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佐竹

ちゃ

切り文字
『日本全国・国分寺跡を巡る旅』
この国分寺建立の詔は天平13(741)年2月に聖武天皇から出された
もので、全文が「続日本記」や「類聚三代格」などの文献に記されて
いるため、国分寺創建のきっかけや目的などを知ることができます。
『現代語訳』
私は徳の薄い身であるのに、おそれ多くも天皇という重い任務を受けている。しかし、
民を導く良い政治を広めることができず、寝ている時も目覚めている時も恥ずかしい
気持ちでいっぱいだ。昔の賢い君主は、みな祖先の仕事をよく受け継ぎ、国家は
おだやかで無事であり、人々は楽しみ、災害はなく幸福に満ちていた。どうすれば、
このような政治ができるのであろうか。この数年は凶作が続き伝染病が流行して
いる。私は恥ずかしさとおそろしさで自分を責めている。

そこで、国民に大きな幸福をもらたしたいと思う。以前(天平9年11月)、各地の神社を
修造させたり、諸国に丈六(約4.8m)の釈迦牟尼仏一体を造らせるとともに、大般若経
を写させたのもそのためである。おかげで、今年は春から秋の収穫の時期まで風雨が
順調で五穀も豊かに稔った。これは誠の心が伝わったためで、神霊のたまわりもの
である。これからもますます尊ばねばならない。金光明最勝王経には「もし広く世間
でこの経を読み、供養し、広めれば、われら四天王は常に来てその国を守り、
一切の災いもみなとりのぞき、心中にいだくもの悲しい思いや疫病もまた消え
去る。そしてすべての願いをかなえ、喜びに満ちた生活を約束しよう」とある。

そこで、諸国はそれぞれに七重塔一基を敬わって造り、合わせて金光明最勝王経と
妙法蓮華経各十部を写経させることとする。
私もまた、金文字で金光明最勝王経を
写し、塔ごとに一部ずつ納めたいと思う。これにより、仏教の教えが大空・大地と
ともにいつも盛んとなり、仏のご加護が常に満ちることを願う。

七重塔を持つ寺(国分寺)は「国の華」であり、必ず良い場所を選んでまことに長く
久しく保つようにしなければならない。
遠すぎると集まる人が疲れてしまうから
望ましくない。国司は国分寺を荘厳に飾り、いつも清潔に保つように努めなさい。
間近に仏教を擁護する神々を感嘆させ、仏が望んで擁護されるように願い
なさい。全国にあまねく布告を出して、私の思っていることを民に知らせなさい。

〈条文〉

第一条 国毎の僧寺(国分僧寺)には、寺の財源として封戸を五十戸、
水田十町を施し、尼寺(国分尼寺)には水田十町を施しなさい。

第二条 
僧寺には必ず二十人の僧を住まわせ、その寺の名は金光明
四天王護国之寺としなさい。また、尼寺には十人の尼を住まわせ、
その寺の名は法華滅罪之寺としなさい。
二つの寺は距離を置いて
建て、僧尼は教戒を受けるようにしなさい。もし僧尼に欠員が
出たときは、直ちに補充しなさい。毎月八日に、必ず最勝王経
を読み、月の半ばには戒羯磨を暗誦しなさい。

第三条 毎月の六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九・三十日)
には、魚とりや狩りをして殺生をしてはならない。国司は、
常に監査を行いなさい。