旧制第一高等学校寮歌解説

野球部部歌

明治36年 

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、天地の正氣向陵に    籠りてこゝに十二年
  その春秋(はるあき)に磨き來し   文武の道は數あれど
  殊に勝れし野球部の   譽は世々に盡きざらむ

2、彌生ヶ岡の春の夕    ノックの響雲に入り
  向ヶ臺の冬の朝      霜を碎きて球競ふ
  雨に嵐に練習の      苦心を積みし年月や

3、風雲いかる校庭に    寄來る敵は多けれど
  鎧の袖の一觸れに    物も言はさで逐ひ返し
  覇者の譽の年々に    上り行くこそ嬉しけれ

4、名も勇しきケンタッキー ヨークタウンやデトロイト
  風切るバット勇猛の   軍艦勢も力盡き
  兜を脱ぎて陣門に    降りしさまぞ哀れなる

5、懸軍十里南濱に     勇み振ひて進み行き
  國技に誇るアマチュアの 亜米利加人と戰ひて
  物も見事にスコンクの  勝どき擧げし様を見よ

6、あゝ名譽ある吾部史よ  あゝ光榮の十年よ
  此武威永く地に墜ちず  いよゝ光を打ち添えて
  太平洋のかなたまで   吾部のほまれ輝かせ
明治37年初版寮歌集には記載はないが、明治36年の作。 作曲者の一員に楠 正一の名「嗚呼玉杯に」「綠もぞ濃き」に加え、楠 正一作曲寮歌は3曲となる。曲の終わりは、主音のドではなく、属音のソで終わっている。

 譜は昭和10年寮歌集を中心に次のように変更された(スラーの変更を除く)。
1、「てんちの」(1段1小節)の「んちの」 ドドード(「ん」の変更は平成16年寮歌集)
2、「じうにねん」(3段3小節)の「う」 ラ
3、「ぶんぶの」(4段1小節)の「ぶん」 ミーミ
4、「こーとに」(5段1小節)の「とに」 ラーソ(大正14年寮歌集)
5、「やきゅーぶ」(5段3小節)の「-ぶ」 ソーソ((大正14年寮歌集 ソーラ)
6、「ほまれは」(6段1小節)の「ま」 ミ(大正14年寮歌集)
7、「つきざら」(6段3小節)の「き」 ミ(平成16年寮歌集)


語句の説明・解釈

「一高野球部の発祥も、ボート部と同じく明治17年頃、ストレンジ氏の指導によるものとされている。それが盛大となったのは、本郷に移ってからで、明治学院との試合中、インブリー事件が起きてから、野球部として自覚は高まり、選手の発奮により、技倆は学期的に向上、福島金馬、靑井鉞雄、ついで守山恒太郎等の大投手の出ずるに及び、東京に敵なく、横浜の外人クラブとの国際試合、続いて、横浜に来航のアメリカ軍艦チームを続けて撃破して、一高野球部の日本に於ける覇権は確立した。明治20年代より30年代の半ばである」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「明治36年3月13日  野球部部歌「天地の正気」が発表される(『校友会雑誌』124号)。山内冬彦作詞、作曲は楠 正一、大塚巖、山脇正吉の合作。この歌は急速に普及し、全寮茶話会や紀念祭の最後の締めくくりの歌として全寮寮歌、ボート歌(花は櫻木)とともに歌われるようになった(「一高自治寮60年史」)。


語句 箇所 説明・解釈
正氣 1番歌詞 いきいきとした気力。活力。
籠りてここに十二年 1番歌詞 この「天地の正氣」が発表されたのは明治36年3月13日。明治23年3月1日の開寮から13年、校友会が結成(明治23年10月24日)から約12年半。校友会(ベースボール部)発足から12年ということか。「籠りて」だから寄宿寮のはずだが。
「船出せしより十二年」(明治35年「嗚呼玉杯」3番)
「自治寮たてゝ十一年」(明治34年「アムール川」5番)
鎧の袖の一觸 3番歌詞 「鎧袖一觸」は、鎧の袖がちょっと触れること。転じて、弱い敵に一撃を加えること。弱敵をたやすく打ち負かすこと。
軍艦勢 4番歌詞 ケンタッキー、ヨークタウン、デトロイドはアメリカの軍艦名。それらの乗員と試合を行なった。

明治29年6月27日 米国軍艦デトロイト号乗員と野球戦(一高球場)  22-6で勝つ。  
   30年6月 8日 米国軍艦ヨークタウン号乗員と野球戦(一高球場)18-7で勝つ。
   35年5月17日 米国軍艦ケンタッキー号乗員と野球戦(一高球場)34A-1で勝つ。
懸軍十里南濱に 5番歌詞 「懸軍」は,後方の連絡なく遠く敵地に入り込むこと。また、その軍隊。ここは、野球戦のため横浜に遠征したこと。
物も見事にスコンクの 5番歌詞 「スコンク」は、完封勝利のこと。
明治35年5月10日、横浜アマチュアクラブと野球戦(於横浜) 4A-0で勝つ。
 「国内に敵がなくなった一高野球部は横浜の外人に目をつけた。はじめは『野球はわが国技なり』として、頭から相手にしなかった横浜アマチュアクラブは、29年になってようやく挑戦に応じ、5月23日、一高対横浜外人の初の対戦となった。結果は意外にも侏儒の如き一高軍が、長躯碧眼の外人勢を実に29Aー4で倒し、全国民はその快挙に狂喜したのである。以後、37年6月4日の最終戦まで、一高は横浜の外人チームと13回戦い11勝した。勝利はいずれも驚異的大量得点によってもたらされ、敗北はいずれも僅差による惜敗であった。」(「一高応援団史」)
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌  昭和本郷の寮歌 昭和駒場の寮歌部歌・應援歌・頌歌