生涯学習講座記録(H23年度)        
    
     お断り:この記録は、当日のメモと配布資料及びインタ-ネットによる調査等を基にまとめていますが、メモの記述の間違い
          や調査不足等により不正確又は間違いを含んでいる可能性があります。そこで関係各位にご迷惑とならない様に
          注意してまとめた積りですが、記述に不都合がある場合はお許しください。
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妻が階段から落ちて首の骨を脱臼する大怪我をして入院しました。そこで、山梨学院大学の講座が夜間にあり帰宅が遅くなるため
後半の講座の出席を取り止めました

平成23年度 山梨大学(読売新聞社) 生涯学習講座一覧表
健やかなからだを育む 日本の子どもの現状、体力低下、運動能力を高める今後の課題
子どもの「育ち」を追跡する 疫学研究と、その意味と意義、コホート研究と山梨、エコチル調査、
自然の中で生きる力 最近の子ども達、ピグミー族と現代人の違い、健康を保つにはなど
燃料電池の描く未来 日本のエネルギー事情と政策、燃料電池の開発の現状と課題
小児科医の使命 小児科医の存在価値、小児科の領域、小児医療の問題点と使命
6  音楽とは「音を楽しむ」ことか  音楽芸術家を育てるのではなく子供が自身の声で音を楽しむこと
7  ブドウ・質量分析法・ガン診断   ブドウと健康、質量分析法、ガン診断
8  農林水産物の山梨ブランド   ブランドとは、地域ブランドと認証制度、梨大による農学系新学部構想
9  大人による子供の友達づくり  人と関わること、、共に学ぶパートナー、子供達との関わりから学ぶ社会性
 10 景観形成と地域活性  我が国の危機的状況 我国の暮らしの場の状況 景観とは何か 今後の問題

平成23年度 山梨学院大学 生涯学習講座一覧表
富士山は誰のものか 富士山について、富士山の所有をめぐる係争
体験的ポールラッシュ伝 ポールラッシュの紹介、彼の精神と人となり、など
生きている火山、富士山 火山の分類と噴火形式、富士山の成立ち、富士山の歴史など
山梨に由来するモダニズムの群像 モダニズムとは、日本のモダニズム、モダニズムの変遷など
富士山をプロジュース 富士山とは、富士山の定義、富士山を世界遺産として守るなど
山梨出身の歌い手たち 森進一 水越けいこ レミオロメンの紹介と、東京を歌った3曲の歌詞分析など
絵画に託された富士のイメージ 富士信仰と富士絵画、」富士イメージの変遷、個性を映す富士図



10
    
 
景観形成と
地域活性

地域に住む人達が地域
をどの様に育むか
   

我が国の
危機的状況 
 
 化石エネルギーによる産業構造の変化  150年で世界人口が10億→60億人
 右肩上がりの経済成長と都市住民化  経済的合理主義の偏重
 明治以降、各地域に風土とともに培ってきた暮らしの知恵(資源)が消失
 ほんの100年の世代が資源を無くし、次世代に繋がない
日本の今後は 人口減少・超高齢社会・経済成長戦略の見直しに対処できるか(?) 

 我国の暮らし
の場の状況

(都市 農村 漁村
 1)我が国の状況
 大都市一極集中
 反都市化(郊外への低密度分散化、都市空洞化)
 過疎・限界集落
 歴史・景観・文化の断絶、地域コミュニティーの希薄化
 
世界の常識
 ・計画無きところに開発なし
 ・都市の歴史を大切にする
 ・新しい暮らしを大切にする
 ・新しい暮らしと歴史を融合(使い続ける)
 ・都市と農村の公平性
 ・規制の前に慣習があった
  (町単位に決まりがあり、そうするのが当たり前)
 ・創造的縮合政策(シュリンキングポリシー)により地域を自然に戻し
  人口減少をチャンスと捉える

  「経済原理(のみ)に基づいた合理性の追求」を追求するか。
  それとも、「あるべき地域像の追求」を重視するか

2)どうすれば良いか

 ・国政府・地方行政・民間(住民・企業)の役割分担の修正
 ・市民・小地域のの行動→市民・行政の協働へ
 ・課題解決型と資源発見型(後者が大切)
   今迄の豊かさとは異なる「景観」の発見から始める「まちづくり」に注目
   良い面を見よう:美しい自然景観・自然環境
              近世の歴史と繋がる都市や農漁村の文化(愛着が大切)
                      経済成長期の社会基盤施設(先人の努力)


景観とは何か
 
  生き方の表れ
  良い景観とは
  ・私をもてなしてくれる(もてなしているかどうか)景観、意味のある本物の景観
  ・生存を助ける様に見える景観
   変化する景観価値:自分に役立つかどうかで判断
   1800年代に電気事業が開始されて、電線・電柱が誕生したが良い景観(役立つ)
   戦後の高度成長期に登場した煙突や工場は良い景観
   コンクリート護岸や直線街路は良い景観
   戦後の圃場整備や雑草のない農業景観は良い景観

  ・人間の身体能力に合う景観
   人間相互のコミュニケーション距離                       
・相手と会話をすることが可能  12m
・相手の表情が判る   12m
 ・挨拶の声を掛ける  20m以下
 ・手を振って合図する  10~30m
 ・顔を区別できる  24m
 ・知人かどうかが判る  50m
 ・意思疎通の限界  100m
 ・人の動作が判る  135m

  ★人間の歩行 
 路上駐車から目的地までの距離  80%が50m以下
 冗長限界72秒の歩行距離  60~100m 
 歩行時の目標間距離の限界
 
 ・景観が自分に語り掛ける意味(アフォーダンス)
  ・意味の込められた場所(ゲニウスロギ):生活のための「大切な場所」「畏敬の場所」                               に意味を与え、強調する(神を置くなど)

 儲ける景観と本物の景観
  ・景観による活性化が景観を破壊し 持続性を失う場合がある

 身近な場所の景観を発見しよう
  ・身近な景観の価値は当たり前で気がつかない(無くなってから気づく)
  ・農村の曲がった道(殆どの村は100m以下で折れ曲がる 決して直線の道では
   ない)
  ・大切な場所を発見しよう
  ・県内外の様々な活動事例。そのコツは「楽しく」「継続」「小さな成果を重ねる」

 人を引き付ける街・村の魅力=人は美しい街・村を創る人々に惹かれる
  ・魅力ある地域に人は集まる
  ・魅力ある地域を創る能力の高い人々は新たな文化・産業を生み出す可能性がある

今後の課題   
自分が住む地域で「それが無くなったら寂しいと思う景観・場所」「子孫に繋いで
 行きたい景観・場所」「磨けば光ると思う景観・場所」を探すこと:取るに足らないと
思っていたものが、実は「宝物」


    
    
大人による子ども
の友だちつくり

人と関わること(社会性)の基礎

(養育者への愛着)
 
 
〈養育者への基本的信頼:此の人でないとダメなんだ〉
此の人はいつも助けてくれる
    自分は此の人に大切にされている  
 乳幼児

“子どもが援助を求める“
 ・おなかがすいた
 ・たいくつだ
            など
  ⇔      “養育者が登場“
     ・抱いてくれる
     ・語りかけてくれる

                  など
              〈乳児の様々な信号〉
               泣き/発声/微笑/手伸ばし/把握
                                         など  
 ↓
養育者を安全な基地として、外界を積極的に探索することができる
(色々な物に触ろうとする、友だちと関わろうとする) 

ともに学ぶ
パートナー

“友だち“
の発達
 
 
仲 間 友 人  親 友 
 幼稚園や近所で良く
会う子であり、仲の良さの区別はあるが 不特定で多数
 活動を共有し、親しく付き合い、ある程度は内面を開示するような関わりが出来る相手  極めて親密で、悩みを打ち明け合うことが出来 互いに信頼し合う相手
  
相手との親密さ          ⇒
 相手への信頼・自己の責任⇒

 友だちから
学ぶ社会性
 1)友だちから学ぶ社会性:幼児期のいざこざ

 年 少~年 中    年 長
  ・泣く
 ・攻撃・仕返し
 ・大人に頼る
 ⇒
 説得・要求・交渉

 ●幼児期ごろの子どもは、おもちゃの取り合いや順番 などで色々と
  いざこざを起こす。いざこざを解決する中で社会性を育んで行く
   

 2)友だちから学ぶ社会性:児童期の集団行動 
 ●友だちと作ったルールを実践する  社会的関係の基礎
 ●一緒に “いたずら“をしなければならない  所属集団への忠誠(ギャング行為)
 ●話し合う→けんかする→仲直りする  感情・欲求コントロール
 ●役割が与えられる・異性を評価する  他者と自分の個性・多様性
 ●大人を評価する  将来の目標


 友だちとの関わりの中から
学ぶ社会性
 
 ● 感情のコントロール:我慢する
 ● 共 感 性:人の気持ちが判る
 ● 協 調 性:人と協力して遊ぶ、つくる、学ぶ、身体を動かす
 ● ルールの獲得:順番を待つ、遊びのルールを守る
 ● 受 容:他者を受け入れる
 ● 信 頼:約束を守る、秘密を守る、自分の悩みを打ち明ける
 ● 自己主張:自分の考えを伝える、要求する

 しかし近年は、こうした事がうまく学べなくなっている。その上にキレる
 子どもが多い(衝動的で、人を傷つける)

子どもの社会性の発達に関わる環境危機  1)養育環境の脆弱化(教育環境の脆弱化:現代の親が置かれている状況)
   核家族化、地域コミュニティーの解体
   ・リプロダクション(妊娠・出産・子育て)への家庭内外のサポート機能の脆弱化

  少子化第一世代
   ・子育てに関わる体験が少ない、スキルが乏しい、
   ・誰もが “レベル1“からの子育てスタート

  その結果、予想以上に深刻な“子育てストレス“による虐待が生まれる

2)友だち関係が作りずらい現代社会
  ・友達と外で遊ぶ時間が少ない(子どもの外遊び時間が1時間ない:1999年調査) 
  ・家で遊ぶ時間が圧倒的に多い(手軽にゲーム機などで室内で遊べる)
  ・外で遊ぶと変質者が多く危ないとする考えが支配的

 

    農林水産物
山梨ブランド

ブランドとは 

 ・ ブランドとは本来所有者を示すために家畜に押した「焼印」のこと

 ・ブランドの名前が日常的に使われ出したのは 昭和50年代で当初は「高級品」
  「メーカー品」、「一流品」を連想する言葉

 ・ブランドの和訳は「銘柄」「商標」であるが 「老舗」「暖簾:会計用語でもある)」
  企業が確立した顧客吸引力 超収益力のシンボルで独自性をを強調し競合
  他社と区別することを意図して、複数の商品やサービスを統一して象徴させる
  こと。いわゆる「ブランドパワー」

 ・ブランドパワーとしては
  ① 優れた人材(経営者、従業員)  ④ 特許などの技術力
  ② 商号などの知名度         ⑤ 有利な取引条件(仕入先・得意先)
  ③ 営業所などの立地条件      ⑥ 平均的な他企業にない企業価値
地域ブランド
制度

(地域団体商標
制度
)と種苗法 
 1)地域団体商標制度
  ・かつては商標法上、地域名と商品名からなる呼称はは商標としての識別力
   を有せず、特定のの者の独占になじまない等の理由ににより、原則 商標
   登録制度はなかったしかし 地域の特産品等を他の地域ののものと差別化
   し特色ある地域づくりに貢献すべきとの考え方に従い、平成17年に「商標法
   の一部を改正する法律」が成立し、地域団体商標制度が平成18年に同法
   が施行された。

 ・個別的地域ブランド:地域名+品目名または地域名+特徴・品目+品目名

 ・高い知名度と考えられる山梨県産品関連

 ①食べ物:小梅 大根 ほうとう 地鶏 煮貝 コロ柿 ワイン テンベ(キナコ飯)等
 ②工芸品:印伝、ネクタイ、貴金属、貴石加工品、身延の南天

 ・種苗法
  旧種苗法(昭和22年制定)は短か過ぎた育成権者の保護期間や訴訟解決の
  困難性等不備が多く普及しなかったそこで平成10年に全面改訂し新種苗法
  が制定。新たな品種(花や農産物)の創作者は新品種を登録出来 新品種を
  育成する育成者権を占有出来る

 ・育成者権は特許権や実用新案権の仕組みと類似してしている。
農産物と加工食品の認証
制度  
 ・各道府県(市町村)は食の安全・安心、環境保全を基調にした基準を設定した
  認証制度があるが、此の制度の効果や消費者の認知度に疑問視する傾向が
  有る

 ・3 E:Excellent、Exact、Ecology

 ・山梨県の場合

  農産物:特選農産物認証制度
      山梨県の高い技術力に育まれた品質の良い農産物の内、外観や糖度
      減農薬や低化学肥料による栽培により生産されている事など一定の
      基準をクリアーした高品質な農産物を「特選農産物:マークがある」
      として認定する制度(平成23年度は10品目)

  加工食品:農産物等認証制度(甲斐路の認証食品:3 E認証)
        山梨県の農産物を主たる原材料として、県内で生産される加工食品
        等について基準を定め、その基準に適合しているものを認証する事
        により消費者の信頼を高め、販路開拓や販売促進を図るとともに、
        農畜産物の生産振興を図る事を目的とした制度
        (平成23年度は49品目)

  ワイン:甲州市原産地呼称ワイン認証制度(実施主体:甲州市)
      山梨県産ワイン統一マーク(実施主体:山梨県ワイン酒蔵組合)
       ワイン瓶の刻印(実施主体:勝沼ワイナリーズクラブ)
      *農水省は農産物の認証をに関する事業を平成16年度で廃止

農学系新学部
「生命環境部」
の構想 

 理念:持続的な食料の生産と供給による地域社会の反映を実現する為に必要と
    なる「生命科学」「食品生産・加工」「環境・エネルギー」「地域の経済・企業
    経営・行政」に関し広い視野を持つ人材を、自然と社会の共生科学に
    基づき要請することを基本理念とする学科構成
 生命工学科
   バイオテクノロジーによって解決すべき課題を自らの力で見い出し、それらの
   課題を高い創造性を持って解決出来る人材養成。新規生物資源、多能性や
   胚性(IPS・ES)、遺伝子工学

 地域食物科学科
  食物科学に関する専門知識・技術を基礎にして、果樹・野菜生産や食品製造
  資源・環境などの多角的な視点から、人類が直面する食料問題に取り組める
  人材育成(果樹栽培や野菜栽培、ワイン製造など)

 環境科学科
  農産物をを始めとする生物資源の持続的な生産を支える土壌、水、大気の
  保全や生物生産の現場と周囲の生態系との調和を通して、自然と共生した
  豊で持続可能な社会の形成に貢献出来る人材育成
  (環境情報分析、環境影響予測、環境保全計画など)

 地域社会システム学科
  生命・食・環境の基礎を理解し経済経営政治行政法律などの専門知識
  を学び、人類が直面している食料問題や環境問題を社会・経済・行政システム
  との関わりにおいて理解し、地域社会の繁栄の実現に貢献出来る人材育成
  (流通経済、企業経営、地域経済、地域行政、経済法など)
    
  
 7 

ブドウ・質量分析法
とガン診断

ブドウ(言葉)と
人間の関係  
 
ブドウは独特の形をしているので、ヒトの体や病気を表す言葉として使われている
 ・ブドウ膜:眼球を構成する組織の一部で、眼球の中で暗幕の役割をしている
 ・ぶどう子:ヒトの発生異常の結果生じた一種の腫瘍(がん)で医学では「奇胎」と
  呼ぶ
ブドウと健康   ブドウは細胞死を抑制する効果が有る
 ・特に血管障害をひき起こす「心筋梗塞」や「脳虚血」に対してブドウに含まれる
  ポリフェノール(赤ワイン)の効果が大きい
 ・神経細胞死抑制のメカニズム
  グルタミン酸は一種の神経毒だが、これにブドウの抽出物を入れると細胞死
  が抑制され、此れを神経保護効果と言う
質量分析法   物質の質量を測定する方法
1)ソフトレーザー脱離イオン化法
 ・2002年に島津製作所の田中耕一氏がこの技術に関係する手法によりノーベル
  化学賞を受賞した
 ・此の分析には真空の雰囲気である事が必要

2)探針エレクトロスプレ-法(山梨大学が中心)
 ・上記(1)が真空中で測定するのに対して、此の方法は大気中の環境の中で
  測定が可能で有る事が最大の特長(新しいイオン化法)
 ・鍼灸で使われる細い針(先端が10μ程度)を人の臓器や組織から試料を採取
  するので、殆ど傷が残らなず患者の痛みが無い。しかも得られたデータは直ぐ
  にコンピュータで解析する為、診断に掛る時間が極めて短い(1分程度)、
 ・現在山梨大学のクリーンエネルギー研究センター・早稲田大学。島津製作所
  が共同で装置を開発中で、今は「ガン診断」への応用を研究中
 ガンシ診断  ・質量分析法の医学への応用として、現在の「ガン診断」より患者に負担が掛ら
  ない
 ・成功すればガン治療法の画期的な成果となる(ガン診断支援装置の開発)

 6
       
音楽とは「音を楽しむ」
ことか

 ~芸術・教育・療法の
   境界線に立って~
 芸術音楽   ○ 芸術至上主義

 ・芸術は他のものの手段として存在するのではなく、それ自身が目的で有り
  価値であるとする立場。「芸術のための芸術」を理念とする

 ・ハンス・フォン・ビュローが提唱:記憶力が抜群で、芸術至上主義に価値観を
  置いた

 音楽療法言論
  
 ・櫻林仁(東京芸大の心理学教授):・・エロスとアガーペの均衡(バランス)
  エロス:快、美、憧れ、恋愛
  アガーペ:慈愛、母性愛
  しかし、芸大では音楽療法は流行らなかった

 ○芸術音楽(音楽教育)
  ・「風と川と子どもの歌」論争:齋藤喜博と中田喜直による論争

 芸術・教育・療法 :指揮を通して
   
・子どもを持つ親へ
  最近の子供は携帯をやり続ける子が多く、音とどの様に上手く付き合って行く
  かを考える事が大切

 ・背景音楽(バックグランドミュージック)
  例えば、手術の前に音楽を聞くと精神面の緊張を解く効果が有る
 
 ・呼吸とコミュニケーション
  ゆっくりした呼吸と人間同士のコミュニケーションに音楽の効果が重要

  ・子供に一方的に教えれば教えるほど、音楽が嫌いになる
   先生による間違った音楽の教育法により、音楽が嫌いになった子供が多い

 ・上手にピアノが弾けて上手に歌が歌えるではなく、素直な声で歌えて大きな声
  で心の底から歌えることが大切

 ・今迄は、芸術家の養成に走り過ぎた

 ・音楽を聴く事は音楽に耳を傾けること
 ・小児が減って来ているからこそ、小児科の存在価値が高まって来ている
 ・少子高齢化に対する対策が色々と講じられつつあるが、今後の日本を支える
  小児人口を増加させねばならない国策の意味合いで論じられる事が多過ぎる
 ・小児の数の多寡だけでなく、社会全体としての小児の健康を守り、健全に育成
  して行くと言う本質的価値に対する意識を高める事が重要 ・家庭で育む:父親、母親、兄弟、祖父母、親戚
 ・地域が育む:近所、市町村、県単位の子育て支援など
 ・社会・国家が育む:保育所・幼稚園の整備、子供手当など
 ・教育機関が育む:小学校・中学校の教師など
 ・医療が育む:病気の予防(予防接種)、早期発見(健診)、治療など          
 音楽利用法
(音楽健康法)
音楽とは
「音を楽しむ」
ことか


小児科医の使命
小児科医の
存在価値
子どもを育む

小児科の領域
 

小児血液
腫瘍疾患
対象疾患
白血病、悪性リンパ腫、貧血
血小板減少症、などの血液全般の良性ならびに悪性疾患、
神経芽腫、横紋筋肉腫、骨肉腫などの固形腫瘍
アピール
難治性の造血器腫瘍、固形腫瘍
再生不良性貧血、先天性免疫不全症候群などを対象に、造血幹細胞移植(自家及び同種移植)を行っている
造血幹
細胞移植
・骨髄移植、末梢血幹細胞
 移植、臍帯血移植
・自家移植と同種移植
・血縁移植と非血縁移植
 (骨髄バンク、臍帯血バンク)
難治性の血液疾患(白血病や再生不良性貧血など)、固形腫瘍、先天性免疫不全症などを造血幹細胞の移植を利用して治療する方法

造血幹細胞移植の内訳:2011.3末
移植 移植の種類 件数
同種 骨髄
(非血縁:12件)
39
末梢幹細胞 3
臍帯血
(非血縁:21件)
25
  合 計 67
自家 骨髄 3
末梢血幹細胞 27
合 計 30
 ・非血縁臍帯血移植を積極的に実施
 ・本年6月で100件を達成

移植78症例の内訳 (2011.3末) 
  血液疾患  固形腫瘍
血液悪性疾患:41例
内訳
急性リンパ性白血病27例     急性骨髄性白血病 8例      慢性骨髄性白血病 2例     骨髄異形成症候群 4例   

再生不良性貧血6例 
 その他        4例
神経芽腫 :10例
横紋筋肉腫:3例

悪性リンパ種:4例
骨肉腫   :4例
悪性奇形腫:2例
肝芽腫   :2例
その他   :2例
   合計  51例  合計 27例

小児循環器疾患 対象疾患
先天性心疾患、川崎病など
アピール
・低酸素ガスによる抗心不全
 治療やNOガスによる抗肺高
 血圧治療などガスによる肺血
 流調節治療を 積極的に実施

・心臓カテーテル検査に加えて、
 コイル塞栓術、ステント留置等
 カテーテル治療を積極的に
 行っている

・拡張型心筋症に対する血漿
 交換療法を行っている

拡張型心筋症
拡張型心筋症は、進行性心不全
や突然死を起こす重篤な疾患で
死亡率が高い。内科的治療で
改善しない場合は、心臓移植が行われる。しかし、小児心臓移植はドナー数が少なく、容易に施行することが出来ない。一部の症例では、拡張型心筋症の病態が自己免疫的機序(自己抗体)によって形成されることが明らかになっている。此の自己抗体を除去血漿交換療法の有効性が認められて来た。

小児呼吸器疾患 対象疾患
喉頭軟化症などの上気道疾患から、びまん性汎細気管支炎などの下気道疾患。気管支喘息、アレルギー性疾患、睡眠時無呼吸症候群など
アピール
睡眠検査を行うだけではなく、喉頭内視鏡を用いた上気道閉塞の原因検索や、呼吸機能検査、心臓超音波検査を用いた心負荷の評価までを一貫して行い、扁桃腺摘出の適応決定や術後のフォローアップ、夜間人工呼吸器の導入から、外来管理まで包括的な診断治療を行い、県内外から多数の患者を紹介頂いている。

小児の睡眠時無呼吸症候群
               (SAS)
原因の90%以上が閉塞型SAS
               (OSAS)
閉塞の原因の殆どが「アデノイド
増殖症・口蓋扁桃肥大」

治療としては、これら「扁桃腺」の外科的切除

小児神経
疾患
対象疾患
てんかん、発達障害(ADHD、
自閉性障害など)、脳性麻痺、神経筋疾患、中枢神経感染症、心身症など
アピール
発達障害・てんかん児における高次脳機能に関する種々の神経心理検査の施行と診断、療育指導及び各種誘発電位を実施

山梨県おける発達障害の有病率とその経過

注意欠陥/多動性障害(ADHD)の有病率は6%で、600人/年

てんかんの有病率は1%で
100人/年

極小未熟児(出生体重<1500g)の有病率は0.5%で50人/年

広汎性発達障害の有病率は1%で100人/年

小児腎
疾患
対象疾患
腎炎、ネフローゼ症候群、検尿の異常、先天性の腎臓や尿路の奇形・異常、繰り返す尿路感染症、子どもの膠原病
アピール
将来、慢性腎不全(透析療法)への進展が予測される難治性・進行性腎疾患に対して、疾患早期から強力な化学療法を主体とした多剤併用療法を実施し、根治を目指した治療を実施している

最も多い慢性腎炎→IgA腎症
(日本人の慢性糸球体腎炎の50%)

発症から20年で20~25%が
透析、更に+10年で30+?%

昔の教科書では「予後が良好な腎疾患」と言われたが、今は学校検尿で早期に発見し、早期治療(カクテル療法)を開始している

小児内分
泌・糖尿病
対象疾患
成長障害、糖尿病、甲状腺機能異常症、副腎機能異常症
アピール
内分泌、糖尿病専門医が成長障害、甲状腺疾患、糖代謝異常、性腺疾患、骨疾患その他幅広い小児内分泌領域に対して、成長ホルモン治療・性腺抑制療法・強化ホルモン治療など最先端の診療を行っている

小児1型糖尿病について
・最近は大人と同様に、肥満に
 よる糖尿病が子どもでも多く
 なっている。
・しかし、実は子供に多く発症
 する糖尿病は、大人とは異なる
・生活習慣や肥満に全く関係なく
 突然発症し、インスリンが殆ど
 でなくなる
・原因不明のいわゆる「難病」

小児糖尿病のの問題点
 ・不治の病で、一生インスリン
  の自己注射が必要
 ・同じ病気の子供が殆どいない
  ので、孤立感が強い
 ・学校でも注射をしたり、
  血糖値の測定が必要
 ・病気を持っていることで、虐め
  に合ってしまう
 ・就職に関しては昔程ではない
  が依然不利
 ・結婚などで困る事が有る
 ・自己管理でインスリンの量を
  自ら判断し決めねばならない
 ・食事制限はないが「やけ
  食い」「やけ酒(成人として)」
  が出来ない。それをすると
  即入院
 ・部活程度の運動は出来るが
  マラソン等の激しい運動はNG

小児代謝
と肥満
対象疾患
小児肥満、高脂血症、肝炎、先天性代謝異常など
アピール
幼児~学童期の肥満に対して
ひとりひとりの肥満の程度や
合併症の状況に応尾じて指導を行い、大学で考案した「生活自己管理チェックリスト」を用いた肥満児の認知行動療法を実施している


近頃小児科志望医が減少している
 ・出産数低下による少子高齢化の宣伝?
 ・小児科は大変な割に実入りが少ない?
 ・小児科医はプライベートライフの充実に重きを置く時代に逆行?
 ・新臨床研修制度の影響:大都市大病院集中、大学離れ、医局離れ

山梨県における小児医療改革の試み
 その1:小児科医の統合・再配置
 ・小児科医の時間外負担を軽減する為に、地理的に隣接する3病院間で小児科
  医の再配置を実施
 ・入院治療はA病院(小児科医は4人)、B病院(小児科医は1人)とC病院(小児
  科医は1人)は外来のみ
 ・A病院における入院患者の夜間・休日診療は6人の小児科医で交替
 ・小児科医の夜間・休日に拘束される時間が激減し、負担が大幅に軽減した

小児救急システムの整備 
 ・平成18年から小児科医のみ(大学医師、一般病院医師、開業医)で実践される
  小児初期救急医療センターを甲府市にオープン。入院診療を担当する二次
  病院は4病院で輪番制とした。県内全地域(東部・富士地区を除く)から年間
  2万人(平均60人/日)の受診が有る
 ・平成20年11月から富士吉田市東部・富士地区の小児初期救急医療センター
  をオープンシ、3病院で輪番病院システムを構築、年間約1万人
  (平均30人/日)が受診
 ・全県下で、小児救急システムが整備された

甲府地区小児初期救急センターの実際
 ・診療時間(朝7時まで)
  平日:19時~、土曜:15時~、日祭日:9時~、連休中は2診体制
 
 ・二次輪番病院
  1.山梨県立病院
  2市立甲府病院
  3.国立甲府病院.
  4.甲府共立病院
  プラス:山梨厚生病院(東山梨地区)

 ・出勤医師
  大学医師   :20名
  病院勤務医師:40名
  開業医師   :26名
     合 計  :86名(甲府地区小児科医の86%) 

小児救急システム(山梨システム)がもたらしたもの
 (全国に類を見ない全県下をカバ-する独自システム)

 夜間・休日に病院、医院を受診する小児救急患者が激減し、
 
 ・病院小児科勤務医の負担が大幅に減少した
 ・病院他科勤務医の当直負担が大幅に減少した
 ・小児科医のONとOFFが明瞭化し、ON時のモチベーションが増大した
 ・紹介した患児について、輪番病院から病名や治療経過が返信されるため、
  小児救急医療の診断力向上がもたらされた
 ・小児科勤務医と開業医の意思疎通が計られ、小児医療に対する共通認識、
  一体感が生み出された
 ・山梨県住民の子育て不安が軽減した

山梨県における小児医療改革の試み(フルタイム勤務が困難な女性医師の活用)
 
 ・パート勤務:週1~2回、外来勤務を行う
 ・シェア勤務 :2人の女性医師が同一病院で交替で外来診療を行う。履歴書に
          勤務歴を記載出来、キャリアの維持がができる
 ・育児短時間勤務:子育て中の医師が週20時間以上勤務すれば常勤医になれ
  る制度を3人の女性医師が活用し、外来・入院診療を実施している

子どもを育むための小児科医の使命

 ・小児科医は小児に特化した総合診療医(ゼネラリスト)である
 ・更に各分野のサブスペシャリティーを持っている
 ・小児科医は未来を担う「小児の健康を守り、病気を治す」ことによって、
  「小児の人生を守り、再スタートを支援する」と言う使命をを果たしている
 ・使命が達成された時の喜びは、その達成が困難で有ればある程大きい
 ・小児科医は自分の仕事に誇りを持っている

 
1)エネルギー消費は「運輸・民生部門で増加を継続」が見込まれるが、
 此れを90年代のレベルを維持するには30~40%の効率改善が必須

 それには、本格普及が想定される最先端技術を最大限に導入が基本で、
 2030年迄に「新・国家エネルギー戦略」に掲げられた目標の達成を目指す
 事が前提となるが、今回の原発事故で戦略の再策定が避けられない

少なくとも、30%以上のエネルギー効率の向上と以下の取り組みが必要
 ・運輸部門の石油依存度をを80%程度にして
 ・原子力発電の発電電力比を30~40%程度以とするが、今回の原発事故
  で白紙に(?)なる可能性が高い
 ・いずれにしても、石油依存度を40%未満にすることが基本になるが、
  極めて不透明 
 
2020年にエネルギー効率30%改善(05比)を目指す・・・ダボス会議での
 総理提案  

2)日本のエネルギー政策の変遷
1970
年代





1980
年代



1990
年代






2000
 年代  
 【石油危機(73年、79年)】 
安定供給
 ・石油依存度の軽減
 ・石油代替エネルギーの導入による安定供給の確保
 ・省エネルギーの推進

 【経済構造改革の要請】 
安定供給 経済性
・電気・ガス事業改革による経済性確保

 【京都議定書採択(97年)】 
安定供給 経済性 環境
 ・石油代替エネルギー導入と省エネルギーの更なる推進 

 【京都議定書発効(05年)、資源獲得競争激化】 
安定供給 経済性 環境
 ・非化石エネルギー(再生可能エネルギー、原子力)
  の導入拡大
 ・資源外交強化

      現行のエネルギー基本計画(2010年6月)


      
小児医療の
問題点と
その対策


燃料電池の描く未来

~クリーンエネルギー社会
の実現に向けて~

日本の
エネルギー
事情とエネルギー
政策の変遷等
エネルギー基本
計画での供給
見直し
(2010.6月策定)
平成22年に閣議決定した現行のエネルギー基本計画では、下記を目指していた

 ① エネルギー自給率の向上
 ② ゼロ・エミッション電源比率の向上

1) 一次エネルギー供給ベース
2007年 2030年 エネルギー自給率
化石燃料
(石炭・石油・天然ガス)
84% 63%
原子力 10% 24% 2007年=15%

2030年=40%弱
再生可能
エネルギー
5% 11%

2) 発電電力量ベース
2007年 2030年 ゼロ・エミッション電源比率
化石燃料
(石炭・石油・天然ガス)
66% 26
原子力 26% 53% 2007年=34%

2030年=約70%
再生可能
エネルギー
8% 19%

3) 原発事故以降の課題

 ・自然エネルギーの割合を2020年代の出来るだけ早い時期に少なくとも20%
  を超える水準となる様な大胆な技術革新に取り組む
 ・太陽光発電の発電コストを2020年には現在の1/3、2030年には1/6に
 ・日本の設置可能な1,000万戸規模のすべてに太陽光パネルの設置を目指す
 ・ COが少ない火力発電所を建設

この様な課題を解決しなければ、単に脱原発を叫んでも日本のエネルギー
政策は成立たない。いずれにしても、エネルギー基本計画の見直しが必須

  
燃料電池 1) 固体高分子形燃料電池(PEFC:Polymer electrolyte fuel cell)
  水の電気分解反応と全く逆に、水の中にある酸素と水素を反応させ電気を
  作るもので、イオン伝導性を有する高分子膜(イオン交換膜)を電解質として
  用いる燃料電池

2) 電池の歴史
 ・バクダット電池:2000年前のバクダットで出土された電池らしきもので、記録が
   無いのであくまでも推定
 ・ガルバーニ電池:皮を剥いだカエルの足に電極を取り付けて電解液に漬けると
        電流が流れた(ガルバーニの実験)動物電気説(1791年

3) 電池の種類
 ・ 一次電池:化学エネルギーを放電させて電気エネルギーを作り出す(乾電池)
 ・ 2次電池:化学エネルギーを放電と充電を繰り返して電気エネルギーを取り
        出す。一般的にバッテリーと呼ぶ
 ・ 燃料電池:化学エネルギーを放電させ電気エネルギーを作り出すが、1次・2次
         電池とは異なり、フューエル・セルの言葉通りバッテリーでは無い

歴史

 1) Grove卿による原理の発明(1839年)
 2) Mund達による原理の実証(19世紀後半)
 3) Bacon達による高性能化(20世紀前半)
 4) 宇宙用から始まり、民生用へのシステム実証(20世紀後半)

宇宙用燃料電池

 1) ジェミニ7号PEFCを搭載(1965年)
 2) アポロ計画で、アルカリ形燃料電池を搭載し、月面着陸した(1969年)

1) 反応式: H½ O2  ⇒ H2O  (水素を作るのにCO2 が使われる)
  燃料極(-) H ⇒  2H+ + 2e-
       電界質中を移動      外部回路を移動
  空気極(+) ½ O2  2H++2e- ⇒ H2O

2) 酸素と水素から電気と熱を創る

3) 燃料電池の構造
 ・ セル:2枚のセパレーターと此れに挟まれたMEA ⇒ 単セル
 ・ スタック:単セルを積層(60枚以上)にしたもの(スタック)

 MEA(Membrane Electrode Assemblies):「燃料電池用 膜・電極接合体」と言い
                         燃料膜(-)と空気膜(+)の間に高分子膜
                         を挟み水素と空気のイオン交換により
                        白金系触媒を介して電気を取り出す装置

4) クルマ用と家庭用燃料電池の違い
 ・ クルマ向けは起動時に大出力の電力が必要であり電圧は低いが電流密度が
   高い特性部分を使用する。それに対して家庭用は安定的に電力を使うので、
   電圧が高く電流密度が低い部分を使用する
 ・ それぞれの特性
電圧(V) 電流密度(A/C 用途 特  長
理論値/セル) 1.23 82.9%(最大効率) 1セル当りの電圧が低い
のでスタックにして使う
クルマ用 0.4 1.0 移動 出力密度が大きい
家 庭 用 0.75 0.2 定置 発電効率が高い

5)利用形態
モノジェネ 発電専用 可搬型電源でクルマ用が主流
コージェネ 熱・電併給 ・環境負荷の低減には、総合効率の高いコージェネが有効
・使う場所で発電し排熱利用するので、
 「省エネ」+「低エミッション」を実現する
・総合効率:70~80%(発電+熱利用)
・此の内発電効率:30~35%

              
燃料電池の歴史
燃料電池の原理
とその構造
燃料電池の開発
状況と今後の課題
1) 燃料電池車(FCV:Fuel Cell Vehicle)の開発状況
 ・ 2008年にホンダがHondaFCXクラリティーを発表
 ・ その他の各社
   FCHV・adv(トヨタ)、X-TRAIL-FCV(ニッサン)、Hydrogen4(GM)、FCV(三菱)
   F-cell B-Class(D ベンツ)、FCHV-bus(トヨタ/Hino)

2) FCV開発状況(2010年)
 ・走行距離:実用で500km程度
 ・車両価格:数百万円(2015年に500万円を目指しているが、ハイブリット車
        (200万円)には届かない
 ・耐 久 性:15年(
 ・水素充填時間:5kg/3分・・(水素ステーションのインフラ整備が出来た段階で)
 ・車輛効率:60%
 ・低温環境での起動:-30℃

3)JHFC(水素・燃料電池実証プロジェクト)
 ・ 2009年に誕生したプロジェクトで福岡県(後に日光市)を中心に水素ステーション
   の整備などの実証活動を始めた
 ・ BEV(電気自動車)とFCV(燃料電池自動車)の棲み分けが検討されている
  【EV:小型車輛で航続距離が短い、FCVは大型が可能で航続距離も1000km
  と長い】
 ・ 2009年の検討段階では、2020年での新車販売の50%がFCVを含む次世代車
   とされている

4) FCCJ(燃料電池普及推進協議会)の普及シナリオ(2010.3改訂)
 ・ 2015~2016年に商用水素ステーションの設置開始
 ・ 2020年頃までにFCV台数の立ち上げ
 ・ 2025~2026年に水素ステーションを全国に1000ヶ所程度、FCVを200万台程度
   この時期にステーションビジネスが成立することを目指す(FCV2000台/ST)

5) FCVの国内市場導入と水素供給インフラ整備に関する共同声明(2011/1/13)
 ・ 自動車メーカー(トヨタ、日産、ホンダ)、石油(ENEOS、出光、コスモ、昭和)
   ガス会社(東京ガス、大阪ガス、西部ガス、東邦ガス、岩谷産業、太陽日酸)
   が共同声明を発表した。内容は以下3項目(詳細省略)
 
 ① FCV量産車を2015年に4大都市圏市場を中心に導入
 ② 水素供給事業者は、2015年までにFCVの販売見通しに応じて100ヶ所程度の
   インフラの先行整備を目指す
 ③ 両社は運輸部門の大幅なCO2削減に向けた全国的な展開を行い、普及支援
   策や社会受容性向上策を含む普及戦略を官民共同で構築することを政府に
   要望する

   現在「北九州水素タウンプロジェクト」の運用を開始(2011/1/15~)

6) 家庭用燃料電池コージェネシステム
 ・ 天然ガス、都市ガス、プロパンガスから水素を抽出して発電し、発生した熱を
   蓄熱しお湯として使用する(電気出力:3kw)

 ・ 発電した電気(直流)は、インバーターで交流電気に変換し電力として利用する
 ・ 現在全国で3307件(内、山梨は30台)が利用されている
7) 家庭用燃料電池の3大課題
 ・ 高性能化(低コスト化)
 ・ 高信頼性/長寿命(低コスト化)
 ・ 社会基盤整備(水素インフラ・系統連係)

8) 家庭用燃料電池の現状と普及シナリオ

 ・平成21年より販売開始:価格280万円に対し130万円補助(22年度より)
 ・ 2015 年頃には量産効果により現状150万→約50~70万円を見込む

9) 家庭用燃料電池の商品開発の構図
   燃料電池メーカーが
   独自で競争する領域

   ・付加価値、差別化

 ⇒主要部品は独自設計
 スタック・システムインテグレート
標準化・共用化・協調化を図り、量産
効果による低コスト化を実現する領域

 ・高効率・高信頼性、材料・部品の開発
 ・仕様の国際標準化
 ・評価・分析基準の標準化
 
⇒基本材料、周辺機器&部品の共通化、共用化
           ↓           ↓             ↓
開発の効率化:
イノベーションの加速
部品の標準化・低コスト化
       の加速
規制緩和・国際標準化   の加速

求められているもの
     ↑
  大学との連携& 
  コンソーシアム
  プロジェクト

NEDO機構プロジェクト
に代る組織的な仕組み

公的なシステム
評価機関 


1) 太陽光発電の導入シナリオ
2005年 2020年 2030年
発電電力量 (万kw) 140 1400 5300
住宅用戸数 (万戸) 32 320 1000
住宅用が占める割合( 80 80 60

2) 直流発電:現在の交流方式による発電・送電を直流方式にする構想が検討
        されている
 ・ 直流発電・送電のメリット・デメリット
  ① メリット:変換ロスが少ない、送電線が2本(三相交流は3本)、同期連系が
         容易(周波数に依存しない)
  ② デメリット:高い電圧を扱う事が難しい、電気を遠くに運べない(長距離送電
          が出来ない)、変圧器により昇圧・降圧が交流より難しい、
          直流発電機の火花放電は電気ロスが大きい

  しかし、此処に来て直流発電・送電が地域コミュニティーとして試行される
  ケースが実現しそう。それは、太陽光発電や燃料電池発電は直流なので交流
  に変換せずに地産地消として利用することが検討されている様で、電気自動車
  の充電も直流の方が経済的です。

 又、歴史的には発明王のエジソンは直流方式を主張し、ニコラ・テスラは交流
  方式を主張し1880年代後半の第一次電源戦争で高電圧と長距離送電に有利
  な交流が採用されました。しかし、上記の様な分散型電源の高まりと共に直流
  発電・送電が見直されています


1)最近の子ども達の傾向
・挨拶が出来ない
・一人になれない
・自分の意見が言えない
・空腹に勝てない
・お礼が言えない(感謝出来ない)
・素敵な表情がつくれない
・沢山の友達が作れない
・人の話が聞けない(授業中おしゃべり
2)今の大学生の考え方
多過ぎるもの 少な過ぎるもの
1.情報
2.ゴミ
3.食物
4.人工物
5.新しいもの
6.便利なもの
7.社会の仕組み(複雑)
8.あわただしさ
9.子どもへの課題、要求
10.仕事.
1.人間関係(ぎくしゃくしている)
2.自然環境
3.身体運動
4.思いやり
5.深い睡眠時間
6.感動する気持ち
7.自然体験
8.愛情
9.近所づき合い
10.楽しい体験

3)人間と自然との関わり

 ・人間が自然の一員である事を忘れて来た(以前は人と自然が一体で有った)
 ・心とからだの自然についても同様な事が言える

4)心の健康は強さと柔らかさが大切

強くする(負けない経験) 柔らかくする
(遊び心を育てる)
 
 ・他人に負けない
 ・自分に負けない
 ・寒さ・暑さに負けない
 ・空腹に負けない
 ・苦しさ・悲しさに負けない
 ・嫌なことに負けない

 
 ・友達の温かさに触れる
 ・自然の大きさに触れる
 ・仲間の有り難さを知る
 ・レクリェーションの楽しさ
  や嬉しさを知る

5)体験不足の子どもは未成熟
  
経験欠乏症候群
情動経験の欠乏 学びの欠乏 遊びの欠乏
情操の欠乏 意欲・自信の欠乏 仲間意識の欠乏
情緒的成熟
の阻害
知的成熟
の阻害
身体的・社会的
成熟の阻害
未熟性

6)決心水準になるには親や教師の対応が大切

やって見たい
(要求水準)
やって見よう
(決心水準)
成功 失敗
心理的ストレス
からの打破
必ずしも悪く
変容しない
人間的成長
(強くなる・優しくなる)
失敗の原因を
追及しやり直す

      
その他


自然の中で生きる力

最近の子供達
の傾向と今時の大学生の
考え方
ピグミー族
と現代人の
違い
1)ピグミー族と現代社会人の生活違い(講演者が現地で確認)

区 分 ピグミー族(旧称) 現代社会人
空 腹 1)空腹時に狩りに
  出掛ける
2)獲物を射とめる迄
  に数日掛る事が多
  い
3)それでも空腹を我慢
  する
1)空腹になると、活動
 (運動)をせずに食事
 を摂る
2)運動不足の状態
3)歩く事をしない             (車社会)
活 動
食 事 1)獲物を得て漸く食事
2)その場合に食事の
  2割を皮下脂肪として
  残す次の狩りの為
 に体が覚えている)
3)これが腹八分目の
  正しい意味
1)時間が来ると空腹
 に関係なく食事を摂る
2)しかも、食べ過ぎ
3)腹八分目が守られ
  ていない
4)食生活が不規則
睡 眠 1)食後十分な睡眠
  をとる
2)睡眠後は部落全
  体で踊り歌うなど
  心身の健康が
  保たれている
1)睡眠時間が少なく、
  深夜まで起きている
  事が多い
2)充分な睡眠をとって
  いない
生活様式 1)狩りをするのに数
  十kmを歩き続ける
2)そして、自分で獲物
  を獲る事が一人前と
  心得ている
3)食事は粗末でも、
  心身が正常に暮ら
  す人が多い
4)競争意識が見当ら
  ず世代を超えて
  支え合う
1)不規則な生活と過食
 そして、運動不足から
  肥満などになり易い
2)不健康な食事やスト
 レスから体力的にも
 問題が有る
3)今の現代社会では、
 一人前で有る事が良く
 判らない場合が多い

講演者は、カメルーンの首都から数百キロに在るドンゴ村で、狩猟採集民族
  のピグミー族(現在はバカ族と呼ぶ)と共同生活をする中で、彼等の生きる力
  の素晴らしさを共有したそうで、成人男子でも身長が1.4mと小さいのに、
  数十kmを一日で歩く生命力(生活力)の逞しさと人間らしさを見付ける事が
  出来たと話されていた。

 また、彼等の年齢別の血圧や血糖値などを測定した中では、高年齢であっても
 現代社会人の様にその値が上昇する事はなく、ゆったり生活する中で、ストレス
 を溜め込む事もなく、身の周りの自然とどう付き合うか「その大切さは何なのか」
 をピグミー族は知っていたそうです。

  
健康を保つ
には

-元気な子どもが
育つために-

 健康には「血液循環」の良否が大きく関わる(講演者からの提案)
 
 ①冷水をかぶる(入浴後に冷水をかぶり皮膚を丈夫にする)

  ・桶であれば、5~20杯
  ・シャワーなら、30秒~1分
  ・この冷水効果でアレルギーの予防と改善が可能

 ②空腹感を大事にする(腹がへっても大丈夫)

  ・空腹を我慢して、適度な運動後に食事を摂る
  ・時間が来たら即食事が一番良くない
  ・しかも、過食は心身の健康に良くない
  ・こうした事を改善することで、体を支配している自律神経
   (交感神経・副交感神経)の働きを良くする

 ③背中側を鍛える(腰痛や肩コリの予防と改善が出来る)

  ・背そらし(一度に50回程度)
  ・背伸ばし(一度に30回程度)

 ④自然の中でゆったりする

  ・心の健康(ぼけない)
  ・楽しい仲間を作る(自然にとっぷり触れる)

 ⑤沢山の体験をする

  ・寒さ(暑さ)体験
  ・くたくたに疲れる体験
  ・長距離を歩く
  ・重い荷物を持つ
  ・真っ暗体験
  ・空腹体験など

 ⑥何と言っても「朝方人間」になる。朝6時に起きる習慣を作る

1)現代人の祖先はクロマニオン人で、狩猟・採集民族で自然の中で自然を相手に
  睡眠・食事・活動と言ったバランスを考えて、しかも空腹と言う信号が食べ物を
  獲りに行く活動の切っ掛けとなり、十分な活動(労働・運動)の後に食べ物が手
  に入る
2)それにたいして現代人は、空腹になると直ぐ食事をしてしまい十分な身体活動
  のチャンスを失っている。
3)現代人(中でも子どもの多くが)は負けない経験が少な過ぎ、しかも心を柔らかく
  する(友達の温かさに触れるなど)心の健康つくりがが不足している
4)現代人は何時も何かに追い駆けられている様な、不安感に苛まれているが、
  特にからだの自然を自然環境の中から吸収する活動が大切になる
5)血のめぐりの良いからだで暮らす事が大切で、それには血液循環良くする事が
  健康のバロメーターとなる
6)家族と健康づくりをやったり、時には都会を離れて心身のリフレッシュに励み、
  心の休まる仲間と共に大いに話し、大いに笑うことが健康つくりの原点

    
まとめ

2

子どもの「育ち」
を追跡する
医学の役割分担
とその中における
社会医学の位置付

医 学 名 役 割 分 担 備   考
臨床医学 内科、外科、小児科、産婦人科、
眼科、皮膚科、耳鼻科、脳神経科・・
病院や医院で患者を診る
仕事(医者の90%)
基礎医学 解剖学、生理学、生化学、薬理学、
微生物学、免疫学
ほぼ研究活動が中心
社会医学 公衆衛生学、衛生学、予防医学、
疫学
公衆衛生学:集団の健康
 分析に基づく地域全体の
 健康への脅威を扱う医学

予防医学:健康な人が病気
       にならない医学
    (住民健診や産業医)

疫学:伝染する病気の医学
   現在は感染症がメイン

1)疫学研究要点
 ・人間集団における健康状態の分布を観察する
 ・健康状態に関連する要因を明らかにする

2)疫学の目的
 ・疫病の予防
 ・寿命の向上
 ・生活の質の向上

3)疫学の目的を広げて考えると
 ・人間集団における事象(例えば、物事に対する価値判断やある行動の有無)
  の分布を観察する
 ・それに関連する要因を明らかにする
 ・上記二項目に対して次の事が得られる

  ① 有害な行動の予防
  ② 教育効果の向上

4)疫学の方法論を医学以外に考える(例)

代理出産(代理懐胎)是非の意識に影響する因子の検討(認めて良いかどうか)
此の検討により、次の予防や活動が得られる

   ① 知識が無いことによる社会的倫理問題の予防
   ② 対象を絞った知識の普及・啓発活動

1)横断研究
 ・ある集団について、調査時点における曝露(病気の原因)の有無と疾患の有無
  を調べることで、曝露と疾患の関連を検討する等が有るが、一時点で調査は
  完結するが、調査対象者に偏りが有ると間違った結果が出る事が有る

2)症例対照研究
 ・症例群と、年齢や性別でマッチした対照群を設定し、それぞれに付いて過去の
  曝露(病気の原因)歴を調べることにより、曝露と疾患の因果関係を検討する

3)コホート研究
 ・ある集団における曝露(病気の原因)状況をベースラインで調査し、集団全体を
  追跡することで、曝露群と非曝露群における疾患発生の違いなどを検討する
 ・サンプル数を多く摂る必要が有り、結果を得るのに時間が掛る

 コホートとは:「集団」や「群れ」のこと
 コホート研究:ある集団を、時間を掛けて追跡して行く研究

4)無作為化比較試験
 ・対象者を介入群と対照群に無作為割り付けし、介入した場合と介入しない場合
  で結果への影響が異なるかどうかを検討する

 ・ 疫学研究は「人間が対象」で、他の遺伝子や分子レベルの研究や実験動物に
  よる 研究と基本的に異なる

 ・ つまり、生きている人間は、一人一人違う生活をしている(多様性やバラツキ)
 ・ しかし、同じ社会で暮らすと似たような生活をする事が有る(人種、民族、文化)
 ・ 社会を構成する人数が増えると、色々な人が出現しバラツキも大きくなる一方
  で、 同じ様な生活をする人も増えて来る
 ・ 疫学研究では、一人一人が違うと言う事を客観的に認識することが必要
 ・ その様に全く異なる個人が集まった集団の特長を更に客観的に評価する事
  が大切
 ・ 疫学研究の結果は、現実社会の全体では無く、一部を表現している事が殆ど

        
疫学研究とは
疫学における様々
な研究デザイン
疫学研究の
意味と意義
コホート研究として
の甲州プロジェクト
1)甲州プロジェクト(大勢の赤ちゃんの追跡調査:出生コホート研究)
 ・旧塩山市(現甲州市)で20年前から「母子保健長期縦断調査」を実施

2)プロジェクトの目的
 ・甲州市の母子保健の現状調査
 ・母子保健行政を実施する上での基礎資料の作成
 ・将来母子のみならず一生涯の健康問題を明らかにする
 ・より豊かで健やかな人生を送るための対策を検討する上での、重要な縦断的
  資料とする

3)プロジェクトの経緯
 ・1986年(昭和61年)より準備開始
 ・1988年7月から調査開始
 ・調査票は4階改訂し、現在第5版
 ・2001年度、また2006年度からは毎年市内の全小・中学校を対象に「児童
  生徒の心の健康と生活習慣に関する調査(思春期調査)」を実施している

4)プロジェクトに関わっている人
 ・甲州市健康増進課(旧塩山市保健環境科、同保健課、同健康増進課、甲州市
  子育て支援課)の10人以上の課長と、30人以上の保険師、管理栄養士
 ・山梨大学医学部社会医学講座の3人の教授、約20人の教員、約100人の
  研究生・大学院生、事務、技術補佐員

4)調査内容
 ① 乳幼児健診における調査対象と方法
  ・アンケート:母子健康手帳交付時、1才半児検診、3才児健診、5才児健診
  ・母子管理票(健診票)データー:乳児健診(3ヶ月、7ヶ月)、1才半児健診、
   2才歯科検診、3才児健診、5才児健診

 ② 乳幼児健診における調査内容
  ・アンケートから、健康状態、生活習慣と育児に関するデーターを収集
  ・母子管理表・健診票から、体格や歯の健康に対するデーター、健診における
   判定のおデーターの収集

 ③ 思春期調査の目的・方法・調査内容
  ・目的:思春期の子ども達の「生活習慣病」と「心の健康の把握と対応」を中心
       に甲州市の学校教育と地域の連携を推進する為の基礎資料の作成
  ・方法:甲州市全域の小学4年生から中学3年迄の全員(2006年度のみ
      対象者の保護者も調査)
  ・調査内容:平成12年度文部省全国調査(心の健康と生活習慣に関する調査)
         の調査票の改訂版と、「自己式抑うつ評価尺度」の使用、保護者
         への質問票、身体データー(身長・体重・虫歯)など

5)プロジェクトの国際的な意義
  ・此れ迄の出生コホート研究が殆どは出生後からの追跡であるのに対して、
   妊娠中からの追跡により妊娠中の生活習慣をより正確に検討できる
  ・胎内環境がその後の発育や発達に与える影響のメカニズムを探きっかけ
   を得ることが出来た

6)プロジェクトの成果
  ・過去20年分の各コホート別のデター(約4000人分)が存在する
  ・各時期における様々な曝露(病気の原因)要因と妊娠予後(早産・低出生
  体重児等)各健診時や思春期の肥満や「うつ」等の関連を検討する事が可能 

  
エコチル調査 1)環境省が50億円を掛けて、環境が子どもへ与える健康等への影響を調査する
2)環境ホルモンやダイオキシンなどが子どもに与える影響の調査が基本
3)日本中で10万組(3年間)が参加(全国15地域)
4)妊娠中から子どもが13才になるまでの調査で、H23年1月から登録が始まった
5)環境リスクが人間に与える影響について、従来は動物実験や基礎研究を中心
  としたメカニズムの解明を今回は定期的に健康状態を確認して環境要因が
  子どもの成長・発達にどの様に影響を与えるか、その地域性や構成家族など
  を含めて追跡調査を行う
6)体制は、環境省をトップにコアセンター(国立環境研究所)+メディカルサポート
  センターを中心にユニットセンター(大学等15ヶ所)と全国約300の医療機関
  と地方自治体で構成する(山梨大学は甲信ユニットセンターを受け持つ)
7)出産予定日がH23年8月以降の妊婦で、調査対象地域に居住が公募条件
8)報酬は薄謝(金券)程度
9)とにかく数十年を要する地道な研究活動で、引越し等での移動の追跡も行う
10)調査項目:血液尿髪の毛の化学物質生活習慣(食事・運動・仮定環境)
         子どもの成長や病気の記録。妊婦は妊娠中に2回、父親も採決と
         質問票を母親が妊娠中に対応。
  
  とにかくこの調査に協力するには余程の覚悟が必要であると感じた
  10万人の対象者が継続して協力してくれるかどうか(?) しかし、
  この調査が目指す目的と目標は良く理解出来る


1)日本の子供が感じる「親子の心の絆」の国際比較
 「親が自分を信じてくれているか」について、米国、中国、韓国、日本のそれぞれ
  6,000名の中・高生のアンケート結果
                                     単位:%
アメリカ 中 国 韓 国 日 本
母 親 81 77 54 21
父 親 78 70 47 10
 つまり日本は4国のうち最低で、意外とアメリカが親を信頼している割合が高い

2)こころの危機:様々な要因で子供の心が疲弊している

 ・ストレスの増加:自分に自信が持てず、外部からの悪い刺激が多過ぎる
 ・意欲の欠如:生活が便利過ぎて何かをやろうとする意欲がわかない
 ・判断力の低下:既に決まっているから決めても無駄との考えが支配的
 ・社会性の欠如:他人との関わりが面倒臭いと言った自己中心的な子が多い
 ・情緒の欠如:人を思いやる心や自然や芸術等を楽しむ心が育っていない
 ・工夫が出来ない:失敗をして工夫をする力が育ち、遊びの中で工夫が生まれる

3)子供を取り巻く外部の要因

 ・運動や遊び:遊び時間、遊び空間、遊び仲間が昔より大きく変っている
 ・食事:孤食、欠食、個食、インスタント食品等、家庭環境や食品が変化している
 ・家での生活:睡眠不足(夜更かし)、テレビやビデオ等のメディアの変化

 こうした便利な生活(効率化・自動化・情報化)に慣れていることの弊害
 このような暮らし方が、生活の乱れを生んでいる

4)今の子どもと昔の子ども

 ・今の子どもは心身が健やかに育っていない。昔の子ども(30年~35年前)は
  外で遊ぶことが多かった。そして、健やかに育っていた。
 ・子どもから遊びを奪ったのは、日本の大人達。他国の子どもは外で沢山
  遊んでいる。
 ・勉強は学習塾・運動はスポ少、これでは健全な心身の育成が出来ず、偏った
  人間になってしまう。最近少年が簡単に人を殺す事件が多発している背景に、
  健全な子ども同士の外での遊びが皆無に近い事も要因の一つと考えられる。
 ・ゲームセンター等が子どもの健全な心身の育成を阻害していることに何故
  大人達は営利を目的にやり続けるのか(?)そうした事の反省として、例えば
  スーパーのイオンは店内のゲームセンターを全て撤廃した。国内で5年後に
  1/3に縮小すると予想される。

    

1

健やかなからだを育む

~子どもを取り巻く問題
      の解決に向けて~

日本の子供の現状


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平成23年度テーマ:「富士山考&甲斐の国人物伝」


絵画に託された
富士のイメージ
富士信仰概観
 ① 山岳信仰
 ・縄文時代の土器から出土
 ・遥拝(遠くから拝む)施設があった
 ・富士山は禁足地(足を踏み入れてはならない所)であった

 ② 浅間神社
 ・アサマ神(「アサマ」はアイヌ語で火を噴く山の意味が有る)
 ・荒ぶる神
 ・そうした神を鎮める為に神社を造った
  a)「常陸国風土記」に福慈神(ふじしん)の記述が有る(和銅6年:713)
  b)駿河国大宮(現富士宮)の記述が有る(大同元年:806)
  c)甲斐国八代郡(貞観7年:865)の記述が有る
    貞観は「じょうかん」と読み、貞観6年に富士山が大爆発した

 ③ 修験道
 ・平安末期(12世紀中頃)に霊力を得る為に登拝(山岳秘教や修験道の山)
 ・平安末に「末代上人」が富士山頂に「大日寺」を建立
 ・中腹の「村山浅間社」は室町期の富士修験の中心地

 ④ 神仏習合:中世前期に「浅間大菩薩」を作りこれは大日如来で八峰を胎蔵界
   の「中台八葉院」に例えた

 ⑤ 阿弥陀信仰:中世、山頂に阿弥陀浄土を祀った

 ⑥ 祭神の変移:室町末に「木花開耶姫(神)」が祀られ、江戸時代に定着した

 ⑦ 富士講
 ・江戸時代に隆盛し、「北口浅間神社」として発展した
  江戸→甲州道中→高尾山→吉田口→お鉢巡り→須走口→大山→江戸
 ・木花開耶姫命は室町末期に登場し、盛んになるのは江戸期から
 ・長谷川角行が正保3年(1646)に人穴で入定(死して即身仏となる)し祖となる
 ・村上清光と食行身禄が烏帽子岩で入定(享保18年:1733)組織化
 ・江戸八百八講や富士塚が流行する
 
富士の絵画概観

古代
・物語や名所絵として概念的な山としての富士山(見た事が無いので)
・現存最古は「聖徳太子絵伝」:平安時代(延久元年、1069)

中世
・共通概念としての富士山(形式化した三峰の形)
・現存最古の裏富士:「遊行上人縁起絵(真光寺本)」→鎌倉時代(元亨3年)
・鎌倉時代に禅僧により山水画として描かれた(連作「富士八景」)
・富士信仰の礼拝画として描かれた

近世
・江戸時代には身近な存在となる(富士を江戸の景観の一部と捉える感覚)
・様々な個性が排出され描く者の個性が表わされる
・旅が盛んになり様々な場所から富士が描かれた(多くの画家がいた)


富士のイメージ
の変遷

 ①名所絵・歌枕
 ・名所絵として富士が描かれた(富士の姿は概念的)
 ・歌枕は現実に見る事もなく概念的知識として描かれ、特に和歌の中に描かれた
 ・10世紀に藤原伊尹邸の名所屏風絵『続千載和歌集』『能宣朝臣集』に屏風絵
  が有る
 ・延長2年(924)「藤原忠平室(奥さん)五十賀の屏風」に田子の浦から見た富士

 ②物語図
 ・名所絵の概念的姿を引き継ぐ
 ・『源氏物語』絵合(絵.合せ)巻 「竹取物語」「伊勢物語(東下りで富士を眺めた」
 ・「聖徳太子絵伝」現存最古の富士図 延久元年(1069)泰致貞筆(東京国立博物館)
 ・法隆寺旧蔵(東院壁画)、聖徳太子が27才の時に甲斐の黒駒に乗った姿
 ・「伊勢物語」第九段「東下り」:久保惣美術館(大阪)・・・鎌倉時代
 ・「一遍聖絵」:正安元年(1299)、法眼円伊筆:清浄光寺(遊行寺・神奈川)
 ・「遊行上人絵伝」:現存最古の裏富士(山梨側) 14世紀初め 真光寺(兵庫)
 ・「曾我物語図」(富士巻狩図)、「月次風俗図屏風」中に最古例(東京国立博物館)
 ・「曾我物語図屏風」(山梨県立博物館)・・室町末

 ③室町水墨画の富士
 ・富士を水墨画で描いたのは、現存では室町期の富士図が最古
 ・室町期には、日本の風景と言えば富士山が一般的になる
 ・鎌倉周辺の禅林において、水墨画の富士が多く描かれた
 ・稜線の傾斜がなだらかになり実景に近ずく。
 ・中国伝来の技法で日本の風景を描いた
 ・建長寺画僧(仲安真康)が描いた「冨嶽図」(根津美術館)・・室町時代
 ・建長寺画僧(賢江祥啓)が描いた・「冨嶽図」(東京国立博物館)・・室町時代
 ・伝雪舟:「富士清見寺図」多くの絵師模本として描いた最も有名な富士の古画
 ・式部輝忠(駿河今川家御用絵師説)「富士八景図」:現存する最古の富士連作

 ④富士参詣曼茶羅
 ・信仰の対象である富士山上部と富士信仰の拠点である浅間神社の登拝ルート
 ・「富士参詣曼茶羅」(狩野元信印・・狩野永徳か)富士山本宮浅間神社(室町)

 ⑤不死の山
 ・戦国時代の武具などに意匠化(陣羽織などに不死を祈願)
 ・「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」(大阪城天守閣)豊富秀吉着用と伝わる
個性を映す富士図  ① 桃山~江戸初期の障壁画
 ・狩野永徳:天瑞寺(母大政所の為に秀吉が大徳寺内に建立)その客殿に
         「墨絵富士之図」(現存せず)
 ・長谷川等伯様式:「富士山杉樹図屏風」→もと襖絵(金毘羅宮博物館)
 ・狩野山雪:「富士三保松原図屏風」(静岡県美術館)
 ・狩野探幽(永徳の孫):「富士山図」 寛文七年(1667) 狩野派の抒情的な富士図
                の型を完成(静岡県立美術館)

 ② 文人画・真景画(18~19世紀)
 ・池大雅:「富士十二景図」(1,3,5月描いた:東京芸術大学美術館)
       「冨嶽図」(山梨側を書いた):山梨県立博物館
       池大雅は富士を3回登山した三岳道者(富士、立山、白山)
 ・与謝蕪村:「松林富士図(」富山佐藤美術館
 ・桑山玉州:「冨嶽山水図襖」 寛政7年(1795)
 ・田能村竹田:「芙蓉残雪図」 文政2年(1819)
 ・谷文晁:「富士山図屏風」 天保6年(1838)
 ・野呂介石:「紅玉芙蓉峰図」 文政4年(1821)→最古の赤富士(脇村奨学会)
         三島辺りからの赤富士で、大変なブームになった 
 ・富岡鉄斎:「富士山図」 明治31年((1898)→最後の文人画家

 ③ 洋風画
 ・司馬江漢:「駿州薩陀山富士遠望図」 文化元年(1804) 静岡県立美術館
 ・小田野直武:「冨嶽図」 安永6年(1777) 秋田県立近代美術館

 ④ 浮世絵
 ・鍬形蕙斎:「江戸一目図屏風」 文化6年(1809) 津山郷土博物館(岡山)
 ・葛飾北斎:「冨嶽三十六景」 天保元年~4年(1830~33)
         「冨嶽百景」 天保5年(1834)~
         「富士越龍図」 嘉永2年(1849) 90歳 最も絶筆に近い作品
 ・歌川広重:「不二三十六景」(横長) 嘉永5年(1852)
         「富士三十六景」(縦長) 安政五年(1858)

 ⑤ その他
 ・尾形光琳:「冨嶽図(扇面貼交手箱中籠表」 江戸中期(大和文華館)
 ・野々村仁清:「銹絵富士山図茶壷」 江戸中期(根津美術館)
 ・武蔵野図屏風(武蔵野と富士は関東の風景として定着)
 ・円山応挙:「富士三保松原図屏風」 天明4年(1784)(白鶴美術館)
 ・長沢慮雪:「富士越鶴図」 寛政6年(1794)(個人蔵)
 ・狩野永岳:「富士山登龍図」 嘉永5年(1852) (静岡美術館)

近代に展開し
た日本の象徴

 ①日本の象徴
 ・外国人にとって富士は日本らしさ→日本人が「日本らしさ」を演出
   五姓田芳柳:「風俗図屏風」 横浜絵(郡山市立美術館)
 ・万国博覧会の出品物:日本の国際的地位向上と日本製品の販路拡大を目指す
   柴田是真:「富士田子浦蒔絵額」 明治6年(1873)明治政府初参加のウイーン
          博覧会に出品(福富太郎コレクション)
   涛川惣助:「七宝冨嶽図額」 明治26年(1893)シカゴ万国博覧会に
          「無線七宝」を出品(東京国立博物館)
 ・日本の国土、日本の国体、日本の国性を、富士山のイメージに託した
 ・大衆化・通俗化:関東大震災後に銭湯の背景画として使われた
 ・戦後、敗戦によるイメージの反発、伝統に対するアンチテーゼ

 ②新たな表現や技法への挑戦
 ・「日本画」「洋画」の多くの近代画家が富士山に挑戦
   橋本雅邦:「富士図」 明治33年(1900)(富士美術館)
   横山大観:「四季之霊峰」 昭和16年(1941)(山梨県立美術館)
   五姓田芳柳:「清水の富士」 明治14年(1881)(東京都現代美術館)
 ・現代作家も挑戦中



山梨出身の歌い手たち

歌手の紹介

1)森進一
 ・山梨県甲府市出身((昭和22年)
 ・父親が山梨県白州町出身で看板職人。仕事がら、沼津や下関を渡り歩いた
 ・最後は母親の郷里の鹿児島へ移ったが、母親の病気等で大変苦労をした
 ・集団就職で大阪に就職したが、再び鹿児島に戻り、キャバレーでバンドボーイ
 ・東京の「リズム歌合戦」で優勝 「東京パンチョス」のチャーリー石黒に見出される
 ・「女のためいき」でプロデビュー(1966年)
 ・「おふくろさん」が大ヒット(1971年)
 ・襟裳岬(1974年):その前年に東京に自宅を新築したがその年に母が自殺
 ・冬のリビエラ(1982年)
 ・「おふくろさん」騒動(2007年)
  ①1994年の紅白歌合戦で歌の間に挿入歌として追加された
  ②その歌詞は、「いつも心配ばかり いけない息子の 僕でした 今では出来
   ない事だけど 叱って欲しいよ もう一度」(補詞:保富康午、補曲:猪俣公章)
  ③つまり、森進一が直接作詞作曲に関わったのではなく、曲を盛り上げる為に
   別人により追加されたのだが、作詞者の川内康範と係争問題に発展した

2)水越けいこ
 ・山梨県富士吉田市出身(昭和27年)
 ・スター誕生山梨大会優勝(1974年)。決勝大会ではスカウトされず、後日サン
  ミュージックと契約。その後、田中星児と組みTBS系の「八時の空」のお姉さん
  として出演し活躍した
 ・「しあわせをありがとう」でデビュー(1978年)
 ・その後、「ほほにキスして」(1979年)などを出すが、以後は曲に恵まれず、執筆
  活動を行う
 ・海潮音(みしおね)を発表(2005年):宮城県気仙沼市の太鼓演奏曲に彼女が
  詞を書き発表、此れが縁で「みなと気仙沼大使」になる

3)レミオロメン
 ・メンバー(県立石和高校の同級生)・・現在、石和高校は笛吹高校に統合
  藤巻亮太(1980年:昭和55年)
  神宮寺治(同上)
  前田啓介(1979年:昭和54年)
  の3名が2000年に初ライブ

 ・バンド名の由来(三人の好きな言葉の頭文字から選んだ)

  ①藤巻は自分が好きな英国のロックバンドの「レディオヘッド」から「レ」を選んだ 
  ②神宮寺は以前付き合っていた彼女の名前と自分の名前より選び「ミオ」とした
  ③前田は 路面電車が好きなので「ロメン」とした
 
  この文字を合わせて「レミオロメン」と正式に呼び、初ライブの6年後の2006年
  に日本航空学園高校(韮崎)の滑走路で演奏した

 ・レミオロメンのバンド名以前の作品
  蒼の世界、粉雪(ドラマ「1リットルの涙」フジテレビ系の挿入歌として人気が
  出た。いずれも2005年発表)
  
 ④その他、
  ・田原俊彦(小学生から甲府在住)
  ・THE BOOM(宮沢和史、小林孝至、山川浩正)が、「島唄」、「風になりたい」
   「中央線」などのヒット曲を出す(1990年~1995年)
  ・伸太郎:「白い風」で山梨ではヒットした

日本と欧米の
歌の違い
1)海外の場合
  ・歌手の性別で「彼」「彼女」の歌詞で歌うことが多い。
  ・例えば、ビ-トルズ(男性グループ)とカーペンターズ(女性ボーカル)が同じ
   「涙の乗車券」を歌う時に、ビートルズは三人称をHeで歌い、カーペンターズは
   Sheで歌う(英語には一人称と二人称に性差はなく、三人称は音の長さが同じ
   なので歌い手によって容易に入れ替える事ができる)

2)日本の場合
  日本の歌手は、例えば男性歌手が女の立場で歌う事が多い。これを、
  Cross Gendered Paformans(ジェンダー交錯歌唱)と言う

  Gender:社会的、文化的に形成される男女の差異。男らしさ、女らしさといった
        言葉で表現されるもの

3)結論
 ・日本の歌手は、男性が女性になり変わって歌唱し、女性はどちらかと言うと男性
  の気持ちになって歌唱する場合が多く、特に、「森進一」はそうした歌が多い

 ・別な見方をすると、日本では歌の作り手と歌手、主人公が分離している場合が
  多く、彼が演じた登場人物の感情を、他の歌い手と比較し評価する場合が多い

 
山梨の歌手
の歌詞分析
山梨を舞台にした歌は少なく、「東京」を歌った歌が多いが、上記で紹介した歌い
手達の曲想の分析をすると以下の様になる(東京を歌った歌)

1)森進一[東京物語:阿久悠(作詞) 川口真(作曲)・・1977年(昭和52年)]
 
 ・東京のマイナーな部分を歌った曲
 ・男のために派手な自分を隠し、水商売をやめた女性の心境
 ・お互いに青春を謳歌出来なかった男女が兄妹(子供)の様に暮らすフィクション
  の世界
 ・孤独な男女が対等の関係で終わりを意識しつつ青春を取り戻す様に求め合う
  (此の曲にはこうした東京のマイナーな世界が映し出されている)

                               東京物語(You Tube 映像)

2)水越けいこ(東京が好き:作詞・作曲水越けいこ・・1979年)

 ・大好きな人と別れ男は去り、くらくらになったり頼りなさを感じる。
 ・しかし、それでも「東京が好き」一人で孤独に過ごす大好きな都会、それが東京
 ・別れのショックで見る都会の夜は、美し過ぎて目がくらむ。そうした東京が好き

                             東京が好き(You Tube 音声)


3)レミオロメン(東京:作詞・作曲 藤巻亮太・・2010年)

 ・上の2曲と比べてストーリー性がない(J -POP は歌詞分析が出来ない)
 ・強いて言えば、東京は愛し・戦う街。しかし、東京にいても、時折 故郷(山梨)
  を意識する
 ・「ハロー」と言い東京に来るが、「グッバイ」と言い立ち戻る(原点は山梨)

                                東京(You Tube 音声)

まとめ
 
 ・大学の教授が山梨の歌い手達をどの様に紹介するかが初めは判らなかったが
  日本と欧米の歌の違いについて分析し、特に日本の歌謡曲はジェンダー交錯
  歌唱と言い、男性が女性の気持ちになって歌い上げる曲想が多いと説明
 ・森進一と水越けいこそしてレミオロメンを紹介し、「東京」を題材に夫々が歌った
  曲を紹介しながら、その歌詞の分析と曲想に付いて紹介した
 ・私は、森進一以外は知らなかったので興味が持てたが、硬い話ばかりでは無く
  時にはこうした柔らかなテーマも楽しかった
 ・そこで、改めて「You Tube」で曲を聞いて見たので参考までにお聴き下さい



富士山をプロジュース

世界遺産として守り
観光資源として使う
富士山とは

 ・日本一高い山
 ・古来から多様な信仰の場として崇拝
 ・創造的な優れた芸術品を生み出す母体

 として、国内外から富士山への憧れがあり、今後とも人気が上昇する
 
・現在、国内外から年間6000万人の観光客が富士山を中心にその周辺に
 訪れている

富士山の定義
1)物理的な山では無く、地域の存在
2)観光圏として富士山単体では無く、面(富士五湖や御坂山塊など)として捉えて、
  平成20年に「観光圏構想」として行政を超えて観光圏が定義された
3)周辺地域の観光資源を含めたトータルとしての富士山

自然保護を
中心とした
キーワード
1)自然保護を守る概念
 ・日本人は自然保護を守るか守らないかの二元論の考えが主流で、解釈が様々
  その為に、誤解を招き易い
 ・「守る」の概念には以下が有る

2)自然保護の区分

 ① 防護・保存(Protection・Preservation)

  ・貴重・希少自然物(生物を含む)を原則そのままの状態にする
  ・凍結的に厳重保護・保全維持
  ・天然記念物や特別保護地域区管理等が典型
  ・過激な活動では有るが保守的:誰も入っては駄目、触っても駄目といった自然
                      保護を環境省が「自然公園法」として整備した

 ② 保全(Conservation)

  ・国際的に「自然保護」の通念
  ・日本ではまだ理解されていない
  ・自然資源を賢明に活用しながら、より豊かな状態に保全管理
  ・積極活用の反面、自己制御が必要で、賢明さが求められる
   (管理の仕組みもないのに使うな。管理の仕組みを作って積極活用

 ③ 回復・復元(Rehabilitation・Restoration)

  ・悪化・消失の自然環境を人の手により原因を排除し、より健全な状態に戻す
  ・修復さえる対象は「劣化や踏圧被害の湿原」など
   「ビオトープ」「近自然工法」「多自然工法」等がそれに当る
  ・技術や知識等の専門性が求められる
  ・釧路湿原(ラムサール条約):湿原を開拓時期に原野に変えようとした活動
   を湿原を湿原のままに残し、回復(復元)させた
  
3)環境緩和(Environment mitigation)

 ・開発行為に伴い「環境アセスメント」を行う
 ・環境影響を最小限に考えた手法で、アメリカが国家環境政策法として定めた
  一般的に「環境影響評価」として知られている

 ① 回避→②最小化→③修正→④軽減→⑤代償(その場・別の場)の順で優先

 ・日本では「回避」などを含まない代償措置として、新たに緑地や親水護岸を造る
  ことを意味する
 ・ビオトープの技術論が先行し、影響の回避を検討する場合が少ない
 ・諫早湾の干拓に代表される事業

親水護岸 :護岸としての機能を持ちつつ、人が水辺で遊べる様に配慮された護岸
ビオトープ:生物空間、生物生息空間とされる。(bio(命) + topos(場所))の造語で
       転じて生物が住み易いように環境を改変することを指す(ドイツ語) 

4)日本ではまだまだ体系的な「自然保護」の概念の整理が出来ていない

富士山を世界
遺産として守る
1)富士山を世界遺産として守るためには、保全をどの様にするかを思考しながら
  「持続可能な利用」を考える(演出する)

2)世界遺産とは

 ・地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれて来た
  人類全体の「宝物」であり、ユネスコが作成する「世界遺産リスト」に登録された
  遺産のこと
 ・世界遺産条約(法律では無い):1972年11月16日に採択された国際条約で、
                      1975年12月17日に発効した(締約国は2010年
                      現在187ヶ国)
   正式名称は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約
    (Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)

 ・文化・自然・複合遺産があり、2010年現在 文化遺産(704件) 自然遺産(180件)
  複合遺産(27件)で全世界で合計911件が登録されている
 ・富士山も2009年に暫定的に登録された

3)観光資源とは

 ・観光客を集めるのに役立つ美しい景観・名所・温泉など
 ・観光やレジャーと言った余暇を楽しむ需要に応じられる要素の事で、地域起こし
  の方法の一つとして、観光産業を興す時の元となる要素や事象のこと

4)「観光」とは

 ・中国の易経に「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」の一文が有り此れが
  語源とされている
 ・貴重なもの、価値の高いもの、素晴らしいもの

5)観光利用とは、生産活動として「観光振興」を地域のものとして利用することで、
 ・重要なのは、以下の2点

 ① 地域が一丸となって価値観を共有し、どの様に活用するかを検討する取組み
 ② それには、保全の仕組みが必要で此れを徹底させる事。使うと価値は下がる

 ・価値観を共有するには

 ① 今迄の景観に手を付けずに、富士山が持つ求心力を使ってブラシアップ
 ② エコツーリズムの多角的展開の仕組みを作る。例えば、地域の特色ある自然
   ・文化・暮らしへの理解を深める旅行や交流活動によって、地域の環境保全や
    産業の仕組みを持った観光活動など
  ・売れる商品化のポイントは、エコツアーの中で自然系と人文系の2極で創造

6)富士山の文化世界遺産への課題

 ・近年、五合目へ年間250万人が訪れて、年間26万人が登山をするが今後
  此れをどの様に保全して行くか(観光税や入山料の是非)
 ・世界遺産として守るのは富士山を訪れる人と、それを生業にする人の全てが
  富士山の環境を壊すことなく節度と管理が末永く続くことが大前提
 ・例えば、青木ケ原樹海の環境を守る為に柵で囲い進入禁止にすると、恐らく
  ゴミ捨て場に変質することが考えられる
 ・一部の観光ホテルが世界遺産の登録で観光客が増加し環境が壊れることを
  懸念し反対しているケースがあるが、観光振興の見地からどの様に保全し管理
  して行くかを考えることが大切であり、前向きに捉えるべきである
 ・全国の温泉地の中には、一時の繁栄ぶりが衰退して行くケースが見られるが、
  地元の事を考えずに外部から大資本が入り地元の旅館が潰れて行く現実を
  見るにつけ、地元が将来を見据えて観光と取り組む努力が重要


  
山梨に由来する
モダニズムの群像
モダニズムと
近代化(産業化)

1)モダニズム(modernism)とは
 ・20世紀初頭に各分野で起こった実験的な芸術運動でモダンアートとも言う
 ・哲学・美学・文学で、伝統主義に対立して、現代的文化生活を反映した主観
  主義的傾向の総称で、未来派・表現派ダダイズムなどを含む
 ・最新の趣味や流行を追う傾向で、現代好み

2)近代化
 ・社会を近代的な状態に変えることで、政治・経済・が「国民国家」「産業化」を
  特長とする形態に変えること
 ・「産業化」を中心として、それに関連した政治的・経済的・心理的その他様々
  な変化の総体を指す

3)産業化
 ・科学技術の成果を系統(累積)的に活用して、生産力を始め環境をコントロール
  する能力を高めて行く過程の中で 18世紀後半のイギリスにおける「産業革命」
  に始まり、20世紀後半には全世界が大きく方向転換した

日本モダニズム 1)日本モダニズムとは
 ・1920年代後半(大正末)~1930年代半ば(昭和10年代)における西洋文化
  (美術や詩など)の影響を強く受けて流行した独特の思想と風俗
 ・第一次世界大戦後の衝撃(既存の解釈体系や信念体系では「世界」は捉えられ
  ないと考え、新しい芸術・文学・思想が試みられて「新感覚派」「新興芸術派」
  が生まれた

2)日本モダニズムの二つの顔
 
 ①産業合理化:西洋の合理主義・鬼界主義の思想の受容によりフォードシステム
           による大量生産や生活の機械化・速度化・能率化が叫ばれた

 ②風俗の解放:西洋文化(特にアメリカ映画・音楽)を通じて移入されたモガ・モボ
           等の新しい風俗が生まれた(モガ:モダンガール、モボ:モダンンボーイ)

3)一言で言うと、「街頭(盛り場)のモダニズム」で、昭和10年代に軍国主義支配
  に対する消極的な抵抗としての風俗モダニズムで、エロ・グロ・ナンセンスなど
  の変革期の風俗的な表現
    
4)1930年代(昭和10年代)は伝統的な価値や規範への挑戦と言う「思想」の潜勢
  化の時代で、哲学者で思想家の「戸坂潤」によれば、思想と風俗は一連のつな
  があり思想は風俗となって現れ、風俗は思想を象徴し、風俗の自然的必然性を
  抑圧せねばならないと言う事は、実は思想の自然的必然性を抑圧する必要が
  ある時だ(昭和初期に現れた人で、治安維持法で捕まり獄死した人物)

5)日本モダニズムに欠けていたいたもの
    
 ①個の「主体」形成の抑圧(個が形成されなかった)
  「富国強兵」や「殖産興業」が追及され、一兵士・一工員・一社員となり切る事が
  要求され、国家・産業への埋没(異論を許さない体制)が求められ、大日本帝国
  の一臣民たること、「一丸となる」ことが常識となって行った

 ②昭和初期のモダニズムの一方が消えて行った
  風俗は消され産業合理化のみが残った。大正ロマンであるモガやモボ達
  (消費文化)を大切にすべきであった

 ③戦争の時代の中で、日本の近代化が欠けたものになって行った

山梨に由来する
モダニズム
1)昭和戦前・戦中期に、山梨でモダニズムの詩と美術が展開された

2)東京の銀座(森永キャンディーストアー)に集まった若者達
 米倉寿仁、長谷部林造、桑原圭介、奈切哲夫、川田総七、磯辺為吉、滝口修造
 曽根崎保太郎達が東京に集まった。その中で、米倉寿仁のみが画家で有り詩人
 で、他の人は詩人。更に、滝口修造のみが東京人で他は山梨出身者

3)若者達が東京に集まった1936年(昭和11年)は、二・二・六事件が起きた年で
  戦争へ軍がカジをきり、若者達に衝撃を与えた年である

4)創造意欲を持つ者との共闘
 ・モダニズム詩のフォルマリズム的傾向を克服し、詩に「意味」と「社会性」を取り
  戻そうとする彼らの意思が有った

5)詩誌「レオパール」の創刊
 ・1933年~1941年まで26冊を発行した
 ・その中で第一期レオパールは、旧来の抒情詩的傾向があり、個人的な抒情性
  に基礎を置き、自我の意識を中核にして、外界から与えられる印象に反応する
  その仕方を伝統的な「詠嘆法」を用いながら表現した者と、故意に文脈をはぐら
  かし断片的な観念を積み上げて行く者に分かれて行った
 ・そうした中で「抒情的」傾向の詩人達はグループから離れて行った(第2期)
 ・第2期レオパールは「シュールレアリズム(超現実主義)に向かった。それは、
  時代への危機意識と歴史意識の表明でもあった
 ・第2期レオパールでは意味不明な詩をあえて求めた

6)戦時中のモダニズム
 ・時代が大東亜戦争(太平洋戦争)へと突き進んで行く中で、モダニストたちは
  孤立して行った
 ・従軍画家や従軍作家として戦線詩や銃後の国民生活感情の滲み出た詩が多
  くなった
 ・戦線にあっては、常に死と共にある自らの生を凝視する様になった
 ・前衛への自己否定として、時代と共にモダニズムは変わって行った

フォルマリズム:1910年半ばから1920年代にかけて、ヤコブソン達が中心となって活動したロシア文学批評一派で、文学では無く文学性(ある作品をして文学作品たらしめるもの)こそを文学研究とすべきと主張した。彼等は其れまでの文学研究が文学史や心理学や哲学に依拠している事を批判し文学作品を言語世界として捉えて、“何が”書かれているかではなく、“いかに”書かれているかが先ず問題と考えた。つまり、“手法こそが唯一の主人公”とした。しかし、反マルクス主義と
非難されてスターリン政権から政治的弾圧を受けた。

日本のモダニズム
の変遷とまとめ
1)第一期レオパール:個人的な抒情性をもつ叙情詩人として広まって行った
               創刊(1933年11月ツ)~6号(1934年6月)
2)第二期レオパール:シューレアリズム(超現実主義)の前衛詩や前衛絵画へ
              変化して行った。7号(1934年7月)~21号(1937年7月)
3)第三期レオパール:軍国化の中で戦争を境に変化し生き抜いて行った
               22号(1938年3月)~26号(1941年4月)

まとめ

1)この様に、抒情詩人からモダニスト詩人へ、そして更に国家と共に歩む詩人へと
  モダニストらしく新しい思潮に敏感に反応しながら、いわば誠実に「転向」を重ね
  て行ったレオパールの詩人(画家)達の姿を振り返るとき、昭和の詩人(画家)
  の一つの典型を見ることが出来る

2)しかし、一方では人間として有るべき心の発露が時代と共に消え去って行く現実
  を窺い知る事が出来る

3)山梨の若者達が特別では無く、この時代を動かしたモダニストが全国にいたが
  特に「米倉寿仁を中心とした一団が日本のモダニズムを牽引した事は事実

4)詩誌「レオパール」は、今も保存されている(26号分)

    詩名の「レオパール」は、フランス語の「豹」を意味する



生きている火山
富 士 山

火山の分類
と噴火形式

1)火山の分類
 
  以前の分類

  ・活火山:現在も噴火活動をしている火山→桜島、浅間山
  ・休火山:かつては噴火活動が有ったが現在は活動をしていない火山→富士山
  ・死火山:今迄も火山活動が無かった火山→八ヶ岳

   しかし、活火山と休火山の線引きが明確ではないので、現在は以下の様に
   定義し直した

 
  新しい分類(A、B、C)

分類 特     長
100年活動度指数が5を超えるか1万年活動度指数が10を超えるなど噴火活動が盛んな火山 桜島、浅間山など13
の火山
100年活動度指数が1を超えるか1万年活動度指数が7を超えるなど噴火活動の火山   富士山、箱根火山
  など36の火山
いずれの活動度頻度ともに低い火山 八丈島など36の火山

   此処で活動度指数とは:「活動頻度」、「噴火規模」、「活動様式」を過去の
   記録から調べて、その数値を常用対数化して加算し、可能な限り数値化
   例えば、噴火規模は麓に影響を与えた面積や溶岩流速度に点数を付ける
   などをしたもので「火山噴火予知連絡会」が平成15年にまとめ発表した

2)火山の噴火様式

噴火様式 特  長 説  明
ハワイ式噴火 溶岩流流出が主体 溶岩流を避ければ被害は少ない
ストロンボリ式噴火 比較的粘性の小さなマグマの間歇的爆発による噴火
ブルカノ式噴火 爆発による噴火 一番被害甚大
ブリニー式噴火 大規模な降下軽石、火山灰を伴う噴火
ウルトラ・ブルカノ式噴火 水蒸気爆発、マグマで加熱
された地下水により爆発

3)噴火形式

噴火形式 特   長
マグマ噴火 マグマの直接噴出
マグマ水蒸気爆発 マグマが地下水と接触して爆発
水蒸気爆発 ・地下の高温ガスと地下水が接触して爆発
・マグマの流出はない
        ● マグマ中のガス成分の抜け方で爆発になるかどうかが決まる
        ● ガス成分がゆっくり抜けて行く時は爆発にはならない
        ● ガス成分が抜け難いと爆発する
        ● マグマ=流体状の岩(溶岩)+ガス

4)噴火形式の違いによる原因(噴火形式はマグマの成分により異なる)
 ・マグマは二酸化珪素(SO)の含有量により以下に区分される

  ① 酸性マグマ→酸性(珪長質:長石、准長石、石英)を含むマグマ
  ② 中性マグマ→①と③の両方の性質を持つマグマ
  ③ 塩基性マグマ→塩基性(苦鉄質:マグネシウム+鉄)を含むマグマ
              (苦はMgのこと)

 ・二酸化珪素(SO)の含有量が少ないと(苦鉄質)粘性が少なく粘り気が小さく
  なり流れ易くなる(玄武岩が中心:富士山やハワイの火山)

 ・二酸化珪素(SO)の含有量が多いと(珪長質)粘性が高くなり粘り気が強く
  流れ難い(流紋岩が代表→昭和新山)

 ・マグマの成分は変化する
  塩基性(苦鉄質)マグマ→中性マグマ→酸性(珪長質)マグマ

5)火山の噴火物

原  因 名  称 特   長
マグマの液滴
の飛散物
テフラ
(降下火砕物)
上空で固まる
直径2mm以下 火山灰
直径2mm~64mm 火山礫(軽石、スコリア)
直径64mm以上 火山岩塊
マグマの流出 溶岩流 谷に沿って流下(普賢岳)
気体 火山ガス
噴煙の降下 火砕流 高温火山ガスとテフラの混合物
既存の岩体の飛散 類質(異質)岩片 火山を構成する岩石が飛散
  マグマの温度は1000℃
  スコリア(scoria):火山噴出物の一種で、塊状で多孔質のものの内 暗色のもの
              岩滓(がんさい)ともいう。 主に玄武岩質のマグマが噴火の
              際に地下深部から上昇し、 減圧することによってマグマに
              溶解していた水などの揮発成分が発泡したため.

富士山の成り立ち 現在の富士山は、以下の4つの火山で構成されている

火山名称 活 動 期 特     長
愛鷹火山 40万~10万年前 現在の南側にあり小御岳火山の一部
小御岳火山 10万年前 輝石安山岩質溶岩流・同質テフラ層
5合目の位置(吉田口)標高:2000m程度
古富士火山 2万~1万5千年前 火山泥流堆積物が主体
原富士五湖(セの海、宇津湖、河口湖、
明見湖の4湖の形成。標高:2000m程度
新富士火山  1万~6500年前
         以降
現在の富士山
富士五湖の変化
 ・セの海の分断→西湖、精進湖、本栖湖
 ・明見湖の埋没
 ・宇津湖の縮小による山中湖の形成
  愛鷹(あしたか)火山:現在の富士山の南側にあり、その山麓部は富士山の
                下に埋もれている。しかし、存在しないとする説もある
  小御岳火山:5合目(山梨側)に山頂部が露出している
  古富士火山:新富士火山の下に埋まっているが、大月市の桂川沿岸に露出
  新富士火山:現在の富士山

富士山の噴火
場所と新富士
火山の層序
1)富士山の噴火場所
 ・山頂噴火:頂上の火口からの噴火
 ・山腹噴火:山腹に噴火口が形成されて、此の噴火口から噴出するもので
        この山腹の噴火地点には小規模な円錐形の火山(堆積丘)が出来る
        事が多い。此の堆積丘を寄生火山又は、側火山と呼び、富士山で
        最も大きな寄生火山は、北西山麓の大室山で、寄生火山から溶岩流
        が流出することもある。青木が原溶岩流は寄生火山のひとつである
        長尾山から流出している(大室山は、精進湖から見える)

  尚、富士山には北東から南西に掛けて割れ目が有る

2)新富士山の層序
 ・新富士火山は溶岩流の流出主体の活動と、テラフ(火山灰やスコリアなど)噴出
  主体の活動(爆発的な活動)が交互に繰り返されている。その活動周期は千年
  で一回の活動は500年続く

 新富士火山の層序                 層序:地層の重なっている順序

ステージ 年 代 特長
ステージ5
(新規溶岩流)
2200年前~
   現在
側火山・側火口からの中規模噴火期
青木が原溶岩流(平安時代)
宝永火山(江戸時代)
ステージ4 3500年前~
  2200年前
・山頂火口からの爆発的噴火期
・大室山の噴火(2800~3000年前)
・火砕流が発生し、地震による古富士火山の
・山体崩壊し御殿場岩屑堆積物が縄文時代  に発生した(2900年前)
ステージ3
(中期溶岩流)
5600年前~
  3500年前
山頂火口、側火山からの爆発的噴火と溶岩
流噴出期
ステージ2 8000年前~
  5600年前
山頂からの小規模な間歇的噴火と土壌
(富士黒土層)の形成期
ステージ1
(旧期溶岩流)
17000年前~
  8000年前
山頂・山腹からの大量の溶岩流噴出期で
三島溶岩流や猿橋溶岩流が知られている
   上記の年代は、岩石に含まれる放射線の測定により推定

富士山の歴史
時代の噴火

平安時代 天応元年 781年 富士山下雨灰(駿河国言)
灰の及ぶ所木葉彫萎(続日本記)
延歴19年~21年 800~802年 溶岩流出(日本記略)
貞観6年~7年 864~865年 溶岩流出、青木ヶ原溶岩流
承平7年 937年 駿河国富士山火海を埋める(日本記略
長保元年 999年 3月7日駿河国言上解文伝。この頃不二山焚。何崇者即下申伝・・(本朝世紀)
長元5年 1033年 駿河国言上 12月16日富士山火。峰より起こりて山脚に至る(日本記略)
室町 永保3年 1083年 富士山焼燃有(扶桑略記)
永亨7年 1435年 富士の火炎見えたり(王代記)
戦国 永正8年 1511年 富士山鎌岩炊(妙法寺記)
  永禄3年(?) 1561年 富士山噴火(日本災異志)
江戸   永禄13年(?) 1571年 噴火(野史纂略)
宝永4年 1708年 噴火(元禄時代の後)

 上記中で、延歴の噴火と貞観(じょうかん)の噴火(いずれも平安時代)の記録
  が多く、その中で貞観の噴火は寄生火山(長尾山付近)から噴火し、溶岩流の
  流出により青木が原が出来て セの海を溶岩流が分断し 西湖 精進湖 本栖湖
  が形成された。一方、宝永噴火(江戸時代)は3回の噴火で現在も南側6合目
  付近に噴火口が残っている(1707年10月より地震が続き、12月16日に
  大地震が起こり、午後から噴火し翌年1月に噴火が終了した)

 噴火と地震の関係で明確なのは「宝永噴火」のみで、宝永4年10月4日
  (新暦10月28日)にマグニチュード8.4~8.7の宝永地震が起こり、地震の16時間
  後に駿河から甲斐付近を震源とするマグニチュード7.0のやや大き目の地震が
  発生し、12月16日(新暦)の大地震の後に噴火が始まり半月後に噴火が終了

噴火予知と
地震の関係
1)噴火予知
 ・噴火予知には①長期予知②短期予知③直前予知があるが、直前予知は継続
  してデーターを取る事で可能であるが、①と②は不可能
 ・噴火予知方法は前兆現象(地殻変動で山体の変化や山麓付近の群発地震)
  を捉えることで直前予知が可能
 ・火山性地震はマグマの上昇に関係する地震で、特に震度の浅い地震は水分
  の急激な冷却による岩石の膨張破壊であり、噴火とは無関係

2)最近の富士山の状況
 ・最近1年間では、富士山頂の直下10~15km付近で低周波地震(ゆっくりとした
  揺れ)が発生している
 ・低周波地震は2001年にも発生している(防災科学研究所、気象庁)
 ・1987年にも低周波地震が多発
 ・低周波地震は1983年に存在が確認されているが、それ以前は不明
 ・低周波地震は地下のマグマの動きと関連している(マグマの深さは10~15km
  と考えられている
 ・最近の山体の歪の状況は2008年後半から富士山を挟む北東-南西の基線で
  伸びの傾向が見られる。しかし、現在は減少傾向(国土地理院)

今回の地震で
富士山は噴火
をするか(?)
1)今回の東北地方の地震(3月11日)以後の3月15日に静岡東部を震源とする
  地震が発生(マグニチュード6.4、震源は深さ14kmで富士宮市で最大深度6強)

2)地震は北北東-南南西に走行の断層に沿って発生した(逆断層型)

3)そこで、宝永の地震と噴火の関係から、今後富士山が噴火するのではと考えた

4)次の噴火が爆発的になるとする説

 ① 宝永噴火(1707年)以降300年間富士山は噴火をしていない
 ② 300年の間、マグマの成分が変化している
   玄武岩質→安山岩質:粘性が高くなり、粘性が高くなると爆発的噴火になる
 ③ 富士山は溶岩流出期とテフラ(火山灰)噴出期を交互に繰り返しているが、
   現在はテフラ噴出期で、次回は溶岩流出の可能性が高い

5)噴火に反対する説

 ① 宝永噴火は富士山としては特異な噴火形式
 ② 富士山は玄武岩質マグマで、爆発的噴火では無い
 ③ 宝永噴火は、安山岩質マグマと玄武岩質マグマの接触で爆発した
 ④ 安山岩質マグマは、以前の噴火で残ったものが変化した
 ⑤ 今回の3月15日の地震は、東北の地震の余震と見るべき

6)その後の追跡調査
 ・継続的な富士山の観測データーを精査する中では、富士山の噴火の兆候は
  表れていない
 ・3月15日以後の調査でも群発地震や山体の変化も確認されていない
 ・防災科学研究所発表のデ-タ-でも、震源は極めて小規模でその後の余震は
  散発的


体験的ポールラッシュ伝
ポール・ラッシュ
の紹介

1)アメリカ合衆国 ケンタ ッキー州出身(明治30年:1897年生れ)の牧師で博士
2)関東大震災(大正12年)の年に日本キリスト教青年会の拠点を立て直す為に
  来日し併せて、復興ボランティアとして活動した
3)聖路加病院設立にも尽力した
4)米作に適さない山間地の清里で、酪農や西洋野菜の栽培促進に取り組み、
  教会や高冷地実験農場、農村病院、農村図書館、保育園、農業学校など
  理想的な農村コミュニティーの開拓に一生を捧げた
5)太平洋戦争勃発で米国に強制送還されたが、戦後マッカーサーと共に来日し
  GHQに勤務し、戦犯者の免罪等に活躍した。同時に米国やカナダの市民に
  支援を求めて復興する戦後の日本に大きく貢献した
6)一方、スポーツ振興を図り、アメリカンフットボールを日本に紹介(設立)したり
  馬術をスポーツとして国内に広めたことでも知られている
7)清里に「清里教育実験計画」(Kiyosato Educational Experiment Project)を
  設立しこの頭文字から、キープ(KEEP)と名づけた。
  此の設立の趣旨は「人類への奉仕」の4つの理念、「食糧」「保健」「信仰」
  「青年への希望」が目的で、後にキープ協会として新たに「環境教育」と
  「国際協力」を掲げて、自然と触れ合う体験型学習の推奨や環境保護活動
  をポールラッシュが創設した「清泉寮」で、70年の歴史がある宿泊施設として
  現在も運営されている。また、山梨県の協力を得て県有地である清里駅前
  から八ヶ岳横断道まで約240haの貸与を受けている
8)終生 清里に住み、1979年に82才で亡くなるまで独身で暮らした。
9)日本を愛し、日本人と深く付き合った極めて偉大な親日家で、クラーク博士と
  共に日本を心から理解し、しかもダンディーでおしゃれな人であった

GHQ(General Headquarters)とは連合国軍最高司令官総司令部のことで、
  太平洋戦争の終結に際してポツダム宣言の執行のために日本において占領
  政策を実施した連合国軍の機関であり、ほぼアメリカにより執行された(日比谷
  に在るかつての第一生命ビルを接収し、1952年(昭和27年)に日本国との平和
  条約(サンフランシスコ講和条約)の発効とともに、活動を停止した
   
              配付された資料を参考に、Wikipediaより大半を転記

ポールラッシュの
精神と人となり
 
 ・ 生涯を「人類への奉仕」に捧げて、併せて開拓者精神(フロンティア・スピリット)
   を日本人にその精神を定着させた
 ・ 全ての人に可能性が有り 全ての人に役割がある が彼の思想の中心で有った
 ・ 最善を尽くせ!そして一流たれ!(Do your best and it must be first class!)
   を幾度も語っていたと言う
 ・ そして、「チャレンジ精神」を持つこと
 ・ 「人間は自然と喧嘩してはいけない」と言う教えを多くの日本人に伝えた
 ・ 例え夫々の階層(身分)が違っていても、差別(区別)をせずに誰とも公平に
  接すること が出来た人
 ・ 反面、謙虚な人で、しかし行動力や実行力に優れていた

講師の交替 実は、当日の講演者は清里でポールラッシュと一緒に父親が農場長として働いた人の息子さんで、子どもの頃からポールラッシュに大変可愛がられた舟木上次氏で、彼がポールラッシュから学んだ体験談を語ってくれるのが大変楽しみでした。

処が、舟木氏は急遽東日本大震災の復興(復旧)支援で、彼が清里で経営する
「萌木の村」から大きなオルゴールをトラックに積み、毎年夏に野外で行っている
「フィールドバレエ」のダンサーを数名連れて既に被災地に向かったと言うのです

そして、当日の講演者は18歳の時に乗馬についてポールラッシュに相談し、彼の
薦めで渡米を決意した方でオリンピックの馬術競技に出場し、オリンピックコーチ
として「総合馬術団体」7位入賞(バルセロナオリンピック)」を果たした石黒建吉氏
でしたが、ポールラッシュについてはさすがに舟木さんにはかなわないと話されて
いました。

当日は、最初は何のことかが判りませんでしたが、妻によるとテレビのニュースでスーパーマンのシャツを着た太った人が東北を元気付ける為に今から出掛けると語っていたのが確か舟木さんと呼んでいたそうですが、何とも舟木氏らしい周りを気にしない活動家であると思いました。

彼が経営する「萌木の村」は、JR小海線の清里駅から国道141号線(清里ライン)
に向かって15分ほど歩くとその国道沿いにある施設ですが、40年前に清里初の喫茶店を開業した事を皮きりに、ホテルやレストランそれに小さな遊園地を造り、
そこを「萌木の村」と呼び経営している人で、先ほどの「フィールドバレエ」を夏場に開催し、今年も「コッペリア」や「白鳥の湖」等をプロのバレリーナを呼んで上演するそうですが、既に22回も公演しているそうです。しかし、事務局も話していましたが
いくら何んでも、屋外で行われるバレエは雨や風の時は中止となるリスクを全く
気にする事なく、「高原の星空の下、木々の梢を背景に魅惑のバレエがこの夏も幕を開ける」と題する一枚のリーフレットは舟木氏の人柄を良く現わしている。そして、講演会を突然キャンセルする行動は舟木さんらしいと話していましたが屋外バレエの雨や風の心配など微塵もなく大らかに生きるその生き方は恐らくポールラッシュから幼くして学んだ「チャレンジ精神」や「開拓者精神」そして「最善を尽くせ!
そして一流たれ!」と言った哲学が彼を後押ししているのでしょう。

配られた資料によると、彼は「開拓者としてのDNAが私の体に脈々と流れており、それが今の活動の原点となっている」と述べています。当日の石黒氏の講演にも
有りましたが、「チャレンジ精神」や「全ての人に可能性が有り、全ての人に役割が有る」を唱えたポールラッシュの思想が今もキープ(KEEP)協会として運営され、清里がひと頃の賑わいをなくしている今も、「清泉寮」や「萌木の村」は健在であることが良く判りました。

まとめ 私は40年振りに昨年清里へ行きましたが、その日が清泉寮の収穫祭で有ることを知らずに駐車場が満車でしたので清里駅へ行き駅の周辺が寂れているのに失望して清里を後にしました。しかし、今回元気の出る話が聞けて安心しました。

と言う事は 清泉寮へは30年以上行っていないことになりますが、清泉寮の広場で娘達とソフトクリームをおいしく食べた想い出が有ります。
そのソフトクリームはポールラッシュ達が酪農事業の中でジャージ-牛を育てその濃厚な牛乳で作られている事を知っていましたが、清泉寮についてはいままで深く
知っていないことが判りましたので、今度はポールラッシュから「人としてあるべき
生き方」と、深い薫陶を受けている舟木上次氏の話を聴きたいと思っています。

昨年の10月に清里へ行きましたが、11月19日の7回改訂後の「近況報告」(8)
の「おわりに」に「清里」について書きましたのでご覧下さい。

ポール・ラッシュとドラッカー

ポール・ラッシュと「経済学の父」として名高いピーター・F・ドラッカーが清里で親しく邂逅(めぐり会うこと)したのは、昭和36年当時で清里へ幾度もドラッカーは訪れているとのこと。ドラッカーが最近話題になるのは 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の小説(通称「もしドラ」)の映画化で著者は岩崎夏海氏ですが、その中に登場する「ドラッカー」がブームになっている様です

そして、ポール・ラッシュとドラッカーの直筆の手紙やサイン本が現在清里に在る
ポール・ラッシュ記念センターに10月4日まで55点展示されているとの事ですので
出掛けて見ては如何でしょう。親日家のポール・ラッシュとドラッカーのことが良く
判るかも知れません。(水曜日が休館との事です)


1
 
富士山は誰のものか

-山頂帰属問題をふりかえる-

富士山について

1)富士山が書物に登場するのは、「竹取物語」が最初で制作時期と作者が不詳
  ですが、書かれた年代は今から1100年位前ではないかと言われています。

2)その竹取物語の最後に、不死の薬を一番天に近い山で燃やせとの帝の命に
  対して、駿河の国に一番高い山が有ると告げると、帝がその山を「不死の山」
  と名付け、そこから今の富士山の名前が付いたとされています。
  別の解釈では、二つとない山から「不二山」と呼んだという説も有る様です。

3)富士山信仰が古くから存在する中で、「富士浅間神社」が全国各地に約1300社
  在り、総本宮は富士宮市に在る「富士山本宮浅間大社」で、神話に登場する
  木花咲耶姫命(このはなのさくやびめのみこと)を祭神として祀っています。

「アサマ」には、アイヌ語で「火を吹き燃える岩」又は「沢の奥」という意味 があり
  また、東南アジアの言葉で「火山や温泉」に関係する言葉だそうですが、
  (Wikipediaより)現在は、長野と群馬の間に聳える「浅間山」は「アサマヤマ」と
  読みますが、浅間神社の場合は「センゲンジンジャ」と読む方が一般的です。
 
浅間神社は富士山が見える場所に多く建てられていて、山梨には浅間神社が
  20ヶ所以上ありますが、何と言っても静岡県には90を超える浅間神社が在り
  断トツです。そして、昔から山梨と静岡の人は富士山を挟んで相手を悪く言う
  風習が有り、武田信玄では無く徳川家康が天下を取り富士山を静岡のものと
  豪語した話を山梨県人は苦々しく思っている様ですが、しかし現代の富士登山
  は富士吉田口から登る登山客が多く、富士吉田(山梨県)に在る浅間神社が
  総本宮と思っていましたが、静岡の富士宮に在る浅間神社の方が本宮で有る
  ことを、私は今迄知りませんでした。

4)富士山は稲作が始まった弥生時代頃から山の神(火の神)→田の神(水の神)
  へ変わって行った。

5)平安時代の貞観(じょうがん)6年(AD861年)に大噴火し、江戸時代中期にも
  宝永の大噴火が有り今も噴火口が静岡側に見られる。

6)富士山は活火山で今から1万年前から活動が活発になり、コニーデ型の姿に
  なって行った。富士山を休火山とする考えが有ったが、現在は活火山とする説
  の方が有力。

7)富士講が一般化して行った江戸中期より以前は、修験者(行者)のみが山に
  登った。

  
富士山の所有
をめぐる係争
1)1779年(安永8年)に寺社奉行より浅間神社宛てに裁許(さいきょ)があった。

   本文:「今般衆議之上定趣者富士山八合目より上者大宮持たるべし」

 茲で、裁許とは許可のこと。しかし、本文の「持つ」は所謂今の「支配」の解釈
 では無く「浅間神社の所有から離なたれた」と解釈し支配とは全く逆の意味の
 説があり、此処が後々の紛争を生む部分となっている。

 また、富士講に集まる信者達の世話をする御師(おし)が集めるお金の争いが
 根底に有ったとされる。尚、定趣者とは「富士山本宮浅間大社」のこと。

2)終戦までは富士山本宮浅間神社(富士宮)が所有と考えられていた。

3)明治初期に富士山は地租改正により国有地(国の財産)とみなされた。しかし、
  全国の神社は元々法人では無く国家機関である神祇院(戦前迄)が管理して
  いた為に問題にならなかった。

4)1877年(明治10年)頃の法令により八合目以上の土地は国有林野(御料林野)
  となったが、神社側は八合目以上が宗教活動上必要として権利を主張した。

5)1899年(明治32年)に国有林野法が制定され、国有地では有るが区域を画して
  神社境内を神社の所有として認めることになった。
戦後処理と紛争
発生から訴訟まで
1)昭和22年(1947年)社寺等に無償で貸し付けられた国有財産の処分に関する
  法律と施工令を制定(法律53号)

2)翌年原告神社側は、本宮敷地と併せて「奥宮」用地として富士山八合目以上の
  土地112万坪余りの譲与を大蔵大臣に申請

3)大蔵大臣は、本宮敷地は譲与するが八合目以上の土地については5万坪弱を
  奥宮用地として譲与を認めたのみで他は譲与しないと決定(昭和27年)したが
  原告神社はこの行政処分を取り消し、八合目以上の全ての土地を譲与する様
  訴願(不服申し立て)

4)此れに対して、大蔵大臣から諮問を受けた社寺境内地中央審査会は、原告
  神社の訴願通り譲与するよう答申したが、大蔵大臣はその後4年余り訴願
  採決を留保した。

5)原告神社は本件処分の取消訴訟を提起(昭和32年:1957年)
6)名古屋地裁は請求をほぼ認める判決(昭和37年)
7)名古屋高裁が八合目以上の土地の内、登山道等を除いて原告請求を認める
  判決(昭和42年)
8)最高裁が八合目以上の土地で、国が行政目的で使用している一部の土地を
  除き原告神社の所有とする司法判断を確定(昭和49年)
7)2004年(平成16年)に財務省東海財務局から無償で同神社に譲渡された。
  しかし、登記は出来ない。その理由は、山梨県と静岡県の富士山頂の県境が
  明確で無く登記に必要な住所を特定出来ないため。

8)富士山以外の山の帰属

 ・白山(加賀) →白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
 ・男体山(栃木)→二荒山神社
 ・月山(山形) →月山神社

 などの山は紛争もなく「神体山」(信仰の対象)として神社に返された。
 それに対して、富士山だけが何故紛争になったのか(?)判決に対する様々
 な評価が有り江戸時代の寺社奉行の見解と明治政府の地租改正による国有
 化そして、戦後の公益上の必要性の評価方法等により、司法判断にならざる
 を得なかったと考えられるが、富士山は日本を代表する山であり、国民感情
 として特別な思い入れが有る様に思う。(私見)

9)この訴訟の争点

 ① 富士山頂は神体山(信仰の対象)として宗教活動に必要か
 ② 国有とすべき「公益の必要性」とは何か(?)の議論

現在の神社は、神宮(伊勢神宮)を本宗と仰ぎ、日本全国約8万社の神社を
  包括する宗教法人の「神社本庁」が設立され各県毎の「神社庁」で運営され
  ている。しかし、有名な神社であっても神社本庁との被包括関係を有せず、
  単立宗教法人として運営されている場合がある。例えば、鎌倉宮、靖国神社
  日光東照宮、日光二荒山神社、伏見稲荷神社などがある。(Wikipediaより)

まとめ 1)富士山の八合目以上は公益性のある登山道・トイレ・測候所などを除き
  「富士山本宮浅間大社」が所有することになった。しかし、県境が明確では無く
  登記は出来ていない。

2)しかし、現在は国立公園法などの適用があり、神社側が今後実行支配すること
  は出来ない状況。(富士山頂に「奥宮」がある)

3)寺院は宗教法人として運営されているが、全国の神社は戦前は国の財産として
  神祇院(国)が管理していたが、戦後は宗教法人である「神社本庁」により運営
  されている。

4)山梨県としては、静岡県側に所有権が有ることにやや不満が残るが、静岡側
  が主導権を取る事はなく、返って世界遺産に向けてお互いに協力するスタンス