四谷第六小学校の大祝勝會に臨む。願はくばこれを、幸先よき一歩として多年の望なる四部全勝の完成せらるゝを。」(「向陵誌」陸上運動部部史昭和9年度) |
鴻鵠の大志 | 2番歌詞 | 大人物の遠大な志。対三高対校戦に四部全勝すること。 |
洛邑府 | 2番歌詞 | 陸運の試合が東京で行なわれる年は、端艇・野球・庭球の他の試合は、京都で行なわれる慣わしで あった。「洛邑」は京都の異称。四部全勝のためには、京都で行なわれる庭球・端艇・野球の全てに勝利する必要があった。 |
白旗凛然西下 | 2番歌詞 | 「白旗」は一高。三高は赤旗。庭球・端艇・野球の全ての試合の勝利を目指して、一高の選手・応援団が京都に向かうこと。 「勝利の使命と天運とを固持せる他の三部は堂々京洛の地に攻め入りぬ。」(「向陵誌」昭和9年) |
戰はん哉時機至る | 3番歌詞 | 「戰かむかな時機至る」(明治37年「征露歌」20番) |
覇業 | 3・5番歌詞 | 対三高対校戦四部全勝のこと。 |
烈日誇る蒼穹下 | 3番歌詞 | 太陽が激しく照りつける大空の下。 |
神樂ヶ丘の第二陣 | 3番歌詞 | 陸運に続く二番手の試合は、京都・三高コートでの庭球。 |
赤旗空しく地に伏せど | 3番歌詞 | 赤旗(三高)の敗北をいう。 「かくて7對2、我勝ちぬ。久しく成らざりし京洛の勝利、嗚呼快なる哉。快なる哉。」(「向陵誌」庭球部部史昭和9年度) 「8月17日の庭球戰には7對2にて快勝し、夕陽の眞紅の中に白旗の亂舞を見たり。」(「向陵誌」昭和9年) |
凱歌奢らず瀬田川に 九雄腕を撫して起つ | 3番歌詞 | 瀬田川での一高・端艇部の勝利(15挺身差)をいう。「九雄」とは、8人の漕手と1人の舵手の九選手をいう。 「續いて同(八月)18日端艇部戰あり。瀬田川に敵をぬきぬきて嗚呼實に13挺身半、紫に籠めぬ琵琶湖の夕靄に我等歌ひ我等舞ひにき。敵は石山側をとり我は瀬田川コースを取れり。力漕又力漕到底敵の及ぶ所に非ず。見る見るその差こそ大になれ敵の追ひつき得る所にあらざりき。」(「向陵誌」昭和9年) |
4番歌詞 | ||
堂々凱歌湧くところ 敵零敗に聲を飲む | 4番歌詞 | 野球は、19A対0の大差で一高勝利。 「翌(8月)19日の野球戰には堂々敵を破りて實に19對零なりき。我軍は1囘に4、2囘に5、3囘に5、4囘に1、7囘に3、8囘に1、合計19點。敵は無得點なりき。これを未曽有の大勝と言わずして何をか言はん。嗚呼茲に四部全勝はなれり。」(「向陵誌」昭和9年) 「一高応援団は『あなうれし、よろこばし』の凱歌に陶酔、『ありがとう』を連呼しつつ選手を送った。三高応援団は黙々として去る。続いて一高応援団は、四人ずつ肩を組み、『あなうれし』と躍りながら、球場のすぐ隣の祝勝会場に到着した。」 「祝勝気分がしだいに盛り上がったところで、今村委員長まず登壇。今村委員長『終局目的だった四部全勝を達成した。心ゆくまで祝杯をあげよう』 西垣団長『向陵史上燦然として輝く四部全勝を達成した。選手諸君、ありがとう。応援団諸君、ありがとう』 京都府警察部長・安岡正光先輩『勇敢なる四部よ。あんまりヒドい勝ちだ。徹底的に呑め。ただし、京都にいることを忘れるな。皆の安全はわれわれが守っとる。ただし、こちらから先に手をだすな』 大阪府刑事課長・綱島覚左衛門先輩(大阪府議事課長・沖野悟先輩を伴い登壇)「15年前の応援団長二人だ。勝ってかぶとの緒を締めよ。明日、中之島の公会堂で開く大阪一高会にはぜひ出て来い』 あとはもう乱舞、高唱、壇上の演説など耳に入らず。八時過ぎるころ、綱島先輩の発声で万歳三唱、会を閉じた。」(以上「一高応援団史」) |
陵史に空し | 5番歌詞 | 向陵史上初めての快挙。前掲の向陵誌に「向陵史上未曽有の勝利をなせり。」とあるに同じ意である。 |
偸安の塵境を | 5番歌詞 | 大正14年の四部全勝の酔いが未だ醒めず安楽を貪ってきた三高を、の意。 |
西都 | 5番歌詞 | 大宰府の別名だが、ここでは京都。 |
祥氣 | 5番歌詞 | めでたい前兆の気。 |