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                                                                                      更新記録:H23年05月新規作成
                      平成23年の「近況報告」更新記録 

                         此れまでの近況報告リスト一覧                                                       

以下のリストのタイトルをクリックすると、各々の詳細を見ることが出来ます   H23年05月15日作成
平成23年
1 01月21日 平成23年を迎えて 菅原先生のこと、甲府道祖神祭、韓国口蹄疫など
2 03月13日 平成23年の春 東日本大震災、鉄鋼メーカー統合、リビア情勢
3 04月27日 東日本大震災を中心に 福島第一原発と原発関連情報など
 4 06月09日 今年の梅雨はどんな梅雨に   震災後の日本人の評価、最近の中東情勢など
 5  07月28日 平成23年山梨の夏  今年の梅雨明け、スペースシャトルの最終機関
 6  10月05日 第8回リニューアル  リニューアル概要、放射能用語、近況報告
 7  11月30日 8回リニューアル以後のご報告  妻の大怪我とHP転送不可などのご報告


平成23年(2011年)
 7
11月30日 
 
第8回リニュ-アル以後のご報告
                        
 
9月20日の未明に、妻が階段から転落し首の骨を脱臼・骨折する大怪我をしました。お陰様で命に別状はなく手足のしびれや後遺症も有りませんでした。そして、現役の看護師をしている次女達夫婦が頭を動かさずにそっと妻を毛布に移して病院へ運びましたが診察をした医師は「即死状態でも不思議はない 奇跡だ
」と話したそうです。そこでその日の内に首を絶対安静にする為に頭を固定する器具ハローベストを取り付け首の回復を図りましたが階段から落ちて亡くなる人が多い中で、本当に奇跡的に助かりました 「九死に一生」とは此の事を言うのでしょう。現在はリハビリ病院に転院して足腰の訓練をしていますが、11月中旬にハローベストも取れて樹脂製の装具になり首の筋肉のリハビリを今は続けています。あの日から2月以上が過ぎましたが助かって本当に良かったとつくずく思います。リハビリ病院は家から15km先の石和にありますので毎日顔を見に通っていますが恐らく、12月初旬に退院出来ることでしょう。

そして10月初旬に8回目のリニューアルをしましたが、ホームページどころではなくいささか慌てた精か一部のページは転送できたものの、画像関係と一部のペ-ジが送られていません。既にひと月半以上が経つのに何故なのかが
今もって不明ですそうこうする内に、ディスクトップパソコンが立ち上がらなくなり、ノートパソコンから転送を何度も試みましたが埒が明かないのです。そこで、皆様には申し訳ありませんが当分の間はH23年の画像を見て頂けません。
申し訳ありませんがお許しください。

と言うことで現在私は一人暮らしをしていますが 週末に毎週長女が横浜から来て家の片付けや私の世話をしてくれて助かっています。先週は妻の外泊許可が出て退院後に支障がないか病院で確認していますが 仙台からも三女夫婦が帰省し、お土産の牛たんを食べて賑やかく盛り上がりました。次女も勤務の都合で孫達のお迎えを私に頼みますが
妻を助けてくれた娘なので快くお迎えに行っています。そして、月~金までは3匹の動物と仲良く暮らしています。

その様なわけで、満足な近況報告が出来ませんが、生活が元通りになってからHPの転送をやり直したいと思います。それまで時間をください。

追伸
                                                 
2011年12月10日
お陰様で、妻が12月9日に退院しました。怪我をした9月20日から80日が経ちました。本人も嬉しくて台所で何かと動いていますが、いきなり動き過ぎると首に良くないので、少しづつやるように話しています。

それにしても、80日の間に秋が終わり12月も中旬を迎え退院の朝は甲府でも初雪がありました。何でも半月早いそうです
そして過ぎて見れば無事に助かって良かったと思いますが 最初の頃は此の先の展望が見えずそれが心配でしたが、多くの人達の助けを借りて元気な姿で炊事や片付け物をしている妻を見ることが出来て何よりです。その内に、快気祝いをやりたいと思いますが、何と言っても今は年末なので、それは正月になるのでしょう。

平成23年は、国内外で大変なことが色々と有りましたが、我が家も不幸が重なりました。しかし、無事に正月を迎えることが出来そうなので、何よりと思っています。

さて
このホームページの画像の転送が未だに出来ていませんが来年ゆっくりやりたいと思いますそして今年も残り少なくなりましたので今年の近況報告も此れ迄とさせてください。また1月に新年のご挨拶をさせて頂きます。


追伸(その2)                                                   
                                                              12月16日
退院して一週間が過ぎました。その間にお歳暮を贈りに行ったり妻が今迄かかっていた病院へ診察を受けに行ったり
リハビリ病院へ行ったりと妻と二人で忙しく過ごしましたが、何と言ってもいま迄一人でやっていた家事から解放された私が一番の恩恵を受けています。動物達もゆったりと過ごしていますが、犬のワンダーは妻の布団の中へもぐりこんで寝ています。温かくて安心出来るのでしょう。

今年もあと半月になりましたが
年賀状の準備も終えて何かホットした気分です処でH23年度の生涯学習講座ですが
妻の怪我の関係で山梨学院大の後半は欠席をしました。家へ帰るのが夜の9時半過ぎになるので事故を起こしたら家が全滅状態になるので用心をしました
一方山梨大学の講座は日中ですので続けていますしかし生涯学習講座のH23年分のページが何故か転送出来ていないので9月以降の講座を見て頂けませんのでこれも、年明けにやって見ようと思っています。

今年小学一年生になった上の孫は入学当初は学校に馴染めず集団登校を嫌がりましたが、2学期はすっかり慣れて元気良く通学しています。身長も伸びて逞しくなって来ました。下の孫は12月で5才になり益々口達者でお姉ちゃんを
口で負かすさすがに次女をやっています。そして私の三女は結婚して一年が経ちました。今は、会社の工場が東北へ進出した関係で夫君と共に仙台で暮らしていますが
昨年以降工場移転の関係で仕事が忙しく自分達の引っ越しもあり新婚旅行が伸びていましたが、年末の休暇を利用してフランスを中心に一週間の旅行に出掛けるようです。正月には楽しい話が聞ける事でしょう。そして今年一年我が家にも色々な事がありましたがどうやら無事に正月を迎えることが出来そうです。

それでは皆様、今年も大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。
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 6
10月05日 
 
第8回リニュ-アル 
 行く夏を惜しむかの様に法師蝉やカナカナ蝉が今年も鳴いて、山梨の短い夏が終わりました。この夏は 最高気温が昨年(37.5℃)より高い38.1℃の日が7月上旬に山梨でも有りましたが、昨年の様な猛暑日は少なく9月中旬に30℃を超える真夏日が続き小学生が熱 中症になるなど昨年とは違った陽気になりましたが、しかし去年に比べれば残暑が短かったので比較的過ごし易い夏でした。今は爽やかな風が私の部屋迄そよい でいますが、昨年と違うのが金木犀の芳しい香りが今年は9月下旬になっても届きませんまだ花が咲かないのです。いつしか入道雲が去りすじ雲やイワシ雲が浮 かんでいると言うのに、どうしたのでしょう。(10月になり漸く咲き出しました)しかも、此処へ来て国内外の様子が目まぐるしく変り、そちらの方が気にな り心の落ち着かない日々を過ごしています。

今回の改訂は
猛暑日の中で続けた昨年に比べれば格段の余裕が有りましたが、いざ始めると仲々先が進まず
かえって昨年の方が気合が入っていたように思います。それでも気を取り直してチャレンジしましたので、改訂内容を以下にまとめたいと思います。

 ① メインページの画像を「甲斐駒ケ岳」にしました。私の住む旧敷島町からは通りへ出ると正面に「甲斐駒ケ岳」を
   望むことが出来ますが、手前にある山に遮られて良いアングルの画像にすることが難しく何度もやり直しました。
 ② 第3回から前回までのメインページの画像と序文をまとめたページを新しく作りました。皆さんにも懐かしく見て
   頂けると思います。

 ③ 「セルフ・メディケーション」のページを全面的に見直そうと思いましたが、最近の自分の健康管理と今後の心構え
   について「最近の健康管理」にまとめましたのでご覧下さい。
 ④ 今迄「そのほかの画像」として毎年追加して来ましたが、今年は新たに「その他の画像」として追加しました。
 ⑤ その他は、例年通りこの1年間の画像の紹介と健康管理表の改訂などをやりました。しかし、途中で大怪我を
   したことも有り改訂作業が順調に進まず、残念ながら大幅な改訂とはなりませんでした。
 ⑥ お断り:「近況報告の更新リスト」が7月の転送時に転送NGとなり、6月9日分の「近況報告」が転送出来ず、
   その後も色々チャレンジしたのですが、結局NGなので今回は4月までの近況報告と6月以降の報告に分けて
   いますので、ご了承下さい。

3月に起きた原発事故から半年が経ちました。原子炉の安定冷却に向けた第一ステップが何とか機能するまでになりましたが、年内を目指す本格的な冷却システムの構築に向けて現在どの様に何処迄進んでいるのか正式な発表が有りません放射線が農産物等に与える影響について全数検査と言いながら地域の環境と条件でどこ迄調べれば良いのか判っていない事と消費者にとっては疑心暗鬼にならざるを得ない、特に子供を持つ家庭ではどの様に子供に食べさせて良いかまだまだ判らない事だらけです年寄り達は構わないのですがもっと正確にしかも迅速に情報開示をして欲しいと思います。いずれにしても安心・安全が最優先されることを考えるとドロドロした見難い国会議員の内輪もめなど止めて欲しいものです。

最近原発事故関係の情報の中で、放射線量について「ベクレル」と「シーベルト」の単位が目に付きます。そこで、
  「放射線」と、この二つの単位に付いて調べて見ました。
放 射 線 狭 義 放射性物質から放出されるα(アルファ)線・β(ベータ)線・γ(ガンマ)線
の総称
広 義 X線・中性子線・宇宙線などを含めて、すべての電磁波および粒子線を指す
原子力
百科事典
(Atomica)
X線、γ線など」の電磁波(光子)、および、α線、β線、中性子線等の
粒子線に分かれる
     放 射 能 放射線が持つ能力のこと
放射線量 ベクレル
(単位:Bq)
・土や食物などに含まれる放射性物質が放射線を出す能力(放射能)の単位で
 放射線を出す側から見た量のこと
・毎秒一つの原子核が壊れて放射線を放つときを 「1ベクレル」と呼ぶ
・ベクレル→シーベルトへの変換(体内に入った放射性物質の場合)
 放射性物質の分布や排出等を反映する様々な「実効線量係数」が法令で決めら
 れているので 放射能濃度や飲食や呼吸を通して取り込んだ量を掛け計算する
シーベルト
(単位:Sv)
・放射線が人体(生体)に及ぼす影響を示す単位で、受け手側の影響を反映
・人体(生体)への影響度は、受けた放射線の種類と対象組織によって異なるため
 吸収線量値(グレイ)に放射線の種類ないし対象組織毎に定められた修正係数
 を乗じて線量当量(シーベルト)を算出する
・現在の公表値では生涯で100ミリシーベルトを限度としている
・人体は年間およそ2.4 mSv(世界平均)の自然放射線にさらされている
                                                  Wikipediaを中心にまとめ

私 は地震が起きた日の翌日から地震関係と原発事故関係の新聞記事を残していますが、震災と原発事故の写真のものすごさに改めて驚き、半年が経つ新聞を此の先 も保存しようと思っています。そして毎朝死亡者と行方不明者の数を気にしていますが早く不明者が見つかる事を願っていました。震災当初はその数が掴めず 数が動いていましたが、3月20日を過ぎた頃から死者が1万人を超え不明者が8千人を超える事が判り、半年が経つ9月11日に死者が1万6千人で不明 者が4千人となり1日に10人近くが見つかる状況ですが、津波に流され沖に運ばれた人もいるでしょうし、福島原発の高濃度汚染地域で瓦礫の中に眠る人も多 いと思いますので、見つからない犠牲者が多数になると思います。そうした中で東北に少しずつ復興に向けた元気が戻って来ました。9月13日の野田総理の所信表明演説が日本を後押ししそうです。

7月~9月に掛けて3回の生涯学習講座が有りましたので、報告します
講    座    名 概      要
絵画に託された富士のイメージ 富士信仰と富士絵画、富士のイメージの変遷、個性を映す富士図
小児科医の使命 小児科医の存在価値、小児科の領域、小児医療の問題点と使命

おわりに
「がんばろう!日本」をスローガンに、8月6日から始まった第93回全国高校野球大会が8月20日に終わりました。
私は 東北の球児を応援しましたが、決勝戦は青森の光星学院と西東京の日大三高でした。しかし、光星学院が大差で負けてしまいました。それでも、試合の都度投打 ともに優れていた光星学院を褒めてあげたいと思います。しかも、今回の93回大会は延長戦試合が8回も有り、大量得点の試合が多くあったと思います。そし て、高校生達が地元の復旧・復興に向けて自らの勝利を目指して果敢に戦った球児達を心から褒めたいと思います。

最近 毎日の電力使用量の目標値が公表され 東北電力では98%の日が有るなど、際どい時期も有りましたが、漸く
夏場の電力需要逼迫時期から抜け出せて、電力制限も9月9日で終わりました。それにしても、東京電力の発電量が最大5400万~5500万Kw(山梨は 131万kw)で有ることなど今まで知りませんでした。「電気予報」や天気予報では「高温注意情報」など聞き慣れない言葉がニュースとなりましたが、いず れにしても 此れからのエネルギー政策の転換が避けられないでしょう。しかし、現在保有する原発を全て即時停止とすることは国益上あり得ないので、まずは原発の安全・ 安定に向けた取り組みが最優先されます。

民主党の新しい党首に野田佳彦さん(54才)が選出され菅内閣から野田内閣に代りました。私は財務大臣で有った野田さんのことを余り知りませんでしたが、 財務の実力者で有ることを理解しても、どの様な人物であるかを知る人は私を含めて多くはないと思います。そして、今回の民主党代表者選挙の演説では前原さ んよりも野田さんの方が上手だったと思います。自分の生い立ちと地盤・鞄・看板を持たない彼が議員活動を続けて来れた事が良く判りましたが、相田みつを の「ドジョウと金魚」の話は判り易く 雪だるまの例えも適切でした
そして 今回も来年9月の民主党首選を睨んで小沢一郎が陰で駆け引きをする姿を国民の一人として苦々しく思っていますが、今回の代表者選挙で民主党の良識を見直しました。もう古い体質の政治は此れまでです。

8月18日の夜に近くのコンビニに買い物に出掛けた帰り道で体がよろけて車道と歩道を仕切るガードフェンスに胸を思いっ切りぶつけ顔を地面にこすり眼鏡は壊れ頬を擦りむく怪我をしました。そして、我が家へ戻ると鼻血が止まらず
驚いた妻は次女を呼んで病院へ連れて行こうとしましたが、私が従わず頭を打っていると良くないので、二人の判断で救急車を呼び病院へ連れて行きました
病院ではCTスキャンと点滴をやり娘の車で帰宅しましたが翌 日は娘が心配して勤めを休み前日の病院でCT画像で診て貰い、娘の勤める病院でレントゲンで調べると肋骨が一本骨折している事が判り確かに胸が痛いのが骨 折が原因していることに納得しました。そこでベルトを胸に巻き努めて安静にするようにしましたが、その後暑い日が続くと胸にアセモが出来て大変でした。し かし、完治迄に3週間以上が掛りましたので、
そのような訳で8回目の改訂が途中で中断し治った今は少しづつ進めていますが、思えば此の程度の怪我で済んで
幸いでした。打ち所が悪ければ、最悪入院しなければならなかったでしょうし、後遺症で苦しむ場合を考えれば 不幸中の幸いであったと思います。そこで、今後は暗い夜道は歩かないようにしようと思います。

7月24日の正午でアナログテレビ放送が終了しましたが、毎日のウォーキングの時にポケットラジオでテレビの音声を聞いていた私は、終了直後は何となく淋しいものを感じていました。しかし、高校野球をラジオでも放送している事に
気付き聞きながら歩きましたが、野球放送が終わってからもラジオも仲々楽しいものであることを知りました。それは
NHKが12時半から生中継で全国放送する「此処はふる里・旅するラジオ」と言う番組ですが、月曜~金曜日の毎日
を「八
ちゃ ん号」と言うイベントカーで日本国中を廻って放送するのです。そして、イベントカー(はちまるチャン号)はNHKが放送開始80周年の2005年に放送を 始めたもので今の車は2代目ですが 現在のアナウンサーが山田重光さんと言い、字は違いますが「しげみつ」の名前が私と同じで親しみを覚えました。そして、夏休み前は北海道の道南からの放送 で8月後半からは福島~岩手の震災地からの放送でした。私も数年前に全国を旅しましたので、親しみが持てましたが ラジオはラジオでテレビより地味ですが聴取者へメッセージを発している事が素敵です。しかし AM放送はどうしても混信するので、FM放送も調べて見ようと思っています。

配信限定で昨年の3月に開局した民放ラジオの「radiko」(山梨は区域外)に続いて、NHKの第一と第二とFMのラジオ放送が9月1日からパソコンで 聞ける様になりました。NHKネットラジオと言い「ラジル・ラジル」だそうです、10月からスマートフォンでも聞けるそうですが、山間部や混信がひどい地 域でもパソコンがあれば「ラジルラジル」で検索すると一発で鮮明な音声で聞けますので一度試して見て下さい。但し、全国どこからも聞けますが時報が遅れる ことと東京の放送局の音声のみだそうです。なぜ「ラジル・ラジル」なのか良く判りませんが、多分民放局が「ラジコ」なのでNHKは「ラジル・ラジル」の キャラクターにしたのかも知れません。

私の孫は7才とあと2ヶ月で5才になりますがお陰様で元気良く育っています。そして上の孫は現在小学一年生ですが
学校にいじめっ子がいる様で一学期は時々学校へ行くのが嫌だと親を困らせました。そうした時は私も学校迄連れて行く事が2度ありましたが、2学期からの通学を心配したものの、今の所は嫌がらずに登校しています。爺バカながら
孫は器量よしなので男の子がからかうのが嫌なのでしょう。そして下の孫は現在年中さんですが、次女のママとそっくり
な性格で気丈なところが有り時々姉妹喧嘩をして姉を泣かせます。しかし、姉妹喧嘩は子どもの成長には大切なので
大人の介入は止めてそのままにしていますが、いつの間にか再び仲良く遊んでいますので良くしたものです。そして、上の孫は下校後に児童館で過ごしますので 4時前に毎日迎えに行くのですが、時々下の孫が拗ねて私も迎えに来てとママに催促しますので、そうした時は2人を迎えに行くのですが此れが毎日となると結 構ひと仕事です。しかし、時間に余裕のある今の私にとっては孫を周囲の大人達で育てるのも祖父母の役目と思い、毎日引き受けています。

10月1日は小学一年生の孫の運動会でした。前日迄風邪で熱と咳が出ましたので学校を休み実家で預かりましたが
どうやら運動会へ出ることが出来ました。私は午後から用事が有るので、午前の2種目(徒競走とダンス)を見ましたが
久し振りに孫の元気な姿を見ることが出来てなによりでした。保育園の時は園庭が狭く十分に動くことが出来なかったのですが、さすがに小学校です。思えば、三女が小学生の頃の運動会を記憶の中にとどめていますが、あれから既に
四半世紀近くが経っていることを孫が元気良く走る姿を目にして懐かしく思い出しました。

此のホームページのアクセス数が9月20日頃(?)に2万回になりました。そして、この数値は平成16年の初回改訂からの回数ですので7年掛った事になりますが 最初は年間1,500件程度で有ったと思いますので 毎年アクセス数が少しずつ増えて来たと思います。最近は月に250件を超えていますので有り難く思っています。

我が家の動物達は涼しくなると俄然食欲が旺盛になり良く食べます。猫のミルはキャットフードと猫用の缶詰ですが、時々犬のワンダーに食べ残しを取られてい ます。そして、ウサギのルカは ウサギ用のペットフードと「甘えん棒」と言う人参と野菜を加工した2種類のスティック、それとワラを食べます。犬のワン ダーはドックフードに生ハムの薄す切りを乗せて食べ、それと昼食に私達が食べるラーメンを少しおすそ分けして食べています。とにかく良く食べるので途中で 足りなくなると私のウォーキングのついでに餌を買って来るようにお母さんから頼まれますが、ペットフードは軽いので苦になりませんが缶詰は量によっては重 く大変ですが可愛い仲間達の為にセッセと買って帰ります。こうした事がまだ当分は続くのでしょう。そして、暑くてゲージの中で一日過ごしたルカは九月にな ると夕方元気良く部屋中を飛び回り、ワンダーは3時過ぎに車で買物と孫のお迎えに出掛けることを覚えていて早く行こうと何度も吠えます。その点ミルは一日 を大人しく過ごす事が多くなりましたが、言葉掛けをするとミャーと必ず返事をします。此れから此の子たちと何時まで過ごすのか判りませんが、それぞれの寿 命が尽きるまで可愛がって育てたいと思っています。それでは、次回は11月中頃に報告したいと思います。
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 5
7月28日 
  平成23年山梨の夏                                      
今回の近況報告の初めは6月下旬に2件の世界遺産が新たに登録された事でしょう6月24日に小笠原諸島が世界自然遺産に登録され、平泉が世界文化遺産に再チャレンジの末に6月26日に登録されましたが、久し振りの明るい話題に私は大変満足しています。特に、平泉は大震災後の東北地方の人達を元気付ける何よりのプレゼントですが大変嬉しく思いました.。しかも、ユネスコの審査会で満場一致で推挙されたと聞きますので、それも有り難く思います。私も5年前に東北を旅行した時に平泉へ行きましたが、藤原清衡により建立された中尊寺も見事ですが毛越寺(もうつうじ)を知った時は、平泉を新たに発見したことに感動しました平泉駅に寄りそこから最初に在る毛越寺迄歩きましたが境内に建築物は少なく礎石と大きな池だけの寺に最初は戸惑いましたが、平安時代には中尊寺より毛越寺の方が藤原氏に大切にされた事や「大泉が池」と呼ぶ池には多くの石組みが配置され、それが周りの景色に見事に溶け込んでいて毛越寺を「もうつうじ」と読む事が出来なかったことなど不思議な体験をした一日でした。それにその年の大河ドラマの主人公が源義経でしたので平泉の資料館では義経の特別展をしていた事や町営の温泉にも入りましたがいずれにしても平安後期に奥州藤原氏が約100年にわたり栄華を築いた平泉の浄土の文化と歴史の重さをユネスコに評価して頂いたことと、私も平泉へかつて行けたことを想い胸が熱くなりました。そして翌日行った石鳥谷や盛岡市や小岩井農場それに遠野や想い出の三陸海岸などあの時の旅以来、岩手が大好きになりました
まずは嬉しいニュースから始めることが出来て嬉しい限りです。

今年の山梨は5月27日に梅雨入りをして7月9日に梅雨が明けました。例年より12日早く、そして昨年より8日も早く梅雨の季節が終わりましたが 梅雨明けが早いと言う事は太平洋高気圧の勢力が強く、梅雨前線を早く北に押し上げたからで梅雨が早く終わったことは有り難いのですが今度は夏の高気圧がその分長く居座ると同時に 高気圧の勢いが強いことはその分最高気温が高い日が続くことを意味しそうで、昨年の猛暑が中途半端では無かっただけに今年の夏も此の先が不気味です
幸いにして甲府盆地は熱帯夜が殆ど無いのは助かりますが全国一の最高気温がニュースに流れない事を願うばかりですそうした折に娘夫婦が私達に最新式のクーラーをプレゼントしてくれましたそれは 孫が夏休みの間は実家で過ごすのですが今迄のクーラーが故障して数年前から使えないのを見兼ねて、節電型のクーラーを7月上旬に入れ替えてくれました。私は、どちらかと言うと風が当たるのが苦手なのでクーラーは程々にしていますが 孫とお婆ちゃんと犬と猫は涼しい居場所が出来て助かることでしょう。

スペースシャトルのアトランティスが7月21日に無事帰還し30年に及ぶスペースシャトルによる宇宙輸送システムの時代が終わりました。その間に135回打ち上げられ チャレンジャーの発射失敗(1986年)とコロンビアの帰還途中での空中分解(2003年)の2度の事故が有りますので成功は133回ですが、チャレンジャーの構造試験に使用された材料を集めて造ったエンデバー、それとディスカバリーそれに今回最終飛行をしたアトランティスの3機を使って国際宇宙ステーション(International Space Station)の組み立てが始まった1999年からは 宇宙ステーションへの宇宙飛行士の送り込みと交替、そして物資を運ぶことが主目的となりました。今後暫くはロシアのソユーズが宇宙飛行士を運び、日本のコウノトリ(H-II Transfer Vehicle、略称: HTV)などで生活物資を運ぶことになりますが、宇宙ステーションを現時点では2020年まで使う事を検討中だそうですから、あと9年の間に次期宇宙計画を構築することになります。

Live door の元社長の堀江貴文さんが6月20日に収監されましたが、2年数ヶ月を東京拘置所で過ごすと報道されました。私は、結果は結果として刑に服する彼を皆の様にとやかく言いたくありませんが、ひと言 「潔い」と思います。色々な成り行きで多くの投資家に損害を与えたことは事実ですが、しかし今の若者の中でハッキリとした考えを持ち、それを行動で示し社長然としないラフな服装や大きな夢を語るなど彼の人間性を評価する者の一人として2年数ヶ月の中で出所後の自分自身の活躍の場をしっかり構築して欲しいと思っています。彼だけが悪いのでは無く日本経済の仕組みにも問題が有ると思っています。その点前回も登場した田原総一朗氏は彼のサイトの中で、「まったくの冤罪で見せしめの何ものでもなく日本人は成り上がりに対してやたらに厳しい。成り上がりを否定する文化がある」と酷評しています。私は、やはり社会に対して自分の発言と行動に行き過ぎが有った事は多分事実であり田原氏の様な酷評では有りませんが 確かに若い起業家達の見せしめに使われた点は田原氏に同感です。又、ホリエモンは10年後にロケットで宇宙観光をする夢を語っていますが、4月の植松努氏の講演(北海道の赤平でロッケット開発を続けている町工場の若い社長の話)の中で、ホリエモンはその発射実験に北海道まで訪ねていることを知りました。そこで、ホリエモンはホリエモンとして悪しき日本の社会通念を打ち破って、彼らしく日本を
リードして欲しいと思います。暮々も法律に違反していないので全くの無罪を主張する小沢一郎の様になって欲しく有りません。政治家として人間としての「道義的責任」は如何に複雑な人間社会であっても筋を通して欲しいものです。その点、服役後でも40才と若いホリエモンがどの様に活躍するのか楽しみです。自分自身を「人生を生き急ぎ過ぎた」と考える彼を、此れからも応援したいと思っています。

今年の夏は東京電力と東北電力で毎日の消費電力量を昨年の最大電力の15%を削減する取り組みが7月から始まりました。大企業では土日操業で対応を始めましたが、そもそも日本は電気を無駄に使い過ぎています。当初はスーパーなどの照明が暗く違和感を覚えましたが、最近では今迄が明る過ぎた様に感じて少し節約志向に向かう必要があると考えるようになりました。そして、脱原発の気運が世界規模で広がりを見せていますが、世界はともかく日本の脱原発運動は、それならば代替電力をどうすべきかの方向性もなくただ危ないからだけではエネルギー政策が立ち行きません。将来的に自然エネルギーによる発電が可能になりコスト的にも見合う様になれば、特に地震国の日本は原発を変えて行く事に私も賛成ですが、此れまでの反対運動の殆どがそうであった様に、ただ反対することでどの様にすべきかの主張もなくただ反対するだけでは無責任の何物でも有りません。将来の方向づけを考えた上での運動で有るべきで、まずは原発の安全性を要求することが優先されます。何でも反対の行為は、人間の身勝手と浅ましさを今回も感じています。

6月12日に放送されたNHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる~発見
長寿遺伝子~」をご覧になられた方も多いと思いますが、「サーチュイン遺伝子」が生物の延命に大きく関わっていると言う内容でした。私はその番組中に登場した「レスベラトロール」という物質に付いてどこかで聞き覚えが有りましたので調べると、昨年の山梨大学の生涯学習講座でポリフェノールの一種類で赤ワインの果皮に含まれている「レスベラトロール」が皮膚ガンの抑制に効果が有り細胞の中のミトコンドリアが出す活性酸素に反応して活性酸素を減少させる働きも有りその結果として延命が可能(ポリフェノール全体の効果)であることを学びましたが、聞き覚えが有る筈でした。しかし、余り摂り過ぎると逆に害になるとの事で赤ワインを楽しく飲んで長生きをしようと言う講義でした。処が 7月3日の朝刊に何とレスベラトロールの広告が載っているでは有りませんか。これには驚きました。番組では、現在は医薬品として承認されていないサプリメントとしての扱いで有ることを説明していましたが、(株)分子生理化学研究所の広告では摂り過ぎに注意の文言は有りませんでした。詳しくはワインの成分をご覧ください。

サーチュインとは、NAD依存性脱アセチル化酵素群であり、体内で非常に重要な役割を担っている酵素群(蛋白質)。そのSIRT1(サーチュイン)
やSir2(サーツー)[哺乳類ではSIRT1で、酵母ではSir2]は長寿関連遺伝子と呼ばれる。最初に発見されたものは酵母のSir2(サーツー)で、
ヒトのサーチュインは7種類(SIRT1~SIRT7)が知られていて、ヒトのSIRT1は酵母のSir2に高い相同性を示す。そして、このサーチュインは食物
不足など環境ストレス因子に応じて活性化され、細胞修復やエネルギー生産などに影響を与える事が分かっている。
又、サーチュインは「生体機能」の調整役として働いていると考えられる。例えば、サーチュインやサーツーが活性化された場合、遺伝子保護
物質であるセストン(DNA統合制御蛋白質)のアセチル化(分解)を防いでくれる。そして、此のアセチル化防止によりDNAの露出を防ぎ、
アロメア短縮を促すテロメアーゼの作用を抑えてくれることが分かっており、その作用によって細胞の寿命を延ばしてくれる。人間は60億個
もの細胞で形成されて毎日新陳代謝を繰り返しており、細胞の寿命を決定するのは、染色体に繋がる紐状の「テロメア」だと考えられている。
                                     「
http://www.910810.com/halfage/sirtuin.phpより転記

株式会社LIXILは、株式会社住生活グループの事業会社であったトステム株式会社、株式会社INAX、新日軽株式会社、サンウエーブ工業株式会社、東洋エクステリア株式会社が2011年4月1日に統合して誕生した住生活グループ最大の事業会社ですが(此処迄は報告済)傘下に販売や生産、メンテナンス、サービス、住宅不動産他のセグメントや流通小売り(ホームセンターなど)を担う各社とともに「LIXIL経営理念」のもとで、総合的な住環境ソリューションを提供する会社を構成し、海外拠点も17カ国で展開しています。但し、サンウエーブは製造部門が除かれていますが、詳細は不明(LIXILが、グループ全体のマーケティング戦略を担当する役割と関係しているのかも)

 一方、私が尊敬する人物の一人に、潮田健次郎氏(大正15年)がいますが、彼はアルミサッシ大手のトーヨーサッシの創業者ですが、潮田氏の以下の言葉に感銘しています。
一般に企業家というと、創業者を含めて会社を所有している経営者を言うのですが、そうではなく、自分の全責任で仕事のイノベーションができる人。それが企業家です」と述べています。現在 健次郎氏は85才で長男の洋一郎氏に全てを引き継ぎ、新会長の潮田洋一郎氏は「住生活グループ」を代表し (株)LIXILを立ち上げました。

最近の出来事で、ノールウエーでビルが爆弾テロで破壊され、大勢の市民を銃で殺害したり、かつてリレハンメルで冬期オリンピックが開かれたフィヨルドの美しい国に何故こうした事件が起きるのか(?)何処の国にも異常な人間がいることを悲しく思います。そして、中国の新幹線が追突事故を起こし多数の死者を出ましたが、中国が威信を掛けた鉄道網の整備が遅れることと、鳴り物入りで開発した技術が逆に国益を損なう結果になっている事を残念に思います。もっと足元を固めた考えが必要に思います。時速300kmの特許にしても此れでは世界から相手にされないでしょうし中国のプライドも地に落ちました。しかも、事故で転覆をした車輛を翌日埋めてしまうとは全く考えられ得ません。事故の調査や乗客の救出も出来たかどうか(?)怪しいのに中国はまだまだ一流国では無い侘びしさを感じます。

66回目の終戦記念日が今年も来ますが(昨年も書きましたが)、私の直ぐ下の妹が元気ならば66才になっている事を終戦記念日が来ると想い出します。60才でガンの再発で天国へ行ってしまった妹ですが、もう6年が経つのかと思うと淋しくなります。そして、最近知ったのですが、鹿児島の南九州市にある「知覧特攻平和会館」のホームページを開くと、中高生向けの見学用事前学習資料があり「特攻作戦”は何故行なわれたのか」と題する5ページの資料が有りますので上段のリンクをクリックして見て下さい。PDFで見ることが出来ます。

6月~7月に掛けて5回の生涯学習講座が有りましたので、報告します)

講    座    名 概      要
山梨に由来するモダニズムの群像 モダニズムとは、日本(山梨)のモダニズム、モダニズムの変遷
自然の中で生きる力 最近の子ども達、ピグミー族と現代人の違い、健康を保つには
富士山をプロジュース 富士山とは、富士山の定義、富士山を世界遺産として守るなど
山梨出身の歌い手たち 森進一、水越けいこ、レミオロメンの紹介など
燃料電池の描く未来 日本のエネルギー事情とその政策、燃料電池の開発状況と見通し

おわりに

ドイツのフランクフルトで開催されたFIFA女子サッカーの決勝戦で7月18日の早朝に何と「なでしこJapan」が米国と戦い、延長戦を引き分けてPK戦となり3-1で勝利すると言う劇的な勝利となりました。体格とパワーに優れたアメリカを相手にチームプレーで堂々と勝つことが出来て妻と二人でテレビに向かい万歳をしました。私は9年前にハノーバーへ社用で行きましたが、フランクフルトは南西に200km離れていますが、テレビで見るドイツは何処へ行っても同じ様な雰囲気があります。とにかく優勝など予想もしなかった強豪のアメリカを総合力と運も味方して勝利したニュースが日本を心豊かにしました。そして翌日凱旋しましたが、東北の人達にも元気を上げてくれて震災の復興に弾みが付くと良いですね。

私は毎日のウォーキングの時に、小さなラジオを胸のポケットに入れてイヤホーンで聞きながら歩くのですが、ラジオ放送では無く何時もテレビの音声を聞いています。特に、NHKの昼の番組で日本中から地方の様子や特産物などを紹介する番組があるのですが、結構聞いているとその場景が伝わって来て楽しいものでした。ものでしたと言うのは、7月24日でテレビのアナログ放送が終わり歩きながら聞く事が出来なくなったからです。思えば、今のラジオはAMとFMとFM波のテレビの音声を聞く事が出来るのですが、現在のものは2台目で最初は今から15年前に出張の折に聞いていたニッケル・水素の充電式電池で聞くSONY製のラジオでしたが、途中で壊れてしまい家電量販店で2台目を買い求めた時に、いずれテレビの音声は聞けなくなる事をその時店員から聞いた覚えがあります。そして、いよいよその日が来たことを思い出しました。それに、自宅のテレビの1台は地デジですが、食卓で見るアナログテレビはまだ十分使えるので地デジチューナーを接続して現在のテレビで見れるうちは、此の方式で見ようと思っています。しかし、アナログテレビでもハイビジョン仕様の地デジチューナーを接続すると結構画質が良い事が判りました。いつの日か、アナログテレビ放送が有ったことを懐かしく思う時が来るのでしょうが
私の車のカーナビも地デジではないのでその内に地デジチュ‐ナ‐を追加しようと思っています。そして、7月24日の正午でアナログ画面がアナログ放送終了画面に変わった時は、テレビ放送の時代が変わった事を実感しました。しかし、地デジ化が済んでいない人がいる様で老人は仕方がないとしても、此れだけ総務省を初め放送局も広報していても社会参加をしていない無頓着な人がいることを残念に思います。

今年の梅雨は梅雨入りから梅雨明けまでが43日間で、昨年より10日以上短かったのですが、昨年は葡萄が梅雨の長雨で病気になりかなり被害が出ましたので、ブドウ農家にとっては有り難い早目の梅雨明けに喜んでいる事でしょう。そして、梅雨明け後の気温が高いと葡萄の生育には良いのでしょうが、近頃赤ワインに含まれるポリフェノールのことが様々に報じられていますので、ワインの売れ行きも良いかも知れません。しかし、一端梅雨が上がると正しく35℃を超える暑さが続いていますので、そうした中で台風6号が迷走して本土に近付き今度は太平洋に向かうなど今年の夏も昨年同様に酷暑に苦しむことになりそうです。そう言えば、今年は梅雨明け後にセミの鳴き声が少なくどうしたのかと不思議に思っていましたが、此処へ来てようやく「蝉しぐれ」の季節となりました。

熊谷たみ子さんのこと
 皆さんはアイヌ出身でジャズ歌手の熊谷たみ子さんをご存知ですか。私は大腸がんで余命少ない彼女がアイヌ語で「アメージング・グレース」を唄う姿をYou Tubeで見ましたが、この曲はかつて白血病で亡くなった「本田美奈子」さんが歌った事を覚えています。そして この曲は英国の牧師が作詞した讃美歌だそうです。それを自分の体にアイヌの血が脈々とながれる熊谷たみ子さんがアイヌの言葉で歌ったところが私は素晴らしいと思いました。以前、アイヌ神遥集を書いた「知里幸恵」さんいついて書きましたが、アイヌの娘の幸恵さんがアイヌの叙事詩である「ユーカラ(又はユカラ)」の中から神が謡う神遥を日本語に翻訳し「アイヌ神遥集」にして大正期に発表しました。そしてその本の最初は「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と言う歌を私は歌いながら・・・フクロウ(梟)の神様が謡う文章で始まりますが、私はアイヌの人達が大好きです。丁度北海道を旅した年に先住民族としてのアイヌの人達の人権を国会で議決したことを覚えていますが、北海道の地名の80%がアイヌ語に関わっている事や、戦国時代にはコシャマインなどの戦いがあり、江戸時代にはクナシリメナシの戦いが有るなど民族同士の争いを経てアイヌの人達を偏見・差別し日本に同化させようとした明治時代以降のアイヌの人達の辛く苦しい時代が続きましたが、漸くアイヌの人達に明るい光が射して来ました。しかし、この話は長くなりますので後日まとめたいと思っています。

私は自身の仕事として機械の設計に永く携わって来た関係で最近妙に不安に思えてならない事が有ります。つまり、道路を走るクルマやバイクの速度が早過ぎてしかも無謀な運転をする場面を幾度となく見掛けますがクルマを動かすと言う事は便利な半面一歩間違えば自分を含めて他人の生命迄も奪い兼ねない大変な事をしていることに気付いていない人が多過ぎると言う事です。それは、私の長い経験から大きな質量を大きなエネルギーで高速に移動させると言うことがどれだけ危険であるかを殆どの運転者は判っていないと言うことです。運動エネルギーや慣性モーメントがどれだけで有るかをその数値はともかく、間違えば殺人犯にもなる大変な行為をしているのに、その備えもなく平然と運転している。私はクルマの運転をする時はその道路に合った速度と十分な車間距離を保つように心掛けています。慣性モーメントを知り過ぎていることが過剰に考えてしまうのかも知れませんが、制限速度にしてもルール上で設けられた数値であっても、その道路の状況に合わせた速度は自分の判断で的確に決めるべきで、毎日のウォーキングで危険な光景を目にする度にハラハラしますが、それが余計な心配で済めば良いのですが、最近アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発していますし、どこか世の中が狂っている様に私には思えます。

私は「月光の曲」がベートーベンの曲で有ることは知っていましたが、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークと月光の曲の区別がついていませんでした。そこで調べると、ドイツ語のEine(不定冠詞)・ kleine(小さな)・ Nacht夜)・musik(曲)は小夜曲と呼ぶそうで、「小夜曲」と「月光の曲」は全く違うことが分かりました。しかも、「月光の曲」はムーン・ライト・ソナタで、小夜曲はモーツアルト作曲のセレナーデで有る事も判り、間違って覚えたと言うよりもその識別が曖昧で有ったことを理解しました。確かに、Moon Light Sonataが「月光の曲」で有ることは明白です。

ワンダー通信
 近頃のワンダーはすっかり我が家に慣れて、浴室のタイルに思いっ切りお腹を付けて涼んでいるか、私達が過ごす場所の近くで伏せの恰好でフローリングや畳にお腹をしっかりつけて大人しく過ごします。そして、トイレに行きたくなると数回吠えて連れて行けと催促します。しかも、猫の餌を盗み食いをしたり食卓の誰かの椅子の下に陣取って上から食べものが落ちて来ないかと待ち受けます。ワンダーが見えなくなると決まって椅子の下に座っていますが、それとも其処が涼しく居心地が良いのかも知れません。それに、私達がつい大きな声を出すと大声でワンと吠えるのですが、前の家で夫婦喧嘩が絶えなかったのかも知れません。それと、いつ迄も家族の顔を正面から見詰めているのですが、そうした仕草を時々見掛けます。別に何かをせがんでいる様子はないのですが、シーズー犬の習性かも知れません。最近再び毛が伸びて来ましたで、お母さんが小さなハサミで切り揃えていますが、ペットショップでは毛を刈り取られた羊の様に電動バリカンで丸裸にされます。でも、何とも見すぼらしいので鋏でトリミングをするのですが、どうしても顔の部分は動いて目にハサミが当たってしまいそうで、顔の正面がまだ少し伸びています。なにしろ去年の今頃は転々と歩いていたはずでさぞかし暑かったでしょうが、ワンダーは空腹と暑さに負けずに生き伸びて来た事を褒めてやりたいと思います。そして、今週から孫が夏休みで実家へ遊びに来ますので、私と孫とワンダーで近くのコンビニまでおやつを買いに出掛けますが、孫と一緒に歩く時のワンダーは私の時より数段嬉しそうに喜んで歩きます。孫と歩くのが余程楽しいのでしょう。それでは次回は我が家のペット達を紹介しますのでお楽しみに


それでは、今回の近況報告は此れまでにして8月は休みを頂き、9月に8回目のリニューアルをやり、10月に新しいホームページを転送したいと思います。8月後半から作業に入りますので、途中で私の「掲示板」で経過を報告しますので、お待ち下さい。それでは皆様、今年の夏に気を付けながら体調を崩さずにお過ごし下さい 私も気を付けます。

                                                      -ホ-ムペ-ジのトップへ戻る-
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06月09日
 
今年の梅雨はどんな梅雨になるのでしょう
                   
 5月連休があっという間に過ぎて、3月11日に起きた東日本大震災の復旧と復興が続いていますが、福島第一原発のトラブル処理が3ヶ月が経つ今もその見通しが立たないどころか、地震で原子炉の配管が損傷していることが判り今後どのようになって行くのかが最大の心配ごとです。しかも、冷却水を循環させ原子炉内部を安定冷却させる計画が行き詰まり年内に解決させる東電の計画書の見直しやら益々判らなくなりました。しかし、静岡県の御前崎に在る浜岡原発の運転を津波対策が完了する迄全て取り止めたことは様々な事を人は言いますが、私はその決断に敬意を表したいと思います。そして、5月中旬に富士山に農鳥が今年も出来て山梨の田圃でも5月下旬ごろから田植えが始まり、我が家の庭のサクランボが色付くと、ムクドリが啄ばんで行く姿を今年も見る事が出来る心地よい季節になりました。そして、そうした今も 近くにある温泉ホテルの木々の間からカッコウの鳴き声が聞こえていて初夏を感じます。しかし、今年は梅雨入りが平年より早くなってしまいましたので、私はしばらく苦手な季節を過ごすことになりそうです。

今回の地震と津波で瓦礫が何と2500万トンと見積もられて其の処理に取り組んでいるものの、その処理を拒んでいるのが瓦礫の一時置き場が絶対的に不足していることだそうです。そこで、海水が入り当面は耕作出来ない農地を借り上げてそこを瓦礫置き場にしてはと検討されている様ですが、海岸沿いに農地を持つ農家にとっては早く塩分を除去することが必要でも其の処理に数年は掛り、瓦礫置き場に提供すれば更に除去が遅れるそうした苦渋の選択を迫まられている辛い状況にあるそうです。それと、今回の震災で東北にある多くの部品メーカーの工場が被災し部品の供給が出来なくなり自動車を初め全国の多くの工場の組み立てが滞っているとのニュースが報じられており、しかし
さすがに5月になると部品の調達が徐々に回復して来たようですが、茨城にある鹿島コンビナートの原料を搬入する港湾設備が使用出来なくなり、ゴムや自動車のブレーキ部品関係が間に合わないなど北関東や東北地方がこうした産業を支える重要な基地で有ったことを知らなかった人は私一人ではないでしょう。しかも、海外の自動車メーカーも重要な部品を東北の工場から輸入していて米国のメーカーでも一時組み立てがストップしたそうですが、改めて日本の技術力のものすごさを知る機会にもなりました。

さて、前回4月の下旬に近況報告をしてからひと月半が経ちましたが、地震や津波そして放射線の影響から避難を余儀なくされ県外へ一時移住したりと、東北地方を中心とする甚大な災害への対応がまだまだこれからも長期に渡り続くことでしょう。そうした中で、ジャーナリストの田原総一朗さんが5月にベトナムのホーチミン市へ出向いた折に次の様な話を現地で聞いたそうです。「さすがに日本人は偉い。此れ程の大災害に遭いながら、東北でも東京でも混乱や暴動が起きることもなく人々が落ち着いて秩序正しく生活をしている。こんな国は他にはない。世界中の人々が日本はすごい、素晴らしい国だ、と言っている」と言うのです。

田原氏はホーチミン市で日本政府や東電の批判をすると、日本からの進出企業約30社の支社長たちは日本領事館でのレセプションの席でその様に語ったそうだ。彼はこの話を聞いて、政府や東電を批判したことが恥ずかしかったと言う。現在、ベトナムは先の戦争(ベトナム戦争)から見事に復興し昨年の経済成長率は10%を超えたが、若者達の多くが昼間働き夜間に大学に通っていること。特に女性の進学率が極めて高い事などを聞いたと言う。こうした情報は「田原総一朗 公式サイト」のメール配信で得ていますが、世界中が日本を見直している事を知り元気づけられました。

オサマ・ビンラディンの死
 パキスタンに潜伏中のオサマ・ビンラディンを米軍が殺害したと、オバマ大統領が演説で明らかにしました。5月2日(日本時間)。ビンラディンは10年前にニュ-ヨ-クのWTC(ワ-ルド・トレード・センター)を乗っ取った民間航空機で体当たりさせて高層ビル2棟を崩壊させ、国防省(ペンタゴン)にも民間航空機を突入させて建物の一部を破壊させた国際テロ組織アルカイダの指導者ですが、何故パキスタンに潜伏していたのか謎の部分も有り良く判りません。しかしアメリカが威信を掛けた隠密作戦で居所を突き止めたと言います。ですが5月13日にパキスタン北西部の治安部隊訓練施設付近が自爆テロ攻撃され80人以上の犠牲者が出るなど予想通りの展開となっていますので暫くは、世界中でタリバンや各地に潜在するアルカイダによる報復テロ攻撃が起こる可能性が考えられて不気味さを感じます。しかも、パキスタンと米国との関係が此の事件でギクシャクし、アフガニスタンから米兵を撤退させる計画のアメリカにとっては、こちらの方も心配です。

最近の中東情勢
 3月の近況報告でリビアのカダフィー大佐が率いる政権への反政府デモが広がり、暫定政府が樹立したことを報告しましたが、その後政府軍が傭兵を中心に無差別に市民を殺戮したことで安保理の人道支援採択を受けて多国籍軍(NATO中心)がリビア政府軍に攻撃を仕掛けましたが、あれから2ヶ月以上が経つ現在も膠着状態が続いています。
どうも、多国籍軍は地上戦を避けて空爆による封じ込めを展開していますが、政府軍は空爆時に物陰に隠れて爆撃を避け逃れている様で反政府軍も素人の兵隊を十分訓練出来ない為に政府軍よりも戦力が勝っていないなどの事情があるそうです。その中で、国際刑事裁判所(ICC)の検察当局がカダフィー達3名を市民への弾圧が人道に対する罪に当たるとしてICCの裁判所に逮捕状を請求しましたが、ICCは容疑者を逮捕する独自の警察組織を持っていない為に、誰がカダフィー達を逮捕するか(?)リビア当局や周辺諸国の協力が必要になるので、現実には逮捕できない状況にあるとのこと。しかし、此処へ来て英国の外交官が反政府軍と会見した報道が流れましたが、まだまだ先の長い道程なのでしょう。又、ムバラク大統領失脚後のエジプトは、
エジプトの仲裁により パレスチナで2007年から敵対関係を続ける西岸のファタハとガザのハマスが和解したとのこと。ファタハとハマスは暫定的な連立政権を組み早期に選挙をやり正当な統一政府を作るとともに、今年9月のパレスチナ国家独立に向けて準備を進めることになったそうです。

 そしてパレスチナ自治区と国境を接する隣国のヨルダンの国王とオバマ大統領が会見し食料支援と引き換えに両国の友好関係継続の声明を出し、米国はイスラエルに対してパレスチナへの譲歩を提案するなど此処へ来て世界情勢が目まぐるしく動いています。そして、革命後のエジプトも異なる3つの勢力が各々の考えを主張し合い国内が大混乱していますし、イエメンでも反体制派の襲撃で大統領が負傷し国外へ脱出したそうで此のまま逃亡するのではないかとの憶測が報じられています。いずれにしても、中東情勢が益々混迷状態に陥っていいます。一方、長く紛争が続いたアフリカのコートジボアールでは漸く内乱が終息し国連事務総長が出席し新政府を祝いましたが、紛争の火種は常に指導者の対立によるもので、犠牲者はいつも一般庶民とその子ども達ですから空しいものを感じます。

何処かの国も大震災復興のこの時期に、足の引っ張り合いや政権争いをやっている場合ではないでしょう。しかし菅内閣不信任案が否決されてマズは安心しましたが、今度は「菅おろし」の要求が民主党内部からも出されて、何が何だか判らなくなりました。しかし、それにしても自民党の谷垣総裁には大変失望しています。つまり、菅内閣不信任への大義名分が全くありません。ただ、「能力が無いから辞めろ」ではそれは大義名分では無く、「自民党ならこうして見せる、だからそれが出来ない菅内閣は信任出来ない」と発言すべきで、谷垣さんともあろう人が何故代案を出さないのでしょう(?)そこが判りません。
 
古河市兵衛と渋沢栄一(前回の続き)
 前回では古河鉱業や古河電工そして富士電機グループの創業者としての古河市兵衛と、国立第一銀行の頭取や、東京証券取引所の創設と、現在の一橋大学及び日本赤十字社の設立など500に及ぶ財界や教育界や社会貢献に関わった実業家の渋沢栄一について紹介しましたが、此のお二人の関わりについて調べましたのでまとめます。

古河市兵衛は若い頃に家が没落し大変苦労する中で、京都で生糸問屋を営む「小野組」で実力を発揮して一番番頭に出世したが、明治政府の公金取扱い業務の政策変更により「小野組」は壊滅的な打撃を蒙り倒産に追い込まれた。その折り、小野組は国立第一銀行から多額の融資を受けていたので小野組の倒産で第一銀行も連鎖倒産の危機に直面したが、市兵衛は自分の全財産を含めて小野組のかなりの資産を処分し銀行に返済した結果第一銀行は倒産を免れた。その時第一銀行の頭取で有った渋沢栄一は此の古河市兵衛の志に深く感銘しそれを機に市兵衛と栄一の信頼関係が築かれた。


「小野組」破綻後、市兵衛は独立して秋田県にある鉱山(阿仁鉱山など)の経営に取り組んだが、最初は政府からの許可が仲々取れずに困窮し、渋沢栄一から融資の内諾を得るものの、やはりこれも最初は許可が得られなかった。しかし、市兵衛は努力を重ねて政府から草倉鉱山(新潟県)の払い下げを受けることに成功した(明治8年:1875年)その後、市兵衛は鉱山経営を足掛かりに最終的に「足尾銅山」を買収したが、新たな鉱脈が発見(開発)されるまでは厳しい経営が続く。そして、山師集団の強い反発にあいながら明治14年にとうとう大鉱脈が発見されそれ以後合理的な鉱法による操業を考案し大量の銅鉱石の採掘が可能となった。そして 前回報告の通り、富士電機や古河電工などのグループ企業が市兵衛亡き後、後継者達により築き上げられた。

一方、渋沢栄一は埼玉県深谷市の豪農の家に生まれた。生家は「藍玉」と言い藍の葉を発酵・熟成させた染料である(すくも)を突き固めて固形化したものを販売し、更に養蚕を兼営して米・麦・野菜の生産も手がける農家で、原料の買い入れと販売を担うため一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。栄一も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出掛けるようになり、この時の経験がヨーロッパの経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想につながったと言われている。しかし、栄一は人の薦めで徳川幕府の幕臣となり一橋慶喜(15代将軍の徳川慶喜)に仕えたが、パリで行われた万国博覧会に将軍(徳川慶喜)の名代として出席する慶喜の弟の徳川昭武の随員としてフランスを訪れる。その後、パリ万博を視察したほかヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行したが、各地で先進的な産業・軍備を実見する機会を得ると共に、将校と商人が対等に交わる社会を見て感銘を受ける。因みにこの時に彼に語学を教えたのが、シーボルトの長男で通訳として同行していたアレクサンダーで、帰国後もその交友は長く続き、アレキサンダーは弟のハインリッヒと共に後に明治政府に勤めた渋沢に対して「日本赤十字社」設立など度々協力をするようになった。このようにして幕末から新政府樹立への転換点で、栄一自身が政治家ではなく身に付けた豊富な経験と博識を買われて明治政府は新政府樹立に功績のない幕臣の栄一を登用するようになった。

 明治時代の栄一は大隈重信に説得されて大蔵省に入省すると、大蔵官僚として省内の様々な改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡り大久保利通や大隈重信と対立して、明治6年(1873年)に長州出身の井上馨と共に退官した。その後は民間人として活躍することになるが、幕末から明治に掛けて活動し時代の寵児となった渋沢栄一が実業家として活躍する中で、幾ら財産が出来てもそれを私財にしない彼の物の考え方が(時代を動かした)政治家達とは常に一線を画した彼の(根底にある)思想である事が判かったように思う。それは、常に清廉潔白で物欲を求める事なく社会への奉仕と社会貢献に生涯を捧げた偉大な人物であることを知った。そして、その様な思想は甲州財閥の根津嘉一郎達に影響を与えたと思う。その点 古河市兵衛は、とにかく金を儲ける事が最大の取り得で「金儲け」の才能は素晴らしいが、学問や文化人としての素養は全くなかったと言う

最近の福島第一原発事故の対応については、地元の人達には気の毒ですが毎日はっきりしない状況が続くと興味が半減し、原発は原発のプロに任せるしかないと思うようになりました。恐らくそのように考える人も多いと思います。反面、日々の状況を正確に国民に伝えるように、と求められている東電は発表せざるを得ませんが、発表を聞いてもその先がどうなるかが判らない情報では不安が残るだけであまり聞く気にもならないと言う心理が働くのだと思います

 そうした中で、1~4号機の廃炉と7、8号機の建設中止が5月20日に東電から発表され、原発が津波で水没した映像も公開されましたが、原発の建設条件に津波の想定を少なく見過ぎていた事が結果論として言えるので、今後どの様な津波が襲うかが誰にも判らない以上、海岸沿いに原発を造る事は止めるべきであり、多量の冷却水を必要とする今の原発システムの見直しと、他の電源開発の模索が必要となるのでしょう。私も前回の「近況報告」で詳しく調べて書き込みましたが、此れまでの進展を見て新しい展開が公表されるまでは静観しようと思っています。

大津波の調査
 最近の大津波では、2004年にインドネシアのスマトラ島沖で起きた津波で周辺国を合わせると22万人以上が犠牲になりましたが、日本でも明治29年(1896年)に明治三陸大津波が有り、此の時は大船渡で2.2万人の犠牲者が出て38.2mの峠を津波が越えたとのことです。とすると、何故大津波が発生する可能性が有る福島に原発を造ったのか、一説によると、今回の地震は千年に一度の規模とのことですが、それほど古くはない100年と少し前に現実に大津波が起きている事実をどうして反映させなかったのか、「想定外」という言葉を安易に使い過ぎる様に思う。しかし、民間電力会社が自前で原発を造れば「費用対効果」から建設費用を少なくすることは当然で、こうした点に今回の問題が有る様に思います。最近、発電と送電を分ける話題が浮上しているのも、出所は同じなのかも知れません。

東京大学の井出准教授達は、全世界のデジタル地震観測網の地震波記録を分析 (1)最初の3秒間はゆるやかな破壊(2)次の40秒間に陸地方向に破壊が進行して(3)その後に、日本海溝付近で約60秒間の大きなすべりが発生(4)再び陸寄りで90秒間の深部破壊 の4段階で震源断層の破壊が進んだことを解き明かした。(5月20日)

 そして
大津波を起こしたのは(3)の段階でこの時 震源断層に蓄積されていた地震エネルギーが100%放出されただけでなく、ダイナミックオーバーシュート(動的過剰すべり)と呼ばれるすべり過ぎ現象が発生し、陸側プレートの先端が変形しながら大きく跳ね上がり、津波の規模を巨大化させた。すべり量は、蓄積したエネルギーの2倍に相当すると言う。一方、人が感じるような周期の短い地震波(ガタガタ地震)は、(2)と(4)の深部の破壊過程からしか放出されていないとのこと。

(株)L I X I L(リクシル)の誕生
  トステムとINAXは2001年に経営統合しましたが、今回 新日軽・サンウエーブ・TOEXを吸収合併し5社が統合して新しいグループ会社(株式会社LIXIL)を今年4月に設立しました。詳しく調べていませんが、将来の住環境を見据えてのグループ統合と思われます。トステムは以前の東洋サッシで YKKや不二サッシと同様、ビルサッシや住宅用サッシの製造を手掛けていますがサッシの国内シェア一位を保ちながら、近年は木造住宅の外壁材料(スーパーウォール)や玄関ドア、屋根材などの生産にも進出していると聞いています。同じくINAXはかつての伊奈製陶で愛知県常滑市に生産拠点を持ち、TOTOと並び衛生陶器の2大メーカーです、一方、新日軽は高級質感のあるアルミサッシメーカーでサンウエーブはシステムキッチン、そしてTOEXはかつての東洋エクステリアで門扉やフェンス、カーポート等の製造で知られています。しかも、グループ会社はその他にトステムビバ(ホームセンターでDIYや建築用資材の販売)などを傘下に持ち、新築住宅やマンションや住宅のリフォームなどに幅広く対応する体制(組織化)の整備と読み取れますがトステム・INAX・新日軽・サンウエーブ・TOEXと言った従来からのブランド名は今後も継続維持するとのこと。

尚 社名の「LIXIL」は Living × Life(住・生活)のLifeのLと iを逆にしたもので 此の方が形も整い、LIXLI(リクリー)より言葉の響きもよさそうです。次回に、もう少し企業のなり立ちなどの詳細を調べてご報告したいと思います。

生涯学習講座(5月に3回講座が有りましたので、報告します)
講    座    名 概      要
体験的ポールラッシュ伝 ポールラッシュの紹介、彼の精神と人となりなど
子どもの「育ち」を追跡する 疫学研究とその意味と意義、コホート研究と山梨、エコチル調査
生きている火山、富士山 火山の分類、富士山の成立ち、富士山の過去の噴火など

おわりに

此れから私の嫌いな本格的な梅雨の時期になりますが、春先の陽気の急激な変化に漸く体が追い着いた頃に、今度は長雨の季節を迎えます。梅雨は誰でも鬱陶しいものですが、私の場合は此の時期の体調管理が特に難しく血糖値がいつも高止まりになると共に、雨降りの時のウォーキングでクルマがはねた雨水でズボンがびしょびしょになるのも
この時期です。しかし、此れからはウォーキングで汗をビッショリかきますので、下着とシャツを全て着替えると気分がスッキリしますが、その時にズボンもはき換えて今年は不愉快さをクルマの精にはしないことにしようと思います。

最近、山梨でもタバコの欠品が続いています。自動販売機にもコンビニでも売り切れの表示をあちこちで見掛けます。JTによると、全国6工場のうち2工場が被災し、原料や材料品の輸送に影響を受けていることに加えて計画停電などで製造に支障が出たそうです。私は40代前半に禁煙しましたので影響はないのですが、毎日ウォ--キングをしている通りにあるカメラ屋さんのタバコの自販機が突然消えました。恐らく震災以来品切れ状態が続きしかもタスポが無いと買えないことから自販機を置くメリットが無くなったのでしょう。最近は、他の銘柄に替えて売れ筋のマイルドセブンやハイライトを増産することで都心では出廻って来たそうですが、山梨まではまだ届いていないのかも知れません。

 自販機と言えば、清涼飲料水の自販機が震災後にホットの飲み物が全てクールに変わりました。自販機によっては「節電のため」と書かれたものも有りますが、殆どの自販機はそのままです。そして、夜間の自販機の多くが暗く照明を落としていますが、蛍光灯の電力は温めるヒーターに比べれば少ない訳で、其処までやらなくても良さそうですが、日本中が自粛ムードにある今の状況では仕方がないのでしょう。

上の孫が4月から小学校へ通い始めましたが、どうしても集団登校の仲間入りが出来ずに泣き出してしまうそうです。そこで、ママが何とかなだめて行かせたり、学校まで連れて行って先生に引渡したりするそうですが、娘も仕事が有るので遅刻をしてしまう様で慣れる迄が大変です。しかし、入学後2ヶ月が経ちましたので少しずつ余裕が出て来ました。私達も、児童館へ4時少し前に毎日クルマで迎えに行っていますが、学童では無い一年生は自分の家へ帰りますが、孫の場合は両親が仕事で日中は家が留守なので、実家である私達の家まで歩くことは可能ですが児童館の子供達と遊ぶのも大切と考え、しばらくは今の学童の生活で過ごさせようと、娘と話しています。 

3年前の今頃は、私は北海道の旅をしていましたが、道内での最後の旅の前日に妻から東北で大きな地震が起きて道路が不通になっていると連絡が有りました。当日は松前の先にある江差に居ましたが地震の影響は無くそう言えば江差の沖にある奥尻島が津波で大きな被害を受けた事を思い出しました。そして、翌日は函館を観て青森へ向かい八幡平などを観て太平洋側を南下する計画を止めて東北道を一気に山梨まで走った事を覚えています。その東北の海岸沿いが地震と津波で大変なことになっている事が信じられません。3年前の地震は岩手と宮城にまたがる栗駒山周辺が震源地でしたが、一関辺りで自衛隊のヘリコプターが編隊を組んで被災地に向かっている姿を見てその日の内に山梨へ帰ることにしました。それが、3年後に再び東北がこの様な大災害に遭うとは思っても見ませんでした。そして
この先の復興には5年も10年も掛るでしょうが 粘り強い東北の人達をこれからも支援し続けたいと思います。

東海を含む関東甲信が5月27日に梅雨入りしたと発表されましたが、「梅雨入り宣言」 を昭和26年から出している気象庁が今までで2番目に早いと伝えています。私も27日の発表には驚きました。そこで、昨年の梅雨入りを手帳で調べると6月13日とありますので、17日も早い梅雨入りです。しかも、台風2号が梅雨前線に沿う様に北上しましたが台風の影響も有ったのでしょうし、太平洋高気圧が今年は勢力が強くその分梅雨の時期が早くなっているそうです。そもそも、5月に2回も台風が発生した年は記憶に有りませんが、何だか今年も暑い夏になりそうで、不気味です。そして、私は此のページの最初に梅雨が嫌いなことを書きましたが、まだ転送を済ませていないうちに梅雨の本番を迎えるとは、何とも此れからの暫くの生活が思いやられます。

私は、パソコン(ディスクトップとノートパソコン)の背景を雪を頂くヒマラヤ(多分)の山とその手前に湖(又は池)そして中間に沢山の木々が茂り右側に中国様式の三重の塔そして左側に小さなお堂を配した富士通から配信された壁紙を毎日見ていますが、ディスクトップの方の画像が昨年12月に突然赤い縞模様の画面になり色々と試みましたが結局もと通りにならずひと冬を過ごしましたが、それが5月末に何と正常な画面に復帰しました。徐々に暖かくなって来た事が良くなった理由かも知れません。人間 不自由さに慣れてしまうと案外それが気にならなくなるのは不思議なものです


今年の6月3日は雲仙普賢岳が爆発し火砕流が山沿いを襲い多くの人達が犠牲となったあの時から20年目の節目の年です。私は平成18年に九州をひと回りした時に 島原で「雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)」を見学しましたが多くの報道関係者を呑み込んだ火砕流で焼け焦げたカメラやビデオカメラの展示を見ました。そして近くの 道の駅にその後の土石流ですっかり埋まってしまった家も見ましたが、その現場を忘れない為に埋まったままの家屋を大きな建物で永久保存したり 埋まったままを見ることが出来たりと、当時の災害のものすごさを知りました。そして、今回の東日本大震災を思い自然の脅威を改めて考えさせられましたし、生涯学習講座で「火山と噴火」について学びましたので、火山の噴火や地震への理解を深める事が出来ました。それにしても 普賢岳の噴火から20年、早いものです。

 ☆がまだす」は、「頑張る」を意味する島原地方の言葉ですが、詳細は「雲仙普賢岳」をクリックしてご覧下さい。

我が家のペット達
 犬のワンダーは最近食欲が出て来て猫の餌も食べてしまうのですが、その分太って来ましたので量を制限しました。冬の頃は6kgでしたが、恐らく7kg近くになっているでしょう。今度 病院でメタボで無いか診て貰うことにしています。
 次に猫のミルですが、野良ネコと喧嘩して右耳を咬まれて処置をしましたが、現在は完全に治り 処置の時に剃った毛も少しずつ生えて来ました。そして、野良ネコとの喧嘩の怖さと処置の痛さで元気が無かったのですが、優しく言葉掛けをしてやると最近は2階に避難せずに食卓の椅子で過ごすことが多くなりました。動物も人間と同じ様に心のケアが大切と言うことでしょう。そしてウサギのルカですが、夕方の1時間ゲージから出すと居間中を元気良く飛び跳ねます。しかし大量のフンを
するのには参りますが、ウサギのフンは硬く丸いのでゲージに戻した後にフンの掃除をしています。何しろ私達が一日留守をしても水と餌を切らさなければ猫とウサギは留守番が出来ますが、その点犬は毎日2kmを歩かなければならず家に残すとワンワン吠えて近所迷惑になりそうした事情と、今回の大震災で私達も今は何処かへ旅行をしたくはない心境で 此れからの計画も立てていませんが、観光地に閑古鳥が鳴くのも気の毒なのですが申し訳なく思っています。

近況報告」のページを、H22年までとH23年からに分けることにしました。それは、H18年から始めた「近況報告」ですが、5年続けるとページが長くなり古い記録を読むのにかなりスクロールをしなければならず、又ページのトップに戻すのに時間が掛るので見直しました。そこで以下の様にページを分けましたので其れぞれのページでご覧下さい。

それでは、次回は8月の初旬に報告したいと思っていますが それ迄に震災の復興や原発の方向性が少しでも進んでいて欲しいと思います。
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4月27日

東日本大震災を中心に 
                                       
 東京のソメイヨシノの満開日が4月5日だったそうですが、3日遅れて私が住む街の公園の桜が満開になりました。
昨年は、酷暑に耐え切れず9月の後半から葉が黄色く色づいて散りましたが、植物も大したもので環境に負けないで今年も立派な花を咲かせましたその桜も今は葉桜になり、変わって街路樹のハナミズキが桃色や白い花を咲かせています。そして、此れからは若葉が眩しい初夏の季節へ移って行きますが、私は此れからの此の季節が大好きです。しかし今年は震災の影響で花見を自粛した人が多いそうで、此れでは商売にならないと嘆く人達がいて気の毒ですが此れも地震の関係かと思うと、当分は賑やかな行事が遠のくのも仕方がないのかも知れません。

前回近況報告を転送した3月11日の午後に、三陸沖から鹿島灘に掛けて全長500kmにも及ぶ大地震(M9.0)が発生し、この地震による大津波が各地を襲いしかも、福島第一原発では冷却水系統のシステムダウンが主因とされる水素爆発による建物の損壊と高濃度の放射線が空気中に放出されて農作物や原乳に被害が生じ、そして海洋汚染が広がっています。更に、原発を中心に半径20km以内の住民が立ち入りを禁止され、20km~30kmに住む住民は屋内退避(長期化が考えられ政府は自主避難を要請)が実施され、更に30km以内を含め30km以上でも高濃度の
放射線が測定された地域は一ヶ月以内に避難指示が出されるなど一向に収まらない原発の災害に福島県民はその恐怖に晒されています。その上、東京電力の供給電力不足に伴う「計画停電」などで3月11日以降日本中が大混乱状態に陥りましたが、東電管内は節電効果のお蔭で「計画停電」は現在見合わせられています。しかし、私がかつて勤めた会社では「計画停電」が発表された時点で工場の操業を土・日出勤で月・火休みに変更し現在も続けている様ですが、夏場の電力不足対策が今から緊急課題になる事は必定でしょう。しかも、10mをはるかに超える津波により東北を中心とする沿岸地域は壊滅状態にあり家や船や車や全ての財産を失い死者と行方不明者の合計が3万人に近づくと言うかつてない未曾有な災害は被災者への今後の生活支援と膨大な瓦礫の処理などの見通しが全くつかず此の状態がいつ迄続くのか誰にも予測がつきません。

 そうした中で、何としても福島原発の放射線封じ込めと冷却システムの安定復帰に成功することが最優先されます。そして、放射線に汚染された農作物や原乳が出荷できない農家の不安や魚からも放射線が検出されて漁が出来ない漁民の怒りと嘆きも極めて深刻ですので、一日も早い損害補償金の支給と風評被害の解消の必要を強く感じます。
こうした中で山梨でも生活用品が買い占められて店内に商品が無い状態が続きましたが、此処へ来て漸くガソリンや灯油が被災地に潤沢に届きインフラも徐々にではありますが復旧し僅かずつながら現地に明るさが見えて来ました。しかし、震災から一ヶ月半以上が経つ今もM7.0で震度6強の余震が福島で起き、しかも長野北部や千葉県でもかなりの地震が起き、山梨でも静岡県で起きた余震で富士山のスバルラインの路面に亀裂や段差が出来てその復旧を急ぎ何とか連休前に開通しましたが、静岡と聞くと東海沖地震が心配ですので、いささか不気味さを感じます。と言うことで一向に終息しない地震に日本中が不安になり落ち着く事が出来ません。そして、地震が関係して新たな経済問題が起きています。まずは東北に在る部品工場の操業が徐々に再開されては来ましたが、今でも再開出来ない工場からの部品の供給が間に合わず多くの企業の操業度が下がっていること。日本全体が自粛ムードで有ることが影響して日本経済がかなり落ち込んでいること。それに観光地や温泉地に行く事を控えたり、宿泊先のキャンセルが相次いでいてホテルや旅館は大打撃を受けているようです。確かに、被災地が壊滅状態の中で旅行するなど申し訳ないと思う気持ちは人間として判りますが、それでは日本の経済全体が落ち込んで今後の復興財源に影響することも考えられ、此れでは復興への前向きな元気がいつ迄も見えては来ません。私も妻のお供でスーパーへ買物に行くと「節電要請」を受けてどの店も照明を暗くしていますが、何となく購買意欲が無くなっているように思います。恐らく、スーパーの売り上げもかなり落ち込んでいる筈です。しかし、こうした状況が何時迄続くのか(?)やはり原発事故の見通しが立たないことには、日本中に活力が戻って来ないのではないか・・・と思います。

私は、此の一ヶ月半の間に起きている状況を忘れないために毎日震災関係の記事を残していますが、地震が起きた3月11日の翌日から一ヶ月半の4月23日に震災関連では無く、みずほ銀行の頭取がシステム障害の引責で辞任の記事が一面トップになりした。しかし、その間は地震と原発トラブル関連の記事が毎日続きましたが、とにかく被災地の現状をどの様に回復し被災者の心の安心・安定を図るかが最優先でありそれが緊急課題で有る筈です。私も毎日健康の為に食べているヨーグルトが手に入らず一時体調を崩しましたが、その程度は我慢をして被災地を見守りたいと思います。とにかく、最悪な状態を更に悪化させずに此れからは前向きに復旧・復興に日本が一丸となって取り組むことを叫び続けなければなりませんし、政治家も内輪もめをしている場合では有りません。そうした中で僅かですが、私と妻のポケットマネーを義捐金として赤十字へ送りました。少しでも役立てて欲しいと思っています。

福島第一原子力発電所調査

1)福島第一原発概要
  この発電所は、東京電力が国内初の原発として40年前に1号機を、37年前に2号機を完成させた設備ですが、1号機~6号機まで有り、その全ての設計は米国のGE(General Electric)社が手掛けています。そして、1、2、6号機の三機の原子炉はGEが製造し
3と5号機を東芝が製造し、4号機は日立製作所が製造しています。そして、建物を含めた建築物の全ては鹿島建設が施工しました。

               原発概要
原 子 炉 運 転 開 始 定格 電気 出力 (万KW) 製 造 会 社
1号機 1971年03月26日 46.0 GE
2号機 1974年07月18日 78.4
3号機 1976年03月27日 東芝
4号機 1978年10月12日 日立
5号機 1978年04月18日 東芝
6号機 1979年10月24日 110 GE
7号機 2013年10月予定 138 未公表
8号機 2014年10月予定
                                              Wikipediaより転記
2)関連情報 
2010年10月より3号機はプルサーマル燃料による発電を開始
GE社の紹介: GE社は私が尊敬する発明王トーマス・エジソンが興した企業で、ジェットエンジンやロケットエンジンやMRIを代表する医療機器、そして原子炉等重要な製品を製造していますが、1981年~2001年にCEOを務めたジャック・ウエルチがGEの抜本的な改革(GE改革)を断行しGEを窮地から救った人物であることを勤めていた当時に彼の著書を読んだ記憶が有ります。その後金融に進出し、確固たるコングロマリット(複合企業)としての地位を築いています。そのGE設計による原発システムが何故この様な事態になっているのか、此れからの為にも問題点を徹底解明すべきでしょう。
何故なら、福島原発より震源地に近い女川原発(東北電力)の被害が少ないのは何故なのか(?)その究明が待たれます。
1~6号機までの原子炉は沸騰水型軽水炉、7号機からは改良型沸騰水型軽水炉を採用予定(軽水とは普通の水)
いずれにしても、福島第一原発の1~4号機は廃炉となるでしょう(東電会長談)しかし、廃炉にするにも10年以上は掛るようですし、現在建設中の7、8号機も今後どうなるか(?)現在工事は中断していますが、今回の状況次第では中止となる可能性が極めて高いと思います。となると、中長期の今後の電力計画が深刻な事態になることは、間違いありません。 
4号機と5号機の運転開始が逆なのは、5号機の着工が4号機より半年早く、発電開始も早くなっているため

3)関連用語
プルサーマル: プルトニウムで燃料を作り、従来の熱中性子炉(軽水炉はその一種)で燃料の一部として使う事を言う。尚、プルサーマルとは プルトニウムとサーマルニュートロン・リアクター(熱中性子炉)の2つのワードを繋げた和製英語(plutonium thermal use)のこと。プルサーマル燃料が使われた経緯は、天然ウラン鉱石が将来枯渇する事が予想されている中で、下記プルトニュームで説明の通りウラン238が崩壊する中で新生されたプルトニウムを使い新たな燃料を作り出すもので、原発の安定稼働を行う必要性から考え出された技術。しかし、プルトニウムを再処理しないと燃料としては使えず、しかも日本ではその処理が出来ないのでフランス等に頼まなければならず、プルトニュームを海外へ輸送する経費を含めてコストが掛ることと、WTOより発癌性の指摘が有るなど、課題も有る。 
プルトニウム:
(原子番号94)
原子炉において、ウラン238(天然ウラン)が中性子を捕獲してウラン239となりそれがベータ崩壊しネプツニウム239になり、更にそれがベータ崩壊してプルトニウム239が出来る(原子炉内では他のプルトニウム同位体も多数できる)。
女川 原発  : 宮城県牡鹿郡女川町と石巻市に位置する東北電力の原子力発電所。三陸海岸にあり太平洋に面する略称は「女川原発」 処で、今回の東北地方太平洋沖地震では、女川原発の震度計は震度6弱を観測し最高9.1mとした設計上の想定を超えたと見られる津波に見舞われたが、敷地の海沿いに設けた斜面及び海抜14.8mに原発が設置されていたことにより、津波による浸水被害は海岸線に最も近い2号機の原子炉建屋のみだった。同機は地下が浸水し非常用発電機が起動しないなどのトラブルに見舞われたが別系統により停止し又、1号機及び3号機も自動停止した。その後、1号機のタービン建屋の地下1階で火災が発生したが震災当日の22時55分に鎮火が確認された。
尚、女川原発の原子炉製造は1号機と2号機が東芝で3号機が日立(GEと2007年設立)。原子炉はいずれも沸騰水型軽水炉(福島原発と同じ)で、現在3号機はプルサーマルで発電されている。(福島第一原発3号機と同じ燃料棒)

4)原発事故状況
 2011年(平成23年)3月11日に発生した大地震とその後の大津波で、外部からの電源と非常用ディーゼル発電機を失い「全交流電源喪失」状態に陥ったことで、原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールの冷却水を循環させる機能と非常用炉心冷却装置の機能を完全に喪失した。これにより地震発生迄稼働中で有った1
23号機についてはポンプ車などで緊急に炉心 を冷却する必要が生じ、3号機と4号機の使用済み核燃料貯蔵プールについても注水して冷却する必要が生じた。この注水過程で建屋内の水素爆発や放射性物質の大気中への漏洩が発生し、現在は排水過程で放射能を含む水が海へ放出され薬剤で漸く堰き止めたが、今度は発電所設備内の放射能で汚染された大量の水を移し替える作業を短時間に進める必要が有り、余震活動が収まらない中で作業が難航しています。更に、米国製の無人ロボット2機で発電所内の放射線の測定と温度・湿度の測定により状況が判りつつありますが、湿度がほぼ100%では防護服を着た作業員の活動は無理であり、一方、東電から17日に安定冷却迄に3ヶ月、冷温停止迄に3~6ヶ月の工程表が発表されましたが、これも今後の調査で原子炉内への作業者の立ち入りが出来なければ計画変更となる場合もあるなど、とにかく先が読めない状態が今も続いています。

ACジャパンへの逆恨み
 何故同じCMが民放各局から流れるのか、私も初めは判りませんでした。しかし、内容は大変真面目で金子みすずの詩や「思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える・・・」等大変優れているものばかりです。しかし、余りに連続して流れると誰もが耳について煩くなります。しかも、CMの終わりに必ずキーの高い女性の声で「エイシー」と言う音楽ロゴが流れますが此れが繰り返されると、さすがの私も聞きづらくなりましたのでネットで調べると、ACジャパンに脅し文句が集中している事が判りました。「今から包丁を持って殴り込みに行くゾ」といったいやがらせが集中したのです。

処で、ACJapanとは以前は「公共広告機構」と言い、健全なコマーシャルの普及と啓蒙を目的に今から40年位前にサントリーの佐治敬三が発起人となり関西圏を中心に設立された公益社団法人ですが、企業や放送局そして新聞社等約1200社の会員で構成され、当時は誇大広告やレベルの低い広告の排斥などを主に全国展開されました
ですから、ACジャパンは何も悪くはなく全くの被害者です。因みに、ACはAdvertising(広告)+Council(機構)の頭文字より名付けられています

 それが何故この様なとばっちりを受けねばならないのか(?)それは今回の大震災と関係が有ります。つまり今回の震災で多くのスポンサーがCMを自粛した為に、民放局は予め組み込まれたCMの時間に流すCMが無く、震災直後は無電波状態で放送を続けましたが評判が芳しく無く、無収入にはなるけれどACジャパンのCMを連続して流さざるを得なかった。そうした事情が判らずに視聴者がACジャパンを逆恨みしたと言うことです。最近はかなり以前に戻っていますが、私は数分続くことが有るCMのしつこさが嫌でNHKにチャンネルを変える場合が良くありますが、さすがにひと頃のACジャパンの幾度となく繰り返されるCMにはうんざりしました。

今回震災が起きなければ、4月9日に私は27年振りにかつて勤めた会社の先輩や同僚との懇親会に出席する予定でした。それは、会社が27年前に神奈川県から山梨へ全面移転をし、それ以来多くの方達と会っていないのですが、今回連絡を頂き再会するのを大変楽しみにしていました。その工場は神奈川県の厚木市(昨年甲府鳥モツ煮がB-1グルメのグランプリを受賞した時の会場)に在りましたが、27年振りの厚木がどのように変わっているのかを見るのも楽しみでした。しかし、今回の震災で取り止めになりました。次回いつ開かれるのか幹事さんからの今後の連絡を待ちたいと思います。それに例年甲府では春の初めに「信玄公祭り」が行われ「風林火山」の旗の元、信玄公と武田24将が甲州軍団として甲府城より出陣し街中を練り歩くイベントがありますが、此れも今年は急遽中止となりました。

ガソリンスタンドの「JOMO」が「ENEOS」ブランド名に変わる話を昨年秋に知りましたが、私の家の近くのスタンドが依然JOMOのロゴマークのままなので何となく不思議に思っていました。処が、3月下旬になって突然「ENEOS」に書き替えられたのです。そこで「JOMO」をネットで調べると「Joy of Motoring」から取ったロゴで、ジャパンエナジー社(新日鉱ホールディング)のブランド名ですが、2010年7月に新日本石油と経営統合し、「JX日鉱日石エネルギー」となりブランド名を「ENEOS」に統一したそうです。そこで、大手はコスモ、昭和シェル、エネオス、出光、ゼネラルなどのブランド名を見掛けますが少なくとも「JOMO」を見ることは無くなりました。昔は、米国資本のEssoやMobil、それに国内資本の三愛や丸善、日石、カクタス、梟マークのアウル等懐かしい名前が有りましたが石油業界も競争が激しいと言うことなのでしょう。さて、山梨の「JOMO」が「ENEOS」に変わった訳を行き付けのスタンドの親父さんに聞くと、看板の掛け替えを全国的に順次進めている中で山梨は遅れているとのことでした。しかし、ガソリンは昨年の4月から全ての「JOMO」は既に「ENEOS」から供給を受けているそうです。その「ENEOS」を同じくネットで調べるて見ると、
ENEGY(エナジー)+NEOS(ギリシャ語で「新しい」の意味)の合成語でした。

口蹄疫(韓国)の状況
 3月3日の時点で326万頭(豚)+16万頭(牛)=342万頭(合計)が殺処分と発表されましたが、その後3月21日の発表(農水省)では、牛はその後の増加はなく豚が6万頭増えて332万頭になっているとのことです。一時のような急激な増加はないものの、豚の口蹄疫による殺処分はまだ続いているようです。しかし、4月5日に韓国政府はOIE(国際獣疫事務局)に対して、一連の発生が終息し全ての地域で移動制限を解除した旨を通報しましたが、4月17日に再び口蹄疫が発生し22日までに3例報告されています(いずれも豚) また、そうした中で韓国では豚肉が不足し、大量に輸入しているそうです。

リビア情勢
 こちらも最近あまり報道されませんが、政府軍と反政府軍が一進一退を繰り返している様です。そうした中で安保理の人道支援採択を受けて多国籍軍(NATO中心)がリビア政府軍へ攻撃を仕掛けましたが、その作戦がやや下火になっています。それには幾つか理由が有って、政府軍を空爆したつもりが誤って反政府軍を誤爆したことや、反政府軍側にアルカイダ等のイスラム原理主義者が紛れ込んでいるとの情報が有り多国籍軍側 が躊躇せざるを得ないこと
しかも、現在アフガン戦争を展開中のアメリカはリビアを多国籍軍に任せざるを得ない国内事情が有る等難しい局面が複数有るようです。そうした中で、反政府軍が正式に組織化され指導者も決まりましたが、その指導者は作戦展開が一向に見えない多国籍軍を痛烈に批判し今後は国連に訴える報道など、リビアの内戦が硬直状態に陥っているとの見方も報じられていますが、此処へ来てイギリス軍が本格的に乗り出すとの報道を見掛けました。一方、シリアでも反体制派デモに対して治安部隊が攻撃し、22日と23日の二日間で120人以上の死者が出ています。また、西アフリカのコートジボアールでも内戦が勃発していますが、今の日本は地震災害報道が中心で他国情勢を単発的に取り上げても海外からの情報そのものが少なくなっていますが、自国の報道で精一杯なのでしょう。

「古河市兵衛」と「渋沢栄一」について
 前回の近況報告で上記のお二人を次回纏めるとしましたが、今回の報告事項が原発を含め多彩になりましたので、更に次回にしたいと思います。しかし、詳細はこの次にして今回少しお話しすると「古河市兵衛」は足尾銅山の経営で巨万の富を得て大正12年にドイツのシーメンス社と電機会社を立ち上げ、古河鉱業の「フ」とシーメンス社の「シ」から「フシ電機」を考えましたが、それを日本一の富士山の富士から現在の「富士電機」の社名にしました。その富士電機の通信機部門が独立して富士通(コンピューターやパソコン製造)に発展し、更に産業用ロボットメーカーのファナックへと発展しました。一方、市兵衛は古河鉱業(足尾銅山)を基本に古河電工などの古河グループを確立して大企業に成長させた中興の祖であることを知りました。また「渋沢栄一」は日本を代表する実業家ですが、国立第一銀行(後の第一勧業銀行→現在の「みずほ銀行」)の頭取を日本で初めて務め、東京証券取引所を作り現在の一橋大学の前身である「商法講習所」を作るなど、明治時代に多種多様(500以上)な企業の設立や経営に関わり、教育の重要性を考えて学校を設立するなど、幅広く活躍した人物です。しかし、彼が「渋沢財閥」を作らなかったのは「自分が得た財力を私物化してはならない」と言う彼の思想が根底に有ったと言います。そして先に紹介した「古河市兵衛」と「渋沢栄一」は深い繋がりを持つことになるのですが、そこから先は次回にしたいと思います。

生涯学習講座を受講して2年が経ちましたが、3年目の今年は山梨大学と山梨学院大学のどちらか一方にしようと考えていました。それは、梨大は月に一度の土曜日の午後に開催しますが、学院大は月平均2回の金曜日の夜間に開かれるので、毎月では有りませんが2日続くことが有り結構きつい月も有ります。しかし、23年度の予定表を頂くと、梨大は「育む」が今年のテーマで、学院大は富士山をテーマにした講座と甲斐国人物伝で甲州財閥の「若尾逸平」や変わった所では山梨出身歌手の森進一やレミオロメンなどの紹介など面白そうな講座が多いので、今年も両方とも
受講することにしました。学院大の開講日が金曜日から水曜日に変わったことも参加の動機となりました。

平成23年度生涯学習講座
 今年も山梨大学で4月16日から講義が始まりました。学院大は月末近くに有りますので、準備が出来次第追加して、4月分をお知らせしようと思います。
  
講 座 名 概      要
1 健やかなからだを育む 日本の子供の現状、体力低下、運動能力を高める今後の課題
2 富士山は誰のものか 富士山について、富士山の所有をめぐる係争


おわりに

近頃普段食べているヨーグルトの欠品が長く続いていましたので、ことによるとヨーグルト工場が被災し生産出来ないのでは(?)と思いましたが、欠品の訳が判りました。それは「計画停電」と関係が有ったのです。詳しくは判りませんがヨーグルトは生産の途中で停電になりラインが止まると製品の品質が悪く(発酵させる温度が下がり発酵が進まない)出荷できないそうで、しかし「計画停電」が事前に中止で有っても工場はその日の生産を最初から取り止めているのだそうです。でもそうで有れば、停電しない夜間にシフトすれば良さそうですが、仲々上手くは行かないようです。そして、いつも食べているそのヨーグルトを半月以上食べなかったからかどうかは判りませんが、4月初めに私は激しい下痢と嘔吐に悩まされました。そこで、すぐに病院へ行き点滴をして貰い薬を飲むと2日で治りましたが、それ以来店頭に有る別のヨーグルトを食べましたが、当面「計画停電」はしないとの方針が出てからは、漸く出回るようになりました。

山梨機械電子工業会主催の講演会(4月23日)
 標記2回目の講演会に参加しました。講演者は「植松努」氏で現在45才。北海道の赤平で父親と工場を共同経営し傍らロケットの開発を手掛け、全国に「夢を諦めないことを大切に」をテーマに講演している人でした。その演題は、「思うは招く~夢が有れば何でもできる~」です。その中で彼が伝えたいのは「どうせ無理」を「失敗したら諦めずに、だったら、こうして見たら」に変えて「人の可能性を奪わない社会作り」を目指していることを熱く語ってくれました。講演のメモから書き出すと長くなるのでポイントのみ紹介すると、今の若者達は「ミニマム・マキシマム」で必要最小なだけをやり、あとは無駄とする考えの人が多く、しかも「自分で考えて下手をやると怒られるから、言われた事をやっている方が楽」と言う工夫しようとしないことに問題が有る。もう一つは「我慢は諦めでは無く、何時か出来る時まで待つこと」と言った我慢や待つ事が出来ない若者を育ててしまった戦後教育の間違いを指摘していました。

最近の我が家の明るい出来ごとをご紹介します。それは、上の孫が3月に卒園し4月6日に小学校に入学しました。現在は、お友達に慣れる事を目的に授業の後に学童保育で過ごしていますが、私達も早目にお迎えに行っています。何事も最初が肝腎なので、少しずつ学校生活に馴れるように私達も応援しようと思っています。思えば、私の三人の娘の入学当時の事を良く覚えていますが、その娘達が過ごしたあの時間を今から孫が始めようとしています。そして、四月の入学前にも学童保育の有る児童館へ孫と手を繋いで歩いて行きましたが、娘達との当時のことが蘇り それに歴史を感じながら、孫が順調に自分なりの生活パターンを築けるように此れからも応援して行きたいと思っています。最近では、学童保育から戻ると孫は早速ワンダーと遊びます。慣れない環境から解放されて犬と遊ぶと心が癒されるのでしょう。休日でもワンダーに合いたいと親にせがむそうですが孫にも犬にもくつろげるひと時なのかも知れません。

今回の地震で岩手県の海沿いを走る三陸鉄道リアス線が津波でかなりの被害を受け線路が流されて一部のみ運転している様子をテレビで見掛けますが、私は平成17年の夏に一度訪れていますので災害の大きさに言葉を失いますあの時は、陸中野田駅に併設された道の駅で一晩を過ごしましたが、一輛だけのカラフルな気道車が元気良く走っていたあの光景を良く覚えています。駅ごと流された場所へは行っていませんが、田野畑村にある北山崎へは鉄道では当分行けないでしょうし、のどかな土地が大きな災害に遭いこんなにも変わり果てていることが気の毒でなりません。

私は今から8年前に病気になり、医者から此れ以上働いては駄目だとドクターストップが掛り仕方なく退職しましたが、その翌年は毎日一万歩以上を歩き体を元通りにすることに専念しながらパソコンの勉強をして自身のホームページを翌年作り、更に一年先の61才の時に車で旅をする「ぶらり旅」を始めました。まず最初に行って見たかったのが山陰の萩の街でしたが、吉田松陰や伊藤博文、木戸考允、山縣有朋、高杉晋作など明治時代に大活躍した長州の人達が生まれ育った場所を此の目で見たかったのですが、初めて行けた萩を今も懐かしく覚えています。萩は戦災に遭わず数百年の歴史を持つ古い街ですが、大きなお寺が沢山在り白い土塀が続く町並みは心が落ち着き永年の夢が叶った素敵な旅でした。先日NHKの「小さな旅」の番組で萩を紹介していましたが、夏ミカンが名産であることや江戸時代に建てられた古民家を見学出来ることなどは当時は知りませんでした。しかし、特に高杉晋作を此の土地の人は特別な人物として敬愛していることを当時出来たばかりの萩博物館で知りましたが、現在 明治時代に活躍した人達のことを調べていますので改めて萩も調べて見たいと思っています。

4月20日に北杜市の真原(さねはら)にある桜並木を観に行きました。その並木道は、750mの道の両側に約200本のソメイヨシノが咲き揃いトンネルになっているのですが、戦後この地に入植した人達が昭和40年代に植えたもので今では樹高が十数メートルの巨木に成長し、この桜を観に県外から大勢の人達が車で訪ねていました。数年前に妻とこの桜を観ようと訪ねたことが有りますが、此処より国道側に在る山高神代桜へ行く車の渋滞に巻き込まれて真原へ行き着けなかったのですが、最近新しい道が出来てその道で直接真原まで行けました。それにしても、この桜並木は見事です。秋のホ-ムペ-ジの更新の際に写真集で見て頂こうと思っていますが、桜並木のその先に甲斐駒ケ岳が間近かに聳えているのも絵になります。

ワンダー&ミル通信
 暖かくなって来たせいか、ワンダ-は益々元気良く急ぎ足で歩きます。1.5kmを午前と午後に分けて歩くのですが、本人も気分が良さそうで、外に出たい時はワンワン吠えて早く連れて行け・・・と、催促をします。そして、猫のミルッヒ(愛称はミル)は先日庭に出ていて入って来たノラ猫と喧嘩になり追い払ったまでは良かったのですが、自分も右耳を負傷し数日後に耳が腫れあがってしまいました。そこで、ワンダー行き付けの病院で診て貰うと耳に膿が溜まっている事が判りましたので、処置をして貰いました。耳に穴があいているとのことでノラ猫に咬まれたようです。膿を出す時は痛がって暴れましたが、私もしっかりミルを押さえて無事に処置が終わりました。今は大分良くなりましたが、幾分元気が有りません。喧嘩が怖かったのと膿の処置が痛かったのが原因のようです。

 処で、ワンダーのことで最近不思議な出来事が有りました。それは、何時ものようにワンダーを連れて歩いていると、「ちょっと待って」と言う女性の声が高台の家から聞こえて来ました。そこで待っていると、チワワを抱いた女性が駆けて来て、3枚の犬の服を私に見せて「此れを着せて上げて」と言うのです。知らない人から物を貰う事は出来ないので断ると、「此の子(チワワ)が煩いので」と、訳の判らないことを話すのです。しかも、ワンダーを「ピー」と呼ぶのです。私は、咄嗟にかつての飼い主で有る事を察しましたが、しかし他にも訳けが有るのかも知れません。そこで、ワンダーが迷い犬で有ることや里親の会で貰い手を捜しても引き取り手が見つからなかったことなどは一切話さずに、その服を頂くことにしました。後日ペットショップで調べると一着が2千円近くするのです。それを3枚も下さるのには何か事情が有るのでしょうが、それ以上の話をしてもワンダ-が可哀想なので有り難く頂く事にしました。多分
ワンダーとチワワの相性が悪く2匹を飼うことが出来ずに年寄りのワンダーが出され、気にしていたその人がワンダーと私を見て良い人に飼われていることが余程嬉しかったのではないかと想像します。そう言えば、その女性の声を聞いた時のワンダーは後足2本で立ち上がりキャンと啼いたのです。恐らく聞き覚えのある声だったのでしょう。そこで、あの日以来、私はその道を歩くことを止めました。ワンダーが昔を思い出すと可哀想なので・・・

 ワンダーは良く躾けられた犬で、去勢手術もされトイレも決めた場所以外で粗相することもない賢い犬ですが、そのワンダーはシーズー犬のオスでその子犬は10万円もすることをペットショップの折り込みチラシで知りました。それにしても、三女の結婚式の一週間前に我が家へさ迷って来た不思議な犬で、ワンダフルなワンダーと此れからもしっかりと付き合って行くことにしたいと思っていますが、ワンダーが今何才なのかが判らないのが唯一残念です。

それでは、次回は梅雨に入る頃に報告したいと思います。


                                          -「近況報告」のトップへ戻る-


3月13日
                   
平成23年の春                                         
 此処甲府盆地では、春先に釜無川から富士川の川すじに沿い強い北風が吹き抜けますが、地元の人は此の風を「八ヶ岳降ろし」と呼び、春の到来の証しとしてその風を心待ちにします。その八ヶ岳降ろしが3月になると吹き始めて少しずつその足音が近付いていることを実感します。しかし、今年の山梨はかなり寒く2月の祭日に甲斐市でも5cmの積雪が有りました。犬のワンダーは、初めは外へ出るのに尻り込みをしましたが、次第に慣れて来て雪道を勢い良く走りましたので「さすがは犬」と褒めるとシッポを振って嬉しそう(?)でしたが、残念なことにその後下半身が冷えて膀胱炎になってしまい腹部を温めました。しかし、山梨も2月末に気温が24℃を記録しましたので此の日はさすがに着ていたコートとマフラーを薄目のジャンバーに着替えましたが、まだまだ寒い日に戻ることも有るのでしょうし、事実3月7日には甲府盆地でもうっすらと雪が舞いました。そうした今年の冬もそろそろ終わりを告げて、山梨にも間もなく梅や桜や桃の花が咲き揃う おだやかな春の季節を迎えようとしています。

3月12日に遠出の用事が有るので今回は早目に近況報告を11日に転送しましたが、何んとその日の午後に国内観測史上最大の地震が東北地方を中心とする太平洋側に発生して日本中が大変なことになっています。特に大規模な津波が各地を襲い海岸沿いが壊滅状態ですので、現地の復興にどれ程の時間が掛るのか当分予測は難しいでしょう。

山梨でも、11日の午後3時前に家がゆっくりとしかしかなり長く揺れましたので最初は地震で有る事が判らなかったのですが、仲々収まらないので下へ降りて行くと妻が畳に座りこんでおろおろしていました。私はいつもの体のふら付きかと思いましたが、揺れが収まった後に照明器具を見るとまだかなり揺れていましたので、やっと本当の地震で有る事が判りました。そこで、テレビをつけると岩手県の三陸海岸から茨城県の鹿島灘に掛けての約500kmに発生した地震で震度7でマグニチュードが8.8(9.0に3月13日修正)の大地震で、今から10mを超える津波が襲って来ると伝えていましたが、間もなくその津波が現実のものとなり 船が陸に上り 横倒しになり 船同士が衝突したりと港が大変な状況になっていることが判りました。しかし、それだけでは無く津波と共に土砂や瓦礫等が民家や車をことごとく呑み込んで跡には何にも残らないまっ更な地面だけの映像や燃料タンクが爆発して黒い煙りが立ち上っている光景をあちこちで見ました。そして、正さしく此れは大地震なのだと納得しましたが、最初は自分の目を疑いました。しかも、東北地方が震源地である今回の地震が山梨迄震度5強の揺れで伝わるとは、確かに今迄にはない未曾有の大地震です。

しかも、福島原発では地震により発電が自動停止したまでは正常でしたが、津波の影響(?)を受けて冷却水系統がダウンし燃料棒の温度が下がらない事態となり、水素ガスにより外壁が吹き飛び微量ながら放射線が検出されたので空と地上から何とか冷却水を補水する作業が続いています。そして、最悪を考慮して発電所近くに住む住民達を避難させるなど地震の影響が原発にも及んでいます。それに、海外から救援隊が大勢現地に集まり救助活動や復興支援に協力下さるようですが、とにかく原発トラブルの解決と人命救助と食糧や生活物資の後方支援が最優先ですので、日本の底力に期待し見通しが着くまで見守りたいと思います。

更に東京電力では今回の地震の影響で発電所の電力供給量が間に合わず、地域毎に停電エリアをグル-プ化して輪番で停電する「計画停電」を3月14日から実施していますが、何にせ需給バランスの中で地域を限定する為に計画停電エリアでも実際には停電しないケースがあります(私の家も3月16日の午後6時20分~10時迄が停電するとの情報でしたが、実際には停電しませんでした)そうした中で、私は以前車で旅行をした時に車に予備バッテリーを積みアイソレーターとインバーターを組み込んで100V電源を作り、冷蔵庫・ノートパソコン・蛍光灯の電気スタンドの電源と携帯電話やシェーバーなどの充電に利用しましたので、今回も車からコードリールで家の中に電源を引き入れて夜間に電気スタンドを点灯する準備をしましたが、3月17日現在 停電は起きていません。(3月18日追記

新日本製鐵と住友金属工業が平成24年10月を目途に経営統合されることが発表されました(2月03日公表)処で、国内製鉄メ-カ-の大手は新日本製鐡JFEスチ-ル神戸製鋼所住友金属工業日新製鋼の5社ですが、その内の1位と4位が来秋経営統合するするとの事で、このニュ-スには驚きました。しかし、H22年度の業績は5社とも赤字決算になる様で、グローバル化の観点からは避けられないのでしょう。しかしそうなると、現在国内2位のJFEスチ-ル(2003年に川崎製鉄と日本鋼管が統合)や神戸製鋼所がどうなるのか、今後の展開が気になります。現在のところでは神戸製鋼所側では合弁はしないとの神鋼幹部が報道陣にコメントしていますが、生き残りを掛けた大きな展開になるでしょう。世界各社の粗鋼生産量は下表の通りですが(2009年)、私が若かった頃の日本の粗鋼生産量は年間1億トンを上回る時代が続きましたが、来年新日鐡と住友金属工業が統合すると2010年対比で辛うじて世界第2位になる様です。しかし、2008年に世界で2位の新日鐡が2009年には6位に後退しており、その間に中国企業が着実に伸びていますので、安閑とはしていられない情勢になっています。
順 位 鉄鋼メーカー 国  名 粗鋼生産量
1 アルセロール・ミタル ルクセンブルク 7320万トン
2 河北鋼鉄集団 中 国 4024万トン
3 (上海)宝鋼集団 3887万トン
4 武漢鋼鉄 3034万トン
5 ポスコ 韓 国 2953万トン
6 新日本製鐵 日 本 2761万トン
7 江蘇沙鋼集団 中 国 2640万トン
8 山東鋼鉄集団 2640万トン
9 JFEスチール 日 本 2630万トン
10 タタ製鉄 イ ン ド 2190万トン
                                 メタル・ブリテン(イギリス)の2009年デ-タ-

  参考迄に JFEスチールのJFEは、日本(apan)+鉄鋼(鉄の元素記号のe)+エンジニアリング(Engneering
         より名付けたそうです

アルジェリアの紛争に端を発し、それが隣国のチュニジアに飛び火して政権が倒れ、更にエジプトにまで紛争が拡大してとうとう民衆のデモに屈する形でムバラク大統領が辞任に追い込まれましたが、今後エジプトがどの様に変わって行くのかが判らない事態となっています。しかも、ヨルダンやイエメンそれにバーレーンやオマーンなども民主化デモが一部で起きていますがリビアでも反政府デモがリビア北部を中心に広がっていますそのリビアは元々実質的な権力を握るカダフィーによる独裁国家で、隣国のエジプトとの不仲な関係が長く続きましたが、そのリビアが首都トリポリの東方約700kmにある第二の都市ベンガジで、一部の軍人が反政府側に離反し民衆と暫定政府樹立を宣言するなど大変な事が起きています。一方、政権側は政府を支持する民衆に武器を与え、空軍機で油田を爆破して反政府側の封じ込めを図るなど徹底抗戦の構えですが、既にカダフィー側にリビアを統治する力はなく、内戦は長期化するものと思います。しかし、こうした中東の情勢が混迷して行く中で原油の相場が更に高くなって行くでしょうし、確かに新興国の経済発展に伴う原油需要の増加などによる値上がりの理由も有るでしょうが、此れからの原油先物価格の高騰は間違いない今の世界情勢です。しかも、それが世界経済に与える影響も懸念されますし、サウジアラビアやクエ-ト等の主要産油国の国内事情も気になるところです。

それに、今迄米国と緊密な関係に有ったエジプトが今後どのように米国との距離を保って行くのか、対米関係の質的転換次第ではアラブ諸国と米国・イスラエルとの関係がかつて長く続いた中東戦争の様になり兼ねない波瀾を含んでいますし、この様にアラブ諸国全体に広がりを見せている騒乱の火付け役が若者達が情報を共有するフェイスブックやツイッター、フリッカーなどの「ソーシャル
メディア」と呼ばれる情報手段により展開されているとの事で、今迄の革命には無い新しい手法や手段がどの様に展開され影響して行くのかも判らない、今の中東を含めた世界の状況です。

昨年末に南アルプス市へ行く用事が有り市内にある道の駅に寄ると、北海道の津別町と南アルプス市が姉妹都市であることを知りました。詳しくは、旧櫛形町とH6年に友好都市を結び、H16年に町村合併で生まれた南アルプス市と姉妹都市を結んだのだそうです。私は平成20年に美幌町の隣町の津別町にある「相生道の駅」に泊まりその駅に併設して鉄道公園が常設されていることを知りましたが、南アルプス市と津別町が姉妹都市であることを知った時は、不思議な縁を感じました。詳細は、「北海道ぶらり旅」の「相生道の駅」に書き込みましたのでご覧下さい。

「地雷除去機」 講演会(1月29日)
 山梨県機械電子工業会主催の「地雷除去に挑む(豊かで平和な大地への復興)」と題する講演会を聴講しました。
講演者は雨宮清氏でアルプス市に工場を持つ山梨日立建機の社長ですが、以前から私も地雷除去機を開発している企業が有ることは知っていましたが、ご本人から直接話を聞くのは初めてでした。雨宮氏は現在63才でカンボジアや最近はアフリカのアンゴラへも出向き、地雷除去機械の取り扱い方や、習熟運転(時には若者達を日本に呼んで教育をする)更に、メンテナンスの指導などを現地へ出向き教えている人で仲々の活動家でした。世界中には1億数千万以上もの対人地雷や戦車地雷が有り、カンボジアには600万もの地雷が埋められている中でまだ30万個の処理が済んでいる程度とのことです。何故地雷が仕掛けられるのかについては、まず地雷は安価(対人地雷の場合、1個が80円程度)でその地雷で多くの人達(特に子供達)が死んで行ったり大怪我をすることでその地域がかなりの財力を使い過ぎ、国としての復興を遅らせる事が狙いの場合が多いそうです。そうして一部の民族の企てにより何も悪くない特に子供達が地雷の怖さを知らずに地雷原の中に入り込み被害に遭っているそうです。そこで、1995年に日立建機製のパワーショベルの先端に地雷除去装置を組み込み強度や耐久性を試行錯誤しながら改良し2000年に1号機を完成させ現在迄に8ヶ国に75台の地雷除去機を納入したとのこと。そして地雷を取り除いた後に土地を開墾しそこを畑にしたり地雷原の大木を取り除く機械としても活用されており、NGOに協力して学校を造ったりと幅広い活動をしている人でした。しかし、現地の子供達は貧困の中でも極めて力強く逞しく育っていること。そうした機会を仕事を通してまざまざと見ることが出来た事が何より有り難いと話していましたが、山梨出身の雨宮氏が世界に向けて平和を呼び掛けている活動に感銘しました。処で、彼の座右の銘は「技術者はモノづくりの挑戦者であり、技術の根源はモノつくりと人つくりにある」と話していましたが、私もかつては機械技術者としてクレーンなどの開発と後継者つくりに奔走した事を思い出し、実に同感の思いでした。

九州の宮崎県と鹿児島県の境に連なる霧島連山にある「新燃岳」の噴火が一向に収まりません。
霧島連山には韓国岳(からくにだけ)や高千穂峰が有ることは知っていますが、今回の噴火が発生するまで新燃岳を知りませんでした。しかし、大量の火山灰が降り、高く舞い上がった噴石で車のガラスや温水器などに穴があく等大変な被害になっています。それに、多量に積もった火山灰が雨水とともに土石流となり麓を襲うと言う最悪の事態が予想されています。私も、かつて長期間に渡り噴火し続けた島原の普賢岳の事を良く覚えていますし、H18年の九州旅行の時に島原へ寄り復興を記念して造られた「がまだすドーム」でその悲惨さを目にしましたが、近くの道の駅に土石流で完全に埋まってしまった日本家屋を永久保存する為に家を丸ごと更に大きな建物で囲っている光景も見ていますが
あの時の驚きは今もハッキリと脳裏に残っています。詳細は、雲仙普賢岳でご覧下さい。

韓国の口蹄疫の続報など
韓国では270万頭の牛や豚を殺処分した事を前回報告しましたが、その後韓国南部にも広がり、3月03日現在此れ迄に342万頭を殺処分にしているとのことです。しかも、韓国の場合は牛では無く豚の感染がひどく、韓国全土にいる豚の内の34%に当たる326万頭が殺処分されているとのこと。一方、日本でも石川県で放牧されている牛に口蹄疫の疑いが有るとの報道で一時は心配しましたが、以後の検体検査で全てが陰性であることが判明し(2月12日発表)まずはやれやれです。それに、鳥インフルエンザ関連では、福島市で野鳥(コハクチョウ)が鳥インフルエンザで死亡している事が2月15日に確認されています。しかも、今度は和歌山県と三重県など近畿圏でも鶏が鳥インフルエンザに罹り、宮崎県では高病原性鳥インフルエンザが陽性の鶏が見つかり、94万羽の鶏を殺処分(2月28日)したそうですから、現状での全国規模の発表は有りませんが、恐らく数倍の鶏が処分されているのかも知れません。感染病の恐ろしさを思い知らされます。それにしても、宮崎県は昨年の口蹄疫問題、そして鳥インフルエンザによる県内100万羽に及ぶ鶏の殺処分、それに今度は新燃岳からの噴火灰による農作物や家畜の牧草等に大きな被害が出ていますが、畜産農家の度重なるその都度の対応は何とも気の毒でなりません。

ジャンボの名前で親しまれたB747ジェット旅客機が日本航空で1970年(昭和45年)に就航してから41年が経つ今年2月で国内線、そして3月に国際線が退役することになりました。一方、ANAでも国際線が3月で退役、国内線は2015年までに徐々に退役させるそうです。そのジャンボ機B747は1969年にボーイング社が初飛行し、2005年にエアバス社のA380が初飛行する迄の36年間は世界最大の旅客数(B747
400でMAX550蓆)を誇ったのですが大量輸送時代が終わると効率の悪いジャンボ機は退役し中型機が主力となる時代へと変わって行きました。ですから現在就航中のエアバスA380(座席数はMAX840蓆)もやがては同じ運命を辿るのでしょう。

 処で、私は1980年(昭和55年)にジャンボのエンジンをメンテナンスするシステムクレーンの基本設計を手掛けて、全日空の羽田整備工場に納めた想い出が有りますので、あのクレーンも役目を終えるのかと思うと少々残念です。
それは出張で羽田へ向かうモノレールからそのクレーンがガラス越しに見えるので
秘かに1人で楽しんでおりました
又、1980年当時のジャンボのエンジン(ロールスロイス製)1基は6トンありその価格が約6億円と聞いていましたので
1トン当たり1億円するのだと感心したことも良く覚えています。

宇宙飛行士の若田光一さんが、2013年末にロシアの宇宙船ソユーズで4度目のISS(国際宇宙ステーション))へ向かうことが決定し、しかも長期滞在(半年間)の後半の2ヶ月間は船長(コマンダー)となることが2月17日にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から発表されました。JAXAは「ハヤブサ」や「みちびき」の成功の反面、「あかつき」が金星への周回軌道に失敗するなど明暗相半ばでしたが、今回の若田船長の話題は久々の明るいニュースでした。

奇しくも、今年(2011年)は1961年(昭和36年)の
今から50年前に旧ソビエト連邦のガガーリンによる人類初めての宇宙飛行を成功させた記念すべき年です。しかし、この話題は現在殆ど報道されていませんが、宇宙への初挑戦が既に半世紀前で有ることを、彼が帰還後に語った「地球は青かった」の言葉と共に良く覚えて置きたいと思います。
処で、若田さんが船長に選ばれた経緯は、3回の此れ迄の宇宙飛行士としての素晴らしい業績と彼の持ち前の人柄の良さが高く評価されたそうで、日本で当然初めての船長ですが欧米出身以外では最初の船長なのだそうです。

スペースシャトルのディスカバリーが39回目の最終飛行を終えて3月10日に無事帰還しました。1984年に初飛行してから27年間、その中では1986年にチャレンジャーが爆発事故を起こし、2003年にコロンビアが空中分解すると言うアクシデントが有りましたが、最も多い飛行回数のディスカバリーは無事に大役を果たしました。そして今年中に現在現役のエンデバーとアトランティスが最終飛行を終えると30年間続いたシャトル計画が終わります。来年からは当分の間ロシアのソユーズが使われるのですが、アメリカの今後の計画発表が待たれます。

ニュージーランド南部のクライストチャーチで2月22日に大地震が発生し、外国語を研修中の日本人28名が現在も
行方不明ですが、発生から2週間以上が経つので7名の死亡が確認されていますが、残る人達の生存は残念ですが
絶望的でしょう。。日本でも、中越地震や中越沖地震そして16年前に阪神淡路大震災などが記憶に新しいところです
しかしニュージーランドが火山国で有る事は知っていましたが
大きな地震が此れ迄に有った事は知りませんでした。
そのニュージーランドは日本と同様に海底のプレートがせり上がり地震が起きるそうで
日本の耐震設計を取り入れた
建築物がかなりあるとの事です。処で、3月9日に三陸沖でニュージーランドの地震規模を上回るM7.3の地震が有りましたが、更に翌日にもその余震とみられる地震が有り此の処、怖い地震が続いています。
しかしそれにしては、語学学校「キングス・エデュケーション」の入るビル(6階建)の下層階が押し潰されているのは、直下型地震か周期の短い地震波の影響を受けたか、構造自体の設計に問題が有ったか等が考えられますが、昨年9月の地震の影響や隣のビルの解体作業でかなりのダメージを受けたとの報道も有りますので、いずれにしても今後の原因解明を待つことになるでしょう。

次回の近況報告では、明治時代に活躍した実業家の「古河市兵衛」と「渋沢栄一」に付いて現在調べていますので、お二人を中心にご報告したいと思っています。

生涯学習講座(H22年度の残り2講座)
 山梨大学主催の講座の最終回が3月19日に有りますので、取り敢えず今回は2月分をお知らせして3月分は用意が出来次第載せたいと思いましたが、大学より連絡が有り計画停電の関係でこの講座は中止となりました。
講 座 名 概      要
1 食 と 免 疫 免疫、常在菌、リンパ球、抗体、アレルギーなど
2 私達の生活と食育 地震による計画停電の関係で本講座は中止になりました

おわりに


 孫が通う保育園の「生活発表会」が有りましたので、双方の祖父母と両親を含めた全員で見に行きました。それは、一年間にどれだけ成長したか保護者に見て貰う発表会なのですが、園児のこの一年の成長ぶりに感心しました。特に年長さんの上の孫は今年が最後なので、数日前に引いた風邪がインフルエンザでは無いことが判り前日は保育園を休み体調を整えてから参加しましたが、いつもの元気さが少し有りませんでしたがでも、しっかり太鼓を敲き寸劇でははっきりと話せました。下の孫も昨年は恥ずかしくてあまり上手に出来ませんでしたが、今年はリズムに合わせて体を大きく動かせながら上手に踊ることが出来ました。処で、保育園には0才児から6才児までの子供達がいるのですが、発表会では3才児~6才児までの子供達が参加しましたが、一年ずつ育って行く子供達の成長の早い事に驚きます。同じ年の子供達の中には大勢の人にビックリして泣き出す子やボーっと立っている子供など、性格を含めてその成長振りは様々です。しかし、こうした子供達が同じクラスに35人以上いるそうなので、保育園の経営の大変さが良く判る発表会でした。

NHKのクローズアップ現代の番組で、夜間中学の存続が現在危機状態にある事を放送していました(2月15日)番組では、家が貧しくて学校へ行けなかったシニアの女性が楽しそうに殆ど知らなかった漢字を勉強している様子や不登校で殆ど学校へ行っていないのに卒業証書だけは貰ったけれど学力が伴っていない子供が、今になって高校へ行きたいと夜勉強している様子も放送していましたが実に良く理解出来ました。しかし、今でも経済的な理由で学校へ行けない子供達がいる中で、財政的な理由で夜間中学が立ち行かなくなる現実が有るそうのですが、しかしそうした中でボランティアで教師を続ける素晴らしい先生方を拝見しました。そして、その先生を慕って登校する子供達の向上(向学)心の豊さはには頭が下がります。私も家の事情で昼間働き夜勉強した20代前半の苦しかった生活が有ったからこそ今の自分が有ることを思い、若い頃に勉強をすることの大切さが大変良く伝わって来ました。

中国から2頭のパンダが2月21日に上野動物園に送られて来ました。かつて日中友好の懸け橋としてカンカンとランランが上野に来たのが1972年(昭和47年)だそうですから39年ぶりになりますが、そう言えば私の娘が小さな頃にパンダを見せに連れて行ったことを覚えています。今回も、中国との互恵関係を深める上でもパンダが懸け橋となってくれることを期待しましょう。

北陸と大阪間を結んでいた北陸本線の特急「雷鳥」が3月12日のダイヤ改正で姿を消しました。北陸へ出張し大阪へ移動する際に何度も利用しましたので「雷鳥」が無くなることに寂しさを感じていますが、何と雷鳥の名前は無くなっても「サンダ-バ-ド」としてこれからも存続するとの事で、しかも既に14年前からサンダ-バ-ドの列車名で大阪~富山間を走っていたそうですが、最近は一日一往復に減った「雷鳥」の列車名が全て「サンダ-バ-ド」一本に統一されることになったそうです。そこで、Thunder(雷)Bird(鳥)から雷鳥をサンダーバードと言うものと思っていましたが、雷鳥の英語名を調べると、正しくはPtarmiganでThunder Birdは和製英語で有ることが判りました。何とも日本人らしい、高山に棲み四季により羽根の色が変わる雷鳥に親しみを感じる発想のネ-ミングですが、私は「サンダーバード」より「雷鳥」の方が残って欲しかったと思います。

19才の浪人生が大学の入学試験場から試験問題の解答を携帯電話で依頼してチャッカリ正解を得ていた事が報道されていますが、世の中此処までおかしくなってしまったのかと思うと「何が真実で何が正直なのか」が判らない人間性の根幹に関わる不愉快な事件と言わざるを得ません。本人はまさか自分がやっている事がバレるはずはないと思い、軽い気持ちでやってしまったのかも知れませんが、多くの受験生を裏切っただけではなく、こうした情報機器を使ってまで受験戦争に勝ち残りたいと思うその考えの浅はかさと甘さに呆れます。

 3月5日現在では「ヤフー知恵袋」と言う質問サイトに試験問題を投稿し回答を得たと本人は言っているようですが、私も言葉の意味が判らない時に検索するとそのサイトで教えてくれる事を経験しています。しかし、本人1人でやれることかどうかは今後の調べを待ちたいと思いますが、いずれにしても質問サイトと言う手段が有ることを大学側が想定していないことは事実であり、世の中が最近の情報技術の進化と裏側にあるその実態を把握していない時代のズレがこの事件を生んでいると思いますので、大学側も「偽計業務妨害」で告訴では無く例えば、本来やってはいけない事をやってしまった事に対して本人に「厳重注意」をした上で、たとえ結果が合格で有っても合格を取り消してこの件に決着を付けると共に、今後の試験の有り様と監督の在り方を学校側が改めて考え直すことが良い方法で有ると思いますし入学試験の実施要領を改める良い機会ではないかと思います。

そして、最近の報道では就職活動中に乗り合わせたバスの運転を妨害してバスを横転させたり、バスジャックをしたり熊本の大学生が3才の女児をトイレで殺害し川に遺棄すると言う極めて残虐な事件を報じていますが、私はその事を大人達はただ非難するだけではなく、こうした反社会的行為を社会全体で考えて行かなければならないと思います。それは、一見豊かに見える今の社会も一方では心が疲れ傷つき神経が疲弊して行く光と影の現実の中で、しかも打たれ弱く我慢する事が出来ずに精神が極めて脆弱な今の若者の多くが今後どの様に現実と向き合い生きて行けば良いのか(?) その解決への道のりは遠くに有るとしても、私達もそれを他人事としてではなく自分自身に置き換えてもう一度自分を考えて見ることが1人1人に求められるそのような今の世の中であると私は思います。そして、こうした若者を作り出している要因の中に、無責任な多くの大人達がいることをもっと我々は考えるべきです。

3月の初めに甲斐市が主催する落語二人会(柳家花緑と柳家喬太郎)のチッケットが手に入りましたので、妻と二人で聞きに行きました。会場は500人収容のホールですが、ほぼ満席で大変楽しく聞きました。柳家花緑は人間国宝の柳家小さんの孫ですが、「さすがは噺家!」と思えるほど二人とも大変な熱演でした。

私の家から一番手前に見える茅ヶ岳が3月7日に降った雪で山肌が白く見えていますが、その茅ヶ岳は「日本百名山」の作者で登山家の深田久弥が此の山を登山中に脳卒中で急死したことを、以前加賀市を訪れた時に知りました。それ迄彼が加賀市の大聖寺出身で有る事を知らなかった私は、大聖寺民俗資料館の学芸員の女性から詳しく教えて貰った事を良く覚えています。しかし、山梨へ来て27年が経ちますが標高1700mの茅ヶ岳をまだ一度も登ったことが有りません。それは、2年前に山登りをしようと計画を立てましたが、たとえ標高の低い山でも転落したり道に迷うこと等の事故がその年に報道されていましたので
単独登山を諦める事にしました。今は家の周囲から見える甲斐駒ケ岳や鳳凰三山などを眺めて楽しんでいます。そして、次回八回目のリニューアルの表紙に使う予定の甲斐駒ケ岳の画像を先日撮りに行って来ましたので、10月のホームページの改訂を楽しみにしていて下さい。

ワンダー通信
犬のワンダーは午前と午後に毎日約1.5kmを元気良く歩いていますが、顔が痒いと見えて床に顔を刷り付ける仕草が時々ありますので病院で診て貰うと、上まぶたにシコリが出来ていて鬱陶しいことが判りましたので、先日切除の手術をしました。抜糸は来週になりますが、治ればこれで顔がすっきりすることでしょう。それでは、次回は5月連休前頃に報告したいと思います。


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1.

01月27日
                    
平成23年を迎えて
                                                          
 今年も一ヶ月が過ぎようとしていますが遅ればせながら、新年お目出とうございます。今年も宜しくお願い致します。
さて、1月は元旦早々次女の嫁ぎ先の御両親とお兄さんのご家族が新しい娘達の家をお祝いしに来山し、私達と長女も新居に出掛けてご挨拶をしました。2日は私の家で家族全員が集まり新年を祝いました。3日はかつて私が勤めた会社の後輩がお祝いに来てくれましたので、次女達も呼びお祝いをしました。そして4日は武田神社に初詣に出掛けましたが、鳥モツ煮がB-1グランプリをとった関係か(?)縁起が良いと会社関係の人達が大勢参拝に来ていました。
しかし、1月はお酒やおせち料理を気を付けながらもかなり頂きましたので、2月のA1cの結果が恐ろしく思います。

柳田邦男さんの講演会
 昨年の12月5日に敷島総合文化ホールへ出掛けて「いのちを支える言葉」と題する講演を聞きました。以前、立松和平さんの講演を聞いた事が有りますが、久し振りの講演で仲々良いお話でした。柳田さんは多くの災害事故や航空機問題の取材を通していくつもの「いのちの重さ」に関わって来た体験を通して、最近では絵本の翻訳を手掛けていて「今、おとなこそが絵本を」をテ-マに活動をしていることをパワーポイントにまとめて紹介しながら話してくれましたが、その真髄は「心を耕し、ゆとりと潤いのある生き方」が現代社会の中に根付いていないのではないか、少なくとも足りていないと言う提言でした。更に、いのちを粗末にする風潮が世の中に溢れている事が問題で、もっと自分を大事にしてそして周りの人々との関わりの中で相手を大切にする、その為には「心を耕し、ゆとりと潤いのある生き方」が大切である事を幾度も話していました。

確か数年前に息子さんを自殺→脳死で亡くしていると思いますが、そうした辛い経験の中で自分の話を聞いてくれる人の元へ体が続く限り出掛けて行きたいとも話していました。最近テレビ等の番組で柳田さんを見掛けないと思ったらこうした講演活動をしていたとのこと。現在彼は74才だそうですが「いのちを支える言葉」を大切にすることは誰しもが重く受け止めねばならない、そして現代社会が抱える重大な問題であることを柳田さんは訴えていたのです。此のような活動のほかにも終末医療や脳死そして医療事故などに付いても発言し、絵本の紹介や児童文学にも心を注いでいる幅の広い人で有ることも判りました。

菅原廣一先生のこと
 三女が結婚したことを機会に、娘がお世話になった先生方の消息を調べて見ました。その中で、菅原先生には親子共々大変お世話になりましたが、先生は神奈川県の横須賀に在る「国立特殊教育総合研究所」で永く言葉に障害を持つ子供達への教育に尽力された先生で私の娘も藤沢のセンターで大変お世話になりました。先生は退官後ご子息の住む北海道に転居されて、羊蹄山の麓に「望羊亭」と言う山荘を造られて其処を拠点に全国を講演されていることを承知していましたが、今回ネットで調べると平成19年10月に急逝されていた事が分かりました。その先生の想い出は、今でもハッキリと覚えているのですが「お父さん、人間は誰しも何処かに欠陥を持っているものです。それが表面に表れているかいないかだけで、内面に欠陥を持つ人も大勢います。ですから、娘さんの聴覚が悪いことを気にする必要はなく残されている能力を少しでも良い方向に引き出して上げる それが親の役目です。どうか頑張って下さい」と話して下さいましたが、この言葉にどれ程勇気付けられた事でしょう。12月に柳田邦男氏の講演で「言葉の持つ重さ」を学習しましたが、先生の一言が今の娘の成長にどれ程深く関わって来ている事かを思い、先生への感謝の気持ちで一杯です。そして、娘が小学校に入学する前に藤沢へ出向くと、先生の奥様手作りの革製のポシェットをプレゼントして下さいました。

又、山梨に住んで12年が経つ頃に私の会社の取引先の「ヤマタケ」と言う会社が「あいちゃんの手」と言う聴覚障害児が目で見て言葉を学習するシステムを開発した事を知り、その記事に先生が顔写真と共にコメントされていましたので先生の研究所へメールを入れると「高橋さんの皆さんのことは良く覚えていますよ」と早速返信を下さいました。「立派に育ちましたね」と、中学生になった娘の顔写真入りの暑中見舞を見て大変喜んで下さいました。その先生が、「腹部動脈瘤破裂」で急逝されていることが判り奥様に一言お礼をお伝えしようとネットで倶知安町に問い合わせると、個人情報なので知らせる事は出来ないけれど、電話帳に同姓同名の方がおられるのでその電話番号と住所を教えてくれました。そこで、早速電話をすると奥様が出られて先生と私の事を伝えることが出来ました。そして奥様への手紙に娘の花嫁姿の写真と頂いたポシェットの写真も添えて先生に是非見て頂ける様にと、お願いをしました。

あのにこやかで優しい先生は退官後も名誉所員として活躍されましたが3年前に亡くなっていた事が残念でなりません。私は平成20年に北海道へ行き羊蹄山の麓の京極に泊まり倶知安町を通って小樽へ行きましたが、先生がその前年に亡くなられていた事を知っていれば何とか探してお線香を上げたかったのですが果たせなくて残念に思っております
先生のご冥福をお祈りします。

私の最近の体調と今年の計画について
昨年もウォーキングの時に体がふら付く事を報告しましたが、ウォーキングの時だけではなく家の中を歩く時もフラッと体がよろける事が有りますので、今年は真剣に体力アップを計らないと思わぬ怪我等に遭ってしまうかも知れません。そうした事も有り今年は生涯学習講座をどちらか(山梨大と山梨学院)一つにして山梨や近県に在る名所や旧跡等を訪ねて体力を高める活動をしたいと思っていますが、生涯学習の取り組みは来年度の講座内容が発表されていないので其れを確認してから考えようと思っています。特に山梨学院の講座が夜間に有る関係で帰りが9時半過ぎになり夜間の運転は危ないので、講義内容によっては止めようと思っています。菅原先生が71才で亡くなっている事も私にとっては大変なショックですし、自分の体のケアにも気を付けることが大切なのだろうと思います。

1月17日は今から16年前に神戸を中心とする阪神・淡路大震災が起きた日ですが、早朝で有った為に最初は何が起きているのか日本中が良く判らなかった大地震でした。そして、私も出勤前にかなり大規模な地震で有ることは判りましたが、出勤後に大変な事態になっている事を実感しました。そこで、その日の内に私達がすでに納めた自動倉庫システムの被害状況を調査し復旧処置の検討を始めましたが、かつて仙台で起きた大地震で建物が倒壊しその影響で棚の一部が変形するなどの被害を経験しましたので大変心配しましたが、幸いにして神戸の場合は倒壊等の大きな被害の報告はなく、一部の装置の修復に奔走したことを良く覚えています。しかし、6500人に近い犠牲者が出たり商店街が丸焼けになったり古い民家を中心に火災が集中し多くの被災者を助けることが出来ない最悪の事態となり、
何と言っても高速道路が完全に横倒しになっているのを見て、地震のエネルギーのものすごさを知りました。そして、平成18年に行った九州旅行の最後に淡路島に泊まりましたが、此の辺りが震源地で有ることを思い周囲を見ると、既に震災後11年が経ちすっかり復旧していました。いづれにしても、今後起きるであろう東海沖地震対策をこれから始めたいと考えています。

江戸時代に甲府に有った道祖神幕絵を県立博物館へ出向き見学しました
 昨年の山梨学院大の生涯学習講座で、江戸の浮世絵師達が道祖神幕を描きに甲府を訪れた事を学習しましたが
2百枚以上有るはずの道祖神幕が今は3枚しか残っていないとの事で、その内の2枚が県立博物館に有る事を知り、観に行きました。その一枚は初代歌川広重の作で、東都名物「目黒不動之瀧」と題する広重直筆の幕で、幅が1.6m(上下に5段縫い合わせ)で長さが10mの麻で作られている幕ですが、途中に縫い目のない部分が有り「物見の穴」と呼び、そこから外を見る事が出来る様に工夫がされていて、其れは戦の陣地に張られた陣幕と同じなのだそうです。
もう一枚は、2代目歌川広重の「洲崎潮干狩」と題する幕で、初代制作の幕が破損したので初代広重の作品を2代目が補って描いたものだそうです。確かに、初代広重の幕は天保13年(1842年)制作ですが、2代広重の幕絵は元治元年(1864年)でした。しかし2枚の幕は大きさもその内容も素晴らしい作品で見応えが有りました。又、甲府の他に山形県酒田市にも道祖神幕が有り酒田の方が甲府より古いそうです。

道祖神祭の由来は、江戸の天保時代に疫病が流行り、飢饉による米の高騰などから商店を襲い物を略奪するなどの「天保騒動」が起こりそれを鎮めようと幕で商店を飾り賑やかくした祭だそうで、そもそも「道祖神」は村の外れや街道の要所にその地域に悪霊が入り込まない様に丸い石や石像等を立てて祀ったもので、私の住む旧敷島町にも道祖神と書かれた石の上に丸い石が置かれた道祖神が有りウォーキングの時にその傍を通っていますが、旧正月に正月の門松や飾り物を焼いてその年の豊作と無病息災を願う「ドンド焼き:山梨ではドンドン焼き」と同じ祭りなのだそうです。

そこで、私は15日に甲府に出掛けて当時の道祖神祭の「通り」を歩くイベントに参加しましたが、今迄に何度も通っている柳町通り(甲府市川大門線)が道祖神幕を飾り付けて江戸時代に大変賑やかだった通りで有ることを知りました。しかも、かつて私が通院した病院が在った若松町(旧・緑町)の隣に位置する西一条町には江戸の後期に「亀屋座」と言う芝居小屋が在ったそうで、市川団十郎達が此処で芝居をした場所で有ることや、甲府道祖神祭りが江戸では大変評判の良い祭で有ったことなどを知りました。しかし、余りに華美過ぎて明治政府から明治5年の旧暦から新暦に移行した年に禁止されたそうで、道祖神幕絵はその後かなり処分されたとのことですが、しかし其の価値を現在の価格に置き換えると骨董としての希少価値を含めて一枚が1億円以上はするそうです。いずれにしても、耳新しい話が沢山聞けて甲府を見直しました。

韓国の口蹄疫感染再発
 2010年1月に韓国で発生した口蹄疫が6月に終息しましたが11月に再発生し、1月26日現在で272万頭が処分されるとのこと。宮崎では昨年3月頃に発生し終息宣言までに約5ヶ月が掛りましたがその間に29万頭以上が殺処分されていますので、韓国は現時点で既に日本の9倍を超える大規模な口蹄疫の発生となるようです。それは、日本の場合は宮崎県に集中して発生しましたが韓国の場合は全国に広がっているために処分数が極めて多いとの事です〔偶蹄目の動物(国内)の19%に当たる〕しかも、感染の範囲はまだ見通しがつかない状況のようですので、韓国内の此れからが大変心配ですが、どうも情報が少ないのですが北朝鮮でも発生しているようですので、日本も対岸の火事と見るのではなく国内に再び口蹄疫の感染が再発しないことを願うと共に、その対策を国として取り上げ万全を期して欲しいと思います。

韓国の口蹄疫問題を調べていると、日本でも「鳥インフルエンザ」による鶏の大量死が島根県・宮崎県・鹿児島県・愛知県で発生しているニュースが大きく報じられています。特に鹿児島の出水市はツルの越冬で知られていますが、そのナベツルが鳥インフルエンザに罹りそれが原因してか養鶏場の鶏が多数死んでいる様ですので、野鳥が感染源であるとすると此の先の見通しが立たず大変な問題になりかねません。韓国では鳥インフルエンザで500万羽以上の鶏を処分しているようですし、北海道でも野鳥が死んでいるようですので暫く対応を見守るしかないのでしょうか。

HTV-2(H-II Transfer Vehicle:「こうのとり」)がH2Bロケットで1月22日に打ち上げに成功しました。「こうのとり」は、直径が約4.4mで長さが約10mの円筒形で荷物を含めた総重量が16トンなのだそうですが、それをH2Aロッケットのメインエンジンを2個並べて推力を高めたH2Bロケットで打ち上げたそうです。それにしても、毎年1機ずつ2015年までに全部で7機打ち上げるようで一機が150億円掛るそうですが、国際約束で分担が決まっているISS(国際宇宙ステーション)への補給義務を果たす為にJAXAが開発したのだそうです。しかし、スペースシャトルが年内で退役すると「こうのとり」が唯一大型機器等を運べる手段となるので世界中から注目され期待されているのだそうで今回も成功して良かったと思います。

追記:1月28日の未明に「こうのとり」は国際宇宙船(ISS)に無事結合出来たとの発表が有りました。しかし、来月以降に他国が打ち上げISSに到着する予定が(スペースシャトルを含めて)重なる為に接触事故などの
不測の事態を回避する必要から、当初「こうのとり」はISSにひと月留まる予定が2ヶ月になる様ですが、しかし
燃料などは問題ないとのことでした。尚、「こうのとり」が一回に運ぶ荷物の重量は約5トンだそうです。

アフリカ北部のアルジェリアでは食料品高騰等が原因で暴動が起こり治安が最悪状態だそうです。そうした中で、
日本の建設会社5社(JV)による現地の高速道路工事も住民の襲撃で頓挫しており極めて深刻な事態です。又、隣国のチュニジアでは失業率が高い中で暴動が起こり、大統領がサウジアラビアへ脱出し長期政権が崩壊すると言う最悪な状態が報道されています。(ジャスミン革命と呼ぶようです)そしてチュニジアに触発されて、エジプトでも長期政権下(29年間)の中で言論を弾圧しアメリカと手を組んでイスラエルを承認するなどを続けて来たムバラク大統領に対する国民の不満が爆発し大規模なデモが続いており、今後どうなるのか予断を許さない状況に有ります。いずれにしても、
アフリカ北部の地中海沿岸の国々が大混乱しているのには、アラブの此れ迄の歴史と深い繋がりが有るのでしょう。

一方、最近 モスクワ近郊の国際空港で自爆テロが起こり、30数人が死亡するなどロシアも今もって民族対立に揺れ動いていますが、何か世界中が混乱状態に有り目が離せません。

12月後半の生涯学習講座の報告
講 座 名 概      要
1 古代甲斐国の庶民の姿 山梨の馬との関係、農民の税、甲斐国の生業と負担など
2 ワインの成分(ポリフェノールと健康) 赤ワインとポリフェノールのレスベラトロールの有効性など

おわりに

 昨年の娘の結婚式の前の週に我が家に迷い込んだシーズー犬のオスを保護して結婚式直前にボランティアの方に相談すると里親会が有るからそこで里親を探す事になりました。しかし、余りにモップの様に毛が伸びていましたので、犬の美容室で毛を刈り込んで貰うとマア見られるようになりましたので、年内は2回今年は1回毎週日曜日に ホームセンターで開かれる里親会に連れて行きましたが、残念ながら引き取り手はなくそのまま預かって年を越しました。
しかし、此の寒さでは可哀相なので夜は家の中に入れてやりましたが、猫とウサギが室内を歩き回ると自分も檻の外へ出せと盛んに吠えるので、きつく叱ると翌日は落ち込んで餌も水も飲まず元気が無くなりました。そこで、飼ってやることに決めてボランティアの方に連絡すると大層喜んでくれました。しかし、オリの中で騒ぐので止むを得ずガードから出すと、何と私が座る食卓の長椅子の私の隣に来て大人しく座り、タオルケットを掛けてやると朝まで寝るのです。
その間は鳴き声も出さず朝の9時過ぎ迄寝ている事も有りますが、5時過ぎに起きた時はチャッカリお母さんの布団の足元に来るようになりました。さすがに、其れはまずいので(猫が妻の枕元で寝ています)再び椅子に戻しタオルケットを掛けると再び寝ています。つまり、猫やウサギと同列に扱って欲しいと犬ながら懸命に訴えているのだと思います。
それに、私が散歩に連れ出すと往復1km以上を休まず元気良く歩くのですが、お母さんはその点すぐ戻ってしまうのでどうも私になついているようです。そこで、16日の日曜日にお借りしていたゲージや毛布等を返しにホームセンターへ出掛けると里親会の方達は大変喜んでくれましたが、当日も沢山の犬や猫が持ち込まれていてご苦労の程が良く判ります。しかし里親会の人達は嫌がりもせず受け入れていました。この様な慈善活動により動物の命が守られている事を今回知る良い機会になりました。

さて、犬の名前ですが「ワンダー」と名付けました。それは、孫がオチンチンが付いているから「ワン太」にしたらと言いましたが、もう少しかっこ良く(孫の考えも尊重し)「ワンダー」にしました。それは、英語でWonderは不思議や驚くべきの意味で、ワンダーが一杯のWonderfulは「素晴らしい」の意味であり
一方独語のWander vögel(ヴァンデル フォーゲル)には「さ迷う(渡り)鳥」の意味で日本ではワンダーフォーゲルと言い高校や大学のサークル活動で野山を歩く部活動をワンダーフォーゲル部と言いますし本来は健康的な徒歩旅行のことですので、そこで不思議な犬でぶらぶらとさ迷って来た幸運な犬で孫が名付けた「ワン太」にも似ていますので「ワンダー」にしました。

半年前の猛暑がウソの様に、正月から特に東北や北陸の積雪がすごい事になっています。私も行った青森の酸ヶ湯温泉の積雪は3mを超えているそうですが、日本は四季が有り世界に誇れる国ですがその地域に住む人達にとっては過酷な生活であり気の毒です。山梨も朝の気温が-6℃ですが、雪は今のところは降らずまだまだ仕合せです。

私のこのホームページが1月7日で18,000件のアクセス数に達しました。最近は見て下さる方が増えて、最初の頃は年間2,000件程度でしたが、現在は年間5,000件に迫る勢いです。そこで、皆さんに興味を持って見て頂くには、一層精進してホットな話題を捜して報告しなければなりませんが、体がふら付くので旅行は暫くやらない方が良さそうですし、又々犬を飼う事になりましたので旅行が益々遠のきます。しかし、此れからは体に注意してあまり無理をしない様にしなければなりません。又、今年の年賀状の返事を頂けていない方が数人いますがもしかすると病気で年賀状が書けないのかも知れませんし、私とていずれは同じ様になることを思うと何か寂しい気もします。精々、体力を付けて生き生きとした人生を過ごしたいと思っています。

ワンダー(シーズー犬の名前)の追伸
益々私になついて早く散歩に連れ出せと、私が動き出すまでワンワン吠え続けます。そして、ドアを開けると私の歩く先をピョンピョン飛び跳ねながら小走りに歩くのです。しかし、本来は座敷犬なので何故こんなにも歩くのが好きなのか判りませんが、とにかく午前と午後に多い時は2回~3回歩きます。それが私の歩数で2500歩の日も有りますので、犬にして見ると1万数千歩にもなるのですが、歩くのに疲れると草むらや道の隅の臭いを嗅いでは立ち止まるので、犬なりに疲れを調整しているのかも知れません。其の様な時は犬が満足する迄待ってやりますが、そうした私と犬との関わりがワンダーは気に入っているのかも知れません。


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