【廃墟マニヤ File005】

T老鉱山(岩手県)

(その1)

選鉱場

ここはマニアの間では非常に有名な鉱山跡です。今更アップしても……という気がしないでもないのですが、撮影年月日や時刻、天候、撮影者によって絵柄も変わってきますし、そもそもこのサイトは貯めこまれるだけだった写真に日の目を見せる、という趣旨で始めたものなので、一応紹介しておこうと思います。ちなみに「T老」は「田R」ですね。

簡単にT老鉱山の沿革について、T老町ホームページより丸パクリで説明しておくと、1919年(大正8)ラサ島燐鉱(株)がT老鉱山で操業を開始。ラサ島燐鉱株式会社というのは後のラサ工業(株)のことです。しかし1923年(大正12)、なぜか知らないけど一旦採鉱を中止。1936年(昭和11)、今度はラサ工業(株)がT老鉱山の操業を開始。2年後には硫化鉱(硫化鉄などですね)月産12,000トン、銅鉱2,500トン体制となり、従業者数も1,800人へ。その後第二次世界大戦を経て、戦後も操業を続けていましたが、オイルショックなどのあおりを受け、1971年(昭和46)閉山宣言をします(別の複数の資料で閉山は1972年となっているので、実際に閉山したのは翌年かもしれません)。
その後、1979年(昭和54)明星大学T老キャンパスが鉱山跡地に開校、現在も宇宙線観測が行われているということです。

 

満足度:★★★★★

 


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